UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

にわかファッション評論家:英国風シックな装いについて・・・

2020-10-28 23:02:04 | 日記
GGIはときおり知人たちに向かって「オレは(君たちとちがって)シティボーイや」と言ったりして「何ネボケテルノヤ」とバカにされておりますが、近頃の若者などとは異なり、べつにファッションに関心があって服装に気を配っているわけではありませぬ、不潔すぎる服装でなければなんでもOKです。OKなのですが、ときおり気がついたら不潔に大接近したりしております・・・

けれども最近ちょっぴりファッションに関心を持ってしまうという事態が生じました。と申しますのは9月26の日記に書いたのですが、わが庵の近くのビルの一階、ガラス張りの部屋にイギリスの高級?婦人服屋さんがお店を開いたからです。

毎日のようにこのお店の前を通りかかるのですが、GGIはもちろん婦人ではありませんので、お店の中に飾ってある様々な服を遠くから眺めるだけであり、これまで仔細にイギリスのお洋服なるモノはどのようなものかと観察したことはありませんでした。

ところが、一昨日通りかかりましたらお店の照明は消されており、ひと気がなく、ショーウインドーだけが明るく照らし出されておりました。そこで、これ幸いと英国婦人服の傾向と対策について研究すべく、ショーウインドーに接近してしばし飾られている婦人服を仔細に観察してみました。

今日の写真はショーウインドーに飾られていた一着の婦人服を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

コートとセーターとスラックスとシューズ・・・

GGI、しばらく、ながめていて「やっぱりシックやなあ、英国風は・・・」といたく感心してしまいました。「シック」というのは元はフランス語のchic、「上品な」「あか抜けした」「粋な」「エレガントな」「落ち着いた」などという意味だとされていますが、まあ、シックの中核を成すのは「落ち着いた」という要素でありませう・・・

淡いグレー系とブラウン系といった中間色のあつかいが巧みであり、そのため全体として落ち着いたものにまとまっています。中間色が生み出す微妙なコントラストがなかなかステキです。

このような中間色を生かした「シック」な服を眺めておりますと、昨今の日本の女性のみなさんの服装、色彩が妙に派手々々しくなる一方やなあ、センスが悪くなる一方やなあと、センスが悪くなる一方やから、このようなシックな服はよう着こなすことができんやろなあ、いや女性のみなさんだけではなく最近の街の様子を眺めていると日本人の色彩感覚はますますセンスの悪いものになる一方やなあ、などと思わずにわかファッション評論家のGGIは悪口を叩きたくなってしまいます。

いったいいつから日本人の色彩感覚はこんなことになったんや、戦前はこんなことはなかったのとちゃうか・・・などとぼんやり考えておりましたら、コダックのカラーフィルムについてのどこかで耳にしたエピソードを思い出しました。デジタル画像全盛の昨今とは異なりコダックのフィルムが全盛であったころのことです。

コダック社の欧州向けのカラーフィルムの仕様と日本向けのカラーフィルムの仕様は異なっており、日本向けには欧州向けよりも派手な色彩に仕上がるフィルムを輸出していたとのことです。この話を知って、そうかあ、戦争に敗けて日本人は渋~い日本の伝統色なんか捨ててアメリカ人みたいに派手な色彩を好むようになってしまったんだあ・・・・

GGIは最近映画をほとんど見ないのですが、若かりしころは「洋画」と称されていたアメリカや欧州発の外国産の映画を結構見ていました。そのころからハリウッド映画の色彩は派手やなあ、それにくらべて欧州発の映画、中間色の扱いがうまく、そのため落ち着いた画面に仕上がっていることが多いなあなどと感心しておりました。

それに、日本人の色彩センスが悪くなったのはテレビの映像の影響ではないか、というのがGGIの持論であります。ドラマはもともと作り物ですから意図的にハデな映像にされたところで問題ないのですが、ニュースやドキュメンタリーの画面、それに各種自然の光景など実在しているものを写した映像、いずれも実物よりもずっと派手に映し出されているようにGGIには感じられるのです。最近のデジタル画像は、撮影後いくらでも加工処理が可能ですから、視聴者などの好みに合わせて画像を細工しているのではないか、このような実物とは異なる画像に慣れてしまって、いやナラサれてしまって日本人の色彩センスはますます劣化しているのだ、などとGGIは邪推しております

などなど、おもいつくまま昨今の日本人の色彩感覚をけなす一方で英国風シックをベタ誉めいたしました。しかしながら、この英国風シックな装い、結構おカネがかかりますのでご注意ください。写真で紹介しましたお洋服、いくらすると思いますか?実は一式で金14万余円也(プラス税?)でございます、えっ、何ですか?そのくらいなら何とかなるとおっしゃるのですか?勝手にしてください!さっさと消えてなくなりなさい!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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学術会議会員任命騒動に想ふこと:「曲学阿世」って知っていますか?

2020-10-24 23:55:37 | 日記
日本学術会議会員を任命するに際して菅首相が6名の候補者の任命を、理由をまったく示さずに拒否したことが問題になっていますね。まあ、はっきり申し上げて、これは菅君、思ってもいなかった首相に突然なることができて(あるいは、ならせてもらって)有頂天、「オレは首相だ、もう番頭なんかじゃないぞ、自助努力でここまで来たんだ、だからなんでもできるんだ」と張り切り過ぎての暴挙の結果であろうというのがGGIの邪推まじりの考えです。

この任命を拒否された6人、いずれも政治的な事柄と接点のある文系の学者(行政法学、刑事法学、憲法学、宗教学、政治思想史、日本近代史)です。6人はこれまでに安倍内閣に批判的な発言をしたことがあるとされています。

菅君が任命を拒否したのは、ひとことで言えば、かれらは現政府・政権にとって好ましからぬ思想信条の持ち主であり国家にとって有害無益であると、管首相とその最側近である元警察官僚で公安のプロである副官房長官が判断したからであることは、まず間違いないでありませう。このことは誰の目にも、野党諸氏だけではなく、もちろん政権を担っている諸氏にも、与党の諸氏にも、賢明なる市民の目にも、明らかでありませう。しかしながら、菅君の行為は思想信条言論の自由を認めないこよによる明らかなる差別行為でありますから、菅君は口が裂けて任命拒否の理由を明言することは今後も決してないでありませう。野党諸氏がいくらがんばっても頑として口を開かないでありませう

などと考えておりますうちに、わが若き日と申しますか、まだ幼き日に、「曲学阿世」という言葉を耳にしたことがあるのを思い出してしまいました。教養なきGGIがこんな難しい漢語を幼くして知っているはずがありませぬ。この言葉、かつての名宰相とされる、あるいはワンマンの代名詞でもあった吉田茂首相が講和条約の締結を前にして、当時の東大総長南原茂(1889~1974、政治学)に対して投げつけた言葉です。

「曲学阿世」とは「史記」に記されている言葉です。「真理を曲げて世の人の気に入るような説を唱え、時勢に投じようとすること」、「世間にへつらって真理を曲げること」と言った意味です。つまり首相の吉田茂は南原茂氏をインチキ学者呼ばわりをしたのです。

日本の独立を認める講和条約は1951年(昭和26年)、吉田茂政権のときに締結されたのですが、連合国として日本と交戦したソ連とは締結されませんでした。しかし、締結を前にして、西側の戦勝国だけではなくソ連とも条約を結ぶべきだとする、いわゆる「全面講和論」が国内にはありました。

当時東大の総長であった南原茂は1950年に退官したのですが、退官直前の三月の卒業式で、学生に向かって平和と全面講和を説くなど、全面講和論を強く主張しました。しかし、この南原氏の考えに吉田茂は強く反発、当時の与党「自由党」の議員総会で演説し、「永世中立とか全面講和とかはムリムリムリ、口先で言うだけの話。南原総長などが政治家の領域に立ちいって口出しするのは、曲学阿世の徒だ」と言い放ったのです。この一言で「曲学阿世」という聞きなれない漢語が一挙に日本列島を覆った、そのため小学生だったGGIの脳みそにも「曲学阿世」という漢語が焼き付いてしまった、というふうにGGIは勝手に記憶しております。

それ以来GGI、一回は誰かに向かって「おまえなんか曲学阿世の徒だ!」で言ってやりたいものだと思っておりました。そして望みを果たせないうちに老いてしまい、このたびの学術会議騒動で久方ぶりにこの言葉を思い出してしまったというしだいです。

曲学阿世呼ばわりされた南原茂氏は黙っていませんでした。しっかりと反論しています。

「曲学阿世などという烙印は、満州事変以来、(天皇機関説を唱えた)美濃部博士をはじめわれわれ学者にたいし、軍部とその一派によって押し付けられたものであり、学問の冒涜、学者に対する権力的弾圧以外の何ものでもない」

「全面講和は国民の何人もが欲するところであって、その理由づけ、国民の覚悟を論ずるには、ことに私には政治学者としての責務である・・・複雑に変移する国際情勢のなかにおいて、現実を理想に近接融合せしめるために、英知と努力を傾けることにこそ、政治と政治家の任務がある。それにもかからず、それを最初から曲学阿世の徒と空論して、全面講和や永世中立論を封じ去ろうとするところに、日本の民主政治の危機がある」

なかなか気骨に満ちた反論ですね。この際、学術会議のみなさん、南原茂氏の元気ぶりを見習ってもっともっとガンバってくださいと言いたくなります。

この南原氏の反論に対して、吉田茂は記者会見で「南原君が反論しようとしまいと、南原君の勝手で、私の知ったことではない・・・事実上アメリカなどとの単独講和はすでにできているのだから、これを法的に講和にもってゆくべきだ」。そして当時の自由党の幹事長佐藤栄作は南原氏の反論に対して「党は政治的観点から現実的な問題として講和問題を取り上げているのであって、これは南原氏などにとやかくいわれることではない。もとより学問の自由は尊重するが、問題はすでに政治の問題になっているので、ゾウゲの塔にある南原氏が政治的表現をするのは日本にとって有害である」と述べています。

いつもながら手抜きでありますが。上記の吉田茂や南原茂の発言の多くはネットに掲載されていた信夫清三郎著「戦後日本政治史Ⅳ、1112ページ」に基づいてGGIが勝手にリライトしたものです

信夫氏はこの吉田茂など政治家の態度について「吉田茂の態度は、まさに官僚的であり、国民との対話を拒否していた。彼の態度は佐藤栄作の官僚的態度によって倍化されていた」と厳しく批判しています。しかしながら、この政治家と学者の真っ向からの批判の応酬ぶりを読んでいますと、隔世の感があります。

と申しますのは、このたびの学術会議会員任命問題においては、首相は任命拒否について理由や根拠に法的妥当性について徹底して口をつぐみ説明を拒否することにより議論すること自体を拒否して、議論を徹底して封じ込んでいるのですが、一方、講和問題では、上記の内容をお読みになってお分かりになると思うのですが、政治家と学者は逃げることなく、少なくとも真っ向から正直に持論を展開しているからです。

信夫氏はその著書で、吉田茂や佐藤栄作を「官僚的態度」と批判していますが、前首相の安倍氏や菅新首相の民主主義の基礎をなす対話・議論を行うこと自体を徹底して拒否するという一方的態度は単なる「官僚的態度」といって済まされる程度のものでないことは明らかです・・・

かようなしだいで、いまから考えますと、少なくとも敗戦後しばらくは、日本には今よりはましな民主主義が存在していたのではないか、というのが後期高齢者の嘆きでございます。

南原茂氏が強く指摘して以来今にいたるまで「日本の民主主義の危機」は続いている、危機は一段と深まっているというべきであろうと、このたびの学術会議会員任命問題に遭遇してGGIは考えるのであります

今日の写真は任命を拒否された学者たちが日本外国人記者クラブで初めて記者会見を行ったことを報じている10月24日朝日新聞の記事を撮ったものです。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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独居老人骨折日記(その四):賞味期限なんかどうでもいいのだ!それでいいのだ!

2020-10-21 23:57:11 | 日記
GGI、八月の下旬に右腕を骨折してからやがて二カ月になります。

最近は一週間に二回のリハビリのおかげで徐々に右腕が動くようになってまいりました。これまでは上のほうにほとんどあげることができなかった腕、ある程度あげることができるようになり、調理作業なるものも徐々にできるようになりました。まだ犬食いさんですが、なんとかお箸をあやつることができるよにもなりました。

そこで一昨日、骨折以前には食していましたチャーハンつくりに久方ぶりに挑戦することしました。冷蔵庫を調べましたら、骨折以前に買ったキャベツとカボチャがすっかり腐っていました。これはいかんと、まずキャベツとカボチャは包丁で刻んでからわがガーデンに散乱させてやりました。

また、チャーハンの具となるスライスベーコンひと包と卵が三つ、同じく骨折以前に買ったものが冷蔵庫内に鎮座しておりました。賞味期限はベーコンが8月12日、卵が8月14日・・・さあてどうするかなあ、賞味期限を二カ月以上もオーバーしているしなあ、捨てるかなあ、でもなあ・・・優柔不断名人のGGIはしばし迷ったのですが、卵の容器に入っていた小さな注意書きの紙切れを見てみましたら「賞味期限を過ぎた場合は、よく加熱してご使用ください」と書いてあります。そうか加熱すればよいのか、そのぐらいはお安い御用、ベーコンも真空パックでしっかり包装されているのでナントカなるのではないか・・・

と意を決して、その他の具材であるキャベツ・ピーマン・青ネギを買ってきてチャーハンづくりに挑戦することにしました。しまった、いつもは生シイタケも使っていたのだけれど買うのを忘れてしまったなあ、でも、まあいいか・・・

卵は割ってみましたら黄味の形が少々乱れておりました、ベーコンもなにやらす少しばかりやわらか過ぎるようでしたが、まあいいか、熱を通せば大丈夫だろう・・

フライパンでゴハンと各種具材をしっかり炒めてから・・・どうもまだ不自由だなあ、よく混じっていないなあなどと思いながら官僚・・・味付けをどうするんだったかなあ、ああそうだ、まずはお塩を少々、黒コショウも少々、それに隠し味に味の素を少々、仕上げにご飯の周囲にお醤油をひとめぐりさせてジュワといわせてお醤油の香りを漂わせて、できあがり・・・

今日の写真は何とかできあがった久方ぶりのチャーハンを撮ったものです。たいしたものではございませんので、わざわざクリックしてご覧になるにはおよびませぬ。

お味?何だか画竜点睛を欠くという感が若干すると申しますか、もうひとつ何かが足りないような気はしたのでありますが、まあまあのできでありました

しかしながら貴重な収穫がありました。すなわち、賞味期限なんか気にすることはないのだ!どうでもいいのだ!それでいいのだ!ということを発見したのでありました。大収穫でございます。賞味期限を一カ月や二か月ぐらい過ぎていても大丈夫!

みなさんも賞味期限が過ぎたからといって捨てたりして食べ物をムダにされないようご注意ください!世界には飢餓に苦しんでいる人たちがたくさんいるのです。ですから賞味期限が過ぎているからといってすぐに捨てるようなことをしていたらバチがあたりますよ!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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ほんとうのこと言えば、警察国家にしたい・・・

2020-10-16 23:29:43 | 日記
日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を管首相が任命しなかったことが問題となっていますね。どうやら、真相は不明とされているものの、この6人が反政府的な考え・思想の持ち主であることがその理由ではないかという疑いが極めて濃厚であると言ってもよいようです・・・

6人のうちの1人、東大の歴史の先生(日本近現代史)、加藤陽子さんの最近の著作のひとつ、高校生を相手に講義した記録を本にした「それでも日本人は戦争を選んだ」(新潮社、小林秀雄賞)はGGIも読んだのですが、なかなか優れたユニークな著作、別にキケンな本でも何でもありませんので、加藤さんが6人のひとりであったことは意外でありました・・・

10月14日の朝日新聞など、最近の報道によれば、6人を除外することを首相に進言し実行させたのは内閣官房副長官の杉田和博氏であるとのことです。元警察官僚、東大法学部卒のGGIと同年齢の80代を目前にした人物です。誕生日もひと月と違いませぬ!このことを知って、東大ならぬ某大学のNO学部出身の、右腕骨折でいささかストレスが溜まっており、なんだか脚も少し弱ってきたようであり、元気がでないGGI、ええ年して、杉田君は元気やなあと思わず感心してしまいました。

ウィキペディアさんなどによりますと、杉田氏は「警察ではほぼ一貫して警備・公安畑を歩み、警備局長を経て内閣官房にて内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監として政権中枢で公安と危機管理を担った。2004年に退官。2012年12月26日、第2次安倍内閣において内閣官房副長官に就任」とされています。杉田氏はまた安倍前首相が新設した官僚の人事を完全に掌握するための「内閣人事局」の局長でもあるとされています。

政治記者さんたちはともかく、ほとんどの方は杉田氏の名前をはじめてお聞きになったのではないかと思います。というのは、彼は議員でも閣僚でもないからです。しかし、官僚出身でありながら日本の公安・治安・警備・インテリジェンスなどのプロ中のプロであり、政権内で絶大な権限を手にしている、いわば「影の人物」とも言うべき人物です。

学術会議会員任命に関する野党のヒアリングに対して元文科省事務次官の前川喜平氏が、文科省の分科会人事を巡って、かつて杉田氏から「政権を批判するような人物を入れては困る」と干渉を受けたことがあると証言していることからも(10月14日付け朝日)、このたびの騒ぎは杉田氏の入れ知恵を菅君が了としたことによるものであると考えても決して邪推したことにはならないでありませう。

安倍君はモリカケ問題や花見問題などこそこそとワルイことをしていたのですが、これらは「お友だち」のための「口利き」など、不正行為・スキャンダルあるいは汚職程度の次元の問題にすぎませぬ。しかしながら、このたびの学術会議会員推薦に際しての管首相自らによる干渉問題は、学問の自由や思想信条の自由を侵害するという憲法違反の問題を孕んでいる民主主義に根幹にかかわる問題、安倍君のけち臭いスキャンダルとは比べものならないぐらいの重大問題・・・

なぜこのような異様な、民主主義の根幹にかかわるようなことが起きるのか・・

GGIの考えでは、その主な原因のひとつは政権の中枢を警察官僚が占めていることです。これは極めて危険な状態です。治安を維持することは大切ですが、治安の維持=治安最優先=国民の監視、ではありませぬ。しかしながら、警察官僚はこれを簡単に混同し、いざとなれば強大な権力を背景に民主主義の理念を無視することも厭わないのではないか・・・、

などと考えておりましたら、日本の戦後文学を代表する作家の一人である、「海鳴りの底から」「方丈記私記」「審判」などの、優れた歴史的視野に貫かれた著作がある堀田善衛氏があるエッセーで以下のようなことを書いていたことを思いだしました

《あるとき警察庁の幹部である知人と話していたときに、聞いてみたことがある。

「それで君たちはいったい日本をどのような国にしたいと考えているのか?」
「ほうとうのことを言えば、警察国家にしたい」》。

堀田氏がこのエッセーを書いたのはずいぶん以前、数十年前のことですが、今や警察官僚の望みは実現されつつあると言っては言葉が過ぎるでせうか・・・

今日の写真は本文と関係ありませぬ。某日の夕焼けを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

なもあみだぶ、なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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かつて湖国では、ある町が核のゴミの最終処分場候補地に手を挙げようとしたというトンデモない騒ぎがありました・・

2020-10-13 00:13:03 | 日記
10月9日の新聞に、核のゴミの処分場すなわち原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐり、北海道の積丹半島にある寿都町が10月8日に国による候補地選定へ応募することを表明したと報じられていました。これは最終処分場建設のための第一段階である「文献調査」に応じるものであり、文献調査に応じた自治体には2年間で最大20億円が交付されることになっています。

次いで翌日の新聞で、10月9日に、寿都町の近くに位置している神恵内村も文献調査を受け入れることを表明したと報じられました。

寿都町は人口2900人、神恵内村は人口820人、いずれも財政状態が苦しく将来に向けて、調査に応募することにより得られる交付金に期待しての応募でありませう。

この二つの自治体による応募、果たして住民の十分な合意を得たうえでのことかは甚だ疑問であり、このため今後住民の反対が強まり混乱を来たすのではないかとGGIは憂慮しております。と申しますのは、かつて同じようなこと、つまり財政状態が苦しい小さな町がこの文献調査に応募しようとしたため大騒ぎになるという出来事がわが湖国であったからです。

えっ!そんなことがあったのかと思われる方もおられるかもしれませんがフェイクなんかではありませぬ。当時それほど全国的なニュースにはならなかったようなのでご存知のない方も多いかもしれません。湖国にお住いの方はご存知のはずの事件ですが、もうお忘れかもしれません。

湖国の最北端、琵琶湖の北にある余呉湖で知られる余呉町という町でのことです。いまから十年以上前の2006年のことです。GGIもこの誘致騒ぎがあったときは少し関わりましたのである程度記憶しています。正確なことを思いだすにはわが庵の家探しを行えばよいのでありますが、そのときの資料や新聞記事が出てくるはずではあるもの無事見つかるとは限りません。そこで手抜きで、ネットさんで探しましたら、大メディアの記事は見つかりませんでしたが、「四国新聞」の当時の記事が見つかりましたので以下に記事の全文を紹介しておきます。

最終処分場誘致を断念/滋賀・余呉町、原発ごみ 
2006/12/06 17:29 四国新聞

 原発の使用済み核燃料を再処理して出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場について、滋賀県余呉町の畑野佐久郎町長は6日記者会見し、町民の理解を得られなかったため誘致を断念すると表明した。
 畑野町長は9月、資料で処分場の適否を判断する「文献調査」に応募する意向を表明。調査で交付される国の交付金で、厳しい町の財政状況を救いたいとして町内で住民説明会を10回以上開催。町民から安全面に不安の声が上がっていた。
 最終処分場は原子力発電環境整備機構が2002年から公募。応募した自治体はまだない。
(http://www.shikoku-np.co.jp/national/science_environmental/print.aspx?id=20061206000293 )

実は余呉町長の独断による最終処分場の誘致騒動、初めてではありませんでした。前年2005年の秋にもすでに若干の騒動があったのです。2005年中秋の某日のことであったと思うのですが、知り合いの新聞記者から「GGIよ、タイヘンだあ、余呉町が最終処分場の誘致を考えているようだぞ・・・・」。これは文字通り想定外、青天のヘキレキでありました。

GGI、最終処分場問題はとても厄介であり、核廃棄物がすでに大量に存在しているために避けて通れない問題であるため関心は持っていたのですが、わが湖国で最終処分場問題が浮上するとは考えてもみませんでした。夕方になって、この記者さんから「知事が絶対に認めることはできないと即座に一喝したので、この問題、沙汰やみになった」との電話があり、GGIは胸をなでおろしました。たった一日でケリが付いたのです。当時の知事、国松善治氏は自民党をバックとする保守系の政治家ですが、その速やかな判断はまっとうであったと言ってよいでありませう・・・

ところが、余呉町長の畑野佐久郎、最終処分場の誘致をあきらめたわけではなかったのです。このあと、一年間、いろいろ研究、原子力発電環境整備機構(NUMO)に対して、文献調査に応じた場合の交付金をもっと増やせなどと交渉していたのです。そして雌伏一年、知事が国松氏から嘉田由紀子氏に交代した2006年の秋になって、余呉町長は再び最終処分場誘致をぶち上げました。昨年とは異なり、今度は用意万端、本気度はきわめて高い・・・

余呉町の隣町の議員をしている知人から知らせがあったりして、GGIも及ばずながら誘致阻止の向けて若干の協力をいたしました。高レベル放射性廃棄物はいずれ国でも地下深く埋める、いわゆる「地層処分」という方法で処分されることになっているのですが、GGIは原子力資料情報室から「地層処分」について解説されているパンフレットをたくさん入手して、知ったかぶりで、現地の人々といっしょに学習会のようなものをしました。

住民のみなさんの動きは活発であり、講演会や集会が行われ議会に押し寄せました。この小さな町の議会、大メディアが取材に大挙して押し寄せるなんて初めての経験、狭い傍聴席は押し合いへし合いでありました。

ところが、知事の反応が、前年とは異なり思わしくありません。滋賀県初の女性知事として登場した嘉田由紀子氏、「卒原発」などという新語を振り回していたのに、前知事のように誘致は絶対に認めないとはなかなか明言しないのです。

「近畿の水瓶、琵琶湖の上流にあたる地域に処分場を設けるのは適切であるとは思われません」などと生ぬるいことしか言わないのです。そこでGGIは知人たちと協力して「もっと態度を明確にしろ。誘致を絶対に認めないことを明言しろ」という要望書を出したりいたしました。

一方、住民のみなさん、誘致反対の署名運動を積極的に展開、住民の過半数以上の反対署名をあつめ、近隣の町の住民からも多数の反対署名を集め町長に突きつけました。その結果が上記の四国新聞の記事でございます。この騒動の後に行われた町長選では反対していた住民の代表者が当選したそうです。

事が終わったあと、東京からやってきた核のゴミ問題に取り組んでいる市民団体といっしょに嘉田知事を会った際、GGIは「湖国は原発密集地帯から至近距離に位置している、今後もこのようなことが起きないとは限らない、だから湖国に核関連施設を設けることは認めないということを条例で定めるか知事が宣言すべきではないか」と直接要望したのですが、この女性知事「そういうことは政策上のムニャムニャムニャ・・・」と言葉を濁してまともに答えませんでした。まことに情けなきエエ加減の知事さんでありました。

10月9日付の朝日新聞の解説記事によれば、「(NUMOが)全国で手広く応募を呼び掛けている背景には、苦い経験がある。2007年、高知県東洋町が初めて応募したものの、全国から注目が集まり、住民の反発で撤回に追い込まれた。二の舞を避けたい経産省は今回、《同時多発で批判を分散させる》(幹部)狙いで、複数の自治体が応募する環境づくりに腐心してきた。その成果が出つつあり、《80団体以上》(経産相)が関心を示しているという」とされています。80以上もの自治体が関心を示しているとは驚きですね・・・・

このような政府の手法、貧しい地方の様々地域を対象に、高額の交付金で吊ろうという手法は、ありていに申し上げれば「札束で頬を叩く」という極めて乱暴な手法であり、政治の名に値するものではありませぬ。もともと、原発の建設推進そのものが地元に様々な名目の交付金などの「札束で頬を叩く」類のものでありました。沖縄の基地問題における政府の対応も本質的には「札束で頬を叩こう」とする類のものありませう。最近問題になっている日本学術会議会員の任命問題も、その根底には「政府は学術会議に10億円の国費を費やしているのだ。だから言うことをきけ」、つまり札束の威力にひれ伏せというのが政府の考えでありませう。まったく乱暴の世の中になったものであります・・・・

今日の写真は北海道の寿都町と神恵内村が放射性廃棄物処分場の文献調査に応募したことを伝える12月9日付けの朝日新聞の記事を撮ったものです

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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