UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

OMP(オオサカ・メディカルプリズン):刑務所で病人になるということ(その2)

2012-11-30 00:47:16 | 日記

今夜は前々回の日記、大阪医療刑務所見学記の続編です
写真は医療刑務所の看板です、よろしければクリックしてご覧くださいませ

この医療刑務所、内科、外科、整形外科、精神科、泌尿器科など各科がそろっているという意味では総合病院です

職員数は約150人、そのうち刑務官は男性66人、女性3人
常勤の医師が約20名、看護師が53人、その他若干名

見学後、説明役のお役人さんたちとの質疑応答の時間がありました。そのなかでいくつか気になった点を以下に記しておきます

収容定員は患者である受刑者が約200名(他に、病院の雑務などを行う病人ではない普通の受刑者が約90名)、60歳以上の受刑者が約4分の一、最高年齢は82歳、無期懲役者が3名、病床はいつも満杯状態とのことでした。したがって、おそらく入院したくてもできない受刑者がたくさんいるものと思われます。説明役のお役人さんたちも病床数が不足していることを暗に認めておりました。

ここで少し驚いたのはどのような病状の受刑者を医療刑務所に入院させるのか、はっきりした基準がないように思われたことでした。要するに、医療刑務所側と各刑務所長のあいだでやりとりして決めているようです。

また、これは不明なのですが、普通であれば病院長という人がいるはずなのですが、部屋の看板には所長室はあっても院長室というものが見当たらず、ひょっとしたら院長はいないのではないかとも思ったりいたしました。

ガン患者が一番多いとのことでありましたので、医療に詳しい見学者の一人が
「ガンの手術にさいしては、最近は術中に確認のために(ガン細胞であるか否かの)病理検査を行うのが常識となっているが、この病院では術中検査を行っているのか、それに必要な施設はあるのか」と質問したところ、「術中の病理検査は行っていない、手術前に他から送られてきたデータに基づいて手術を行っている」という答でした。質問者は「そんなことでいいのか」と問いただしておりましたが、明解な答はありませんでした。

受刑者の収容区画にはエアコン(クーラー)は設けられていません(しかし、受刑者が立ち入ることがない職員たちの仕事場である管理区画にはおそらく設置されています)。ですから、病人であっても受刑者であるが故に夏場は汗だくで過ごさなければならないわけです(通常の刑務所ですと、冬場でもろくに暖房は行われておりません、ここは病院ですから暖房施設はある程度設けられているのではないかと思いたいのですが、質問するのを忘れました、ないかもしれません)。何年か前にこの医療刑務所を見学したことのある人物が「以前、改善に努める、と言っていたではないか」と強い口調で咎めましたが、世間にはクーラーのない家もあるし・・・などと弁解にならぬ弁解をいたしておりました。

「刑務官などが診療室などにも立ち入ることがあると聞いているのが、そこまでする必要があるのか、いかがなものか?」という質問に対しては、「ここは病院であると言ってもれっきとした刑務所、すなわち拘禁施設である、したがって我々にとって最も重要な任務は(受刑者の)身柄をまちがいなく確保しておくことであり、必要に応じて立ち入るのは当然のことである」と厳然とした口調の答が返ってきました。

昨年一年間に死亡した受刑者の数は62名とのことでした。患者である受刑者の総数は約200名ですから、死亡率は約30%です。病院での死亡率というのは病院ごとに患者の構成が異なるなど様々な要因があるため、簡単には比較できないで何ともはっきりしたことは言えないのですが、GGIの当てにならぬ直感によれば、一般の民間の病院における死亡率は数パーセントのオーダーではないかと思われるため、いろいろな条件や背景が異なるとはいえ、かなりこの死亡率は高いのではないか、という気がいたしました

そしてこの死亡率の数字よりももっと驚くべきというか、気がめいるのは受刑者の患者は死んだあとどうなるかということです、以下の数字をご覧ください

昨年一年間にこの病院で死亡した62名のうち
遺族などが遺体を引き取りにきた件数:19件
遺骨にされてから遺族や関係者などが引き取りに来た件数:10件

残り、つまり約半数に関しては、誰も引き取り手がなかったことになります
引き取り手のない遺骨は刑務所内(おそらく隣接している大阪刑務所)の墓地に埋葬されるとのことでした

昨年一年間に自殺を企図した受刑者の数についての質問に対しては「保安上の理由から答えることはできない」という答が返ってきました。誰も自殺を試みた者がいなかったならばおそらく「いません」という答になるものと考えられますから、たぶんゼロではないのでしょう。

刑務所で病人になるということは以上のようなことであります

楽しい話ではありませんでしたが、今夜はこれくらいで失礼いたします

グッドナイト・グッドラック 
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わが八重葎庵の晩秋、モネふうナンキンハゼ(南京櫨)・・・

2012-11-28 00:59:13 | 日記

湖都のJR駅は県都の駅であり人口30万都市の玄関口であるというのに一日の利用者数は県内の他に駅に次々に追い抜かれいます、おかげで閑散としており、この駅前一帯の閑散ぶり、GGIは結構なことだと思うのですが、世の中、閑散をわけもなく忌み嫌う方々も少なくありません

市役所のお役人もたぶんそうなのでありませう、県都であるにも関わらず、近くには県庁などの湖国の永田町が存在しているにもかかわらず、この閑散ぶりは何たることだ、というわけで駅前大再開発ということになってしまいました、そのシンボルとして30階建ての店舗兼大マンションが建設されることになり、最近すでに有名ゼネコンさんが有名ブランドのマンション建設を開始しております

しかしながら、再開発を喜ぶ人ばかりではありません、迷惑するというか困惑している人たちもいるのです。

駅前にもう何十年もやっている小さな本屋さんがありますが、このお店の女性オーナーもその一人であります、GGIは棚の奥には白水社の高級そうな本がどっさり並んでいたりして、この本屋さんをむかしから愛用しております、このお店で椅子に座って、ときには茶の間にまで上がり込んで、長々とおしゃべりするのがGGIの習慣ですが、ツケでいくらでも本が買えるのも何よりであります、でも、いくら借金がたまっているのか分からないのが唯一の大欠点です

この本屋さん、すでに隣で高層マンションの工事が始まっているので、いよいよ立ち退きが迫ってきました、先日、久しぶりに立ち寄りましたら70代後半のこの女性オーナーであるところのオバサン、困惑しきっておりました

「若いころならともかく、この年になって殺生なはなしや、替地を用意して家も建ててくれると市のヒトはいうてはるけど、この家、引っ越すだけでもたいへん、戦前の建物やから、いっぱいろんなものがあるし、中庭には古い石灯籠や井戸なんかもあるけど持っていくわけにいかん・・・新しく家建ててくれはっても、そこでこれまでどおり本屋さん、続けられるかどうかもわからんし・・・・年内には立ち退いてくれと言わはるけど、まだな~んにも用意なんかしてない・・・」

などと困惑してはおりますが、「まあなんとかなるやろ、あまり考えてもしょうがない]と明るい調子で話してくれました

このお店の一番奥の棚にいつまでも売れない本が一冊あります、いくたびに気になります、もう十年は置いてあるでしょうか、「モネの庭」というカラーの写真集です、GGI、モネは好きですので、ときどきオバサンに言うのです

「この本、いつまでも売れへんなあ、いっそオレが買おうか」
でも、この女主人はのたまいます
「そんな無理せんでもええ、いつか売れるやろ」

立ち退きが迫っているのにまだ売れておりません、

女主人は、一度店をやめてしまうと再開できたとしても、あらたに本の問屋さんなどと契約をし直すなど手間が大変、それにお金もかかる、だからおそらく年末からは一時休業ということにするつもりだと話しておりました、

まあ、ですから、GGIとしましては、これまでお世話になったことに感謝して、年末までには「モネに庭」を買おう、それが礼儀というものであろうと思っております。

写真はモネの庭ふうの色彩を呈しているわが庵のナンキンハゼです。ナンキンハゼの葉っぱは銀杏の葉っぱを一回り小さくしたような形をしています、晩秋になるとゆっくりと表が紫がかった深い赤、裏が黄色に色づきます、もうすぐ一斉に散り始めます、そしてわが庵の庭は黄色と赤のアラベスクに覆われます、とてもすてきです、いずれ写真でお見せいたしませう

よろしければ写真をクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!
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OMP(オオサカ・メディカルプリズン)・・・刑務所で病人になるということ(その1?)

2012-11-27 01:23:19 | 日記

先日の日記で、11月はじめの某日、大阪の某刑事施設を査察に行ったと記しましたが、その刑事施設とはOMP(オオサカ・メディカルプリズン)、すなわち大阪医療刑務所です。日本で府中について二番目に大きいとされる大阪刑務所(堺市)の隣に位置しております。

残念ながら写真撮影禁止でありましたので、用意されていたパンフレットの写真を載せておきます。お手数ですが写真をクリックしてご覧くださいませ

2002年に名古屋刑務所において受刑者が刑務官らから臀部に高圧水を放水されて死亡するという事件が起きて大問題になりました、そのため受刑所の処遇を見直すための行刑改革会議が設けられ、その結果、監獄法が全面改訂され2006年に受刑者処遇法(2007年にさらに一部が改正され「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」となっている)が施行されました。監獄法制定は1908年のことであり、何と実に約100年ぶりの改正であります!つまり敗戦後も、はるか明治時代に制定された時代遅れの監獄法は何ら改正されていなったのです。新法制定後、刑務所や拘置所など刑事施設に関する情報公開が、まだまだ不十分ではありますが、若干進みつつあり、その結果、最近では様々な関係者の見学を受け入れるようになっています。このため必ず、施設の概要を示すパンフレットが用意されているのです 

医療刑務所は八王子医療刑務所(東日本)と大阪医療刑務所(西日本)の二つがあるだけ(他に北九州に精神科だけの小さな病院がある)だそうです。

まず会議室で総務部長さんら、管理部門のお役人さんたちから施設の概要について説明を受けます。その後、デジカメ、携帯、レコーダー、タバコ、ライターなどを会議室に置いてから、管理棟から収容区画との間に設けられている小部屋に入り人数を確認、部屋の別のドアから収容区画へと移り、二列に整列して内部を見学、そのあと会議室に戻り質疑応答という次第でありました。

大阪医療刑務所は1970年代に建てられた古びたコンクリートの2階建て、廊下も狭く天井も低く、各科ごとの診察室なども全体に古びた感じで、何やら薄暗いとまではいかなくても、あまり明るい感じはいたしません。素人目にも建物だけでなく医療機器なども全体に古くて種類も数も不十分な感じ、そのうえ、休日の土曜日であったせいか、お医者さんや看護師などの医療関係者に出会うこともなく、診察室にも人影が見えませんでしたので、閑散としているというか、正直言って寒々とした感じであったと申しては言い過ぎでしょうか。

これが民間の病院であったら誰も患者は来ないのではないかと思われるほどに病院としては、医療施設としては何かも貧弱なように思われましたので、見学後の質疑応答のときに、GGI、「建物だけではなく、医療機器などもそうとう古びているように思われ、病院としては古すぎるのではありませか」と質問したら、総務部長氏、あっさり認めて、CTはあるが、まだMRは導入できていない、なにしろ予算が付かないものだからなどと弁明に努めておりました。

また病室といいましても、ここはれっきとした刑務所でありますので、普通の刑務所の独房や雑居房と何ら変わりはありません、違いはベッドが入れられていることだけ(普通の刑務所では畳に布団です)、ですからおよそ病室という感じではなく、病院というよりもやはり受刑者を閉じ込るための空間でありました。ここでは病人としての扱いよりも受刑者としての扱いが徹底して優先されているのでありませう。

GGIはこれまで普通の刑務所を数カ所見学したことがあるのですが、医療刑務所は初めてでした。普通の刑務所の見学と一番異なっていたのは、房にいる受刑者の姿を目にすることがあったという点です、普通の刑務所ですと、受刑者の大半は日中は刑務所内の工場などに働きに出ていますので、工場内で集団でいる姿を目にすることはあっても房にいる姿はほとんど目にすることはありません。でも、医療刑務所では受刑者はすべて病人ですので、基本的にはみなさん房であるところの病室で安静にしています、すなわちベッドで横になっています、ですから全部ではありませんが目にすることができました。

房のドアの一部は鉄格子になっており、中にいる受刑者の姿を目にすることができました。私たちが見学していたときは、お医者さんや看護師さんが病室であるところの房に出入りする姿などもなく、ましてや普通の病院ではあたりまえの家族などの見舞客の姿もありません。各房では病人である受刑者たちはただ一人でひっそりと布団をかぶって寝ていました。病人でありながら終日、寒々とした部屋で毎日、こうしてひとりぼっちで横になっているのです。なんだか世界一寂しい病院だなあ、とGGI、気が滅入ってしまいました。

(この日記、続くかもしれません)

グッドナイト・グッドラック
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今夜は告白タイム:GGIがほんとうに愛しているのは・・・

2012-11-24 01:06:52 | 日記

昨夜はどうでもいい、しょもない政治話で失礼いたしました
今夜はそのお口直しに哀しくも麗しきお話でございます
すなわち、今夜はGGIの若干真実告白タイムであります

正直に申しますと、このところ錦秋がどうのこうのと日記に記してきましたが、GGIがほうとうに愛しているものは錦秋なんかではありませぬ・・・

ほんとうに愛しているのは錦秋ではなく、
錦秋の背景に広がるあの真澄の空であります
I don’t love the autumn leaves but the blue sky in autumn
であります

背景に真澄の空が存在しているからこそ、錦秋は映えるのです
錦秋が美しく見えるのはこの真澄の空のおかげなのです

そしてこの真澄の空の正しい名称はあのドラゴンズ・ブルーに他なりません
純正のブルー、けがれを知らぬ、
どこまでも青く、限りなく青い青、真正かつ神聖なる青のなかの青、
それがドラゴンズ・ブルーなのです

GGIがほんとうに愛するのは錦秋ではありませぬ、
おセンチの秋でもありませぬ、
おセンチな枯葉でもありませぬ、
おセンチ、甘味料テンコ盛りのラブソングでもありませぬ
GGIが愛するのは
こうしたおセンチなるものすべての背景に存在する真澄の空、
ドラゴンズ・ブルーであります!
ですから、来シーズンも思いっきり愛する所存であります
地獄の底まで愛します!

以上、真実の告白、終わり

写真はわが庵、別名「八重葎庵」の庭に屹立しております南京ハゼの背景に広がるドラゴンズ・ブルーです、よろしくても、よろしくなくても、写真をクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!



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麗しき錦秋から無粋なドブネズミ・ルックの季節へ・・・

2012-11-23 14:08:05 | 日記

錦秋の候まっただ中でありますが、今夜は若干無粋な政治がらみの話しであります

最近、御一新だ、維新だ、第三極がどうのこうのと世の中が(というよりはメディアがというべきでしょうか)浮かれていると言っては不適切発言でしょうか、とにかく何やら騒がしい気配・・・・と思っておりましたら、先日の新聞にこの騒ぎの震源地の写真が掲載されておりました

「日本維新の会」の決起集会、この会のエライさんや選挙に立候補を予定している面々が一堂に会した集まりです

(ここでいつものようにお手数ですが写真をクリックしてご覧くださいませ)

「維新」という言葉は、もともとは詩経にある言葉であり、「維(これ)新たなり」の意、すべてのことが改められ、すっかり新しくなる、という意味あるいは「明治維新」のことだそうであります(三省堂、大辞林)。しかしながら、この写真を見ていますと、GGI、何やあんまり変わらんなあ、古色蒼然といっては言い過ぎでしょうけれど、相変わらずだなあと、「一新」という感じは極めて希薄だなあと感じてしまいました

どうしてかと申しますと、参加者のほとんどが男性、女性はいるのかいないのか分からないほどわずか、しかもそろいもそろって、きちんとダークスーツにネクタイ姿、まあ、こう申しましては失礼かもしれません、相変わらずのドブネズミ・ルックであります

この写真を眺めていて、いつだったか、民主党が政権を取ったころでしょうか、あるいはその少し前でしょうか、民主党の集まりに招待された某ゲンキかつ辛辣を絵にかいたような女性が挨拶で述べていたことを思いだしました

「みなさん、まだダメね、まだまだダメです、背広姿、ダークスーツばっかりじゃないですか、それに女性もたいしていませんよね、まだまだ不足、そんなことでは世の中、変わりっこありませんよ!」と辛辣なことを述べていたのです。

この女性の言葉、この写真にもあてはまるなあとGGI思ったのであります

ところで、いまから40年ほどまえ、1970年代のはじめごろ、すなわちGGIがまだ若きシティボーイであったころ

「モーレツからビューティフルへ」

というTVコマーシャルのキャッチコピーがはやっておりました、もう背広姿で、ダークスーツに身を固めてひたすらガムシャラに働くのはこれくらいにして、もう少し楽しくゆったり生きようよ」といったような意味でありませう

でも、この「一新」するとおしゃっている方々のダークスーツ姿一色の写真を眺めていますと、いっとき金曜日にはもっと気楽な服装で働きましょうという、カジュアル・フライデーとか言ったと思うのですが、そうした風潮もあったのですが、結局のところ、大きく変わることはなかったのか、という気がいたします

まあ、しかし、「維新」の諸氏(志士と書くべきなのでしょうか?)のことをとやかく申しましたが、普段は自由な服装を楽しんでいる若者君たちも、いざ「就活」とやらに突入しますと、みなさん男子も女子もダークスーツ姿に変身することをいといませんので、政治家志望諸氏のことをあげつらうのは公平でないかもしれませんね

ここで言葉のお勉強をもう少し続けますと、「維新」は、日本語では「すべてを改める、一新する」といった意味であると申しましたが、一方、「維新」の英語訳はrestorationということで定着しているようです、ですから「明治維新」は英語では the Meiji Restoration

しかしながら英和辞典で restorationを見ますと、主な意味は(秩序などの)回復、復旧、復活、再興などの意味とされています(ランダムハウス大英和辞典)。ですから、たとえば the Restorationは英国史における「王政復古」を意味するとされています。GGIは学に欠けておりますのでわからないのでありますが、明治維新は王政復古(大政奉還)でもありましたので、すなわち復古的な側面と表裏一体でありましたので、換言すれば決して革命や大変革であるとは言えないので、 「明治維新」の定訳はthe Meiji Revolution(明治革命)ではなくthe Meiji Restorationとされているのでしょうか?

もしそうであるとすると、今夜の写真が少々古色蒼然と見えたりするのも無理からぬことであるのかもしれませんね

ちなみに「明治維新」、「日本維新の会」以外の、「維新」という言葉の使用例をインターネットでカンニングしていくつか挙げておきますと、以下のようなものであります

「維新体制」:韓国の軍事政権時代、朴大統領朴が掲げていた政治スローガン
「大正維新」:大本教の出口王仁三郎が唱えた政治宗教的思想
「昭和維新」:クーデターを意図した五・一五事件、二・二六事件などのスローガン
「世界維新戦争」:太平洋戦争当時、日本人の中で言われていた言葉
「平成維新」:ほんとは大政治家になりたいらしい大前研一が用いた言葉
「新世紀維新」:小泉首相が、自らが行う構造改革を称した言葉
「プロレス維新(または維新革命):かつてプロレスラー長州力が唱えた、プロレス界の世代闘争を示す言葉、彼の派閥は「維新軍団」と呼ばれたとのこと
「維新力」:元大相撲力士の四股名、プロレスに転向してのリングネーム

こんやもまことに取り留めの金具をすっかり外してしまった日記となってしまいました

グッドナイト・グッドラック!
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