UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

ほんとうに三角形の二辺の和は他の一辺よりも長いのでせうか?

2017-08-31 01:02:30 | 日記

みなさん、むかし、小学校か中学校で「三角形の二辺の和は他の一辺よりも長い」という幾何の定理を習いましたね。

GGIも優に半世紀以上もの間、この定理は真理である、ほんとうであるとマジメに信じて生きてきました。このような定理を信じて生きているからといって、正しく生きていることの保障にはならないのですが、昨日、この定理はほんとうかな?必ずしもそうとは限らないのではないかと思わせる光景に遭遇してしまいました。

今日の写真はこの光景を撮ったものです。どうかクリックしてご覧になり、とくと観察なさってください。

画面に三角形が見えますね、これが疑惑の三角形であります。これが二辺の和は他の一辺よりも長い、という定理は果たして真理なのか、疑わしめる三角形です。

ご覧のようにこの三角形の二辺は総ガラス張りのプリンスホテルさんのビルの輪郭部分により構成されています。残りの、斜め方向の一辺はバローさんという大きなスーパーの建物の屋根の一部により構成されています

この三角形、一見したところ、三角形の二辺の和が他の一辺よりも長そうに見えます。でも良くご覧になってください。この三角形における垂直方向に屹立している一辺はプリンスホテルさんのビルの高さにほぼ一致しておりますからかなりの長さであるといってよいでしょう。100メートル前後はあるかもしれませぬ、なにしろ三十数階回建てですから。

GGIはこの三角形をしばし眺めまわしました。

そして、わが仔細なる観察結果に基づいて、この三角形の垂直方向の一辺は、おそらく他の二辺より長いであろうという結論に達しました。すなわちバローさんの屋根による斜辺の長さは垂直方向の一辺の長さとくらべると格段に短く、したがってこの斜辺の長さと水平方向の一辺の長さを合わせても、とうてい垂直方向の一辺の長さには及ばないと推測されるのです、つまりこの三角形における二辺の和は他の一辺よりも短い::::ウソだとおおわれる方は測量機を用いて実測してくださいませ

大切な蛇足:この日記を書き終えましたら、どこからか声がしました

「アホやなあ、GGIは。二次元と三次元の区別ものつかんのかいな、ほんまにアホや」

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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あなたは幸せですか、なんていきなり聞かれてもなあ・・・

2017-08-30 01:43:41 | 日記

世の中、毎日いろいろなニュースがあふれておりますが、ときたま、エッ、ほんとうなの?と思わず目を疑うような記事が新聞に掲載されていることがあります。当世風に申しますと、えっ、これガセじゃないの、フェイクじゃないのと叫びたくなるようなニュースです

先の大戦では、日本軍の最高統帥機関であるとされた「大本営」は戦に敗けているのにあたかも連戦連勝しているかのようにウソだらけの発表ばかりしていたため、政府の発表はすっかり信用を失い、政府が何かもtっともらしく発表しても、あれは大本営や、大本営、大ウソやなどと揶揄され軽蔑されたものでした。

8月27日の朝日新聞にも「えっ、ほんとか?これ大本営じゃないの!」と思わせる記事が掲載されていました(他の新聞でも報じられていました。)

記事の見出しは、

《生活に「満足」73.9% 過去最高 内閣府世論調査》

今日の写真はこの記事を撮ったものです。読みにくいのですが、デジタル版の記事が以下のサイトに掲載されていますのでよろしければご覧ください。

http://www.asahi.com/articles/ASK8T7GG7K8TUTFK01R.html

この記事によりますと、内閣府が26日に発表した世論調査の結果では、現在の生活に満足していると答えた人は、前年より3.8ポイント増えて73.9%にも達しており、過去最高だそうであります

すごいですねえ・・・GGIはこの数字にびっくりしてしまいました。なんと日本人のおよそ4人に3人は今の生活に満足していることになります!あなたは信じますか?GGIには信じられませぬ・・・・

もしこれが本当であるとすると、日本人の圧倒的多数は現在の生活に満足しているのですから、現政権は世界にも稀にみる善政を施していることになります。日本人の圧倒的多数は現在の生活に満足しているのですから、当然ながら日本人の大半はとても幸せであるということになります

そのむかし、仁徳天皇は民のかまどから煙が立っていないのを目にして心配し、徴税の中止や減税という善政を施し、その結果民の生活は豊かになったという話がありますが、平成の民の大多数がこのように日々の暮らしに満足しているですから、現政権は仁徳天皇に劣らぬ稀なる大善政を行っていることになります。

ですから、安倍政権はどうのこうのとか、政権交代がどうのこうのというのはまったく的外れということになります、とやかく言うのはとんでもないことです、国民はこの善政が末永く続くことを祈るべきです、祈らない者はバチあたり、国賊であります

ところで、国連は3月20日を「世界幸福デー」なるものに定めております。このような結構な日が設けられていることをGGIは全く知らなかったのですが、この世界幸福デーに合わせて国連は毎年世界の155カ国を対象とした幸福度ランキングなるものを発表しています。

内閣府の調査で上記のように日本人の大半が暮らしに満足していることになっておりますので、2017年の幸福度ランキングにおいても日本はさぞかし上位を占めていることであろうとGGIは大期待いたしました。しかし、まことに残念ながら、日本のランキングは155カ国中52位、上位を占めているのは北欧諸国でした。このランキングにおける日本の位地から判断しますと、日本人はすくなくともいわゆる先進国のなかではそれほど幸福ではなさそう、ということになりそうです。

2017年の幸福度ランキングの内容については以下のサイトをご覧ください。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/21/world-happiness_n_15505470.html

ところで、上記の内閣府の生活満足度の調査結果と国連の幸福度ランキングの結果とのあいだに何故このような大きな乖離が存在しているのでありませうか

いろいろな理由が考えられます。その一つは内閣府の調査結果はいわゆる「大本営」ではないかということです。内閣支持率についての世論調査で、現政権支持を標榜するメディアにおける支持率が高く、現政権に批判的なメディアにおける支持率が低いという傾向があることは良く知られていますが、この種の世論調査にはどうしてもある種のバイアス(偏り)が存在していますから、意図的にバイアスをかけて「大本営発表」を行うことは可能です。ですからこのたびの内閣府の調査結果が大本営である可能性は否定できまぬ。しかし確たる証拠があるわけではありませんので、簡単に断言することはできません。

それよりもGGIが気になりますのは、このような類の質問、たとえば「あなたは今の生活に満足していますか?」とか「あなたは幸せですか?」あるいは「あなたの暮らしは中流ですか、下流ですか、それとも上流?」などという判断基準が漠然としている直截なる質問に答えることは多くの日本人は苦手とするのではないかということです。

英語では Are you happy?などと言ったりしますが、日本人が日常会話で「あなたは幸せですか」などと聞いたりすることはまずありません。ですから、もしそんなことを聞かれるようなことがあったら思わず答にとまどうのではないでせうか

GGIも一度、外国人に「日本って経済大国と言われたりするけど見かけ倒しで君らが思っているほど豊かな国やない、民は日々の暮らしに苦労しているのや」と説明しましたら、「わかった、ところでAre you happy?」と聞かれておおいに困惑したことがあります

「えっ、何?幸福かって?そやなあ・・・さあ、どうなんやろ、まあ不幸かといわれたら不幸というほどではないし、それなら幸福かと言われてもなあ・・・まあなあ・・・これで不幸や言うたら罰があたりそうやし・・・だから、どちらかと言えば幸福かもしれんなあ・・・」

つまり、このような質問には即座に明確に答えることができないものの、結果として相手の質問を肯定する形になってしまうのではないか、というのがGGIの体験と種々の観察結果に基づく私的見解であります

日本人の場合、このような質問にたいして「はい、私は幸福です」とか「いいえ、私は不幸です」とはっきり答えることもまずないものと思われます。でも多くの場合、つい質問者の立場、気持ち、思惑などを忖度してしまって、機嫌を損ねないように肯定的な答をしてしまうのです。「そやなあ・・・はっきりとは言えんけど・・・まあ幸せなほうかなあ」

この内閣府による生活の満足度調査にさいしても、回答者の大半において質問者に対する上記のような忖度作用が強力に働いたのではないかというのがGGIの考えです。この調査は個別に面接して行われたとされていますので、回答者はわざわざ面接にやってきた調査員をまえにして、忖度すべくいろいろ考えたのです

「今の生活に満足しているかっていきなり聞かれてもなあ、満足なんかしてません、なんて答えて調査員さんをあまりがっかりさせてもあかんし・・・そうかといって、ハイ、もちろん満足してますなんていえるはずないしなあ・・・どう答えたらええやろ・・・・まあ、いろいろありますけど、一応は満足しているというか、あまり大きな不満ははいまのところないというか・・・・まあ、結局は満足しているということになるでしょうね・・・・」

調査員はこのような答を耳にして、調査用紙に、この回答者はいまの生活に満足していると記録するのです、その結果国民の約74%もが今の生活に満足しているという《大本営発表》になったというのがGGIの考察結果であります

これはGGIによるデタラメな推測ではありませぬ。いつのことであったか忘れたのですが、「あなたの暮らしは中流であるか、下流であるか、上流であるか」という質問を内容とする調査が行われ、その結果、もう中産階級がなしくずしに崩壊しつつあるにもかかわらず、圧倒的多数の人が「自分は中流である」と答えたということがあったのです。

この質問に対して、下流か下流の近くに位置する人は「自分は下流であると答えるのはなんだかカッコわるいしなあ、まあ中流の下、一応中流ということにしておこう」と考え、上の下あるいは上流に近い人は「自分で上流と言うのもなんやしなあ、上流と胸をはれるほどではないし・・・まあここは中流にしておいたほうが無難やろ」と考える人が多かったため、圧倒的多数の日本人は自分が中流であるという認識しているという結果をもらしたのであろうというのがGGIの推測であります

ところでみなさん、あなたは幸せですか?

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

 

 

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ボクは良い子だからねんねしているのだけれど・・・

2017-08-29 01:48:18 | 日記

昨日の午後、スーパーに買い物にいきしたら、お店の片隅に置かれているベンチで若いお母さんが坊やを小脇にかかえて眠らせておりました

今日の写真はこの母親の姿をうしろから無断撮影させていただいたものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

ごらんのように坊やは横向きに抱きかかえられて、しっかりねんねしておりますね、熟睡といってよいでありませう、まことに良い子であります

この姿をながめていまして、GGIはかつて1970年代半ばから90年代半ばにかけてテレビで放映されていた幼児向け番組「まんが日本ばなし」のテーマソングを思い出しました

ご存知のかたも多いことでありませう。一番の歌詞は以下のとおりです

坊や良い子だねんねしな
今も昔も変わりなく
母のめぐみの子守唄
遠い昔の
物語

坊やを寝かせている母親の後ろ姿を目にして、やっぱり母親ってエライなあと感じ入ったのでありますが、この母親の前に回ってみましたら・・・母親はスマホを手にして熱心に画面を操作しておりました!

あっぱれお母さんであります、坊やは良い子だからねんねさせなければ、でも坊やがねんねしている間にスマホもしっかり見なきゃというわけです、これはGGIにとりましては想定外ではありました。けれども、母親が何をしていようと良い子になってしっかり眠っている坊やにGGIはいたく感心してしまいました。この子はきっと孝行息子になることでありませう。

実はGGI、この「まんが日本昔ばなし」という長寿番組をかつてテレビ局で長年にわたり担当していた人物を知っております。

あるとき、定年が間近になったこの人物に聞いてみました

「定年になったらパッとやめてしまうですか」

「左様、パッとやめます」

「そうですか、どうしてパッとやめるのですか」

「テレビ界は一望の荒野だからです。いまから数十年前、米国議会で米国のテレビの在り方についての公聴会が開かれましたが、すでにそのときに関係者の一人が《米国のテレビ界は一望の荒れ地である》と証言しているのです。日本もまったく同じことです」

「でも、いまどきの若き大人たちは、みんな幼児のころにあなたがやっていた番組《まんが日本昔ばなし》を見て大きくなっているのですよ、それにこの番組は放送文化賞を受賞しているではありませんか。また、あなたは《野生の王国》というなかなか評判の良かった番組もやっていたではありませんか」

「そうかもしれませんが、荒野は荒野です、一望の荒野であることに変わりはありません」

先日、8月27日の深夜に「映像17:宮武骸骨と安倍政権」と題したドキュメンタリー番組が毎日放送で放映されるとGGIに事前に教えてくれたのはこの人物でありました。

この「映像17」というキュメンタリー番組は月に一回放映されている1時間の番組です。先日放映された「宮武骸骨と安倍政権」はなかなかグッドなテーマではありました。決して権力に屈することがなかった宮武外骨という明治の型破りのジャーナリストの人物像はななかなかよく伝えられていたのでありますが、アベ政権の問題とのからみの部分はやや消化不良の感が否めませんでした。

菅官房長官の記者会見において、ロボットのようにおとなしい全国紙の記者などに囲まれながら独り果敢に長官に挑みモリ・カケ問題などに執拗に質問をする東京新聞の女性記者へのインタビューの部分はなかなかグッドではあったものの、昨今のメディアの萎縮ぶりなどへの突っ込みがもうひとつ不十分であった、というのがGGIの勝手な感想です。

しかし、この「映像17」という放映時間1時間の番組は民放製作の数少ないドキュメンタリー番組であり、いま問題となっている様々なテーマに焦点を当てた力作が少なくありません。数多くのどうでもいい低レベルの番組があふれている中でのこの番組の健闘ぶりは一望の荒野のなかに毅然として咲く一輪の花のようだと言ってはほめすぎでありませうか

しかしながら、まことに残念なのは、この番組の放映時間帯です。放映は月一回、しかも日曜日の深夜(正確には月曜日)です。多くの人にとりましては、もう眠りについていたりする時間帯です。また、明日からはまた仕事という人は、こんな遅い時間帯にテレビを見ているわけにはいきせぬ。つまり一番視聴率が低い時間帯にしか放映されていないのです。

理由はお分りでせう。テレビ界は一望の荒野であるからです。いかに優れた内容の番組であっても、番組のスポンサーのおかげでメシを食っている民放業界では、視聴率がとれそうもない、大きなスポンサーがつきそうもない番組は片隅へと追いやられます。いい時間帯にはジャリタレやジャリ大人たちがはしゃぎまわる愚劣な番組しか放映されないのです。民放のテレビはまさに悪貨が良貨を駆逐する典型的な世界なのです。

この「映像17」に関心がある方はよろしければ以下のサイトをご覧になってください。過去の番組などが紹介されています。

http://www.mbs.jp/eizou/

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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夏の終わりの花火・・・・

2017-08-28 00:06:18 | 日記

一昨日、夕飯を終えて一息ついていましたら、遠くからド~ンと鈍い音が響いてきました、花火です

毎年、夏のおわりに、わが庵から1キロほどのところ、湖畔にある城跡の公園で花火大会が行われます、その開始を告げる花火の音でした。

この花火大会、地元の商店街などが主催しているのですが、とても地味な催しです、今年は三十万人を超える人出であったというあの「びわこ大花火大会」とくらべますと「びわこ大控えめ花火大会」といったところです。以前はもう少し元気な花火大会であったのですが、びわこ花火大会が「びわこ大花火大会」などと称して威張り散らすようになってから落ち目になり、年々控えめになっていくようであり、今ではかろうじて行われているという感じです。

でも、この地元の花火大会のいいところは、わざわざ外にでなくても、わが庵の中から見ることができることです。木々の合間からわずかに見ることができるだけなのですが、居ながらにして花火見物、まことに結構なことであります

おかげでわがマザーは年老いて90歳を超えても、自分の寝室からこの控えめ花火大会を楽しむことができました。あらためてこの小さな花火大会さんに感謝もうしあげます。

「びわこ大花火大会」では、1万発ほどの花火が次から次に乱れることなく整然と打ち上げられます。途切れることはありません。おそらく最新のコンピュータ・ソフトなどで完全なるコントロールのもとに打ち上げられているのでありませう。

整然と次々に打ち上げられ、予定された時刻にピタリと終了するのですが、見物するほうといたしましては、ひたすらキレイ!キレイ!の連発です。まことに結構なのではありますが、ひと休みするひまもなく只々見物の連続、でくたびれしまい、情緒というものにやや欠けるなあ、というのがGGIの感想であります

ところが、わが「控えめ花火大会」では、マニュアル方式なのでせうか、次から次に整然と打ち上げられるわけではなく、ときどき不規則に休憩時間になったりいたします。次はいつ打ち上げるのかなあ、まだかなあと待ちくたびれてよそ見などしておりますと、その間にド~ン、音がしてから見たのでは後のまつり・・・それに打ち上げられる花火の数は「びわこ大花火大会」にくらべれば微々たるもの、で三十分たらずで終了・・・あっさり花火大会でもあります

でも、この控えめのややさびしげな花火大会、何となく夏の終わりを告げるようで風情がありGGIは好きです。「今年も夏がおわるなあ、この夏も何にもエエことなかったなあ、だけど、夏の終わりの花火を見ることができたなあ・・・かつて、わがマザーも機嫌よく花火を眺めていたなあ・・・」などとちょっぴりおセンチになったりいたします。

今日の写真はこの「控えめ花火大会」の花火をわが庵から撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

この写真を眺めていますと、夜空に浮かぶ青白い光は、お盆に帰還したものの未だに浮かばれない人魂たちがであり、人魂たちは冥界に戻るのをやめて、群れをなして彷徨っているのではないかという気がいたします。

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

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トマトはどのような動機で赤くなるのでせう?

2017-08-27 00:56:34 | 日記

わがガーデンのなかの耕作地、最近耕作主である知人は姿を見せませんが、彼が植えていったトマト、ミニトマトでありますが、どんどん成長して実をつけるに至っています。しかし実はなったものの青いままで、なかなか赤くなりませぬ、これではトマトとは言えないなあと思っておりましたら、最近になった赤く色づきはじめまた実を目にするようになりました。でも、まだ大半の実は青いままです・・・・

今日の写真は赤くなりはじめたわが農園のトマト君たちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、愛でてやってくださいませ。

ところでトマトはなぜ赤くなるのでありませうか、

トマトは赤くなることになっているのだ、それがトマトの運命なんだ、そんな質問は愚問だとか、トマトは赤いからトマトなんだ、赤くないのはトマトではない、何を言っておる、などというムチャな答をなさらないで考えてくださいませ

まあ、このごろトマトのリコピンは云々などと盛んに宣伝しておりますので、リコピンが関係しているものと思われるのですが、GGIもほんとうのことは知りませぬ。そこでネットさんに助けてもらいました。その科学的理由が以下のように明快に説明されていました

《赤いトマトにはカロテノイド系色素のリコピンが含まれていて、赤く見えるのです。カロテノイドは二重結合が連なったポリエン構造をしています。ポリエンが長くなると青い光を吸収して、赤と緑の光を反射しますので、黄色に見えます。ポリエンがさらに長くなってリコピンのようになると、青と緑の光を吸収して、赤い光だけを反射するようになり、赤く見えます。》

なるほどねえ、とGGIは思いましたが、念のため、わがガーデンになっている赤いトマト君たちに聞いてみました

「あのねえ、トマト君、君たちが赤くなるのはネットさんによるとカクカクシカジカであると書いてあったけれど、君たち、そんなこと知ってたあ?」

「知ら~ん、そんな科学的なことは知ら~ん、ぼくたちがそんなこと知ってるはずないやろ、自分のことは何でも自分で知っていると言うのは大間違い、GGIのオッサンだって、自分のオツムがどうしてこんなにいい加減なのか、自分ではその理由は分からんやろ。でもなあ、ぼくたちには赤くならなければならないきわめてプライベートな動機があるのです」

「ふ~ん、プライベートな動機だって?いったいどんな動機や」

「あのねえ、ぼくたちトマトが子孫を増やすためには動物に食べてもらう必要があるのです。だから、熟して食べても良い時期になると、カロテン類を作って赤くなり、動物の目に付くようにしているで~す」

「そうかあ、君たちカシコイなあ」

トマト君のいうとおりであります。もう一度、今日の写真をご覧になってくださいませ。トマト君の言うように、緑滴るなかでトマト君の赤は目だっており、動物が気づくことでありませう。この場合、動物と言うのはGGIのことでありますが・・・

以上の話はすべて以下のサイトからの引用でございます。キリヤ科学さん、ありがとう

http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/q01.html

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック?

  

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