UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

人ひとりが死んでいるんだ・・・

2018-05-31 02:08:40 | 日記
昨日の朝日新聞の川柳欄、次のような句が掲載されていました

「どことなく蛙の面に似たお顔」

みなさんのなかには、もうアベ君の顔なんか見たくもないという方も少なからずいらっしゃるのではないかと思うのですが、今日はアベ夫妻による例のモリ・カケ・スキャンダルについての話です。もういいよ、うんざりだ!と思われる方はどうか遠慮なしに読み飛ばしてくださいませ

昨日は、国会で久方ぶりという党首討論が行われていましたね。GGIは横目で国会のニュースをチラチラ見ていただけですが、あいかわらずアベ君はヘリクツにもならいなヘリクツをふり回して逃げ切りを試みていました。残念ながら、野党の党首諸氏も、時間不足のせいもあって、追及振りは鋭さを欠いておりました。

枝野クンも弁護士なんだからもうちょっと鋭く突っ込まないといけませぬ。たとえば「金銭の授受はなかったとおっしゃっているが、金銭の授受は行っていないということであれば、その説明は当然、金銭の授受以外の他の何らかのモリカケ問題に影響を及ぼす行為は行っていたことは否定しないということを意味していることになりますね?そうだとすれば金銭授受意外の他の行為というのははどのようなものですか。具体的かつ懇切丁寧に説明してください」

野党の追及不足も気にはなったのですが、やはりGGIがとても気になることは、このスキャンダルのために、人ひとりが死んでいる、人ひとりが人生の道半ばで自ら命を絶っているいう事実がまったく忘れ去られているのではないかということです。おそらくアベ君や自民党諸氏だけではなく、野党の諸氏もこの事実をもう忘れてしまっているのではないかとGGIは深く憂慮しています。もう済んだことだ、というわけでありませうか・・・・

近畿財務局の職員、文書の改竄という不正行為を命じられた職員がその命令を苦にして自ら命を絶った事件です。おさらいになりますが3月18日の日記にこの事件のことを一度書いておりますので、この日記の一部を以下に引用しておきます

《「政官不全の処方箋」と題された特集記事に掲載されていた、法政大学教授の小黒一正という人物の一文です。同氏は以下のように述べていました(3月17日の朝日新聞)
「(財務省が)決裁文書を書きかえをしたうえに、国会に提出していたとは。かつて財務省の行政官として公文書を作成し、管理してきた経験を持つ者として、信じ難い異常なできごとです。その渦中にある近畿財務局の職員が命を絶った悲劇には言葉もありません。」・・・GGIがとても気になったのは最後の部分です。『その渦中にある近畿財務局の職員が命を絶ったという悲劇には言葉もありません』・・・無念の思いを遺書に書き記して命を絶ったというのに、親族の方が「この死をどうか無駄になしいで欲しい」と言っているのに、(政界やメディアのこの職員に死に対する無関心さ、あるいは関心の低さは)このありさまです。まさに寒気がするような沈黙の荒野です。》

この職員の死を無駄にしないためには、事の真相を徹底的に明らかにされなければなりません。いまや与党諸氏には何も期待できないことは明らかです。ですから、野党諸氏はこの親族の方の言葉を肝に銘じて真相の追求に尽力すべきでありませう。

枝野クンは「総理と夫人の行為がもとになって人ひとりが死んでいるのだ、親族の方が、どうかこの死を無駄にしないでほしい、と言っているのだ。貴方は人ひとりが死んでいることをどのように思っているのか、どのような責任を感じているのだ!」で追及すべきでありました

アベ君はどうせ「御気の毒に思います」などと、まるで他人事みたいな門切り型の答しかしないとしても、問題の所在を曖昧にしないために、このように質問するべきでありました。そうでなければ、不正行為に耐え切れず自ら命を絶った人物の死はまちがいなく無駄にされてしまうことになるからです。

GGIの考えでは、極端かもしれませんが、アベ君が結果としてであれ、ひとりの人間を死に至らしめたのですから、殺人の罪を犯しているも同然です。殺人という表現が極端すぎるならば少なくとも「業務上過失致死傷」の罪を犯している可能性が存在していると言えるのです。

直接手を下したわけではないのだから「業務上過失致死傷罪」なんかではないと思われるかもしれませんが、たとえ間接的であろうとも、アベ君とその夫人をこの罪で法的に訴えることはできるのです。

と申しますのは、4月10日の日記で言及しました福島原発事故についての東電幹部の刑事責任を問う裁判では、事故当時の東電幹部は、「業務上過失致死傷」の罪を問われているからです。

この裁判に際しての起訴状には以下のように記されているのです。

「(元東電幹部の)三人は適切な安全対策を行って福島第一原発事故を引き起こし、原発近くの病院に入院していた患者らに長時間の輸送・待機をともなう避難を余儀なくさせて死亡させた」(添田孝司著、岩波新書「東電原発裁判」より引用)

この起訴状を参考にするならば、さしずめ以下のように主張することができるでありませう。

「安倍首相は、自身とその夫人による森友学園スキャンダルを隠蔽するよう、財務省幹部に指示し、あるいはその旨を財務省幹部に忖度せしめ、そのために同省幹部は近畿財務局の職員に公文書の改竄という明らかな不正行為を強要した。その結果、不正行為に苦しんだ職員を自死による死に至らしめた。したがって、この総理の行為は業務上過失致傷の罪に相当する」

これは決して冗談なんかではありません。アベ君とその夫人が、直接であれ間接であれ、近畿畿財務局の職員の死に責任を負っていることは否定できないからです。

とにかく、人ひとりが死んでいる事実を、政界も官界もメディアももっと直視すべきです。そうでなければ、この職員の死は間違いなく無駄にされ、忘れ去られてしまいます。役人ひとりの死なんでどうでもいいというのでありませうか・・・

不正行為に苦しみ自ら命を絶った人間の無念さを真剣に顧みようとしない政治や社会はまさに荒野以外のなにものでもありませぬ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の話題はなんともやりきれない内容でありましたので、今日の写真は本文と関係ないものを掲載しておきます。緑滴るわがガーデンを撮ったものです。

グッドナイト・グッドラック!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国境(くにざかい)の短い踏切を渡るといきなり神社だった、蝉丸さんがいた・・・

2018-05-30 02:04:56 | 日記
この日曜日、暑い一日でした。GGI、たまっていた些事雑事をおおむね一掃したような気がいたしましたので、気分転換に蝉丸さんに会いに行こうと妙なことを考えついてしまいました

蝉丸さんという人物はGGIにとりまして長いあいだとても気にかかっている存在であります。初めて蝉丸氏に遭遇したのは小学校低学年のことです。百人一首のカルタで出会ったのです。

これやこの 行くも帰るも 別れては
     知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関

有名な蝉丸さんの句ですね。でも小学生のガキがこの和歌の意味を理解して、これはなかなか優れた和歌であることよのう、などと感心したわけではありませぬ。みまさんも同じではないかと思うのですが、蝉丸さんについて強烈な記憶を有していると申しますか、いつまでも蝉丸さんが気にかかるは、百人一首のカルタ取りではなく「坊主めくり」における蝉丸さんの存在でせいであります。

蝉丸さんがお坊さんであったのどうかは定かではないのですが、百人一種のカルタではお坊さんとして描かれており、しかもお坊さまのくせにヘンな帽子なんかをかぶっておりましたので、嫌われ者になっておりました。大の嫌われ者でありました。坊主めくりで蝉丸さんのカードをめくってしまうことはトランプのババ抜きでババであるジョーカーを引き当てたのと同じこと、最悪です、手にしたカルタが蝉丸さんでありますと過酷なペナルティーを科せられるからです。

この幼児の記憶がトラウマとなって、GGIはずっとこれまで蝉丸さんにだけは会いたくないなあと思っていたのですが、先日、京阪電鉄石坂線のプラットホームの掲示板に貼られていたポスターで出会ってしまったのです、蝉丸さんに・・・これは運命だなあ・・・

ポスターに曰く

関蝉丸藝能祭 平成三十年五月二十七日 文化を愛し、琵琶を奏で、和歌を嗜んだ「蝉丸」、千二百年程前よりこの地に鎮座する関蝉丸神社で今、芸能の祖神がよみがえる・・・関蝉丸神社下社(滋賀県大津市逢坂一丁目15-6)》

GGIは単に「蝉丸神社」であると思い込んでいたのですが、正式には「関蝉丸神社」、「逢坂の関」がかつてあった地でありますから「関」が付くのでありませうか・・・そしてこの神社、上社と下社があるのです。

それはともかく、まったく久方ぶりに蝉丸さんのお名前に遭遇してしまいましたので、せっかくですから蝉丸神社にお参りして、蝉丸さんを表敬し、長年のトラウマを解消しようと思ったのです。

蝉丸神社は京都と湖都を結ぶ京阪京津線の「上栄町」から歩いて数分とのことでありました。

「上栄町」で下車、ダラダラ坂の国道の狭い歩道を京の都のほうに上っていくこと数分、いっこうに蝉丸さんの気配はいたしませぬ。むし暑いく、そにうえこのダラダラ坂、後期高齢者にはキビシイことよなあと思っておりましたら、坂を下ってきた小学生が元気よく「こんにちわ」とあいさつしてくれましたので「ボン、ボンはボンボン(良き坊や)やなあ、ところで蝉丸神社はどこ?」と聞きましたら「蝉丸さんはすぐそこや、もう少し上ったら入口がある」との返事

そこで元気を出して歩き続けたのですが、いつまでたっても「すぐそこ」へ到着いたしませぬ。でも、古い昔ながらスタイルのお風呂屋さんがあったり、石屋さんの土間に小僧さんが箒を手に掃除をしている石像が立っていたり、時代に取り残されたような街並みはなかなか趣があり結構でありました。

まだかなあと思いながら坂道をダラダラ登っておりましたら、後ろからGGIよりは若干若いと思われるオジサンが追い付いてきましたので、蝉丸神社ってまだですかねえ、と声をかけましたら、「すぐそこです、私も行くところです」との返事。

それでGGI、蝉丸さんと言えば何と言ってもあの「坊主めくり」ですよねえ、と申しましたら、「そうそう、私らがちいさいころよくやりましたよね、あの蝉丸の札をめくってしまうとギャー!と叫んだり・・・蝉丸神社といえば、神社の少し上のほうに小野小町のお墓があるのです、隣の町に小野というところがあるでせう、あれも小町ゆかりの地です、小野妹子、小野道風など小野一族はもともと渡来人なんです」となかなかの歴史好きのオジサン、そうこうするうちに電車の踏切が目に入りました。

オジサンが申しました。「ここが神社の入り口です」

えっ!踏切が神社の入口!

おどろいたのですが踏切の向こうに目をやりますと確かにどっしりとした石の鳥居・・・

今日の写真はこの蝉丸神社さんの入り口を撮ったものです。どうかクリックしてご覧くださいませ。

写真をご覧になればお分かりになるように、神社の敷地は電車の線路に直に接しているのです。石の鳥居は線路のすぐ近くに立っています。つまり踏切を渡り切ったとたんに神社に足を踏み入れていることになるのです。

川端先生の「雪国」ふうに申しますと、逢坂の関は京と近江の国境(くにざかい)でありますから

「国境の短い踏切を渡るといきなり神社だった、蝉丸さんがいた、目が点になった・・・」

でもなあ、すぐ目の前をしょっちゅう電車が大きな音を響かせて通り過ぎていくようでは、蝉丸さんも落ち着かないのではないかなあ、とちょっぴりGGIは蝉丸さんに同情の念を禁じ得ませんでした

かようなしだいですが、GGIが蝉丸神社を表敬しましたときは「芸能祭」であり人出がふだんよりずっと多かったため、踏切の近くには京阪電鉄の駅員さんが立って事故が起きたりしないように見張り番をしておられました。

蝉丸神社には芸能の神さまがいらっしゃるため、拝殿を舞台にして本殿に向かって様々の《芸》が終日奉納されておりました。

プログラムを見ますと、百人一首朗詠、能楽、ジャズ、雅楽、ハープ演奏、民謡淡海節、河内にわか、日本舞踊、高校のブラスバンド、和太鼓、落語、日本舞踊、琵琶・詩吟、などなど実に様々な「芸」のてんこ盛りです

けれどもGGIは蝉丸さんを表敬することが念願でありました。むし暑い日でもあり、念願かなって大満足でありましたので、みなさんの芸の鑑賞はほとんど省略して、帰ってまいりました。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい生き方?栄えある「運び屋」である私・・・・

2018-05-29 01:38:12 | 日記
今日は生物のお勉強です。身近にいる生き物について、みなさんといっしょに勉強してみませう。

あまりヒト?のことは言えないのですが、近所にいるネコ君やイヌ君たちを眺めておりますと、あいつら毎日何をしているのだろう、ときおり飼い主なんかにゴマをすったりする以外には意味あることを何ら行うことなく毎日々々ただブラブラしているだけじゃないのか、などと思ったりいたします。

なかには盲導犬や介助犬のように、毎日人間を助けることに努めているリッパな諸氏もおられますが、大半のネコ君・イヌ君たちは毎日々々ブラブラブラブラ・・・しかし、まあ、GGIの暮らしも似たようなものであることを強く否定する勇気はありませんので、ネコ君やイヌ君の生き方をあげつらうことはできませぬ・・・

ただ毎日ブラブラしているだけじゃないかかと思ってしまう生き物は他にもいますね。たとえばチョウチョ君たちであります。わがガーデンにもチョウチョ君たちが姿を見せますが、眺めておりますと、終日、ただ静心(しづごころ)なく緑の間を気まぐれにヒラヒラヒラヒラ飛び回っているだけです。、君たち、いったい何をしているんだね、もうちょっと何か意味のあることをしてはどうかねと、自分のことはタナに挙げて、つい言いたくなってしまいます

ところが昨日、ヒラヒラせずにじっといつまでも葉っぱのうえに鎮座しているチョウチョ君をわがガーデンで目撃しました。

今日の写真は葉っぱの上で鎮座しているチョウチョ君を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ。

あまり見慣れないチョウチョだと思ってネットさんの「「庭のチョウ」というサイトでまじめに調べてみましたら、「ルリタテハ」というチョウチョのようでありました。写真で黒く見える部分は濃い青色、すなわち瑠璃色なのだそうです。

このチョウチョ君、ヒラヒラしないでまるで居眠りをしてるようでありました。チョウチョにくせにヒラヒラを放棄してナマケモノだなあと思いました。でも実は寝ているのではないのかもしれません。というのは、写真に写っている葉っぱはホトトギスであると思われるのですが、このチョウチョ君、ホトトギスの葉っぱが大好きとのことでありますので、葉っぱを静かにかじっているだけのことかもしれませぬ・・・・

でも、みなさんもご存知のように、チョウチョ君たちは一見したところヒラヒラヒラヒラと意味もなく舞っているように思えるものの、実は花粉を媒介するという重要な任務を担っているのです。このことはみなさん、むかし学校の理科の時間などで学習されたのではないかと思います。すなわち、花々のメシベとオシベの間で花粉を運ぶことにより顕花植物の繁殖を手伝っているのです。つまりチョウチョ君たちは花粉の運び屋さんなのです。運び屋の役目を果たすために一日中ヒラヒラしていろ、と神さまから命じられているのです。

このような花粉を媒介する仕事を行う生き物を学問的には「送粉者」と言うのだそうです。英語ではポリネーター、ポリネーターの代表的なものはハチ君であります。

このポリネーターの役割の偉大さについて、ナショナル・ジオグラフィックという雑誌のサイトに、驚くべきことが書いてあります。以下はこのサイトからの引用です。

《花を咲かせて種を作る顕花(けんか)植物の多くは、繁殖のため、オシベとメシベの間で花粉を運んでくれる動物、「送粉者」の力を借りている。もし、トマトの花粉を人為的に飛ばそうとするならば、地球の重力(1G)のほぼ30倍に当たる力で乱暴に揺さぶらなければならない。そう教えてくれたのは、昆虫学者のスティーブン・バックマンだ。彼は、送粉者の保護に取り組む米国のNPO「ポリネーター・パートナーシップ」の国際コーディネーターを務めている。「スケールは違いますが、戦闘機のパイロットの多くは、4~6Gの重力加速度をかけられると、30秒で気絶してしまうんです」》

すごいですねえ、やはり自然の力は。トマトの場合のポリネーターはハチ君たちだそうです。

この記事を読んでいまして、GGIは元気が出てきました。そうかあ、それならGGIも、他人の目には毎日ブラブラ、無為に時を過ごしているように見えても、GGIは実はポリネーターとして毎日リッパな働きをしているのだ!と確信するに至ったのです

と申しますのは5月25日の日記に書きましたように、毎日わがガーデンで草花をかき分け、かき分けして外出するなど、庭の中を行き来したり、草花のあいだをぶらついているからです。GGIがかき分けるたびに花粉は飛び散ったりGGIの体にくっついたりして他の花に運ばれていくことになるのですから、GGIの行動は花粉の媒介に役立っているのです。

ホトトギスの葉っぱの上に鎮座しているチョウチョ君を眺めながら、決意を新たにいたしました。

GGIは栄えある運び屋なんだ!GGIは明日も草花の繁栄のためにしっかり生きるんだ!それが正しい生き方なんだ!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KOBANは増殖するんだぁ・・・

2018-05-28 01:26:11 | 日記
GGIがふだん乗り降りするJRの駅とその周辺、数年前から工事が進行中です。

駅にエレベーターがないので足腰の不自由に人たちに不便というので橋上駅に大改装、ついでに駅前周辺を整備する工事です

これは湖都の市役所による駅周辺整備事業とされています。ですから駅の大改装工事も、JR西日本はいまや公共交通機関というよりはカネ儲け主義のケチケチの一私企業でありますから、かなりの部分は市の公金により賄われているものと思われます。

この工事でJRの駅のすぐ隣にあったKOBANと言う名の警察署が取り壊されることになり、これまで駅舎があった場所の一部に手際よく新たなKOBANが建てられました。

あの以前のKOBAN、まだまだ使えるのに取り壊すなんてもったいない、無駄使いだよなあ、工夫すればどうにかなったのに、でもまあこれがお役所仕事というのであろう、まことに愚かなることよなあと思っておりました。しかし、一昨日駅前をぶらついておりましたら、さらなる新しい事態が発生しておりました。

もうひとつ、新しいKOBANが出現していたのであります!

今日の写真はこの新たなる事態を撮ったものです。どうかクリックしてご覧になってくださいませ

写真の左側に写っているのが、駅の改装工事のために取り壊されたKOBANの代わりに数年前に建てられたKOBANです。そして右側に写っているのが新たに出現したKOBANであります。

なぜ軒を連ねて二つのKOBANがあるのだ!誰でもが抱く疑問であります。GGIの邪推ではなく正しき推測によれが、事情は以下のようなものであります

一年ほどまえの某日、湖都の警察署長と県警本部長が話し合いました。

「本部長、もうそろそろあの駅前整備事業が終わりそうなのですが、以前の交番が工事で取り壊されるため代わりに建てたKOBANN、あれ、手狭ですし、それに安普請ですし、どうにかなりませんかねえ」

「そやなあ、日本が世界に誇るKOBANとしては貧相やなあ、それならいっそ、新しいのを建てたらどうや?もっと大きくて目立つのを」

「そんなこと可能ですかね、なにしろ今のKOBANは建ててまだ数年も経っていませんから」

「大丈夫や、オレにまかせろ。あの数年前に建てたKOBANはあくまでも工事期間中の仮設KOBANであったということにして、新しく建てたらええのや、新築やない建て替えです、というわけや」

「その場合、問題は建築費です、どうしたらええでせう」

「何にも心配いらん、あの駅周辺の工事は湖都の整備事業ということになっているから、建築費は市役所が負担しろと、市に押し付ければ済む話や」

「そんなのは無駄づかいやと市民が言いませんかね、なにしろこのごろはイチャモンつけるたがる《良識ある市民》を自称する不心得ものの市民がいますから、あのGGIのような・・・ええ年してあのオッサン・・・」

「ああ、あいつか、あいつ、ピッカピッカの総ガラス張りの県警本部を240億円かけて建てたときにもグダグダ批判したり、冷やかしたりしていたからなあ。それにあいつの知り合いが県警本部建築工事差し止め訴訟なんか起こしたりしやがって・・・あの初公判のとき、あらかじめ傍聴席を警察関係者で埋めつくしておいたのに、あのGGIの野郎、遅れてやってきて、ちょっとは良識ある市民のために席を空けてくれと無理やり割り込んだりしやがって・・・」

「それに、あのGGI、いつだったか湖都の署長あてに手紙送りつけてきたことがありました。GGIの知人をしょっ引いたときです。出会いがしらに人を殴ったとか殴らんとかったというチャチな検挙にも値しない事件でいつまでも拘留するのは人権侵害の疑いがあると書いてよこしたのです」

「あんな奴、ほっとけ、心配いらん、新しいKOBAN建てても、ムダづかいと言われることになたとしても批判されるのは市役所や、オレタチじゃない。何かイチャモンつけられたら、私どもは市のたっての要請により新しいKOBANを建てざるを得なかったのです、どうかご理解たまわるようお願い申し上げます、とでもと答弁すればええのや」

「本部長、なかなかアタマええですねえ、その詭弁、まるで財務省や首相官邸のお役人みたいですからまだまだ出世できますよ」

「こら、人聞きの悪いことを言うな、あいつらのしたことは汚職の片棒担ぎ、犯罪やけれど、新しいKOBAN建てて治安の向上に努めるのはワレワレの責務や、善悪を混同するな!」

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドタキャンでお困りの金正恩氏への真摯なるプラクティカルなアドバイス・・・

2018-05-26 01:59:58 | 日記
拝啓 金正恩 様

突然お手紙を差し上げ失礼いたします。私はこれまで何度か貴国の憂慮せざるを得ない人権状況についてお手紙を差し上げたことがあるGGIという日本の一市民です。

このたびはトランプ氏に米朝首脳会談をドタキャンされてしまってたいへん困惑しておられることと存じます。しかしながら気落ちされる必要はまったくございません。貴方が核兵器を完全に廃棄するお気持ちをほんとうにお持ちであるならば、道はいくらでも存在しております。

なぜならば、まったくあたりまえのことですが、米国だけが世界なのではないからです。国際社会は米国だけで成り立っているわけではないからです。世界は動いております。

たとえば、日本人の大多数は死刑制度が存在しているのはあたりまえと思い込んでおりますが、世界の動向はまったく異なっています。貴国にも死刑制度が日本や米国と同様に存在しておりますが、最新のデータによれば死刑を法的もしくは事実上廃止している国は世界で140カ国にも達しており、いまや世界の3分の2の国が死刑制度を廃止するに至っています。すなわち今や死刑制度がある国は少数派というべき存在になっています。

そして死刑問題と同様に、日本人の大多数は、北朝鮮は鎖国しているも同然の国であると思い込んでおります。しかしながら、貴方もご承知と存じますが、北朝鮮と国交を結んでいる国は、いまや何と死刑廃止国を上回る160カ国以上に達しているとされています。つまり日本や米国の方から北朝鮮を眺めますといかにも鎖国しているように見えますが、実際にはそうではなく、いまや貴国と国交がない国は世界で三十数カ国に過ぎず、国交のない国ほうが少数派ともいうべき存在になっているのです。たとえば世界の先進地域とも言えるEUのほとんどの国は貴国との国交を有しており、世界にはイギリスやドイツをはじめ平壌に大使館を設けている国々も少なからずあります。

ここまで書けば、賢明なる金氏は私が何を言いたいのかお分かりではないかと思います。単刀直入に申しますと、国際社会は米国だけで成り立っているわけではないのですから、すなわち貴国は世界の約8割の国々と正式に国交関係を持っているのですから、問題解決のためには、米国抜きで物事を考えればよいのです。

米国の同意が得られなくても、米国を抜きにして、これらの国交を有している国々の協力を得て、また国連軍縮委員会などの国連の機関やIAEA(国際原子力機関)などの国際機関、さらには米国も日本も貴国も未だ加盟していない国連核兵器禁止条約の加盟国などの協力を得て、問題の解決にあたればよい、というのが私の考えです。

これらの国々や国連の機関などの協力と同意を得ることを前提に、トランプ氏の要求がどのようなものであろうとも、貴国の核廃棄廃絶計画を自発的に進めればよいのです。「完全かつ不可逆的で検証可能な」核廃絶実現のためにはどのようなスケジュールでどのように方法で実行するのかについては、これらの国々や国連の機関や核兵器禁止条約加盟国などと話し合って決めればよいのです。とりわけIAEAや核兵器禁止条約加盟国との協力は有益でありませう。米国のトランプ氏の要求に従う必要はないのです。「体制の保障」についても同じことです。これらの国々や国際的な組織・機関などから保障を得ればよいのです。

貴方が上記のような方法で朝鮮半島の核廃絶に向けて実際に真摯な努力を傾け実行に移すならば、たとえ米国が同意しなくても、国際社会の理解と同意を得ることができ、米国や米国やその「同盟国」である日本の圧力が続こうとも、貴国に対する国際社会による圧力や制裁は弱まり、問題可決に向けて確実に前進していくことが可能となるでありませう。

かような状況が生み出されるならば、たとえ米国が貴国に対して依然として軍事的圧力をかけ続たり圧力をさらに強めるようなことがあっても、米国は国際社会の同意を得ることはできないでありませう。

この私どもの提案は決して荒唐無稽なものではないことをご理解ください。国連軍縮委員会や核兵器禁止条約の加盟国やIAEAの協力を求めることは、当然考えられる極めて理に適った方策であり、これらの協力を求めるか否かは貴方の意思しだいです。あいもかわらずパックス・アメリカーナ(アメリカにとっての平和)を掲げる米国に振り回される必要はないのです。

最後に、金氏にとって少ならず不愉快ではないかと思われることを申し上げます。それは「体制の保障」の問題です。核兵器廃絶が近い将来現実のものになったとしても、貴国において政治犯とみなされた数多くの市民やその家族が強制収用所に長期に拘禁されるなど、「拉致問題」も含めた貴国の過酷極まる劣悪な人権状況が依然として放置されるようであれば、そのような「体制の保障」に私どもは同意することはできないことはっきり申し上げます。

人権問題から目を背け続けるようでは安定した国家を築くことができないことはお分りであろうと思います。貴国が真に国際社会に受け入れられるには人権問題を避けて通ることはできません。核廃絶の実現に向けて尽力されるとともに、同時に人権状況の改善に向けて近い将来積極的かつ具体的な措置を講じることをお考えくださるよう切望いたします。 

お忙しいことと存じますが、この手紙に添えました写真をクリックしてご覧になってください。わが庵の庭にいま咲いておりますドクダミの花を撮ったものです。小さな小さな白い花ですが、どの花の生き生きと咲いております。貴方の尽力により、貴国の市民がこの花々のように生き生きと安心して暮らすことができる日が訪れることを切望いたします。

敬具

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする