大貫妙子の87年の作品。この時期の彼女は一時代を築いた独特の欧州路線から、少しづつイメージを変えていった時期で、長年連れ添った坂本龍一のアレンジとも決別して、様々なベルトルに向けて自分を試している時期だったように記憶している。このアルバムでは、大村憲司を中心として、佐藤博、清水靖晃、ジャン・ミュージーなど多彩なアレンジャーを擁して、さながら過渡期のター坊を捉えた幕の内弁当のような仕上がりだ。
彼女の作品は、昔から四季の様々な情景を歌ったものが多く、夏物としても「アヴァンチュール」や「シニフィエ」といったアルバムの中の曲には傑作が多いが、このアルバム中の何曲かも、前述のアルバムの曲に比べると地味ではあるが、なかなかの佳曲が揃っている。個人的に好きなのは2曲目の「もう一度トゥイスト」という曲。タイトル通りのツイストのリズムを使ったオールディーズ風な曲で、彼女にしては珍しい曲調なんだけど、「アメリカン・グラフティ」風な50年代の光景を日本風に翻案し、ノスタルジックな中にちょっと苦い味も織り込んで、乙女時代を回想するように歌っているがなんともいい。
従来の欧州路線の夏物としては、3曲目の「人魚と水夫」と6曲目「五番目の季節」がある。前者は佐藤博の割とスタンダードなAORっぽい、バリー・ホワイト風といってもいいようなアレンジなんだけど、彼女が歌うととたんにヨーロッパ風な雰囲気が漂ってくるから不思議だ。後者はアルタミラ洞窟をイメージしたちょっと乾いた感じで、アラン・ドロンの「冒険者たち」とか、ああいう60年代後半のフランス映画の雰囲気。サビのところでわぁとばかりに大貫節になっていくあたりは素晴らしい。思えば、彼女のこうした欧州路線というのも、このあたりでいったん打ち止めになったように思う。
また、大村憲司のソリッドで渋いポップさを醸し出すギター・サウンドが、意外なほどターボーの声がマッチしているのも、当時はけっこう不思議な気もしたものだ。ついでに書いておくと、この大村が作り出すギター・サウンドと、アルバムに全面的に参加した高橋幸宏のドラムはまさにどんぴしゃの組み合わせ。ロールとフラムを多用するドラミングはこの時期の特有の叩き方で、このアルバムの音楽にストイックだが絶妙の躍動感を与えている。ドラマーとしての高橋幸宏はおそらくこの時期がピークだったんじゃないだろうか。
彼女の作品は、昔から四季の様々な情景を歌ったものが多く、夏物としても「アヴァンチュール」や「シニフィエ」といったアルバムの中の曲には傑作が多いが、このアルバム中の何曲かも、前述のアルバムの曲に比べると地味ではあるが、なかなかの佳曲が揃っている。個人的に好きなのは2曲目の「もう一度トゥイスト」という曲。タイトル通りのツイストのリズムを使ったオールディーズ風な曲で、彼女にしては珍しい曲調なんだけど、「アメリカン・グラフティ」風な50年代の光景を日本風に翻案し、ノスタルジックな中にちょっと苦い味も織り込んで、乙女時代を回想するように歌っているがなんともいい。
従来の欧州路線の夏物としては、3曲目の「人魚と水夫」と6曲目「五番目の季節」がある。前者は佐藤博の割とスタンダードなAORっぽい、バリー・ホワイト風といってもいいようなアレンジなんだけど、彼女が歌うととたんにヨーロッパ風な雰囲気が漂ってくるから不思議だ。後者はアルタミラ洞窟をイメージしたちょっと乾いた感じで、アラン・ドロンの「冒険者たち」とか、ああいう60年代後半のフランス映画の雰囲気。サビのところでわぁとばかりに大貫節になっていくあたりは素晴らしい。思えば、彼女のこうした欧州路線というのも、このあたりでいったん打ち止めになったように思う。
また、大村憲司のソリッドで渋いポップさを醸し出すギター・サウンドが、意外なほどターボーの声がマッチしているのも、当時はけっこう不思議な気もしたものだ。ついでに書いておくと、この大村が作り出すギター・サウンドと、アルバムに全面的に参加した高橋幸宏のドラムはまさにどんぴしゃの組み合わせ。ロールとフラムを多用するドラミングはこの時期の特有の叩き方で、このアルバムの音楽にストイックだが絶妙の躍動感を与えている。ドラマーとしての高橋幸宏はおそらくこの時期がピークだったんじゃないだろうか。