UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

うあっ、UFOの襲来だぁ?・・・

2018-07-30 00:35:59 | 日記
一昨日の7月28日、台風クンがやってきました。予報では東海地方から西日本にかけて東から西へとすすむ「逆走台風」であるとのことでありました。

予報通り、台風クンは伊勢市に上陸、日が暮れてから雨風が激しくなりはじめました。

夜中にテレビで台風の様子をしばらく眺めておりました。テレビの画面がどんなに激しい雨風の様子を映し出しておりましても、築十年に満たない建て付け優秀なるシンプル平屋建築物である新八重葎庵、住人であるところのGGIの身に危険が迫るわけではありませぬ。激しい雨風に戸惑う方々の姿をテレビで目にしましても、「大変だよなあ」とちょっぴり同情するふりをするだけで実は台風クンの乱暴狼藉を無責任に眺めているに過ぎませぬ・・・・

夜半になって雨風は一段と激しくなりました。庵の守護神であるナンキンハゼも強い風に激しく揺れています。テレビばかり見ていて「激しい台風であることよなあ、わが民も大変であることよなあ」などとおさまりかえって他人事のように澄ましていてはいけない、やはりリアルな世界をわが目で眺めて現実をしかと認識すべきであろう・・・などと反省、そこでガラス戸を開けて、庵の外の世界を眺めてみることにしました

ガラス戸をちょっぴり開けたとたん、強い雨風が庵のなかに激しくに流れ込んできました。これはすごい、やっぱり台風なんだとあわててガラス戸を閉めてしまいました

しかし、そうだこの台風クンの元気ぶりを記録しておかなければと思いなおし、デジカメを片手に、もう一度ガラス戸を少しだけ開けて、パッと写真を撮り、すぐに閉めました。

果たして台風クンの姿がうまく撮れたかなあと思いながら、撮った写真を見てみましたら、ビックリでありました。今日の写真は台風クンの姿を撮ったものです。どうかクリックしてご覧くださいませ。

何と夜空を背景に無数のUFOがわが庵を目指して飛来しているではありませんか!UFO君たちはみんなまん丸の形をしております。GGIは思わず叫びました

「うわぁぁUFOの襲来だあ・・・君たち、いったいどんな目的でわが庵を襲撃したりするのだ?」

「やあ、GGIさん、お久しぶりで~す。僕たち、雨粒という名のUFOです。神のご意志に従い今夜八重葎庵を訪問させていただきます。明け方には失礼する予定ですので今しばらくご辛抱くださいませ」

雨粒クンたちの言葉どおり、明け方には雨がやみ、お昼ごろには日が射し、暑い日差しが戻ってきました。

お昼過ぎ、知人二人が車でやってきて、畑でできたというトマトとジャガイモと玉ねぎをどっさり恵んでくれてから申しました

「おい、GGI、台風一過晴天なり、今日近くで東京新聞の元気な名物ベッピン記者の講演会がある、いっしょに聞きに行こう」

GGIはそれほど関心があったわけではないのですが、野菜をもらってしまいしたので、世の中の義理を果たすべく知人たちについていくことにいたしました・・・

講演会の内容は省略いたしますが、ちょっぴり感想、

官庁などの記者会見で鋭い質問を連発してお役人さんたちに煙たがられることで知らているというこの記者さん、口八丁手八丁、足をドタバタ、元気印の見本のような明るく歯切れのよい言語明瞭な方でありました・・まあ、本物の台風のあとにやってきたプチ台風というところでありませうか・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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オウム大量処刑は究極の国家権力の行使・・・

2018-07-28 01:11:45 | 日記
一昨日、7月26日の午後、GGIはやんごとなき用事を済ませて新幹線で帰途についておりました。

朝食をろくに食べていませんでしたので、午後2時を過ぎていたでせうか、車内で買ったいろどりの良い若干オシャレではあるものの結構なお値段のお弁当を食しておりましたら、隣の席にいた人物がポツンを申しました

「オウム関係者6人に対して死刑を執行・・・」
「えっ!なんですか?ほんとですか・・・」
「いま電光掲示板のニュースで流れていました」

その後、GGIも懸命に電光掲示板を見ていたのですが、このニュースを目にすることはできません・・・ほんとかよお・・・半信半疑でありました。午後3時少し前、新幹線を降りてから駅の売店で新聞を買おうと夕刊を探していましたら、店員さんが毎日新聞の夕刊を10部ほどもってきて店頭に並べはじめました。GGIはいそいで手に取りました。大きな見出しでした。

《オウム13死刑囚 全執行/けさ 林死刑囚ら6人/教団無差別テロ 区切り》

前回の大量処刑は7月6日でしたから、わずか20日のあいだに計13人もに対する死刑執行、これまでに類を見ない大量処刑・・・こんなことがあっていいのか・・・言葉がありません

在来線に乗り換え最寄りの駅に到着して駅に降り立ったときには暑さと大量処刑のニュースで気分は最悪、歩いて帰る元気はなく、タクシーで帰宅しました。もう4時半を過ぎていたでせうか、すぐに首相と法相宛ての抗議文の作成にとりかかりました。今日中に安倍クンと上川法相に送付し、マスコミ各社に知らせるためです。

なんともショックであり、死刑に反対する市民としては最悪の事態なのですが、適切な言葉ががなかなかオツムに浮かびませぬ。ネットのニュースや夕刊などから材料をかき集めて、何回も何回も書き直し、何とか仕上げたのが午後8時過ぎ、まずアベ君や上川法相にファックスで送り、次いでマスコミ十社ばかりに送り終えたら午後9時を回っておりました。

そのあと、あまり急なことでありましたので、知人らに事後承認を得るために電話などなど、次いで遅い夕食、ようやく冷たいビール・・・暑すぎる長い一日でありました・・・

死刑に賛成であっても反対であっても、わずか二十日のあいだに13人に対する死刑執行、文字通りの大量処刑に何とも表現のしようがない重苦しいものを誰もが感じるのではないでせうか・・・

昨日の毎日新聞朝刊に、究極の確固権力の行使、という表現がなされていました。

たしかにそうでありませう・・・「国家権力」なるものは抽象的な存在のように思われ、その具体的イメージはふだんは必ずしもはっきりいたしません。機動隊などが何かに反対する市民を抑えつけようとする姿などを目にしますと、これが「国家権力」の行使なのかなどと感じたりはしますが、そのような場合でも、このたびの大量処刑から受ける異様な感じ、むき出しの「国家権力」という感じとは異なるものです。やはり、理由はともあれ、国家の名において白昼堂々と密室でいっときに何人もの人間の命を奪う行為、誰であろうと、神さまであろうと阻止することができない行為、これを「究極の国家権力の行使」とした毎日新聞の表現は正鵠を得たものと言えませう。

このたびの計13人のオウム関係者の大量処刑がどの程度異様なものであるか、それは日本の近現代史を少しばかり振り返ってみると理解されるのではないかと思います。

日本の近現代史において、大量処刑が行われた有名な例はこれまでにいくつか存在しています。たとえば完全なデッチアゲ事件であった「大逆事件」(幸徳秋水事件、1911年)、戦前最大のクーデター未遂事件であった二・二六事件(1936年2月)それに極東軍事裁判でのA級戦犯の処刑などが、過去の大量処刑の代表的な例であると言ってよいと思うのですが、これらの歴史的な大事件で実際に処刑された人は何人ぐらいであったと、あなたは思われますか?

その数字は以下のとおりです

天皇らの殺害を企てとされた「大逆事件」(幸徳事件)では、死刑判決を受けた者は24名ですが、実際に処刑(絞首刑)されたのは12名であるとされています(他は特赦で無期刑に減刑、あるいは仮釈放)。

約1500人の陸軍青年将校らが決起、天皇が激怒して鎮圧を命じたとたとされる二・二六事件で処刑(軍法会議、銃殺)されたのは首謀者された将校・民間人ら17人とされています。

極東軍事裁判(二次大戦の連合国によるポッダム宣言に基づいた裁判)においてA級戦犯(平和に対する罪)として死刑を宣告され処刑(絞首刑)されたのは7人(軍人が6人、民間人が1人)とされています。

この3つの事件のうち歴史的ともいえる大逆事件と二・二六事件はいわゆる国事犯や内乱罪とされる、国家から最も危険視される犯罪です(そのため最高刑は死刑とされています)。また戦犯の場合も、最も重い犯罪の範疇に属するものです。これらの過去最大といってもよい大量処刑の人数は、それぞれ12名、17名、7名です。

これらの数字とくらべますと、オウム関係者の13人の処刑はこれらの事件における大量処刑のレベルと同じものであることがわかります処刑者の数だけから判断しますと、オウム事件は果たして大逆事件や二・二六事件、二次大戦の戦犯処刑などの誰もが知っている歴史的な大事件に匹敵するような大事件ということになります。しかし、果たしてオウム事件はこれらの歴史的大事件に匹敵する事件であったのでしょうか・・・

オウム事件は無差別テロとはされているものの、国事犯や内乱罪に該当するような国の根幹にかかわる犯罪ではありません。もちろん戦犯の範疇に属する事件でもありません。また、大逆事件の場合も二・二六事件の場合も、戦前の天皇制国家の下で治安機関や軍が大きな力を持っていた時代の、むき出しの国家権力による公正にはほど遠い裁判の結果に基づく大量処刑ですが、一方、オウム関係者の大量処刑は戦後の民主主義社会における裁判の結果がもたらしたものです。

これらのことを考えますと、戦後の民主主義社会とされる社会のもとでの、オウム関係者13人もの大量処刑がいかに突出した異常で異様なものであるかが理解されるではないかと思います。

以上に記しました理由から、このたびの大量処刑は、まるで戦前の社会に戻ったかのような「究極の国家権力の行使」ともいうべきものであり、国民の生殺与奪の権利はわれわれが手にしているのだという、強い「国家の意思」を感じざるを得ない、というのがGGIの考えです。国家というものの恐ろしさを心底から感じさせる大量処刑です。

これは日本の現代史に大きな汚点を残す大量処刑です。安倍内閣の下での、モリ・カケ問題をはじめとした一連の不祥事などとはくらべものにならないくらい大きな汚点です。この大量処刑は安倍内閣の独裁的ともいえる強権的な政治姿勢の帰結でありませう。この汚点は平成の世が終わっても、新天皇が即位しても、栄えある東京オリンピックが開かれても、カジノが繁盛しても、消えることは決してないでありませう。国際社会もこの汚点に目をつぶることはないでありませう。

昨日の午後、某知人から電話がありました

「抗議文のこと、某地方紙の朝刊社会面に小さく小さく出ていました」

大きさなんかどうでもいいのです。小さくてもいいのです。ダメなメディアが多いなか、報じてくれること、そのことだけで意味があるのです。某地方紙に感謝であります

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

今日の写真は本文と関係ありませぬ。新幹線で食べてお弁当を撮ったものです。クリックしてご覧になるほどのものではありませぬが、食いしん坊の方はご覧になってくださいませ

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誕生したばかりのトマソン物件に遭遇!

2018-07-25 01:03:49 | 日記
世の中には「超芸術トマソン」なるものが存在しています。その作品は「トマソン物件」と称されています。トマソン物件愛好者であるGGI、これまで何度かトマソンのことをこの日記にも書いておりますが、若干復習いたします

「超芸術トマソン」というのはもうご存知の方も少なくないと思うのですが、画家であった故赤瀬川原平センセイが発見されたあらたなる芸術概念です。美術館のなかに飾られているものだけが芸術ではない、街中にも芸術は存在しているという赤瀬川氏の大発見が超芸術トマソンを誕生させたのです。

「超芸術トマソンとは何か」を論じると長く長くなりますから、とりあえずウィキペディアさんによる定義を借用しておきます。

《超芸術トマソンとは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。 超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する。》

トマソン物件のなかでも一番ポピュラーと申しますか街中でよく見かけるタイプの物件は通称「原爆タイプ」と言われるものです。

たとえば、二軒の家が接して建てられており、片方の建物が取り壊されると、取り壊されてしまった方の建物の跡がくっきりと取り崩されずに建っているほうの建物の壁面に残ります。かつての隣家の跡がいつまでも残されることになりますが、何かの役に立つわけではありません。これが原爆タイプの典型的なトマソン物件です。

そんな説明では何のことか分からんとおっしゃる方は、原爆タイプトマソン物件についてのサイトをご覧くださいませ

(広島に原爆が投下されたとき、強い熱線のために、広島市内の銀行の石段に坐っていた人の影がそのまま焼きついていたことが知られていますが、「原爆タイプ」という名称は、広島でのこの事実にヒントを得て赤瀬川氏がつけたのですが、同氏はこの比喩は「あまりにもえぐいでしょうか」と命名当時が悩まれていたようであり、最近関係者の間では「影タイプ」とも称されているようです)

と、前置きが長くなりましたが、今日紹介したしますのは数日前にGGIが遭遇した「原爆タイプ」のトマソン物件です。

今日の写真はクリックして、しかとご覧くださいませ。隣同士に建っていた二軒の建物、片方が取り壊され更地になっております。

何もそれほど珍しくはないでないか、この程度の原爆タイプトマソン物件はどことにでもあるじゃないかと思われるかもしれません。

ところがそうではないのです。まだ取り壊すための足場が残されていますね。つまり、片方の家はまだ壊されたばかり、ですからこのトマソン物件もこの世に誕生して間もないのです、誕生したばかりなのです!

赤瀬川先生は「超芸術トマソン」の第一人者として数多くのトマソン物件を発見されましたが、でも、赤瀬川氏、トマソン物件の「誕生」に遭遇したことはないのではないかと思います。つまり赤瀬川氏の発見された物件のほとんどは誕生してからかなりの時を経た物件であるものと思われます。

誕生したばかりのトマソン物件を記録した写真、あるいはトマソン物件誕生の瞬間を撮った写真はこの今日のこの写真だけではないかとGGIは確信し、本日わざわざ紹介させていただいたしだいであります。

この物件、これから時を経るにつれてリッパなトマソン物件に成長するのでありませう・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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日野町事件:死後再審決定は束の間、検察が一週間後に即時抗告・・・

2018-07-24 00:56:45 | 日記
7月13日の日記に、湖国で起きた冤罪の疑いがきわめて濃厚な殺人事件、「日野町事件」について、大津地裁が死後の再審開始を決定したというニュースについて記しました。

死刑あるいは無期懲役の判決を下された被疑者の死後に遺族などによる再選請求に対して再々開始の決定されたのはおそらく初めてのこと。その意味で画期的な決定であったのですが、再審決定から一週間後の7月17日、大津地検はこの再審決定を不服として大阪高裁に即時抗告を行いました。

死後再審開始決定のニュースは全国紙でも大きく報じられていましたが、検察による即時抗告のニュースはベタ記事とは言わぬまでも小さな扱いでしたので、気づかれなかった方も少なくないのではないかと思います。GGIが購読している朝日新聞、社会面で簡単に、地方版で社会版におけるよりはやや詳しく報じていただけでありました。

大津地検の高橋和人次席検事は「詳細については現段階では控える」として即時抗告を行った理由は明らかにしていません。不遜というしかありませぬ。

今日の写真はこの新聞記事を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってください。

検察による抗告は十分に予想されたものでしたが、この検察側の抗告により、裁判はまだ延々と続くことになります。検察側の抗告に対する高裁による結論が出されるまでに数年、その結果再審が認められたとしても再審の審理に数年、再審で無罪とされても、検察側が最高裁に抗告してさらに数年・・・高裁で検察側の抗告が認められ再審開始の決定が取り消されると、弁護側が最高裁に抗告してさらに数年、最高裁はこの弁護側の抗告についてさらに数年の審理・・・

袴田事件について、GGIは6月13日の日記に、犯人とされた巌氏の姉である秀子さんは百歳まで生きていなければならないと書きましたが、決してジョークなんかではないのです。日本の裁判はやけに時間がかかる、人の一生を台無しにするぐらい異常に時間がかかるのです。人の一生を台無しにしても平気なのです。日野町事件の再審請求の原告、犯人とされたまま獄死した阪原弘さんの長男である弘次さんはいま57歳ですが、父親の無罪を勝ち取るためには、まだまだ長い年月が・・・・

日本の刑事裁判はこのように時間がかかることの主な原因は、いつまでも検察側の上訴権(上級審に異議を申し立てる権利)が認められていることにあります。

欧米では一般的に検察側の上訴権に対して制限が設けられています。すなわち、三審制の裁判において、一度無罪の判決が下された場合は、検察側が上訴することは許されていません。検察側は、有罪とされた場合には、その量刑の是非について争うことは許されますが、無罪判決が一度くだされれば、それが最終決定ということになるのです。

しかし、日本では無罪判決が下されても検察はあきらめません。ほとんどいってよいほど上訴を行い、上級審で検察の判断が間違っているとされるまであきらめません

ですから「名張毒ぶどう酒事件」の犯人とされ死刑が確定し、43年間獄中に会った末89歳で獄死した奥西克さんの場合、一審で無罪判決を受けたのに逆転有罪で死刑が確定、その後いったん再審開始が決定されてにもかかわらず検察の抗告により取り消されてしまったのです。けれども、欧米ではこのようなことは起こり得ないのです。一審の無罪判決、それで裁判は終了です。

再審の場合、欧米において検察側の上訴権はどうなのか、GGIには定かではりませんが、おそらく再審開始の決定に対しては検察が異議申立てを行うことは許されていないのではないでしょうか。

再審開始の決定に対して検察側が抗告できることを日本弁護士連合会は以前から問題視しており、たとえば2015年3月24日の静岡新聞は以下のように伝えています

《日弁連は「検察官の不服申し立て禁止」を主張してきた。刑事再審制度の改正意見書も提示。再審制度に明るい名城大の加藤克佳教授は「上訴権を否定し、次の段階の再審公判で審理を尽くすべき」と指摘する。》

上記の加藤教授の指摘は適切なものです。というのは、検察側がたとえ上訴権を与えられていなくても、再審が実際に開始されれば、再審公判の場で、無罪ではないとする検察側の主張を行い、立証に努めることができるからです。

日野町事件の場合、実際に死後再審の公判が行われ、「無期懲役の判決は間違いであった」として無罪の判決が下されたならば、現行の裁判制度への信頼を揺るがすことになりかねず、ひいては死刑制度の存続にも大きな疑問を突き付けることになりかねません。ですから検察側は、今後何としても再審開始を阻止しようとするでありませう・・・

このような検察の姿勢は、正義とはまったく無縁です。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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理科のお時間:雲はなぜ熱中症にならないの?

2018-07-22 01:32:20 | 日記
昨日の午後、「老人はロクな用事もないのに街をうろついたりして熱中症にならないようにしませう」というテレビのアナウンサーの余計なお世話を無視して、炎暑のなかテクテクと某謀議会場へと出かけました

空一面に元気な入道雲クンたちがわがもの顔で展開しておりました。今日の写真は夏の主役であるこの雲クンたちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、彼らの元気ぶりにあきれてくださいませ

あまりに雲クンたちが元気でありますので、きいてみました

おい、雲クンよ、こんなに連日暑いのに君たちはどうしてそんなに元気なんだ?君たちは熱中症になったりしないの?

誰かと思ったらたいした用事でもないのに「某謀議」などとカッコをつけて街をうろついていうGGIのオッサンか、あいかわらずお得意の愚問ですね、そんなことは分り切った話です、ボクたちは熱中症なるなんて愚かなことを決してしないのです

雲くん、マジメに答えなさい、じゃあ、どうして君たちは熱中症にかからないのか、その理由を明確に二百字以内で答えよ

あのねえ、そんなこと中学校の理科の時間で習っているはずですよ、雲というのは気象学的にいかなる存在であるか、勉強したはず。もう忘れてしまったのならウィキペディアさんにでも聞いてみなさい、ウィキペディアさんに何て書いてあるか、ちょっと読み上げてください

わかった、では読んでみますよ、え~、こう書いてあります
「雲(くも)は、大気中にかたまって浮かぶ水滴または氷の粒(氷晶)のことを言う[1]。地球に限らず、また高度に限らず、惑星表面の大気中に浮かぶ水滴や氷晶は雲と呼ばれる・・・・地球上においては、雲の成分は水であり[4]、その相は液体か固体である」

そうでしょう、これで分かったでしょう、ぼくたち雲の正体は水なのです。このぼくたちを構成している水はどこからやって来たのかわかりますか、GGIサン

そうやなあ・・・水は水道局から来るのと違うかなあ・・・

ほんとにGGIはおバカの見本ですね。水は地上に由来しているのです。地中の水分や、海や湖や池や川などの水、これらが蒸発して大気中に漂い、それが水や氷となってぼくたち雲を形作っているのです。

そうなのか、そうしたらオレのオシッコなんかも君たちの原料になっているというわけか・・・

何を品のないショモないことを言っているのですが、あのねえ、地上の水分や水はどのような状態のときによく蒸発するのですか?

それは暑いときやろう、夏、水撒きしてしても暑いときはすぐに乾いてしまうからなあ、暑ければ暑いほど、蒸発しやすい・・・

ほらほら、GGIさん、やっと正解に近づきましたね、よくできました

正解にちかづいたって?どういうこと・・・

どこまでもGGIさんのオツムはできがわるいですね。あのねえ、暑ければ暑いほど地上の水分はたくさん蒸発してぼくたち雲の原料になるのです。だから、人間は暑ければ暑いほど水分を奪われて熱中症にかかりやすくなるのですが、ぼくたちは逆なのです、暑ければ暑いほど地上からたくさん水分が蒸発してくるのでぼくたちは元気になるのです、分った?

なるほど・・君たちがこんなに暑くても熱中症にならない理由はわかった。ところで、雲くんよ、君たちはなぜこの世に存在しているの?何のために存在しているの。その理由を正確に述べよ

とてもグッドクエスチョンです、と言いたいところですが、これは「存在と当為」という、GGIのオッサンには難し過ぎる問題です。あのハムレットさんはto be or not to be,that is the questionと自らの存在の問題についてとてもお悩みになったようなのですが、ぼくたち雲の場合は、すなわちボクたちが存在しているのは神の摂理というか自然の摂理というか、GGIには理解が無理な、とても哲学的な高尚な理由に依っているのであります

コラ!雲くんよ、そんなもったいぶったことを言ってごまかしたらアカン、君たちはなぜ自分たちが存在しているのか、ほんとは分らんのやろ!

その御言葉、そっくりGGIサンにお返しさせていただきます

そんなものいきなり返されてもなあ・・・ああ、ほんとに暑いなあ、今日は・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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