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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ただ今、ダイエット中(三ケ月半経過)

2005年07月22日 12時09分15秒 | others
 三ヶ月を経過した現在の体重は77kgだ、ベルトの穴はついに端までいった。4月に始めた時点ではマックスだったので、端から端までいったことになる。少し大げさにいけばウェストが10cm分くらいスリム化したことになるかも。ズボンはどれもユルユル、ピチピチだったYシャツも余裕で着れる。ざまぁ、見ろである。

 それにしても、朝おにぎり2個、昼は大ざる、夜は納豆か冷や奴(たまに卵か魚)で、ご飯どんぶり飯一杯という固定メニュウで三ヶ月間続けてきた訳だが、とりあえず腹一杯食べているので、ひもじくはないが、そろそろ脂っこいものが恋しい。油ののった肉やトロが食いたい。揚げ物をサクっとかじりたい。クリームたっぷりのケーキがかぶりつきたい。ミルク入りのアイス・コーヒーが飲みたい。スナック食品もたまには食べてみたい。しかし、全部御法度だ。目下の私にとってこれらは「悪魔の食べ物」でなのである。少しならいいだろうとか、こういうものをたまに体に必要とか、様々なエクスキューズをつけて食べる....私の場合、これでたいてい終わりである。一度、解き放った食欲はもう戻らない(笑)。後は野放図に食べることになっていくことは、もう分かっているのだ。

 ちなみに酒だが、これは全く制限していない。ビールもバーボンも焼酎もなんでもござれ、しかも毎日欠かさずだ。個人的に体感してきたことで理論はないが、思うに酒と肥満とはあまり関係ないというのが私の考えである。ついでにいえば、あんこの類も関係ない、大福なんかしょっちゅう食べている、つまり糖質は関係ないのである、ヤバイの糖質なんかではなく脂質なのだ。酒を飲んでヤバイのは思うに酒ではなく、たぶんつまみだ。これは私も含めてのことなのだが、太っている人は酒を飲みながら、本当に良く食べる。フライド・チキン、ソーセージ、揚げ物、串物、ピザ、チーズ、餃子....そんなに食べて、申し訳程度にカロリー・カットなビールを飲んでも意味ないってば(笑)。

 こういうことを書くと、脂質も体に重要だなどとのたまう人もいるだろう、しかし、よーく考えればそんなもん自分に体に一杯くっついている訳ですよ。なんで今更摂取する必要があるのか、よしんば不足したとしても、足りないなら体から補給してくれんじゃねぇの!という理屈は医学的に間違っていることだろうか。まっ、仮にそれが間違っていたとしても、あらゆる食物に脂質は入っている訳だから、やれリノール酸が善玉コレステロールがどうしただとかいって、ことさら油をとりたがるのは、油を食べたい人のエクスキューズに過ぎなのではないかなどと、私は傲慢にも思っている。油たべないとお肌がカサカサなんてのは多分迷信だ....などと、なんか鈴木その子教みたいになってきたので、そろそろ止める(笑)。

 とりあえず、これを引き続き続行予定。とりあえず8月前半くらいまでは耐えられそう(笑)。ひょっとすると、久しぶりの70kg代前半になれるかもね。
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大貫妙子/TCHAU(チャオ!)

2005年07月22日 00時09分55秒 | JAPANESE POP
大貫妙子に関しては、実は昨日取り上げた「Slice of Life」の後の2~3枚があまりピンとこんなかったので、以降はあまり熱心に聴いていない。10年くらい前にブラジル録音を敢行したアルバムを作ったという話も聞いたが、あまり触手が伸びなかった。今年はブログを書いている関係上、かなり意図的にいろいろな夏物を聴いている訳だけど、せっかくの機会だからというので、彼女のブラジル録音である「TCHAU」を購入してきた。今、聴いているところである。

 クレジットを見て驚いたのだが、アレンジはボサ・ノヴァの巨匠オスカー・カストロ・ネビスだ。したがって音楽的にはほぽ全編を通じて今の時代には格調高さすら漂う正調ボサ・ノヴァである。ただし、この時期の大貫はかつての情緒的ヨーロッパ風なトーンはもうあまりなくても、非常に透明度を高めた、ある意味枯れて静的な世界になっているので、リラックスして涼しげなボサ・ノヴァを多少下世話に楽しみたいという私には、ちと抽象度の高すきる感もなくはない。

 曲としては、イタリアのカンツォーネ風なメロディーをボサ・ノヴァのリズムにのせて上品に歌う「美しい人よ」とジョビンの「コルコバド」を思わせる沈んだトーンとオガーマンを思わせるストリングスのアレンジが、ひんやりとしたロマンティシズムを感じさせる「永遠の夏」が良かったな。7曲目の「JAPAO」はジルベルト・ジルとジョアン・ドナートの曲で、大貫が日本語に翻訳して歌っているが、外国人にありがちな異国に対する勘違いエキゾシズムを逆に楽しんでいるようで、これも楽しい曲である。ちなみにラストの「SAMBA DO MAR」はインストゥルメンタルだ。

 という訳で、実に久しぶりに大貫妙子の作品を買ってきたんだけど、先に書いた通り、私にはこの浮世離れしたというか、ある種透徹したムードはちと「深すぎて」敷居が高いようだ。それにしても10年前の作品でさえこれほどだとすると、現在の彼女の音楽はいったどんな風になっているのだろうか?。
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