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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

The VENTURES' Christmas Album

2009年12月14日 22時50分27秒 | ROCK-POP
 ここ半世紀くらいの間、日本の街角で一番鳴っているクリスマス・ミュージックといったら、意外にコレではないか。ベンチャーズのクリスマス・アルバムは1965年に発表され、以来40年以上、何度となく再発され続け、いつもこのシーズンになると、-洒落な場所でこそ聴くことはなくなったけれど-駅前だの商店街だのどこかで鳴っているような気がする。アメリカなら往年の大物歌手たちのソースがいろいろかかりもするだろうが、この日本で昭和40年代から現在まで、これほど息の長いクリスマス・ミュージックというのは、他にちょっと思い浮かばない。私自身、今年もこのアルバムからの曲に、どこかでもう数回は出くわしているはずで、現にこのアルバムを今聴いているきっかけとなったのも、数日前に千葉市のあるところで、これが流れているに遭遇し、「そういえば、ベンチャーズのクリスマス・アルバム持ってなかったよな」と思って、帰宅してポチっとしたものが、さきほど届いたからである。

 さて、このアルバムだが有名クリスマス・ナンバーを12曲とりあげている。1965年に録音したものだから、ベンチャーズの全盛期でもあり(日本での人もピークだった頃だ)、クリスマスだからといって、奇を衒ったり、必要以上にクリスマス的ムードに迎合したりもせず、ストレートで豪快、ノリのいいベンチャーズ・サウンドでクリスマス・ミュージックを料理しているところがいい。まぁ、あえて、このアルバムの売りというか、趣向があるとすれば、どの曲にもイントロやリフに彼らのヒット曲が使用されているというところだろう。例えば1曲目の「そりすべり」では、お馴染み「ウォーク・ドント・ラン」をイントロをそのまま使って、やにわに「そりすべり」に雪崩れ込んでいくアレンジになっている。ベンチャーズはこれまでもかなり似たようなリフやアレンジを使い回していたけれど、これは明らかにパロディ的な意味で使われたもので、実に楽しい。私が気がついただけでも、「グリーンスリーブス」では「シーズ・ノットゼア(ゾンビーズ)」、「赤鼻のトナカイ」では「アイ・フィール・ファイン(ビートルズ)」 「ジングル・ベル・ロック」では「メンフィス・テネシー」、「ジングル・ベル」では「ホワッド・アイ・セイ(レイ・チャールズ)」といった曲が使われているのだ。恐らく他の曲もそうだろう。

 今回、実に久しぶりにこのアルバムを聴いてみて、やはり印象に残ったのは「ジングル・ベル」「サンタが街にやってくる」「赤鼻のトナカイ」の3曲である。前述の通り、このアルバムは1965年に発売されていて、当時は幼稚園生だった訳だけれど、アルバム本体こそなかったものの、このアルバムからピックアップされた4曲が入ったEP盤が自宅にはあり(おそらく愚兄が購入したのであろう)、これを聴くともなく、でも繰り返し聴いていたと思われるのだが、その4曲とは、先の3曲に「ホワイトクリスマス」を加えたものだったのである。「ジングル・ベル」のイントロに使われた「ホワッド・アイ・セイ」など当時、レイ・チャールズのレコードもあって、それも良く耳に聞こえてきたが、私などこちらがむしろオリジナルに聴こえてしまうくらいドンピシャのアレンジで、子供心にもかなり強烈なインパクトがあったものだ。ちなみに本作の一曲目は「そりすべり」だが、当時出た日本盤の1曲目は「ジングル・ベル」に変更されていたそうな。さもありなんである。

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日本作曲家選輯/須賀田礒太郎

2009年12月14日 14時10分40秒 | クラシック(20世紀~)
 そういえば最近は日本作曲家選輯を聴いてなかったな....と、ちょっと調べてみたら、前回の大澤壽人のディスクを取り上げたのが2007年の11月、かれこれ2年も空いてしまっていたことになる。このシリーズは音楽面はもちろんだが、知的歴史探究みたいな点でもおもしろく、決してお義理で聴いているような代物ではないのだが、ついつい置いてけぼりをしてしまう。当方が音楽的つまみ食いが過ぎてる故だろう、もっと時間が....いや、明晰な頭脳と記憶力が欲しい(笑)。さて、このディスクの主は須賀田礒太郎という人だが、もちろん始めて聞く人である。なんでも第二次大戦前の登場し、当時はかなり高い評価を得ていた人らしいのだが、戦後、音楽のトレンドが変わり、自身が1952年に亡くなっていることも手伝って、全く再評価されることなく忘れ去れてしまっていたらしい。従って、本ディスクのほとんどが世界初録音である。

 収録曲は全部で4つ。1曲目の「交響的序曲」は1939年に作曲されたもので、先に取り上げた橋本の交響曲第1番、大澤の交響曲第3番と同じく、皇紀祝典2600年にちなんだ作品らしい。序奏部がついた単一楽章物となっていて、「紀元節」のモチーフを見え隠れさせつつ序奏部が進み、やがて祝典的な本編に入っていくという趣向である。序奏部は非常に長く(全体の半分はある)、純和風な趣を重厚だがやや焦点がないようなヒンデミット風なサウンドで表現し、アレグロの本編はやはりヒンデミットやショスターヴィチのようなモダンな軽快さがある音楽で、その頂点で「紀元節」が登場する仕掛けになっている。それにしても、この人に限らないが、当時の日本でこのような「機会音楽」がどのように扱われ、また聴いた人はどんな印象をもったのだろう。2曲目の「双龍交遊之舞」は1940年の作品で、これも皇紀祝典2600年にちなんで作曲されたものらしいが、国家的行事向けにやや気負ってつくられた感じの「交響的序曲」のスクウェアさに比べると、こちらは非常にシンプルな作品だ。日本的な雅楽を印象派、あるいはロシア、スラブ風のオーケストレーションで表現したといった趣だが、こうした音楽的傾向は、例えば伊福部先生もそうしたところがあったし、きっと戦前のトレンドだったのだろう。

 3曲目のバレエ音楽「生命の律動」は戦後の1950年に作られた晩年の作品で、ストラヴィンスキーの三大バレーのボキャブラリーを使って、日本的な旋律や情緒を表現している作品になっている。第1部の不気味な序奏は「春の祭典」風、続く主部では「ペトルーシュカ」や「火の鳥」のような情景描写が現れる。続く、第2部、第3部も「春の祭典」的な導入から、「ペトルーシュカ」の情景風な音楽というパターンで進んでいく。もちろん、スラヴィンスキー的とはいっても、そこに表現されているのは日本的な淡泊な世界であり、肉食的なしつこさや凶暴さみたいなものは注意深く避けられている。特にリズム面はむしろ凡庸といいたい程まともである。とはいえ、ここまで似ていると、ちと物真似というかコピーみたいな感じがしてしまう。私のような素人が聴いてもそうなのだから、おそらく専門家が聴いたら感じるかと思ってしまうが、ライナーを読むと、「これはこれでポストモダン的作風の先取り」旨のことが書いてある、なるほど、そう聴けばおもしろいかもしれない。「東洋の舞姫」は1941年に作られたバレエ組曲からの一曲、これだけ初録音でないことからすると、昔からこれだけは有名なのかもしれない。曲は良くも悪しくも戦前の映画音楽かポピュラー・ミュージックみたいなムードがあって、そのエキゾチックな雰囲気は馴染みやすい世界を作っている。
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ハイドン 交響曲 第37番「先回り」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月14日 11時57分55秒 | ハイドン
 こちらは32番と同様、緩徐楽章とメヌエットが逆に配置された4楽章作品です。作品表を見てみると、モルツィン伯爵家に居た頃の作品となっていますから、恐らく彼の交響曲でもかなり初期の作品なのでしょう。緩徐楽章とメヌエットが逆になっている特徴を除けば、全体としては、ハイドン的手練手管、交響曲的な重厚さといったものより、一気呵成に仕上げた、一筆書きみたいな潔さがある作品という感じがします。
 第1楽章はプレスト、いきなり打楽器がぶちかましてます(偶然でしょうが、前述32番もそんな感じで始まってます)。なにしろプレストなので早い、早い。くるくる回るような弦のモチーフが打楽器も交えてテンポ良く進んでいく様は、さながらシュトラウス「雷鳴と電光」ばりといったところでしょうか。第2楽章のメヌエットはやはり打楽器が冒頭から鳴っていて、一瞬ぎょっとします。ただ、このメヌエットだと、むしろ存在感があるのは短調の厳かなムードで進むトリオの方ですかね。一転して室内楽風な構成で演奏されるのもいいアクセントになってます。

 緩徐楽章は第二楽章のトリオのムードを引き継いだような、ほんの少し宗教的な雰囲気のある趣になっています。時に感情的な高ぶりを暗示させたりしつつも、基本は平穏さや厳かな気分に回帰していくというパターンは、ドイツ~オーストリア流儀の典型的な緩徐楽章という感じですかね。最終楽章は2分ちょいで終わるみじかいつくりになっています。第1楽章に呼応しているのか、こちらもプレストですが、低弦が活躍するせいか、けっこうゆったりとしています。最後に盛り上がるフィナーレというよりは、むしろコーダみたいな感じでしょうか。
 標題は第1楽章と第2楽章の冒頭でいきなりドーンと入ってくる打楽器の響きが、まずはリスナーの先手を打ってやろうみたいな、茶目っ気を感じさせるので、そのあたりからまずは「先手必勝」などという言葉も思い浮かびましたが、そこはもう少し柔らかい感じで「先回り」とさせていただきました。
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