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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

鳩山政権の3ヶ月

2009年12月28日 22時58分56秒 | others
 先日で鳩山政権も100日を経過、この100日を目安に新政権に対する多少の迷走や混乱も大目にみてあげる時期が過ぎたなどという話もよく聞く(ハネムーン期間というヤツね)、確かに当初ほとんど偏向しているとしかいいようがないくらい民主党擁護的スタンスで突っ走っていたマスコミもこのところ、一斉に批判の勢いを強めているような気がしないでもない(もっともテレビのワイドショー・レベルだと、民主党に対しほとんど盲目的な擁護をする出演者を集めて、依然として民主アクティブ・キャンペーンをしているような話も聞くが....)。いずれにしても、前回の選挙で民主党に一票投じた人たちは、今の民主鳩山政権をどうように評価しているのだろう?、興味あるところである。

 個人的な意見を言わせてもらえば、たいへん申し訳ないが、「うーん、だめだね、こりゃ」という感じだろうか。新聞その他の報道を信じる限り、とにかく鳩山首相のする発言のブレ方は尋常ではない。まさかここまで大事になるとは私自身思ってもいなかったが、沖縄基地の移転問題で二転三転した首相の発言など(今日現在でもブレているから笑える)、本年冒頭の麻生首相の給付金を貰う貰わないで大騒ぎした問題などとは、スケールにおいても、その内外へのネガティブな影響度といった点でも、比較にならない壮大なブレ方であったと云わざるを得ない。中国の要人と天皇陛下の会見を無理矢理実現したとされるプロセスも大きな物議を醸し出したし、いわずもがなの国債発行、鳩山首相の脱税問題などがいよいよ大問題化していることなどはもそうだが、まずなにより当初派手にぶち上げたマニフェストがあちこち頓挫している-少なくとも実現する気配が感じられない-のが大きな減点だ。もちろん、たかが100日で何ができるという寛大な見方もできるだろうし、自民のツケなどという他力本願な言い方もあるだろうが、なにしろ100日経って目に見えて成功したのが、あのあからさまな「政治ショー」としかいいようがない、事業仕分けだけというのでは、どう好意的にみても「お寒いかぎり」としかいいようがないのではないか。

 いずれにしても、今の民主政権は結局のところ「現実的対応」を余儀なくされ、かつて振り回していたマニフェストに代表される理想主義に足を絡めとられてしまっていると思う。このまま現実路線を突っ走れば、つまるところ自民化したと批判を浴びるのは必定であるし、理想主義を貫こうとすれば様々な矛盾が噴出してくるのもまた分かり切ったことである。難しいところであろう。ともあれ、あれほど舌鋒鋭く自民批判をしていた鳩山首相自らが、政治資金その他の問題で、かつてした自らの発言に足を絡め取られてしまい、マスコミから袋だたきにあってあっている哀れな姿をみると、かつて偽メール事件で自滅したあのグデグデなプロセスをどうしても思い出してしまい、「やっぱ、この人達ったら、いつも口先だけで、やっぱだめじゃん」とか、つい思ってしまうのだ。ともあれ、今の政権は民主党にあり、こちらには少なくとも夏までは政権選択の手段もない訳だがら、しばらくはせいぜい生ぬるく民主党を応援していくとしたい。



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イヴォンヌ・ウォルター/アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー

2009年12月28日 00時05分02秒 | JAZZ
 オランダ出身の女性ジャズ・ヴォーカリスト、イヴォンヌ・ウォルターの本邦デビュー作。いろいろ話題になったのでご存じの方もいるとは思うが、本作はジョン・コルトレーンの「バラード」の収録曲をまるごと歌ってしまうという一種の変形トリビュート・アルバムになっているのである。コルトレーンの「バラード」といえば、「疾風怒濤なジョン・コルトレーンがつかの間見せたリラクゼーション」という希少価値も手伝って、他のアーティストの同種のアルバムとは、ほとんど隔絶したオーラが漂っているアルバムだが、このアルバムではその額縁を借りつつ、ヴォーカル・アルバムとして作り替えてしまおうというところだろう。コルトレーンの「バラード」はタイトルからも分かるとおり、スタンダードのバラード物を取り上げたアルバムだから、同じセレクションで歌物のアルバムを作ること自体はそれほど難しいことでもないだろうが、この種の企画が近年まで出てこなかったのは、やはり「バラード」というアルバム自体が古典として生乾きであったからだろう。逆にいえばこういう作品が出てくること自体、「バラード」という作品が、ジャズ史上の完全なる古典となったということの裏返しなんだろうと思う(ジャズ・ベスト25みたいな意味ではなく)。

 さて、本作だが、収録されたのは全部で12曲、まずは「バラード」の曲を1曲目から7曲目までをそのまま歌い、後の5曲は、コルトレーンのもうひとつの古典「ウィズ・ジョニーハートマン」から3曲と「バラード」の残り1曲、そして「ネイマ」が歌われている。全ての曲がピアノ+ベースというシンプルなバックで歌われているが、これは「バラード」のコルトレーンをそのまま彼女に置き換えた....というコンセプトなのだろう。なにしろオリジナルが巨人コルトレーンだからして、いろいろ文句をつける向きもあるだろうが、「バラード」のワン&オンリーな世界というか、あの静謐なムードをそれなりに再現していると思う。彼女の声は同郷のアン・バートンに似ているといわれているそうだが、私はアン・バートンを聴いたことがないのでよく分からない。あまりフェイクしたり、デフォルメせず、噛んで含めるような歌い方をしつつ、どこかドライな風情が漂っているのは、「バラード」的な世界にけっこう合っていると思う。普通ならバックがピアノとベースだけだと、バラードとはいえ退屈してしまう私だが、あまりそう感じなかったところにこのアルバムの説得力があると思う。いずれにしても、オッサンが夜に飲む酒のお供にぴったりのアルバムだ。もっとも聴いていて、オリジナルはどうだったかな?....と、寄り道したくなるアルバムでもあるが。
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