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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

大貫妙子/TCHAU(チャオ!)

2005年07月22日 00時09分55秒 | JAPANESE POP
大貫妙子に関しては、実は昨日取り上げた「Slice of Life」の後の2~3枚があまりピンとこんなかったので、以降はあまり熱心に聴いていない。10年くらい前にブラジル録音を敢行したアルバムを作ったという話も聞いたが、あまり触手が伸びなかった。今年はブログを書いている関係上、かなり意図的にいろいろな夏物を聴いている訳だけど、せっかくの機会だからというので、彼女のブラジル録音である「TCHAU」を購入してきた。今、聴いているところである。

 クレジットを見て驚いたのだが、アレンジはボサ・ノヴァの巨匠オスカー・カストロ・ネビスだ。したがって音楽的にはほぽ全編を通じて今の時代には格調高さすら漂う正調ボサ・ノヴァである。ただし、この時期の大貫はかつての情緒的ヨーロッパ風なトーンはもうあまりなくても、非常に透明度を高めた、ある意味枯れて静的な世界になっているので、リラックスして涼しげなボサ・ノヴァを多少下世話に楽しみたいという私には、ちと抽象度の高すきる感もなくはない。

 曲としては、イタリアのカンツォーネ風なメロディーをボサ・ノヴァのリズムにのせて上品に歌う「美しい人よ」とジョビンの「コルコバド」を思わせる沈んだトーンとオガーマンを思わせるストリングスのアレンジが、ひんやりとしたロマンティシズムを感じさせる「永遠の夏」が良かったな。7曲目の「JAPAO」はジルベルト・ジルとジョアン・ドナートの曲で、大貫が日本語に翻訳して歌っているが、外国人にありがちな異国に対する勘違いエキゾシズムを逆に楽しんでいるようで、これも楽しい曲である。ちなみにラストの「SAMBA DO MAR」はインストゥルメンタルだ。

 という訳で、実に久しぶりに大貫妙子の作品を買ってきたんだけど、先に書いた通り、私にはこの浮世離れしたというか、ある種透徹したムードはちと「深すぎて」敷居が高いようだ。それにしても10年前の作品でさえこれほどだとすると、現在の彼女の音楽はいったどんな風になっているのだろうか?。
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Y.M.O./浮気なぼくら+インストゥルメンタル

2005年07月21日 16時11分18秒 | JAPANESE POP

YMO関連にもけっこう夏物が多い、けっこう異論はあると思うが、細野の「フィルハーモニー」、高橋の「音楽殺人」、坂本の「未来派野郎」などは私にとっては紛れもない季節物で、夏になると何故か聴きたくなる作品になっている。とはいえ、本家の方ではやはりこのアルバムにとどめをさすだろう。先行したシングル「君に胸キュン~浮気なヴァカンス~」は83年のカネボウ夏のキャンペーンソングで、ヒット・チャートをかけ上がり、ファミリーの曲は表から裏まで花盛り、メンバー自身は各種メディアにも露出しまくり、さながら83年はYMOに席巻された夏という感じであった。

  このアルバムが、バンドの解散を前提に歌謡曲というコンセプトでもってつくられたというエピソードは有名だ。しかし、出来上がった作品は、確かにはポップではあるものの、例によって作り込み過剰で、極めて音楽主義的な産物であった。YMOというと、とかく「テクノデリック」のような音楽こそが本音で、「浮気なぼくら」のポップさは方便みたいな捉え方がよくなされ、マニア度の高い人ほどそうしたことを信じているキライはあるけれど、本当にそうなのだろうか?。私などむしろ「いやだいやだ」といいつも、こういう職人的なポップ・センスこそ彼らの本音で、シリアス・タイプのテクノの方がよほど「本音を装った建前」みたいな気がしてならないのだが....。

  実際このアルバムは名曲揃いなのである。ほとんど完全無欠といいたいような「君に胸キュン」はいわずもがなで、ミニマム・ミュージックとフランス風味のドッキング「音楽」、高橋幸宏がポップに炸裂する「希望の路」「オープンド・マイ・アイズ」、細野流ワールド・ミュージックの「ロータス・ラブ」、「戦メリ」の残光のような坂本風叙情メロ横溢の「邂逅」などなど、どれも夏向きなキャッチーさと開放感を押さえつつ、そこに実験精神を過不足なくバランスさせているあたり、「作り込み過剰な職人集団YMO」全開である。聴いていて実に楽しいしノレるのだ。個人的にはという留保付きだが、こういうところこそ実はYMOなのだぁ~とか思ったりもしている。

  ちなみに今夜聴いたのは、最近再発された従来の「浮気なぼくら」に、その後別売された「浮気なぼくら」のインストゥルメンタル・アルバムをプラスした2枚組だ。インストゥルメンタル・アルバムの方は、単なるカラオケではなく、歌メロをシンセに置き換え、若干曲の異同もあったりするし、坂本や細野の曲は、むしろこちらの方が楽しめるもするので、YMOファンとしては落とせない作品ではある。ただし、独立したYMOのアルバムとしてはいかにも弱いのも事実なので、こうして2枚組としてセットされたのはありがたい。

  リマスターということで、音質的にはコンプレッサー系のエフェクトで音圧をあげ、各種イコライジングで細部の見通し、抜けをよくしているというありがちなパターン。ALFA時代のCDに比べると数段良いを音に感じるが、かといって、東芝EMIのリマスターより更に良くなっているという訳でもない。それにしても実はこのアルバム、きちんと聴くのは多分数年ぶり、このリマスター盤を聴く前に昔のCDも聴いてみたのだが、ここ数年オーディオをアップグレードしたおかげなのか、これまで聴こえなかった細部の情報が沢山聴こえてきて、「へぇ、こんな音使ってたのねぇ」と、けっこう驚いた部分多数。こういうところもさすがにYMOである。

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石川セリ/楽園

2005年07月21日 13時12分15秒 | JAPANESE POP
石川セリといえば、70年代前半のフォーク時代から活動しているベテラン・シンガーで、あのちょっと退廃的で官能的なヴォーカルは「何を歌っても石川セリ」みたいなところもあるが、70年代がフォーク~ニュー・ミュージック風な音楽であったのに対し、80年代はロック寄りなAOR、90年代の武満ソングと、音楽的にはかなりいろいろ変わっている。このアルバムは彼女が1985年に出した、80年代石川セリのラストを飾る作品だ(90年代半ばに突如復活するまで引退状態になる)。

 この時期の石川セリは井上陽水と歩調を合わせるように、非常に渋いAOR路線に傾斜していく訳だけれど、このアルバムはそれまでの3作とはかなり色彩の異なり、極彩色のようなポップさとまるで夏の太陽が燦々と降り注ぐようなムードがアルバム全体に横溢し、まさに夏向きとしかいいようがない仕上がりの作品となっている。この時期の彼女は大村憲司の編曲で歌うことが多く、このアルバムでもほぼ全面的に彼のアレンジによっているが、YMO経由と思われるテクノ風なリズムにソリッドなギターを中心した厚くシャープな切れ味のサウンドは相変わらずだとしても、石川セリ共々このくらい明るいのも珍しいのではないだろうか。

 曲はどれも非常に良い。作家陣には友部正人、かしぶち哲郎、森雪之丞、坂本龍一、糸井重里、大沢誉志幸、大村憲司、矢野徹といった豪華で多彩なメンツが揃っているものの、「甘い苦いをかみ分けた大人の夏」といったキーワードできれいに揃っているのは、ひょっとするとあらかじめそうしたコンセプトがあった上で、曲が依頼されたのかもしれないが、それにしたってここまで季節感のようなものが統一された上で、バラエティに富んでいるというのはけっこう凄いことなのではないか。主な曲を拾ってみる。

 1曲目の「パノラマ・ヘブン」はまさに極彩色の天国的世界を歌い、石川セリ・ワールド満開という感じ。3曲の「永遠の1/2」と7曲目「水無月のカルメン」は大沢による典型的なサマー・ポップなんだけど、石川セリが歌うと独特な陶酔感のようなものがあるのはなんとも妙。坂本の「フロッタージュ氏の怪物狩り」は、ちょっと「音楽」を思わせる脱色されたポップ感覚を持った作品、玉置による9曲目「昔イタリア」はいかもに歌謡曲的なメロディアスさとちょっと大人向けのファンタジーみたいな詩がいい。ラストの「あやかしのはな」はやはり坂本作品でこれは「戦メリ」風な東洋エギシズム路線。こういうちょっと陰鬱な曲を歌った時の彼女のアシッドな幻想味は本当に独特。

 ということで、このアルバム、さすがに最近は実際にとりだして聴くことは少なくなってしまったが、毎年暑い季節にになると、決まってどこからともなく頭の中で聴こえてくる作品である。今日は久しぶりに聴いてみた。
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大貫妙子/A Slice Of Life

2005年07月20日 12時28分33秒 | JAPANESE POP
 大貫妙子の87年の作品。この時期の彼女は一時代を築いた独特の欧州路線から、少しづつイメージを変えていった時期で、長年連れ添った坂本龍一のアレンジとも決別して、様々なベルトルに向けて自分を試している時期だったように記憶している。このアルバムでは、大村憲司を中心として、佐藤博、清水靖晃、ジャン・ミュージーなど多彩なアレンジャーを擁して、さながら過渡期のター坊を捉えた幕の内弁当のような仕上がりだ。

 彼女の作品は、昔から四季の様々な情景を歌ったものが多く、夏物としても「アヴァンチュール」や「シニフィエ」といったアルバムの中の曲には傑作が多いが、このアルバム中の何曲かも、前述のアルバムの曲に比べると地味ではあるが、なかなかの佳曲が揃っている。個人的に好きなのは2曲目の「もう一度トゥイスト」という曲。タイトル通りのツイストのリズムを使ったオールディーズ風な曲で、彼女にしては珍しい曲調なんだけど、「アメリカン・グラフティ」風な50年代の光景を日本風に翻案し、ノスタルジックな中にちょっと苦い味も織り込んで、乙女時代を回想するように歌っているがなんともいい。

 従来の欧州路線の夏物としては、3曲目の「人魚と水夫」と6曲目「五番目の季節」がある。前者は佐藤博の割とスタンダードなAORっぽい、バリー・ホワイト風といってもいいようなアレンジなんだけど、彼女が歌うととたんにヨーロッパ風な雰囲気が漂ってくるから不思議だ。後者はアルタミラ洞窟をイメージしたちょっと乾いた感じで、アラン・ドロンの「冒険者たち」とか、ああいう60年代後半のフランス映画の雰囲気。サビのところでわぁとばかりに大貫節になっていくあたりは素晴らしい。思えば、彼女のこうした欧州路線というのも、このあたりでいったん打ち止めになったように思う。

 また、大村憲司のソリッドで渋いポップさを醸し出すギター・サウンドが、意外なほどターボーの声がマッチしているのも、当時はけっこう不思議な気もしたものだ。ついでに書いておくと、この大村が作り出すギター・サウンドと、アルバムに全面的に参加した高橋幸宏のドラムはまさにどんぴしゃの組み合わせ。ロールとフラムを多用するドラミングはこの時期の特有の叩き方で、このアルバムの音楽にストイックだが絶妙の躍動感を与えている。ドラマーとしての高橋幸宏はおそらくこの時期がピークだったんじゃないだろうか。
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松岡直也/夏の旅

2005年07月20日 00時03分27秒 | JAZZ-Fusion
 早いものでこのアルバムが出てもう21年になる。松岡直也というどちらかといえば通受けするラテン・フュージョンの人の音楽が、わたせせいぞうとコラボという相乗効果もあって、日頃こういう音楽に縁のない若いまで巻き込んで大ブレイクするのはもう少し後だけれど、従来のラテンのリズムを使って外国への憧憬を表現するというパターンではなく、そこからむしろ日本的な風景を表現してしまうという、「日本人による日本人のためのラテン音楽」を確立したのは、多分、このアルバムあたりだったのではないだろうか。

 このアルバムのジャケットには、青空、入道雲、まっすぐな道、浴衣に日傘の女性、ローカルバスという、私ぐらいの世代の人間には既視感を誘うような夏の風景が描かれているが、このアルバムの音楽とはまさにそういうものなのだったのである。ラテンのヴォキャブリーを使って、サマー・ビーチだのリゾードといったものを表現するのではなく、こうした純日本的な風景を表現してみせたところが、当時としてはけっこう新しかった。実際、このアルバムにはバスのSEとかセミのSEなんかもちらっと入っていたりするのだが、それが奇妙にラテンと合っていたにのは、当の松岡直也自身が一番驚いたんじゃないだろうか。

 さて、どうしてこのようなことが可能だったのだろうか。その理由のひとつは松岡直也の作り出す旋律である。彼の作る旋律はウェットで情緒綿々、時に哀感に満ち満ちたものまで作ったりするが、これが日本人には非常にぴったりくるのだろう。2曲目のストリングスで奏でられる「田園詩」など、さながらイタリア的旋律を日本的情緒で表現したという感じのものだし、3曲目のタイトル・トラックなどもかなりハードなサウンドだが、旋律はむしろ哀感を感じさせるものだ。

 後、もうひとつの理由として、それまでの松岡直也がちらほら見せていたテクノ&ロック・サウンド指向をこのアルバムでもって大胆に導入したことによって、音楽がコンテンポラリーなものになったということも上げられるだろう。1曲目「田舎の貴婦人」はYMOの風なシーケンス・パターンとシンセの音色、5曲目の「虹のしずく」ではピアノと組み合わされたカラフルなシンセの音色と単調なリズムが否応なくテクノ的なものを感じさせるし、前述のタイトル・トラックや8曲目「虚栄の街」、ハード・ドライビングなギターがロック的ムードを濃厚に漂わせたりしているのである。

 つまりに松岡直也はラテンという日本人の感性からするとかなり異質な音楽ボキャブラリーを使って、日本的な風景を表現するためにこうした様々な要素を混ぜ合わせた訳である。前述のとおり、この後、松岡はわたせせいぞうのイラストをイメージ・キャラクター的に使い、「ハート・カクテル」の音楽など、さらにこうした「日本人による日本人のためのラテン音楽」的表現を洗練されたものにさせていく訳だが、思えば、それもこれもこの作品が出発点だったのである。
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井上鑑~アコースティック・ミーティング/Dolphin

2005年07月19日 00時05分12秒 | JAZZ-Fusion
 日本人は四季に敏感なだけあって、邦人アーティストの作品には夏をテーマにした作品が多い。もっとも夏と云ってもイメージするところは様々で、湘南みたいな定番路線はもちろんだけど、世界各地のリゾートをイメージするようなものも多くある。このアルバムは、表だってそういうテーマは喧伝してないものの、音楽からイメージするのは紛れもなく南仏あたりのリッチな避暑地で過ごす感傷的な夏だ。ある意味、とってもバブリーなサマー・ミュージックでもある。

 さて、このアルバムの主人公である井上鑑はアレンジャーとして知られている人で、そちらの方面のお仕事としては、かの寺尾聰の「ルビーの指輪」なんかが有名だけど、80年代はソロ・ミュージシャンとして数枚のソロ・アルバムも出していた。「CRYPTGRAM」や「架空庭園論」といった凝りに凝ったロック系アルバムの他、個人的に好きだったのは「Splash」というアルバム。湘南、軽井沢といった下世話な夏のイメージとは決別し(そういうものはアレンジで死ぬほどやっただろうから-笑)、南仏あたりの避暑地のイメージが横溢させたこのアルバムは、当時かなり斬新だったし、この人特有なスノッブ趣味も良い具合に作用していて、個人的は夏物の定番アルバムとして愛聴していたものだ。

 この「Dplphin」というアルバムは、云ってしまえば、「Splash」のニュー・エイジ・ヴァージョンである。「Splash」というアルバムはヴォーカルやドラムがきちんと入った、ロック系ポップスだったけれど、こちらは基本的にキーボード+Aギター+Aベーのアンサンブルで作られた、ジャズとかフュージョンと呼ぶにはあまりに透明で淡いニュー・エイジ・ミュージックになっている。1曲目の「The Last Dolphin」はシンセ+アコギのアルペジオが、まるで絵はがきのような雲一つないヨーロッパの夏の空を描き出し、2曲目の「Peace」はその青空に入道雲が出てきたようなムードを漂わせる....という具合に、アルバムは時にボサ・ノヴァやタンゴ、ブルージーなムードも漂わせつつ、そこはかとない感傷的を滲ませつつ表むき淡々とクールに進んでいくのである。

 ちなみにこのアルバムは一応アコスティック・ミーティングというバンド(プロジェクト?)名が付けられているが、メンツはギターに松原正樹と今剛、ベースは高水健司という名手が揃っている。一見、ニュー・エイジ風のさりげないノリながら、しっかりとした味わいがあるはこのメンツだからこそだろう。
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ELIANE ELIAS./ Paulistana

2005年07月18日 01時37分03秒 | Jobim+Bossa
引き続きイリアーヌ作品であります。彼女の作品って夏以外は全く聴くことがないんですが、そのかわり毎年夏ともなればやたらと聴く機会が多いもんで、ついつい露出度が高くなってしまいます。まして、今年はいい機会だから彼女の私家版ベスト盤をつくろう目論んでいる折でもありなおさらです。さて、この作品は「風はジョビンのように」、「私の中の風と海と空」に続く、ピアノ・トリオ・フォーマットによるサムシング・エルス・レーベル第3作で93年の作品となります。

 とりあげている曲は、ジョビンやカルロス・リラ、イヴァン・リンスなど新旧とりまぜたブラジリアン・ソングとオリジナル数曲。トリオ・フォーマットはこれまでのディショネット+ゴメスと、前作から登場したアースキン+ジョンソンのふたつのトリオがほぼ均等に配分されているのが注目されます。これが何を意味するかというと、早い話が彼女のもうひとつの路線であるフュージョン的なサウンドが、こちらのピアノ・トリオ路線に浸食してきたことを伺わせるということで、実際このアルバムではシンセサイザーも何曲かで使用されたり、コンテンポラリーなリズム・パターンが出てきたりします。前作でちらっとみせた音楽的な広がりが更に大きくなっているともいえるでしょう。ちなみにこうした要素はアースキン+ジョンソン組の曲で顕著であり、彼らがそもそも彼女のフュージョン・アルバムに参加してきたメンツであることも考えれば、このアルバムで彼女がふたつの路線をひとつに収束させようと目論んでいたことも想像に難くありません。

 とはいえ、昨日レビュウした「ロング・ストーリー」のようなひたすらスポーツ的快感を追求したフュージョンに比べれば、まだまだピアノ・トリオ然とした作品ではありますが、とりあえずふたつのトリオを使い分け、多彩な楽曲を収録しつつ、イリアーヌ・エリアス色に全体を染め抜いているのは見事。前作まで見られたちょっと秀才臭さが出たトリッキーなアレンジも姿を消し、女性らしくエレガントで控えめ、あくまでも自然体ながら、独特の流動感を感じさせるピアノも、このアルバムあたりでいよいよその個性を確立したような気もします。そのあたりは冒頭の「ブラジル」や「ジェット・サンバ」あたりに歴然としていますし、「黒いオルフェ」や「ソー・イン・ラブ」の歌い回しも前作より精妙さを増し、なおかつそこそこにかとない情緒を漂わせているあたりに、彼女の成長を感じさせるに充分の出来といえましょう。


 という訳で、個人的にはこの路線だとこれが一番好き。選曲としては第1作目がいいんですけどね....。このくらい熟成したピアノでもう1回ジョビン集やってくれないもんでしょうか。
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<戦 Lv26,白 Lv15,黒Lv15 >

2005年07月17日 09時07分54秒 | GAME
 今週も各種武器のスキル上げに終始。週半ばには短刀、片手&両手棍、片手&両手斧、鎌、格闘をそれぞれ50に到達。週末にはよく使う片手&両手剣、両手斧はそれぞれ70オーバーしてスキル上げ熱も一段落というところ、レベルも26にはなった。なにしろ、今の私のレベルだとこのままスキルをマックスにするには(70代後半くらい?)、「丁度」以上の相手と何回もタイマン張らないといけないので、ちと苦しい。レベル20になるくらいまで「強い」にソロで勝てたんだけどな。こうして段々ソロは苦しくなっていくんだろう。なんでも高レベルになってくると「楽」にも負けるとか....いやはや凄い世界だ。ともあれ、後はパーティーに参加するなどして「強い」以上を相手にした方がよさそうだ。まぁ、このまま砂丘に留まって、海岸の陸魚あたりを相手にする選択肢もあるが、他のパーティーで混んでいるし、これまで散々ここで乱獲してきたから、さすがに「私のバルクルム砂丘紀行」も飽きてきたというのもある。

 という訳で、昨日はこれまで師匠やLSの先輩に連れてってもらったところを、ひとりで徒歩で回ってみた。まずはセルビナからマウラに船で行き、マウラからブブリム半島へ行ってみる。レベル20くらいの時、サポジョブ取りで師匠とここに来て、突然師匠が回線落ちしてひとり取り残されたことを思い出した。あの頃から大してレベルが上がっている訳でもないが、とりあえずこのあたりのキリンやゴブリンならひとりでも対応できそうだ。実際にキリンと初めて戦ってみたが、どれも表示通り「楽」勝だった。あの時はずいぶん怖そうだったキリンやトンボが雑魚に見えてた一瞬だった。そりゃ、そうだよな。ここは「ウィンダス出身の人にとってのブルクルム砂丘」みたいなもんだろうから、ここに異常にに強かったらゲームバランス壊れちゃう。

 次、タロンギ渓谷。ここは「バス人にとってのコンシュタット大地」、「サンド人のラテーヌ高原」だろうから問題なし。コンシュやラテーヌと違って人が少ないと思うのは気のせいだろうか、荒涼とした風景もあって寂しい。ウィンダスへ向かうか、メリファト山地へ行くか迷った挙げ句。徒歩でジュノへ行けるか?というちょっとした冒険のつもりで、メリファトへ向かうことにした。例の巨大な骨が横たわっている場所だ。このゲームの舞台となるところにはいたるところに骨が転がっているが、ここのはとりわけデカイ。おそらくミッション2-3のところでちらっと見えたストーリーに関係があるんだろう。FFXのストーリーからしてSF的な展開も考えられるよな。などと考えつつ溝のような道を進んでいく。ほとんど敵と遭遇しないので、たまに溝の上に上がってみたが、「楽」表示のトンボとかゴブリンばかりで、ほとんどスルー状態。そうこうしているうちにタロンギ大峡谷の入り口についた。

 ここはチョコボで通った時でも「とてもとても強い」連中ばかりだったので、少し緊張。いったん戻ってホームポイントをメリファトに設定。おそるおそる中に進んでいくと、トカゲがうろうろしているので、調べると「丁度」だ。戦ってみると、けっこう楽勝。「なんでぇ、ちょろいもんじゃん」とか思って、その近くのゴブリンも調べてみると「おなつよ」で、こりゃ行けるだ....とばかりに、ずんずん進む。まんなかの山のあたりに来たところで、これまで戦ったことのない「とても強い」敵がうろうろしはじめたので、けっこう緊張。慎重に進んでいったつもりだが、前方の敵を回避しようとして脇にそれたところ、後方から虎のガブリとやられほどなく喰い殺され、メリファトへバック。やはりここは無理と判断して、今度はウィンダスへ向かう。

 ウィンダスではじめてクエストを消化。ヤグの数珠とかいうアイテムが4つも金庫に入っていて収納数を圧迫していたのだ。とりあえず金庫にかなり空きができたが、ここでクエストをこなすのはもう少しサンドでやってからだ。この後どうするか、ちょい迷いつつもやはりジュノへ行ってみようと、今度はチョコボで向かう。相変わらずジュノは人で一杯、プレステの操作が重い。特に目的もないので、やはり物は試しとクフィムに行ってみる。華やかなジュノの近くというのでリゾードみたいなところを予想していたら(笑)、うそ寒いやたらと荒涼とした場所だった。途中のコウモリはほとんど「強い」、広いところに出ても、陸魚、カニ、ガイコツみんな「強い」。ミミズはみんなが狙っているのであきらめる。まれに「丁度」がいるので2匹くらいたたいてみたが、ガイコツがリンクしてくるので非常に危険。こりゃひとりじゃ無理だと思い、次に下層に移動してジャンク・ショップでチョコボクエの時、相手にしてもらえなかった(笑)、ゴブリン・カバン拡張クエのところにいってみたところ、なんとOKだった。しかし、そろえてあったグッズは全てバスの収納家具の中。いそいでバスに戻り、再びジュノへとんぼ帰りしてカバン拡張クエ完了。

 その後もあちこち回り、ロランベリー耕地が強いゴブリンな殺されそうになり、パシュハウ沼ではエレメンツにおっかけられ瀕死の状態が続く、なんか悔しいのでもう一度、ジュノに戻り、徒歩でロランベリーを抜け、パシュハウ沼でデカイ花(Jolly Green)みたいなモンスターやキノコと戦ってみたが、けっこうひとりでも勝てる。隣のエリアはコンシュなので安心感もあり調子にのって、Bloodpool Voraxとかいうドデカイヤツが「丁度」だったので戦ってみたが、異常に強く、ハイポ使ったところで焼け石に水、問答無用で殴り殺されてしまい、ジュノに舞い戻ったところで、パーティーのお誘いが(笑)。あと1時間前だったら、参加させてもらったのになぁ....惜しい。そんなところで終了。

※ 写真はバス商業地区のモグハウスの前にたっている黒ずくめカッコいいおねぇさん。いつも気になっていたので撮ってやりました。
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イリアーヌ・エリアス/ロング・ストーリー

2005年07月17日 01時13分31秒 | Jobim+Bossa
彼女のフュージョン路線のおそらく最高傑作はこれです。前作で掴んだブラジリアン・フレイバー漂うしなやかなフュージョン・サウンドを思う存分に開陳したといった趣の作品で、ゴージャスなメンツの中、彼女のピアノもヴォーカルも収まるべきところに収まり、隙のない完成度をみせています。フュージョン作品としては前作もかなり上出来でしたが、本作は文句なく前作を超える仕上がりとなりました。ではこれもそれぞれの曲をメモっておきたいと思います。

01 Back In Time
 スキャット・ヴォーカルとピアノが交互に現れる洒落た構成。ピアノ部分はギターとのユニゾンというのはなかなか知能犯的サウンド。サウンド的にはピアノ・トリオ+ギター+パーカスというシンプルなもの。
02 A Long Story
 どっかの航空会社のCMミュージックにでも使えそうな、スピーディーな快適フュージョン。すーすー流れているようで実は複雑なキメを満載しているあたりが、いかにもNYフュージョン的感覚。これを縦線でしっかりサポートするアースキンのドラムがまたサイコー!。
03 Horizonte
 なだらかな起伏をもったミディアム・テンポの作品。白玉が幻想的な情景をかもし出している。夏の夕暮れ時に似合いそうな、暑いけれど冷気がすこし漂い始めたようなサウンド。
04 Just Kidding
 これはマントラ風なお遊びといった感じのコーラスををフィーチャーした作品。
05v Life Goes On
スキャット・ヴォーカルをフィーチャーして、アルバム中もっともボサ・ノヴァ色が強い作品。もっとも中間部はフュージョン的展開になったりして、古典的なボサ・ノヴァというのはかなりモダンだけど....ともあれ、これはボサ・ノヴァとフュージョンの幸せな融合。2と並んでこのアルバムでもっとも好きな曲だ。
06 The Nile
03と似た感じのミディアム・テンポの作品で幻想味はこっちの方が濃い。イリアーヌのヴォーカルもイヴァン・リンスっぽい。後半はボブ・バーグのサックスをフィーチャー。
07 Get It
 02と同様にフュージョン的なダイナミズムを目一杯繰り広げた作品。ボブ・バーグのサックスでテーマを演奏すると、とたんにウェザー・リポート風に....。
08 Just for You
 70年代終盤頃のAORを思わせるバラード作品。ジョーメヘリントンのギターがいかにもそれ風。
09 Karamuru
 スティール・ドラムが入っているのが印象的だか、基本的にはボブ・バーグのソロをフィーチャー、07に続くウェザー・リポート風の作品という感じ。曲の自由度というか、インプロのアウト度ではアルバム随一。
10 Let Me Go
 ヴォーカル作品。きちんと歌詞を歌っている唯一の作品で、バックはピアノとシンセのみ。エンド・タイトル風に余韻を残す曲。
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ハイドン交響曲第5番「午睡」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2005年07月16日 12時29分44秒 | ハイドン
 交響曲第5番は、第1楽章が交響曲の定石ともいえるアレグロで始まるのではなく、緩徐楽章の如きゆったりしたテンポで始まるのが特徴。それも序奏だけででなく、本編も含め最後までゆったりとしたテンポに終始しますから、まさに緩徐楽章そのもの。どういう経緯でこうなったのか、私には知る由もありませんが、交響曲のフォーマットが確立されるまで、いろいろと試行錯誤していたことを伺わせる構成ではあります。これで最終楽章も緩徐楽章だったりすると、マーラーの9番とかチャイコの「悲愴」の構成を予見していたってことで、おもしろかったりもしたんでしょうが、この曲場合、頭のふたつの楽章の順序が逆になっているだけで、第3楽章はメヌエット、第4楽章はプレストで、後半はいつもペースです。全体のメリハリとしては緩急緩急のジグザグ・パターンといえましょうか。

 第1楽章は前述の通り、緩徐楽章でゆったりスタート。ホルンの牧歌的な響きが心地よく、くつろいだ午後にでも聴いたら、さぞや怠惰な眠りを誘いそうな感じで。演奏時間も7分近く実にゆったり楽しめます。第2楽章はアレグロですが、ちょっと込み入ったリズムを持っているせいか、ミドル・テンポくらいにしか感じないのはおもしろい。あと、跳ねるようなトレモロ風テーマが印象的ですが、途中、ヴァインオリン・ソロも第1楽章で出たホルンちらっと出番があります。入念な展開部を経て再現部に至るプロセスはいかにもハイドン流の流麗さですね。お次には定石通りメヌエットですが、ちょっと前の全楽章に似た感じなので、これじゃ起承転結の「転」にならないじゃんか、などと思わないこともないです(笑)。トリオは管楽器が活躍してこれまた典雅なムード。最終楽章は1分半のプレストで、ハイドンらしま緻密でダイナミックに弦を動かしてますが、TV番組のエンドタイトルかの如くあっという間に終わってしまうのがちと残念。それにしもどうしてこの時期のフィナーレってこういう短いんですかね。なんか理由でもあるんでしょうか。

 という訳で、この第5番、通して聴くと、求心的な交響曲というよりは、「元祖BGM」とでもいうべきセレナーデとかああいう割と拡散していくタイプ音楽に近いみたいな感触があります。また、各種ソロ楽器がフィーチャーされるあたりもそういう感じ。まぁ、前述のとおりこの時期は交響曲というフォーマットを創世している時期なんでしょうか、この時点で形式がはっきりと確立されておらず、けっこう未分化だったのがよくわかるような感じです。
 最後のお約束の表題ですが、これは文句なく第1楽章の眠りさそうような快適さにちなんで「午睡」と命名させていただきました。いやはや、これだけレビュウしてやっとディスク1か。まだ、33分の1だぁ。うーん、先は長い(笑)。
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ザ・ドルフィンズ/マラヤン・ブリーズ

2005年07月15日 00時09分16秒 | JAZZ-Fusion
 一昨日、DMPから出たマンフレッド・フェストのアルバムを聴いたのがきっかけで、夏向きフュージョンのこんなのも思い出して聴いてます。ザ・ドルフィンズはデイブ・ブルーベックの息子でドラマーのダン・ブルーベックがリーダーとなって結成されたニュー・ヨークのフュージョン・バンドです。基本的にはキーボードとギターをフィーチャーした4人組ということになろうかと思いますが、スムースでメロウ、快適なサマー・フュージョンみたいな趣があるのと同時に、けっこうシリアスなテクニック指向のようなものが見え隠れしているのが、おもしろいバンドといえます。

 収録されている曲はキーボート&ギターでテーマを演奏し、その後、各種ソロを展開というパターンで進んでいくデイブ・グルーシン風というかウェスト・コースト風なフュージョン色がちらほらする曲が多いのですが、ヴィニー・マルトゥイッチのキーボードの音色はいかにもDX-7全盛期を思わせるデジタルっぽい音色が満載、マイク・デミッコのギターはクリアなトーンで割と弾力的なフレーズを多用しているあたりから、パット・メセニーを思わせたりする部分があったり、スティーブ・カーンっぽったりととにかくいろいろやっているという印象。一方、ダン・ブルーベックのドラムは一口にいえば、アグレッシブな手数系。この人がタイコをドカスカ叩いているせいで、類型的なサマー・フュージョンから脱した音楽になったともいえるし、スムース・フュージョンなのか、ハードコアなジャズ・ロックなのかどっちつかずになってしまったようなところもあると思います。ともあれ、この個性はけっこう強烈というか、下品(笑)。

 夏向きフュージョンとしてはタイトル曲である7曲目が、リゾード・ミュージック風な清涼感のなかにちょっとミステリアスな感じもあってなかなか良い感じ。9曲目の「セブン・ポンズ」もそんな感じ。一方、割とシリアスな路線としてはラストの「デジタル・ドルフィンズ」はジャコ風なテクニカルなベースをフィーチャーしたテーマから、ハードなジャズ・ロック風な演奏を展開。ダンの父親のオハコとして、あまりにも有名な「ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク」を4曲目でやってますが、これもその路線ですね。

 そんな訳で、聴いていておもしろいことはおもしろいんですけど、やっぱりどっちつかずかなぁ。優秀なバンドであることに違いはなかったんでしょうが、要するにプロデューサーが不在なんでしょうね。なんでもできる、こなせるバーサタイルなバンドはレコーディングに当たって、バンドの音をきちんと解釈できる耳の良いプロデューサーがいないとあれもこれもとこういう音楽になってしまうのかな思ったりするんですけど....どうなんだろう?。
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ELIANE ELIAS / So Far So close

2005年07月14日 00時07分08秒 | Jobim+Bossa
 先のデンオンでのアルバムから2年後の作品。ブルーノートからワールドワイド・デビューということで気合いが入ったのか、フュージョン・アルバムとしてはいささか中途半端な出来となってしまったデンオン時代のそれと比べると、ブロダクション・ワーク、ポリュラリティ、そしてフュージョン的な快適さなどあるゆる面で非常に完成度の高い仕上がりの作品になってます。実はこの夏、イリアーヌ・エリアスの夏向きのベスト盤を作ろうと思っているんですが、それ用の控えとして収録曲をメモっておきます。

01. At First Sight
 その後の彼女のメルマールのひとつともなったスキャット・ヴォーカルをフィーチャーした、おそらく最初の作品。サンバのリズムにフュージョン風なキメ、現れては消えるスキャットと非常にメリハリのある快適な作品。
02. Blue Stone
 AOR風なリズムとブレッカーのサックスがいかにも夜のリゾートっぽいムードを演出。徐々に厚くなるサウンドもよく練られている。コーダでようやくきっちりとしたラテン・リズムが出てくるあたりアレンジは秀逸。
03. Barefoot
 これもスキャットをフィーチャーした、いかにもサマー・ミュージック風な清涼感がある作品。ストリングス、ブラス、ベル系の各種シンセとピアノを使い分けたキーボード・サウンドもカラフルそのもの。
04. Nightimer
 トロピカルなテーマを持ったウェザー・リポート風な作品。ソロは前半がブレッカー、後半がイリアーヌで、ここでのピアノ・ソロは短いが非常に美しい。ピーター・アースキンのセンシティブなシンバル・ワークも効いている。
05. Still Hidden
06.So Far So close
 アコピとシンセによるソロの05を露払いにして始まるタイトル曲は、ほぼ02風なAORサウンド。複雑なキメをすーすー流すように曲に織り込んでいくのは、この時期のNYフュージョンの常套手段。中間部でストトング・シンセを中心に空間的な広がりを見せるあたりは、なかなか聴かせます。
07.Straight Across
 04と似たような無国籍トロピカルというかウェザー・リポート風作品。ただし、こっちの方がより本家に近い。ジャコ風なベースを彼女がシンセ・ベースで弾いている。ソロにはブレッカーも登場。
08.With you In MInd
09.Two Way Street
 前者は05と同様なアコピとシンセのソロ。後者はスキャット・ヴォーカルと打ち込みのリズムの組み合わせ。ちょっとスクリッティ・ポリッティを思わせるファンキー・テクノみたいな趣もある。
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マンフレッド・フェスト/ジャングル・キャット

2005年07月13日 00時24分51秒 | Jobim+Bossa
ふと思い出して、久々に聴いてみた作品。購入したのはもう15年近く前ですが、その間、実に数回くらいしか聴いてないと思います。私はこういうアルバムがけっこう多いのですが、まぁ、購入後しばらくねかせておいて、久々に聴いたら、思いのほかよかった....なんて体験も数多くしているもんで、売り払わずにせっせとため込んでいるんですね。CDを収納するスペースは有限ですから、私の部屋にはCDがあふれかえってます。まったく、こまったもんですが(笑)。

 さて、マンフレッド・フェストはブラジルのピアニスト、ボサ・ノヴァ創世記の頃から活躍している人ですから、超ベテランです。このアルバムではピアノ・トリオ+パーカスのフォーマットで(一部、フリューゲル・フーン入り)、ジョビンのスタンダードやオリジナルを取り上げています。録音は89年ですが、モダンな要素は、フュージョンっぽいところはあまりなく、基本的には古式ゆかしいサンバ系のボサ・ノヴァ・ジャズといった感じで60年代初頭を彷彿とさせるようなムードで全編が仕上げられています。また、ジョージ・シアリング・サウンドを再現したようなところもあり、カクテル・ピアノ風なところも散見しているのは、おそらくこの世代のブラジルのピアニストの特徴なんでしょう。

 ジョビンの2曲は割とサンバを基調としたたオーソドックスなアレンジ。おもしろいのは「星影のステラ」でこれはカクテル風なムード満載の非常にシャレたソロに始まり、ラテンのリズムが導入されるとムードがかわり、やがてホーンが入ると徐々に賑々しいムードに発展するという感じで、これはなかなか楽しめました。オリジナル作品では、3曲目のタイトル曲と9,10曲目あたりが例外的にフュージョン的リズムを使ったモダンな曲調でけっこうおもしろい感じでしたけど、ちょっと浮いている感じ。ともあれ、久々に聴いてもう少し発見や新鮮なところがあるかと思ったんですが、あんまし印象はかわらなかったですね。全く個人的な印象なんですけど、この人のピアノって、リズムの切れはいいし、ブラジルらしいムードもあるんですけど、いまひとつカラフルさだとか、メロディックさみたいなものが稀薄、ドライで角張っているとこ、夏のドライブで聴こうとか、自宅にビール片手に....なんていう欲求がわかなくて、どうも私の心に響いてこない原因になっているようです。

 ちなみに制作はDMPだけあって、音質は今聴いても極めて優秀。今時の低音がドカスカなるようなタイプではなく、トランジェントのよい非常にフラットなキレのいい音質です。そっか、これ「音のDMP」ってことで購入したんだよな、きっと。
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The Best of ELIANE ELIAS On Denon

2005年07月12日 00時36分44秒 | Jobim+Bossa

 こちらは昨日にレビュウした2作に先立ち、80年代終盤頃、日本のデンオン・レーベルで制作した2枚のアルバムからのベスト盤です。先にも書いたとおり、基本的にはブラジル風味が見え隠れするNYフュージョンという感じですが、あまりエレクトリック色は強くなく、生ピアノをメインにしたアコスティックなサウンドです。また、今回、改めて聴いてみて、けっこうジャズ的色彩が濃厚な作品もあったことに気がつきました。

  ちなみに付属のブックレットが非常に簡素なものなので、参加しているメンバーの記載がなく、うる覚えのところもありますが、1曲目「Choro」では、レニー・ホワイトとゴメスによるトリオでタイトルとおりショーロをモダンにしたようなフュージョンを展開。2曲目の「Cross Current」と「Illusion」はピーター・アースキンとゴメスによるトリオのようで、複雑をキメを多用したやはりモダンな4ビート作品で、イリアーヌ自身のソロは前曲もそうでしたが、かなりアウトしまくるジャレット風、こういうパターンは後年あまり聴けなくなったスタイルで興味深いところですね。3曲目の「Through The Fire」はストリング・シンセの音がいかにもリゾードっぽい典型的サマー・フュージョン。ベースはスタンリー・クラークかな。これもリゾードっぽい5曲目の「Moments」はとゥーツ・シールマンのハーモニカをフィーチャー。6曲目「Beautiful Love」、8曲目「Falling In Love With Love」、10曲目「When You Wish Upon A Star」はスタンダード作品で、これはかなりまっとうな4ビート・アレンジで、最後の曲はディジョッネットのドラムが聞こえます。ラストの「Chan's Song」はハンコックとスティービー・ワンダーの共作で再びトゥーツ・シールマンのハーモニカをフィーチャーしてます。

  とまぁ、こんな感じで進んでいく訳ですが、いろいろなスタイルと器用こなしてはいるんですけど、あれやこれやとやりすぎて、全体としてはいまひとつ決めてに欠くという印象もなくはないです。この手のフュージョンにはドライブのBGMに使いたくなるような快適さだとか、ポップなキャッチーさなんかが重要なポイントだと思うんですが、どれもそのあたりが音楽主義的過ぎるというか、早い話が生真面目過ぎてつまんなくなっちゃったところがあるんですね。

 ※ ちなみに昨年購入し未聴覚だったアルバムに「Timeless」というのがありまして、サヴォイから出たということで、私の知らない以前の時代の作品かなとも思ってたんですが、さっき聴いてみたら見事にデンオン時代のベスト盤でした。曲はほとんどダブっているし、収録曲目も少ないのでほとんどメリットなし。デンオン時代のベストって他にもあるようですが、こんなの出すくらいなら、2枚とも出してしまえばいいのにとか思っちゃいますよね。

 

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<戦 Lv25,白 Lv15,黒Lv15 >

2005年07月11日 22時35分29秒 | GAME
 平穏な一週間。サンドリアでクエストを細々とこなしつつ、ラテーヌや砂漠で白黒のレベル上げというパターン。パーティーでおもしろかったのは寡黙なパーティーによく出会ったこと。黒で入った外人部隊は実にはふたりの日本人が入っていたのだが、黙々と戦っていたので、ほとんど最後になるまでそうだということを気がつかない状態だった。とにかく余計なことせずにストイックに戦うばかりという感じで効率がいいっていえばこのくらい効率がいいパーティーもなかった....かな?。そういえば、先週末の白で入った邦人部隊は知り合いばかりだったが、これもほとんど会話ないのパターンで進んだ。みんなやたらとハイレベルで「ゲーム内の常識」として、メンバーに要求してくる水準が非常に高いパーティーだと、自分が非力なだけにけっこう気疲れしてしまうのだが、ぱっと集まって、細かいことはいわずにドカスタたたいて、誰かが抜けたら挨拶して解散みたいなドライなノリ。こういうのはけっこうラクだ(勉強にはならんが-笑)。ともあれ楽々レベル15到達。

 戦士についてはトンボは槍に弱いとかいう話を聞いたので、槍を購入して試してみた。なにしろこれまで両手&片手剣をとっかえひっかえ使ってきただけなので、あんまり意識もしてこなかったけれど、武器のスキルというのは低いともうお話にならない。「丁度」表示のトンボと戦って、ほとんど当たらないのには愕然した。そりゃもう哀しいくらい空振りの連打で、HPをジャカスカ削られていき、瀕死にハメになること数回。こりゃダメだとばかりに、コンシュの側に移動して「楽」相手をトカゲを相手にしつこく戦って、自分のレベルと同じ、つまりレベル24あたりになるとようやく当たり始め、その倍の48くらいになると、ようやく使いものになって来るという感じなのである。ちなみにこのスキルを上げていく際の、武器が目に見えて命中するようになり、ダメージも揃ってくるプロセスはなかなかおもしろく、しばしハマってしまった。こうなればと勢いづいて白黒が使う短刀や片手&両手棍、更に更にいつ使うかも分からない片手&両手斧、鎌、格闘だののスキル上げまで始めてしまっている始末。全く性格がよく出ている(笑)。とりあえず全て50くらいにするくらいまでやってみるつもりになっているが。そうこうしているうちに、戦士もレベル25となった。25,15,15できりの良い数字だ。そんなところで今週は終了。

 ところで前記スキル上げをしているさなか壮絶な光景をみた。バルクルム砂丘でトガゲとゴブと大トレインである。全部で20匹はいたろうか、ひょっとすると30匹以上いたかもしれない。とにかく、その流れは河の如し、誰かが引き連れてきたであろう、数十匹のモンスターが3陣くらいに分かれ、トンネルからコンシュタット側の砂丘に怒濤の如くなだれ込んでくる様は壮観というか、一種異様な光景だった。そんな音は聞こえるハズもないのだが、地を揺るがす轟音が鳴り響いているように錯覚したほどだ。私は砂丘の端でヒーリング中だったからいいようなものの、真ん中あたりで経験値上げしていたパーティーは、おそらく阿鼻叫喚の嵐であったろう(笑)。
 ともあれ、十数分間にわたり砂丘はトガゲのラッシュ状態。こんな状況で一匹でも手を出したら、再び大リンクが発生することは間違いないので、誰も何もできず、ひたすら嵐を去るのを待つという膠着状態が続いた。やがて怒りも治まったのかトカゲ集団がぞろぞろと帰還しはじめた頃、どこからか現れた白魔道士がいたるところで死者を蘇生していていたが、この惨状の凄まじさを物語っていた。
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