UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

おセンチの秋、第1号 バラ色の雲・・・

2017-09-30 14:24:48 | 日記

明日から十月、いよいよおセンチの秋のはじまりです、GGIは何の役にも立たないですがおセンチの愛好者であります

昨日の午後、いよいよおセンチの秋だなあ、ことしもナンキンハゼの華麗なる紅葉が楽しみだなあと思いながら、わがガーデンで木々の間からのぞいている青空を見上げましたら、バラ色の雲が漂っているのが目に入りました。

今日の写真はこのバラ色の雲を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

しばし薔薇色の雲をながめておりましたら、かつて1960年代の後半、グループサウンズが大流行であったころ、「バラ色の雲」という歌があったことを想いだしました。ビレッジ・シンガーズというグループが歌っておりました、なんともおセンチで甘ったるいだけの歌でありましたので、GGIの記憶に執拗に残っております。

歌詞は以下のとおりです

バラ色の雲と 想い出を抱いて
ぼくは行きたい 君の故郷へ
野菊をかざった 小舟のかげで
口づけ交わした 海辺の町へ

初めて見つけた 恋のよろこび
君はやさしく 涙をふいていた

どのくらい甘ったるいかはたとえば以下のサイトなどをご覧になってください、

https://www.youtube.com/watch?v=7lU3LSBekT8

また、おなじごろ、ジャッキー吉川とブルーコメッツというグループが歌っていたブルー・シャトーという曲が大流行しておりました、なかなか軽快で甘ったるいおセンチな曲でありますので、これもGGIの記憶の襞に執拗に残っております

歌詞は以下のとおりです

森と泉に かこまれて
静かに眠る ブルーブルーブルーシャトー
あなたがぼくを 待っている
暗くて淋しい ブルーブルーブルーシャトー
きっとあなたは 赤いバラの
バラの香りが 苦しくて
涙をそっと 流すでしょう
夜霧のガウンに つつまれて
静かに眠る ブルーブルーブルーシャトー

ブルーブルーブルーブルーブルー
ブルーシャトー

これまた、まことにおセンチで甘たるいだけの歌でありますが、ベトナム戦争のさなか、米国発の反戦歌も歌われていたのですが、わが日本のグループサウンズの曲はほとんどが只々甘ったるくておセンチなものだったように思います。

曲をお聞きになりたい方は以下のサイトとご覧ください

https://www.youtube.com/watch?v=6TLmsEqPNbo

この歌には子供向けの言葉遊びの替え歌のようなものがありました
その歌詞は以下のようなものです

森とんかつ(森と)
泉にんにく(泉に)
か~こんにゃく(か~こ~)
まれてんぷら(まれて)
静かにんじん(静かに)
ねむ~るんぺん(眠る)
ブルーブルー
ブルーシャトー

替え歌といえば、世の中になかな優れたものが少なくないのですが、GGIが凄~いと思わす口をあんぐりして感心してしまい、その替え振りの素晴らしさについ感激してしまった替え歌があります

GGIが大学生ということになっていたころ、歌声喫茶なるものがはやっており、そこではロシア民謡がよく歌われていました。GGIはかようなところに行くのは何となく気恥ずかしいと申しますか抵抗感のようなものがありましたので、あまり行かなかったのですが、当時よく歌われていたロシア民謡のなかに「一週間の歌」という歌があります、これも甘ったるいだけの歌でありましたが、その替え歌が物凄いのであります、ぜんぜん甘ったるくはないのです。

まずは、この歌をご存知の方も以下のサイトで元歌ををお聞きになってくださいませ

https://www.youtube.com/watch?v=Ty1wYN79pH8

いかがでせうか、元の歌、一番の歌詞は次の通りです

日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買って来た
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー

日曜日から土曜日というわけで7番まで歌詞があるのですが、この替え歌は以下のようなものです。ラジオか何かでちらっと聞いただけですので、GGIもうろ覚えでありますので少しばかり間違っているかもしれませんが、どうか、ご一読され、口に出して歌ってみてくださいませ

月曜日は下痢下痢うんち

火曜日はカンカチうんち

水曜日はスイスイうんち

木曜日はモリモリうんち

金曜日はキンキラうんち

土曜日はドッサリうんち

テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー

友だちよ、これが私の一週間のうんちです

テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャー
テュリャテュリャテュリャテュリャーリャー

ネットさんをみますと「一週間の歌」の替え歌はこのほかにもたくさんあるようですが、この替え歌は見あたらないようです。

GGIとしましてはこの一週間のうんちを詠った素晴らしき替え歌に躊躇することなく替え歌大賞を授与いたします

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

 

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にわか政治論文その2:どんな手段を使ってもよいのか?・・・目的と手段の関係・・・

2017-09-29 02:28:58 | 日記

昨日衆議院が解散されました。みなさんもご存知のように民進党の前原代表は解散直前になって独断で、民進党を事実上解体し、「保守」であることを明言する小池氏の「希望の党」に合流することを決め、昨日午後、議員総会において全員一致での合意を取り付けたとされています

選挙直前になっての予想外の大きな展開が世間を騒がせています。一市民として無責任に申し上げれば、このような占拠劇の予想外の展開は面白ければ面白いほど歓迎ということになるのですが、選挙の行方を左右するのは選挙民であると私たち市民ですから面白がっているだけではすみません

このたびの合併劇がこれまでになく人々の注目を集めているのは政治的姿勢を大きく異にしているはずの政党の合併だからです。長らく中道右派を標榜してきた政党とはじめから「保守」であることを公言してはばからない新党の合流だからです。本来であれば水と油ともいうべき関係にあるものと誰もが考える二つの党の合流だからです

そして、GGIの偏見かもしれませぬが、民進党が合流する相手の新党の党首小池氏の政治姿勢・思想と安倍首相の政治姿勢・思想とのあいだには、小池氏が安倍氏にも近い時代錯誤の右翼政党「日本のこころ」の中山氏の参加を簡単に受け入れたという事実ひとつとっても分かるように、さほど距離はありません。いや、それどころか、きわめて近いと言っても差し支えないぐらいです。それでも合流と言う話でありますから、誰もが耳を疑ったのです。

このたびの民心と新党による選挙劇でGGIが一番印象に残ったのは民進党代表の前原氏の次の言葉でした

「どんな手段を使っても(安倍政権を終わらせる)」

このたびの合流劇における前原氏の乱暴ともいえるやり方は手始めにこの言葉を実行してみせたということでありませう。しかしながら、手段の生みの親は目的です。あるいは手段と目的の関係は表裏一体であると言うことができます。すなわち、とるべき手段は目的にかなったものでなければならないのです。手段と目的を切り離すことはできません。手段は手段、目的は目的と、手段と目的は別物というのはご都合主義であり、きわめて安易な考え方です。目的にふさわしい手段を選ばなければ目的を達することはできません。

このたびの合流劇における前原氏の言葉は、言い換えれば、「目的のためには手段を選ばない」ということを意味しています。手段を択ばないということは、上記のような手段と目的の関係を無視することです。GGIはこの意味から彼の言は乱暴であり、政治の世界においてはきわめて危ういものをものを含んでいるのではないかと考えます。

一強多弱、安倍一強といわれる状況のなかで、独裁的ともいうべき安倍政権をどんなことをしてでも終わらせたいという気持ちは理解できます。しかしながら、この場合の真の目的は安倍政権を打倒し政権の座について後自らがよりよき政治を行うということであるはずです(いや、目的は安倍政権を多とすこと自体だ、そのあとのことは考えていない、といあえずはあとのことはとうでもいいのだ、というのであれば何をか言わんやであります)。

政権をとったのち目指すべきよりよき政治というのは、ひとことで言えば民主主義の原理原則に則ったフェアな、公正な政治を行うということでありませう。安倍政権が厳しい批判をいま浴びているのは、その政治手法が民主主義、すなわち議会制民主主義に基づく政治の原理原則を大幅に逸脱しており、独裁の色彩を浴びているからです。このことから、前原代表の本来の目的は民主主義の原理に則った政治を行うことにあるはずであると言えます

政党が、政治家がどのような手段を選ぶかは原則的には自由でありますが、手段を選ぶにあたって忘れてならないことは、先に述べたように、目的と手段は表裏一体の関係にあり「目的と手段」の関係を忘れてはならない、すなわち目的によって手段は決まる、あるいは限定されるということです。フリーハンドで手段を選ぶことができるというわけではありません

先年亡くなったベトナム反戦運動に尽力し、また阪神大震災後に自然災害による個人財産の損失を国や自治体が補償するための法律を制定させることに尽力し成功させた、作家の小田実はかつて次のような意味のとことを述べていました。

「ある目的をもって運動を行う場合、運動の中でその目的が達成されていなければならない」

これは民主主義の原理に則ったある運動を行う場合は、運動を行う人々の集まりのなかで民主主義が実現されていなければならない、すなわち目的を達成するための方法は民主的な方法でなければならないという意味です。

十分な話し合いを行わずに方針を決定したり、十分な議論を経ずにある事柄を実行に移したり、方針に反対する権利を各人に与えなかったり、目的を達成するために民主主義の原理に反する手段をとる、といったことが運動のなかで行わるならば、つまり民主的なルールが守られていないようでは目的がまともに達成されるはずはない、ということです。

つまり目的のためには手段を選ばなければならない、「どんな手段を使っても」ということは許されないということです。

以上に記した「手段と目的」の関係を考えるならば、このたびの民進党代表である前原氏の振る舞いはかなり危ういものを含んでいると言わざるを得ないというのがGGIの考えです。

まず、彼は代表であることをいいことにして、ひとりで秘密裏に他党の代表と会談して、全面的に合流することに一気に合意したのでした。いわば二人のボスによる闇取引、談合といわざるを得ない手法です。このような政党の存亡にもかかわる一番重要な問題を、党内での議論を全く抜きにして彼一人で決めてしまったのです。まったくの独断で決めたのです。これが民主主義の基本原則に反するものであることは説明を要しないのでありませう

次に、前原氏は民進党が公党であるにもかかわらず、民進党からの立候補は認めないとしたことです。これは違法とまでは言えなにしても、極めて異常であり、議会制民主主義の原理・原則を無視するものです。属する政党の党首が属する議員に立候補を許さないことは、反対する者を事実上党から出ていくよう強制することは、あきらかに議員の権利を取り上げるに等しいからです。これではとうてい民主主義であるとは言えません。

そして、基本的政治姿勢や政策、政治的方針が大きく異なる(異なっているはずの)他の政党と合流するというのに、合流するにあたっての具体的政策や方針について、所属議員たちとの議論を事前に党内でまったく行わなかったこと、幹部による検討さえも行わなかったことは、政党の体をなしていません。この事実が自由な議論に基づくという一番大切な民主主義政治の原則から多く逸脱していることは明らかです。

このように前原氏はこのたびの合流に際して、民主主義の原理原則を無視した手段をためらうことなく実行に移したのです。つまり「どんな手段を使っても」を実行に移したのです。目的のために手段を選ばなかったのです。

安倍政権が厳しい批判を浴びているのは安倍首相が政権の座を維持するために、手段を選ばないからです。前原氏はこのたび安倍氏と同様の危険を冒しているのです

選挙の結果はどうなるかはわかりません。しかし、前原氏のこのような目的のために手段を選ばないとい乱暴な姿勢を考えるならば、仮に前原氏の独断の結果として新党が政権の座についたとしても、民主主義の原理・原則に基づいた公正な政治の実現という本来の目的を忘れて、結局は自民党政権と似たり寄ったりの党利党略による強権的な保守政権に留まる懸念が多分に存在しているというのがGGIの見解です。これは果たしてGGIの偏見に満ちた杞憂でありませうか

平気で秘密裏の談合や闇取引する政治家に、すなわち手段を選ばない政治家たちに、民主的な党運営を期待することはできません。したがって、そのような政党に民主的な政治を期待することもできません。

しかしながら、このたび前原氏により、目的のために手段を選ばない、ときには民主主義の原理・原則を無視するという手法が実行されてしまたたことの責任は前原氏だけにあるのではありません。というのは最終的に前原氏の独断専行が自由に発言できるはすの全議員による総会の場で全員一致で承認されたとされているからです。

このような強引な明らかに民主主義議会政治の原理原則に反する手段が取られているのですから、反対の意を明確に示すことが各議員の責任であったはずです。しかし、誰も、誰一人として、反対しなかったのです。《リベラル》を標榜しているとされる議員も少なからずいたはずです。誰ひとり明確に反対の発言をしないという、その荒涼たる光景を想像しますとGGIは寒気がいたします。前原氏の強引な手法ももちろん問題でありますが、それ以上に、肝心なときに誰一人正面から反対する者がいなかったという事実の方がGGIにとってはずっと衝撃的でありました

「目的のために手段を選ばない政治」を看過する「全員一致」の政治ほど危険なものはありません。そのことは全体主義的な政治が何をもたらしてきたか、なにを現にもたらしいてるか、議会政治の場において合法的に政権の座についたヒットラーの例を持ち出すまでもなく、歴史が十分に証明しています。

先日の日記に、日本とドイツと北欧諸国の政治図を比較して、ドイツや北欧では中道右派から中道左派が健在であり政界の主流をなしている対して、日本では中道左派は事実上消滅しており中道右派(民進党)は脆弱であり存在感に書いていると書きました。

そして、このたびの合流劇の結果、いまや、日本の政治地図は保守あるいは右派が圧倒的存在となりました。異様な政治地図です。地図の隅っこに小さく共産党が位地しているだけで、のこりはすべ保守あるいは右派が占めていることになったのです。おそらく先進国の中でこれほどまでに保守・右派に傾いて政治地図を有する国は日本をおいて他にはないのではないでせうか・・・

事実上、保守あるいは右派のみにより占拠されてしまった政界、一望の荒野というしかありません。昨日、2017年9月28日は、日本の政治地図から中道右派と中道左派が消滅した日、共産党を除き保守・右派一色に染め上げられた日として、GGIはしっかりと記憶に留めたいと思います、

このたびの騒動で、民進党の議員諸氏は、結局は、政策や自分の信条などを放り投げて、ただただ今後も議員でいたいだけの、保身に走るだけの烏合の衆であることがわかりました。パフォーマンス名人の人寄せパンダに下に、このような人々や議員になりたいだけの人々を寄せ集めた新党のどこに「希望」があるというのでせうか・・・

自民党に希望がないのと同様、安保法制や改憲問題などに関して自民党と大差がない第二自民党ともいうべき新党「希望」にも希望はないとGGIは断言しておきます

最後にいまや前民進党議員となった諸氏に、同じく小田実の言葉をおくります

「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」 (小田氏の著作の題名です)

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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八重葎庵の静かなる夕べ・・・

2017-09-28 00:15:22 | 日記

お彼岸が過ぎ、すっかり日が短くなりました

昨日、西武さんの中にある本屋さんによって、某知人からせひこの本を読みなさいと勧められて注文しておいた、最近出版されたばかりの「占領の京都:生活史からみる京都 1945-1952」という分厚い本(西川祐子著;平凡社)を大枚四千円少々を支払って受け取りました。

GGIが頼んだ店員さんとは別の本屋さんの店員さんが、GGIの顔を見て、何もいわないうちに奥の方から本を取りだしてもってきてくれました。まあ、こんな分厚くて地味なテーマのあまり売れそもない本を買うようなオッサンはGGIあたりだろうと思っていたのでありませうか、その感の良さにちょっぴり驚いてしまいました

「進駐軍」というあいまいな名称の米軍が京都を占領していた時代を克明に記したたいへんな力作であります。が、しかし、問題はこの500ページもある分厚い本、果たしてGGIが生きている間に読み終えるかということです。

本を受け取ったあと、本屋さんの隅の小さなカフェで一休み、次いでとなりのマックスバリュさんで食べ物をいろいろ調達、ついでにイタリアの安物ワインを売っていましたので、たまにはイタリア人の気分になってみるかと購入、おかげで使い古した青い安物ボストンバッグは満杯、分厚い本とワインのために重くてしかたがありませぬ・・・

重いバッグに苦しめられながら家路につきました、「安全運動 取締警官 激増中!」の文字が点滅している電飾式大型掲示板が大きな顔して車道の上方にまで突き出ている湖岸の大通りをとぼとぼと帰ってきましら、わが八重葎庵に着くころにはすっかり日が暮れておりました

庵の上には雲ひとつなく限りなく透明な空が広がり、三日月さんが静かに浮かんでいました。GGIが大好きなマグリットの絵みたいな光景だなあと思って空を眺めておりましたら、なんとなくドヴォルザークの「家路」という歌を思い出してしまいました。

日本語の歌詞、メロディーは覚えているのですが、歌詞はしりません、英語の歌詞の最初のフレーズをわすかに思い出すのみ、ネットさんに助けてもらいましら、日本語の歌詞は以下のとおりでありました。日本語の歌詞は堀内敬三の作詞、日本語の題名は「遠き山に日は落ちて」でありました

「遠き山に日は落ちて」 
                                  ドヴォルザーク作曲 堀内敬三作詞

遠き山に 日は落ちて

星は空を ちりばめぬ

きょうのわざを なし終えて

心軽く 安らえば

風は涼し この夕べ

いざや 楽しき まどいせん

まどいせん

曲をお聞きになりたり方は以下のサイトなどをどうぞご覧くださいませ

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2008/03/post_9695.html

今日の写真は八重葎庵の夕暮れを撮ったものです。少々ピンボケですが、よろしければクリックしてご覧になり、お月様になにか御挨拶なさってください。

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

 

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にわか政治論文「日本、ドイツ、そして北欧諸国の政治地図について」

2017-09-27 01:32:03 | 日記

アベ君の気まぐれ解散により総選挙となりましたね。このため、今日はドイツや北欧諸国との比較における日本に政治地図について、にわか勉強で論じてみることにいたします

ドイツはいまや自由主義社会のリーダー的存在であるともいうべき存在ですが、ご存知のとおり、そのドイツでは一足先の9月24日に総選挙が行われました。メルケル首相率いる与党、キリスト教民主・社会同盟は、移民政策の批判を受けて右翼政党「ドイツのための選択肢」が進出したあおりで票を減らしたものの、引き続き政権を担当することになります。

ドイツにおける選挙の投票結果(得票率:朝日新聞の報道による)と各党の政治傾向は以下の通りです。

キリスト教民主・社会同盟 33.0% (中道右派)

社会民主党:20,5% (中道左派)

ドイツのための選択肢:12.6&(右翼あるいは右派)

自由民主党:10.7% (中道左派~最近は中道右派?)

左派党:9.2% (左派)

緑の党:8.9% (中道左派)

ご覧になればお分かりになると思いますが、右翼政党というべき「ドイツのための選択肢」が大きく票を伸ばしたものの(前回は4.7%)の、このたびの選挙結果からドイツの政界の主流をなしているのは「中道右派」と「中道左派」であることに変わりがないことが分ります。保守あるいは右派が主流を占めているわけではありません。

一方、これは選挙結果ではないのですが、日本における各政党の最近の支持率は以下の通りです(9月16-17日:朝日報道ステーションの調査:以下のサイトを参照)

http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201709/index.html

自由民主党:46.2% (保守あるいは右派)

民進党:11.5% (いちおうは中道右派、ただし今後、右派と左派に分裂の可能性あり)

公明党:3.5% (本来は中道右派かもしれないが、実質的には右派)

共産党:5.7% (左派)

日本維新の会:1.8% (保守あるいは右派)

社民等:0.8% (中道左派)

自由党:0.3% (正体不明、もともと右派だか、最近は中道右派~中道左派?)

支持政党なし:29.0% 

新党「希望の党」:(保守あるいは右派、小池氏が「保守」と明言しています)

ドイツと日本の政党地図における政治傾向の違いに注目してください。先に述べましたように、ドイツでは、このたびの選挙で右翼政党「ドイツのための選択肢」が進出したとはいえ、政界の主流はあくまでも中道政党、つまり中道右派と中道左派です。中道左派である民主社会党(SPD)と緑の党を合わせると29.4%、それに左派政党である左派党をあわせますと、いずれも票を減らしているとはいえ、それでも合計38.6%にも達しており、政界において一大勢力をなしています。

一方、日本の場合は、圧倒的な勢力は政治傾向が「保守あるいは右派」である政党です。自民党、公明党、日本維新の会よりなる保守派あるいは右派が一大勢力をなしており、この傾向は党首が保守であることを明言している新党「希望」の発足によりさらに強まるものと考えられます。

一方、「中道右派」と言えるのは民進党のみであり、ドイツとくらべた場合、中道右派は脆弱であり著しく存在感に欠けています。さらに、ドイツでは依然として健在の中道左派が日本では今や事実上壊滅状態、いわゆる左派で一定の存在感をして召しているのは共産党のみです。

このようなドイツと日本の政治地図は大きく異なっています。まったく異なっており、互いに別世界であると言っても差し支えないほどです。

新党「希望」が出現したこともあって、このたびの総選挙の後も、たとえ自民党がかなり票を減らすことがあったとしても、保守あるいは右派(自民党、公明党、日本維新の会、新党の希望の党)が圧倒的な存在であることに何ら変わりがないであろうというのがGGIの推測です。

昨年、米国での民主党大統領候補を決める予備選において台風の目となったサンダーズ氏は、当時「北欧の社会主義の国」という表現をよく口にしていました。高負担であるが高福祉であり、安定した豊かで公正な社会を実現している、一連の北欧の福祉国家を指して言った言葉です。もちろ北欧諸国はいわゆる「社会主義国」ではないのですが、サンダース氏は米国が目指すべき政治の一つの具体的モデルとして、このような表現をしていたのでありませう。

その北欧諸国の場合、穏健な多党制であり、政治地図の中心をなしているのは中道路線であり、多くの場合、中道右派の政党と中道左派の政党による連立政権であるとされています。少なくとも、日本のように保守派あるいは右派が主流をなていることはありません。

このよう日本、ドイツ、北欧の政治地図を比較して考えた場合、日本ではこのまま保守あるいは右派的な政党による政治が戦後一貫して今後も続く可能性がきわめて大きく、その政治が人々の希望にほんとうに応えるものになることは、これまでの実績から考えてあまり期待できないであろう、したがって北欧諸国のような社会は残念ながら夢のまた夢であろう、というのがGGIの推測であります。

「希望」が出現したのに、たいして希望は見いだせないとはなんという皮肉でありませうか。むかし、歌手の岸洋子さんが「希望という名の あなたをたずねて遠い国へと また汽車に乗る・・・」と歌っておりました。しかし、汽車に乗ったって見つかりません、中途半端な希望なんか捨ててしまいなさいということでありませうか・・・

今日の写真は一昨日コンビニの新聞売り場で売っていた新聞を撮ったものです。なにやら人寄せパンダふうの女性が写っております。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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警官って増殖するの?

2017-09-26 01:44:38 | 日記

いま、秋の交通安全運動なるものが行われているようですね。そのため、昨日、湖岸の大通りのわきに設置されている看板に交通安全運動の標語が示されているのを目にしました。道路際に立てられている、どうしてこんな頑丈なものが必要なんだ思ってしまう、デッカイ電飾式の看板です。当局が設置したものでありませう

今日の写真はこの電飾式豪華頑丈看板を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

管板に曰く

《安全運動 取締警官 激増中!》

GGI、この看板を目にして、エッと驚いてしまいました。「激増中」!とはよく言ったものだなあ!まるで「ゴキブリ激増中」「オレオレ詐欺激増中」「人身事故激増中」など、何か良からぬことが増えていることを連想してしまったのです。なんでもいいのですが、何かが激増中!なんて言われますと「えっ、それはタイヘン」などと思わず反応してしまいますね!それは、「激増中」という表現はほとんどの場合は、内容はともかく、何か異常な、あまりよからぬ状態を指すことばであるからです。

県警本部あるいは湖都警察署あるいは湖国交通安全運動本部のみなさま、言葉づかいには気をつけませう。「激増」は「急激に増える」の意味ですが、「増える」という言葉は自動詞でございます。ですから《取締警官激増中》というのは、あたかも自然現象の如く警官が勝手にどんどん増えているが如き印象を与えてしまいます。

警官が勝手に増殖する生き物であれば、この表現はまことに適切であるのですが、果たして警官は増殖するのでありませうか、もちろん否であります。当局のみなさん、ほんとうは「取締警官の数を大幅に増員しているところですよ」とおっしゃりたかったのでありませう。そうであれば「取締警官 大増員中!」とでも表現すべきでありました。

もっとも、この看板のセリフ、「取締警官激増員中」という表現が取締当局の立場からではなく、取り締まられる側である市民の立場から表現されたものであるならば、十分に理解可能です。

「おい、このごろ、やけに取締警官の数が増えたなあ、激増してるぞ、用心せんとあかんでぇ。ところで警官って勝手に増殖するのか?」などとつぶやく市民もいるものと思われるからです。

警官が増殖するはずはもちろんないのでありますが、犯罪発生率と全国の警官数の関係をGGIが勝手に考察しますと、やっぱり自己増殖しているのではないかと言う疑惑が生じます。

と申しすのは、日本における最近の犯罪発生率は戦後最低の水準にまで低下しているにもかかわらず一方において警官数は増え続けているからです

まず、犯罪発生率について申し上げますと、最近はテレビやネットなどをはじめとして各種メディアが「凶悪犯罪発生」を扇情的に繰り返し伝えますので犯罪が増えているように錯覚しがちでありますが、実はそうではないのです。殺人事件は年間1000件を下回るまでに減少しています。ほんとか思われる方は犯罪発生率に関する以下のサイトなどをご覧ください

http://worldgoodnews.net/japan-crime-rate-lowest/

一方、全国の警官数は戦後一貫して増え続けております。敗戦直後は2万5000人程度でありましたが、現在は約25万人にも達しています。ウソだろうと思われる方は以下のサイトをご覧ください。

http://sentence.co.jp/2016/06/06/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%AE%98/

この警官数の一貫した増え方を考えますと、GGIとしましては「やっぱり勝手に増殖しているんじゃないの」(より正確には「やっぱり当局は警官を勝手に増殖させているのじゃないのか」)と疑念をいだいてしまいます

もちろん、警察庁の優秀なる官僚氏ははすぐに自信たっぷりに反論されることでありませう。

「何を無知なことを言っているのだ、無知な庶民は困りもの、アホな市民は黙っていなさい。ここまで警官を一貫して増やし続けているからこそ、犯罪発生率が戦後最低にまで達しているのだ」

しかしながら、警官数の増加に関しては疑惑を感じている人もいるのです。いつであったか、これは一度書いた話でありますが、東大の某女性の先生が例の共謀罪について以下のように申しておりました

「犯罪発生率は戦後最低の水準になっている。しかしこの間(注:いつの時期を指しているのか明確でなかったのですが)警察官は2万名も増員されている。人が余っていて、やる仕事がないので共謀罪なんかを考え出したでのありませう」

この先生の言、事の真偽は不明でありますが、世界に冠たるわが日本の優秀官僚はこんなことを考え出すぐらいのことは朝飯前であるかもしれませぬ。

しかし、それはともかくとして、「新しく共謀罪ができて心がけのワルイ市民を見張るための仕事が《激増》することが予想されるから警官をさらに激増させる必要がある」と優秀なる警察官僚が考えても不思議ではありませぬ

完了の皆さんからすれば、「組織は肥大化する」というパーキンソンの法則にしたがって、警官数を増やす口実を考え出すことを、大切な仕事のうちだからであります

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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