UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

「昼からやっている居酒屋」で・・・

2018-01-26 01:03:56 | 日記
今週、月曜日の夕方、小雪がちらつくなか、新年会という名目で京都は烏丸御池にまで出かけ、「昼からやっている居酒屋です。」という看板が出ているお店で知人たちと親しく語らいいたしました。ついでにアルコール類とも親しくいたしました

メンバーは6人、全員湖都に住んでおりますのに、言い出しっぺが、このお店の看板が気に入ったのでありませうか、わざわざ京の都に上ることになったのです。

GGIたちがお店についたのは午後5時過ぎ、「昼からやっている」はずなのですが、まだ混んではいませんでした。

GGIは某氏に若干の相談事みたいなものがありましたので、お酒で盛り上がってしまわないうちに、左隣にいたこの某氏に申しました。

「あの~、ムッシュー、あなたは二、三年前に白内障の手術をしたでせう、それでちょっとお聞きしたいのですが、実はGGI、近々、白内障で両目を手術することにしたので・・・・それで、あなたはほんとうに見えるようになりましたか?」
「ああ、見えるようになった、もう本を読むのに眼鏡は不要、なかなか本音を言わないGGIの心も読めるようになった・・・」
「そうですか、私の心なんかどうでもいいのですが、あの~、ムッシューは手術、健康保険の範囲内でやったのですか、近いところも中間の距離でも、遠くでも、全部見えるようになる手術、いわゆる多焦点眼内レンすの手術を保険適用外でできると聞いていますけれども・・・」
「ボクは保険の範囲内の手術、近い距離に焦点を合わせてもらっただけ、それで十分!遠くが全然見えないというわけではない、結構見えてる・・それで、その多焦点ナントカっていうう保険外の手術、いったいいくらかかるの?」
「まあ、片目でウン十万・・・両方だとその倍との話ですが・・・」
「えっ、そんなにするの、もったいない!金持ちやなあ、そんなカネあったら、そんなことにムダづかいせずに、人民のために使いなさい!」
「人民のためにですか?でも、いったい人民って、誰のこと?」
「GGIは頭が悪いなあ、たとえば、手始めに今夜の吞み代をGGIがわれわれ人民に代わって払うのです!」

これでは相談になりませぬ。そうしましたら右隣にいた知人が申しました。医療の現場に接している人物です

「GGIサン、あんまり医者を信用したらアカンよ、医者もいろいろやから。医者のいうこと鵜呑みにしたらあきません」
「別に鵜呑みにしているわけではないけど・・・」
「それでどこの病院で手術するの?」
「日赤ですけど・・・」
「あのねえGGIさん、大きな病院がええとは限りませんよ、GGIさん、ほんまはあんた、権威主義とちがう? 東大、大きな銀行、大きな会社、大きな病院なら信用できると」
「そんなことないですよ、たまたま日赤を紹介されただけですよ・・・」

これも相談にならんなあ、と思っておりましたら、斜め向かいに座っていた別の知人が申しました。この人物、まったく西洋医学を信じておらず、いままでいろんな病気を自力で治してきたとひごろ豪語されております。

「あのねえGGIサン、目を心の窓です、白内障で目の水晶体が濁るのは、心が濁っているからです。だから、まず心の濁りをとりなさい」
「君なあ、いきなり失礼なこというなあ、わが清らかなる心になんというケチをつけるんや」
「いえ、ほんとうのことを言っているのです、あのねえ、GGIは物事を斜に構えて見るでしょう、直視しないで斜めから」
「そんなことはありません、GGIは絶えず現実を直視するよう心がけてます」
「そうですか?GGIの日記を拝見すると、とてもそうは思えませんなあ。GGIは重症の斜視ですよ。あの日記は斜視のカタマリ」
「そんなこと言うなら、君は偏見のかたまり、君の目ん玉は偏見レンズや」
「GGIさん、目の水晶体は、まっすぐ入ってきた光には正しく反応するので濁ることはありません。ところがGGIのように斜にかまえて物事を見る場合は、光は水晶体を斜めに横切るのです。斜めに横切ると乱反射して、その結果濁りが生じるのです。ですから、いくら手術しても斜めにものを見ている限りは治りません。まず心を直しなさい」
「懇切なるご説明、感謝いたします。でも。今日はあなたの説教を受けるためにきたのではありません」

これもまたまったく相談になりませぬ。

かようなしだいでGGIの相談事は何の光明をも見出すこともできませんでした。果たしてどうしたものかなあと迷っておりましたら、昨日、JR湖都の駅まで長い間本屋さんをしていたオバサンから電話がありました。80近い人物です。年賀状兼寒中見舞いを出しておきましたので、そのお礼の電話でした

年賀状兼寒中見舞いに白内障を含めて病気噺を書いておきましたので、これはラッキーチャンと、思いきいてみました

「お久しぶりです、いきなりモノをお尋ねしてしつれいですが、オバサンは目、よく見えますか、実はGGIはチョット白内障で・・・」
「ああ、わたし、昨年、白内障で手術しました、そうしたらびっくりするぐらいよう見えるようになりました!これやったらもっと早く手術しといたらよかった、と思ったぐら。ええ、もちろん健康保険の範囲内、さっさと手術しはったらええわ、何も考えることありません、簡単や、手術、二十分ほどですみます、私は入院嫌いやから通院でしたけど、日赤ですか、あそこは入院で手術でしょう、何も心配りませ~ん、さっさと手術しなさ~い」

無事見えるようになったら一度表敬訪問することを約束して電話を切りました。これでようやく少しは相談になったようであります

なもあみだぶ・なもあみだぶ:なもあみだぶ・・

今日の写真は「昼からやっている居酒屋さん」の看板です。よろしければクリックしてご覧くださいませ。この居酒屋さんのことは以前に日記にも書いています

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数ではないと言うけれど、どうしてこんなにも違うの?・・・

2018-01-25 01:41:18 | 日記
先日、今年初めての脱原発のデモをしました。参加者は最低催行人数ぎりぎり。GGIはウオノメが元気すぎて行きたくはなかったのですが、義理を尽くすべく参加。正月で記事の材料が少ないないせいか、二つの地方紙の記者が取材にきていました

翌日、どちらの地方紙も小さな記事を掲載していたとのことですが、私が知人から知らされた地方紙の記事には、わざわざ「参加者は23人」と丁寧に明記しておりました・・・まあ、参加者数を正確に報じることは当然のことなのではありますが、でもなあ、ちょっとなあ、こんなにはっきり書かれては、ショボくれたデモやなあ、と思われてしまうのもなあ、でも、まあ現実はこんなものや、しゃあないかあなどとGGIは若干複雑な思い・・・

一方、1月21日の新聞が、20日にアメリカの全土で女性を中心としたトランプ反対のデモが行われ、参加者はのべ100万人などと報じていました。ロイターによりますと、ロサンゼルスでは市長の発表では参加者は60万人、シカゴでは市当局の発表では20~30万人が参加したとのこと、また他紙が首都ワシントンでは20万人、ニューヨークでは10万人以上などと報じていました。

これだけの数の市民が参加するとは、なんともすごいなあ・・・これだったら、こんなにたくさん自由で元気に市民がいるのなら、アメリカは大丈夫!今トランプさんがひっかきまわしているけれど、いずれ、近い将来、トランプさんの季節は終わる、とGGIは確信しました

それにしましても、この米国での参加者の多さにGGIは驚きました。一年前のトランプさんの大統領就任時には全国でなんと500万人もが参加したとのことです。

とにかく参加者の数が日本でもデモとは桁違いなのです、ゼロがいくつも違います、なんたる違いでありませうか・・・デモは数ではないとは言っても、この彼我の差には愕然と言うよりも茫然とするしかありませぬ、こちらはたったの23人、あちらは数十万人から100万、いくら数ではないといってもねえ・・もう、ワッハッハであります、笑うしかありまでぬ・・・

まったくイヤになってしまうと申しますか、どうなっているのだ?!この大きな違いはと思ってしいます、絶望的であると言いたくなるほどの大きな差です

米国だけではなく欧米の国々でのデモの参加者数が日本におけるよりも圧倒的に多いことは今に始まったことではありません。

ベトナム戦争の当時は当然ながら米国では史上最大規模をいわれる反戦デモ集会が行われ数十万人規模のでも米国の大都市で行われました。イラク戦争の開始前後には米国やイギリスその他の欧州の国では50万、ときには100万規模の反戦デモが珍しくありせんでした。当時日本でもデモは行われており、GGIも何度か参加した記憶があるのですが、たいした数ではありませんでした。欧米にくらべれば実に微々たるものだったと言ってよいでありませう

日本でデモの参加者が一番多かったのはおそらく1960年代後半~70年ごろ、学生運動のみなさんやべ平連などが活躍した反安保やベトナム反戦運動が盛んであったころでせうか、その後、福島原発事故後の一時期、かなりの盛り上がりを見せ、また新安保法制反対のときにはほんのいっとき少し盛り上がましたが、それでも先に記したような欧米でのデモ参加者の数には遠くおよびませぬ・・・・

これはいったいどうしたことだろう、この彼我の大きな差の原因は何であろうと、ときおり知人などに聞いてみたりするのですが、みなさん、返答に窮します

GGIも思い当たる節が二、三、ないわけではないのですが、正確なところはわかりねます。きわめて乱暴な言い方をすれば、同じ民主主義の社会であるとはいえ、その内実は欧米諸国と日本では大きく異なっているということではないでせうか。

オランダ出身のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏が、日本の政治・社会の構造を分析した優れた著作《日本権力構造の謎》(The enigma of Japanese Power、1990年、早川書房)を著したころから、欧米の国々では「これまで日本はわれわれと同じような民主主義国家だと思っていたけれど、どうやらわれわれが考えている民主主義とはずいぶん違うようだ」と日本に対する見方を変える人たち、revisionist(修正主義者)が出てきたなどと言われています。デモにおける彼我の差は、ウォルフレン氏が《ザ・システム》と呼んだ欧米の社会にはない日本特有の政治社会構造と関係がしているのかもしれませんが、それだけが原因ではないでありませう・・・

などなど、今日もまとまらない話になってしまいました

今日の写真は1月20日のニューヨークでの反トランプ女性デモの写真を無断借用したものです。ピンボケですがよろしければクリックしてご覧くださいませ

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言葉は正確に使いませうね、アベ君とメディア諸氏のみなさまゑ・・・

2018-01-24 01:48:10 | 日記
1月21日に国会が始まり、アベ君が張り切って施政方針演説を行いました。このため22日の新聞に、一面をつぶして、演説の全文が掲載されていました

これを全部丁寧に読む読者は果たしているどれだけいるでありませうか、読むのはごくごく少数、GGIもちゃんと読んだりはいたしません。忙しいからではありませぬ。そうではなく退屈と申しますか、上滑りする大げさな美辞麗句だけが満載の文章を読み続けるのは苦痛であり、体に良くないのではないかと思うからです。かようなしだいで斜め読みの斜め読みでもしてみようと紙面に目をやってみました。

「今こそ新たな国創りの時です」などと、冒頭部はあきれるばかりに独りよがりのオンパレードでありますが、次いで「改革」と「革命」のオンパレード、すなわち「働き方改革」、そして「人づくり革命」!さらには「生産革命」!これでは、その次はどこかのシューキョーの方がおっしゃっている「人間革命」!かね、などと思わず冷やかしたくなりますね

まず、最初に掲げられている政策、「働き方改革」、これは言葉使いが決定的に間違っていますね、誰だって悪条件の下で働きたくはないのです。ひとを雇う側が悪条件化で働かすから、やむを得ず働いているのです。雇われる身の勤労者は自らの自由意思で「働き方」を変えることなんかとうていできません。だから「働き方改革」なんてできっこありません。雇用主がそのようなことを許さないからです。つまり、いまほんとうは必要とされているのは「働き方の改革」なんかではなく「働かせ方の改革」なのです。したがって「働かせかた改革」と表現すべきなのです。雇用主が自ら現状の「働かせ方」を「改革」するとは思われませんから、外部から経営者たちに働かせ方を改めるよう迫ること、強いることが第一に必要とされているのです。分かっていますか?アベ君、

アベ君が「働き方改革」などと不正確ないいかげんな言葉を使い始めたときから、GGIは「おい、坊や、それは違うだろう、《働かせ方改革》だろう」と大きな違和感を抱いていましたが、いまに優秀なる日本のメディア諸氏が、この間違いをを指摘するかと思っておりました。ところが、今日に至るまでメディア諸氏は、このことを指摘するどころではなく、逆にせっせとこのいいかげんな「働き方改革」という言葉の流布に努めております。まことに救い難い自体でありますので、GGIがあえて苦言を呈するしだいです。

ついでながら、これはアベ君だけではなく世間で広く使われている「働き方改革」に関連した言葉の誤用についても、苦言を呈しておきます

「過労死」という言葉がありますね。今や「KAROSHI」と言う英語になって輸出されるぐらいになっておりますが、GGIは「過労死する」とか「過労死した」とか表現するのは大問題、大間違いであると考えます。

と申しますは、この言葉づかいでは、過労で「死ぬ」「死んだ」という意味、つまり自動詞の表現であります。自動詞を用いたのでは、当人はまるで勝手に、自発的に過労で死ぬ、死んだという印象を与えてしまうではありませんか!まるで自然現象で死んだかのような表現です、しかし事実は断じてそうではありませぬ

誰だって「過労死」などという過酷な運命にさらされたくはないのです。かつてほんとうに字自発的に「お国のため戦死した」人などほんとうはいなかったのと同様に、過労死は望んで死んだ人などいないのです。ただしい語法は「戦死させられた」であり、「過労死させられた」であります。

働かせ方が人間を人間と見ないムチャクチャなやり方であるため死に追いやれるのです、すなわち人は「過労死する」のではなく「過労死させられる」のです。つまり殺されるのです、アホな「利益」だけが命の経営者や経営陣に殺されるのです。ですから、メディアの諸氏が平気で「過労死する」「過労死した」などと表現しておりますが大間違い!「○○さんは電通により、過労死させられました」などと正確に表現すべきなのですが、日本の優秀なるメディアはまるで気づいておりませぬ。平気で、「過労死した」などと恥知らずなことを言っております、でもメディアにつられてGGIもつい恥知らずなことを言っておりますので、あまり大きなことを言えません・・・

さらに、もっと正確に申し上げれば、人を「過労死させる」ことは人を殺すこと、当然のことですが、殺人そのものであります。リッパな犯罪です。その認識がアベ君にも財界諸氏に決定的に欠落しております。過労死は、日本にも立派に存在している労働法を無視した、意図的な強制過剰労働の結果です。歴然とした殺人です。

けれどもアベ君は「罰則付きの時間外労働の限度を設けます。でも、専門性の高いお仕事は別なのよね」などとまったくノーテンキなこともいっております。過労死や過労死に近い状態、たとえば重いうつ状態に追い込むような行為はすべて犯罪です。人の心身に害を及ぼす犯罪ですから、これらの行為に関与した者は刑法でしっかり処罰すべきです。罰則や罰金などで済む話では断じてありません。しっかり刑法で処罰でもしない限り、働かせる側はすぐに抜け穴を見つけことでありませう。強制過剰労働禁止法といったものを制定すべきです

などなど、その他「人づくり革命」とか「生産性革命」とか、「革命」という由緒正しき言葉が泣き出してしましそうな「革命」の大安売り、やすっぽい言葉使いのオンパレード・・・・

一方において同一労働同一賃金の問題をとり挙げて、アベ君は「非正規と言う言葉をこの国から一掃して参ります」などと大ぼらを吹いております、本気であるとはとうてい思えず、信じる国民はいないでありませう・・・まあ、官僚の悪知恵を借りて、実態はたいして変わらないのに、非正規を別の呼び名に替えただけでことを済ますなのかもしれませんね・・

アベ君のうわすべりの大げさな美辞麗句の羅列もうんざりだけど、年よりのひがみの典型のようなGGIのくどくどしい文章にもうんざりや、と言う声が聞こえてきました。まことに御指摘のとおりでありますので、これで失礼させただきます

なんだか、今日もまったくまとまらない話になりましたが、これはアベ君の荒っぽい無神経な言葉遣いのせいでごさいます・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は本文と関係ありませぬが、よろしければクリックしてご覧くださいませ。わがガーデン、冬のナンキンハゼ君です。

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有明の富士の高嶺に降る雪の・・・

2018-01-22 01:49:43 | 日記
今日はなぜか美術の時間です。日本一のお山、富士山を描いた絵についてのお話です。

富士を描いた絵といえば、葛飾北斎さんの「富嶽三十六景」が有名ですね。北斎さん、様々なアングルから大胆な構図で富士山を描いていますが、今日お見せする作品は、北斎さんも思いつかなかったまことにユニークな富士の姿です。

まずは今日の写真をご覧ください。ぜひクリックしてご覧くださいませ

富士の高嶺に降る雪です。線描による繊細極まる富士の姿、そして高嶺に降る雪が見事に描かれいます。静謐なモノトーンの画面から雪の冷たさが伝わってきます。富嶽三十六景に勝るなどとは申しませぬが、注目すべきこれまでにない富士の姿です・・・

藤原定家の和歌に「有明の富士の高嶺に降る雪の・・・・」という句があります(下の句は忘れてしまいました)が、この今日の写真を眺めていましてGGIは思わずこの句を思い浮かべてしまいました、これはまさに有明の富士の高嶺に降る雪であることよなあ、と感じ入ってしまったのです

作歌の堀田善衛氏はその著作「明月記私抄」の中でこの和歌を引用して、「まことに繊細にして幽玄・・・・」と讃えたあと、「しかし、それがどうしたと言われると困るのである。和歌とはそういうものなのである」といった意味のことを記されていました。

この写真をご覧になって、待てよ、この写真と似た写真、どこかで見たことがるぞと思われた方はとても記憶の良い方です。実はこれと似た写真は昨年11月1日の日記で紹介しております。ただし雪は降っておりませんでした
(この日記は以下のサイトに載せています
http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20171101

実は、この作品の中の繊細なる富士山を描いたのはわが庵に出入りする蜘蛛クン、そして富士に降る雪を描いたのはデジカメのフラッシュを乱反射してくれた窓ガラス君であります。クモ君とガラス君のみごとな合作にGGIは大感謝であります

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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ナルシストが往く?

2018-01-21 01:25:55 | 日記
昨夕、雑用を終えて帰ってきましたら、もう庵は闇に包まれようとしていました。わがガーデンに足を踏み入れますと、どこからか、暗闇の中からかすかな声

もしもし・・・もしもし・・・

どこから聞こえてくるのだろうと思い、目をこらして庭の片隅を見てみますと、水仙が一輪、闇の中に咲いていました、闇のなかにぽつんと白い一輪の水仙、

もしもし・・・もしもし・・・

あの~、水仙さん、ひょっとして私を呼んでおられるのはあなたでせうか?

さようでございます、あなたにお声をかけているのです、あなたはここにお住いのGGIさんでございませう?

そうですが・・・何が御用でせうか

いきなりちょっと失礼なことを申し上げるかもしれませんが、あなたはひょっとしたらナルシストさんではいらっしゃいませんか・・・

えっ、ナルシスト!この私がですか?とんでもありません

そうですか?GGIさんはご存知かと思いますが、水仙(Narcissus)のことを西洋ではナルシスと申します。ナルシスはあのギリシャ神話に出てくる美青年、水に映った自分の美しい姿にほれこんでしまって死んじゃっ青年ナルキッソスさん(Narkissos)、ナルシズムの権化であるこの青年の名前に由来した言葉であることはGGIさんもご存知ですよね

ええ・・・まあ・・・でもあれは単なる神話でせう?気まぐれな神さまたちのお話でせう?・・・

GGIさん、単なる神話ではございません。神話はいまでも生きているのですよ、私は水仙です、ナルシスです。ですから近くにナルシストの気配を漂わす人が通りかかるとすぐにピンと来るのです。それであなたにお声をかけたのです

水仙さん、まことに申し訳ありませんが、わたしがナルシストだなんて、それはまったくの見当違い、ハズレです・・・人違いです・・・

いいえ、そんなことはありません。そのようないいかげんなウソをおっしゃってはいけませんわ、だってあなたは先日の日記で、オレは男前、絵になる人物だから某全国紙に盗撮されてしまって、男前ぶりが広く知れ渡ってしまって困ってしまったなどと自慢たらしく書いていたではありませんか、あんなことをわざわざお書きになるなんて、GGIサンがナルシストであることの何よりの証拠ですよ

えっ、水仙さんは私のブログを読んでいらっしゃったのですか?

ええ、ふだんは私はゴミの山であるネットなんか見ないことにしているのですが、ときおり息抜きと申しますか、愚かなる人間の世界はいまどういうことになっているかと心配になり、ネットを見たりするのです。申し遅れましたが、私、こう見えましても哲学の水仙なのです。ですから世の森羅万象に常々思いを巡らし、真理を追究しているのです・・・

真理の追及かあ・・・あなたは哲学の水仙さんなのですか、哲学者でいらっしゃるのですか、すごいなあ、工藤直子さんという人の詩に「てつがくのライオン」と称するライオン君が登場しますが、あのライオン君は無邪気にテツガクぶっているだけです。しかし、寒気の中で独り凛として咲いている水仙さんのお姿、結構テツガクに見えないこともないですよ、でもねえ、あんたはショモないナルシストや、などと簡単にひとを決めつけるのは良くないことですよ、水仙さんらしくないですよ

いいえ、私の目に決して狂いはございません。私が拝見したゴミの山のネットのなかで一番ナルシストの香りが、いや臭気が、ふんぷん漂っていましたのは、あなたのブログだからです

臭気とはひどい言われようやなあ、水仙さん、どうして私の日記にナルシズムの香りを感じ取るのですか?わからんなあ・・・

貴方の日記のどこを読んでも、ナルシズムのオンパレードです、安いジョークを連発しながら、内心では「どや、オレ、賢いやろ」などとうぬぼれているのです、最近の軽薄な流行語でいえば、ドヤ顔丸出しなのです。そんなことぐらい、てつがくの水仙であるわたしにはお見通しなのです、あなたの軽薄なナルシストぶりは見え見えなのです

それはまったくの誤解です、十階です、高層ビルです、天まで届くぐらいの誤解です・・・

何を安い駄洒落を言っているのですか。あのねえ、一つお教えしておきますけれど、ノモホンのナルシストはナルシストの自覚なんてまったく持ち合わせていないのが特徴です、おわかりですか?

ノモホンだなって、水仙さん、見かけによらすガラが悪いですねえ、でもそういう言いがかりはいけませんよ。よしてください

いいえ、決していいがかりではございません。それに自分がナルシストであるとの自覚がないあなたのような純正ナルシストは全く進歩がないというのも特徴なのです。いつまでたっても、すべてが思いつきとデタラメだけなのです。あなたの日記を読めば歴然としています。昨日の日記も、ひと月まえの日記も、一年前の日記も、別の怪しげな名前でお書きになっていた十年前の日記も、中身は本質的に同じです、自覚無き無意味なナルシズムに貫かれているのです。要するに思考の積み重ねがないのです、思考の積み重ねなきところには思想も哲学も生まれないのです。

えらいボロくそですね・・・いろいろテツガクなさっている水仙さんのナルシストなるものの存在にたいするお気持ちも分からないでもないのですが、いきなり、ナルシスであるあなたから、貴殿は純正ナルシストであると言われてもなあ・・・ナルシストってうぬぼれや自己愛や自尊心が強い人間のことを言うのでせう?たとえばあのアベ坊やのような幼稚な人物のことを言うのでしょう?GGIはそんな人物とはまったく無縁です、水仙さん、私がナルシストだなんて美しき、美し過ぎてる悪意に満ちた誤解です、低俗週刊誌並みの意図的な誤解です

いいえ、決して誤解などではございせん、だってあなたはしょっちゅう、オレはハンサムだ、シティボーイだなんておっしゃてるじゃありませんか

あれは軽い冗談、ほんの冗談、まったく冗談ですよ、人生冗談が必須です、ジョークなしでは生きていけない、ジョークなしで生きてはいけないのです、おわかりですか?・・・でも、そこまでおっしゃるのならば、わたしはナルシストで結構です、ナルシストになるのもジョークのうちです。ええ、わたしはナルシストですよ、ですから明日からはあなたのお望みのとおり純正ナルシストとして生きていくことにいたします、お話はよく分かりました。でも、あなたと想定外の立ち話をしているうちにでGGIの体は冷え切って、オシッコをちびりそうになってきましたので、これで失礼させていただきます、ではお元気で・・・

逃げるのですか、卑怯者!さっさと地獄に落ちなさい!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

今日の写真はテツガクの水仙さんを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

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