UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

今夜は、はじめに英語のお勉強、お終いに人生のお終いのお終いについてのお勉強・・・

2013-03-31 01:14:28 | 日記

GGIは英語は受験でやむを得ずちょっぴりお勉強しただけでありますので得意とはほど遠いのです、それで、某日、ある物体のことを英語でなんて言うんだろうと調べてみましたらurnという短い単語であることが判明いたしました。みなさんurnって何かお分かりでしょうか?こんなこと愚問ですか?愚問であるか否かはともかく、日本語でいうところの「骨壺」のことであります(正しくはcinerary urn, cremation urnなどと言うそうです)

昨日の日記に、先の日曜日、わがマザーが世話になった教会へ永眠者礼拝に出るために足を運んだと書きましたが、実は午後にも、教会の墓地での簡単な礼拝があったのです。もちろん、感心なるGGIは魚の目が泣くじゃくるのをなだめながら、この墓前礼拝にも参列いたしました

墓地は国道1号前沿いの、彼方に湖が見える高台にあります。いくつかの教会の共同の墓地であるのですが、墓地はもう満杯でありますので、わがマザーの遺骨は墓石の下にではなく、小さな霊安室のような建物のなかに設けられているロッカーの中に納まっております。駅などにあるロッカーを一回り小さくした大きさのものです

墓石の下ではなくロッカーに遺骨を納めるなんて、なんだかもうひとつピンを来ないなあと思われる方もおられるかもしれません。でも、春と秋のお彼岸にはこのロッカールームが御開帳となりまので、そのときにロッカーから手軽にurnを取り出して故人と再会することができるのです、ですからロッカーに収めるのもなかなか合理的というか、結構なことなのであります

わがマザーのurnは陶器作りのプロであるGGIの友人に作ってもらいました。
梅雨の合間、七月の初めに亡くなりましたので、咲き始めていたムクゲの花を描いてもらいました、絵付けは友人の奥さんです

ここでいつもながらお手数ですが写真をクリックしてご覧くださいませ
わがマザーのurnです、右奥に黒く写っているのがロッカーのふたの部分です(でも、写真に写っているのはマザーのロッカーのものではなく、どなたか他の方のものです)

こうしてあらためて眺めておりますと、なかなかエレガントなurnであります、ですから、GGIも最後にはちょっぴり親孝行してしまったのかなあなどと思ったりするのでございます

なお、以前のお彼岸のときに確かめたのですが、このロッカー、正面から見ますと正方形なのですが、奥行きが結構あるのです。すなわちurnのもう一つや二つは楽に入りそうなのです、このことを発見したとき、思わずGGI、「ラッキー!楽勝や!」と快哉を挙げそうになってしまいました、と申しますのは、これだけ余分のスペースがあるのなら、何とか牧師さんと仲よくして事前に頼み込んでおけば、信仰なきGGIのurnだって、ここに収めてもらえそうであるからであります!

みなさんも、自分のお終いのお終いについて、すなわち己のurnをどうするかについて、今からしっかり考えておきませうね!

グッドナイト・グッドラック!
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神さま、あなたは何ゆえ魚の目の苦しみを私にお与えになるのですか?・・・

2013-03-30 01:12:11 | 日記

この日曜日、わがマザーが生前たいへんお世話になった教会を表敬訪問いたしました
お彼岸にあわせて永眠者のための礼拝を行うので出頭せよとのお知らせが牧師さんからありましたので、泣きじゃくる魚の目を引き連れて出かけたのでした

3月29日が受難日ということですので、牧師さんの説教はイエス・キリストの死についての話でありました
最後の瞬間にイエス・キリストは「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んだとされているのですが、この言葉が真に意味するところは何か、といった信仰なきGGIには難し過ぎる話でありました

それでGGIは、牧師さんの話を聞きながら、イエスさんのそのときのお気持ちはともかく、誰にでも事情というものがあるんだよなあ、だから、あのとき神さまのほうにも何か事情があったにちがいない、たとえば年度末で神さまもとても忙しかったので、つい・・・などと信仰深き方からきついお叱りを受けそうなショモないことを考えておりました

礼拝を終わって痛む足を引きずりながら教会のなかを彷徨しておりましたら玄関の片隅におかれた水槽の中で金魚君たちが泳いでいるのが目に入りました
なんとなく眺めておりましたら、そのうち一匹の金魚君がGGIのほうに近づいてきましたら

「誰かと思ったらGGIさんですか、久しぶりですねえ、お元気ですか?GGIさん、彼岸のときだけでなくもっと教会に来なければいけませんよ」

「そんなこと、金魚なんかに言われとうないなあ」

「おや、今日は何か機嫌わるいんですね、ところで今日の牧師さんの話、GGIは理解できました?」

「難しくてよう分からんかった、それより魚の目が痛うて、話を聞いているあいだ、ずっと神様に訴えていたんや、《神さま、あなたは何ゆえ魚の目の苦しみを私にお与えになるのですか》」

「そうなの、GGIも悩むことあるんだ!」

「そうや、人間やからな、ところで君は魚の目痛んだりせんのか」

「見たら分かるでしょう、ほら、清らかの水に浮かぶこのボクの澄みきった瞳、痛むはずなんかないでしょ、ボクらには生まれつき魚の目があるんだから、それに魚の目が痛んだりなんかしたら魚の恥ですよ!」

「そうか・・・でも、君たちはともかく、何で魚の目ができる人間とできない人間がいるんやろ?君、分かるか」

「GGIさん、それはまことにグッド・クエスチョンです、教会の金魚が答えるにふさわしいクエスチョンです!」

「そんなエラソーなこと言って、ほんとに君に分かるのか?」

「まかせなさ~い、あのねえGGIさん、人間にはもともと誰にでも《魚の目幹細胞》というものが存在しているんです」

「魚の目幹細胞?それなんや」

「ガンの場合と同じです、ガンの元になる細胞が誰にでもあるように、魚の目の元になる細胞、すなわち魚の目幹細胞も誰にでもあるのです、でもガンの元になる細胞があってもガンになる人とならない人がいます、魚の目の場合も同じことなのです」

「そうか・・・じゃあ、金魚君、おまえに聞くけどなあ、いったいどんな人間が魚の目で苦しむことになるんや?」
「GGIさん、よくぞ聞いてくれました、これこそ真のグッド・クエスチョン、本日の話の核心に触れるクエスチョンです!」
「何をそんなに浮かれているんや、おまえ、ほんまに分かってるのか」

「おまかせ下さい、ちゃんとお答えいたします、魚の目ができない、魚の目に苦しむことがない人間、それは神さまの教えにしたがい人生をまっすぐに歩いてきた人間です、魚の目に苦しむ人間、それは神の教えに背いて人生をまっすぐに歩いてこなかった人間です」

「そういうことか、それならこのGGIさまは人生をまっすぐに歩いてこなかったというわけか、なあ金魚よ、そういうことになるやろ、なんか気に喰わんなあ・・」

「それはGGIさんご自身の判断におまかせします」

「でもようわからんなあ、なぜ人生をまっすぐに歩いてこなかったら魚の目ができるんや?」

「それはですねぇ、正しい姿勢で規則正しく両手を振ってまっすぐに目標に向かって歩むことをせずに、両手をポケットなんかに突っ込んだまま、よそ見したり、あちこちキョロキョロしながら、がに股であるいたり、足を引きずって歩いたりしていると、まっすぐ直線状に進みません、右に寄ったり左によったり、よれよれに歩くことになります、そうした歩き方をしておりますと、誰でもというわけではありませんが、とりわけ邪心に満ちた大バカ朝日だとか小バカ小役人などと他人を批判してばっかりいるような自らを省みることのない人間の場合は、不自然な無用な荷重が足にかかり、あげくのはて邪心との相乗作用の結果、魚の目君が発現することになるからなのです、おわかりですかGGIさん、ですから今日から悔い改め、もっと教会に来て、神さまの教えにしたがい、まっすぐに人生を歩む努力をしてください、そうすれば魚の目君たちもやがて姿を消し、まっとうな日々がGGIさんのうえに訪れるでありませう」

「こらあ!黙って聞いていたら、いい気になって、なんという口から出まかせのデタラメを言うんや、何が教会の金魚や、ええかげんにせえ、おまえいつからそんなアホなデタラメを吹くようになったんや!」

「いつからかははっきりしないのですが、GGIさんの日記、それにあのヨッサリアンのアホ日記を読むようになってからのことだと思います、どうかお許しください、ですからGGIさん、これからも時々教会に来て、ボクと仲よくしませうね」

「知るかっ!」

よろしければ写真をクリックしてご覧くださいませ
GGIとの対話にはげんでくれた教会の金魚君です

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十二年前のGGIの予測、こんなことを今さら自慢たらしく書いてもしかたがないのですが・・・

2013-03-29 01:28:30 | 日記

3月23日の日記に、湖国の防災会議が開かれ、審議の名にあたいしない空疎な審議を経て、福島原発事故を受けて策定された湖国の原子力防災計画改定案が正式に承認されたときの様子について記しました。

この湖国の改定案の最大の問題点は被害の想定範囲です
県による被害の想定範囲は原発から半径30~40キロ、
この県の案は、お隣の福井でどんな大事故が起きても、福島原発の事故に際して一定時間内に大気中に放出された放射能の最高値と同程度の放射能しか放出されることはないとする前提に立ったものでした

(実は、このようぶ福島原発事故を上回る規模の事故は起きないという前提を採用しているのは湖国に限ったものではありませぬ、全国の関連道府県における計画もほぼ同様のものです)

この前提はまことにアホらしきものです、
「できれば福島原発事故以上の事故は起きないでね」といった、まことにムシのよいご都合主義、、
県のご都合に合わせて事故が起きてくれるわけなんかある筈がないからです
事故の様相が少し異なるだけで、あるいは事故発生後の対応が少し異なるけで、放出される放射能の量が変動して、福島原発事故に際しての放出量を上回る可能性がいくらでも存在していることは、何も「専門家」とやらでなくても常識的に理解ができるからです

このため、このたびの防災会議の開催に先立ち県が県民の意見を募集したさいに、GGIは「できればどんな大事故が起きても、どうか福島原発事故以上のものにはならないでね」などという根も葉もない希望的観測に基づいた、こんなご都合主義の計画は無意味だと説教を垂れておきました

わが湖国は十二年前と同じ過ちを堂々と犯しているのです
今から十二年前、2001年3月、東海村の臨界事故を受けて、わが湖国は初の原子力防災計画を策定しました
そのとき、計画の基本方針を決めるために県に招かれて東京のほうからやってきた「専門家」と称される人物たちが
「チェルノブイリの事故は型が異なる原子炉の事故なので、あのような事故は起きっこありませしぇん、どんな大事故がおきてもスリーマイル島原発事故を超えることなんかありましぇん、だから半径10キロの圏外である湖国に被害が及ぶことなんてありましぇん、だから県民のみなさんは逃げ出す必要なんかまったくありましぇん、ご安心を!」」とご都合主義のお手本のような計画を決定したのでした。
そのため十二年前もGGIは先に述べたのと同様に「そんな根も葉もないご都合主義でいいいのか」と説教をいたしました

このたびの湖国の計画も十二年前とまったく同じ発想なのです、
過去に起きた事故を上回る事故が起きることは決してない、どうか起きないでねという、根拠なき、まことにご都合主義の発想です
十二年前の計画がまったく無意味であったことが福島原発事故により実際に証明されたのにこのありさまなのです

十二年前は、マスコミ諸氏はGGIたちの主張を取り上げてくれました
たとえば当時、京都新聞が社説で以下のように述べています

ここでお手数ですが写真をクリックしてご覧くださいませ
2001年2月26日の京都新聞の社説です

この社説をあらためて読んでみて、ちょっぴりGGI、われながら感心してしまいました、なかなか的確なことをGGIらは言っているのです
二段目の終わりから三段目にかけての文章をお読みください

《事故の影響予測は「最大最悪の事故をどこまで想定するか」で変わる。(国の原子力)防災指針の想定は、1979年の米国スリーマイル島原発の事故を超える規模までで、炉心溶融や格納容器損壊は想定していない。県内の市民グループは、史上最悪のチェルノブイリ事故の規模も想定に含み、県独自のEPZ(緊急時の対策を計画すべき地域)を80キロに設定することなどを求めている》

(この文章中「スリーマイル島原発事故を超える規模までで」とあるのは「・・を超えない規模までで」あるいは「スリーマイル島原発事故の規模までで」の誤りであると思われます)

GGI、被害想定範囲を80キロとしたことを、この記事を再び目にするまで忘れておりました、そうだったのか・・・、
そして、なぜチェルノブイリの原発事故から80キロという数字を導きだしたのかも、恥ずかしながら我が記憶にありませぬ、

しかしながら、福島第一原発で現実に大事故が起きてしまった今となっては、この半径80キロという主張は的外れでないどころか、まことに的を射た適切なものであったと言うことができるでありませう
われながらエエこと言うてるやんけぇ、という感じであります

かようなしだいではあるのですが、このたびは、「こんなご都合主義の計画なんて」というGGIのお説教は、事前にマスコミのみなさんにていねいにお知らせしておいたのですが、京都新聞さんをはじめ皆さんリッパに無視してくれました

県に出したお説教書の最後に、「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」という第6代ドイツ連邦大統領ヴァイツゼッカの言葉を引用して、再びわが湖国がご都合主義の計画を作ろうとしていることに警鐘を鳴らしておいたのですが、まったくカエルのツラになんとやらでありました・・・

知事さんをはじめ故国のお役人たちにとっては、
そしてたぶんGGIを含めた湖国で暮らす多くの人々にとっても、フクシマは遠いのでありませう

まことに蛇足;京都新聞の社説、左下が空白になっていますが、ここに別のテーマの社説が掲載されていました、GGIの記憶では韓国の優れた政治家、金大中氏に関する一文でありました

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「君はヒロシマで何も見ていない」のではなかった・・・エマニュエル・リヴァ・・

2013-03-28 01:50:03 | 日記

先日、朝日新聞の朝刊をぼんやり眺めていましたら人物紹介の欄に老婦人の写真が載っていて、エマニュエル・リヴァという名が記されていました。
エッ、ひょっとしたらあの女優ではないのか、と思って読んでみてみたらGGIの記憶に間違いありませんでした

この女優、現在86歳とのことですが、今年の米アカデミー主演女優賞の最年長の候補になっているというニュースです

彼女はアラン・レネ監督、仏の難解作家マルグリット・デュラス原作の名作「ヒロシマ・モナムール(ヒロシマ、わが愛)」(邦題は「24時間の情事」、1959年公開の日仏合作映画)の主演女優を務めました。相手役は岡田英次。

記事によりますと、 今年86歳とのことですので彼女が30歳ころの作品ということになります。エマニュエル・リヴァは後にこの作品を振り返って「初めて主演した作品だったが、自分の一生を代表する作品になった」と述べています。

この映画、カンヌ映画祭でフランスからの正式出品のはずでしたが、1956年の「夜と霧」と同じく「時宜を得ない」との理由で却下され、コンクール参加作品ではないものの特別上映されたということで話題を呼んだ作品でもありました。また、「ヌーヴェル・バーグの最も重要な作品」と評されたこともあるのですが、GGIにとってとても印象深かったのは“TU N’AS RIEN VU A HIROSHIMA”(君はヒロシマで何も見ていない)というマルグリット・デュラスらしい難解なセリフが何度も繰り返し現れることでした。

この映画のことはすでにこのブログや別のブログに何度か書いておりますが、またこの女優に出会うとは思ってもいませんでした。

ここでお手数ですが今夜の写真をクリックしてご覧ください

記事の中の写真でエマニュエル・リヴァが手にしている本は、映画の撮影の合間を縫って彼女が広島の街角で撮っていた写真を集めた「HIROSHIMA 1958」と題された写真集です。彼女が広島でたくさん写真を撮っていたことは知られていなかったのですが、撮影した写真が何と2007年になって発見され、話題となり、写真展が日本でも行われ日仏でその写真集が出版されたのです。今夜の写真で左側に写っているのがGGIが持っている彼女の写真集の現物です。

東京で買ったという古い二眼レフで撮られたものであり、敗戦から13年、復興期の広島、人々の様々な日常の光景が正方形のフレームに切り取られています。映画のあらすじは、反戦映画に出演するために広島を訪れた彼女が撮影の合間に街を散策しているときに岡田英次と出会い、恋に落ちていくのですが、まるでこのあらすじを地で行くかのように、前の仕事が終わらず広島入りが遅れていた岡田英治を待っているあいだに彼女は広島の街を歩きまわり、これらの写真を撮っていたのです。

この写真集を見ますと、映画では「君はヒロシマで何も見ていない」ことになっているのですが、エマニュエル・リヴァは、ヒロシマを、広島の街と人々の暮らしぶりをつぶさに見ていたことがよくわかります

集を眺めていますと、戦争が終わってから十三年、もう飢えるほどには貧しくないものの、でも決してさして豊かであったといは言えない時期の、いわゆる「高度成長時代」に入る前の素朴な日本人の暮らしぶりが思いだされます。

この映画、なかなかの作品でありましたが再上映されることはほとんどなく、GGIも若かりし頃見たあとは、テレビで一度か二度見たきりでしたが、実はこの写真集は出版されたころか出版される少し前に、幸運に恵まれて、大きなスクリーンで偶然見ることができたのです

戦後しばらくして建てられた湖国で一番古い文化施設が老朽化のため閉鎖されることになったため、この建物の大ホールで最後の映画上映会が開催され、何本かの作品が上映されたのですが、その一つが「ヒロシマ・モナムール」だったのです。この映画上映会を企画したのはGGIの知人でありました。ふたたびこの作品を見る機会があるとはまったく思っていませんでしたので、映画を見終わってからGGI、知人の選球眼の良さに最大級の賛辞と感謝の意を表したのでありました。

この新聞記事によれば、米アカデミー主演女優賞の最年長の候補になっていることについてエマニュエル・リヴァは「一番トシなのは私のせいじゃないわよ」と笑っていたそうです、なかなかのユーモア、GGI、彼女の受賞を心から祈ります。

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春宵のたわごと:何となく檻のなかのような気がしたりするのですが・・・

2013-03-27 00:05:40 | 日記

自民党のポスターが2枚、近くの民家の壁に貼ってあります
昨年末の総選挙用のものです
そしてポスターの全面を金網のフェンスが囲っています

(いつもながらお手数ですが、写真をクリックしてご覧くださしませ)

金網越しにポスターを眺めておりましたら
GGIの目には、ポスターの人物たちが金網の中に閉じ込められているように映りました
鉄格子の代わりに金網か?・・・

このポスターを貼った人は
「この男たち危険につき、とりあえず金網のなかに閉じ込めておきます」
というメッセージを伝えたかったのでしょうか

でも、もちろん、人相だけてヒトを決めつけることは良くないことでありますから、ポスターを見てGGIが勝手に受けたインプレッションは根拠なき偏見でありませう

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