Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

大貫妙子/A Slice Of Life

2005年07月20日 12時28分33秒 | JAPANESE POP
 大貫妙子の87年の作品。この時期の彼女は一時代を築いた独特の欧州路線から、少しづつイメージを変えていった時期で、長年連れ添った坂本龍一のアレンジとも決別して、様々なベルトルに向けて自分を試している時期だったように記憶している。このアルバムでは、大村憲司を中心として、佐藤博、清水靖晃、ジャン・ミュージーなど多彩なアレンジャーを擁して、さながら過渡期のター坊を捉えた幕の内弁当のような仕上がりだ。

 彼女の作品は、昔から四季の様々な情景を歌ったものが多く、夏物としても「アヴァンチュール」や「シニフィエ」といったアルバムの中の曲には傑作が多いが、このアルバム中の何曲かも、前述のアルバムの曲に比べると地味ではあるが、なかなかの佳曲が揃っている。個人的に好きなのは2曲目の「もう一度トゥイスト」という曲。タイトル通りのツイストのリズムを使ったオールディーズ風な曲で、彼女にしては珍しい曲調なんだけど、「アメリカン・グラフティ」風な50年代の光景を日本風に翻案し、ノスタルジックな中にちょっと苦い味も織り込んで、乙女時代を回想するように歌っているがなんともいい。

 従来の欧州路線の夏物としては、3曲目の「人魚と水夫」と6曲目「五番目の季節」がある。前者は佐藤博の割とスタンダードなAORっぽい、バリー・ホワイト風といってもいいようなアレンジなんだけど、彼女が歌うととたんにヨーロッパ風な雰囲気が漂ってくるから不思議だ。後者はアルタミラ洞窟をイメージしたちょっと乾いた感じで、アラン・ドロンの「冒険者たち」とか、ああいう60年代後半のフランス映画の雰囲気。サビのところでわぁとばかりに大貫節になっていくあたりは素晴らしい。思えば、彼女のこうした欧州路線というのも、このあたりでいったん打ち止めになったように思う。

 また、大村憲司のソリッドで渋いポップさを醸し出すギター・サウンドが、意外なほどターボーの声がマッチしているのも、当時はけっこう不思議な気もしたものだ。ついでに書いておくと、この大村が作り出すギター・サウンドと、アルバムに全面的に参加した高橋幸宏のドラムはまさにどんぴしゃの組み合わせ。ロールとフラムを多用するドラミングはこの時期の特有の叩き方で、このアルバムの音楽にストイックだが絶妙の躍動感を与えている。ドラマーとしての高橋幸宏はおそらくこの時期がピークだったんじゃないだろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松岡直也/夏の旅

2005年07月20日 00時03分27秒 | JAZZ-Fusion
 早いものでこのアルバムが出てもう21年になる。松岡直也というどちらかといえば通受けするラテン・フュージョンの人の音楽が、わたせせいぞうとコラボという相乗効果もあって、日頃こういう音楽に縁のない若いまで巻き込んで大ブレイクするのはもう少し後だけれど、従来のラテンのリズムを使って外国への憧憬を表現するというパターンではなく、そこからむしろ日本的な風景を表現してしまうという、「日本人による日本人のためのラテン音楽」を確立したのは、多分、このアルバムあたりだったのではないだろうか。

 このアルバムのジャケットには、青空、入道雲、まっすぐな道、浴衣に日傘の女性、ローカルバスという、私ぐらいの世代の人間には既視感を誘うような夏の風景が描かれているが、このアルバムの音楽とはまさにそういうものなのだったのである。ラテンのヴォキャブリーを使って、サマー・ビーチだのリゾードといったものを表現するのではなく、こうした純日本的な風景を表現してみせたところが、当時としてはけっこう新しかった。実際、このアルバムにはバスのSEとかセミのSEなんかもちらっと入っていたりするのだが、それが奇妙にラテンと合っていたにのは、当の松岡直也自身が一番驚いたんじゃないだろうか。

 さて、どうしてこのようなことが可能だったのだろうか。その理由のひとつは松岡直也の作り出す旋律である。彼の作る旋律はウェットで情緒綿々、時に哀感に満ち満ちたものまで作ったりするが、これが日本人には非常にぴったりくるのだろう。2曲目のストリングスで奏でられる「田園詩」など、さながらイタリア的旋律を日本的情緒で表現したという感じのものだし、3曲目のタイトル・トラックなどもかなりハードなサウンドだが、旋律はむしろ哀感を感じさせるものだ。

 後、もうひとつの理由として、それまでの松岡直也がちらほら見せていたテクノ&ロック・サウンド指向をこのアルバムでもって大胆に導入したことによって、音楽がコンテンポラリーなものになったということも上げられるだろう。1曲目「田舎の貴婦人」はYMOの風なシーケンス・パターンとシンセの音色、5曲目の「虹のしずく」ではピアノと組み合わされたカラフルなシンセの音色と単調なリズムが否応なくテクノ的なものを感じさせるし、前述のタイトル・トラックや8曲目「虚栄の街」、ハード・ドライビングなギターがロック的ムードを濃厚に漂わせたりしているのである。

 つまりに松岡直也はラテンという日本人の感性からするとかなり異質な音楽ボキャブラリーを使って、日本的な風景を表現するためにこうした様々な要素を混ぜ合わせた訳である。前述のとおり、この後、松岡はわたせせいぞうのイラストをイメージ・キャラクター的に使い、「ハート・カクテル」の音楽など、さらにこうした「日本人による日本人のためのラテン音楽」的表現を洗練されたものにさせていく訳だが、思えば、それもこれもこの作品が出発点だったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする