UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

京阪電鉄さん、「近道はイケマセン」は適切です、でもインチキ駅名はイケマセン・・・

2018-01-31 01:38:03 | 日記
昨日、病院で目ん玉の大きさなどを測定してもらったりしてから、京阪電鉄石坂線に乗って帰ってきました。JRに乗り換えることができる京阪さんの駅で降りましたら、踏切の横、線路の部分数メートルにわたり、黄色いプラスチック製らしいおかしな板のようなものが置いてあるのが目に入りました

この板状の物体の表面には円錐形の突起物が林立しております。今日の写真はこのヘンな物体を撮ったものです。よろしければクリックしてしかとご観察ください

これは何であろうとしばらく眺めておりまして、頭脳明晰なるGGIはすぐにこれが何者であるかわかりました。改札口にいた駅員さんに申しました

「駅員さん、あの黄色のもの、あれはあれでせうか?」
「さようです、あれはあれです」
「やっぱり近道しようとして線路を歩く人がいるのですか?」
「そうです、それでお客様の安全を第一に考えまして、あのようなモノを線路に置くことにいたしのです」
「そうですか、じゃあ、あれは近道除けなんですね」

もう一度写真をご覧ください。手前に大きな道がありますね。向こう側のプラットホームを降りたお客さま、この大通りに出て画面奥の方へ向かいたい場合は、駅構内の小さな踏切を左方向に渡り、改札口を出て、ぐるっと回って大通りの方へ向かわなければなりませぬ、

これは、まことに面倒、ですから、駅員さんがいない夜間などには、向こうのプラットホームに降りたお客さまの中には、近道を選択して、線路の中を数メートル歩いて手前の大通りに到達しようとする人がいるのです。当然ながら線路は道路ではありませぬ、危険でもあります。

ですから、この先が尖った黄色の円錐が林立している板を線路に置くことにしたという京阪電鉄さんの安全対策はまことに適切であります。円錐形の突起物が林立していますので線路の中を歩くのは至難の業だからです。かくいうGGIも夜、わが庵に一番近い京阪さんの駅を降りますと、見ている人がいなければ、あるいは見ている人がいても、近道をしようと線路の中を歩いたりすることがあります。

かようなしだいで、京阪電鉄さんの地道な安全対策をGGIは高く評価するものであります。しかしながら、一方において、京阪電鉄さんが近い将来、某駅の駅名を勝手にインチキな駅名に変更しようとしているとのこと、これは看過することができませぬ。

プラットホームに貼ってあったポスターによれば、「京阪皇子山駅」を近い将来「京阪大津京駅」に変更するとのことでありました。

「皇子山」という地名は、壬申の乱(672 年)で大海人(おおあまの)皇子に敗れ、近くで自殺した大友皇子に由来するものです。すなわち、この地名は歴史的に由緒ある地名であります。一方、「大津京」なる名称は歴史学的に見て、歴史の捏造による偽名、まったくのインチキ名称であります。

と申しますのは、歴史学的には「大津京」なるモノは存在しないからです。歴史的に存在していたとされるのは「大津宮」(おおつのみや)あるいは「近江大津宮」(おうみおおつのみや)であります。「京」というのは「平安京」や「平城京」のような条里制の都市構造を持つ都を指すのですが、皇子山近辺にあったとされる古都は条里制の構造は備えるに至っていない小さな都でありました。

いつであったか湖都を訪問した現天皇も、ただしく「大津京」と表現しており、「大津京」などといういい加減なことは言ってはおりませぬ。

ところが、十年ほど以前だったでしょうか、湖都の役所とエセの文化人や絵描きさんとマンション屋さんなどが結託して、このあたりを「皇子山」や「西大津」ではなく「大津京」とよぶことにしよう、そうすればもっと観光客が来てもっと儲かる、自分の絵が売れる、マンションの名前に「大津京」を入れた名称を使えば、もっと高く売りつけることができる、というまことにさもしいことを思いついたのです。要するにカネです、カネがほしいのでありますが、最近全国的に流行の「地域活性化」とやらに便乗した悪巧みです

このアホな試みに応えたのがJR西日本でありました。「カネ、出してくれるなら、いままで皇子山にあった《西大津駅》の名前を《大津京駅》に変えてやってもええよ、ただし手間がかかるから大金を出さなあかんよ」とまことにえげつないことを申しました

そんな歴史を捏造してインチキな名称で金儲けをたくらむような恥ずかしいことをするなと主張する若き古代史の学者さんの熱意もあって、GGIは知人らと協力して「大津京駅論争」なるものを展開したのでありました。毎日新聞の文化欄でも取り上げられ、数回にわたり日本史の関係者の言が掲載されたこともありました。また。おおきなシンポジウムを開催したりもいたしました。

この話を始めますと長くなりますので簡単に書きます。結局、若き古代史学者とGGIらは負けました。その結果JR西大津駅は「JR大津京駅」になってしまいました。JR西日本は最終的に六千万円ほどの公金を市役所からむしり取ることに成功しました。これは違法な公金支出であるとして住民監査請求を行いましたが負けました、などなど、もっと詳しいことをお知りたいかたは二年前に書いた日記をご覧下さいませ。

そして、このたび、なんと京阪電鉄さんまでもが「皇子山」という由緒正しき名称をポイ捨てして、「大津京」なる金儲け目当てのインチキな名前に替えると言うのであります・・・まことにGGIは斬鬼に耐えませぬ・・・

京阪電鉄の社長様、どうかこのようは恥ずかしいマネはやめてくださいませ!

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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ゆるキャラよ、サッサと姿を消しなさい・・・

2018-01-30 01:25:20 | 日記
今日は(あるいは、今日も)命に別状のない、どうでもいい話でありますので、遠慮なく読み飛ばしていただいて結構でございます

GGIの嫌いなモノ、それは最近日本全土で異常にバッコしております「ゆるキャラ」です。どこでも大人気のようなのですが、「ゆるキャラ」が人気を博するのは、日本人が大人も子どもも幼稚であるからです。まともな大人はあんなけったいな意味なきものに関心を示したりいたしませぬ

こんなことを書きますと、「じゃあ、GGIはまともな大人のつもりか」などと厳しきお言葉が飛んできそうでありますが、GGIがまともな大人であるか否かは、アホバカ日記をご覧になってご判断ください。その結果、まともな大人はあんな意味なきものを読んだりしない、したがってGGIはまともな大人にあらずという結論にお達しになったとしても、GGIは決してそのような結論を否定したりはいたしませぬ。なぜなら、GGIはまともな大人であるからです。いかに偏見に満ち満ちた根拠薄弱な意見であっても無下に否定したりしない、それが大人というものであるからです!

ゆるキャラが嫌らしいのは、かれらは例外なく自分は可愛い、魅力的であると自信たっぷりに思い込んでいるからです。誰もが「キャ~、可愛い!」などとちやほやしてくれるのは当然だと思い込んでいるのです。これはアホなナルシストの典型であります。世の中にアホなナルシストほどどうしようもないものはありませぬ。だから、ゆるキャラたちが嫌いなのです

それに彼らは例外なくゴマすりだからです。まわりの人や観光客に「可愛い!」と言ってもらいたい一心でゴマをすりまくるのです。世の中でゴマすりほど見苦しいものはありませぬ。だからGGIはゆるキャラが嫌いなのです

GGIがゆるキャラをそこまで憎むのは、いわば近親憎悪ではありませんか、自分に似ていて自分の欠点を目にするような気がするので毛嫌いするのではありませんか、などと揚げ足を取るような根拠なきことをおっしゃる方には申し上げておきます。GGIは先日の日記で、「私は決してナルシストなんかにではない」と、ナルシスの別名があるわがガーデンの水仙さんに宣言しております。ですから近親憎悪云々はまったくの偏見、邪推の最たるものです

ゆるキャラが流行し始めたのは、GGIの記憶では、今やゆるキャラの元祖扱いされている湖国の城下町である彦根の「ひこニャン」が登場してからだと思われます。しかしながら、初期のひこニャンを目にしたことがある某知人が申しておりました

「あのなあ、正面からみると、あのマヌケ顔も可愛くはないこともないけれど、横から見ると、のっべりとしたほっぺたが広がっているだけで、ただのマヌケにしか見えんなあ」

その通りです。知性とは縁無きマヌケ顔のひこニャンなんて、さっさと消え失せるべきであります。それなのに、あのひこニャン野郎に全国から一万通以上の年賀状が毎年舞い込むそうであります。もう、アホらしき限り、世も末です。新元号は「末世」とすべきでありませう。

などと、ゆるキャラを毛嫌いしておりましたら、先日、西武さんのお菓子屋さんのコーナーで、アホなゆるキャラに遭遇してしまいました。ゆるキャラの名は「おおつ光ルくん」です、わが湖都、大津の観光キャラクターだそうであります・・・

今日の写真はこの「おおつ光ㇽくん」の姿を形どったお菓子を撮ったものです。よろしくなくても、どうかリックしてご覧くださいませ

なぜ「おおつ光ㇽくん」が大津の観光キャラクターであるのか、若干解説しますと、このゆらキャラ君は、実は石山寺を宣伝するためのキャラなのです。紫式部がかつて石山寺にこもって源氏物語を書いたとされていますので、湖都大津は石山寺は紫式部、式部さんは源氏物語、源氏さんなら光源氏、だから「おおつ光ㇽくん」という真に安易なるアイディアであります

いつであったか、かなり以前のことでありますが、人を案内して石山寺に参りましたときに、このゆるキャラ君、石山寺に庭園でヒマそうにしていた光ㇽ君、GGIたちの姿を目にして、いそいそとGGIのほうにすり寄ってきました。あまりにもにニヤけており光源氏気取りでありましたので、GGIは腹がたち、「こら、オマエ、何をニヤけていい気になっているのや!ええかげんにせえ!」と、お尻を蹴飛ばしてやりました。光源氏はあわてて逃げていきました、

こんなゆるキャラを作られたのでは、紫式部さんは恥ずかしくて、斬鬼に耐えないことでありませう・・・歴史ある湖都の大人である一市民として紫式部さんに心から陳謝いたします・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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「天牌」って何ですか?見たことがありますか?

2018-01-29 00:47:22 | 日記
1月27日の日記に、GGIは東本願寺の施設で行われた「大谷派とヤスクニ問題」と題されて講演会を聴きに行ったと記しましたが、今日はその日記のつづきです。

講演会は畳敷きの講堂で行われました。講師を務められたのは信徒である高校の先生、学校では週に一度「宗教の時間」があり、各クラスでの授業を受け持っておられるとのことでした。

GGIは仏教のことは何も知らないも同然です。このため講演を聞いていましも、何のことを話されているのかまったく理解できないことが少なくなかったのですが、そのなかでも分からなかったのは「テンパイ」という言葉でした。

講演会の参加者のみなさん、ほとんどは信徒の方々でしたので、おそらく聞き慣れた言葉であり、あっ、その話かとすぐりお分かりになっていただろうと思うのですが、GGIにとりましては「テンパイって何?」、チンプンカンプン、まるで暗号みたいでありました。

「テンパイ」は「天牌」と書きます。でも麻雀用語などではありません。講師の方の説明によれば、これは「天皇の位牌」という意味です。かつて、戦時中、大谷派のお寺には本尊の隣に「天牌」が安置されていたそうです。明治天皇や大正天皇などの位牌が本尊の隣に麗々しく安置されていたとのことでした。。

先の大戦、戦時中に大谷派は傘下のお寺や海外の植民地にあった別院や教務所などにも「天牌」を配り、本尊の脇に安置しておくよう命じていました。「天牌」には金箔が施されていたのですが、やがてこの金箔を調達することができなくなったために「天牌」を配ることを止めて、今に至っているとのことです。

今でも大谷派のお寺に「天牌」が安置されているのかどうかは、戦後は天牌を安置することを止めることにしたのかどうかは、聞き洩らしました。「天牌」は天皇を阿弥陀仏如来に見立てたもののようです。

仏教のことなどまったく知らないとはいえ、お寺の本尊の横に天皇制を象徴するするようなモノが堂々と飾られていたとは・・・日本における仏教の歴史などを多少ご存知の方には驚きでも何でもないのかもしれませんが、もちろんGGIには初耳、まことに大きな驚きでありました・・・

これでは、まるで「天皇教」ではないか・・・阿弥陀仏如来さまも自分の横に仏教に縁無きモノを安置されて、さぞかし迷惑な思いをされたことでありませう・・・親鸞さんは、もしこのことをお知りになったらどう思われるのでありませうか・・・

GGIはモノを知らんなあ、戦時中、日本の宗教界がこぞって戦争に協力していたことなどは周知の事実、そんなことも知らんかったのか、などとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、このような、「天牌」という具体的物証が存在しているとは、GGIはこれまでまったく知らずにいましたので、やはり驚きでありました

今日の写真は講演にさいしてスライドで示された「天牌」を撮ったものです。いつもながらピンボケで申し訳ないのですが、クリックしてご覧になってください。中央の二つの金ぴかの置物が「天牌」です。二体置かれていますから、片方が明治天皇の位牌、もう一方が大正天皇の位牌でありませうか。

GGIは講演を聴いただけでは理解不足ですので、「天牌」について正確な説明をすることはできかねます。このため「人文学報」という学術誌に掲載されていた「皇道仏教という思想 --十五年戦争期の大陸布教と国家」と題された、「天牌」についても言及されている、新野和暢さんという研究者の論文から、そのほんの一部を抜粋して以下に紹介しておきます。

《日中戦争以後に見られる戦争肯定の論には,国策を肯定していくあり方に加えて無条件に天皇へ帰依する思想が見られる。その点を踏まえて,阿弥陀信仰と天皇崇拝を一元化した表象である「天皇尊牌」(天牌) を所属寺院に下附した真宗大谷派の動きを確認していきたい。天牌と呼ばれる天皇尊牌は,雲形位牌に似た形状をしている「仏具9)」である・・・》

これ以上のことを説明しろと言われましたも、GGIには無理難題でありますので、関心のある方は、この論文をご覧になってくださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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愛国心も愛校心もないけれど、でもあんなに恥ずかしいことはもうしないでね・・・

2018-01-28 01:41:01 | 日記
一昨日も寒い一日でした。夕方、某用事をすませてJRの駅前に来ましたら、号外を配っておりました。毎日新聞の号外です。見出しは、

《センバツ決定、特別号外、3月23日開幕:膳所に春の便り、データ野球で活路、59年ぶり4回目》

今日の写真はこの号外を撮ったものです。春の選抜高校野球大会のことなんか、どうでもよろしいという方はどうぞ遠慮なく無視してください。無視してもいいのだけれど、でもちょっと見てもいいよと思われる方はよろしければクリックしてご覧くださいませ

擁するにわが湖国の県立膳所(ぜぜ)高校が春の高校野球大会にセンバツされたというニュースであります。ふつうならどうでもいい、どうでもよすぎるくらいのニュースでありますので、GGIは号外などというゴミの素は受け取らないのですが、この高校、実はわが母高校でありますので、ついつい受け取ったしまうというはしたないことをしてしまいました・・・

わが母高校がセンバツされたのは「21世紀特別枠」なるお情け?によるもののようです。記事によりますと、わが母高校は過去3回、甲子園に出場しています。1959年(春のセンバツ大会)、1972年(夏の大会)、1978年(夏の大会)です。

GGI、愛国心と同様、愛校心もほとんど在庫を持ち合わせていないのですが、でも、わが祖国にしろ、わが母高校にしろ、あんまり恥ずかしいことはしないでね、という最低限のハートは持っております。

実はわが母高校、甲子園でまだ一勝もしたことがありませぬ。それは構わないのです。弱ければ仕方がないことだからです。ですから、4回目の甲子園出場、たとえ特別枠であると言えども、「よかったね」と言いたいのはやまやまではありますが、GGIの心にひっかかっているのはその負け方であります

わが母高校、かつて、もうどうしようもないぐらいボロクソに点を取られて零敗したことがあるのです。記録的大敗であります1978年夏の第60回高校野球選手権大会、一回戦で、群馬県代表の桐生高校と対戦、何と18対0で敗けているのです。ヒット1本きり、あやうく完全試合でありました・・・

純真な高校球児の悪口を言ったりしてはいけないのですが、この高校野球史上に残る記録的大敗、いかに愛校心がないとは言え、恥づかしいの一語でありました、先の大戦は負けるべくして負けた自業自得大敗でありましたので、恥ずかしいなんていうことはまったくないのでありますが、この大敗振りはイケマセン、絶対にイケマセン・・・

GGIの記憶では、この大敗の後、高校野球大会の組み合わせを決める抽選会で、一回戦の相手がわが湖国の高校であることが決まった高校の監督さんは、ニッコリ笑みをうかべて、決して口には出しませんが「一回戦はいただき!」と喜ぶ風潮が全国に蔓延するようになりました・・・・

わが母高校である膳所高校の野球部の監督さん、一回戦で負けてもかまいません。でも負けっぷりがなによりも大切なのです。勝ちっぷりなんかよりずっと大切なのです。ですから、どうか今度はあのような恥ずかしいことにならないよう、二度と大恥をかかないよに尽力してくださるよう、平に伏して、老骨にムチうって、切に切にお願い申し上げ奉り候でございます、歴史は繰り返すなどと申しますが、決して歴史を繰り返してはなりませぬ

などなど、わが母高校をすっかり冷やかしてしまいましたが、「Z]一文字のユニフォームはとてもシンプルで日本一ステキです!球児クンたちガンバレ!

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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信心なき者が日本の仏教界とヤスクニ問題について勉強に行ったの記・・・

2018-01-27 00:56:41 | 日記
一昨日、雪が降りますよという天気予報でありましたが、知人二人に連れられて東本願寺の某施設に行きました。湖国の奥地で暮らす知人の一人は長靴姿でありました。「これ《アキレス》の長靴や」と自慢していましたが京の都には雪は舞っておりませぬ

「大谷派とヤスクニ問題」と題されて講演会を聴きにいったのです。東本願寺の前の広々とした通り、烏丸通を歩いておりましたら、長い間改修工事が行われており、巨大なテントに覆われていた東本願寺の門や本堂が、一新した姿を現しておりました

この改修工事、東本願寺さんの説明によりますと、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌特別記念事業として、約12年の歳月をかけて行われてきた御影堂・阿弥陀堂・御影堂門の御修復が、2015年12月末に完了しました」とされています。二年前に改修工事が済んでいたとはGGIは気が付きませんでした・・・

東本願寺の修復、かなりの費用、つまりおカネを要したことと思います。信徒のみなさんの浄財でまかなわれたのでありませうか。GGI、この新装になった豪華な建築物を眺めておりまして、あの親鸞さん、いま生きておられたら、このような豪華な建物をつくることを果たしてお望みになるであろうか、信徒のみなさんの浄財、もっと有効に、苦しめる人々のために使うべきであるとお考えになるのではないかなあ、なとと思ってしまいました

今日の写真は一新なった「御影堂門」を撮ったものです。よろしければクリックして、その豪華さをしかとご鑑賞くださいませ。寒い日でありましたので、外国人観光客の姿もまばらでありましたが、それでもみなさん、御影堂門の威容ぶりに驚き、カメラを向けておりました

「大谷派とヤスクニ問題」と題されて講演会、参加者は三十人ほど、ほとんどの方は信徒のようであり、まずご本尊様に拝礼、そのあとみなさん声をあわせて、なみあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・GGIもこの日記で毎日唱えておりすので、震度ではないもののみなさんと唱和いたした

信徒でもなんでもないGGIにとりましては、仏教界のこと、大谷派の内部事情、その歴史的経緯など、何も知りませんので、話の内容はなかなか理解容易ならざるものでありました

ですから、たいへんな消化不良でありまうのでご報告はできないのですが、とにかく他の仏教宗派も似たようなことかもしれないのですが、大谷派はとりわけ明治以降、天皇制に大接近、戦時中は「お国のために」結構「お役にたっていた」ようである、というのがGGIの雑駁なる感想です。機会がありましたら、もうすこしましな報告をいたしたいと思っているのですが、どうなるか分りませぬ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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