UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

童話の時間:節分の日によせて・・・鬼さんよ、「すんません」などと謝ることはないのです!

2022-01-31 00:44:29 | 日記
良い子の皆さん、元気ですか、童話のお時間ですよ、テレビのアニメなんかよりずっとためになる、あっと驚くお話ですよ!

このあいだ新年になったと思ってたら、もう一月は終わり・・・月日の経つのは夢のうちなどと言いますと浦島太郎のお話になってしまいますが、みなさん、今日の童話は太郎は太郎でも桃太郎の話ですよ。鬼が島へ鬼退治に行って名をはせて桃太郎の話です。もうそんな童話は聞き飽きた、面白くも何ともないとおっしゃるかもしれませんが、「桃太郎の真実」についてのとっても面白い、ためになるお話ですよ、だまされたつもりで、しばらくお聴きになってくださいね

先日寒風のなかをぶらついていましたら某神社の掲示板に、コロナ禍のため今年も節分の豆まきは残念ながら中止するとの貼り紙がしてありました。貼り紙には、鬼が「すんません」と頭を下げており、鬼の両側にいる幼児が「いいから、いいから」と慰めているイラストが添えてありました。

今日の写真はこの貼り紙を撮ったものです。よい子のみなさん、どうかクリックしてご覧になってくださいね

この貼り紙のイラストを眺めているうちに、GGIは「おいおい、鬼がすんませんなどと謝る必要なんて、少しもないのとちゃうか・・・悪いことして謝らなければならないのは桃太郎のほうじゃないのか」と大いなる疑問を抱いてしまいました。

みなさん、桃太郎は鬼が島に行って鬼退治をしたので正義の味方ということになっていますね、でもね、実は桃太郎は正義の味方なんかではないのですよ。このことは明治のころから広く知られている話ですので、みなさんは知らなくても、知っている大人は結構いるのです。

その証拠に、大人も子供も、みんなが大好きな大好きな一万円札、その一万円札の象徴であるあの有名な福沢諭吉先生が、二人の息子さんのために著した「ひびのおしえ」という教訓集の中で、桃太郎のことを以下のように非難しているのです。

「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。」

わかりましたか?、みなさん、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるいものなり、なんですよ。桃太郎は鬼が何も悪いことをしていないのに、鬼が持っている宝物を奪いに行った悪者なのです。お調子ものの、キビ団子なんかで簡単に買収されたアホな家来を連れて鬼が島に敵前上陸、鬼さんたちを大量虐殺して財産を略奪、親を亡くした子鬼たちは桃太郎により悲しい思いとたいへんな苦労をしいられたというのが事の真相なのです。

日ごろから、あの鬼のヤロウ、でかい面しているから、あいつの宝物を奪ってやろうと強欲の桃太郎は鬼に目をつけていたのですが、いきなり鬼が島を襲撃してのでは世間や国際社会から非難されますので、桃太郎はいろいろ鬼にイチャモンをつけて、鬼たちを攻撃する理由をでっちあげたのです。

「おい、鬼よ、おまえは猿蟹合戦で、柿の実の無差別空爆を行いカニどもを虐殺してしまえと猿どもを扇動したのはオマエだろ!悪いヤツだ、おまえは。それにウサギとカメが競争したしきに、カメにインチキするように教え、インチキのためにフクロウを協力させたのもオマエの悪知恵だろう。あのインチキレースに2度も敗けてしまったウサギは、悔しくて悔しくて泣き通したために目がはれて真っ赤になってしまったのだぞ、インチキを手伝ったフクロウも神さまの罰を受けて夜しか目が見えなくなってしまったのだぞ、ウソだと思うなら和歌山の民話を読んでみろ」

要するに、鬼さんたちは桃太郎が言っているような悪いことは何もしていないのに、ひごろから「オレが世界で一番」つまり「桃太郎、ファースト!」と思い込んでいる桃太郎にイチャモンをつけられ征伐の目標にされてしまったのです・・・・

みなさん、「桃太郎」という童謡があるのをご存知でせう。でも、みなさんが知っているのはせいぜい1番か2番の歌詞ぐらいなものでしょう。でも、歌詞が3番、4番と進むにつれ、如何に桃太郎と家来たちが残虐行為を行っていたかが明らかになるのです。大事なことですから、以下に紹介しておきませう

1.桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた 黍団子 一つわたしに 下さいな
2.やりましょう やりましょう これから鬼の 征伐に ついて行くなら やりましょう
3.行きましょう 行きましょう あなたについて 何処までも 家来鬼が島
5.おもしろい おもしろい のこらず鬼を 攻めふせて 分捕物を えんやらや
6.ばんばんざい ばんばんざい お伴の犬や 猿 雉は勇んで車を えんやらや

ところで皆さん、この桃太郎の傍若無人の残虐な振る舞い、誰かさんに似ていると思いませんか?誰か分かるかなあ。えっ、お父さんに似てるって?!でも君のお父さんは君をやいたり煮たり食ったりはしないでしょう。そうではないのです。

正解は前回の日記に書きましたあのブッシュさんです。9・11テロに端を発したブッシュさんの振る舞い、何の証拠もないのに何かとイチャモンをつけ、おまえらは悪いヤツだ、大量破壊兵器を隠し持っているだろう、けしからん、イスラム野郎は鬼みたいに悪いヤツだとイラクなどに攻め込んだ振る舞いは、ローマ法王さんをして「これは第三次世界大戦に他なりません」と言わしめた振る舞いは、桃太郎をお手本にしたのではないかと思うぐらいです。そっくりと言ってもよいぐらいですね、みなさん歴史は繰り返すのでせうか・・・よく考えてみませうね

ですから、みなさん、わかるでしょう。節分の豆まき中止の貼り紙、鬼さんは「すんません」などと謝る必要なんか少しもないことが。被害者であるのに毎年毎年節分になると引っ張り出されて、人間のガキなんかに、ここから出て行け、などと豆を投げつけられるとは、理不尽の極みなのです。「こらあ~、人間ども、何をぬかすか、いつまでふざけたことしてるんや、おまえらのやってることは大差別や、俺たちの人相が悪いから差別してるんや、ヒトは、いや鬼は、見かけじゃないぞ、許せん」と怒っても当然なのです。

でも、貼り紙に描かれている鬼さんには怒りの表情は認められませんね、なんだか「すんません」と情けなそうな表情をしていますね。どうしてでしょう。実は鬼さんはホッとしているのです。コロナのお蔭で今年は豆まきなどという残酷な差別行為にさらされずに済みますのでほっとしているのです。鬼さん、内心では「コロナさん、ありがとう。君は差別が大好きな人間たちから嫌われているけれど、きみのおかげで今年の節分は豆なんか投げつけられずに過ごせます。ほんとうにありがとう、コロナさん」と思っているのです。このコロナへの感謝の気持ちを人間に知られると「コロナにお礼を言うなんて何というヤローだ」と、またひどく差別されかねませんから、自分の気持ちを知られないようにわざと情けなさそうにしているのです

ですから、今年は豆まきが中止になって自分の出番がないと鬼さんはがっかりしていると思い込んで、鬼さんに「いいから」「いいから」と慰めの言葉をかけている子どもたちは何にもわかっていないのです、おおいなるカンチガイをしているのです、歴史をちっとも勉強していないのです。

かようなしだいで諭吉先生、なかなかいい教えを遺してくれはしたたのですが、その後、先生が「脱亜入欧」論なんかをぶったりしたために、日本という国は、アジアの国々をバカにして、アジアの桃太郎を目指すことになってしまいました。まことに愚かな話です。ところが、日本は米国という世界の桃太郎に敗けてしまいました。それからは、今日にいたるまで、キビ団子さえもらっていないのに、恥ずかしげもなく、やみくもに世界の桃太郎の家来を務めているのです、まことに情けない限りです・・・

というのが今日のお話です。良い子のみなさん、なかなかためになるお話だったでしょう。みなさん、桃太郎のまねなんか決してしないようにしませうね。でも、権力を振り回すのが好きなリッパな政治家などという小桃太郎が世の中にたくさんいますから、良い子のみなさん、注意しませうね。キビ団子なんかに釣られて身を誤らないようにしませうね。

今日皆さんが聞いたお話、家に帰ったらお父さんやお母さんに、それに学校のセンセイにも、必ず話してあげてくださいね、お願いしますよ!

では、みなさん、元気でね!

おわり

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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歴史の勉強:「9・11同時多発テロ」と「パールハーバー」は米国人にとって「屈辱の日」(その二):ブッシュによる意図的な「歴史の誤用」

2022-01-25 00:40:53 | 日記
今日は前々回の日記、1月17日の日記で書きました歴史についての話の続きです。少々退屈で分り切ったような話が多いかもしれませんが、よろしければおつき合いください。歴史についての話なんてと思われる方は遠慮なくスルーしてくださいませ。

1月17日の日記で、9・11同時多発攻撃の後にブッシュ大統領が開始した戦争は意図的に歴史を誤用したことによるものではないかと記しました。この点に関して、どのように意図的な「歴史の誤用」であったのか、これまでに紹介しました米国の歴史家ジョン・ダワーはその著作「戦争の文化」(岩波書店、2021年12月刊)において具体的に説明しています。その概要をGGIの若干の考えや記憶も交えて以下に記します。

ブッシュ大統領は9・11の直後から、かつての二次大戦における出来事から自分の好みにしたがい様々な「歴史のつまみ食い」を始めました。つまみ食いの結果が意図的な「歴史の誤用」に転じたのです。

まず、彼はテロ行為と戦争行為を混同しました。テロ行為というのは、規模がどのようなものであれ本質的に犯罪行為です。国家の軍隊による行為である戦争とは異質の行為です。しかしブッシュは、少数者によるテロ行為と一国の軍隊による戦争行為は異質の行為であるということを無視しました。いわゆる「テロとの戦い」を指して「非対称戦争」などと言われることがありますが、これはテロ行為と戦争行為を同一視し、テロとの闘いを「戦争」として捉えることを正当化することを意図した用語ではないかと思われます。テロ行為は本来犯罪です。捜査を行い犯人を捕らえ、法の下で犯人を裁き罰するべきものです。

この意味においてテロ行為と戦争行為とは異質の行為であるにもかかわらず、ブッシュは9・11テロ攻撃の直後、即座に「これは新たな真珠湾だ」と決めつけました。すなわち9・11は新たな「戦争」の開始であると、パールハーバーの「屈辱」の記憶を引き金にして断定したのです。9・11とパールハーバーが奇襲による攻撃という点で共通していることを捉えて、9・11テロは戦争行為であるとしたのがブッシュによる最初で最大の「歴史の誤用」であったと言えるでありませう。ダワーは、彼がこのような歴史の意図的な誤用を行ったことの動機は、9・11は戦争の開始を意味していると宣言することにより、かつてのルーズベルトやトルーマンのような戦時大統領となり自らの求心力を高めたかったことであるとしています・・・・

9・11のわずかひと月後、2001年10月7日、米軍がアフガンへ空爆を敢行したことにより実質的にイスラム圏に対する新たな戦争が始まったとき、9・11はテロ事件であり犯罪であるから空爆という戦争行為をしかけるのではなく犯人の捜査を実行すべきだとする声が国際社会になかったわけではないのですが、そのような声はすぐにかき消されてしまいました。

アフガン空爆により戦端を開いた後、次いで2003年の対イラク戦争開始に至る以前に、ブッシュを対日戦と対独戦を内容とする第二次世界大戦、すなわち、最後の「良い戦争」における歴史的事実を引き合いに出して、新たなる戦争を正当化しようとしました。9・11を支持・支援したとしてイラクやイランなどイスラム圏の国々を二次大戦における敵国と同様の存在であると見なし、そのため早い段階から9・11テロを企てたビンラディンのグループやイスラム主義の国際テロ組織「アルカイダ」とは無関係であったイラクが主要な敵国であるとして、イラクに対していずれ戦端を開くことを広言していました。

つまり、新たな戦争をかつての二次大戦に見立て、敵国を無理やりに仕立て上げたのです。しかし事実はブッシュが考えたこととは大きく異なっていました。イラク占領後、イラクが、独裁者のフセインが、ビンラディンやアルカイダとは関係を有していなかったことが明らかになったのです。したがって、イラクやイランなどを二次大戦における日独伊といった敵国と同様の最大の敵国であるとしたことは、これはまさに意図的な「歴史の誤用」であったと言わざるを得ません。

すなわち、ブッシュとその政権は、米国が「正義の味方」であった二次大戦を歴史の下敷きにして、再び米国が正義の味方である戦争すなわち「良い戦争」を、いわば第三次世界大戦を、開始したのです。そして米国が「正義の味方」であることを裏付けるために、アフガン空爆開始後、ダワーが説明しているように、歴史的背景、歴史的意味合いを大きく異にする二次大戦中の出来事を引き合いに出して「歴史の誤用」を行ったのです。

誰が考えても歴史の誤用であることがすぐに理解できるのは、ホロコーストを引き合いに出したことです。ナチスによるホロコーストを引き合いに出して、ブッシュは「テロリストたちは大量破壊兵器を入手しようとしており、彼らの憎しみをホロコーストに変えようとしている」と、国連で各国の代表を前にして、堂々と「歴史の誤用」に基づく演説をやってみせたのです。

また米議会での一般教書演説でも安易な「歴史の誤用」を行いました。すなわち、二次大戦における強固な軍事同盟(日独伊三国協定)という「枢軸」関係を引き合いに出して、米国を敵視しているものの強固な軍事同盟にはほど遠いイラク・イラン・北朝鮮の関係をひとまとめにして「悪の枢軸」と決め付けたのです。

ブッシュが行った最大のご都合主義による「歴史の誤用」は、対イラク戦を開始する前から、
二次大戦における米軍の占領による日本の敗戦を引き合いに出して、何の根拠もなく、イラク戦争に勝利したならばかつての敗戦時の日本におけるのと同様に、米国は歓迎され、民主化が推進され、経済復興がなされるとしたことです。

GGIはこのような話があることをニュースを通じて知ったとき、何を的外れのノーテンキな冗談を言っているのだ、日本とイラクではその歴史的・文化的・社会的背景が大きく異なっているだからイラク占領後にそんなに都合よく物事が展開するはずがないではないか、茶飲み話としては面白いかもしれないけれど、真面目に考えるような話ではないと思いました。ところがそうではなかったことを、ブッシュがこのような何の根拠もないトンデモない絵空事を本気で考えていたことを、ダワーの著作で知って、なんとアホな愚にもつかないことを考えていたのだとあきれてしまいました。ダワーの記述によれば、イラク占領後に、日本の敗戦に際して占領政策を推進するために米国が設けたマッカーサーが君臨したGHQ(連合軍総司令部)を模した軍政のための機関を設けたもののまったく機能しなかったとされています。

2015年1月、イスラム教の教祖モハメッドを揶揄する漫画を掲載したフランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」が襲撃され、12人が殺害されるというテロ事件が起き、欧州の国々を震撼とさせましたが、当時のフランシスコ・ローマ法王(教皇)はメディアに取材にたいして「この襲撃事件は2001年に始まった第三次世界大戦の一部である」と述べたとされています。ブッシュ大統領の上記のような数々の「歴史の誤用」のことを考えますと、結局彼は二次大戦を下敷きに「第三次世界大戦」を戦うことを望んでいたのだと考えることができます。このため、フランシスコ法王の言は的を得たものであると言えるでありませう。

また、米国によるイスラム圏に対する戦争の遠因となった湾岸戦争が1991年にはじまったとき、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、「これは新たな十字軍だ」と明言し、周囲の関係者が法王の身の安全を危惧するほど、必死に戦争に反対していました(GGIは当時、東京のバチカン大使館経由で、湾岸戦争を止めさせて欲しいとの手紙を法王宛てに送ったところ、法王は強く反対しているとするバチカンカからの正式の返事をもらったことがあります。このときのことはこの日記で書いたことがあります)。

ヨハネ・パウロ2世は歴史から確かな教訓を学び取ること、歴史を正しく見つめることを知っていたのでありませう。かつての十字軍が歴史に大きな傷跡を残すものであったことを正しく認識したいたのでありませう。「歴史の誤用」という愚かな過ちは起こさなかったのです。

これまでに述べたように、ブッシュが、米国が、2001年9月11日以後、数々の「歴史の誤用」すなわち「歴史のつまみ食い」を行ってきたことは明らかですが、彼の戦争、彼の「第三次世界大戦」が何をもたらしたか、その結果は、みなさんもご存知のように惨憺たるものであり、今日にいたるまで悲惨な状況は続いています。

イラクの独裁者フセインは囚われ処刑されたものの戦乱が治まることはありませんでした。イラク周辺の国々へと戦火は広がり、過激な組織「イスラム国」(IS)の出現、宗派の激しい対立によるテロの横行、宗派を異にする国のあいだでの紛争、シリア内戦、英米仏などによるシリア空爆、大量の難民の続出等々・・・

昨年8月、米軍がアフガンから撤退してことにより二十年におよんだ米国史上最長の戦争は米国にとっては終わりはしたものの、イスラム諸国にもたらされた戦乱、悲惨極まる状況は今なお続いています。イラク戦争における民間人の死者数を開戦以来カウントしている市民組織「イラク・ボディ・カウント」によれば、イラクでは、この今でも、この今日も、民間人が戦乱に巻き込まれて命を落としています。イラク戦争に起因したイスラム圏における膨大な数の難民は行き場を失って今なお過酷な運命にさらされています。例えば最近の人権NGOの情報では、シリア北部のクルド自治政府の下にある難民収容キャンプでは6万人もの子どもたちが親から引き離され劣悪な環境の下で収容されており、食糧にも事欠き教育を受けることもできず、母国に帰還することもできずにいるとされています。

政治家による「歴史の誤用」は珍しいことではありません。しかし、時には上記のように政治家による「歴史の誤用」は長期に及ぶこのうえない悲惨な結果を招きます。「歴史の誤用」を見抜く力を、見識を備えていない政治家は、また意図的に「歴史の誤用」を行う政治家や政治家の集団は、市民にとって極めて有害で危険な存在です

これまで述べたようにブッシュは「屈辱」という感情にとらわれて9・11以後、歴史の誤用に次ぐ誤用を行ってきたのですが、イラク戦争開始に際して、フランスをはじめとした国際社会における開戦反対の声は強いものでありました。しかしながら、当時の日本の首相、小泉純一郎は、ブッシュに対して誇らしげに「I will stand by you」と告げ、他国に先駆けて熱烈な米国支持を表明したのです。派手なパフォーマンスだけが売り物の小泉氏の頭には「歴史の誤用」という、歴史に関する問題意識まったくなかったのでありませう・・・・

米国の対イラク戦争の開始に即座に同意したのは英国でした。米国と英国は歴史的に兄弟ともいうべき関係でありますから、英国が最初に同意したことには無理からぬ点があります。しかし、それにもかかわらず、開戦当時の首相であったブレア氏は後に、2016年7月に、「英国のイラク戦争参戦とその後の経緯を調べる独立調査委員会」において自らの責任を問われています。この委員会の委員長は、イラク戦争は「ひどい展開」になった海外介入であり、その影響は現在に至るまで世界情勢に響いていると指摘したうえで、2003年3月の時点ではフセイン大統領からの「切迫した脅威」はなかったとして、イラク戦争参戦に関するブレア首相の責任を問うています(以上は2016年7月7日BBCニュース日本語版より)。これは歴史に対する政治家の責任を問うたものであり、イラク戦争に参戦した国家の責任を問うたものであるといってよいでありませう。

しかしながら、日本では当時の小泉首相の責任を問う動きはほとんどありませんでした。国政レベルでもメディアの世界でも、イラク戦争にいち早く賛成し「自衛隊」と称する軍隊をイラクに「派兵」ならぬ「派遣」したという実績がある日本政府の責任を、世界に先駆けてブッシュの「歴史の誤用」にやすやすと同調したことの責任を問う声はほとんどありませんでした・・・

責任を問う声がほとんどなかったとはいえ、イラク戦争に端を発した、未だに続いているイスラム諸国における混乱と悲惨極まる状況に関して、いち早く対イラク戦開始に賛成した日本に責任の一端があることは否定できないでありませう。

小泉氏だけではなく日本の政治家の大半はイラク戦争に関する責任について何も考えていないでありませう。政治家による「歴史の誤用」といった問題など考えたこともないでありませう。過去の日本の歴史を正当化することには関心があっても、歴史を軽視することはあっても、歴史認識の重要性に真剣に思いをはせることも、政治家の歴史に対する認識は時には人々の運命を大きく左右するものであるということを考えることもないでありませう。

しかし、歴史にどのように接しようとも、歴史は一筋縄ではいきません。あの「パールハーバー」の「屈辱」が巡り巡って行きついた先がブッシュの「歴史の誤用」によるイラク戦争、ローマ法王をして「第三次世界大戦」と言わしめた戦争であったということを、そして日本がのこの戦争に深くか関わっていたということを、日本の政治家たちも私たち市民も明確に認識すべきでありませう・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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雪、降りました、積もりました・・・

2022-01-22 01:05:26 | 日記
昨日、午前三時ごろ、もう寝なくてはと思い、その前に夜空を眺めて、きょうもまたムダに過ぎてしまったなあ、一日を少しは反省しようと、北側の窓のカーテンを開けましたら・・・・外は真っ白でした。

雪です

日が暮れてからいつのまにか音もなく降り続け、積もっていたのです

今日の写真はわがガーデンの雪化粧を撮ったものです。写真では夜桜に見えないこともないのですが、正真正銘の雪、久しぶりに雪でした。冷気に包まれて輝く雪、冷たい透明な夜でした

でも、積もった雪を見てキレイだなあなどと思うのは雪国の人ではありませぬ。「細雪」という何やらロマンチックな響きがする言葉もあり、雪や雪景色はポエチックな雰囲気を感じさせるものではあっても、実生活上は雪はそれほど歓迎すべきものではないからです。GGIも若かりし頃、北の大地で、「大志を抱き」勉学に勤しむと称して四年間ブラブラ過ごしていたことがあるのですが、雪なんかキレイでもステキでもありませんでした。雪国出身ではない学生は、凍った路面に足をとられて転倒したり・・・雪は暮らしの一部でありました

その辺の事情を上手に詩に唄ったのが三好達治でありませう。あのたった二行の有名な詩です

 太郎は眠る 太郎の屋根に雪は降りつむ
 次郎は眠る 次郎の屋根に雪は降りつむ

雪国の暮らしなんかに関心がない詩人が唄った詩は、何だかピント外れでおセンチなだけであります

 汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる

中原中也の有名な詩の一節です。おセンチなナルシズムに満ち満ちたキザたらしい詩です。己の欠陥を見せつけられるような気がする詩でありますので、GGIは自虐的にこの詩が好きです。雪国の人からすれば何言ってるんだ、「今日も小雪の降りかかる」ってあたり前じゃないか、それがどうした、小雪であればラッキーと思わなければ・・・大雪になったらたいへんなんだから、というところでありませう

詩はともかく雪を歌ったポピュラーソングにはなかなかいいものがありますね。雪がコンコン、ワン公がどうのこうの、ニャン公がどうのこうのというのんきな童謡の話ではありませぬ。たとえばサルバドール・アダモが歌うシャンソン「雪が降る」です。「雪が降る、あなたは来ない」というフレーズが繰り返される、とってもあきらめのワルイ歌です。そういえば「雪の降る町を」という歌もありましたね、おセンチに満ち満ちた歌ですけれど、いや、おセンチ満杯の歌でありますので、GGIは好きです。

雪のシーンがとてもグッドな映画もありましたね。たとえば「シェルブールの雨傘」のラストシーン、雪が降り積もった夜のガソリンスタンド、偶然の再会、雪の白さが効果的であり、とてもすてきでありました。またフランソワ・トリュフォー監督の「ピアニストを撃て」(1960年)のラストシーンはとても忘れがたいものでありました。ギャングの抗争に巻きこまれた元天才ピアニストを演じるシャルル・アズナヴールが追い詰められ、降り積もった雪の中を必死にはいずり回るシーンです。そういえばあの名作、イタリア映画「道」(1954年、フェデリコ・フェリーニ監督)にも雪のシーンがありました。荒くれ旅芸人ザンバーノを演じるアンソニー・クインが仲の悪い綱渡りを得意とする別の旅芸人を殴り殺すのを目にして気が狂ってしまった、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナがとある峠で毛布にくるまれて静かに眠っている隙に、彼女を見捨ててオンボロのオート三輪で逃げ去っていく、なんとも悲しいシーン、峠に降り積もった雪が印象的でありました・・・そして、この映画、時を経て我が過去を悔いてアンソニー・クインが夜の砂浜で夜空を見上げてハラハラと涙を流しながら狂ったように砂まみれになってのた打ち回るラストシーン・・・アンソニークイン迫真の名演技が心に残っています

文学作品では野坂昭如の自伝「行き暮れて雪」というのがありましたね。神戸で暮らしていた野坂少年、空襲で焼け出され、やせ衰えた幼い妹を背負って福井へと逃げのびたものの妹は影響失調で餓死、妹を荼毘にふすために自分で薪をなんとか用意して・・・という長~い、力作というよりは「焼け跡闇市派」と称された彼の原点を強く感じさせる非常に優れた作品です

などなど、まとまらない雪話になりましたが、最後に高校生が書いたすなおで簡潔な雪の詩を紹介しておきます

「雪」     庄司 卓哉

音は聞こえなかった
カーテンを開けたら真っ白だった
鼻の奥が「ツーン」と冷たい匂いがした
「ズシ ズシ ズシ」足跡がついた
ぼんやり明るい夜になる
音は聞こえなかった

庄司君は秋田県立秋田きらり支援学校の生徒さんです
http://www.kagayaki.akita-pref.ed.jp/kirari/topics/detail.html?id=137から引用しました

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ

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歴史の勉強:「9・11同時多発テロ」と「パールハーバー」は米国人にとって歴史的「屈辱の日」(おそらくその一)

2022-01-17 16:34:08 | 日記
今日は少々退屈かもしれませんが、若干まじめな歴史についての話です。

みなさんはあの前代未聞の大テロ事件、9・11同時多発テロが起きたとき、それまでに起きたことがある、何らかの歴史上の重大な出来事や事件などを連想したことがあるでしょうか?

日本人の多くは、大事件であり非常に驚かされたことは確かではあるものの、海の向こうで起きた日本には直接は関係のない出来事でもあり、この未曽有の大テロ事件からすぐに何か歴史上の他の特定の大きな出来事を連想するようなことはほとんどなかったのではないでしょうか?
・・・
ところが、9・11直後の米国における反応は、日本における反応とはまったく違ったものでした。それは私たち日本人の多くにはとっては想像もしなかったものです。なぜならば、米国人の多くが、すぐに、真っ先に連想したのは・・・あの「パール・ハーバー」すなわち9・11から60年前、1941年前の12月8日(現地時間12月7日)の真珠湾攻撃であったということを、GGIは最近になって初めてはっきりと知りました。9・11の直後、「パールハーバー」が米国で引き合いにだされることがあったことは多少は知っていたのですが・・・・

先日、昨年末12月29日の日記で、米国の歴史家ジョン・W・ダワーの著作「戦争の文化:パールハーバー・ヒロシマ・9・11・イラク」(岩波書店。2021年12月刊)のことを少し紹介いたしましたが、この本の「開戦」と題された第一部の第一章「屈辱」の中で、9・11が起きた後に米国において広く流布していた言説について、その具体例を挙げてを詳しく述べています。その実際の例をこの本から少し引用してみます。

ダワー氏は述べています。

『2001年9月11日、ニューヨークとワシントンでテロ攻撃が起きたとき、コメンテーターたちが使った最初の言葉が「屈辱」であった。あと数カ月で真珠湾攻撃から60周年というこの日、評論家や政治家、そしてテロに驚愕したアメリカ国民が、ほとんど反射的に思い出したのが「真珠湾」であった。映画のフラッシュバックのように、過去と現在が一瞬で融合した』

1941年12月8日(アメリカ東部時間で真珠湾攻撃翌日の正午過ぎ)、フランクリン・ルーズベルト大統領は議会で、史上名高い開戦演説を行い、その冒頭で「1941年12月7日は歴史に残る屈辱の日」と述べたとされていますが、ダワー氏は以下のように記しています。

『この演説のときから「屈辱 infamy」といえばアメリカ人は思い出すようになり、日本の背信と欺瞞を示唆する言葉となった。必ず報復しなければならず、決して忘れてはならないというニュアンスを帯びた言葉であった』

これがいわゆる“Remember Pearl Harbor”(リメンバー・パールハーバー:真珠湾を忘れるな)という有名なスローガンの誕生につながってのでありませう。

ダワー氏はさらに、新聞各紙などが事件の直後、盛んに「屈辱、Infamy」という大きな見出しを掲げて9・11同時多発テロ事件を報じていたと記しています。たとえば「ワシントン・ポスト」週刊版は、一面にルーズベルトの言葉「歴史に残る屈辱の日 A Date Which Will Live in Infamy」をそのまま掲げていたと記しています。そしてブッシュ大統領の日記や評論家の発言を以下のように紹介しています。

『ジョージ・W・ブッシュ大統領は9月11日夜、「今日21世紀の真珠湾が起こった」と日記に残した。リベラル派のコラムニスト、ポール・クルーグマンも一年後にこう振り返った。「9月11日の国民感情はかつての真珠湾にあたるものであり、9月11日に始まったわれわれの闘いは、かつての第二次大戦にあたると考えてもおかしくない」

 クルーグマンは、テロを引き起こした敵に対する道義的怒りと強い報復感情が、真珠湾の時のように呼び起されたと指摘している。日米戦争では「真珠湾を忘れるな、リメンバー・パールハーバー」が最も流布したスローガンであった・・・開戦から3年と8カ月後、広島と長崎に原爆が投下されるまで、この叫びは止まらなかった。世界貿易センタービルが破壊され、ペンタゴンが攻撃を受けた後は、全米いたるところで「9・11-私たちは決して忘れない 9・11-We Will Never Forget」がスローガンになった。

標語がこのように似ているのは偶然ではない。9月11日を忘れるなという表現は、アメリカ人のほとんどが真珠湾攻撃との類似性をすぐさまに理解したがゆえに、とりわけ効果的だったからである。・・・・』

いかがですか、このダワー氏の記述を目にして、みなさんはどのようにお感じなるでしょうか?かつての日本軍が引き起こした真珠湾攻撃と9・11は60年の時を隔てているだけではなく、その時代背景も大きく異なったものあるにもかかわらず、米国人の多くは何の疑いもなくこの歴史的な二つの出来事を全く同一視しているのです・・・

GGIは、9・11以後米国がこんなことになっているとは、ここまで極端なことになっていたとは、正直申し上げてダワー氏の記述に出会うまで思ってもいませんでした。ダワーの記述はある種の驚きでした。

米国では9・11からわずかひと月半後の10月半ばに、急きょ「愛国者法」(通称USA Patriot Act)と称される包括的で厳重なテロ対策のための法律が制定され、メディアというメディアが、まるで報復のための一刻も早い開戦を求めているかのうように、「愛国」一色に塗りつぶされた報道を続けていたことは知っていたのですが(後にイラク戦争が開始されてから、米国がイラクが開戦の理由としていた大量破壊兵器をイラクが保有していなことが明らかになったとき、米国のメディアは「当時われわれも愛国一色になっていたが、われわれは政府に騙された」と米政府を非難しています)、真珠湾と9・11がまったく同一視されるような極端な状態にまで至っていたとは、まったく認識していませんでした(愛国者法は人権に配慮して数年後に改訂されています)。

大半の日本人にとっては、9・11の記憶は、20年を経た今でも生々しいのですが、真珠湾の記憶は、もうはるかに過ぎ去ってしまった、つまり明らかに過去のものとなってしまった、半世紀以上も前の、日本の近代史上のひとつの大きな出来事に過ぎないのではないかと思われます。

アメリカ人が9・11をどう感じていようとも、パールハーバーの再来であると感じていようとも、日本人の大半にとっては、真珠湾攻撃は9・11から60年も前という遠い昔の出来事であり、どう考えても真珠湾は9・11が起きた当時すなわち2000年ごろの国際情勢に直接関わるような話なんかではないと言うのが実感ではないでせうか・・・・

大半の日本人にとっては、あれはかつての欧米を相手にした太平洋戦争の一局面に過ぎない、すなわち戦争の際の軍事行動のひとつに過ぎないじゃないか、何をいまさら80年も前のことを蒸し返して何の意味があるのだという強い違和感を否めないのではないでしょうか・・・

不特定の多数の市民を突然死に至らしめた、少数の人間が引き起こした9・11テロ事件という犯罪行為と一国の軍による敵国の軍事施設に攻撃・奇襲攻撃を加えたパールハーバーとをまったく同一視することは、果たして歴史の解釈としては正しい言えるのでしょうか、GGIは疑問を感じます。

というのは、よく考えてみれば当たり前のことですが、パールハーバが引き起きされる至った歴史的・社会的・文化的な過程や背景、当時の国際情勢とパールハーバーから60年を経て起きた9・11に関するこれらの諸々の要因とは、その内容を異にするものであることは明らかであるからです。歴史は繰り返すなどと言われることがあります。しかし、歴史を正確に見つめるならば、たとえ大きな類似点が存在していても、類似点の存在だけを捉えて「歴史は繰り返す」とすることは適切な判断であるとは言えません。すなわち、歴史的に内容やその背景を大きく異にする二つの出来事を、単にひとつの見過ごせない共通点(「屈辱」という多くの米国人が抱いた感情)があるからと言って、まったく同一視することは、歴史の正しい見方であると言えるでしょうか。

では、日本人にとってのパールハーバーは一体何であったのでしょうか、GGIの考えでは、日本人の多くにとっては、真珠湾奇襲攻撃が行われた日は、GGIがこの世に生を受けてから7か月後の、あの1941年12月8日は、米国民の多くに「屈辱感」をもたらすことになった「卑怯な奇襲攻撃を行った日」として強く記憶されているのではなく、日本が、勝てる見込みのまったくない戦争を、歴史上まれにみる無謀で愚か極まる戦争を開始した日、4年足らずのうちに200万人を超す膨大な数の戦死者と100万人にもおよぶ市民に犠牲者を出すことになった、このうえなく悲惨な戦争を開始してしまった日として記憶されているのではないかと思います・・・あの日から日本の運命は大きく変わったいう記憶が強くても、世界の大国である米国に日本が一泡吹かせた記念すべき日である今でも思っている日本人はほとんどいないでありませう・・・

この点に関してダワー氏は以下のように記しています

『日本にとっては、これ(9・11とパールハーバーが米国人のあいだで同一視されたこと)は気の毒なことであった。過去を葬るべく、戦後長い年月をかけて努力し、平和国家、米国の献身的同盟国たることを示してきたのに、19人のイスラム主義テロリストがハイジャック攻撃をしかけたために、過去の焼けつくような記憶がよみがえってしまったのである・・・』

ダワー氏、「過去を葬るべく、戦後長い年月をかけて努力し、平和国家、米国の献身的同盟国たることを示してきた・・・」などと少々日本には甘い記述をしている点は、果たしてどうかなあとは思います。と申しますのは、確かに憲法第9条の下で、日本が戦後戦争することはありませんでしたから、その意味では「長い年月をかけて努力し、平和国家であり続けてきた」のですが、一方において、戦後の日本は二次大戦後の米国による戦争を、大半は米国が勝つことができなかった戦争を、終始一貫して全面的に支持・支援をし続けてきており、今でもこの状態は続いており、今後も続くだろうと思われるからです。この意味においては日本は「献身的」というよりは米国の盲従的同盟国であると言うべきでありませう。

米国人諸氏よ、「屈辱」という一点で9・11とパールハーバーを同一視したがる心情は、大国としての米国の誇りを考えるならば、私たち日本人にとってもまったく理解できないわけではありません。しかし「奇襲攻撃」を受けて「屈辱」という強い感情を抱かざるを得なかったという、ただ一つの共通点のみで歴史的できごとを解釈しようとすることは、果たして歴史の正しい理解の仕方であると言えるでしょうか?そのような行為はいわば自分たちに都合のよい事柄だけを強調する「歴史のつまみ食い」(歴史の誤用)に過ぎないのではないでしょうか・・・

歴史というものは単純なものではありません。

9・11や1941年12月8日に米国人の多くが「屈辱」であると強く感じたのは「文明の遅れた自分たちより下等で下劣な連中と思っていた奴らに大国の威信を傷つけられた」という感情に由来したものであると思われますが、パールハーバーが米国人にもたらした「屈辱」は、最終的に、「テロ空爆」(無差別空爆を指すダワー氏の言葉)の際たるものであるヒロシマ・ナガサキへの原爆投下いう前代未聞の事態をもたらすことになりました。今日も未だに続いている核の時代の始まりとなった原爆投下です。ヒロシマ・ナガサキは単に「屈辱」と言う言葉で済ますことができるような生易しい出来事ではありません。あの原爆投下は「屈辱」といった主観的な感情などではとうてい済まされない歴史的な非行です。そして、私たち人類はこの「歴史的非行」の結果として今も核の時代に生きることを強いられているのです・・・

そして9・11が米国人にもたらした「屈辱」は、なんら当時の国際情勢を顧みることなく歴史的分析・考察を経ることもなく、9・11事件の直後、すぐさまブッシュ大統領に「(9・11は)「20世紀のパールハーバー」(前述のブッシュ大統領の日記における記述)という断を下させることになりました。9・11が起きた直後はじめて姿を見せたブッシュ大統領のテレビ映像をGGIは偶然目にしたのですが、そのとき彼は陰鬱な沈んだ表情で「これは20世紀最初の戦争だ」と明確に言い切っていました。この映像を見てGGIは「おいおい、初めての戦争と言うのであれば、戦争の世紀であった20世紀が終わったというのに、またしても次々に戦争するつもりなのか?」と思わずつぶやいてしまったことを記憶しています。

ブッシュ大統領は9・11事後直後に、いくら衝撃的で「屈辱」的なことであっても本質的にはテロ事件であり戦争とは言えないる9・11同時多発テロを戦争行為として捉えたのです。すなわち一国の軍事力を他国に対して行使することを意味する戦争と同じ行為であると捉えたのです。9・11は新たな戦争の開始を意味しており、この新たな戦争は太平洋戦争の再現である、歴史的に同質のものであるという判断を下したのです。GGIはこのブッシュの行為は「歴史の誤用」によるものではないか、意図的な「歴史の誤用」ではないかと考えます

(この日記、続くかもしれません)

今日の写真はダワー氏の著作の日本語訳の表紙を撮ったものです

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
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私の城下町:今度は創業百余年の餅菓子屋さんがお店を閉じてしまいました・

2022-01-13 00:40:27 | 日記
以前、ちょうど三年前の日記に、JR駅前の古い洋菓子屋さんが店を閉めてしまった、残念という惜別の日記を掲載しましたが、今度や小さな和菓子屋さん閉店の話です

昨日、買い物の帰りにわが母高校の正門前にある、GGIが幼少のころかある小さな本屋さんによって、頼んでおいた本「星新一の思想:予見・冷笑・賢慮のひと」(筑摩書房)を受け取り、お店のオーナーであるおばさんに申しました

「向かいのお店、初田のお菓子屋さん、やっぱりお店、閉めてしまわれましたね・・・年末寄ったときに、今年限りに店を止めますと言ってはおられたのですが・・・もう年だからとおっしゃっていましたが・・・でも・・・残念ですね」

「ほんとに・・・私も残念・・・とても。あそこの小さな大福、ていねいな手作りで、とってもおいしくて、・・・私も大好きだったのです・・・」

この和菓子屋さん、正確には餅菓子屋さん、中学・高校時代の最優秀なるクラスメートの実家です。高校時代は学校の帰りに遊びによったりしていたのですが、卒業後はずっとご無沙汰と申しますか、数年前まではあまり立ち寄らなかったのですが、ここ数年は、買い物帰りにこの本屋さんに立ち寄ったときは必ずこの和菓子屋さんにも立ちより、ヨモギ大福などを買うことにしていました。

昨年末、暮れも押し詰まったころに立ち寄ったとき、女主人が「私も90歳になりますので、今年限りでお店を閉じさせていただこうと思っています」と言ってはいたのですが・・・

昨日通りかかったときはもうシャッターが下ろしてあり、シャッターには閉店を知らせる貼り紙がしてありました。

今日の写真はこの貼り紙を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってください

貼り紙には「・・・創業以来百余年、ここに嫁いで六十六年続けてこられたのは、お客様の皆様方やご近所の皆様方のお蔭です・・・」とあります

百余年といいますと大正の半ば、六十六年前と申しますと1956年、すなわち昭和31年、GGIがまだ中学生のころであります。このお店に嫁いできて主人を亡くされてから数十年、毎日ひとりで手作りのおまんじゅうを作って、お店を守りを続けて・・・気がついたら90歳・・・

貼り紙をよく見てみますと、貼り紙の左下の隅っこや左上の隅っこに、何人もの、このお店のファンであったひとたちのお礼と感謝の、心あたたまる言葉が小さな文字で記されていました。みなさん、すこし小さめの手作りの大福がお好きだったのです・・・

昨日は手がかじかむような寒い一日でした。この閉店お知らせの貼り紙を目にして、このお店の女主人は90歳、GGIは80歳・・・時の流れは・・・などとぼんやり考えながらしばらく貼り紙を眺めておりました。寒さが一段と身に滲みました・・・

このお店の写真は2017年10月29日の日記に、またお店の女主人のことなどは同じく2017年10月28日の日記に書いておりますので、よろしければご覧になってくださいませ。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
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