UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

みなさん、わたくし、小さい秋子でございます、よろしくお願いいたします

2021-08-30 00:38:58 | 日記
厳し過ぎる残暑が続きますね、当地は昨日も三十数度、真夏並みの暑さです

でも季節は確実に進んでいます、わがガーデンには早くも小さな秋が出現しております

今日の写真はわがガーデンに早くも現れた小さい秋を撮ったものです。ナンキンハゼの葉っぱさんたち、まだまだ青々としているのですが、中には気の早い葉っぱさんたちがいて、もうすっかり秋の気分になって色づいております。

「ちょっと、ちょっと、君たち、すこし早すぎるんじゃない?まだ夏だよ」
「あら、そうなの?だってもう夏は終わりでしょ、夏の次は秋でしょ、それに善は急げというでしょ」
「善は急げ?・・・そうかあ、君たちは善のつもりなのか、リッパやなあ・・・でもなあ、急がば回れっていうじゃない」
「つまらないヘリクツは言わないでください、とにかく私たちは小さな秋子ですから、しばらくお邪魔いたしますから、よろしく!」

よろしければ写真をクリックして気の早い葉っぱさんをご覧になり、小さい秋を楽しんで暑気払いなさってくださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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ああ、永年のカンチガイ・・・ウィルキンソン・タンサンさん

2021-08-27 00:52:25 | 日記
先日、ウィスキーをハイボールにして飲むために、ウィルキンソン・タンサンのペットボトルを近くのスーパーで買いました

ペットボトルを手にして、ちかごろはウィルキンソン・タンサン、どこでも安い値段で手に入れることができるけど、終戦後しばらくは高級品だったよなあ、自衛のためだと称して世界一アホで無謀、後方支援なしまともな戦略・戦術皆無、未だに100万人以上の兵士の遺骨が放置されたままであるという無責任そのものの愚かそのものの戦争をしてコテンパンにやられて、そのあと世界の王者・米国の豊かさを象徴するような品々がどっと日本に入り込んできたよなあ・・・

米国産日の丸を掲げたラッキー・ストライク、バヤリースのオレンジジュース、コカコーラ、それにウィルキンソン・タンサン・・・

これらの品々すべてが当時の日本人には豊かさの象徴、あこがれの的であったよなあ・・・

などとしばし来し方を回顧したのでありますが、去る某日、朝日新聞夕刊の連載特集記事「まだまだ勝手に関西遺産」を何となく眺めておりましたら、ウィルキンソン・タンサンは戦勝国・米国産なんかではなくリッパな国産品であると書いてあり、えっ?ほんまかいな!とGGIは目を丸くしてしまいました。

記事によりますと、明治のころ、神戸で暮らしていたウィルキンソンさんという人物が有馬の山奥あたりで炭酸鉱泉を発見、これはおいしい、いける!ということで瓶詰めにして売りはじめたのが始まりだそうであります

ウィルキンソン・タンサンというシャレた名称から、GGIは優に七十年以上にわたり、このタンサンさんは豊かな米国からの輸入品であると思い込んでいたのでありました、おおいなる永すぎるカンチガイでありました・・・

ついでながら申し上げますと、バヤリース・オレンジ、現在の発売元、朝日ビールの子会社である朝日飲料のサイトを見ますと、同社が1951年に発売を開始したとしか書いてありませぬ。しかしながら、バヤリース・オレンジは、元々は正真正銘の米国発であります。戦前、米国の科学者、フランク・バヤリーさんという人物が発明した飲料であり、戦争にまけたあと、占領軍ならぬ「進駐軍」という名の米軍とともに日本にやってきたのです。GGIが大カンチガイしていたウィルキンソン・タンサンさんが進駐軍向けに日本に輸入したのが始まりだそうです。バヤリースさんはウィキペディアさんによりますと200ミリリットル入りのボトル(ガラス瓶)で当時何と50円もしていたとのこと、今の価格に直すと数百円、いや千円以上?に相当するのではないかと思われる超高級品だったのです

ラッキーストライクの想ひ出については2021年6月13日の日記に書いておりますので、おひまな方はご覧になってくださいませ

コカコーラについて申し上げれば、コカコーラはあの部厚いどっしりとしたガラス瓶に容れられていてこそコカコーラでありました。あの瓶の重さが魅力の源泉であったのです。したがいまして、今どきの薄っぺらなペットボトルに容れられたコカコーラ、これはかつてのコカコーラではありません。かつてのコカコーラのソックリさんに過ぎません。したがってGGIは口にする気になれませぬ・・・

ああ、それにもうひとつ、米国発のステキなものがありました。今では珍しく何ともないのですが、コンデンスミルクなる食品です。GGI、初めて口にしましたとき、世の中にこんな甘くておいしいモノがあるのか、このようなものを作りだしたひとはノーベル賞ものだと大感激いたしました・・・

などなど、今夜は年寄りのどこまでも限りなく無意味な無駄話でありました・・・

今日の写真はただウィルキンソン・タンサンのペットボトルを撮ったものです。いまでは珍しくも何ともありませんので、クリックしてご覧になるにはおよびません

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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わが家宝?:しばらく休ませると機嫌よく映ってくれるテレビ!

2021-08-25 00:16:34 | 日記
わが庵にはテレビが一台ございます。十数インチの小さなテレビです。ブラウン管式の古いテレビでございます。21世紀に入ったときにはすでにこのテレビは旧八重庵に鎮座あそばされておりましたので、最低で二十年は使っております、いやおそらくは三十年以上、いやひょっとしたら・・・

とにかく古いのです。カラーテレビ時代になってから二代目のテレビだと思います。ですからテレビとしては相当な高齢者であります。そのせいか、最近になって、スイッチを入れて半時間ほど経ちますと、スイッチは入っているのに画面がいつのまにか黒くなってなにも映っていないという現象がときおり生じるようになりました

ところが、やれやれ、そろそろご寿命かなあと思いながら一度スイッチを切ってからあらためてスイッチをいれ直しますとちゃんと映るのです・・・

よしよし、良い子だ、これならまだまだ持ちそうだと思っていましたら、昨日も、高校野球の中継中になんとなく映らなくなってしまっておりました。でもGGIはあわてず騒がず、もう一度スイッチを入れ直しました。ところが、今度はこれまでと異なり、いつまでたっても何も映りませぬ。アッチャー・・・

わがテレビはケーブルテレビを利用しております。テレビの配線だけではなく、それにパソコンや電話やファックスなどの配線もいっしょくたになっております。そのせいかどうかはわかりかねますが、テレビの背面はコードだらけ、何が何やらわかりませぬ。それでもあっちこっちのコンセントをいじくりまわして、あらためてスイッチをいれたりしたのですが、依然としてなにも映りませぬ・・・これは弱ったなあ・・・困ったなあ・・・GGIはノッペリした無表情な液晶テレビの画面よりも若干の奥行きを感じさせるブラウン管のテレビの方が好きなのです・・・

かようなしだいで、いよいよお陀仏かあ、液晶テレビに買い替えるかあ、などと思ってヤマダ電機さんのポイントカードがどこかにあったよなあなどとウロウロしておりますうちに、久方ぶりにGGIの鋭い直感が働きました、まるで神のお告げのようでありました

まてよ、このテレビ、年とってくたびれているんや、だからしばらく休ませてあげれば、また機嫌よく働きだすのとちゃうか、きっとそうや!

直感はまさに正解でありました、二十分ほど休ませてから、あらためてスイッチを入れてみましたら、ジャ~ン、何と正常に映るではありませんか!!!

このテレビ、地上波がまだデジタル化される以前に作られたものです。ですからデジタル化されるときに、ケーブルテレビ屋さんにデジタル化されてもこのテレビ、ちゃんと映るかあ?と尋ねましたら、大丈夫、ビデオの機械の中を通してチョコチョコと配線を細工すれば見られるようになります、デジタルは横長の画面ですから、このテレビの画面、上と下がカットされたいままでよりも小さくなりますけど、見えることは見えます

確かにその通りでありました。今日の写真は年を取って疲れがでるようになった我が家の家宝テレビを撮ったものです。クリックしてご覧いただくほどのモノではございませんが、よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

よくご覧になれば画面の上部と下部には何も映っていなくて横長の画面になっていることがお分かりいただけるかと思います

ところが、再び映るようになったのはまことに結構なのでありますが、このわがテレビの老化を目にしまして、我が人生の行く先を目にするような気がいたしまして・・・・

ところで、今をさることウン年前、長寿番組を作っていたこともある、かつてテレビ関係者であった人物に

「このごろのテレビ番組、今に始まったことではありませぬが、タレントや有名人その他が登場してきてワーワーキャアキャア騒ぐだけ、ニュースキャスターと称する人物なども含めて、ムダな意味・内容のほとんどないオシャベリだけの番組がやけにはびこっており、ますますこの傾向は国営放送NHKも含めて強まるばかり、まさに亡国のテレビや」と申しましたら、以下のような答が返ってまいりました

「おっしゃる通り、亡国のテレビは今に始まってことではありません。今を去ること優に半世紀以上前のはなしです。戦後、米国務省は冷戦に備えて日本を反共国家に仕立て上げる方針を立て、その手っ取り早い方法として、日本にテレビ放送網を作り上げ、テレビで米国産の映画やドラマやポピュラーソングやジャズや漫画などをてんこ盛りで放映し、日本の国民が米国に親しみを感じるように仕向けることにしたのです。
 ところが、今から優に半世紀以上前、戦後日本に米国務省の思惑どおりテレビの放送網ができあがりつつあったころ、米国の議会でテレビ番組のあまりのくだらさが、すなわち米国における亡国のテレビぶりが問題になり、関係者の証言を求めたところ、証人は《米国のテレビ界は今や一望の荒れ野であります》と明言していたのです・・・でもですねえ、GGIさん、日本のテレビも確かに、米国に輪をかけて亡国のテレビであることは否定しようがない事実なのですが、こういう話もあるのですよ、日本での話です、ある老人が孤独死しているのが発見されたのですが、この老人、《テレビさん、ありがとう》という書き置きを残していたそうです・・・・」

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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国語のお勉強:「まんまんと水をたたえています」ってどんな状態?

2021-08-22 01:16:25 | 日記
今日は国語についてチョッピリお勉強です

「まんまんと水をたたえる」という表現がありますね。水があふれんばかりに存在している状態を指す表現でありますが、みなさんは「まんまんと水をたたえている」状態を目にしたことがおありでしょうか・・・いったい、実際にはどんな状態を指すのでせうか

それに「水をたたえる」ってヘンな表現じゃない?などと感じたりもいたnします。モノを知らないGGI、「たたえる」の意味をネットさんで調べてもらいましたら、「ほめたたえる」ことではなく、これは漢字で「湛える」と書くことがわかりました。「湛える」は液などがあふれんばかりがいっぱいある状態を指す言葉だそうであります

そういえば「満面に笑みをたたえる」という表現もありますね、何か良きこと嬉しきことがあてついつい笑みがこぼれてしまうよな状態を指すのでありませう

ところで、水害にあって苦労されている方からすれば何をノンキなこと言っているのだ叱られそうでありますが、洪水の様子はテレビの画面などで知っていても、じつはGGIは、「まんまんと水をたたえている」状態というのは具体的にはどのような状態なのか、あまり目にしたことがないので具体的にあまり想像がつかなかったのですが、一昨日、幸運なことに、まんまんと水を湛えている状態を目撃することができました

今日の写真は「まんまんと水をたたえている」状態を撮ったものです。庵の近くを流れている、幅数メートルの、小川に毛がはえた程度の小さな川の河口を撮ったものです。小さな川ですが河口は広々しています。河口はご覧のとおり泥水が満杯状態です、あさにあふれんばかりです

この川、普段は大した量の水が流れているわけではありません。深さ十数センチ程度の水量でチョロチョロ流れているに過ぎません。

ところが、ここしばらく雨が降ったりやんだり、やんだり降ったりの日が続いたため、水量が激増、そのため河口はご覧のとおり「泥水をまんまんとたたえている」状態に激変しておりました。河口では、もう水はの流れはほとんど停まっている状態です

写真の画面の奥、つまり河口の先はわが「淡海」、またの名は「鳰の海」すなわち琵琶湖でございます。この河口、普段は河原の中央部分をチョロチョロと流れている程度であり、ときには子供たちが河原に降りて魚を追っかけたりしているのですすが、連日の雨でこのありさま、泥水満杯です

わが母なる湖である琵琶湖には百以上、いや二百以上?の河川が流れ込んでおりますので、今にびわ湖があふれてしまうのではないかと思ったりいたします

あふれそうになったらどうするか、さっさと下流の京都や大阪へ流せばいいのです、ついでに湖国に蔓延中のコロナさんも下流へと水に流せばいいのです、

などと申しましたら京都・大阪のみなさんのお叱りを受けるでありませうか・・・

びわ湖の水量についての解説

びわ湖の水量は琵琶湖の唯一の出口である瀬田川に設けられている巨大な水門で調節されています。ひとむかし前は、あるいはふた昔前は、大型の台風がくるたびに、どれだけ下流の京都・大阪のほうへ流すのかでもめたものでありました、

たくさん流し過ぎると京都や大阪が水浸しになる、しっかり下流に流さないと湖国の田んぼなどが水に浸かって被害甚大・・・・でも最近は、環境的にグッドなのか否かは別として湖畔の多くに護岸工事が施されていることもあって、もめごとはあまりないようです。ただ、大雨などにより下流に迷惑をかけないよう、湖国内の大戸川に大きなダムを造る造らないという話が以前から湖国では以前から政争の具になっており、最近は国交省が動き回る気配でありますが、これは土建国家につきものの多分に利権がらみと思われる生臭い話であります・・・

みなさん、雨はまだ降りそうでございます、コロナさんも未だおさまる気配はありませぬ、どうか無事にお過ごしになるよう、お祈りさせていただきます

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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終戦の詔書:他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず・・・

2021-08-16 00:58:18 | 日記
昨日は8月15日、76回目の終戦記念でした。近くのお寺が正午に鐘を鳴らしているのを耳にして気づきました。

そこで、終戦時に御年4歳であったGGI、もう老い先長くはありませんので、殊勝なことに、天皇による敗北宣言、いわゆる玉音放送で知られる終戦の詔書をもう一度読んでみることにしました。「飛ばし読み」なんかせずに、全文に目を通すことを決意しました・・・

かようなしだいで以下に昭和天皇による終戦の詔書の内容を紹介いたします。終戦の詔書については以前に一度この日記で紹介したと思うのですが、今日は現代語訳が付された、西日本新聞の2014年8月15日の記事からの引用です。

原文は修辞に修辞の限りを尽くした空疎な言葉を積み重ねた悪文ともいえる一文でありますので、内容がよく理解できず、玉音放送を聞いても勝ったのか敗けたのか分からなかった人も少なくなく、逆に国民のさらなる戦意を鼓舞する演説だと勘違いした人もいたとのことです。玉音放送を聞いて泣いている大人がいるのを目にして日本は敗けたのだと分って愕然とした軍国少年もいました。GGIは終戦時、岐阜県の大垣あたりにいて米軍の空爆下で逃げ惑っていたことになっているのですが、まったく記憶なし・・・

西日本新聞の記事では現代語訳が付されています。現代語訳は郷学研修所・安岡正篤記念館(埼玉県)の助言を受けて作成したとされています。

<玉音放送の全文>(終戦の詔書)

 朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)に対し、その共同宣言を受諾する旨(むね)通告せしめたり。
 そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽(たのしみ)をともにするは、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺範(いはん)にして朕の拳々(けんけん)おかざるところ。さきに米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。
 しかるに交戦すでに四歳(しさい)を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。しかのみならず敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ真(しん)にはかるべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか、ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
 かくのごとくは朕、何をもってか億兆の赤子を保(ほ)し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応じせしむるに至れるゆえんなり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず。
 帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者および、その遺族に思いを致せば、五内(ごだい)ために裂く。かつ戦傷を負ひ、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)するところなり。
 おもうに今後、帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず。なんじ臣民の衷情(ちゅうじょう)も朕よくこれを知る。しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
 朕はここに国体を護持し得て、忠良なるなんじ臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常になんじ臣民と共にあり。
 もしそれ、情の激するところみだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局をみだり、ために大道を誤り、信義を世界に失ふがごときは朕最もこれを戒む。
 よろしく挙国一家、子孫相(あい)伝え、かたく神州(しんしゅう)の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)をかたくし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。
 なんじ臣民それよく朕が意を体(たい)せよ。

 いかがでしたか。どこまでお分かりになりましたか?ふりがなが付されてなかったら、もうチンプンカンプン・・・でもですね。意味は分らなくても、この詔書を声に出して重々しくゆっくと読み上げているうちに、不思議なことに、だんだん自分はとっても偉いんだと、気分が高揚してきますよ!ほんとうです、どうか一度試してみてください!

では次に西日本新聞による現代語訳を紹介いたします

<現代語訳>
 私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。
 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させた。
 そもそも帝国臣民の安全を確保し世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。
 先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない。
 しかしながら、戦闘状態はすでに4年を経て、わが陸海将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員たちの励精、一億民衆の奉公は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もわれわれにとって不利に働いている。
 それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。
 そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、皇祖皇宗の神霊に謝罪することができようか。これが私が政府に宣言に応じるようにさせた理由である。
 私は帝国とともに終始、東亜の解放に協力してきた友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
 帝国臣民であり、戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると内臓が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍に遭い、家や仕事を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。
 思うに、今後、帝国の受けるであろう苦難は尋常ではない。あなたたち臣民の本心も私はよく知っている。しかし、私はこれからの運命について堪え難いことを堪え、忍び難いことを忍んで将来の万世のために太平の世を切り開こうと願っている。
 私は、ここにこうして国体(天皇を中心とする秩序)を護持して、忠良なあなた方臣民の偽りのない心を信じ、常にあなた方臣民と共にある。もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせて国家の方針を誤って世界から信用を失うようなことを私はもっとも戒めたい。
 国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操(守って変えない志)をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように期すべきだ。あなた方臣民は私のそのような意を体してほしい。
=2014/08/15付 西日本新聞朝刊=

 この現代語訳、正確であり分りやすいのはグッドです。しかしながら、原文にある天皇の尊大な口ぶりがあまり再現されてないように感じられ、GGIとしましては少々もの足りませぬ。また、「臣民」と言う言葉が現代語に訳されていないのはいかがなものであろうか、と愚考いたします。これは「天皇の家来であるところの民」といった意味ですが、おそらく明治維新のころの「造語」です。ですから、正確には「わが家来であるところの民よ」とでも訳すべきでありませう・・・・

 終戦の詔書の文面において一番問題があるのではないかとGGIが思うのは、「先に米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず」(先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない)という部分です。

これはイケマセンね。大変イケマセン、これではまったくの責任逃れではないか・・・これでは戦争を仕掛けたことに対する国家の最高責任者としての反省の念は皆無ではないか・・・「もとより朕が志にあらず」と言い訳するとは、まことに往生際がよろしくありませぬ。この期に及んでも、よくぞこのようなことを言ったものだ、君主としてまことにみっともないではないかと慨嘆せざるを得ません。

 しかしながら、「朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」という、この一つのフレーズにより、昭和天皇は戦後に備えて、平和を志向する天皇へと一挙にイメージチェンジすることに見事に成功した、ともされております

みなさんの感想はいかがでしょうか。この終戦の詔書と2014年12月9日の日記に掲載しました「開戦の詔書」とあわせてお読みなると、勉強になり過ぎるぐらい勉強になりますよ・・・

まったくの余談になりますが、終戦後、悪ガキたちは天皇の口真似をして、「朕思わず屁をこいた、汝臣民臭かろう、国家のためじゃ我慢せえ」などとふざけて言ったものでありました。今は昔の話でございます。戦前であれば不敬罪ものでありませう・・・・

今日の写真は76年目の終戦記念日の、まことに平和なる湖岸の風景を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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