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松岡直也/夏の旅

2005年07月20日 00時03分27秒 | JAZZ-Fusion
 早いものでこのアルバムが出てもう21年になる。松岡直也というどちらかといえば通受けするラテン・フュージョンの人の音楽が、わたせせいぞうとコラボという相乗効果もあって、日頃こういう音楽に縁のない若いまで巻き込んで大ブレイクするのはもう少し後だけれど、従来のラテンのリズムを使って外国への憧憬を表現するというパターンではなく、そこからむしろ日本的な風景を表現してしまうという、「日本人による日本人のためのラテン音楽」を確立したのは、多分、このアルバムあたりだったのではないだろうか。

 このアルバムのジャケットには、青空、入道雲、まっすぐな道、浴衣に日傘の女性、ローカルバスという、私ぐらいの世代の人間には既視感を誘うような夏の風景が描かれているが、このアルバムの音楽とはまさにそういうものなのだったのである。ラテンのヴォキャブリーを使って、サマー・ビーチだのリゾードといったものを表現するのではなく、こうした純日本的な風景を表現してみせたところが、当時としてはけっこう新しかった。実際、このアルバムにはバスのSEとかセミのSEなんかもちらっと入っていたりするのだが、それが奇妙にラテンと合っていたにのは、当の松岡直也自身が一番驚いたんじゃないだろうか。

 さて、どうしてこのようなことが可能だったのだろうか。その理由のひとつは松岡直也の作り出す旋律である。彼の作る旋律はウェットで情緒綿々、時に哀感に満ち満ちたものまで作ったりするが、これが日本人には非常にぴったりくるのだろう。2曲目のストリングスで奏でられる「田園詩」など、さながらイタリア的旋律を日本的情緒で表現したという感じのものだし、3曲目のタイトル・トラックなどもかなりハードなサウンドだが、旋律はむしろ哀感を感じさせるものだ。

 後、もうひとつの理由として、それまでの松岡直也がちらほら見せていたテクノ&ロック・サウンド指向をこのアルバムでもって大胆に導入したことによって、音楽がコンテンポラリーなものになったということも上げられるだろう。1曲目「田舎の貴婦人」はYMOの風なシーケンス・パターンとシンセの音色、5曲目の「虹のしずく」ではピアノと組み合わされたカラフルなシンセの音色と単調なリズムが否応なくテクノ的なものを感じさせるし、前述のタイトル・トラックや8曲目「虚栄の街」、ハード・ドライビングなギターがロック的ムードを濃厚に漂わせたりしているのである。

 つまりに松岡直也はラテンという日本人の感性からするとかなり異質な音楽ボキャブラリーを使って、日本的な風景を表現するためにこうした様々な要素を混ぜ合わせた訳である。前述のとおり、この後、松岡はわたせせいぞうのイラストをイメージ・キャラクター的に使い、「ハート・カクテル」の音楽など、さらにこうした「日本人による日本人のためのラテン音楽」的表現を洗練されたものにさせていく訳だが、思えば、それもこれもこの作品が出発点だったのである。
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