UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

ますます秘密の花園ふう・・・

2015-06-30 01:44:39 | 日記

六月も終わりになりました

 紫陽花は盛りを過ぎましたが、わが庵のサザンガーデンは一段と草々の花々が大活躍です

 六月半ば(14日)の日記に、モノは言いよう、写真も撮りよう、というわけで秘密の花園の雰囲気を漂わせているわがサザンガーデンの写真をご覧いただきましたが、今夜お見せするのはますます秘密の花園の雰囲気が濃厚になりつつあるサザンガーデンの写真です

 ここまで自由奔放に草々が活躍いたしますと、花の命は短くてなんてどこの話だと思ったりいたします

 某日やってきた某知人が草々に満ち満ちたサザンガーデンを眺めていて「GGIよ、おまえ喘息だっていうけれど、このガーデンの花粉が原因はないのか、ヘタしたら花粉が命とりになるかもしれないぞ」と申しました

 なるほど、そうかもしれません、もし花粉が原因だといたしますと、写真の花々は、自分たちの命はともかく、このGGIの命を縮めているのかも知れませぬ

 でもGGIはとても心の寛大な人間でありますから、まあ花の命を尊重してやろうと花々の存在を許している今日この頃であります

 グッドナイト・グッドラック!

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フラワーアレンジメントのこころ・・・

2015-06-29 00:47:26 | 日記

庵のなかが散らばっております、床には躾のわるい新聞や紙切れどもが勝手にあっちこっちに寝転がっております

庵の周りには草々が自在にバッコして、とどまるところを知りませぬ

それにGGIの日々は些事雑事の連続であります

 かようなしだいでウンザリがどんどん蓄積して昨日臨界点に達しましため、急きょ気分転換を試みることにたしました

 エイッ!たまには花を生けてみよう!というわけで庵内の花瓶を集合させ、枯れ果てた花々をわがガーデンに打ち捨てて自然に戻してやりました後、花瓶を洗ってフラワーアレンジメントを試みました

 今日の写真はその成果を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 上手に花々を生けるコツはなんでありませうか?それは花のこころに素直に耳を傾けることであります

 「おい君たち、花の命は短くて苦しきことのみ多いって言うけどほうとうかね」

「それはあなたたちの考え過ぎではありませんか、私たちは日々楽しく生きていますから」

「でも花の命は短いっていうのはほんどじゃない?」

「いいえ、私たち花々には命が長いとか短いという観念はございません」

「ほんとか、じゃあ君たちはもっと長生きしたいとか、もう死んでしまいたいとか思ったりしないのか」

「そのような些細且つ取るに足りないことを考えたりはいたしません、私たちは神さまの御心のままに生きているだけなのです、それが一番大切なことです、GGIさんも心しなさい」

「御心のままにって、いったいどうすることなんや?」

「御心のままということは難しいことではありません、ただあるがままに生きるということなのです、わかりましたかGGIさん、あるがまま、これこそが生きることの深き真実なのです」

「そうかあ・・・でもなあ、オレは毎日あるがままに生きているけどなあ・・・その結果がこれや、家の中をあるがままにしておいたら新聞や紙切れが勝手に散乱、わがガーデンもあるがままにしていたら草々が野放図にバッコ、あるがままに暮らしていたら只々私事些事雑事がダラダラとつづいて・・・あるがままってそんなエエことやないぞ!」

GGIさんの生き方はあるがままなんかではありません、あなたの暮らしは只々怠慢で怠惰なだけです」

「そんなことないと思うけどなあ・・・」

「あなたが怠惰ではないのは、弁解するときだけです、言い訳するときだけはGGIさんは生き生きしています、あたなの人生は弁解人生です、もうそろそろ心を入れ替えなさい」

「そんなこと言われてもなあ、この年になって突然生き方を変えたりしたら体に悪いしなあ・・・」

GGIさん、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりですよ」

「きゃあ、そんなムチャ、言わんといて・・・・」

 グッドナイト・グッドラック!

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夕空晴れて夏風吹き・・・

2015-06-28 01:45:22 | 日記

昨日は一日どんよりとした雲が空を覆っていました、蒸し暑い一日でした

午後、あいかわらず集まりがよくない盛り上がりにいささか欠ける某デモをしたのち、市内某所で某謀議を行いました、

 謀議終了後、最近、毎日の病院通いで若干疲れた様子の某知人が、「GGI久しぶりにビールを飲みにいかない?」とのたまひましたので、わが迎賓館に行くことにいたしました、某知人、奥さんが膝の手術をして療養中ですので、定期券を買って毎日京都の大きな病院まで通っているのです

 かようなしだいで夕方、我が湖畔の迎賓館、テラスの一番湖に近い席につきました

 湖を眺めておりましたら、ようやく厚い雲が切れて青空が広がりはじめました、

湖からのに吹かれながらビールのジョッキを傾けました、ドイツはビュルツブルグの白ビール、それに大根サラダや何とかサラダ、それにニュルンベルグ何とかソーセージなどなど・・・

 やがて対岸に点々と灯がともりはじめ、まだ残っている雲のあいだからお月様が顔を見せはじめました

 あれこれ話しているうちにお月様が輝きを増しておりました、知人が申しました

もうそろそろ帰ることにします、御年18歳になるネコが待っておりますので、エサをやらねければならないのです

 最後にシュナプスというドイツの焼酎という感じの強いお酒を小さなガラス製のおちょこでちょっぴり飲みました

 今日の写真はわが迎賓からの眺め、暮れなずむわが淡海です、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

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雨の一日はちょっぴりおセンチに・・・

2015-06-27 01:43:30 | 日記

昨日、起きましたら雨が降っておりました

お昼前、知人から電話がかかってきました、

「おいGGI、起きてるか?まだおフランスおパジャマ着たままじゃないのか、あのなあ、昨日の死刑執行に対する抗議文のこと、某新聞が拾ってくれていたぞ、わずか15行ばかりやけど」
「そうかあ、マスコミ10社ばかりに送っておいたからそれなら打率1割、まあ、このようなことは打率0でなければグッドとすべきや」

などと雑談のあと、もうほとんどランチであるところのブランチをすませたのですが、相変わらず小雨が降り続いております、まだ降り続きそうです、この雨ではちょっと外出もなあなどと思いながらわがサザンガーデンに雨に濡れたデッキをぼんやり眺めておりましたら、なんとなくおセンチになり、おセンチな気分にふさわしい詩が思いだしました、

 雨を題材にした詩は世の中にたくさんあるのですが、フランスの有名な詩人ジャック・プレベールが作り、イブ・モンタンが朗読したことで広く知られるようになった「バルバラ」という詩を思いだしました、おフランス語で紹介したいところですが、GGIには若干荷が重いので大島博光氏(詩人、仏文学者)による訳詩を以下に記しておきます

 バルバラ

覚えているか バルバラよ
あの日ブレストに おやみなく雨が降っていた
きみは 微笑みをうかべ
うれしそうに明るく顔を輝かせて
雨のなかを歩いていた
覚えているか バルバラよ
ブレストに おやみなく雨が降っていた
シアム街で わたしはきみとすれちがった
きみは微笑んだ
同じように わたしも微笑んだ
覚えているか バルバラよ
きみを わたしは知らなかった
きみも わたしを知らなかった
覚えているか
それでも あの日を覚えているか
忘れずに思い出せ
ひとりの男がポーチのかげに身を寄せていて
きみの名を叫んだのだ
バルバラ と
するときみは 雨のなかを彼のそばに駆けよった
明るく顔を輝かせて うれしそうに
そして 彼の腕のなかに身を投げた
それを覚えているか バルバラよ
わたしが 「きみ」と親しげに呼んでも
きみは そういうわたしに答えてはくれまい
それでもわたしは 愛するものすべてにきみと言う
一度も会ったことのないひとにさえも
愛しあうすべてのひとに わたしはきみと言う
その人たちを知らなくとも

覚えているか バルバラよ
忘れずに思い出せ
あの しあわせな町のうえに
きみの しあわせな顔のうえに
降っていたあの しあわせなやさしい雨を
海のうえに
兵器廠のうえに
ウッサン島の舟のうえに
降っていたあの雨を
おお バルバラよ
戦争とはなんとばかげたことだろう
いま きみはどうしているか
この 鉄の雨の下で
火の鋼(はがね)の 血の雨の下で
そうしてきみを 愛情こめて
腕のなかに抱きしめたあの男は
死んで亡くなったのか
それともまだ生きているか

おお バルバラよ
ブレストに おやみなく雨が降っている
むかし降っていたように
だが それはもう同じ雨ではない
すべては 傷(いた)めつけられ崩れ落ちた
それは 怖ろしくも悲しい喪の雨だ
それはもう 鉄の鋼(はがね)の 血の
嵐でさえもない
ただ単純に 雲なのだ
犬どものように死んでゆく雲なのだ
ブレストの流れに沿って
あの犬どもは 姿を消し
遠く ブレストからはるか遠くへ
行って 死に
もう あとには何も残っていない

 この詩のなかに出てくる「ブレスト」というのはフランスの大西洋岸にある町であり、かつて仏海軍最大の軍港でありましたが第二次大戦でドイツに占領され、ドイツ軍の潜水艦基地となり、そのため連合軍の空爆により破壊されました

今日の写真は雨にぬれるわがサザンガーデンのデッキです、よろしけばクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

 

 

 

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スーパー・デュー・プロセス:米国における死刑判決に関する法的手続き

2015-06-26 02:17:17 | 日記

昨日、上川陽子法務大臣が昨年10月に就任してから初めて死刑を執行したことをお昼のNHKニュースがごく簡単に報じておりました

 2014年現在、世界で140カ国が死刑を法律上あるいは事実上廃止しており、死刑制度が未だに存在している国は58カ国、このうち、2014年に実際に執行したのはわずか22カ国、世界中でわずか10%に過ぎません

 先進国でいまだに死刑を執行しているのは米国と日本だけです、しかし米国では一昨年までに18の州で事実上死刑が廃止されており、昨年もワシントン州知事が死刑執行停止を宣言、今後も死刑廃止に向けての動きが続くものと思われます、かようなしだいで日本は今や世界の動きに逆行、国際的に孤立しつつあります

 かようなしだいでGGI、お昼のニュースで死刑執行を知ってから、すぐにアベ君と上川法相に、もう日本が野蛮で非人道的な愚かな国であることを証明するだけの死刑執行を止めるよう抗議文を送り、マスコミ諸氏にも知らせておきました

 このたびの執行はちょっと異様なものです、と申しますのは死刑を執行された人物には二人の共犯者がいるのですが、この二人のうち一人は一審も二審も無期懲役、もう一人は一審で死刑、二審で無期懲役だったのです、この二人の刑はすでに最高裁で確定しています、これに対して昨日処刑された人物は一審で死刑でしたが控訴しませんでしたので死刑が確定、その結果、昨日の執行となったのです、しかしこの人物、控訴していたならば無期懲役となっていた可能性があるのです

 米国では死刑は誤審であったならば取り返しのつかない刑罰であるため、死刑判決の適用に当たっては、スーパー・デュー・プロセスと称される非常に厳格な手続きが必要とされています、その手続きの一つとして「死刑判決が下された場合は本人の意思に関係なく自動的に上訴(高裁への控訴、最高裁への上告)が行われなければならない」というルールが存在しています。本人が自分の死刑判決に同意しており上訴する意思がないような場合であっても、念には念を入れ、上級審において慎重に死刑判決を是非を審理しようという姿勢です

 日本でもこのプロセスを導入すべきであるという弁護士さんたちが少数ながらいるのですが、実現には程遠いというのが現実です、このプロセスが導入されていれば昨日処刑された人物は死刑を免れた可能性があります

 法務省が、本人が控訴せずに死刑を受け入れているのだから執行したってかまわないと判断したのであれば、あまりにも安易な判断であるというべきでありませう

 スーパー・デュー・プロセスについては昨年このブログで記したことがありますので関心をお持ちの方は以下のサイトをご覧くださいませ

 http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/e/36443aa3e653896b535ada707195f209

今日の写真は本文とは関係ありあせんが、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

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