UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

超初級貧困問題講座、まずは誰かに伝えてくださいと言われてしまったので・・・

2017-10-31 01:54:10 | 日記

この日曜日は台風のせいで、それほど激しくはありませんでしたが、一日雨でありました。

しかしながら、GGIは雨の中をショボクレテさまようのは嫌いではありませんので、雨ついでに少しお勉強にでかけることにしました

数週間まえの新聞の行事案内欄に《貧困問題を「学ぶ・伝える」レクチャーセミナー》なる催しが近くの公共施設で行われると書いてありましたので、たまには少しは真面目に勉強してみようとなどと、われながら殊勝なことを思い立ったのです。GGIの知人の中には貧困ラインすれすれの暮らしではないかと思われる家庭の人もいないわけではありませんので、勉強にでかけたのです。

この催しを主催したのは2008年年末の「年越し派遣村」で中心的な役割を果たして広く知られるようになったNPO法人「自立生活支援センター・もやい」です。理事長の大西連氏によるレクチャーやワークショップがその内容です

この催し、募集人員は50人とのことでしたが、参加者は二十五人ぐらい、やや閑散としておりました。参加者の大半は、市内でホームレスの支援の夜回りをしているグループ、フードバンクの活動をしている団体、その他社会福祉関係の方々や学生さんのようでありました

大西氏のレクチャーは盛りだくさんでGGIのオツムには十分に入りかねたのですが、最後に「みなさんが今日から明日からできることを考えませう。まずできることは、してほしいことは、今日勉強した内容を誰か他の方に伝えることです」と述べられていました。まことにごもっとであります

かようなしだいで、今日はこの貧困問題についてのレクチャーのごく一部を、貧困問題の基礎知識を、ごくごく簡単にお伝えすることにいたします。もう、そんなことぐらい知っているよ、と言われる方もおられることと思います。少し退屈かもしれませんがしばしおつき合い願えれば幸いです。

《貧困の定義》

「絶対的貧困」
1日1.25ドル以下での生活(全世界で約9億人、人間開発報告書)。一日に1.25ドルというのは一日百円少々で暮らしていることになります。日本人の感覚では極貧を通り越す貧困、飢餓に近いくらしと思われます。世界銀行の調査では、1日1.25ドルで暮らしている人々は1990年には36.4%でしたが、2011年には14.5%まで下がっています。今後も減っていく見通しとのことです。

「相対的貧困」
国民一人ひとりを所得ごとに順番にならべ、真ん中に位置している人の所得(中央値)の半分に満たない場合に貧困であるとされています(所得の平均値の半分ではありません)

日本における相対的貧困率の推移を写真で示しておきましたので、拡大してご覧ください。(全体的な貧困率は1985年には10%台、子どもの貧困率は9%台でしたが、その後上昇しつづけており2012年にはいずれも16%台に達してます。しかし、このグラフには示されていませんが2015年のデータでは1985年以降初めて減少に転じており、全体的な貧困率は15%台に、子ども貧困率は13.9%にまで下がっています。全体で、6~7人に一人は「貧困」状態にあることになります

《貧困率の国際比較》
日本に相対的貧困率は:世界第3位の経済大国であるにもかかわらず、OECD諸国(現在は欧米諸国を中心に35カ国が加盟)の中での順位は下から6番目に過ぎません(貧困率が6番目に高い:2009年)。

《日本における貧困ライン》:
最近の日本における最近の貧困ラインは以下のとおりとされています。ただし国民の所得は毎年変動しますので、貧困ラインの金額もそれにつれて変動します。最新のデータに基づくと

単身   =約122万円(10万円/月)

二人世帯 =約173万円(12.4万円/月)

三人世帯 =約211万円(17.6万円/月)

4人世帯 =約244万円(20万円/月)

(貧困ラインは可処分所得を世代人員の平方根で割って調整した「等価可処分所得」と称される値の中央値の半分」の値と定義されています).

 《母子家庭の貧困問題》

母子家庭の就労率:約80.6%(非正規率52.1%)

平均年間就労収入 約181万円

母子家庭の貧困率 約54.6%

貧困率が極めて高く、母子家庭の半分は相対的貧困に該当していることになります

 《最低賃金制》
最低賃金でフルタイムで働くと、収入は

737円×8時間×5日=11万7920円

11万7920円×12か月=141万5040円

 《非正規老労働者の増加》
非正規労働者は増加の一途をたどっています。1990年には15.3%でしたが2000年には25%、2010年には34.3%、2013年には36.7%に達しています(総務省労働力調査)。厚労省の調査では2015年にはついに4割に達した(2000万人超)とされています。今後も増えることはあっても減ることはないのではないかと思われます。

なかでも深刻なのは若年労働者において非正規雇用がどんどん増えていることです。

たとえば25歳~34歳の非正規労働者は1990年の106万人から、2014年には300万人にまで増えています。

などなどなど、まだまだあるのですが、とりあえず今日はここまでです。また書くかもしれません

なお、NPO法人・「立生活支援センター・もやい」の活動などについて知りたい方は以下の公式サイトなどをご覧くださいませ

http://www.npomoyai.or.jp/

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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京阪電鉄石坂線さんによる不正乗車の誘惑・・・

2017-10-30 01:18:44 | 日記

世の中、いろいろな誘惑が存在していますね。GGIは誘惑と親和性がいいので毎日たいへんです。

誘惑にはいろいろあります。いちばん身近でついつい負けてしまうのは「怠惰」と言う名の誘惑ですけれども、きわめて日常的な誘惑の一つに「不正乗車」の誘惑というものがございます。

最近はイコカなどのプリペイ・カードを利用している方が多く、そういう方々には無縁な誘惑なのですが、GGIはカードが必要とされるような忙しき生活はしておりませぬ。ですから、その都度、自動販売機におカネをほうりこんで買う主義です。自販機におカネを入れるときには、不正乗車の誘惑が常に存在しております。

GGIは清き正しき良識ある小市民であると自負しておりますので、不正乗車なんてとんでもないことだ、イケナイことだと常日頃考えています。たしかにそう考えてはいるのです。しかしながら、二両連結であるところの京阪電鉄石坂線さんの駅に貼ってある実に魅惑的なポスターを目にしますと、思わずオツムがクラクラして誘惑に敗けそうになってしまうのです。

今日の写真は、この誘惑に満ち満ちたポスターを撮ったものです。ぜひクリックしてご覧くださいませ。ポスターに曰く、

《係員不在時は ご使用済の乗車券は「集札箱」にお入れください》

坂本や石山寺という終点の駅や京都への分岐点である浜大津の駅は別ですが、その他の小さな駅では、確かにこのポスターに書いてあるとおり、改札口の近くに「集札箱」と書かれた小さな箱が設けられています。

まことにリッパなことが書いてあるポスターであります。乗客の良心に全幅的な信頼を寄せているのです、不正乗車をするような不心得な市民なんかいるはずがないという前提に立ったポスターであります

でもですねえ、京阪電鉄石坂線さま、このポスターを見れば、誰だって思いつくではありませんか。そうかあ、係員がいないときであれば降りるときに切符なんて持っていなくても大丈夫なんだあ、キップばなくても大手を振って降りることができるんだあ・・・・それなら・・・ここで何となく不正乗車への誘惑が芽生えてしまうのです

不正乗車の一つに「キセル乗車」というのがありますね。いまやキセルそのものをを目にする機会がほとんどありませんので「キセル乗車」という言葉も死語に近いかもしれませぬが、ウィキペディアさんの定義によりますと以下のような行為を指すとされております。

《鉄道運賃は、乗車駅から降車駅までの乗車券を買わなければならない(乗り越し制度がある国では車内や駅改札にて精算することもできる)。しかし、乗車駅からその近くの途中駅までの乗車券と降車駅の近くの途中駅から降車駅までの2枚の切符を使用して両方の改札を通った場合、これは不正乗車に当たる。これをキセルと呼ぶ。》

正確に申しますと京阪電鉄石坂線さんの場合はキセル乗車ではなく半分キセル乗車ともいうべき不正乗車の方法が十分に可能なのです。つまり、乗るときにどこか近くの駅までの切符を買いさえすればいいのです。降りる時は係員さんがいなければフリーパス、切符は二枚でなく一枚で済む「半キセル乗車」とも言うべき行為がその気になれば可能なのです。そうだよなあ、可能なんだあ、可能なんだよなあ、どうするかなあ、どうするかなあ、と心は知事に千々に乱れます・・・これが誘惑ではなくて何でありませうか!

ですから、このポスターは「不正乗車のススメ」であると言ってよいでありませう

日中は小さな駅でも駅員さんがいることが多いのですが、夕方から夜にかけて、また日曜などの休日は駅員さんがいないことが多いのです。ですから正しい乗車券を買って、電車を降りてから駅員さんがいないことに気付いて、しまった、半キセル乗車をすれば良かったと思いながら「集札箱」なるものに使用済み切符を無念の思いで入れてしまうことがしばしばあります。

でもですねえ、京阪電車さんのこの方針はあまり徹底されていないのではないかと思われることもあるのです。世間に公言した方針でありますから、方針は方針としてもっと徹底してほしいと思うことがあるのです。

改札口が車両の先頭方向にある駅で、後ろの車両から下車して、しめしめ今日は駅員さんがいないので半キセルができる思いながらプラットホームを前のほうに進んでいきますと、ふつうは運転席の横を通っても運転者さんは知らぬ顔をしていますので半キセル成功ということになるのですが、マジメな仕事にきわめて熱心な運転手さんの場合は、ポスターに書かれている方針を無視して、運転席から顔をだして切符を渡すよう求めたりすることがあるのです。この場合は当然ながら乗り越し分を払わざるを得ないことになります。残念・・・

GGIも一度大失敗したことがあります。夜遅くに京都の三条駅から半キセル乗車し、わが庵に近い駅でおりたのです。シメシメ、今日は半キセルのおかげで大節約だと思いながら、ぶらぶらプラットホームを歩いていきましたら、運転手さんが運転台から顔を出して待ち伏せしておりました・・・ああ、なんていうことでありませう、あえなく半キセルに失敗・・・

京阪電車さんも、結構考えていらっしゃるようです、夜遅くは半キセルの乗客が多いので注意しなさいと運転手さんに言っているのでありませうか・・・

【謹告】京阪電鉄石坂線さまゑ、
いまここに書きましたことは全部嘘っぱちです。信用しないでください、真実はひとかけらも存在しておりませぬ、湖都の市民はみんなみんな正しい乗車をしているのです。どうかお信じくださるようお願い申し上げます

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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城下町「大栗おまんじゅう物語」続編:あつかましいのは女の子・・・

2017-10-29 01:07:07 | 日記

今日の日記は、昨日の高校門前にあるお菓子屋さんの物語のつづきです。

昨日の日記にも書きましたが、この小さな和菓子屋さんのあるじは今年86歳のオバサンです、お婆さんという雰囲気はまったくありませぬ。高校時代の同級生のお姉さんです。ほかにお客さんはありまでんでしたので、GGIを相手にいろいろな話を聞かせてくれました。

「そやけどなあ、この頃はいろんなお客さんがいはるからたいへん。小さなおまんじゅう、一個だけ買って、《おばちゃん、それパックに入れて包装紙かけて袋にいれてちょうだい》って言わはるんや、手間もかかるし、そのために小さなパック、用意しておかないかんし・・・」

過剰包装があたりまえの時代です。でも包装の大半は無駄でありますから、おっしゃる通りであります。GGIが買って帰った大栗まんじゅう、何にも包まず、そのまま小さな紙袋にポンと入っておりましたが。まことにお見事、それで十分なのです!

「この校門前の通り、そこの高校の生徒さんがよう通るやろ、そやから栗の季節になると、まだイガがついている栗、イガ栗を店頭に並べておくことにしているのです。そうすると通りかかった生徒さんが《おばちゃん、これ何?》と聞いたりします。それで《わからんのか、これは栗や》と答えると《えっ、これが栗!おばちゃん、ほんまか?》とびっくりしはる。このごろの子、イガがついた栗なんか見たことないのやろうなあ、栗の実しか見たことがないのや。それで私、《あんたら、学校で難しいこと勉強してるのに、こんなことも知らんの》って言うてやるんです」

そういえば。いが栗頭という言葉も今では死語に近いような気がいたします。

「それになあ、生徒さんのなかには、朝いちばんに店にきて《おばちゃん、これ、一個だけ試食させてえ》と言ったりする子がいたりします。そんな子には《あんたなあ、うちはこれから一日のお商売を始めるところや、あんたにあげたために足りなくなったらお客さんに失礼やろ、そやからあかん、でも夕方になってまだ売れ残っているのがあったらあげるから》と答えるのやけど、こんな厚かましいこと言うのは必ず女の子や、男の子はそんなこと言いません」

まことにワッハッハでありますが、このオバサン店主、根はなかなか親切な人物、感心してしまいました。

「ところで、おばさん、この家、古いなあ、戦前の建物でしょう?」

「そうや、店の方は改築したりしてるけど、この店、今年で創業107年、そやから築107年以上や」

「107年かあ、すごいなあ、そう言えばボクの家の近くの酒屋さんも創業100年ちょっと、でも最近、とうとう建て替えはった」

「ああ、知ってます。○○の酒屋さんやろ、お寺さんの門前の。うちはそんなおカネない。でもなあ、大工さんは言うてはる、ときどき修理して手入れすればまだまだもちますって」

まことに元気いっぱいの今年86歳のオバアサンならぬオバサンでありました。これからも末永くこのお店が続くことを祈ってお店をあとにしました

お店を出て振り返りましたら女子高生が二人、お菓子屋さんのショーケースを熱心にのぞき込んでいました。

今日の写真はこの二人の高校生を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。この生徒さんも「オバちゃん、一個だけ試食させてえ」とでも言うのでありませうか?

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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城下町「大栗」おまんじゅう秘話・・・

2017-10-28 01:35:03 | 日記

昨日は秋晴れの一日でした、青空には一点の曇りもありません。「一点の曇りもないとはこういうことだよ」とあのアベ君に説教してあげたいぐらいの青空でありました

おカネがなくなったので城跡の公園の近くにある郵便局へ行きました。おカネをおろしてから、天気はいいし、さてどうしたものかと迷ったのですが、久しぶりに京阪電車さんの駅前通りでもある今やシャッター街と化してしまった大通りを駅の方へ向かって彷徨することにいたしました。

この通り、むかしは商店が軒を連ねていたのですが、今では駅前の薬屋さん、わが母高校門前の本屋さん、大通りから高校の正門へと向かう道、本屋さんの向かい角のお菓子屋さん、それにお茶屋さんしか残っておりませぬ、以前はお肉屋さん、八百屋さん、魚屋さん、お米屋さん、金物屋さんなどいろいろのお店が並んでいたのですが・・・

ぶらぶら緩やかな坂の大通りを駅の方にむかって上っていきまたら、高校正門前のお菓子屋さんに遭遇しました。ガラスのショーケース、その棚にいろいろな和菓子さんがならんでおります。GGIが幼少のころかある古い小さなお店ですが、中学・高校時代の同級生の実家でもあります。

GGI、あまり和菓子を食べる趣味はございませぬ。ですからこれまでこのお店で和菓子を買ったことはほとんどないのですが、なんとなくショーケースをのぞき込みましたら、下の段の右端に「大栗 250円」の札が付けらえたおまんじゅうが鎮座しているのが目に入りました

このおまんじゅう、大きいのです。「大栗」の名に恥じることのない大きさ、直径10センチ近くはあるのではないかと思われる大きさです。

今日の写真はこの「大栗」を撮ったものです。となりにあるお湯のみの大きさとくらべてみてください。

GGI、これはすごいなあ、クリいっぱいでうまそうだなあ、一個250円、すこしお値段がはるようでありますが、その価値はあるよなあ、と感心して衝動買いをすることにいたしました。

お店の中に足を踏み入れたのですが人の気配がありませぬ、お客さんが来たことを知らせるチャイムが鳴っているのですが誰も出てきませぬ、しかたがありませんので、お店の奥の土間のほうをのぞきこんで叫んでみました

「すみませ~ん、誰かいはらへんの~」

しばしの静寂の後、奥の方からゆっくりとおばさんが姿を現しました、年のころ、GGIよりは若そうであります

「あの~、あそこの大栗、一つほしいのですけどぉ」

このおばさん、わかりましたとうなづいて、しばしGGIの顔を見つめてのたまひました

「あなた、うちの弟と学校で、高校で、同じだった人と違う?」

エッ!でありました、GGI、絶句いたしました。GGIはこのオバサンと話すの初めてです。そうかあ、高校時代、放課後にはよく向かい側の本屋さんやこのお菓子屋さんのあたりをうろついていたからなあ、このお店に出入りしたかどうかは定かではないのですが、友人宅ということで遊びに行ったことがあるかもしれんなあ・・・・・

しかし、いずれにしましても半世紀以上の遠き遠き昔のことであります、記憶は遠い霧のかなたです。でも。〇〇君はおっとりした、学校で一、二を争う頭のいい少年であったことはよく覚えております。

「えっ、覚えてはったんですか!確かにそうです、ボク、〇〇君とは中学と高校で同じでした。そうしましたら、失礼ですけど、おばさんは〇〇君の妹さんですか?」

「いえ、姉です、といってもここに嫁いできたので義理の姉ですけど、10歳上です」

「えっ!10歳もうえ?!」

「そうです、今年、わたし、86歳・・・」

「えっ!86歳!ボクは昭和16年うまれやから、そうすると昭和6年の生まれですか?」

とても信じられませぬ、髪は黒々、腰はシャン、言語いたって明瞭、信じ難きを信じるしかありませぬ

「〇〇君、いまは確か東京におすまいでしょう、このお店はどなたが・・・」

「私がやっています、私一人でやっています。あの《大栗》、私が考えて作ったのです」

「えっ!おばさんが考えて作ったの!」

「そうですぅ、以前、観光で行った先のお菓子屋さんで大きな栗饅頭をみかけて、それにヒントを得て考え出したんです」

「すごいなあ、これ、クリたっぷりでほんまにおいしそうや」

「大きいから四つに切ってお食べになってください、なんらなお切りしておきましょうか」

「いや、切るくらいは自分でできます。でも、まずは切らすにおいて、この大栗さまのお姿をしっかり拝ませていただくことにします」

「そんなたいそうなものやないですよ、でも、あのショーケース、上の段のお菓子は仕入れたものやけど、下の段のお菓子は全部わたしの手作りなんですよ」

「えっ!それならオバサン、毎日お菓子作りしてるんですか!」

「そうです、ここへ嫁いできたのですが、主人が早くなくなったので、もう50年も独りでやっているのです」

「うわ~、ほんとですか、すごいなあ、オバサン、スーパーウーマンやなあ」

「スーパーか何か知らんけど、このごろスーパーで何でも売ってはるから、小さな店はどこもたいへんや・・・」

まことに驚きの連続でありました。

このシャッター街の写真を今年の二月の日記に載せておきまたので、よろしければ以下のサイトをご覧ください。画面の右側の端っこに小さく、このお菓子屋さんの日除けのテントが写っています。

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20170222

また、このお菓子屋さんのショーケースの写真も昨年のいまごろの日記に載せておりました。よろしければ以下のサイトをご覧ください。ショーケースの下の段、右端のお菓子が「大栗 250円」です

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20161026

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お店でコーヒーを派手に床にばらまいてしまったけれど・・・

2017-10-27 02:08:22 | 日記

GGIはほぼ毎日スーパーへ買い物にいきます、ときにはコピーをとりに行ったりもいたします。買い物をすませますと自動販売機で紙コップ入りのコーヒーを飲むことになっております

十日ほど前であったでせうか、近くの平和堂さんのスーパーで買い物をすませ例の如く熱いコーヒーを立ったまま飲もうとしましたら、すこしよろめいてコーヒーの入った紙コップが揺れ、紙コップからコーヒーが飛び出し、床にこぼれてしまいました、

あっ、しまったと思い、サービスカウンターにいた店員さんのところに行き、コーヒーをこぼして床をよごしてしまった、と告げました。店員さんは、わかりましたと、すぐにペーパータオルとモップを持って来て床にこぼれたコーヒーをきれいに後始末してくれました。まことに感謝でありました。

そして、先週の週末、このスーパーでまたしてもコーヒーをこぼしてしまったのです。今度はぼしまたではすみませんでした。ばら撒いたというべきでありませう。カートを押しながら、コーヒーの入った紙コップを左手から右手に持ちかえようとして手元が狂い、紙コップはGGIの手を離れて落下・・・

コーヒーは全面的に散乱、床には気絶して横たわっている紙コップ。GGIのズボン、社会の窓を中心に全面的にコーヒー漬け、床一面コーヒーの洪水・・・

アッチャーであります。大事故であります。ハンカチでズボンにかかったコーヒーを拭いながら、いそいでまたサービスカウンターに行き、すこし太目の女性店員さんにカクカクシカジカと申しまた。この店員さんも、いそいでモップとぺーパーータオルを手にして事件現場にとんできまして、まず申しました

「お客さん、大丈夫ですか、火傷していませんか」

まことにありがたきお心遣いであります。幸い、ズボンの内側までは滲みておらず、火傷は免れました。もう秋だからいつまでも夏のズボンではなあと思い、先日すこし厚手のズボンに替えたばかりありましたので火傷を免れたのでありませう

店員さんがセッセと床の掃除をしているあいだ、GGIはセッセとズボンをハンカチで拭いておりました。店員さんがすっかり後始末をおえますと、GGIは迷惑をかけたお詫びと感謝の言葉を丁寧に申し上げました

店員さんが去っていってから、二度もコーヒーをこぼすなんて、いよいよ後期高齢者らしくなってきたなあと嘆きつつ、でもあのコーヒー、ひと口も口にしないうちに全部こぼしてしまった、とにわかに悔しさがこみあげてきました。そしてこの悔しさを癒すべく、もう一回コーヒーを買い、慎重に最後の一滴まで飲み干しのでありました

わが庵に帰還してやれやれと一息ついておりましら、ハンカチを忘れてきたことに気づきました。あっ、ハンカチ忘れてきた、でも、まあ、コーヒーで汚れた、それにGGIのよだれや鼻水で汚れた安物ハンカチだからいいか、と放置しておくことにしました

そして昨日、コーヒーを大散乱させたこともすっかり忘れて、またこのスーパーに出かけたのであります。お店に入りますと、大散乱の後始末をしてくれた店員さんがGGIの姿に気づいて話しかけてきました

「お客さま、先日、ハンカチ、お忘れではなかったですか?」

「あっ、そうや、あのとき慌てていて、忘れてかえってしもうた」

「そうでしょう、あのハンカチ、洗っておきました。もう乾いているかと思います。いまちょっと見てきますので、お待ち願えますか」

まつことしばし、店員さんはきちんとたたんだハンカチを手に戻ってきました。

GGI、まことに心から感激してしまいました。あんな汚れたしわくちゃのハンカチ、捨てられてしまっても仕方がないと思っていたのに、見違えるようにキレイになって帰ってきたのであります!

これは文字通り想定外の展開でありました。GGI、もちろん大感謝と恐縮の弁をていねいに言葉を尽くして申し上げました。

長生きしておりますとたまにはいいことがあるのでございます。みんさんもときどきコーヒーをこぼしてみませう!

今日の写真は別の大きなスーパーさんの片隅を撮ったものです。この大型スーパーさんではコンビニではやっている、その場でコーヒー豆をひいて入れてくれる方式の自動販売機があります。その横が休憩コーナーになっていてテーブルも椅子も用意されています。ですから、ゆっくり座って、コーヒーをこぼさずに飲むことができるのであります・・・

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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