UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

ちょっとした春の異変、あるいはどうでもいい?ニュース・・・

2022-03-28 23:19:29 | 日記
コロナさんのせいでせうか、今年の春はわが身辺でちょっとした異変がつづいております

一つめ異変は、わがガーデン、早くも桜が満開!というニュースです。今日の写真はその証拠を撮ったものでございます。よろしければクリックして、ウソでないことをしかとご確認くださいませ

二つめの異変は、春のセンバツ高校野球、わが湖国の代表、近江高校がベスト4入りというニュースでございます・・・わが湖国の代表がベスト4入りするのは有史以来初めて!苦節優に半世紀以上、これまでわが湖国代表が優勝したことは一度もありませぬ。優勝旗は、隣の京都まで来ることはあっても逢坂の関を超えたことがないのです、いや逢坂の関をはるかに超えて、でなければ逢坂の関とは反対方向に、はるか遠くにまで行ってしまうのです。

最近はともかく少し以前までは湖国代表のチームは弱いことで有名、そのため一回戦の対戦チームが湖国代表と決まったチームの監督さんは、これは楽勝、ラッキーと思わずにっこりほくそ笑んだものでありました。ですから、ここまで来たらついでに優勝してほしい・・・優勝したら、誰もまったく予想していなかたったので、湖国勢が初の全国制覇!湖国ではウクライナってどこの?プーチンさんなんてどうでもいいや、と大騒ぎになるでありませう、でも、まあ、ムリでしょうね、この際は準優勝でもいいのです・・・それに別に応援しているわけではないのですが、プーチンさんが勝利をおさめるのもムリやろうなあ、なにしろ選手たちの士気は最低、エラーだらけやからなあ・・・

三つ目の異変は、わが「田舎町」にも近ごろ流行の「おしゃれなパン屋さん」なるものが開店・・・というほんとうにどうでもいいニュースでございます。以前の日記にわが街では古い和菓子屋さんや洋菓子屋さんが閉店して、それに西武さんもパルコさんも撤退してしまって、さびしいなあ、さびしいなあと書きましたが、入れ替わるように、最寄りのJRの駅前(+京阪さんの駅前)に「KAMOGAWA BAKERY」という京都のパン屋さんンのお店が開店というニュース、なんだか横文字の名前からして「おしゃれ」な雰囲気でございますが・・・

・・・ったく、どうでもいいニュースなのでございますが、東京駅で配っていたチラシに、この新規「おしゃれなパン屋さん」開店のことが書いてあったそうです。このチラシを目にした人物が自分の故郷であるあんなド田舎の駅前におしゃれなパン屋だなんて・・・と、冷やかし気味に某ブログに書いており、おまけにGGIのような田舎オッサンには関係ない話やろうなあなどと礼を失したことまでも書いておりました。このため礼を失していることを確認しようと、昨日JRに乗らなければならない用事がありましたので、ついでに「このオシャレなパン屋」の外観を目撃しておきました。たしかにGGIには関係ない話でありました・・・けれども、「京の都の鴨川なんていうちっぽけな川がなんで湖国にまで出っ張ってくるんや、京都でお澄まししてたらええやないか、でしゃばりやなあ・・・」とひとりつぶやいたのでありました・・・

つぶやくGGIのかたわらを春風が通り過ぎていきました・・・

どうでもいいニュースのお詫びと訂正:わがガーデンでいま満開なのは桜ではなく麗しき杏(あんず)の花でございました、真っ赤なウソでした・・・謹んでおわび申し上げ、訂正させていただきます、が、わがガーデン、杏だけではなく白梅も満開、水仙もまだ咲いています、椿もユキヤナギも満開、ハクモクレンもつぼみを膨らましており間もなく開花、すなわち春爛漫でございます、かようなわけで、近い将来、GGIのオツムに春霞が充満して「ここはどこ?ボクは誰?」などということになるかもしれませぬ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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とつぜんですが、関西弁の詩、よろしおすなあ・・・

2022-03-24 01:35:59 | 日記
先日、居間の床に思い思いに散乱しております本の群れのあいだから、小さな本が首を出しているのに気づきました。何の本だろうと思って手に取ってみましたら「ポケット詩集Ⅱ」(童話屋2011)と題された詩集、雑駁なだけの日々、詩集を目にするのは久しぶりであることよなあ・・・と思いながらパラパラとページをめくっておりましたら、「葉月」という題の坂田寛夫という詩人(1925~2005)の作品に遭遇しました。一行か二行読んだところで、ああこの詩、むかしむかし、ウン十年前に読んだことがあったなあと思い出しました

詩のほとんどは標準語で書かれていると思うのですが、この坂田氏の作品は関西弁(大阪弁)で書かれていたという記憶がありましたので、すぐに読んだことがあることを思い出したのです。とてもいい詩です。以下に紹介させていただきます

「葉月」 坂田寛夫

こんやは二時間も待ったに
なんで来てくれなんだのか
おれはほんまにつらい
あんまりつらいから
関西線にとびこんで死にたいわ
そやけどあんたをうらみはせんで
あんたはやさしいて
ええひとやから
ころしたりせえへん
死ぬのんはわしの方や
あんたは心がまっすぐして
おれは大まがり
さりながら
わいのむねに穴あいて
風がすかすか抜けよんねん
つべとうて
くるしいて
まるでろうやにほうりこまれて
電気ぱちんと消されたみたいや
ほんまに切ない お月さん
-- お月さん やて
あほうなこと云いました
さいなら わしゃもうあかん
死なんでおれへん
電車がええのや
ガーッときたら
ギョキッっと首がこんころぶわ
そやけど
むかしから
女に二時間待たされたからて死んだ男がおるやろか
それを思うとはずかしい

おもわずぶつぶつと声に出して読みとうなるような、ええ詩やなあ、まあ、このようなウジウジおっさんの詩に、わざわざヘタクソな感想、書く必要なんかないわなあ、そやけど、ただ一つ書いといてもええなあと思うのは、このオッサン、はずかしいと言うてるけど、これからもふらふら生き続けるのとちゃうか、はずかしいことだらけなのが人生の常やから・・・・おまけにもう一つ書いておく、あのなあ、東海道線なんかやのうて、関西線ちゅうさびれたローカル線を選んだところがナカナカのセンスや、このなさけない、さえないおっさんが飛び込むのにばっちりの選び方やなあと感心してしてもうたぁ・・・

それにしましても、漫才の大阪弁、ただ騒がしくてババちいだけですけれども、このようなユーモラスな大阪ことばってほんまによろしおすなあ・・・

ここでアホなエピソードをひとつ・・・・ずっとずっと昔、GGIと親しいテレビ関係者が言っておりました。

「あんなあ、ある番組で使う詩を作ってくれるように坂田寛夫に頼んだことがあるけど、できあがった詩がヘタクソやったので没にしてしもうた・・・でもなあ、後になって彼は優秀なる詩人になったんや・・・」
「あんたはいつも見る目がないんや、そやろ、某優秀作家の作品評を没にしたり、可愛らしい天地なんとかいう童謡歌手にむかって『あんなあ、君なあ、この主題歌、童謡やないのや、オトナ向けの番組やからそんなベタベタした歌い方するな』と説教したことがあるやろ」
「そやったなあ、でも、あのあと甘ったるいベタベタした歌で人気がで出よったなあ・・・オレ、どういうわけか見る目ないのが特技なんや・・・なんでやろ・・・」

今日の写真は本文となんの関係もありませぬ。ただ「ポイ捨ては果たして犯罪なのであろうか」と思ったので撮ったのです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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福島原発事故から12年:2年後には原発賛成が反対を上回るという現実・・・

2022-03-18 01:11:56 | 日記
ロシアによるウクライナ侵攻、犠牲者が日に日に増えていくという悲惨な事態が続いていますが、この侵攻で福島第一原発の大事故を経験した日本の市民の一人としてGGIが一瞬ヒヤリとさせられたのは、原発や原発関連施設にロシア軍が攻撃をしかけたことです。

まず、侵攻初日の2月24日、チェルブイリ原発が攻撃され占拠されました(1986年に大事故起こした4号機の他に、1~3号機が設けられていますが、これらの原子炉は国際的圧力もあって事故後閉鎖されています)。次いで3月4日、ウクライナ南東部にある欧州最大級の原発であるとされるザポロジエ原発が攻撃され、同原発の敷地外にある研修施設が炎上しました。また、核関連の研究所も攻撃を受けています。また核物理に連した研究施設も攻撃を受けています。

ロシア軍の攻撃は、おそらくは原発施設を制圧し電力供給を支配下におくことを目的としたものであり、原発を破壊することを意図したものではなかったものと推測されはするものの、誤爆や誤射が戦闘行為に付き物であることを考えるならば、まかり間違えば、ロシアも極度の放射能汚染など返り血を浴びることになる、福島第一原発事故やチェルブイリ事故を上回る破局的な事態になりかねない危険極まる行為であったことは明らかです。

原発保有国はこのたびのロシア軍による攻撃で冷や水を浴びせられる思いをしたことでありませう。というのは、戦時には原発が攻撃目標にされかねいということを、このロシア軍による攻撃が行われるまでは、日本を含めていずれの原発保有国も(9・11同時多発事テロ以降、原発のテロ対策ということは検討されてきたのですが)少しも真剣に考えていなかったのではないかと思われるからです。

いまさら言うまでもなく、原発の安全性については多々問題があり、このため安全性を高めるための様々な対策が十分ではないにしても講じられてきました。しかしそれらの対策は戦時を想定したものではありませんでした。戦時に原発の破壊を目的に効果的な攻撃が行われたならば、あるいは誤爆の結果、原子炉が破壊されたならば、未曽有の大災害、文字通り破局的事態に至ることを防ぐ手立ては事実上存在していません。もしそのようなことになれば完全にアウトです、ジ・エンドです。

完全にアウトになる事態を確実に避けるには、原発を廃止するしか他に道がないことは誰の目
にも明らかでありませう・・・・

このように原発は潜在的にきわめて大きな危険性を有しているにもかかわらず、今年3月で福島原発事故から11年を経たこの日本では、極めて近い将来、原発に賛成する人々の比率が反対する人々の比率を上回るという事態が生じるであろう・・・というのが今日の本題です

ウソなんかではありませぬ、近頃大流行のフェイク話やデタラメな「陰謀話」なんかではありませぬ。GGIの正確極まる予測です。よほどのことがなければこの予測は的中します。お約束いたします。

その証拠は今日の写真です。写真で示されているグラフです。お目々をパッチリ開けてクリックしてご覧になってくださいませ。

これは去る3月11日の朝日新聞(夕刊)の「世論調査のトリセツ:原発再稼働 賛否の差は縮小傾向」と題されたいう記事に掲載されていたグラフです。2018年~2022年の原発の賛否に関する世論調査の結果をグラフ化したものです

グラフをご覧になればお分かりになりますが、この5年間、男女を問わず原発反対の人々の比率は、多少凸凹はあるものの全体的に下がり続けており、逆に原発に賛成の人々は増え続けています。理由は明らかではありませんが、とりわけ2020年あたりから、賛成する人々の比率が急激に増えています。一方、全体的には女性における反対の比率は常に男性における賛成の比率を上回っています。

賛否の動向をもう少し具体的に説明しますと、2018年には、男女全体では、反対の人は60%を上回っており、賛成の人は30%に達していませんでしたが、2022年(2月19日の調査)には、男女全体で、反対の人は47%、賛成の人は38%となっており、その差は10%以下にまで縮まっています。また、男性の場合は、今年2022年にすでに賛否が逆転しており、原発賛成の方が多くなっています・・・

グラフに現れている傾向が今後も続くものと仮定してこのグラフのそれぞれの線をそのまま右方向に延長していきますと、今後どのような値になるかを推測することができます。すなわち、延長線を引いて推測しますと、2023年には、男女全体で、賛成と反対はほぼ同比率(43%ぐらい?)、2024年には賛否は明らかに逆転、賛成が反対を上回ることになります・・・・

このグラフを眺めていて、上記のような誰でもできる予測をしてみてみたのですが、この予測結果を前にしますと、あの福島第一原発の大事故は日本人にとっていったい何だったのであろうと考えこまざるを得ません・・・むかしから「喉元過ぎれば・・・」とは申しますが、福島第一原発の大事故は今まさに喉元を過ぎようとしているのです・・・

GGIは、たいしたことは何もしていないものの、とにかく二十年以上前から、東海村での臨界事故の以前から原発に反対してきたのではありますが、この予測結果を前にして、暗澹たる思いがすると申しますか、やっぱりと申しますか、もうお手上げと申しますか・・・適切なる言葉を何も思いつきませぬ・・・

このGGIの予測は複雑な手法によるものではありません。定規で延長線を引いてみれば小学生でもできるという簡単明瞭な誰もが納得できる方法によるものです。この方法によれば、福島原発事故から13年を経て、原発に賛成する人々のほうが多くなることはほぼ間違いないのです。

原発賛成の人が一貫して増えていることの大きな一つの理由は、原発をあくまでも国策とする政府の方針が多少の紆余曲折はあったにしろ結果的に強固に貫かれているということでありませう。このため、福島原発事故の直後にはには大半の人々が原発に反対であったのですが、時を経るにつれて人々の反対の意思はなし崩しに浸食され今に至っているのでありませう。また、地球温暖化対策、すなわち脱炭素化実現のためには自然エネルギーだけではムリムリやっぱり危険はあるにしても原発を活用するしか他に方法がないではないか、いま停まっている原発をさらに再稼動させることが必要ではないかと考える人々が増えていることも理由のひとつかもしれません。

しかしながら、冒頭に記しましたように、戦時に、国際紛争に際して、原発が攻撃目標にされたならば、あるいは9.11同時多発テロのように航空機によるテロ攻撃にさらされたならば、待っているのは破局そのものです。

戦時に原発が攻撃目標にされるという事態が現実に起きてしまったという事実を前にして、私たちはそんな危険を覚悟してまで原発を持つ必要がいったいどこにあるのかという根本的な疑問に突き当たらざるを得ません。今一度私たち日本の市民は原発の必要性について真剣に考えるべきでありませう・・・・

しかしながら、原発の賛否に関する世論調査において認められる上記のような傾向はおそらく今後も大きな変化を示すことなく続くものと思われます。はっきり申し上げて、GGIも含めて日本人の大半にとってはウクライナ侵攻はどこ吹く風、日本ではそんなこと起きっこないよ、そんなことは考え過ぎ、だから原発は今後も・・・ということになるのでありませうか・・・

かようなしだいで、結局は今日の日記は単なるボヤキということになってしまいました。ゴメンナサイ・・・

蛇足:ウクライナは意外にも日本と同じ程度の、あるいは日本以上の、原発依存国です。ウクライナの人口は日本の3分の1の約4000万人、原発15基を保有しており、発電量における原発への依存率は43~48%とされています(福島原発事故以前の日本の原発への依存率は約25%)。日本の人口に直して計算すると15基×3=45基、福島原発事故当時の日本の原発は約50基でしたから、ウクライナは人口比で日本にほぼ匹敵する規模の原発を保有していることになります。ただし原子炉の数は日本の約3分の1、国土の広さは日本の約1倍半ですから原発の密集度は日本よりずっと低い・・・さらに蛇足:ソ連時代、ウクライナには多数の核弾頭ミサイルが配備されており、ミサイルの発射基地が設けられていました。これらの核ミサイルはソ連邦の崩壊により独立した後、ロシアの同意を得て、米国の資金協力を得て解体されたのですが、もし、これらの核ミサイルが解体されずに今でもウクライナに配備されていたならば・・・などと考えますと背筋が寒くなります

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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慎んで今年度最優秀川柳!・・・

2022-03-13 01:57:19 | 日記
昨日の土曜日、朝日新聞の川柳欄をながめておりましたら、とても傑作あるいはケッサクなる川柳に遭遇してしまいました

《 入選者男が多い 暇なのね 》  

 埼玉県 岩井三彌子 

思わず笑ってしまいました。慧眼なる埼玉の岩井さま、まあ、おおむね「アタリ」でありませう。ワッハッハであります。苦笑いでありますが笑うしかありませぬ・・・説明不要、明快かつ明解な作品であります・・・

よって、「勝手に本年度最優川柳秀賞」をGGIが謹んで授与させていただきます!

しかしながら、この句を目にしまして、思わず某新聞の川柳欄に投稿してしょっちゅう入選している中学時代の同級生のことを思い出してしまいました。ときおり、自慢の入選作をメールで送ってくれるのでありますが、「おまえなあ、よお言うなあ、あんなあ、川柳はなあ、ヒマがあればできるという単純なもんやないのや!〇〇〇・コドモ(最近はジェンダーがどうのこうのなど差別用語と言われかねませんので一部伏字にしておきます)なんかの出番じゃないのや!」という彼の大きな声が響いてきそうであります

選者の山岡春朗さんは「老若男女投句歓迎」とおっしゃっておられますが・・・これは決してヒマな男性の句を好んで選んでるわけではありませんという弁解の辞でありませう

今日の写真は近くを流れている小さな川の堤防の脇に建っている古い民家の庭を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

庭といいましても、堤防の石垣と家の壁に挟まれた幅三メートルほどの細長い空き地です。でもこの狭い庭に白梅さんと水仙さんが見事に咲いています。咲いているのはこの家の裏手にあたる場所ですので、この家の住人もこんな見事に咲いていることに気が付いていないかもしれませぬ、この川に沿った道を通りかかる人たちもあまり気がついていないよう・・・

したがいまして、対岸から感心して見とれているのは「ヒマなのね」と軽くあしらわれた人種の一員であるところのGGIぐらいなものであります。

でも、みなさん、ヒマだとこんないいこともあるのですよ!ヒマをバカにしては生けないのですよ、埼玉の岩井さん、分かってますか!?

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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ウクライナから少し離れて、ポーランドから:終わりと始まり・・・

2022-03-08 00:21:33 | 日記
一昨日の土曜日、3月5日、福島第一原発の大事故から11年目にあたる3月11日を前にして、湖に面した近くの城跡の公園で反原発の市民団体などによる集会がありました。GGIはこの集会に若干の勝手な用事がありましたので、午後2時ごろ、遠くからわざわざ迎えに来てくれた知人の車で出かけました。

集会そのものは関係団体や票が欲しい国会のセンセイなどによる挨拶や弁護士さんによる裁判の話など、ついで何やら決議や宣言を行うなど、要するにセレモニー、退屈と申しますか、残念ながら盛り上げ欠けるワンパターンの集会、たいして関心が持てるものではないのですが、数百人が集まる集会ですので、前回の日記で書きましたウクライナ戦争反対のプーチンさん宛てのハガキをばら撒くには絶好の機会・・・

会場の公園に着きましたら、原発に関連した裁判に関わっている湖国の弁護士さんが公園内の屋外ステージの演台から講演なさっている最中でありました。でも、講演を聴くのはこの集会に参加された皆さんにおまかせして、失礼ながら講演者にお尻を向けて、300枚ほど用意しておいたハガキを友人と手分けしてセッセ・セッセ・セッセと参加者の皆さんのなかに分け入って配って歩きました。

例年、3月11日前後に行われるこの集会には、セレモニーだけではみなさんお気の毒、参加者のみなさん、手ぶらでお帰りになるのは如何なものか、何かおみやげと思って、原発問題に関係した反対や抗議や説得や説教、陳情など何やらを記した関係機関や電力業界などに宛てたハガキを持参して配って歩くことにしているのですが、今年は原発ではなく反戦のハガキ、果たしてどうかなと思っていたのですが・・・

でも、反応はなかなか良好、「プーチンさんへハガキ出して!」と言って差し出しますと誰もがすぐに受け取ってくれます。300枚を半時間足らずで配り終えました。例年ですと、面倒くさがってハガキを受け取らなかったり、何のハガキや、あんた何者やなどと不審がったり、そんなもの配っていないで講演をちゃんと聴けなどと不快な表情を浮かべるマジメな方もいるのですが、今年は連日テレビやネットや新聞などでウクライナ戦争のことが報じられていますので例年になく反応が良かったのでありませう

かようなしだいで当初の計画どおり、反戦ハガキは配ってみたものの、わが庵に帰還、一休みしておりましたら、やっぱり気休めにもならないよなあ、こんなハガキでは・・・いったいオレは何しているんだろう、結局は年よりの冷や水ならぬ年寄りのヒマつぶしに過ぎんかもしれんなあ・・・結局人生はヒマつぶしか なあ・・・などと考えておりましたら、だんだんちょっぴり憂鬱になってきました。

そこで深夜、ハガキをばら撒くのを手伝ってくれた友人からのプレゼント、スペイン産のシェリー酒を口にしましたところ、これが何とも口当たりが良く美味美味美味!やっぱり生きているのもワルクないなあ、ちょっぴり鬱が吹き飛んだ気分になりました。ところが翌日になりましても何やらまたしても鬱々・・・そこで気分転換にと、床に散らばっている本を気まぐれに手にしました。手にしたのは本ではなく雑誌、すなわち「PLAYBOY」(日本語版:2008年9月)です。

表紙には「総力特集:生きる意味を知る言葉、詩は世界を裸にする」、このキザたらしいタイトルが以前から気になっており、かつてチラッとは読んでみたのですが、それっきりになっていたのです

やや大げさのタイトルですが、20世紀を中心とした十数人の詩人たちの作品の紹介です。そこで、この特集をなんとなくパラパラめくってながめていましたら、GGIはまったく知らなかってポーランドの女性詩人の作品に遭遇・・・ああ、ウクライナの隣、ポーランドかあ・・・あの国も歴史に翻弄されてきたのだ・・・

二十世紀に至る以前から、18世紀半ばころから、しばしば戦乱に巻き込まれ、周囲の国に何度も攻め込まれたり攻め込んだり、領土を勝手に分割されたりなどなど・・・先の大戦では、まずナチス・ドイツに真っ先に狙われただけではなく、国内にナチス・ドイツが設けたアウシュビッツ(ポーランド南部の都市オシフィエンチムのドイツ語名)の強制収容所では・・・大戦末期には今度は反対方向からソ連軍に侵攻されたり、戦後に次ぐ冷戦時代には東欧圏の一国としてソ連の影響下にあり、隣国ハンガリーの動乱やチェコの「プラハの春」がソ連軍の戦車で押し潰されたり、いろいろあったよなあ・・・

そういえば二次大戦末期のポーランドを舞台にした映画、「地下水道」とか「灰とダイヤモンド」といった名作があったなあと思い出し、この詩人の作品に思わず目が行きました。というわけで、以下にこの詩を紹介いたします

作者はWislawa Szymborska(ヴィスワヴァ・シンボルスカ:1923~2012)さん、ポーランドの代表的な詩人、ノーベル文学賞を受賞している女性です。

終わりと始まり

戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
物事がひとりでに
片づいてくれるわけではないのだから

誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように

誰かがはまりこんで苦労しなければ
泥と灰の中に
長椅子のスプリングに
ガラスのかけらに
血まみれのぼろ布の中に

誰かが梁を運んで来なければならない
壁を支えるために
誰かが窓にガラスをはめ
ドアを戸口に据え付けなければ

それは写真うつりのいいものではないし
何年もの歳月が必要だ
カメラはすべてもう
別の戦争に出払っている

橋を作り直し
駅を新たに建てなければ
袖はまくりあげられて
ずたずたになるだろう

誰かがほうきを持ったまま
いまだに昔のことを思い出す
誰もがもぎ取られなかった首を振り
うなずきながら聞いている
しかし、すぐそばではもう
退屈した人たちが
そわそわし始めるだろう

誰かがときにはさらに
木の根元から
錆びついた論拠を掘り出し
ごみの山に運んでいくだろう

それがどういうことだったのか
知っていた人たちは
少ししか知らない人たちに
場所を譲らなければならない そして
少しよりももっと少ししかし知らない人たちに
最後にはほとんど何もしらない人たちに
原因と結果を
覆って茂るくさむらに
誰かが寝そべって
穂を噛みながら
雲に見とれなければならない

-「終わりと始まり」(未知谷)より 沼野充義訳-

余計なことですが、この詩の解説めいた一文が添えられていましたので、参考に以下に記しておきます。でも、いうまでもありませんが、詩の解釈は自由です。

戦争を巡る国民の、あるいは社会の感情の推移。そういうことが詩になる。タイトルは、一つの戦争の「終わり」と別の戦争の「始まり」ということだ。終われば瓦礫を片付けなければならない。しかしその傍らでもう「退屈した人たち」が「そわそわし始める」。そうやって次の戦争の準備が始まる。過去の悲劇を知っている人が減り、知らない人が大半になって、ためらう気持ちが失せ、開戦は容易になる。ポーランドだけではなく、実はどこの国の歴史でも同じようなことの繰り返し。

以上、今日も引用ばかりの安易な日記になってしまいました、お許しくださいませ・・・・

今日の写真はわがガーデンでいま満開の水仙さんたちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
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