UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

アベ君の所信表明の言葉から「古い古い」軍歌を思い出してしまった・・・

2018-10-26 01:48:16 | 日記
一昨日の10月24日、アベ首相が所信表明演説を行いました。昨日の朝日新聞夕刊で「素粒子」氏が演説を批判して以下のように書いておりました

《「強い日本」「誇りある日本」。像を結ばぬ首相の所信表明。国民に呼びかけるなら美辞麗句ではなく具体的に》

昨日の朝刊に掲載されていた演説文を見てみましたら、たしかにアベ君は冒頭でそのようなことを言っておりました。しかし、素粒子氏は何を勘違いしているのでありませう。「強い日本」や「誇りある日本」という表現は美しくも麗しくもありまぜぬ、きわめてありきたりの表現です。ですから、美辞麗句なんかではありませぬ。

美辞麗句であるならば、たとえば「世界に冠たる強き日本」「敷島の大和心のごとき誇り高き日本」とでもいうべきであるからです。

アベ君の「強い日本」「誇りある日本」は美辞麗句なんかではありませぬ、その実現性のほどはともかく、彼の潜在的な?具体的願望なのです。

などと、またしても朝日の悪口を書いてしまいましたが、それはともかく、このアベ君の言葉から、やっぱり本音はそうなんだあ、「強い日本」というのは軍事的にも経済的にも強い日本、つまり相も変わらず「富国強兵」のことなんだあ、アベ君はできることなら富国強兵を実現することを通じて「誇りある日本」にしたいのだ、とGGIは素直に理解いたしました。

このアベ君の発想は、再度申しますが、その実現性は別として、「なんとかして世界の列強に伍したい」という明治の政治家や軍人たちの発想とたいして変わりないなあ、強兵かあ・・・などとぼんやり考えておりましたら、勇猛なる「古い」軍歌を思い出してしまいました。GGIは太平洋戦争開戦の年に生まれましたので軍国少年ではないのですが、どういうわけかこの軍歌だけではなく、いろいろな軍歌を知っており、いまでも歌うことができまする・・・

「強い国」「誇りある国」かあ、あの古い軍歌とかわらんなあ・・・

「敵は幾万」という軍歌です。この軍歌、太平洋戦争か日中戦争のころの軍歌かと思っていたのですが、ごく最近、この軍歌がもっともっと以前の古い軍歌であることをGGIは偶然知りました

今年の終戦記念日の翌日に出版されたばかりの「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」という本(方丈社)を読んでいましたら、この軍歌が古いものであると記されていたのです。

この本、太平洋戦争開戦の日(1941年12月8日)の様々な人物の日記を集めたものです。日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったことを報じるラジオのニュースを聞いて、当時の人々がどのように受け止めたのか、作家や知識人や軍人など55人の日記・回想録から抜粋した本です。

(この本の内容はなかなかスゴイものです。これはトンデモ本ではないかと思われるぐらいびっくりする内容ですが、すべて事実です。GGIはまじめに大推薦いたします。立ち読みでも十分読めるぐらいの長さですので、だまされたと思ってお読みになられるよう勝手にキボ―します)

この本の最後に番外のような形で、太宰治の「十二月八日」と題された短編小説が紹介されていました。この小説、ある作家(おそらく太宰治自身)の奥さんが記した12月8日の日記という形をとったものですが、この短編のなかに以下のようなことが記されていたのです。

《ラジオは今朝から軍歌の連続だ。一生懸命だ。つぎからつぎと、いろんな軍歌を放送して、とうとう種切れになったか、敵は幾万ありとても、などという古い古い軍歌まで飛び出して来る始末なので、ひとりで噴き出した。放送局の無邪気さに好感を持った・・・》

そうだったのかあ、知らなかったと思ってウィキペディアさんに教えてもらいましたら、元は、1886年(明治19年)に刊行された詩集に収録されていた、「戦景大和魂」という詩であるとのこと(軍歌として作曲されたのは1897年、明治30年)。太平洋戦争当時、大本営が戦勝のニュースを発表する際、この軍歌がさかんに流されていたそうです。

みなさん退屈なさるかもしれませんが、以下に歌詞を紹介しておきます。歌を聞いてみたい方は動画のサイトもありますのでご覧になってくださいませ
一、
敵は幾万ありとても
すべて烏合の勢なるぞ
烏合の勢にあらずとも
味方に正しき道理あり
邪はそれ正に勝ちがたく
直は曲にぞ勝栗(かちぐり)の
堅き心の一徹は
石に矢の立つためしあり
石に立つ矢のためしあり
などて恐るる事やある
などて猶予(たゆた)う事やある

二、
風に閃く連隊旗
記紋(しるし)は昇る朝日子(あさひこ)よ
旗は飛びくる弾丸に
破るることこそ誉れなれ
身は日の本の兵士(つわもの)よ
旗にな愧(は)じそ進めよや
斃るるまでも進めよや
裂かるるまでも進めよや
旗にな愧(は)じそ耻(は)じなせそ
などて恐るる事やある
などて猶予う事やある

三、
破れて逃ぐるは国の耻
進みて死ぬるは身の誉れ
瓦となりて残るより
玉となりつつ砕けよや
畳の上にて死ぬことは
武士の為すべき道ならず
骸(むくろ)を馬蹄にかけられつ
身を野晒(のざらし)になしてこそ
世に武士(もののふ)の義といわめ
などて恐るる事やある
などて猶予う事やある

軍歌として作曲されたのは日清戦争(1894~1995年)の二年後です。それ以来、いや日清戦争以前から、わがニッポンは「強い日本」を目指してきたのです。でも敵は「幾万」どころではありませんでした。それに「味方に正しき道理」もありませんでした。そして今、またしても「強い日本」とは・・・

今日の写真は「強い日本」ならぬ「美しき日本の秋」を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
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1 コメント

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Unknown (趙王回車)
2022-04-13 19:39:28
「敵は幾万」いいですよね。
私は、運動する際は軍歌をよく聞いておりますが、最近は「敵は幾万」がお気に入りです。
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