UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

どんどん若くなって中学生になってみるの記・・・・

2019-10-31 00:13:14 | 日記
最近どういうわけか、何人もの知人に「GGIよ、最近なんだか若くなったんじゃない?いったいどうしたの?」などと言われたりいたします。いずれの知人も、ヒヤカシや冗談だけで言っているようでもありません・・・

いまさらこの年でそんなこと言われても、「どうしてなの」などと問われても、何となく困惑するだけ、ただ自動的に「アホやから」と平凡な答をするしかありませぬ。

どうして、こう何人からも言われるのだろうと思って考えておりましたら、ひょっとしたらと思い当たるフシがありました。

そうだ、あれだ・・・きっとあの体脂肪計付き体重計のせいだ・・・

何の話だ、体脂肪計付き体重計って何のことだと思われる方は去る9月11日の日記にこの体重計にまつわる話を書いておきましたのでよろしければご覧になってくださいませ。

GGIが日ごろ愛用しているスーパーのお店の隅っこで、8月と9月の某日、近くの診療所の看護さんや医学生さんなどがきて「健康ウォッチ」と称して、体脂肪計付き体重計を用いて簡単な健康チェックのようなものをやっていました。そのときの話です。

どういう仕掛けになっているのかGGIにはわかりかねるのですか、この体重計を使って測定すると、体重や体脂肪の量だけではなく、いろいろなことが分るということになっているのです。内脂肪レベル、BMI(肥満度)、基礎代謝、体年齢などが分ることになっているのです

GGIは8月と9月に偶然、この健康ウォッチのチームと遭遇して餌食になってしまい、体脂肪計付き体重計に乗せられるハメになってしまいました。

その結果、先に日記にも書きましたが、8月の体年齢は56歳!9月の体年齢は55歳!と驚異的な数字が記録されてしまったのです。まったく想定外の結果に、思わずGGIはワッハッハと哄笑してしまいました、これはいったいどうなっているのだ・・・

体年齢が何を意味するのかは定かではありませぬが、最近の世の中、年を取ることは好ましからざることという風潮が強いため、このGGIの診断結果はとにかく慶賀すきことなのでありませう・・・

そうは言っても、この数値、実年齢よりも二十歳以上も若いことになるのですから、これはどう考えてもおかしいよなあ、こんなチャチな機械一台でそんなにいろいろ分るわけがない、何かの悪いジョーダンと笑い飛ばしていたのであります。

しかしながら、ほんとうのところは、知らず知らずのうちに、自分でも意識せずに「オレは若いんだ」と何となく自信を持ってしまっていたのでありませう。このアホな自信が若干外観となって現れた、そのことが知人たちをして「最近、若くなったんじゃない?」と言わしめているのでないか・・・・

やはりGGIには潜在的に「若くありたい」という強い願望が人並みにあり、そのために根拠がさだかでないのに機械が割り出した数字を思わす信じてしまったということでありませうか

その結果、「何事も、たいした根拠がなくとも、自信を持つことが切なのだ!事の真偽はともかく自分に都合のよいことは信じることが何よりも大切なのだ!これが人生の真実なのだ」ということをGGIは体脂肪計付き体重計から学んでしまったのです!

かようなしだいで、大切なことを学んだついでに、先日、もっと若くなろうと、長年使い古したヨレヨレの、スーパーで一金千円也で買ったブルーのボストンバッグはやめにして、中学生が使う肩掛けカバンを使ってみました。

今日の写真はこの肩掛けカバンを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

中学生のカバンと申しましたが、日本の中学生ではなく台湾の中学生のカバンです。なかなかしっかりした作りのカバン、生地は帆布でないかと思います。安物ボストンバッグは持ち主と同様に雨に風にもすぐに負けてしまうのですが、このカバンなら大丈夫そうです

ボストンバッグのように何でもかんでも詰め込むわけにはいきませんが、紙切れや書類の類、本などを入れたり取り出したりするには使い勝手がよさそう。いつまでもみっともないヨレヨレの汚らしい安物バッグを使っていないで、もっとシャンとしなさいとわが賢妹が送ってくれたのです。賢妹の息子のつれあいなる人物が台湾の出身でありますのでこのカバンを入手することができたそうです。

カバンには学校名やクラス、名前を書き入れる布きれが縫い付けられており、以下のように記されています。

書包大王
學校
班級
姓名
高雄市塩埕区大仁路33号 TEL:07-5312542

先日、この台湾中学生カバンを肩にかけて、これで一段と若く見えるであろうと張り切って某謀議に出かけました。しかし、誰も何もほめてくれません。

「どうだ、このカバン、いいだろう、台湾の中学生のカバンや、若く見えるやろ?」
「ふ~ん、台湾製かあ・・・若くは見えないけど、なにやらガキンチョふうには見えるなあ、でもなあ、GGIよ、そのカバンよりも、あのヨレヨレ・ボストンバッグの方が年相応に哀れっぽくて似合ってるぞ」

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

取調べ中に居眠りして被疑者に起こされる刑事!:わが湖国のトンデモ冤罪事件

2019-10-29 01:30:08 | 日記
えん罪は人の命を奪ってしまうという死刑と同様、国家による深刻な人権侵害であるとGGIは考えています。

日本の警察や検察のみなさんは、いつまでたっても客観的な科学的証拠に基づくのではなく、あてにならぬカンに頼った見込み捜査と密室での強引な取調べにより自白を迫り犯人を特定するという時代遅れの捜査手法に頼っています。ですから、わが湖国でもご多分に漏れず冤罪事件が跡を絶ちません。

冤罪を晴らすのは容易なことではありません。濡れ衣を着せられた人物は有罪が確定したのちに裁判のやり直し、いわゆる「再審」を請求するのですが、ほとんどの場合請求は認められません。再審請求が認められ再び裁判が行われ無罪判決が下されることは極めて稀にしかありません。ところが、わが湖国であるところの滋賀県内でかつて起きた二つの事件について、最近立て続けに、冤罪の疑いが極めて濃厚であるとして再審の開始を認める決定が下されています。

ひとつは日本弁護士連合会も支援している、1984年(昭和59年)に起きた酒屋さんの女主人が殺害された「日野町事件」と称される事件です。裁判の途中で、ご丁寧に裁判所が「このままでは犯行を立証できないから当初の犯行時間も犯行現場も大幅に変更してはどうか」と検察側に示唆するというまことにお粗末な裁判でありました。

犯人とされた人物は取り調べでは自白したものの裁判中は終始犯行を否認していました。しかし2000年に無期懲役が確定、彼は服役中に再審請求を行っていましたが認められず、2011年1月に病死(当時75歳)。その後2012年12月に遺族が湖都の大津地裁に対して第二次再審請求を行っていましたが、有罪の重要な証拠であるとされた金庫発見現場へ「犯人」が捜査官を案内する様子を撮った写真の順序がネガと入れ替えられた捏造であるとの弁護側の主張が認めら、その結果大津地裁は昨年7月、再審開始の決定を下しました。

本人が死去した後の再審、遺族などによるいわゆる「死後再審」の請求が認められた例はこれまでほとんどありませんので、これは画期的な再審決定です(しかし検察側がこの決定に対して抗告しているため、先行きは定かではありません。今後検察による抗告が認められて再審開始の決定が取り消されるということもあり得ます)。

もうひとつは「湖東記念病院人工呼吸器事件」と称されている2003年5月に起きた、看護助手の女性が入院患者の人工呼吸器を外して殺害したとされる事件です。犯人とされた女性は懲役12年の刑を科せられ服役した後、第二次再審請求を行っていましたが、2017年2月、大阪高裁が新証拠の医師の意見書などを基に不整脈による自然死の可能性や、虚偽の自白の疑いを指摘し、再審開始を決定、今年3月に最高裁で再審開始が確定しました。その後10月23日に弁護団が記者会見を行い、「検察側が実質的に有罪立証を断念する旨の意向を弁護団に示しており、無罪が確実な状況になった。即日結審で来年三月末までに判決を受ける見通し」としています。

このように「再審開始」というグッドニュースもあるのですが、一方においてわが湖国、わが湖都で起きた、とんでもない冤罪事件も報じられています。つい最近のことです。

去る10月18日に京都新聞が以下のような見出しの記事
を掲載していました

《逮捕4回、勾留10カ月、内定だめに 詐欺で無罪の男性「犯人と決めつけられた」》

それほど長い記事ではありませんので以下に全文を記しておきます。
----------------------------------------------
『詐欺罪に問われ10カ月以上勾留された後、9月に大津地裁で無罪判決を受けた20代の大学4年の男性=大阪府=が17日までに、京都新聞社の取材に応じた。客観証拠がほぼない中、滋賀県警と大津地検が「共犯者」の虚偽供述を別の共犯者に伝えて供述を引き出す強引な手法で、有罪立証に突き進んだ。「初めから犯人と決めつけられた。自分のように苦しむ人が今後なくなってほしい」と訴える。

■「なんで黙秘すんねん。やってるからやろ」「しゃべれや、うそつくなや」

 昨年7月30日、男性は大阪市内で大津北署の刑事3人に呼び止められ、逮捕状を見せられた。「え、どういうこと?」。心当たりがなく「身に覚えありません」と答えたが、「分かった分かった。あっち(大津)で話を聞くから」と手錠を掛けられた。
 容疑は、共謀し、高齢者から現金計200万円をだまし取った疑い。「共犯者」の知人とはアルバイトを通じて知り合ったが、詐欺グループの一員とは知らなかった。男性は知人らの供述によって特殊詐欺の「上位役」にされていた。
 答えることがないので、調べには黙秘した。「なんで黙秘すんねん。やってるからやろ」「しゃべれや、うそつくなや」「詐欺は長いぞー、4回は逮捕されるな」などと追及された。それでも黙秘し続け、攻めあぐねた担当の男性刑事は居眠りをし、「調べることがないなら終わって」と男性が起こす始末だった。

■独居房「本当につらかった」

 逮捕は4回、勾留は10カ月に及んだ。就職活動で数社から内定を得ていたが、全部だめになった。大学は休学し、留年した。

 拘置所は独居房。「会話する相手が全くおらず、本当につらかった」。えん罪に関する本など段ボール6箱分の本を読んだ。母親が連日、大阪から面会に来てくれたのが支えになった。

 今年5月、「証拠隠滅の恐れがない」として保釈された。10カ月ぶりに大好物だったコーラを買った。拘置所の食事になれた舌には甘すぎて飲めなかった。

 9月27日の判決。知人が自分を陥れたのは分かっていたが、有罪になるかもしれない。不安を抱えて臨んだ法廷で、裁判官は「知人らの証言は信用性に重大な疑義がある」と無罪を言い渡した。傍聴席で母親が号泣し、自分も涙がこぼれた。
 県警も地検も、最初から決めつけて取り調べたと感じる。男性は「少しでも『やっていないのでは』という視点があれば変わったのでは」と話す。今月復学し、就活も始めるという。
--------------------------------
(この記事には書かれていませんが、検察側は10月17日に控訴を断念しており、無罪が確定しています)

この記事を読みますと、警察による取り調べ、わが湖都の警察署である北大津署による取調べ、あいもかわらず見込み捜査と自白の強要・・・何も警察は変っていないことがよく分りますね。これでは警察や検察が変ることなど期待できそうもありませぬ・・・

幸い、この犯人扱いされた大学生、とてもしっかりした強い意志の人物でありましたので、自白の強要にも屈せず、冤罪を免れたのですが、誰でもこの人物のように自白を拒否して黙秘を貫き通すことができると限りません。あなたはいかがでせう?密室での強引な取り調べに耐えられますか?

GGIはまったく別の用事で警察署に行ったときに、応接室が空いていないために取調べ室で警察官に会ったことがあるのですが、その密室感はナカナカのものでありました。机と椅子、電話機のほかには何もない部屋、ドアは一つだけ、机を挟んでドアを背に警官が座ります。これでは、逃げ出そうとしても警官に阻まれてしまうという結構な構造です・・・ですから、えん罪に陥れられる可能性は常にだれにでも存在しているというべきでありませう。

この大学生、就職も内定していたのに、さぞかしショックであったことでありませう。でも、誰も話し相手のいないまま、独房に10カ月ものあいだ閉じ込められていたのですが、その間に冤罪などについての本を段ボール6箱分も読んだそうです!すごいですね。強い精神力の持ち主なのでありませう。GGIはいたく感心するとともにダラダラ生活のわが身を深く恥じてしまいました。

しかしながら、この大学生君には悪いのですが、この記事を読んでいて思わずワッハッハと笑ってしまったことがあるのも事実であります。刑事の取調べの様子についてのくだりです。

《それでも黙秘し続け、攻めあぐねた担当の男性刑事は居眠りをし、「調べることがないなら終わって」と男性が起こす始末だった・・・》

取調べの刑事がもう追いつめるセリフを思いつかなくて、考えあぐねているうちに思わず居眠りしてしまうなんて、もうまったくのマンガです!大戯作者のあの井上ひさし氏でも思いつかないシーンです。これが笑わずにおられませうか!やはり事実は小説なんかよりもずっとずっとヘンなのですね。それにこの大学生君、わざわざ刑事を起こしてやるなんて、しっかりした精神の持ち主であるだけではなく、心優しき人物でもあり、GGIはますますこの青年に感心してしまいました。

この大学生君、よき就職先が見つかりますよう、こころからお祈りいたします。

今日の写真は記事に添えられていた、「自分みたいに苦しむ人を生み出さないで」と話す大学生君の姿です(大阪市内)

また、冤罪にまでは至らなくても、警察がたいした法的根拠もなしに狙いをつけた人物を拘留することが少なからずあります。

たとえば、数年前のことですが、湖都の警察署に某知人がつまらないことで捕まり拘留されていたことがありました。出会いがしらに殴った殴ってないという喧嘩とまでは言えない小さなイザコザだったのですが、起訴できる見込みなどまったくないのに、嫌がらせに警察での勾留が許される最長の期間、すなわち20間勾留されるというがありました。

途中何回か会いにいったのですが、接見禁止ということで一度も会うことはできませんでした。このとき、別の知人に「GGIよ、これはひどい、人権侵害であることは明らか、GGIよ、警察署長宛て即時無条件釈放を求める要求書のひとつぐらい書いたらどうだ」と言われてしまいましたので、実名・実住所で手紙を出したことがあります。もちろん返事なんか来ませんでした・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も言葉のお勉強:「払う」という言葉の使い方について・・・

2019-10-27 01:49:31 | 日記
三省堂の大辞林を見ますと「払う」という言葉、様々な意味があることが説明されています。詳しい説明は省きますが、「払う」という言葉の意味は何と14種類もあることになっていますが、そのなかの一つに

「人や動物をその場からいなくさせる。去らせる」という意味があるとされています。例として「人を払って密談する」 「はえを払う」 「行列の先を払う」などが挙げられています。

さて、ここで今日の写真をご覧ください。これは昨日、マックスバリュさんという大きなスーパーの掲示板を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧ください

大きな横長の掲示板の中央に貼り紙がぽつんと一枚。貼り紙には

「天皇陛下のご即位をお祝い申し上げます マックスバリュ東海株式会社」

さて、ここで問題です。この貼り紙、何かを「払って」いるのですが、いったい何を払っているのでせうか?

何をわけの分からない質問をしているのだと思われるかもしれませんが、この掲示板の様子をしっかり観察なさると答えはおのずから明らかになります。

おわかりになりませんか?この掲示板の様子、何か変だなあとお思いになりませんか。スペースはタップリあるのに貼り紙がポツンと一枚きり・・・

この掲示板、ふだんはいろいろなポスターが何枚も掲示板いっぱいに貼ってあります。お店の宣伝やお知らせ、「少年たちよ、万引きは犯罪です!」という警告のポスターなどや、このスーパーを経営している企業の会社の社会貢献活動をPRするポスターなど様々なポスターが貼ってあります。

つまり、この大きな掲示板、いまはふだん貼られている各種ポスターが全部剥がされて、天皇即位を祝う一文が記された貼り紙だけが中央に鎮座しているのです。

GGIの考えではこれは「人払い」ならぬ「ポスター払い」であります。この貼り紙はポスターを「払って」いるのです。他のふだん貼られているポスターは邪魔だとばかりに排除されているのです。

なぜ、ふだん貼られている他のポスターが「ポスター払い」されて姿を消しているのでせうか?これは難しい質問ではありません。すぐにお分かりになるのではないかと思います。

すなわち、GGIのあてになる推測によれば、この貼り紙の主、「天皇即位を祝うこのうえなくめでたき貼り紙であるから、その隣や周囲に下々の商業主義のポスターやいろんな注意書きのポスターを張るなんてとんでもない、まことに畏れ多い、天皇に失礼になる、だから他のポスターは全部払ってしまおう」と考えたのでありませう。

昭和天皇が死去したときには「自粛」の大流行でありましたが、この「ポスター払い」も自粛行為のひとつであると言えるかもしれませぬ・・・あるいは近頃流行の「忖度」と言う名の自己規制(自主規制)=自粛の一種ということでありませうか・・・

ソンタク・ニッポン万歳!万歳!万歳!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉のお勉強:「たわわ 」ってなんのこと?

2019-10-25 01:20:41 | 日記
柿の季節になりましたね。でもわが庵の柿、今年はもうひとつ元気がでないようです。まだ十分に色づいておらず、それほどドッサリなりそうもありませぬ。

ところが、隣家の庭の隅っこにある柿はとっても元気です。豊作です。大豊作といってもよいでありませう。

今日の写真はこの隣家の柿の木を撮ったものです。クリックして豊作振りをご鑑賞くださいませ。

ご覧どおり、文字通り「枝もたわわ」に柿の実がなっています。その密集振りにGGIは感心してしまいました。確かに枝は「たわわ」という感じです。

でも、この「たわわ」というのは一体何者でありませうか?

辞書などによりますと「枝などが重みを受けてたわむさま」を意味するとされておりますから、「たわわ」は「たわむ」に由来したオノマトペではないかというのがGGIの考えです。実った果実などの重みに耐えかねて枝が悲鳴を上げているさまを「たわわ!」と表現したのです。太い注射針をいきなり刺されたり、片腹痛いことを言われときなどに思わず「痛てて!」と悲鳴を上げるのと同じことです。

などと勝手なことを考えておりましたらNHKの放送文化研究所が、次のようなまことに丁寧なる説明をしておりました

「落花生の収穫の様子を番組で伝えるのに、《たわわに実った落花生》という表現は使えますか」という質問についての回答です。

その答はなかなかNHKらしい正確なものであります

「放送では、使わないほうがいいでしょう。《たわわに実る》は、伝統的には「枝がたわむほど多くの実をつける」という意味です。原則として土の中の収穫物には使いません」

なるほどねえ・・・でも「原則として」でありますから、場合によっては原則から逸脱することもあるのでありませう

この説明を読みながら、でもなあ、いっぱい実がなっても枝がたわまない木もあるのではないだろうか、その場合は「枝もたわわ」とは言わないのか、果たして「よく実っていますが枝がたわわではありません」などとニュースでは言うのかという疑問がわいてしまいました。

ところが上記のNHK放送文化研究所の説明をさらに読んでいきましたら、このGGIの揚げ足取りの疑問についても以下のように、ちゃんと答えておりました。

《しかし、これまでのニュース原稿の中には、「バナナ」や「トウモロコシ」、「ゴーヤー」など、収穫時に「枝がたわまない」収穫物についても、「たくさん実る」の意味で、「たわわ」が使われているものも見受けられました。また、『三省堂国語辞典第七版』で「たわわ」を引くと、第1の意味としては「たわむほどであるようす」とありますが、第2の意味として「(俗な表現として)大きく育ったようす」とあり、用例として「たわわに実ったスイカ」が載っています。「たわわ」の意味は、現代においては、少し意味の広がりが見られるようです。》

なるほど、なかなか正確な説明であります。GGI、ちょっぴり賢くなりました。GGIは地デジについは契約しておりませんので視聴料を払っていないのですが、NHKさんに感謝もうしあげます。ありがとう。

ところで、八重葎庵公認の柿ドロボー氏、今年九十数歳の元大工のゴローさんがそろそろ姿を現してもよいころなのですが、音沙汰がありませぬ。心配です・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰だ、もうお手上げ、降参しますと、万歳しているのは?!

2019-10-23 01:03:12 | 日記
昨日、何やら仰々しい名称の新天皇即位の儀式が「粛々」と帝都で行われましたね。

いささか時代がかったこの儀式は八重葎庵の古ぼけたブラウン管式のテレビで見物するのにふさわしいと、某知人がわざわざわが庵にやってきましたので、いっしょに見物いたしました。

この儀式のハイライトは、何と言っても「玉座」にまします新天皇夫妻を文字通り仰ぎ見て、安倍首相の号令一下行われる、参列者の政治家たちや彼らのお連れさんなどによる天皇に向けての「万歳三唱」です。

《天皇陛下万歳、万歳、万歳・・・》

「万歳」の故事来歴についての話はなかなか興味深いものであります。「万歳」、、これは日本固有の言葉でなく、中国、朝鮮半島、ベトナムにも発音は若干異なるものの同義の言葉が存在しているとのことです。

しかしながら、ウィキペディアさんなどによりますと、「天皇陛下万歳!」と、いわゆる「万歳三唱」を行うようになったのは明治天皇の時代になってからのことであり、それ以前には天皇を前にして万歳三唱なんかしていなかったとのことです。つまり「天皇陛下万歳」の歴史はそれほど古いものではないのです。日本のイニシエの伝統に則った由緒正しいものというわけではなく、単なる明治時代の発明品に過ぎませぬ。

それはともかく、「万歳」という言葉、祝意を表す目的で使われますが、この言葉の使い道はそれだけではありませぬ。とても自分の手に負えない事態に直面したときなどにも使いますね。たとえば、学校で何かの試験があって、さっぱり問題が解けそうもない事態に直面してしまって、「これはあかん、お手上げ、もうバンザイや!」と言ったりした苦い記憶がある方もおられるのではないかと思います。また敵などに降参するときも、降参の印に両手の挙げたりしますね、つまり万歳しますね。

降参します、ゴメンナサイと両手を挙げるときは、相手にその意思を、恭順の意を明確に伝えるために両手を挙げますね。文字通り「お手上げ」をするわけです。この仕草は「ご覧のように、私はもう手ぶらです、武器はこのとおり何も手にしておりません、降参します。もう貴方に決して逆らったりしません」というボディランゲージです

では、この、「もうお手上げ」という降参を意味する万歳をするときの仕草と祝意の万歳のときの仕草はどう違うのでせうか、それとも、違いはないのでありませうか・・・

ネット上の事情通さんたちによりますと、万歳三唱のときは両手をまっすぐに挙げて左右の手のひらを向かいあわせにする、そうではなく「もうお手上げ、降参します」という意思を伝える場合には、両手を挙げるのは同じですが、両方の手のひらを降参相手に方に、つまり前方に向ける、ということのようです。つまり「手を挙げろ」と拳銃などを突き付けられて抵抗をあきらめて降参するときの仕草です。

たしかに、このように手のひらを向ける方向によって使い分ければ、めでたくて万歳しているのか、お手上げや降参の万歳であるのか、明確に識別することができます。

というわけで、今日の写真は昨日の式典での安倍首相号令一下、万歳三唱をしているつもりの参列者の姿を撮ったものです。朝日の記事から無断借用させていただきました。

この写真、元首相さんたちが写っていますが、小泉君なんか、明らかに天皇の方に手のひらを向けていますから、もう完全に「おうお手上げ、ゴメンナサイ」と新天皇に降伏している姿勢ですね、他にも「降参します」と手のひらを天皇の方に向けている参列者が何人もいますね!

一方、小泉君の隣の福田君と思われる人物は正しい万歳をしているようであり、左端の麻生君らしき人物も降参ではなく正しく祝意の万歳をしています。女性の参列者はまことにいいかげんです。その姿勢は祝意の万歳でも降参を意味する万歳でもなく、なにやら盆踊りのような手つきでございます。

この儀式のハイライトのはずでありましたから、参列者一同、凄然と清く正しく、粛々かつ整然かつ厳粛にと天皇に向かって万歳三唱が行われるものとGGIは期待しておりました。しかしながら、このように参列者のみなさんの「万歳」の仕草がまちまちで、きわめていかげんでありましたから、せっかくの儀式で一番のハイライト、「天皇陛下万歳」三唱の儀はいささか興ざめでございました。

(ただし、この写真には写っていませんが号令役のアベ君は、間違ってはならぬと事前に学習したのでありませう、両手をまっすぐ一直線にあげて、左右の手のひらをちゃんと向い合せにしておりました。)

参考のため申し上げますと、「バンザイ・アタック」(Banzai attack)という英語の表現があります。先の大戦中、追い詰められた日本軍兵士による玉砕覚悟の突撃のこと、「万歳攻撃」のことです。先の大戦中は、軍歌などでは、兵士たちは「天皇陛下万歳」と叫びながら突撃して死んでいったということになっておりました・・・・

いずれにいたしましても、この即位の儀式、天皇は単なる象徴を超えた存在ではないのか、と多くの市民が実感じたのではないでせうか・・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする