UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

広島原爆資料館・・・ある展示物についての記憶・・・

2023-05-31 23:47:11 | 日記
Gセブン広島サミットが終わり、日本は少しばかり静かになりましたね。この国際会議、開催地が原爆投下の地であったため、核廃絶が重要なテーマの一つとされていたのですが、ロシアの核を非難する一方でG7の核抑止力を強調するなど、ご都合主義の点があったりしましたので、核なき世界に向けて果たしていったいどのような具体的成果があったのか、まったく定かではないように思われます。

けれども、G7のトップの面々が原爆投下の地でそろって原爆資料館を見学したことは多少なりとも意味があったのではないでしょうか。原爆を投下した米国に配慮したのか、トップの面々が見学している場面は非公開とされていました。かつてオバマ氏が米国の大統領として初めて訪問したときは資料館の見学はわずか10分足らず、入り口に用意した数点の展示物を見せただけであったとされています。つまり、「見学」には程遠い名ばかりのものに過ぎなかったのですが、今回は、見学時間は約40分、十分ではないにしてもかなりの展示物を観ることができたものと思われます。

見学後、各国の面々は、言葉少なではあったものの、みなさん強い印象を受けたようであり、率直に感想を述べていたように思われます。ここで「もちろん」と書くのはまことに残念の極みですが、もちろんバイデン米国大統領の口からは謝罪の意を感じさせる言葉は一言も聞かれませんでした・・・

実は、まことに遠いむかしのことですけれども、わたしも広島の原爆資料館を一度だけですが見学したことがあります。若き日のことです。

広島駅からブラブラ徒歩で平和公園へと向かったのですが、まず驚いたのは広島球場が平和記念公園のすぐ近くにあったことです(今は別の場所を移転しており、そんな近くにはないと思います)。ええっ、こんな近くにあるの!そうかあ、そうすると広島市民は夜な夜な平和公園のすぐ近くで広島カープ応援の歓声をあげているんだあ・・・歓声をあげるのは勝手だけれど、ちょっと近すぎるのじゃない?そんなことでいいの?・・・と、正直申しあげて、少なからぬ違和感を持たざるを得ませんでした

(ついでに申し上げますと、堀田善衛の原爆投下を題材にした小説「審判」に、主人公である爆撃機の搭乗員であった米国の青年が戦後しばらくして広島にやってきて、広島の街をぶらつき、広島球場で新人募集のトライアルに挑んでいる若者たちの様子を眺めているシーンがあります。この青年、後に爆心地近くの川に飛び込んで自殺します。この小説、著者自身が「自分がひとりの読者になったつもりで他人の作品として読んだところ、なかなか良く書けているなあと感心してしまった」と、かつてNHKの番組で述べているだけあって、なかなかの注目すべき力作、優れた作品であり、一読に値します。余談の余談:この小説、京都外大の先生が英語に訳しており京都外大から出版されているのですが海外ではほとんど知られていないようです。そこで知人の欧州の某言語に精通している人物に、翻訳すれば高い評価を受けることは確実だから、翻訳する気はないかと打診したことがあるのですが、実現しませんでした・・・)

私が見学したのは半世紀ほど以前のことですから、今は展示の規模がもっと広がり、展示の仕方や内容はかなり変わっているのではないかと思いますが、展示の中心となっているのは被爆者の様々な遺物、原爆投下による破壊の跡を示す残骸、破壊の凄まじさを示す写真などであることには変わりがないものと思われます。ただ、私が見学したときには、これらの展示物の他に、数は定かでないのですが、標本の類があったように記憶しています。

どのような標本が展示されていたのかも記憶は定かではありません。けれども、展示されていた標本のひとつが今でも私の脳裏にはっきりと焼き付いています。今でも忘れることができません。

私はその標本を少し離れたところから目にしたとたん、何か異様な感じがして、思わず足が止まってしまいました。大きなガラスの容器のなかに、何かがホルマリン漬けにされています。はじめは分からなかったので近づいて見てみますと、ガラスの容器に入れられているのはどうやら胎児の全身のようです。さらにもう一歩近寄って見てみますと何か様子がヘンなのです・・・頭のあたりの形が大きく歪んでいて、異様なのです。

えっ、いったいこれは何なのだ?・・・この変な形をしたものは・・・

あわててこの展示物の表題を見てみました・・・「無脳胎児」と記されていました・・・無脳胎児?・・・いったい何なんだ、これは?・・・えっ、脳がない?生き物に欠かすことができない肝心の脳が存在していない胎児・・・こんなことがあるのか?・・・あってもいいのか、こんなことが・・・こんなことが起きていいのか・・・いったいどういうことなんだ・・・

おそらく妊娠中の母親が原爆投下で高線量の放射線を浴び、その影響で胎児の脳が形成されなかったか、あるいは脳の大半が欠けているのでありませう・・・

私はくぎ付けになってしまいました、しばらく身動きできませんでした、何ていうことだ・・・こんなことがあっていいのか・・・・

私だけではありません、ネットを見てみますと、「この標本を見て吐き気を催した」「この標本を見て、もうこれ以上見学を続ける気が失せてしまった」などと、この標本を目にしたときの衝撃を記している方がおられます。

(偶然ですが、一昨日、5月30日の夜にNHKが再放映していた「チェルノブイリ・衝撃の真実:口開く証言者」と題されドキュメンタリーを見ました。そのなかで、ある女性医師が苦し気に証言していました。「原発のすぐ近くの町で暮らす妊娠中の母親たちが原発事故により強い放射線を大量に被爆したために、胎児が極度の奇形を呈している事例が次々に認められました。このため被災者が押し寄せ廊下まであふれている大混乱の病院で、かなりの数の胎児を・・・必死の思いで次々に中絶手術を行わざるを得ませんでした」・・・ヒロシマと同じことが起きていたのです)

最近は展示物の数が増えて多様なやり方で展示が行われるようになっているけれども、ショッキングな展示物は以前より減っているのではないかと評されることがあります。このため、この胎児の標本が今も展示されているかどうかは定かではありません。でも、たとえこの標本が展示されていないとしても、原爆資料館を見学したことがない方は、一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。決して無駄ではありません。

また、原爆がもたらした被害に関しては、資料館の展示物以外に、被爆者が自分の体験を描いた一連の絵があることが知られています。NHKが被爆者に呼びかけて、自分の体験を、原爆投下後の自分や身のまわりの被爆者の様子などを思い出して描いてもらった、さまざまな場面が描かれている絵です。絵としては画家などの手になるものではありませんから、技巧的には稚拙かもしれません。しかし、絵が上手であるか稚拙であるかなどということなんかまったく気にならないほど、いや稚拙であるが故に、かえって被爆がどのように惨たらしい結果をもたらすものであるかが、極めて具体的に直截に描かれており、思わず絵から目が離せなくなります。

おそらく被爆した人々は原発が投下され被爆した日のことを思い出して、必死の思いで描いたのでしょう。

皮膚がずるりと剥けてしまって腕から垂れ下がったままのひと、大やけどを負い、水を求めて川岸に倒れこみ、川面に首をつっこんで必死で水を飲もうとしている人々の群れ、飛び出してしまった片方の目玉を手のひらで支えてさまよい歩いている人、市電に乗っているときに原爆が投下されために車外に投げ出されたり、車内で立ったり座ったままの姿勢でそのまま丸焦げになってしまった人々など、被爆者が描いた絵をご覧になるだけでも、原爆投下が実際に人々に何をもたらしたか、きわめて具体的に知り、あらためて実感することができます。Gセブンの面々にはこれらの絵も見てほしかったと思います。やがて原爆投下の日、8月6日と9日がやってきます。ご覧になったことがない方は一度ご覧になってください。

今日の写真はG7の面々が献花する場面を撮ったテレビの映像を借用したものです。よろしければクリックしてご覧になってください

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素人俳句教室:「木漏れ日」は季語ではありません・・・

2023-05-27 01:37:26 | 日記
木漏れ日が涼やかな季節です。そこで木漏れ日ウオッチャーの私、近くのお寺の横の小径で木漏れ日の写真を撮ってみました。よろしければクリックしてご覧くださり、やっぱり木漏れ日は丸いことをご確認くださいませ

この写真を眺めておりましたら、遠い遠い、今や遠すぎるわが青春の時を思い出したりして、柄にもなく俳句でもひねってみようかという気になりました

などと書きますと、「ムリムリムリ、おまえになんかに俳句は」などという声があっちこっちから飛んできそうなのですが、ムリを通したくなったのにはわけがあるのです。

実は今週のはじめ、深夜、例の広島Gセブンとやらをちょっぴり嗤った川柳を思いついてしまいました。そこでほんの出来心で、ちょこちょことメールをしたため某全国紙の川柳欄に投稿しました。これがきっかけなのです。翌日の朝刊にも翌々日の朝刊にも私の投稿は載ってなかったのでやっぱりだめかとあっさりあきらめて忘れておりましたら、翌々翌日の朝刊、何と私の作品が載っているではありませんか!!定員7名の全国区で当選なのです!私は政治家諸氏に劣らぬウソツキでありますが、これはウソではありませぬ,ホントにホントなのです!

あまりうまくいってしましたので、笑いがとまりませぬ、やったあ、これで日ごろ私のことを軽んじている知人たちを見返すことができるぞおお!笑い過ぎたのであやうくゼンソクの発作が出そうになってしまいました。何かに入選するなんて、小学校一年生のころヘタクソな絵を描いていらいの大快挙・・・・そうかあ、川柳をつくることができるのだから、似たようなものや、オレに俳句が作れたっておかしくないだろう!というわけで

木漏れ日の 君と歩いた あの小径 ・・・

いかがですか?ちょっと甘ったるくておセンチやけど、何とか俳句になっているだろうと大自己満足

ところが、念のため「木漏れ日」はいずれの季節を指すのであろうと、ネットさんにききましたら、なんと

「木漏れ日は、四季を問わず目にすることがありますので季語ではありません」・・・

ああ・・、これは俳句ではないというご宣託です。何ということでありませう・・・残念無念・・・そこで苦肉の作(策)・・・「新緑」は堂々たる季語でありますので

新緑の 木漏れ日の道 君と僕

何や、あきらめ悪いなあ、ますます駄作やなあとおっしゃるのですか・・・お説の通りでありませう、やはり慣れないこと、するものではないということですね・・・

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広島でのG7サミットの記事を眺めていたら、東京裁判で原爆投下の問題を引き合いに出して日本側戦犯の弁護に尽力した米軍所属の弁護士がいたことを思い出した・・・

2023-05-16 00:36:58 | 日記
G7広島サミットが近づきました。開催地が広島市であることから、この会議の主なテーマの一つは核廃絶問題とされていますので、この問題の源である原爆投下のことを何となく考えていましたら、今年の2月3日の深夜に見たテレビ番組のことを突然思い出しました。

深夜、ドキュメンタリー「映像の20世紀」を途中から見始めましたら、いきなりこれは何なのだと思わず身を乗り出してしまうようなシーンが目に飛び込んできました。日本のA級戦犯28人を裁く裁判、いわゆる「東京裁判」(正式名称は「極東国際軍事裁判」1946年5月~1948年11月)の法廷、その一シーンです。28人の被告をはじめ、大勢の関係者が勢ぞろいした広々とした法廷の中央で、米軍の制服姿の人物がひな壇に居並ぶ多数の裁判官たちに向かって、姿勢を正して何かを懸命に主張しています。

「・・・キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、私は広島に原爆投下した者の名前を挙げることができる。原爆を投下した者がいる・・・・この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その者たちが裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか・・・・・」

最初は何を言っているのかまったく理解できなかったのですが、この人物、米軍の軍服姿をしていますが、どうやら戦犯とされた日本側の被告たちのために弁護を行っているようでありました。この米国人が言いたいのは、要するに「日本側による真珠湾攻撃をはじめとした米国相手の戦争行為が犯罪であるとするのであれば、米軍による原爆投下も同様に犯罪ということになるのではないか、日本側の当時の指導者をその行為故に裁判で戦犯として裁くというのであれば、原爆投下に関係した米国側の人物も同様に戦犯ということになるのではないか」ということのようです。

この人物の動機、意図、考えがどのようなものであったとしても、東京裁判が開始されたのは米軍の空爆がもたらした焼け野原が未だ全土に広がっている、戦争の爪痕がまだまだ生々しい敗戦の翌年(1946年、昭和21年)のことでありました。当時の国際情勢を考えますと、すなわち、米国をはじめ連合国側で「原爆投下が戦争を終わらせた」と原爆投下の正当性が喧伝されていたという当時の状況を考えますと、原爆投下を何らかの点で云々すること、その正当性などに関してあからさまに論じることは、正面からタブーに触れることになる、非常に勇気を要する行為であったのではないかと思われます。

原爆を投下した国の軍人が、国際的に注視されている裁判の法廷で、裁判を行うことの法的正当性に関して疑問を呈し、原爆投下という自国が行った行為を明確に問題視したのです。被告を弁護する任を負った限りは、たとえ被告がかつての敵国の人物であっても、たとえ自国の戦争行為を問題にすることになっても、法的論理を駆使して公正な弁護に努めることが弁護人の義務であるとこの人物は考えたのでありませう。

私はほんとうに驚いてしまいました。米国の軍人であるにもかかわらず、日本の戦犯の弁護に力を尽くすために、日本側の行為だけではなく自国が行った行為についても直視し、確かな法的論理に基づき、何ら躊躇することなく堂々と持論を述べる姿に、私は思わず見入ってしまいました。

この番組を見終わってから、ネットさんなどの助けを借りて、この人物のことや東京裁判のことを少し調べてみましたら、私が知らなかっただけであり、この人物が東京裁判の法廷で原爆投下の問題を視野に入れて弁論を行い、当時、非常な物議をかもしたということは広く知られている事実でした。無視することができない非常な問題発言であったため、この発言があったとき、同時通訳が停止され、日本側の速記録には、この部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されていないとされています(ですから上記の発言の日本語訳は後に作られたものであると考えられます)

この人物の名はベン・ブルース・ブレイクニー(1908~1963)。東京裁判当時、米軍所属の弁護士でした。東京裁判は日本の法律ではなく英米法に基づき審理されたのですが、日本側には英米法に通じている関係者が少ないためGHQのマッカーサ―元帥に英米法の専門家を派遣してくれるよう求めたところ、25人の関係者が派遣されてきました。その一人がベン・ブルース・ブレイクニーでした。彼は日本軍捕虜の尋問チームを率いていた経験があり、日本側の事情にも詳しく、東郷茂徳(外交官、終戦時の外務大臣)と梅津美治郎(陸軍大将)の弁護に当たったとされています。彼のこの陳述は敗戦の翌年、原発投下からわずか9カ月後の1946年5月14日に開かれた公判において行われました。

今日の写真は日本の戦争指導者を戦犯として裁くというのであれば原爆投下に関係した米国側の関係者も戦犯ということになるのではないかと主張するブレイクニーの姿を捉えた記録のテレビ映像です。ピンボケですがよろしければクリックしてご覧になってくださいませ。

ウィキペディアの「ベン・ブルース・ブレイクニー」の項に記載されている内容やユーチューブで見ることができる東京裁判の映像などによりますと、ブレイクニーの、日本側戦犯弁護に当たっての法的枠組み・法的論理はごく大雑把にまとめますと以下のようなものです。

・これまで国際法において、国家利益追求のために行う戦争自体が非合法を見なされたことはない。このため、これまでに国家の戦争が犯罪として裁判で裁かれた例はない。したがって「戦争」を裁くことはできない。これ故、日本側の戦争行為を対象とした検察側の《平和に対する罪》という訴因は却下されなければならない。また米国による原爆投下も犯罪には相当しない。
・しかしながら、それでも戦争を裁くことができるとするのであるならば、すなわち真珠湾攻撃をはじめとした日本による戦争行為を犯罪で見なすことができるのであれば、米軍による原爆投下も同様に犯罪であるということになる。
・どうしても先の日本による戦争を裁くというのであれば、公平を期すために、少なくとも、戦勝国の裁判官によるのではなく、中立国の裁判官により裁かれるべきである。

ブレイクニー氏は上記のように、初めに「これまで戦争行為自体が裁判の対象とされたことはなかった」という法的事実を理由として、日本による戦争行為も米国による原爆投下も犯罪ではないと主張しました。しかしながら、米国の原爆投下に関しては、無条件に一国による戦闘行為であることを雌雄にそのの正当性を認めていたというわけではありません。実は、彼は別の法的側面から、その違法性を明確に指摘していました。

すなわち、上記の陳述から10カ月後の1947年3月3日の公判において、ブレイクニーは「原爆はハーグ陸戦条約において禁止されている兵器である」と陳述しています。この指摘は戦争そのものを裁くことはできないとしても、原爆投下が国際法違反であり、違法であることを意味していると言えます。

「ハーグ陸戦条約」というのは1910年に発効した国際条約であり、その23条において「毒、または毒を施した兵器の使用を禁ずる」と規定されており、また、「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じています。この規定に照らして考えるならば、原爆が「不必要な苦痛を与える兵器」であることは、すなわちこの条約に違反する兵器であることは明らかです。

残念ながら米国政府は、今日に至るまで、一度たりとも原爆投下が違法であると認めたことはありません。また、投下したことを謝罪したこともありません。一方、戦後、日本政府は米国政府に対して、原爆投下の違法性を指摘することも、あるいは謝罪を求めることも、一度たりとも行っていません(ただし、長崎に原爆が投下された翌日、当時の日本政府は国際法違反であると米国に対して抗議したとされています:中国新聞2007年8月6日による)。

しかしながら、上記のブレイクニーの陳述以外にも、戦後、原爆投下の問題が国内や海外における公的な場で明確に判断が下されたり問題視された例は存在しています。

たとえば、広島・長崎の原爆被災者たちが、米国政府に代わって日本政府が損害賠償を行うよう求めた民事訴訟で、東京地裁は、1963年12月7日、損害賠償請求は認めなかったものの、原爆投下が国際法違反であることを明確に認める判決を下しました。これは日本の裁判所による原爆の違法性に関する初めての判決として国際的にも注目されました(この裁判では賠償請求そのものは認められなかったため、法的には原告は敗訴という形になりますが、原告が控訴しなかったため、「原爆投下は違法である」とする司法の判断は確定しました)。

また、十年ほど前にも以下のようなことがありました。シリア軍が化学兵器を使用して市民を無差別に攻撃していることは国際法違反であるとして、米軍が軍事介入を行ったことは正当であるとする説明を米国務省が2013年8月8日の記者会見で行った際、ロイターの女性記者が「アメリカが核兵器を使った結果、広島や長崎の多数の市民を無差別に殺すことになったのは、あなたの言う同じ国際法違反になるのですか?」と質問したところ、国務省の副報道官は「その質問は、受け入れるつもりさえないですよ」と、答えることを露骨に拒否したということが報じられています(以上はJ-castニュース2013年8月30日による。この報道によれば、記者会見の様子を共同通信が伝えていたとされています)。

米軍所属の弁護士ベン・ブルース・ブレイクニーの東京裁判での主張を知って、「やっぱり東京裁判は戦勝国による不公平な裁判であり無意味なものであったのだ」と考える人がいるかもしれませんが、ことはそれほど単純ではありません。と申しますのは、戦争行為そのものを他者が裁くことは確かに国際法上は問題があるとしても、少なくとも自国が仕掛けた戦争に際して行われた、戦争犯罪に値する残虐行為などに関与していた者に関しては、他者の手を借りるのではなく、まず自らの手で裁くべきであるからです。それが戦争を仕掛けた国の責任というものです。

この点に関して言うならば、日本は戦後、自らの戦犯を裁くという行為をまったく行っていません。皆無です。しかしながら、ドイツは戦後一貫して戦犯の追及を自ら行ってきており、今でも捕虜やユダヤ人などに対する残虐行為に関与していた人物を追求し裁判にかけています。たとえば、昨年末、2022年12月21日のBBCニュースによれば、ナチス強制収容所の秘書であった97歳の女性が1万人以上の殺害に関わったとして有罪判決を下されています(この裁判がドイツにおける戦犯追及の最後の裁判になるのではないかとされています)。

以上、広島でのサミット開催を機会に、だらだらとまとまりのない一文を記してしまいました。原爆投下の問題に関心をお持ちの方は引用しておきました資料の類をご覧になるようお勧めいたします。

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そして誰もいなくなった・・・おれ、とにかく広くて空いている店が好きなんや!・・・

2023-05-11 00:22:32 | 日記
毎日が日曜日だったりとつぜん月曜日になったりするベテラン後期高齢者には関係のないことですが、連休が終わりました。

そこで連休明けの月曜日、近くの湖畔のわが迎賓館であるところのドイツ料理のレストランで久しぶりに知人とランチを楽しむことにしました。予約の電話をしたときから分かっていたのですが、お店は見事にがら空きでした。やはり日本人は勤勉なのです、連休のついでにずる休みという人なんかいなのです。

アガサ・クリスティーの作品に「そして誰もいなくなった」という探偵小説がありましたが、ほんとうに見事に客がいなくなっていたのです

久しぶりに会ったお店一番のベテランウェイトレスさん曰く、「この一週間、連休中ほんとうにたいへんでした、連日てんてこ舞い、でも今日のランチタイム、おそらくあなたたちが最初で最後のお客さん・・・、夜もほとんどお客さんはないのでは・・・」

かようなしだいで、ドイツ人の大工さんたちがやってきてビールを飲みながら建てた大きな建物であるわが迎賓館、全館、今日は二人で借り切りとあいなりました。

大きなテーブルもある広々とした部屋、二人だけでゆったりとドイツビールでランチ、最後になかなか美味でオシャレなデザートとコーヒー、まことに快適、結構の極みでありました。そして、ウェイトレスさんの言葉通り、私たちの後には誰も客は現れませんでした・・・・

私は、食べ物屋さん、味がどうのこうの、値段がどうのこうのも気にはなるのですが、それよりも、広くて空いていることが一番の条件でありますので、「いやあ、今日はお店、がら空き、まことに結構でした!オレ、とにかく広くてがら空きの店、大好き!だから、今日はお休みのマネージャー氏に言っといてください、客が来なくて、がら空きで、閑古鳥が我が物顔でいるときは、知らせてくれれば、また来ますからって」と礼を言ってお店をあとにしました

湖岸に出ると風が少し強かったのですが、わが淡海である母なる湖が明るい日ざしに青く輝いていました

今日の写真はがら空きのわが迎賓館を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

わが迎賓館の難点は、ドイツ産のビール、美味ではあるけれどお値段が高すぎることです、ウェイトレスさんもはっきり認めておりました、「そうです、高いです!高すぎます!」。ですから、ジョッキを何杯も何杯もという大酒飲みのみなさんには不向きでございます

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いったい何を運ぶの?何を運んでいるの?

2023-05-06 00:44:57 | 日記
5月1日、晴天、わがガーデンの前の大通り、その歩道を旗を持った行列の一団が通り過ぎていきました、何だろう今日はと思ってぼんやり眺めておりました

行列が通り過ぎてから、そうだあ、今日はメーデーなる記念日であったことを思い出しました、そうかあ、まだメーデーというものがあったんだあ、もうでっかい会社の労働組合なんかすっかり腑抜けになっているのにやっているんだあ・・・

メーデーのデモだったんだあ、それにしても元気のないしょぼくれたデモだったなあ、でもデモご苦労さんなどと思って、さらにぼんやりを続けていましたら、次にヘンなものがやってきました。でっかいトラックです、デモの皆さんが通り過ぎたすぐあとに、トレーラートラックというのでせうか、とても大きなトラックが通り過ぎていきました

とてもヘンな形をしたトラックです、今日の写真はこのヘンなトラックを撮ったものです。いつものどうでもいい写真ではありません。一見に値する?写真ですので、今日はぜひクリックしてご覧になってくださいませ

ご覧の通り、とてもヘンな形をしていますね、頑丈そうな、波打つような、大きなかごのような、ヘンな形のデッカイ荷台、こんなもの今まで見たことがありません

いったい何を運ぶ荷台なのでしょうか?
それとも、このトラック、このヘンな形のものを運んでいるというのでありませうか?
さっぱり見当がつきません・・・

この疑問を考えていますと、地下鉄の車両はいったいどこから地下に入れたのか考えていると眠れなくなるという漫談家のオッサンがかつていましたが、このオッサンの地下鉄問題以上に眠れなくなりそうです・・・

この写真をご覧になって、このトレーラートラックは何を運ぶのか、わかったかたはぜひご一報下さるよう平に伏してお願い申し上げ奉り候チョンマゲでございます

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