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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ベルク ヴァイオリン協奏曲/ムター、レヴァイン&CSO

2009年12月27日 21時54分13秒 | マーラー+新ウィーン
 この曲、5つ目の演奏である。ムターがレヴァインとシカゴ響を従えて1992年に収録した演奏だが、非常に大雑把な言い方をすると、グリュミオーとマルケヴィチの演奏の関係が逆になったような演奏....という印象を受けた。つまりここでのオーケストラは美麗で精緻、ほどほどに甘美で万事破綻がないのに対し、ヴァイオリンはこの作品に非常な緊張感と厳しい姿勢でなりふり構わず対峙しているようであり、両者の姿勢は共通しているというよりは、むしろ対照的な様相を呈しているのだけれど、それが故にユニークな協演となったというか、協奏曲的なおもしろさが出た演奏となったように思えるからだ。

 もう少し詳しく書くと、オーケストラは演奏はほぼ全編に渡って緻密で安定感があり、とにかくパーフェクトな印象である。ベルクの曲はあまりにもオーケストラ・サウンドが錯綜しているためか、全体としては混濁して聴こえようなことがしばしばあるけれど、この演奏ではそのあたりの見通しが良く、細部に渡って非常にクリアな印象だが、この手の演奏にありがちな冷たさとか分析過剰な演奏になる一歩手前で、オーソドックスな演奏の枠に留めているのは、レヴァインの手腕が生きているといったところだろう(ベルクにしてはちと整然としすぎて、やや透明感がありすぎるような気がしないでもないが)。また、ドラマチックな場面では(特に2部出だしなど)、獰猛ともいえるパワフルさが顔を出すのは、さすがシカゴといったところだ。

 一方、ムターのヴァイオリンは、あまりに生真面目で律儀だったコルンゴルトの協奏曲のような例もあったので、こういう作品ではどうかなと思ったが、甘さや世紀末的なムードは薄いものの、この曲のレクイエム的な面、あるいは悲劇的な側面を非常に真摯に表現しており、彼女独特のごつごつとしたフレージングがほとんど違和感なかったのが意外だった。とにかく非常に聴き応えのある重量感のある演奏だ。そんな訳で、オーケストラとヴァイオリンが、反対の方向を向いたような演奏であるにもかかわらず、聴こえてくる音楽が非常に充実しているのは、やはり協奏曲というフォーマット故のことなのかもしれない。個人的にはこの演奏、グリュミオーとマルケヴィチのものに次いで気に入ったものとなった。
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ハイドン 交響曲 第41番「トリプレット」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月27日 12時22分57秒 | ハイドン
 こちらはシュトルム・ウント・ドランク期の作品。短調ではありませんが、全体に落ち着いた風情が漂っていて、それ以前の作品に比べると、構えや佇まいといった点でかなり重厚になっている気がします。第1楽章は全合奏による和音を序奏に開始、当時はきっとモダンな始め方だったんでしょう。これまでハイドンの交響曲は41番まで聴いてきた訳ですが、この後はそれこそ沢山このパターンを踏襲するのだろうとは思いますが、これまでだとこうした「一撃開始」はなかったように記憶しています。主部は流麗さが際だち(ちょっとモーツァルトのピアノ協奏曲を思わせます)、職人的にまとめ上げて居る感じですが、主題的はちょいと決め手に欠くところも感じます。第2楽章はおとなしめの弦に導かるフルートのソロをフィーチャーしつつ、長調なんだけど一瞬短調のようにも聴こえる一種独特な牧歌的ムードを醸し出しています。また、中間部はかなり手の込んだ作りになっています。

 第3楽章のメヌエットはやはり構えが大きく重厚さがあります。従来の舞曲的な軽さから明らかに交響曲という「大きな曲」を構成するひとつパーツとして考え始めたという気配が感じられますね。第4楽章は三連符で執拗に繰り返されるモチーフが全体を貫いてるのが大きな特徴となっています(ちょっとメンデルゾーンの交響曲第4番の第1楽章を思わせたり)。ストレートな躍動感というより、じわじわと迫り来るような迫力がありますね。これも当時としては、かなりモダンな響きを醸し出していたんでしょうが、残念ながらここから何かが展開していくところまでいかずに、この三連符のみで押し切っているのがちと食い足りないところかもしれません。さて、ニックネームですが最終楽章の三連符にちなんで「三連符」といきたいところですが、ここはとち気取って英語で「トリプレット」とでもしておきましょうか。まぁ、ドイツ流に「トリオーレ」でもいいんですけど、この言葉は自分自身に馴染みがないので、やっぱ「トリプレット」で....。
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蘇慧倫/追得過一切 演唱会 (DVD)

2009年12月27日 00時17分49秒 | 台湾のあれこれ
 しばらく前に購入した蘇慧倫のライブDVD。彼女のライブといえば「登陸地球演唄会」という1997年の「傻瓜」に発売に前後して行われたステージのVCD(2枚組)を持っていたけれど、こちらはジャケ写真からして、もう少し以前のまだ髪の毛の長かった頃のライブだろうと勝手に想像して購入してきたものだ。だが、実際に視聴してみると、なんのことはない「登陸地球演唄会」と全く同じソースなのであった。このディスクはおそらく中国本土で発売されたものであり、「追得過一切 演唱会」というタイトルはその時に彼女の大ヒット曲にあやかって勝手につけられてものだろう。いや、ろくに曲目も確認せず購入したこちらが悪いのだが....。

 気を取り直して、一通り観てみたが、どうも全体になイマイチである。まずはシューティングした時期が「傻瓜」前後というのが、個人的には減点要素だ。この時期の彼女は髪の毛はばっさり切って、そのキャラをいささか素っ頓狂でコミカルな変貌させていた時期であり(別の彼女の髪に執着している訳でもないのだが-笑)、まぁ、これはこれで悪くないのだが、やはりそれ以前の「いい女」していた時期のライブがというのも、一度は観てみたいと常々思っていて、このディスクにはまさにそれを期待していたからである。また、どういう訳か録音があまりよくなく(彼女の歌は悪くない、けっこう職人した歌である)、ステージの2chモニターをそのまま録音したような妙に平板でメリハリがない音は長く聴いていると欲求不満になってくる。またVCDに比べれば当然画質は良くなってはいるが、おそらく同じマスターを使ってあまりいじくってはいないのだろう。DVDの水準からすれば、全般的にボケ気味でキレが映像のも不満を感じる。

 という訳で、いろいろな点でこれは個人的にイマイチなDVDである。彼女のMTVなども観ると、もっと良さそうなライブパフォーマンスもいくつかはシューティングされているようだし、おそらく当時は大スターだったのだから、そのあたりのソースは事欠かないと思う。今の視点で、そうしたソースかベストヒッツ的に復刻されたライブDVDでも出してくれたりしないものだろうか。あっ、そうそうこのステージなぜか司会者が出て来て、歌謡ショーみたいな趣もあるが、この時期の台湾のアイドルポップ的なステージというのはそういうのが常套パターンだったのだろうか。
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