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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

Y.M.O./浮気なぼくら+インストゥルメンタル

2005年07月21日 16時11分18秒 | JAPANESE POP

YMO関連にもけっこう夏物が多い、けっこう異論はあると思うが、細野の「フィルハーモニー」、高橋の「音楽殺人」、坂本の「未来派野郎」などは私にとっては紛れもない季節物で、夏になると何故か聴きたくなる作品になっている。とはいえ、本家の方ではやはりこのアルバムにとどめをさすだろう。先行したシングル「君に胸キュン~浮気なヴァカンス~」は83年のカネボウ夏のキャンペーンソングで、ヒット・チャートをかけ上がり、ファミリーの曲は表から裏まで花盛り、メンバー自身は各種メディアにも露出しまくり、さながら83年はYMOに席巻された夏という感じであった。

  このアルバムが、バンドの解散を前提に歌謡曲というコンセプトでもってつくられたというエピソードは有名だ。しかし、出来上がった作品は、確かにはポップではあるものの、例によって作り込み過剰で、極めて音楽主義的な産物であった。YMOというと、とかく「テクノデリック」のような音楽こそが本音で、「浮気なぼくら」のポップさは方便みたいな捉え方がよくなされ、マニア度の高い人ほどそうしたことを信じているキライはあるけれど、本当にそうなのだろうか?。私などむしろ「いやだいやだ」といいつも、こういう職人的なポップ・センスこそ彼らの本音で、シリアス・タイプのテクノの方がよほど「本音を装った建前」みたいな気がしてならないのだが....。

  実際このアルバムは名曲揃いなのである。ほとんど完全無欠といいたいような「君に胸キュン」はいわずもがなで、ミニマム・ミュージックとフランス風味のドッキング「音楽」、高橋幸宏がポップに炸裂する「希望の路」「オープンド・マイ・アイズ」、細野流ワールド・ミュージックの「ロータス・ラブ」、「戦メリ」の残光のような坂本風叙情メロ横溢の「邂逅」などなど、どれも夏向きなキャッチーさと開放感を押さえつつ、そこに実験精神を過不足なくバランスさせているあたり、「作り込み過剰な職人集団YMO」全開である。聴いていて実に楽しいしノレるのだ。個人的にはという留保付きだが、こういうところこそ実はYMOなのだぁ~とか思ったりもしている。

  ちなみに今夜聴いたのは、最近再発された従来の「浮気なぼくら」に、その後別売された「浮気なぼくら」のインストゥルメンタル・アルバムをプラスした2枚組だ。インストゥルメンタル・アルバムの方は、単なるカラオケではなく、歌メロをシンセに置き換え、若干曲の異同もあったりするし、坂本や細野の曲は、むしろこちらの方が楽しめるもするので、YMOファンとしては落とせない作品ではある。ただし、独立したYMOのアルバムとしてはいかにも弱いのも事実なので、こうして2枚組としてセットされたのはありがたい。

  リマスターということで、音質的にはコンプレッサー系のエフェクトで音圧をあげ、各種イコライジングで細部の見通し、抜けをよくしているというありがちなパターン。ALFA時代のCDに比べると数段良いを音に感じるが、かといって、東芝EMIのリマスターより更に良くなっているという訳でもない。それにしても実はこのアルバム、きちんと聴くのは多分数年ぶり、このリマスター盤を聴く前に昔のCDも聴いてみたのだが、ここ数年オーディオをアップグレードしたおかげなのか、これまで聴こえなかった細部の情報が沢山聴こえてきて、「へぇ、こんな音使ってたのねぇ」と、けっこう驚いた部分多数。こういうところもさすがにYMOである。

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石川セリ/楽園

2005年07月21日 13時12分15秒 | JAPANESE POP
石川セリといえば、70年代前半のフォーク時代から活動しているベテラン・シンガーで、あのちょっと退廃的で官能的なヴォーカルは「何を歌っても石川セリ」みたいなところもあるが、70年代がフォーク~ニュー・ミュージック風な音楽であったのに対し、80年代はロック寄りなAOR、90年代の武満ソングと、音楽的にはかなりいろいろ変わっている。このアルバムは彼女が1985年に出した、80年代石川セリのラストを飾る作品だ(90年代半ばに突如復活するまで引退状態になる)。

 この時期の石川セリは井上陽水と歩調を合わせるように、非常に渋いAOR路線に傾斜していく訳だけれど、このアルバムはそれまでの3作とはかなり色彩の異なり、極彩色のようなポップさとまるで夏の太陽が燦々と降り注ぐようなムードがアルバム全体に横溢し、まさに夏向きとしかいいようがない仕上がりの作品となっている。この時期の彼女は大村憲司の編曲で歌うことが多く、このアルバムでもほぼ全面的に彼のアレンジによっているが、YMO経由と思われるテクノ風なリズムにソリッドなギターを中心した厚くシャープな切れ味のサウンドは相変わらずだとしても、石川セリ共々このくらい明るいのも珍しいのではないだろうか。

 曲はどれも非常に良い。作家陣には友部正人、かしぶち哲郎、森雪之丞、坂本龍一、糸井重里、大沢誉志幸、大村憲司、矢野徹といった豪華で多彩なメンツが揃っているものの、「甘い苦いをかみ分けた大人の夏」といったキーワードできれいに揃っているのは、ひょっとするとあらかじめそうしたコンセプトがあった上で、曲が依頼されたのかもしれないが、それにしたってここまで季節感のようなものが統一された上で、バラエティに富んでいるというのはけっこう凄いことなのではないか。主な曲を拾ってみる。

 1曲目の「パノラマ・ヘブン」はまさに極彩色の天国的世界を歌い、石川セリ・ワールド満開という感じ。3曲の「永遠の1/2」と7曲目「水無月のカルメン」は大沢による典型的なサマー・ポップなんだけど、石川セリが歌うと独特な陶酔感のようなものがあるのはなんとも妙。坂本の「フロッタージュ氏の怪物狩り」は、ちょっと「音楽」を思わせる脱色されたポップ感覚を持った作品、玉置による9曲目「昔イタリア」はいかもに歌謡曲的なメロディアスさとちょっと大人向けのファンタジーみたいな詩がいい。ラストの「あやかしのはな」はやはり坂本作品でこれは「戦メリ」風な東洋エギシズム路線。こういうちょっと陰鬱な曲を歌った時の彼女のアシッドな幻想味は本当に独特。

 ということで、このアルバム、さすがに最近は実際にとりだして聴くことは少なくなってしまったが、毎年暑い季節にになると、決まってどこからともなく頭の中で聴こえてくる作品である。今日は久しぶりに聴いてみた。
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