どす黝き流れの中より 「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行
本作品は腹違いだったかも知れない妹にまつわる「私」の想い出の記である、日支事変の頃、
妹の美津子を含めて一家は樺太に暮らしていた、週に2日は遊びに来て父と碁を打っていた米屋
の小父さんがいた、小父さんは母と仲が良かった、三歳の美津子は小父さんになついていた、
それがある日のこと、美津子を連れて行方をくらましてしまった、戦後十年も経っても行方は
トンと不明であった、 生きていたら十九歳のはず と娘を案じながら母は52歳で死んだ、
「私」は高校教師と結婚しており卒業生が遊びに来たがその中の一人が何と美津子であった
のだ、苗字は大村でまさしくあの米屋の小父さんの子供となっていた、そして私は炭鉱の町
にある大村の家を訪ねたときには美津子が大村と母の娘であるという確信を抱いた、
私は美津子を父に合わせた、だが小さくて肉親の顔を見たこともなかった美津子は嬉しそう
ではなかった、大村の家に帰る途中で炭鉱の落盤事故が起こり大村は死ぬ、美津子の悲しみは
極限に達した
再会の美津子を巡って数々のことが目まぐるしく起きた、彼女の結婚、それは夫の不倫とい
う不幸な出来ごとだけでなくその相手が事もあろうに死んだ実兄の妻であったこと、更にこの
義姉は父の商売と家・財産を乗っ取り父をも誘惑して関係を持っていたというドロドロした
多重関係を渦巻かせていた、このようなドス黝い地獄のような家族関係に耐えきれず美津子は
父の家を出たのであった、間もなく起きた彼女の養母の死と実父の死、そして美津子自身の
不幸な最期は呆気なく突然に訪れる
不倫の娘、そして戻った家での家族間の地獄絵図、とりわけ美しい面立ちのゆえに一層薄幸
だった美津子の人生、心も純粋で幸せは金や見掛けの繁栄ではないと信じていた、驚くべき
ことに自分を裏切った夫を最後まで愛していた、
ドス黝いのは炭鉱の川ではなく人の心だと呟いた短くも純粋無垢に生きた美津子の人生、・・・・
この小説は三浦綾子の傑作といわれた「氷点」の流れを汲むと思える重いテーマ「愛とは何か、
生きるとは何か」、複雑な愛憎関係をくぐり抜けた暁に一種厳かで静謐な読了感に浸る
注記 「どす黝い」とは、青黒いの意味
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