UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

年末は掃除ばっかりしていないで川柳で息抜きでもしませう・・・

2016-12-30 01:40:13 | 日記

年末でもあることですし、GGIも人並みに昨日は掃除の真似みたいなことをいたしました。

掃除をするには、まず事前に床面の散乱物を片付けておかなければなりませぬ。このため、居間などに散乱している様々な紙切れ類を整理、まだ要るかもしれないと思われるものだけを ファイルボックスに次々に押し込みました。

慣れぬ作業でありますので、やがてしばらくひと休み、息抜きと思って朝日新聞を眺めておりましたら、「平成落首考 2016年後半」という記事が掲載されているのに気づいてしまい、しばらく掃除のための事前作業を休止してしまいました。

朝日新聞の川柳欄、今年後半の優秀作品を紹介したものです。選者は西木空人という人物。この選者、なかなか鋭い選球眼の持ち主であり、朝日を含む、だらしないマスコミを批判する作品も遠慮会釈なく選んでおります。

すこし以前、朝日新聞が慰安婦報道やその他の報道で、政府や自民党などや他のマスコミなどから総攻撃を受けオタオタしていたときも、そのオタオタ振りを揶揄する川柳を選んだりしておりました。西木空人氏の選による川柳欄はどうやら朝日の紙面における聖域のようであり、朝日の首脳陣も手が付けられないようです。なかなか結構なことであります。

かようなしだいで、掃除の事前準備作業に疲れてしまいましたので、今日は、まったくの手抜きで、西木氏の今年後半の平成落首考から、勝手にGGIが更に精選した作品を紹介いたします

《ああテロかあああそこかと聞く鈍麻》

「鈍麻」、確かにその通です。これは7月1日のものですか、それから半年

《新聞にテロの字載らぬ日を探す》

アベ君が「わが党においては結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と国会で言い切ったのですが

《ではあれは押しくらまんじゅうだったのか》

菅官房長官の説明ぶりについて

《この一年問題ないで耳にタコ》

西木氏は以下のように解説しています。

「菅官房長官得意の切り捨て御免フレーズ。むろん、問題があるときに言う『問題ない』」が、この言い回しの根幹。ですが報道を見る限り、記者会見などでこれといった反論がでないようでず。」

まことに大マスコミ記者諸氏の従順ぶり、目を覆うばかりです

《よみがえる『兵隊さんのお蔭です』》

これは9月、臨時国会での所信表明の途中、アベ君が、領土や領海、領空の警備に当たる海上保安庁、警察、自衛隊の人たちに「今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、自民党の議員たちが一斉に起立、拍手したことを指した句です

「兵隊さんよありがとう」と申しますのは、かつての大戦中にはやった歌であり、GGIも存じ上げております。ご存知ないかたのために以下に歌詞を記しておきます。

「兵隊さんよありがとう」

肩をならべて兄さんと
今日も学校へ行けるのは
兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために戦った兵隊さんのおかげです

夕べ楽しいご飯どき
家内そろって語るのも
兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために傷ついた兵隊さんのおかげです

淋しいけれど母さまと
今日もまどかに眠るのも 
兵隊さんのおかげです
お国のために、お国のために戦死した兵隊さんのおかげです

明日から支那の友達と
仲良く暮らしてゆけるのも
兵隊さんのおかげです
お国のためにお国のために尽くされた兵隊さんのおかげです     

兵隊さんよ ありがとう 兵隊さんよ ありがとう

なんとこの歌、ウィキペディアさんによれば、大阪朝日新聞と東京朝日新聞が1938年(昭和13年)10月、「皇軍将士に感謝の歌」の懸賞募集を行い。その結果一等に選ばれたのが、「父よあなたは強かった」であり、佳作一席に選ばれたのが「兵隊さんよありがたう」であるとされています。朝日さんもいろんなことやっていたのですね!

この歌の最後の歌詞(明日から支那の友だちと・・・)、GGIはこれまで知りませんでした。この日記を書くために調べてはじめて知って、GGI、絶句いたしました・・・1938年には、まだ真珠湾なんかを攻撃しておりませぬが、日中戦争をすでに始めていたのです・・・

この歌をお聞きになりたい方は以下のサイトなどをご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=IeROFuS0cQ0

ということで、今日も脱線してしまいました。明日、続きをかくかもしれませんが、今日はこの辺で失礼いたします。

今日の写真は本文とは関係ありませぬ。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

グッドナイト・グッドラック! 

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干柿はいつが食べごろ?

2016-12-29 00:51:29 | 日記

先日、元大工のゴローさんがわがガーデンで収穫した柿で干柿を作ってわざわざもってきてくれました。

柿の実がたくさんなっても、ただ、たくさんなっているなあ、君たち少し(いい気に、あるいはいい木に)なりすぎじゃないなどと感心しているしか能がなき怠け者のGGIにとりましては、まことにありがたきことです

紐でつるした柿を十ほどもってきてくれたのですが、半分は「これ、うまそうやなあ」と欲しそうな顔をしていた知人に進呈しました

寒いところに吊るしておいたほうがいいとされているのですが、わが近代化しました新八重葎庵、残念ながら軒下はつるすことができるような構造になっておりませぬ。それでは庵内の温度が低いところがよかろうと、洗面所の隅っこに吊るしておきました。

なかなか干柿らしい、いい色になってきたのですが、干し柿って果たしていつごろが食べごろなのでありませうか

GGIはなんとなく、柿に含まれている糖分が表面に白い粉となって吹き出てきたころが食べごろではないかと思っているのですが、白い粉が表面に吹き出るにはかなり低温になることが必用であり、近頃は温暖化のせいか、当地ではそのような状態にはなかなか至らないようであります

そこで食べごろはいつごろなのかなあとネットさんに教えてもらいましたら、吊るし始めてから2週間もすればいいんじゃないとか、いや少なくとも一カ月は必要でせうとか、答はまちまち、結局は食べたくなったときに食べればいいのだという結論に達しました。

このようなことを書きますと、「GGIよ、なにをとぼけたこと言っているのや、情けないなあ、ためしに一つ食べてみてうまかったら食べごろやないか、自分で決めたらええのや、それをネットさんがどうのこうのなど、あんたには主体性というものがないのか、腹が減っていたらなんでも食べごろやないか、飽食時代で精神がたるんでいるのとちゃうか、アメリカさんがお情けで恵んでくれた余剰農産物やまず~い脱脂粉乳でも文句言わずに飲んだ、敗戦後の食糧難の時代を忘れるな!このたわけ!」とおしかりの言葉がとんできそうであります

まことにおっしゃる通りであります、「主体性」などというムズカシイ言葉を久しぶりに耳にいたしました。

なお、脱脂粉乳についての我が思い出を4月16日の日記に書いておりますので、年末でもお暇な方は以下のサイトをよろしければご覧くださいませhttp://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20160419

今日の写真は食べごろ到来と思われるゴローさんが作ってくれた干柿であります。クリックしてご覧になり、果たして食べごろかどうか、判定してくださいませ

グッドナイト・グッドラック!

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年末ジャンボはなぜ当たらないのか・・・第三の理由・・・

2016-12-28 01:18:03 | 日記

昨日の午後、もう今年も残すところわずか、年末だから新年のためにゴミ・ハウスの傾向を強めつつあるわが庵、なんとかこの傾向を阻止すべく少しは整理整頓しなければと思いながら、実はまったく別のことを考えておりました

考えていましたのは年末ジャンボ問題です。年末ジャンボはなぜ当たらないのかという大問題です。

あんなもの当たるわけがない、宝くじはギャンブルだ、だから買うヤツはバカだ、キャンブルは社会の敵だなどとおっしゃる方は論外であります。宝くじ、まずは買わなきゃ当たらないのですから。

しかしながら、買っても買っても当たりませぬ。なぜでありませうか、第一の理由はもちろん、1等が当たる確率が極めて低いということです。だから当たらない・・・これは当然のことです。でも、やっかいなのは、それでも当たる人がいるということです。誰かには当たるのです。場合によっては当たる人がいないという類のものもありますが、年末ジャンボはそうではありませぬ、当たる人が確かにいる、これが年末ジャンボ問題の複雑な点であります。

二番目の理由として、運がないのだということが考えられますが、このことを理由とすることには疑問があります。なぜなら、このような言い方は結果論であるからです。大金を当てた人を指して、世間は、あの日、運があったんだという言い方をしているだけであるからです。

ですから二番目の理由は運が云々ではなく、GGIの考えでは、信念ではないかと思います。これは当たる、絶対当てて見せるという信念が足りないからであろうということです。

人生においても信念が大切でありますが、ギャンブルも同じことであります。信じる者は救われる、「私は救われてもいいじゃないか、ねえ神さま、そうじゃありませんか」という強き信念です。GGIのわが人生、全体的に信念がかなり希薄でありましたが、そのことが年末ジャンボにおいても災いしているのではないかと考えています。どうせ当たらんやろう、でも一応買っておこうか・・・この信念無き買い方が災いしているのでありませう

こんな愚にもつかないことを考えていても仕方がないなあ、ひとつ今日は屋内の整理整頓に取り掛かろうと思い、乱雑極まる紙切れの山に手をつけました。何でもかんでも捨ててやろうと少しばかり勢いこんで取りかかったのですが、途中で書類の間からヘンなものが出てきました

黄色の小さな布袋です。何か札入れのような形状をしております。この袋を見たとたん、すぐに何の袋なのか、GGIはピンときました。これは希望の袋なのです。この袋の中に希望をいっぱい詰め込むのです。この黄色の袋は「宝くじ券入れ」なるもののです。年末ジャンボを買いますと、おまけにくれるのです。

買った宝くじをなくさないようにこの希望の袋にしっかり入れて、ひたすら希望が実現するときを待ちなさいという宝くじ発行主のあたたかき思いやりでなのでうす

袋を触ってみますと、何と中身が入っているようであります!そこでそっと袋をあけてみますと、小さな紙袋が出てきました。GGIはいつもバラで10枚買うことにしていますので、10枚の宝くじがこの紙袋に入っているはずであります

これはこれは、まことにラッキーかもしれない、まったく想定外の遭遇であります。昨年末に買ったジャンボ、当たっているかどうか調べるのを忘れてそのままにしていたんだ、もし1等5億円が当たっていたら、来年の1月初めまでは換金することができるはずだ!今ならなんとか間に合う、2等(2000万円)でもいいんだと祈るような思いで宝くじ10枚が入っている袋の封を切りました

全国自治宝くじ第669回と記されています。ところが・・・よく見てみますと、抽選日:平成26年12月31日、支払期間:平成27年1月6日から平成28年1月5日まで、と書いてあるのです・・・

何ということでありませうか、この宝くじ、昨年末ではなく2年前の年末ジャンボだったのです。そのため、もう支払期間を過ぎているのです。たとえ5億円当たっていても、支払ってもらえないのです!GGI、がっかりして当たっているかどうか番号を確かめることを放棄しました。そんなことをしても何の意味もないからです。

ここまでお読みになってお分かりの方もおられるかもしれませんが、宝くじが当たらない第三の理由は、宝くじを買っても当たったかどうか番号を確かめずに、そのまま放置しておくことなのです。これでは、たとえ神さまがついていても、当たりようがないではありませんか!

けれども、このようなアホな人はGGIに限らず世間には結構いるのです。たとえば、これはかつて別のブログにずいぶん前に書いたのですが、2008年12月の新聞に、忘れ物と題して、前年の年末ジャンボ1等2億円が二本、まだ誰も受け取りに来ていませんよ、もうすぐ支払期間が過ぎますよ、と注意を喚起する大きな広告が掲載されているのです!

見てもいいよとおっしゃる方は以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20081210

みなさんも、宝くじに限らず、人生の忘れ物に注意いたしませう

今日の写真は忽然と姿を現した黄色の布袋、宝くじ入れと10枚の年末ジャンボが入っている紙袋を撮ったものです。クリックしてご覧になるに及びませぬ

グッドナイト・グッドラック!

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フラクタルなナンキンハゼの枝たち・・・

2016-12-27 01:12:39 | 日記

この秋、何度も何度もナンキンハゼ君がこの日記に登場いたしましたが、そのナンキンハゼも冬に入って葉っぱがすっかり散ってしまい、枝だけになってしまいました、

今日の写真は葉っぱがすっかり消え失せたナンキンハゼ君の全景を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

ナンキンハゼの大きな幹は分岐して何本かの大きな枝となり、これらの大枝はそれぞれ何本かの小枝に別れ、それらの小枝たちはそれぞれさらに何本かのより小さな枝へと別れ、それらの小枝たちもそれぞれさらに何本かのより小さな枝へと別れ、それらの小枝たちもそれぞれさらに何本かのより小さな枝へと別れ、それらの小枝たちもそれぞれさらに何本かのより小さな枝へと別れ・・・・

その結果、写真でご覧のように、全体としてとてもステキなシルエットを呈するに至っています。

ナンキンハゼの枝、一見したところ不規則に、ランダムに枝分かれしているように思えますが、そうではありませぬ。

最近の研究によれば、木々の枝はランダムに枝分かれしているのではなく、一定の法則に従っているとされています。

一定の法則というのは「フラクタル理論」と称される幾何学における理論です。これはいわゆる「複雑系」に関する理論であり、一言で申し上げれば、一見複雑に見える形状にも一定の法則が存在している、という理論です。

この理論によりますと、雲の形、山の起伏、樹木の枝、動植物の組織など、一見複雑な形状のものでも、その一部分を拡大すると元の図形と同じになる「自己相似性」をもつものが多いとされており、そのような特徴を有する図形は「フラクタル図形」と称されています。

すなわち、木々の枝分かれの仕方について言うならば、大きな幹や枝の枝分かれの仕方と小さな枝の枝分かれの仕方は同じ形、つまり相似形なしているということです。

実はこの自然界にも存在しているフラクタルな世界については今年4月27日の日記すでに若干詳しく書いておりますので、まあ、どうでもいいけど、もう一度読んでもいいよとおっしゃる方は以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20160427

GGIよ、今日はいったい何を言いたいんだと思われる方もおられることと存じますが、要するに、今日の日記で申し上げたいことは、青々と茂った夏のナンキンハゼも、色づい秋のナンキンハゼもステキですけれども、冬の、すっかり葉っぱが姿を消して枝だけになってしまったナンキンハゼの姿もステキだということです、冬のナンキンハゼのフラクタル理論にしたがった素晴らしき枝分かれぶりが生み出しているポエチックな光景をとくとご鑑賞いただければ、ということであります。

グッドナイト・グッドラック!

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極上ワインの栓が抜けない・・・

2016-12-25 23:56:25 | 日記

昨日の朝、八時前にピンポ~ン、チャイムが鳴りました。日曜日のこんなに早く、まだ惰眠の最中なのに誰かなと思って玄関にでましたら、市のシルバー人材センターのオジサンたちでありました、そうだ今日はわがガーデンの木々の剪定などをしてもらう日だった・・・

すっかり忘れておりました、でも今日は病気の知人の見舞いに行かなければなりませぬ。やむを得ず、庭の手入れに来てくれたオジサンたちにカクカクシカジカで今から外出しなければなりませぬ、あとはよろしくとお願いをいたしました。帰ってくることにはわがガーデンはすっきりしていることでありませう。

午後10時過ぎ、知人宅に向けて出発、11時半着。午後2時ごろには東京から知人の娘とその娘もやってきて賑やかになりました。

これで全員集合、まずはGGIが持参した今年最高のボージョレ―ヌーボーで乾杯ということになりました

GGIよりも頭半分は背の高い、大女と言ってもよさそうな元気溌剌の知人の娘が「私が栓を抜く!」と張り切って、左右両側にレバーが付いている栓抜きで栓を抜こうとしました。ところがうまく抜けませぬ。コルク栓のくずがボロボロとこぼれるだけです。何度試みても、開けた穴が大きくなるだけ、どうにもなりませぬ。これではダメだとフォークなどの尖ったもを大きく開きすぎてしまった穴に差し入れてコルク栓を抜こうとしたがうまくいきませぬ。あれこれ試してみたもののいずれもダメ・・・

一同、極上ワインを目の前にして出てくるのはワインではなくため息ばかりであります

そこでGGIは厳かに宣告いたしました

「諸君、私はこの日のために、極上ワイン2本、レバー付き栓抜き1個、小ぶりのワイングラス数個、外国産の上等チーズ数種類、ヒイラギ代わりのナンテンを添えた若干の花々、それにクリスマスソングのCDを持参したのだ。それなのに主役を演じるべきボージョレ―・ヌーボー、その栓を抜くことができない、そのために飲むことができないとは何事だ、これではクリスマス・パーティはだいなしではないか!」

そうしましたら知人の娘が申しました

「御説ごもっともでございます。私どもも東京から娘と二人、往復たいまい6万円近くをかけて馳せ参じたのでありますから、今年最高のボージョレ―ヌーボーを口にすることができないようでは、何のための来たのかわかりませぬ」。

「つきましては、今日参ります時にこの近くにお酒の量販店のような大きなお店を目にいたしましたので、これから私と娘がこのお店にでかけ、栓を抜いてくれるよう頼んでみることにいたします」

知人とその娘が酒店に出かけてから待つこと三十分、二人は意気揚々と帰ってきました。

「うまくいった!お店のオジサン、親切な方でいろんな栓抜きを試してみてもダメなので、最後に商品棚においてあったまだ封を切っていない売りもの新しい栓抜きをケースから取り出して試してみたら見事成功、感動感動、感謝感謝や!」

かようなしだいで、みなさん、無事念願の美味なるワインを口にすることができました。

知人もことのほか元気で、ワインを楽しみチースを味わっておりました。まことにヤレヤレであり、まあこの様子であれば知人も無事正月を迎えることができるであろうと、GGIも少しほっと致しました。

午後6時、知人の娘とその娘ならびにGGIはタクシーで帰路につきました。JR山科駅で東京に帰る二人と別れました、別れ際に、この気のいい、小さいころからよく知っている、大女である知人の娘は「おじちゃん、ぶっ倒れたらすぐ電話してね、いつでも駆けつけるから」などとまことに嬉しきことを申しますので、「そやなあ、今日ワインの栓を抜くことができなかったことのA級戦犯は君やからなあ、そのくらいの埋め合わせはしてもしていいよなあ、でも新幹線代、かかるから、まあお気持ちだけいただいておくことにしよう!」と感謝の意を表しておきました

帰宅したのは午後7時頃、すっかり暗くなっておりましたが、わがガーデン、シルバー人材センターのオジサンたちのおかげで見違えるようにスッキリしておりました。

あまりにも周囲がスッキリいたしましたので、目立つのはガーデン中央に位置している総太りダイコン君とコカブ君たちだけであります。その青々した葉っぱだけがやけに目立ちます

GGIは夜空に向かって叫びました

「おいダイコンとコカブを植えていった我が知人よ、いったいどうなっているんだ、わがガーデンでは今やダイコンとコカブだけが大きな顔してガーデンの真ん中に鎮座しているぞ。早く収穫に来てくれ!」

待ち人、果たして年内に姿を現すでありませうか・・・・

今日の写真はスッキリしたわがガーデンの夜景です。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

グッドナイト・グッドラック!

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