これまでに何度か紹介しておりますが、わが庵の近くに真宗大谷派の寺があり、門の傍らの掲示板には、仏教の経典などから引用したありがたきお言葉や金言や警句などが毛筆で記された貼り紙がしてあります。貼り紙は、頃合いを見はからって貼り換えられます。
このお寺のご住職は中学・高校でGGIの1年先輩、貼り紙はこの先輩であるご住職の手になるものだと思います
GGIはこの貼り紙を目にしたときには、先輩とお釈迦様に敬意を表すべく、「ははぁ、おっしゃるとおりでございます・・・」とつぶやき、頭を若干さげることにしております。
ときおり、信仰なき無教養なGGIには理解しかねる内容の貼り紙に遭遇いたします。かようなときは、「すみなせん、私は縁無き衆生ですので・・・」と小さな小さな声でつぶやき身をかがめて通り過ぎることにしています。
あるいは門前で百年以上も商売を営んでいるGGI用達の酒屋さんのお店にとびこんで店主に「今度のお寺の貼り紙、どういう意味なんでしょうね?」とたずねます。すると店主は笑いながら、GIさん、ご住職と学校同じだったでしょう。直接、ご住職にお聞きにになったらいかがですか」などと意地悪なことを申します。
一昨日通りかかりましたら、新しい貼り紙になっておりました。今日の写真はこの貼り紙を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。いつもの貼り紙は縦書きなのですが、これは珍しく横書きです。
貼り紙に曰く 「大丈夫だよ 生きていける」
おそらくこれはご住職の言葉でありませう、生活が苦しかったり何か深い悩みがあったりして生きていくのがたいへんな人々がたくさんいること、世界のあちこちでも飢餓に苦しめられたり、戦乱に巻き込まれて苦しみがいっぱいで生きていくのが精いっぱいの人々がたくさんいることに想いを馳せての励ましの言葉でありませう
GGI、この言葉を目にして、シンプルでいい言葉だなあと敬意は表したのでありますが、実は貼り紙の書体が気になってしまいました。上手とは申しかねるのです。達筆とは申しかねる書体です・・・字の大きさはまちまちですし、それに行も乱れております・・・
GGIは生来、悪筆の極みであり、自己嫌悪に陥るほどあまりにもヘタクソなので、筆ペンを起用にあやつって書いた手紙をときおりくれる某知人から「GGIさんの字、定家流やなあ、なかなかアジがあって結構ですなあ」と強烈な皮肉を浴びせらたりいたします。ですから、他人の書いた字の上手下手をとやかく言う資格はまったくないのですが、わずこの貼り紙の字を見て、エラソーになんだかヘタくそうだなあと思ってしまいました
(ここで知ったかぶりの注釈です:平安から鎌倉へと移る乱世に生きた、最高の歌人とされる藤原定家さんの書体は流れるような優雅な書体ではなく、歌人に似合わず、癖のある少しごつごつした字体であり、このため当時は悪筆とも言われたことがあるのですが、後の世で、なかなか味のある書体であることよなあということになり、定家流と称されるようになりました)
貼り紙を見て、GGIはこんなヘタな字では有難味にかけるのではないかとおもいました。ご住職は仕事柄達筆ではないかと思われますので、この貼り紙、意図的にウマへた、あるいはヘタうまをよそおって書いたのかなあと思ったのですが、ご住職は謙虚な方でありますので、人目を引くためにわざとそのような細工をするような人物とは思われません
では誰がこの貼り紙を書いたのでありませうか・・・GGIが考えるに、お孫さんの小学生か中学生あたりに書かせてのではないでしょうか。「ボク、そんなの、よう書かん、筆で書くのやろ、大きな字で・・」と嫌がるお孫さんをなだめすかして、お小遣いか何かで釣って書かせたのではないでせうか
もしそうであったなら「良く書けました!元気があってグッド、おっちゃんより上手や」とほめることにいたしませう
ご住職自らがお書きになったのであれば、「定家さんみたいで結構ですね・・・」と小さな声で申し上げることにいたしませうか・・・
でも、一字一字はしっかりした筆運びでありますので、やはり大人の手になるものであるような気がしないでもありません
と、いろいろエラソーなことを書きましたが、なかなか元気あふれる書体でありますので、人々を励ますメッセジーにふさわしい、上手下手に関係のない、とてもグッドな書体ではないかと思います
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもだみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
このお寺のご住職は中学・高校でGGIの1年先輩、貼り紙はこの先輩であるご住職の手になるものだと思います
GGIはこの貼り紙を目にしたときには、先輩とお釈迦様に敬意を表すべく、「ははぁ、おっしゃるとおりでございます・・・」とつぶやき、頭を若干さげることにしております。
ときおり、信仰なき無教養なGGIには理解しかねる内容の貼り紙に遭遇いたします。かようなときは、「すみなせん、私は縁無き衆生ですので・・・」と小さな小さな声でつぶやき身をかがめて通り過ぎることにしています。
あるいは門前で百年以上も商売を営んでいるGGI用達の酒屋さんのお店にとびこんで店主に「今度のお寺の貼り紙、どういう意味なんでしょうね?」とたずねます。すると店主は笑いながら、GIさん、ご住職と学校同じだったでしょう。直接、ご住職にお聞きにになったらいかがですか」などと意地悪なことを申します。
一昨日通りかかりましたら、新しい貼り紙になっておりました。今日の写真はこの貼り紙を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。いつもの貼り紙は縦書きなのですが、これは珍しく横書きです。
貼り紙に曰く 「大丈夫だよ 生きていける」
おそらくこれはご住職の言葉でありませう、生活が苦しかったり何か深い悩みがあったりして生きていくのがたいへんな人々がたくさんいること、世界のあちこちでも飢餓に苦しめられたり、戦乱に巻き込まれて苦しみがいっぱいで生きていくのが精いっぱいの人々がたくさんいることに想いを馳せての励ましの言葉でありませう
GGI、この言葉を目にして、シンプルでいい言葉だなあと敬意は表したのでありますが、実は貼り紙の書体が気になってしまいました。上手とは申しかねるのです。達筆とは申しかねる書体です・・・字の大きさはまちまちですし、それに行も乱れております・・・
GGIは生来、悪筆の極みであり、自己嫌悪に陥るほどあまりにもヘタクソなので、筆ペンを起用にあやつって書いた手紙をときおりくれる某知人から「GGIさんの字、定家流やなあ、なかなかアジがあって結構ですなあ」と強烈な皮肉を浴びせらたりいたします。ですから、他人の書いた字の上手下手をとやかく言う資格はまったくないのですが、わずこの貼り紙の字を見て、エラソーになんだかヘタくそうだなあと思ってしまいました
(ここで知ったかぶりの注釈です:平安から鎌倉へと移る乱世に生きた、最高の歌人とされる藤原定家さんの書体は流れるような優雅な書体ではなく、歌人に似合わず、癖のある少しごつごつした字体であり、このため当時は悪筆とも言われたことがあるのですが、後の世で、なかなか味のある書体であることよなあということになり、定家流と称されるようになりました)
貼り紙を見て、GGIはこんなヘタな字では有難味にかけるのではないかとおもいました。ご住職は仕事柄達筆ではないかと思われますので、この貼り紙、意図的にウマへた、あるいはヘタうまをよそおって書いたのかなあと思ったのですが、ご住職は謙虚な方でありますので、人目を引くためにわざとそのような細工をするような人物とは思われません
では誰がこの貼り紙を書いたのでありませうか・・・GGIが考えるに、お孫さんの小学生か中学生あたりに書かせてのではないでしょうか。「ボク、そんなの、よう書かん、筆で書くのやろ、大きな字で・・」と嫌がるお孫さんをなだめすかして、お小遣いか何かで釣って書かせたのではないでせうか
もしそうであったなら「良く書けました!元気があってグッド、おっちゃんより上手や」とほめることにいたしませう
ご住職自らがお書きになったのであれば、「定家さんみたいで結構ですね・・・」と小さな声で申し上げることにいたしませうか・・・
でも、一字一字はしっかりした筆運びでありますので、やはり大人の手になるものであるような気がしないでもありません
と、いろいろエラソーなことを書きましたが、なかなか元気あふれる書体でありますので、人々を励ますメッセジーにふさわしい、上手下手に関係のない、とてもグッドな書体ではないかと思います
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもだみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
体にガタが来ているので
「 大丈夫 安らかに逝ける 」
という方が 有難いお言葉かも~~
です。