UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

京の街中に無粋な赤鳥居の群れ・・・

2018-10-31 01:34:14 | 日記
昨日、知人の車で今日の街へでかけました。やんごとなき用事があったのです。

「滋賀県青年会館」という、その名称からは県の施設かと思ってしまうのですが実はさにあらず一般社団法人であるところの団体。この団体に対して、湖国の県庁が怪しげな補助金を出しているけれども、違法ではないか、裁判で争い勝てる可能性があるかどうか、知人の金魚のフンになって某法律事務所に相談に行ったのです。

この社団法人(理事長は元自民党国会議員で農水大臣も務めたことがあり、某新興宗教からの政治献金のことで問題を起こしたこともある人物)に対して、県が40年以上もの長きにわたりおよそ千坪ばかりの県有地、日本三大橋の一つされる瀬田唐橋(せたのからはし)という名勝地の川州にある土地を気前よくタダで貸している問題について、GGIは知人にほんのチョッピリ協力して、昨年、県に監査請求したことを以前の日記に書いたことがありますが、このたびの相談もこの団体と県の関係に関連したものでありました。

(この昨年行った監査請求は、請求の法的手続きが要件を満たしていないという形式的な理由が却下されましたが、あまりにも県のやり方がずさんということで監査請求を却下したけれど、この請求に関連して県監査委員が自ら改めて監査するという異例な経過をたどっており、その経緯・結果などが京都新聞などで報じられています)。

昨日の法律事務所での相談、すぐにははっきりとして結論がでませんでした。不正行為を立証するのがかなりやっかいそう・・・

やれやれ、なかなか事は容易ではないなあと思いながら、法律事務所を出て街中の狭い駐車場にまで戻ってきました。

車に乗り込もうとしたとき、GGIは駐車場のブロック塀に赤鳥居がペンキで描かれていることに気づきました。赤鳥居は一つではなく四つも描かれていました。今日の写真はこの赤鳥居群を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

街中に設置されていたり描かれている赤鳥居は、いまさらわざわざ説明するほどのことでありませぬが、立ちション禁止のマークであります。

GGIは街中赤鳥居研究家でありますが、このような一カ所にいくつも赤鳥居が群生している物件は珍しいのではないかと思います。

写真では四つもの赤鳥居が認められます。二つは高い位置に、あとの二つのは低い位置に設けられていますね。どのような意図で、このような位置に四つも赤鳥居を設けたのかは定かではありませぬ。

四つも同じ場所に設けるということはここが立ちション多発地帯であるからなのでありませうか?また、高い位置にある赤鳥居は大人の立ちション禁止用、低い位置にある二つの赤鳥居は子どもようの立ちション禁止ということであるのでせうか?あるいは低い位地の赤鳥居はお犬様やおネコさまの立ちション禁止も意味しているのでありませうか?探究心旺盛なるGGIの疑問は尽きませぬ。

街中赤鳥居研究家GGIの目からいたしますと、これらの赤鳥居のできはあまり感心できませぬ。というのは赤鳥居の描き方がぞんざいであるからです。ずさんと言ってもよいでありませう。「まあ、とにかく描いておけばいいや」という投げやりな感じをぬぐえませぬ。真剣に立ちションを防止しようという強き熱意を感じ取ることができませぬ。

このような熱意に欠けるやっつけ仕事の赤鳥居では、かえって逆効果であります。「おや、こんなところに赤鳥居があるぞ、きっとここで立ちションするヤツが多いんだ、でもお粗末な貧乏たらしい赤鳥居やな、それならオレもここで立ちションしてやれ」ということにもなりかねないからです・・・

ほんとうに立ちションを防止したいのであれば、ペンキでぞんざいに描いたりせずに、ちゃんとした立体の鮮やかな赤色の鳥居を設置すべきであります。リッパな鳥居であれば、おもわずこんなリッパな鳥居にオシッコなんかかけたりしたらバチが当たるかもしれないと人は思うのであります。

では、リッパな赤鳥居とはどのような鳥居でありませうか。その見本となる例を2013年10月3日記で紹介しておりますので、関心のある方はぜひご覧になって、赤鳥居を設置する際は参考になさてくださいませ

この見本の写真、実はさきほど調べてみましたら、これと同じ写真が赤鳥居の画像集のサイトを見てみましたろころ、なんと最初の写真として紹介されておりました!赤鳥居最優秀賞というところですね。世の中、物好きさんがいるのですね、物好きさん、ありがとう!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクの柿日記、日々是好日?・・・

2018-10-28 02:06:38 | 日記
昨日、朝方雨が降っていました。でも、昼近くになって良い天気になりました。

午後用事があるのでそろそろ朝ご飯をつくって食べなければと思っていましたら玄関に人の気配がしました。先日の日記に書いた天草出身の元大工のゴローさんでした。まだまだどっさり残っている柿の収穫にまた来てきてくれたのです。今度は弟さんをつれて、車でやってきました。

ゴローさんは今年90歳なので、弟さんは80代だと思います

弟さんと会うのははじめてです。弟さんはゴローさんと良く似ていますので「ゴローさんと似ていますね」といったら喜んでいました。ゴローさんはどちらかというと騒がしい人ですが、弟さんは騒がしい人ではないようです。

ゴローさんは肺の調子が悪く、そのため酸素ボンベが手離せないのに「今日はあわてていたのでボンベ忘れてきた」と言ってケロッとしています。

ボクは大丈夫かなあと思いました。それで、そうだ、ゴローさんのかわりに弟さんが柿の実をとればいいのだと思い、柿の実をとりやすいように脚立を柿の木の下に用意してから弟さんに言いました

「ゴローさんにかわってあなたが脚立に上って柿をとってください」

そうしたら弟さんは「私は足が悪いので上れません」と答えました。ボクは、これは困ったなあと思いました。そうしたらゴローさんが「大丈夫や、このくらのこと」と言ってさっさと脚立に上ってしまいました。

ゴローさんは無鉄砲ですが、しかたがないなあと思って、ボクは長さが2メートルぐらいある先っちょにハサミがついている、長さを調節することができる竿のようなものを弟さんに手渡していいました

「足が悪いなら、あなたはこれで高いところになっている柿をとってください、私は傍観主義の他人に冷たい人間ですから、柿をとるのを手伝いませんから」

そうしたらゴローさんは笑って「オレは肺が悪くて呼吸困難やし、弟は足が悪い、そやから合わせて180歳近いのに、二人で一人前というわけや」と笑って、脚立に上でゼイゼイと息をしながらも、なんとか柿の実をもいでいました。

今日の写真は二人の成果を撮ったものです。ポリ袋二つにいっぱいの柿がとれました。

柿を積み込んだ車を見て、ボクは「この車ピカピカやなあ」といいました。そうしたら、90歳ドライバーのゴローさんが「この車、弟のや、新車や。でも、こいつ、運転ヘタや、さっき車を庭に入れるときにボディをこすりよった」

それで、ボクは車を調べました。どこも傷ついていませんでした。それでボクはいいました。

「ゴローさん、どこもいたんでないですよ。大丈夫。それより今度来るときは必ず酸素ボンベ持ってきてくださいね。そうでないと命の保証はできませんよ」

ゴローさん、アッハッハと笑ってボクのいうことはあまり聞いていないようでした。

二人は無事車で帰って行きました。それからボクは庵に戻って朝ご飯を作って食べました

ご飯を食べながら、ボクはこういうのを「日々是好日」というのかなあと思いました

でも、よく分からいのでご飯を食べ終わってからウィキペディアさんに教えてもらいましたら、「これは禅の言葉である」と言って次のように説明してくれました

《「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている》

ボクはなんだかよく理解できませんでした。でも「あるがままを良しとして受け入れる」ことと書いてありますので、理解ができないのなら、できないままでいいのだと思いました・・・

まだまだ柿の実は残っています。ボクはまたゴローさん取りにくるかなあ、また来たら、また日々是好日だなあと思いました。


おわり

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベ君の所信表明の言葉から「古い古い」軍歌を思い出してしまった・・・

2018-10-26 01:48:16 | 日記
一昨日の10月24日、アベ首相が所信表明演説を行いました。昨日の朝日新聞夕刊で「素粒子」氏が演説を批判して以下のように書いておりました

《「強い日本」「誇りある日本」。像を結ばぬ首相の所信表明。国民に呼びかけるなら美辞麗句ではなく具体的に》

昨日の朝刊に掲載されていた演説文を見てみましたら、たしかにアベ君は冒頭でそのようなことを言っておりました。しかし、素粒子氏は何を勘違いしているのでありませう。「強い日本」や「誇りある日本」という表現は美しくも麗しくもありまぜぬ、きわめてありきたりの表現です。ですから、美辞麗句なんかではありませぬ。

美辞麗句であるならば、たとえば「世界に冠たる強き日本」「敷島の大和心のごとき誇り高き日本」とでもいうべきであるからです。

アベ君の「強い日本」「誇りある日本」は美辞麗句なんかではありませぬ、その実現性のほどはともかく、彼の潜在的な?具体的願望なのです。

などと、またしても朝日の悪口を書いてしまいましたが、それはともかく、このアベ君の言葉から、やっぱり本音はそうなんだあ、「強い日本」というのは軍事的にも経済的にも強い日本、つまり相も変わらず「富国強兵」のことなんだあ、アベ君はできることなら富国強兵を実現することを通じて「誇りある日本」にしたいのだ、とGGIは素直に理解いたしました。

このアベ君の発想は、再度申しますが、その実現性は別として、「なんとかして世界の列強に伍したい」という明治の政治家や軍人たちの発想とたいして変わりないなあ、強兵かあ・・・などとぼんやり考えておりましたら、勇猛なる「古い」軍歌を思い出してしまいました。GGIは太平洋戦争開戦の年に生まれましたので軍国少年ではないのですが、どういうわけかこの軍歌だけではなく、いろいろな軍歌を知っており、いまでも歌うことができまする・・・

「強い国」「誇りある国」かあ、あの古い軍歌とかわらんなあ・・・

「敵は幾万」という軍歌です。この軍歌、太平洋戦争か日中戦争のころの軍歌かと思っていたのですが、ごく最近、この軍歌がもっともっと以前の古い軍歌であることをGGIは偶然知りました

今年の終戦記念日の翌日に出版されたばかりの「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」という本(方丈社)を読んでいましたら、この軍歌が古いものであると記されていたのです。

この本、太平洋戦争開戦の日(1941年12月8日)の様々な人物の日記を集めたものです。日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったことを報じるラジオのニュースを聞いて、当時の人々がどのように受け止めたのか、作家や知識人や軍人など55人の日記・回想録から抜粋した本です。

(この本の内容はなかなかスゴイものです。これはトンデモ本ではないかと思われるぐらいびっくりする内容ですが、すべて事実です。GGIはまじめに大推薦いたします。立ち読みでも十分読めるぐらいの長さですので、だまされたと思ってお読みになられるよう勝手にキボ―します)

この本の最後に番外のような形で、太宰治の「十二月八日」と題された短編小説が紹介されていました。この小説、ある作家(おそらく太宰治自身)の奥さんが記した12月8日の日記という形をとったものですが、この短編のなかに以下のようなことが記されていたのです。

《ラジオは今朝から軍歌の連続だ。一生懸命だ。つぎからつぎと、いろんな軍歌を放送して、とうとう種切れになったか、敵は幾万ありとても、などという古い古い軍歌まで飛び出して来る始末なので、ひとりで噴き出した。放送局の無邪気さに好感を持った・・・》

そうだったのかあ、知らなかったと思ってウィキペディアさんに教えてもらいましたら、元は、1886年(明治19年)に刊行された詩集に収録されていた、「戦景大和魂」という詩であるとのこと(軍歌として作曲されたのは1897年、明治30年)。太平洋戦争当時、大本営が戦勝のニュースを発表する際、この軍歌がさかんに流されていたそうです。

みなさん退屈なさるかもしれませんが、以下に歌詞を紹介しておきます。歌を聞いてみたい方は動画のサイトもありますのでご覧になってくださいませ
一、
敵は幾万ありとても
すべて烏合の勢なるぞ
烏合の勢にあらずとも
味方に正しき道理あり
邪はそれ正に勝ちがたく
直は曲にぞ勝栗(かちぐり)の
堅き心の一徹は
石に矢の立つためしあり
石に立つ矢のためしあり
などて恐るる事やある
などて猶予(たゆた)う事やある

二、
風に閃く連隊旗
記紋(しるし)は昇る朝日子(あさひこ)よ
旗は飛びくる弾丸に
破るることこそ誉れなれ
身は日の本の兵士(つわもの)よ
旗にな愧(は)じそ進めよや
斃るるまでも進めよや
裂かるるまでも進めよや
旗にな愧(は)じそ耻(は)じなせそ
などて恐るる事やある
などて猶予う事やある

三、
破れて逃ぐるは国の耻
進みて死ぬるは身の誉れ
瓦となりて残るより
玉となりつつ砕けよや
畳の上にて死ぬことは
武士の為すべき道ならず
骸(むくろ)を馬蹄にかけられつ
身を野晒(のざらし)になしてこそ
世に武士(もののふ)の義といわめ
などて恐るる事やある
などて猶予う事やある

軍歌として作曲されたのは日清戦争(1894~1995年)の二年後です。それ以来、いや日清戦争以前から、わがニッポンは「強い日本」を目指してきたのです。でも敵は「幾万」どころではありませんでした。それに「味方に正しき道理」もありませんでした。そして今、またしても「強い日本」とは・・・

今日の写真は「強い日本」ならぬ「美しき日本の秋」を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間は不完全な兵器だから、次は完璧なる最終兵器・・・(その二)

2018-10-24 02:09:46 | 日記
今日の日記は前回の「自律型致死兵器」についての日記の続きです。

すでに米国、ロシア、イギリス、フランス、韓国、イスラエルなどが自律型致死兵器の開発に着手しているとされています。現在核兵器を保有している国はいずれは「自律型致死兵器」の保有を目指すことになるでないかとGGIは考えます。そうであるとするならば、おそらく中国も近い将来開発に手をつけることになるのでありませう。

米国は2030年代か2040年代には戦闘機や戦車を自律型致死兵器に変身させることを、すなわち戦闘機や戦車の無人化を計画しているという説もありますが、開発競争が激化すれば、実用化の時期はもっと早まる可能性があると考えられます。

一方、日本は、米国の「善きお友達」であるわが日本は、このような現実を前にしてどうするのでありませうか・・・

実はこの問題はすでに国会でも取り上げられており、NHKのニュース特集(2018年5月10日)によれば、小野寺防衛大臣(当時)は今年2月の衆議院予算委員会で、「キラーロボット」の開発を否定しており、「人間が介在しない致死性の兵器に関する研究開発を行う具体的な計画はない」としています。しかしながら、日本のロボット技術は世界の最先端を行くものでありますから、自律型致死兵器開発の誘惑に打ち勝つことは難しいのではないでせうか。将来的なことは定かではありませぬが、おそらくそう遠くない将来、他国に遅れをとらぬよう、日本も自律型致死兵器の開発に手をつけることになるのではないでせうか・・・

そして、大国間の武器開発競争の結果、将来的に自律型致死兵器の技術が世界に拡散していくおそれが十分に存在しています。しかし、自律型致死兵器の出現はさまざまな問題をはらんでいます。

たとえば、人間の意思決定が介在しない武器の存在やその使用を国際法はまったく想定していまないという問題です。つまり、自律型致死兵器という「機械」が人間の生殺与奪の権利を手にするというような事態を、戦闘行為や人道・人権に関わる国際法はまったく想定していないのです。たとえば自律型致死兵器という「機械」が間違って勝手に人間を殺した場合、あるいは「機械」が様々な人権条約に違反するような殺傷・破壊行為を行った場合、その法的責任はどうなるのか・・・また、果たして「機械」に人間の生殺与奪の権利を持たせてもよいのかという倫理的な問題も生じます。

このように自律型致死兵器あるいは自律型致死兵器システムは深刻な法的・倫理的な問題をはらんでいるため、人権団体は強く反対しおり、攻撃目標の特定や選別などについての判断といった重大な意思決定には必ず人が介在するよう、法的に定めるべきだとしています。また、自律型致死兵器の開発や使用に反対し、その使用を全面的に禁止することを求める国々も存在しています。

このため、今夏、8月27日から31日までジュネーブで、自律型兵器システムに関する政府専門家会議が開催されました。これは非人道的兵器を規制するための「特定通常兵器使用禁止制限条約」(CCW)の枠組みのなかで行われた会議です。

4回目となるこの会議では、完全自律型兵器システムがもたらす人権、人道、倫理、安全面での問題にどう対応するのかが協議されたはずなのですが、その結果がどのようなものであったのか、残念ながらGGIは知りませぬ。しかし、今年4月に行われた専門家会議では、多数の国が、システムや武器の使用に人間の判断が介在することが極めて重要であるとして、あらたな国際法を制定することに賛成していたものの、すでに兵器開発を進めているとされる国々は法的禁止に反対していたとされています。

今後もこのような自律型致死兵器の禁止に向けて国際的な努力が続けられるものと考えられますが、その先行きは極めて不透明というべきでありませう。核兵器禁止に向けての動きと同じようなことになる懸念が大いに存在しています。

つまり、先に作ったものが勝ち、先に持った者が勝ちという、核兵器を巡る状況と同じような状況になりかねません。米国をはじめとした高い技術力や開発力を持つ大国は必ずや自律型致死兵器を手にすることになるでありませう。そして、一度手にしたならば、自律型致死兵器の禁止には従おうとしないことになるのはほぼ確実です。

自律型致死兵器が核兵器と大きく異なる点は、自律型致死兵器の場合は、完成され実戦配備された兵器は実際に使用される可能性が大きいということです。自律型致死兵器は核兵器のような軍事上・安全保障上の保険ではありません。きわめて実用的で「優れた」兵器なのです。自律型致死兵器の実戦での使用の敷居は、核兵器の場合よりもずっと低いのです。

世界は近い将来この最悪とも言うべき最終兵器に満ちた世界に転じることになりかねません。

今日は暗雲が迫る某日のわが湖上を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあもだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間は不完全な兵器だから、次は完璧なる最終兵器・・・(その一)

2018-10-21 02:12:03 | 日記
今日は文字どおり怖ろしい話です

最終兵器というと、多くの方々は核兵器のことを連想されるのではないかと思うのですが、GGIの考えでは核兵器が最終兵器とは言えませぬ。核兵器と言うのは最終兵器というよりは実質的には保険みたいなものです。

核兵器なるものは本質的には他国から先制攻撃をかけられないための国家が掛ける保険に他なりません。核兵器の第一の、あるいは最も重要な、役割はいまさらいうまでもありませんが「核抑止力」です。わが国を攻撃したら攻撃を仕掛けた国は殲滅されるということを示して、自国の安全を保障するための保険なのです。しかしながら、保険にはすぎないのものの、きわめて強力な実効性を有する他に類を見ない保険です。

核兵器を持っている国は互いに核抑止力という保険をかけていますから、保有国どうしが相手に核兵器を使用することは実際にはできません。また、核兵器を保有していない国に対して核兵器を使用することは、軍事的・技術的には可能であっても、国際的な世論などを考えると、使用するのは極めて困難です。米国は二次大戦後の戦争や紛争(朝鮮戦争、ベトナム戦争など)で核兵器の使用を考えたことがありましたが、実際には使用していません。つまり、核兵器というのはその威力・破壊力からすると最終兵器ですが、きわめて使い勝手の悪い兵器なのです。ヒロシマ・ナガサキ以後、一度も核兵器が使用されたことがないという事実はこのことを裏付けています。

核ミサイルに関連する装置の誤作動や状況判断を誤ることによる、偶発的な核戦争勃発の危険性は実際に過去に何度か存在しており、現在も依然として存在していますが、偶発戦争に際しての使用を除き、核兵器が保険の役割を逸脱して実際に戦争に用いられる可能性は極めて小さい、このため核兵器は実際には使うことができない兵器に限りなく近い存在であると言ってよいでありませう。核兵器は保険に過ぎない使えない兵器であるため、実際場面では「最終兵器」とは言い難いというのがGGIの考えです。しかしながら、最近になって「最終兵器」の名にふさわしい兵器がこの世に出現しようとしています。

その名は「自律型致死兵器」(Autonomous lethal weapons)です。GGIは最近までこのような用語が存在していることを知らなかったのですが、知らなかったのはGGIだけであり、軍事の世界ではもう珍しい言葉ではなく、日本でも自衛隊を含む軍事関係者にはとっては注目の的となっているはずの新たな軍事技術です。これはいわゆる「殺人ロボット」のことです。

「自律型」というのは何でもかんでも、他人にたよらず、自分で判断して実行するという意味です。すなわち、「自律型致死兵器」という兵器、これは人間の手を借りず、人間の判断に頼らずに、攻撃目標を決定し、敵の兵器や敵の兵士の存在を探知し、追跡を行い、殲滅あるいは殺害することを自ら判断で実行する兵器を意味しています。

戦闘機や爆撃機、戦艦や潜水艦、戦車や大砲などの通常兵器、それにもちろん核兵器も、すべてこれらの武器の使用にあたっては必ず人間の判断が伴います。ですから、人間の判断に頼らない自律型致死兵器あるいは自律型致死兵器システムは、これまでの兵器あるいは軍事技術とは全く違った、次元を異にする、単に「革命的」という言葉では表現することができない、これまでない兵器あるいは軍事技術と言えます。

自律型致兵器は自分が破壊されないかぎりは、目的を達するまで決して戦いをやめないでありませう、自分の判断で敵を追い詰め必ずや死に到らしめるでありませう。これは恐るべき兵器です。人間は自分の手を汚さずに、自軍の兵士を犠牲にすることなく敵を高い確率で殺傷することができるのです。この意味において、これまでには存在していなかった自律型致死兵器は最終兵器、まさに完璧なる最終兵器以外の何ものでもないと言ってよいでありませう。

もうお分かりかと思いますが、「自律型致死兵器」において「自律」を可能にするのは、とどまるところを知らないIT技術です。今大流行の、今後どこまで発展していくか分からない「AI」すなわち人工知能の技術です。AIが囲碁や将棋で活躍しているうちは、あるいはより安全な運転を目指す自動車の技術や医療の分野などで用いられているうちは、たいして罪はなく、それほど問題は生じないかもしれません。しかしながらが、AIが軍事技術、兵器に用いられるとなると話はまったく異なります。想像してみてください。あなたが白旗をあげて降伏の意思を示していても「自律型兵器」である「殺人ロボット」はあなたを殺そうと最後まで執拗に迫ってくるのです。これはまさに「悪魔の兵器」そのものです・・・・

では何故このような兵器が開発されつつあるのでしょうか。第一の理由はもちろんこの兵器を作るための技術、すなわちAI技術が存在していることです。そして第二の理由は、誰でも考えつくことですが、戦争における自軍の兵士の死傷者の数を最小限に留めたいということです。米国の場合はとくにこの点が大きな理由の一つになっているものと思われます。

米国はベトナム戦争において約6万人もの兵士が命を落としました(ベトナム側の死者は約300万人)。このような多数の若者が亡くなったため、米国政府と軍は国民の強い批判をさらされました。以来、その後の米国が関わった戦争(湾岸戦争やイラク戦争など)において、自軍兵士の死傷者をできるだけ少なく留めるために、米軍は地上軍(陸軍)の兵士を多数派遣することを避けて、最小限に留める方針を採っています。

そして、この二つの理由の他に、もうひとつ重要な理由があるものとGGIは考えます。

その理由というのは、人間という生き物の大多数は人を殺すことに向いていないという事実です。言い換えれば、人間という生き物は迷う生き物であるというのが三番目の理由です。戦場に駆り出された兵士は、敵と対峙したときに、必ずしも敵兵を殺すために敵兵に照準を合わせて銃の引き金を引くとは限らないのです。いざそのような場面に直面したら、躊躇するのです。人を殺すことに躊躇するのです・・・

前線の兵士は躊躇せずに敵兵に向けて銃を発射すると思われるかもしれませんが、実際にはそうではないのです。

たとえば作家の故・大岡昇平はその著作「レイテ戦記」(だったと思います)において、部隊からはぐれてひとり彷徨っているときに、米兵に遭遇、相手の血色のよい顔色までみられるのほどの至近距離にいて、米兵がまったく気が付いてないので銃を発射しようと思ったのですが、撃たなかったと記しています。大岡昇平は、そのときのことを「これで1人の米兵を殺さなかったのだから、彼の両親に感謝されてもいいよなあ」と思ったと書いています。

米軍は、実際に戦場において敵兵を殺す目的で銃を発射した経験がある者がどのくらい存在しているか調査した結果、実際のそのような経験を持っているものは意外に少なく、およそ2割(この数字、GGIの記憶が不確かですので多少異なっているかもれません)に過ぎなかったことが明らかになったために、これではいけない、もっといざとなったら銃撃して敵兵を殺すことをためらわない兵士の数の増やす必要があると考え、兵士に心理的な訓練を施しました。その結果、ベトナム戦争では戦場で敵を殺すために実際に銃を発射した経験がある兵士は格段に増えた(およそ9割?、この数字もちょっと不確かです・・)とされています。

つまり、人間という生き物は兵器としてはまことに不向きと申しますか不完全な存在なのです。このような不完全な兵器とも言うべき人間を戦場に向かわせるよりも、人を殺すことに決して迷ったり躊躇することがない、AIの命令を忠実に実行する「自律型兵器」を戦場に向かわせるほうが戦場で勝利をおさめることができる確率が確実に大きくなる、というのが「自律型致死兵器」開発の大きな理由の一つではないか、というのがGGIの考えです。

今日の写真は米軍の武装無人航空機プレデターです。

米空軍は1990年代後半から武装無人航空機(プレデター:写真)を使用しており、近年は中東で遠隔操作のドローンによりテロリストを標的に戦闘を行っています。これらは現在のところ「自律型」兵器ではなく、人間の手によりコントロールされていますが、将来的には人によるコントロールを介しない、人工知能などによる「自律型致死兵器」に姿を変えるのではないかと懸念されます。

(上記の写真はhttps://www.businessinsider.jp/post-34966によるものです)

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

この日記、つづくかもしれません)

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする