UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

やっぱり、たいして人はきませんでした・・・

2014-05-31 01:08:03 | 日記

先日、511日の日記に、GGIが知人に押し切られて袴田事件を題材にした映画の上映会を行うことにしたと書きました

 上映会の会場は市の公共施設の視聴覚室、定員50~60人ぐらいの部屋です、この上映会開催のことを知って予告記事を書きたいからと、京都を本拠地とする地方紙の記者が電話で聞いてきました

 袴田氏の第二次再審請求が認められ再審(やり直し裁判)の開始が決定されたのが327日、同日に袴田氏が釈放されましたので、記者さんが申しました

 5月下旬の上映会開催なので、この企画、グッドタイミングですよね、結構人が集まるんじゃないですか、会場はどのくらいの大きさですか?」

 「さあどのくらいかなあ、定員50人ぐらいからなあ」

 「だいじょうぶですか、そんな大きさで・・・それに無料での開催でしょう」

 「[だいじょうぶ、だいじょうぶ、オレのやることで、人が集まり過ぎて困ったなんていうことはないから」

 この記者さん、マジメに「映画を観て冤罪問題を考えよう・・・」などとちゃんとした予告記事を書いてくれました、まことにありがたきことでありました

 そして当日とあいなりました

 やっぱりたいして人は集まりませんでした、最少催行人数ぎりぎりというところでありました、名古屋を本拠地とする地方紙の記者が取材に来ていたようでしたが、映画の途中で帰ってしまったようでありました

 そうだよなあ、こんなたいして人が来ていないさびし~い映画の上映会なんて記事にしようがないよなあ・・・・無理もないよなあ、途中で帰ったりしても・・・

 かようなしだいでありましたが、それでも、湖国で起きた冤罪事件であり日弁連も支援しているものの湖国の人々にもあまり知られていない「日野町事件」と呼ばれている事件について、関係者が映画の上映が終わったあとに話をしてくれましたので、この上映会も少しは意味があったのではないか、などとちょっぴり自己満足しておりました

 そうしましたら、何日かして知人から電話がありました

 「おい、上映会のこと、あの記者が記事にしていたぞ、参加者は30人、と大水増しして書いていたぞ、まことにありがたいことや、それに写真入りやった、パラパラッとしか観客の姿が見えない会場で、GGIがダブダブのジャケット着て、なにかボソボソ話している姿が写っていたぞ」 

 記事にしてくれるとはまったく思ってもおりませんでしたので、まったくありがたきことであります、でも記者さんよ、GGI様の写真を撮るなら前もって言っておいてよね、そうしたらもうちょっとはシティボーイらしくオシャレのひとつぐらいしないでもなかったのに・・・・

 決して、新聞記事になればいいというものではありませぬが、朝毎読産、全国紙諸氏はまったくダメでありました、何の反応も示しませんでした、はじめから分かってはおりましたが、あらためて全国紙のダメさ加減を実感いたしました

 湖国の弁護士会にも丁寧なる案内状を差し上げ、湖国の弁護士諸氏も冤罪の温床である代用監獄(被疑者を拘置所にすぐに移さずに長期間警察の留置場に閉じ込めて四六時中強引な取り調べを行う仕組み)の廃止、取り調べの全面可視化(すべての取り調べの様子を録画または録音することを義務付ける制度)の実現に向けて尽力されたいとお願いしておいたのでありますが、まったくの無反応でありました

 今夜の写真は上映会で配った袴田事件など冤罪問題に関する資料集の表紙です、でも、たいして人はこないよなあ、なんて思いながらも、できればたくさん来てほしいなあと、かなりの部数を用意しておきましたので、わかりきったことでありますが、結局はどっさり余ってしまいました・・・よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

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庵の空は平安に満ち満ちていても、地には最悪のニュース・・・

2014-05-30 01:24:42 | 日記

前回の5月28日の日記に「庵の空は平安に満ち満ちている」などとノーテンキなことを記しましたが、この日の夕刊には平安などどこの話だという、最悪のニュースが載っておりました

 今夜の写真は最悪のニュースを伝える朝日新聞の記事です、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 《名張毒ブドウ酒事件 再審認めず / 名古屋高裁 8次請求を棄却》

 以前にもこの事件の裁判のことはこのブログで書いたことがありますが、「名張毒ブドウ酒事件」というのは1961年に三重県名張市で起きた、毒入りブドウ酒で5人の女性が亡くなった事件です

 再審請求を行っていたのは今年88歳になる奥西克さんです、彼は一審では無罪とされたのですが高裁で死刑を宣告され最高裁で死刑が確定していました、いったん無罪判決がくだされた後、判決が覆され、死刑判決が下され確定したのは、日本ではこの事件だけです

 欧米の裁判では、検察側による控訴や上告など上級の裁判所へ上訴する権利は制限されています、このため、いったん無罪判決が下された場合、検察側は上訴できないという制度が欧米では主流になっています、

 国家の機構と人間と費用を費やして十分な捜査をしたはずなのに間違いだとされたのだから上訴する権利はないというわけです、検察側の主張に疑義があるとされたのだから「疑わしきは被告人の利益に」という原則に則り、検察側が上訴する権利を認めていないのです

 奥西さんは第7次再審請求において一度再審開始の決定が下されため、再審により無罪の宣告を受ける可能性が大きかったのです、けれども、再審開始の決定に対して検察側が抗告したため、最終的に再審開始の決定が取り消されてしまったのです

 そしてこのたび、第8次再審請求が棄却されたのです、

 奥西さんは体調を崩して医療刑務所に移されており、昨年は2回にわたり危篤状態に陥り、現在も肺に直接酸素を送り込む状態が続いているとのことです

 奥西さんは今年88歳、先日48年ぶりに釈放されたあの袴田巌さんより年上です、もう事実上、奥西さんが無罪とされて釈放される可能性は皆無です、彼には、四十数年もの間、わすか三畳の広さの独房に閉じ込められた末、死刑囚として生を終える道しか残されていません

 法務省はいまさら死刑を執行するわけにもいかず、ひたすら奥西さんの死を待っているのでありましょう

 まことに残酷な、残酷極まる話であります

これが人間の国か・・・・

 この事件を題材にした仲代達也主演の「約束」という映画が製作されています、機会がありましたら、ぜひご覧ください

 グッドナイト・・・

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庵の空は平安に満ち満ちて・・・

2014-05-28 01:33:10 | 日記

夏を思わす日差しがわが八重葎庵の屋根に降り注いております

 庵の上空には白雲がのんびりと漂っています
庵の周囲には緑が輝いています、 

五月の庵の空は平安に満ち満ちています

生、老、病、苦、死など不幸の影や不快なもの、心配なるもの、美しくしあらざるものなど、
要するに人ができれば目にしたくないものの影はここにはまったく存在しておりませぬ・・・・

 でもですねえ、庵の屋根の下では、結構いろいろタイヘンなんです
結構四苦八苦なのです

 今夜の写真は庵の屋根を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

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いい判決だよなあ、良すぎるぐらいの判決や、だから心配なんや・・・・

2014-05-26 01:01:58 | 日記

みなさんご存知のように5月21日に、大飯原発運転差し止めの判決が福井地裁により下されました

 今夜の写真は運転差し止めの判決を伝える5月22日付けの新聞記事です、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 22日の夕方、ひごろ何かと世話になっている知り合いの新聞記者さんから電話がありました

 GGIよ、大飯原発訴訟の判決、どう思う?」

「もちろん、歓迎します・・・というところや」

「それだけ?えらく気のない返事やなあ、たいして嬉しがっていないように聞こえるけど、どうしたんや」

「いや、そんなことはない、まあ、このような判決が出るとはほとんど予想していなかったから、うれしいことはうれしいけどなあ、意味のある判決やとは思うけどなあ・・・」

「なんかはっきりせんなあ、年とってひねくれてくると、そんな曖昧でええかげんな返事しかできないのか、情けないなあ、もっとはっきりしたこと言えないのか?」

「あのなあ、あの判決、確かにええ判決や、リッパ過ぎると言ってもよいくらいの判決や、だからGGIは若干というか、かなりというか、心配してるんや」

「どういうことや、どこが良過ぎるのや?何が心配なんや?」

「あのなあ、判決文を全部読んだわけやなけいど、たとえばこのような部分があるやろ、《原発の運転停止で多額の貿易赤字が出ても、豊かな国土に国民が根を下して生活していることが国富であり、これが取り戻せないことが国富の喪失だ》・・・確かにその通りや、GGIはこの意見に賛成や、何の異存もない」

「それならええやないか」

「確かにこの裁判官の意見、これまでにない思い切った意見、まことにリッパや、でもなあ、この意見は法理論や法的根拠に基づいて法的主張であるというよりは、原発に関する意見というところや、裁判官たちによる原発の意味を問うた意見というべきものなんや」

「意見ではあかんというのか?」

「あかんとは言わんけれど、裁判で勝つために大事なことは意見ではなく、しっかりとした法的論理・法的根拠に基づいた法的な主張なんや、オレ、以前に、ある住民訴訟で世話になった優秀なる弁護士に言われたことがあるんや」

「何て言われたんや?」

「こう言われた、《GGIさん、あなたは盛んに行政の批判をされますが、それは、行政というものに関するあなたの意見に過ぎません、裁判で勝つためには主張が必要なのです、法的根拠・論理に基づく法的主張が必要なのです、裁判では主張と意見はまったく別物なのです、裁判ではいくら意見を述べてもあまり意味がないのです、ですから勝ちたいのであれば、どのような法的主張を行うかをしっかり考えてください、法的根拠に基づいた主張を考えてください、意見だけではダメなのです、勝てません《裁判の勝ち負けはどうでもよろしい、オレは自分の意見を述べることができさえすればええのや》とGGIさんがおっしゃるのであれば、訴状にGGIのさんの意見をたっぷり盛り込むようにしますけど、でも勝てませんよ、意見だけでは》・・・というわけや」

「それなら、大飯原発運転差し止めの判決に書かれている意見なんか意味がないというのか?」

「意味がまったくないとは言わんけど、こうした意見だけでは最終的に原告が勝訴することはかなり困難ということや」

「じゃあ、なぜ福井地裁の裁判官たちはこのような大胆とも画期的とも言える意見をわざわざ判決文に盛り込んだんや?」

「まことにグッドなクエスチョンです、それが本日の問題の核心なのです、なぜわざわざこのような意見を記したと思う?GGIの考えるところによれば、福井地裁の裁判官たち、《この判決、いずれ上級審でひっくり返される可能性が大や、それなら、ひっくり返されるのを覚悟の上で、この機会にせめて一度はこのような格調高いまともな意見を表明しておこう》と考えたのであろうということや、あるいは裁判長さん、このような国家に弓を引くような意見を書いたのでは、最高裁や法務省あたりに好ましからぬ裁判官としてにらまれ冷遇されかねない、その場合は退官するしかないと覚悟を決めたのかもしれんなあ、かようなしだいで、このたびの判決、立派過ぎるのでGGIは心配なんや・・・オレも一度ならず、一審で全面勝訴、二審で逆転敗訴の経験があるからなあ・・・・」

「年取ると、いろいろひねくれた考え方するもんやなあ・・・・GGIの意見を聞いたのは時間のムダやった・・・」

「まあ、そういうところや・・・ それは別として、また飲もうな!」

 グッドナイト・グッドラック!

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現代アートの命は短くて・・・それでいいのだ、それでいいのだ

2014-05-24 01:47:34 | 日記

今夜もまず写真をクリックしてご覧いただければ幸いです

 JR山科駅前に鎮座しております現代アートを撮ったものです、この流れ星が尾をひいているような形状をしているピッカピッカの現代アートの作品が何を意味しているのか、この類のアートは何とでも説明できますので、そのへんのことは根拠なき理屈をコネコネすることを仕事とする美術評論家にまかせておきませう

 でも、GGIは現代アート、結構好きです、何となく良くも悪くも時代の空気を映し出しているような気がするからです、作者の意図なんかほっておいて勝手に自由に解釈して楽しめがよいからです

 しかしながら、慧眼GGIの考えますところ、現在アートの命は短い、でもそれでいいのだ、と申しますか、原題アートの命は短くあるべきなのであります

 と申しますのは、原題アートは時代の空気を映し出すものでありますから、時代の空気が変われば、御役目御免、ご苦労であったということになるからです

 したがいまして、街頭など、屋外に鎮座しております原題アートはいつまでも未練がましく鎮座してはいけないのです、時代の空気が変われば興ざめなだけであります、ですから時代の空気がかわればサッサと退場すべきなのです

 ですから、たとえば、今は昔、大阪万博とやらが催されていたころ、そのシンボルとされた岡本太郎の手になる「太陽の塔」なんかも、いつまでも麗々しく屋外に鎮座させておくのは間違いなのです、今ではただただ醜悪なだけであります、時代の空気は転じているのですから、さっさと人目につかないところへ、あるいは過去の遺物を展覧する博物館などへ撤退すべきなのです

 かようなしだいで、このJR駅前を飾る現代アート、賞味期限はいつまでなのでありませうか、

 念のため申し上げておきますが、時代の空気がかわれば潔く退場するのが現代アートの運命でありますが、命が短いことは必ずしも価値が低いということを意味しているわではありません・・・・

 グッドナイト・グッドラック!

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