UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

《戦災焼失区域表示 帝都近傍図》・・・(たぶん、その一)

2021-06-28 01:25:17 | 日記
わが庵、来客の多くは、玄関で声がしたと思ったらさっさとわが庵の第二応接室すなわち居間へ上り込んできますが、わが庵には一応は「一等応接室」と称している正式の?応接間もございます。先日その一等応接室の棚を整理していましたら、埃をかぶった古い紙袋が出てきました。これは何だろうを袋の表書きを見てみましたら・・・未知との遭遇でありました・・・

《復刻版 戦災焼失区域表示 帝都近傍図》
復刻:東京空襲を記録する会
発行:日地出版株式会社(旧社名:日本地図株式会社)定価400円

袋の中から、大きな地図が出てきました。新聞紙4ページ分の大きさの「戦災焼失区域表示
帝都近傍図」と題された地図と説明の資料が出てきました・・・

この地図、GGIが自ら入手した記憶はありませぬ。おそらくかつて「軍国少年」であったと自称している長兄あたりがくれたのでありませう。

貴重な地図でありますので、一等応接間の壁に飾ることにいたしました。今日の写真は壁に飾ったこの地図を撮ったものです。すこしピンボケで申し訳ありませんが、どうかクリックしてとくとご覧になってくださいませ

赤い色で示されている部分が先の大戦において米軍の東京空襲(空爆)により焼失した地域です。昨今は、かつて1940年に予定されていた東京オリンピックが中止されたことがあったことなんかすっかり忘れて、さあコロナなんか吹き飛ばしてオリンピックだなどと人騒がせな動きが盛んな東京、この大都市は、かつては「帝都」すなわち大日本帝国の首都でありました。ご覧の通り、帝都の中心部はほとんどが焼失しています。

一番大規模な空爆は「東京大空襲」の名で知られる昭和20年(1945年)3月10日の空爆です。しかし東京は3月10日以外にも何度も何度も繰り返し爆撃されていたことを、地図に付されていた資料を目にして初めて知りました。おもなものだけで16回も東京空爆が行われており、そのうちのほとんどが敗戦の年すなわち昭和20年の1月から5月末にかけて行われていました。B29の名前で知られた当時最新の爆撃機300機による30月10日の「大空襲」では、家屋約37万2000戸が一晩で焼失、死者・行方不明者はおよそ10万人、被災者はおよそ100万人とされています・・・最近の大きな自然あるいは人為的な災害による犠牲者・被害者の数をはるかに上回る数字です。

そして、初期の空爆はともかく、ほとんどが市民を巻き込んだいわゆる「無差別爆撃」でありました。大規模な無差別爆撃としては、日中戦争における日本軍による重慶爆撃、スペイン内戦におけるドイツ空軍によるゲルニカの爆撃、連合軍(主に英軍)によるドイツの古都ドレスデンの爆撃などが広く知られていますが、「東京大空襲」は歴史上最大の無差別爆撃であると言えるでありませう。全国の主要都市における空爆の犠牲者は合計約46万人とされています

当初、米軍は高度1万メートルの高空からピンポイントで軍事施設を爆撃するという作戦で本土空爆を開始したのですが、この方法では目的通りに軍事施設を破壊することができなかったため途中で方針を転換、より低空からの無差別爆撃を実行に移しました。

この非人道的な作戦の指揮を執ったのはカーチス・ルメイ大将、後に佐藤栄作首相は航空自衛隊の育成に功があったとして彼に勲一等旭日章を与えています・・・

東京大空襲に際しては、米軍爆撃はまずはじめに円を描くような形で爆撃を行って円の外側に逃げられないようにしてから円の内側を徹底して爆撃したとされています。これはほんとうであれば、まさに人道に対する罪そのものに他ならないというべきでありませう

昭和天皇は東京大空襲の8日後の3月18日に、御つきの者を従えて焼け跡の視察を行っています。行方不明の知人を探して焼け跡をさまよっていて、天皇の視察に偶然遭遇した作家の故・堀田善衛氏は「方丈記私記」に、そのときに受けた絶望的ともいえる衝撃について、とても優れた忘れることができない一文を遺しています(いつであったか、この日記か別の日記でこの堀田氏の一文について記した記憶があるのですが見つかりませぬ。見つかりましたらご紹介いたしたいと思います)。

地図の中心部に、周囲が焼けているのにほとんど消失していない円形の区域があります。その周囲に小さな水路(堀)があることから、この区域は皇居であることがわかります。米軍のB29爆撃機の大編隊、皇居を爆撃しようとおもえばいつでも容易に爆撃することができたはずですが、意図的に皇居を避けて爆撃を行っていたことが、この地図から読み取れます。

この地図の説明書には地図を作成・出版した地図会社の社長さんの一文が添えられていましたので以下に紹介しておきます

「帝都戦災焼失地図の思い出」   
                植野 録夫
 東京も戦後40年を経てしまった。今回、日地出版から、帝都戦災焼失図の復刻版を領布するにあたって何か想い出をとの依頼があり、あらためて拡げてみると、当時の苦しかった毎日の生活、地図を作るために日夜苦労したことなどが、今となっては懐かしくさえ思い出されてくる。
 昭和20年の夏、戦争に敗れ、一面の廃墟と化してしまった東京、その中でも地図の出版の仕事は続けなければならなかった。地図出版の第一号は、戦争の経過、結果を地図の上につかみ出すことから踏み出された。即ち、陸軍戦力喪失図、海軍艦船喪失図の出版であり、次いで、東京、名古屋、大阪、神戸の戦災焼失図が企画されていった。特に「帝都」東京が一体どの位戦災を受けているか、それをはっきりさせることは当時の東京の混乱を収拾し、復員者や疎開者の不安を解消するためにも必要なことであった。
 しかし、いざ作業を進めてみると、どこがどれだけやられ、どこが焼け残っているか、皆目見当もつかなかったが、焼失図出版の意味と地図出版社の使命感が私どもをふるいたたせ、10月頃から現地調査にとりかかった。調査の指揮をとったのは地図部員の林崎祝氏であった。氏は毎日地下足袋をはき、まだ満足な交通機関もなく、戦後の余燼くすぶる東京の廃墟の中を歩き続けた。二カ月にわたってこうした調査が続けられ、昭和20年もおしせまった12月にようやく発行された。
 発売後の反響は大きかった。東京での評判はもちろんであったが、地方の注文は東京のそれを上まわり、また進駐してきたGHQ(連合軍最高司令官総司令部)からも大量の注文を受けた。
 ふたたび地図に目を転じると、焼失区域として赤く塗られている焼失区域も薄く青い色の疎開区域(注参照)も、現在は道路や公園になり、また高層ビルが林立し、首都東京の威容を取り戻している
 (元日本地図株式会社々長)

 これは歴史の証言ともいうべき貴重な地図です。元日本地図株式会社のみなさま、この歴史の証言となる貴重な地図を作製・出版してくださったことに一市民として心から感謝申し上げます

注:「薄く青い色の疎開区域」はこの写真からははっきりとは判別できませんが、区域というよりは線状に青色というよりもグレーに近い色で示さている部分が疎開区域ではないかと思われます。

とりあえず、なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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米国式民主主義:元気女子高生と米連邦最高裁・・・

2021-06-25 00:38:34 | 日記
昨日、むし暑いなか雑用を済ませて帰宅、ああ人生は雑用の連続やなあ、これからもしばらく雑用の日々が続くかもしれないなあ、などといささかうんざりして一休み、なんとなく朝日の夕刊(6月24日付け)を眺めておりましたら、久方ぶりに愉快と申しますか爽快と申しますか、グッドなニュースに遭遇しました。

小さな記事です。記事の見出しは《学校への不満投稿 部活禁止は「違憲」/ 米最高裁判決》

まず見出しをみてちょっとびっくり・・・と申しますのは、日本でこの類の問題が起きても最高裁が憲法判断を下すようなことはまずないのではないか、と思ったからです。

事の顛末は以下のとおりです

2017年にペンシルバニア州で起きたできごとです。女子高生でチアリーディング部に属していた少女がある日ネットに投稿しました。私服姿で舌を出し、中指を立てている自分の写真を載せ、写真に以下のようなフレーズを添えました

「くたばれ学校、くたばれソフトボール、 くたばれチア 全部くたばれ」

この投稿のことを少女の友人を通じて知った顧問が問題視、「汚い言葉を使わないスポーツマンシップが求められる」などの教育委員会の規則に反するとして、少女に一年間の部活禁止を科しました。

この禁止を不満として、この少女、裁判所に訴えてのでありませう。争って最後は最高裁の判断を仰ぐことになったのです。そして、とうとうこの少女、米連邦最高裁判所で勝ってしまったのです!

判決は公立高校においては学校外における生徒の言動であっても規制が可能だとする見解を示す一方で、今回の事案では少女の言論を制限するだけの理由は存在していないとして、少女に対する処分は「合衆国憲法修正第1条に違反する」と結論付けています。

修正第1条の条文は以下のとおりです

「議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない。 表現の自由、あるいは報道の自由を制限することや、人々の平和的集会の権利、政府に苦情救済のために請願する権利を制限することもできない。」

つまり連邦最高裁判所はこの少女の表現の自由を認めたのです。この少女、判決を受けて意気高らかに声明を出しています。

「私は、今日の10代がするように自らの不満を表現した。若者には、学校に行ったときに罰せられると心配することなく、自分たちについて表現できることが必要だ」

日本でこのような類の問題が起きても、米国の少女のような展開になるとは思われません。まず、学校あるいは教育委員会などがもみ消してに動きだし、そして少女は泣き寝入り、となる可能性が大です。まして、少女が裁判に持ち込むようなことはほとんど考えられません。たとえ少女が裁判に持ち込もうとしても周りのオトナたちが止めに入るでありませう。でも、米国のこの少女、もちろん大人の支援者もいたのでしょうけれど、裁判に踏み切ったのです。そして、小さな事件とはいえ裁判所の側もこの訴訟をちゃんと正面から受け止めて、最後は最高裁で憲法判断まで下したのです・・・

この記事を目にして、いろいろ問題が多い国ではあるけれど、それでも米国では民主主義は健在なのだ、これが米国式民主主義なのだとGGIはあらたてめて感心してしまいました。

また、最高裁もリッパですけれども、あかんべえをして「くたばれ」を連発したこの少女の元気ぶりに、GGIは思わず笑ってしまいました。

ややもすると憲法判断を避けたがる傾向がある日本の最高裁の裁判官のみなさま、この記事をお読みになってしっかり勉強なさってくださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は本文とは関係ありません。雨の降りはじめた歩道を撮ったものです。よろしけばクリックしてご覧になり、雨がどのように降り始めるか、研究なさってくださいませ

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仲が悪いわけではないけれど、どうしても一緒になれないというわけなの?

2021-06-22 01:47:28 | 日記
わが庵の近くに保険会社のビルがあります

今日の写真はこのビルの屋上に掲げられている社名を表示した看板を撮ったものです。お手数ですが、クリックしてご覧くださいませ

保険会社の名前は「あいおいニッセイ同和損保」・・・

この会社、三つの保険会社が合併してできた会社なのでしませう。GGI、この看板を目にするたびに、この長~い社名に思わず笑ってしまいます

「ながったらしい社名だなあ、もうちょっとどうにかならないの?君たち、せっかく一つの会社になったのに、どうしても一緒になれないというわけ?君たちは夫婦別姓大賛成というわけ?」

以下は同社広報課との会話記録です

「もしもし、長ったらしい名前の保険会社さんですか、あのですねえ、お宅の社名、カクカクシカジカなのですが・・・」

「いいえ、別に私たち、仲がわるいわけでは決してございません。でもですねえ、どことどこの会社が一緒になったかがわかる社名の方が、お客さまにとってよいこともあるのです。たとえば他社のことを例に挙げては失礼なのですが、大手銀行が合併して生まれた《みずほ銀行》さんという会社がございますね。名前はすてきなのですが、お客様のなかには、え~っと、この銀行、元は何という名前の銀行が合併したのかなあなどと戸惑われる方もおられることと思います。ですから社名をそのまま残して新社名とすることはお客様にとっても利点があるのでございます」

「それは分らんことないけどなあ、でも社員の皆さん、仕事のうえで大変ではないですか?どこか社外に電話なんかするときに、いちいち、《私ども、あいおいニッセイ同和損保ともうしますが・・・》などと長ったらしい前置きを言わなくてならないなんて、タイヘンじゃない?もっと簡単な覚えやすい名前を考えたらいかがですか」

「それは慣れればそれほどでも・・・・それなら、たとえばどんな名前が・・・」

「そやなあ、たとえば《おいおいニッセイよ、どうや景気は?損保》とか、この名前なら誰でもいっぺんで覚えてしまうぞ!」

「そんなアホなあ・・・ますます長ったらしくなるだけじゃないですか・・・そんな名前を名刺に印刷するんですかあ・・・恥ずかしくてそんな名刺なんか使えませんよ」

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

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西武さんほぼ落城、次におごれるのは長谷工さん・・・

2021-06-19 01:43:53 | 日記
数日前、かつての西武大津店さんの前を通りかかりましたら、西武さんはほぼ落城しておりました。ほぼ跡形もなく姿を消していました。

そして、解体工事現場の囲いには早くも新たな主による建築計画が掲示されていました。建築主はマンション屋さんの長谷工不動産。

計画によりますと高さ45メートル、15階建て、建築面積7852平方メートル(約2400坪)、延べ面積70836平方メートル(約2万1500坪!)・・・すごいですねえ、2000坪ほどの土地から2万坪あまりの人口地面を作り出すとは・・・これが現代の錬金術なのですねえ・・・

これはまさに祇園精舎の鐘の世界でごさいます

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ・・・」

西武さんの跡地で次におごれるものは大型マンション屋さん・・・

でも少々の風なんかへっちゃらなのが科学技術の粋を誇る現代文明、新築大型マンションは塵なんかじゃない、少々の風なんかでは倒れたりいたしませぬ・・・

と長谷工さんはおっしゃりたいかもしれません。しかしながら、現代の風はとんでもない形で、とんでもない方向から現代文明に向かって吹いてくるかもしれません、そのような風の前では現代文明は「塵に同じ」なのかもしれませぬ、

たとえばコロナさんとか地球温暖化さんとかは現代の風かもしれませぬ、新々型コロナさんの出現とか、再度の原発大事故とか、偶発的な核戦争の勃発とか、富士山大噴火大地震とか、UFOさんや宇宙人さんたちの襲来とか、世界同時大不況や世界同時大凶作とか、突如なまけ病のパンデミックとか、GGIの貧弱な想像力を超える風が吹いてくるかもしれませぬ・・・

おごれる現代文明、久しからず、ひとへに風の前に塵に同じ・・・と申しては言葉が過ぎるのでありませうか・・・・

今日の写真はほぼ跡形もなくなった西武さんの写真です。何か空爆の跡のような気がいたします。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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えっ、いまごろ梅雨入り?!・・・でも紫陽花小道の次は盗人萩街道・・・

2021-06-16 01:16:24 | 日記
一昨日6月14日の午後、誰もまともには読まない可能性が大、ただのゴミを作っていることにしかならないのではないかと憂慮される某文書を書くためにパソコンを相手にしておりましたら、ラジオがヘンなことを言っているのが耳に入りました

「関東甲信越地方は今日梅雨入りしたものと思われます・・・・」

GGI、思わずわが耳を疑いました、えっ、なんだって、いまごろ梅雨入り?!ふざけるなよ、わが湖国はとっくの昔、早々と5月の半ばに梅雨入りしているぞ、その証拠にわがサザン・ガーデンには随分前から紫陽花さんが咲いているぞ、こんなデタラメが許されてよいのか!

気象台の梅雨入り速報をネットさんで見てみましたら、今年なこんなデタラメなことが起きていることが判明しました・・・

関西地方の梅雨入りは5月16日(例年より21日早い)
関東甲信越地方の梅雨入りは6月14日(例年より7日遅い)

わが兄たちや妹、甥や姪、その子供たちはみんなみんな首都圏で暮らしています。つまり関東甲信越地方で暮らしておりますので、何となく昨日までは、首都圏で暮らすわが一族?も雨の日々だと思い込んでおりました。GGIは関西の住民を代表して、なんだか大損をしたような気分になってしまいました。

どうしてこんなことになるんだよお~、お天道さまよ、不公平じゃないかよお~

今年は梅雨入りが早かったので、そのぶん、梅雨明けも早くなるのかと思っていたのですが、この調子ではそうとは限らないようであり、GGIは少々ガックリいたしました

結局のところ、日本は広いんだなあ・・・と思うしかありませんでした

今日の写真はわが庵の紫陽花小道を撮ったものです。珍しいものではありませぬが、よろしければクリックしてご覧くださいませ

写真の奥にある裏木戸から手前の勝手口に通じる小道は紫陽花小道です。梅雨時、この小路を通るのは要注意、油断していると、雨の滴が満杯の紫陽花さんの花や葉っぱさんにすこしでも触れたりしますと、待ってましたとばかり、お洋服をびしょ濡れにしてくれるからです。

この小路のなかほどで、画面の左方向に曲がりますと玄関へと通じる小道があります。この小路は秋になると盗人萩街道と化します。何も知らずにこの街道を通って玄関へと向かう礼儀正しき知人は大量の「ひっつき虫」に襲われ、そのまま邸内に上陸、そしてわが居間などにくっつき虫をばら撒いてくれます。ばら撒かれてたくっつき虫たちはその後、さらに邸内の奥深くに全面展開します

ひっつき虫の襲撃を恐れる知人は、盗人萩街道を避けるために、裏木戸から紫陽花小道を直進して勝手口に到達、勝手口のドアがドンドンと乱暴にたたき、叫びます。「おい、ひっつき虫が襲ってくる、助けてくれ、はやくドアを開けてくれぇ!」

ここしばらく梅雨の晴れ間が続きましたが、今日はまた雨になりそうです・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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