もたもたしておりますうちに大晦日になってしまいました
今年もだらだらとまとまりのない駄文日記におつきあいくださり、貴重な時間を無駄に費やしてくださったみなさんに、ご迷惑をお詫びするとともに、心からあつく御礼申しあげます。
ある作家の言によりますと、駄文の駄は駄犬の駄だそうでありますが、駄文の駄は無駄の駄でもあります。「駄」という漢字には何~んにもいい意味はありませんので、とても可哀そうな漢字です。でも、人生は結局のところ無駄の連続であるかもしれませんので大切な漢字でもあります。そういえば駄駄イズム(ダダイズム)なるものもかつてありましたね、あれは芸術をとおして無駄の極致を目指していたのでせうか?
などなど,駄弁はこのくらいにしまして、とにかく明日は新年です。
ところで、新年はどうやってやってくるでせうか、どこから来るのでせうか・・・・
むかし「朝はどこからくるでしょう」という歌がありましたが、その歌詞の内容は「光の国からくるかしら、いえいえそうではありません、朝は明るい家庭から」というまことに非科学的なものでした。これでは暗い家庭、あるいは必ずしも明るくはない某知人の家庭や苦労を抱えていて明るくなりようがない、それに独居老人などには朝が来ないことになるではありませんか!とんでもありません、そうではないのです、朝は光の国から、みんなに等しくやって来るのです!
新年は光に乗ってやってきます、光は東方から参ります。
今日の写真はわが庵の少し先にある湖をまたいでいる橋の袂から、東に方に向かって撮ったものです。
つまり、新年の光は、この橋の彼方、この画面の奥の方からやってまいります。よろしければクリックして新年の光が射してくる方向をご覧になって、新しき年に新たなる希望を託してくださいませ
コロナ禍が息を吹き返しつつあるようですが、みなさんに良き年が訪れますよう、お祈りいたします。最後に、新年、みなさんにいいことがありますよう、川崎洋という詩人の「喜び」という詩を紹介しておきます
喜び
一生に一度くらいは
ありきたりのそれと違う
脳天を突き抜けるような
超弩級の喜びが
ありますように
一人一人
誰にでも皆に
悲しみは
願わずとも
数え切れぬほどですから
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
今年もだらだらとまとまりのない駄文日記におつきあいくださり、貴重な時間を無駄に費やしてくださったみなさんに、ご迷惑をお詫びするとともに、心からあつく御礼申しあげます。
ある作家の言によりますと、駄文の駄は駄犬の駄だそうでありますが、駄文の駄は無駄の駄でもあります。「駄」という漢字には何~んにもいい意味はありませんので、とても可哀そうな漢字です。でも、人生は結局のところ無駄の連続であるかもしれませんので大切な漢字でもあります。そういえば駄駄イズム(ダダイズム)なるものもかつてありましたね、あれは芸術をとおして無駄の極致を目指していたのでせうか?
などなど,駄弁はこのくらいにしまして、とにかく明日は新年です。
ところで、新年はどうやってやってくるでせうか、どこから来るのでせうか・・・・
むかし「朝はどこからくるでしょう」という歌がありましたが、その歌詞の内容は「光の国からくるかしら、いえいえそうではありません、朝は明るい家庭から」というまことに非科学的なものでした。これでは暗い家庭、あるいは必ずしも明るくはない某知人の家庭や苦労を抱えていて明るくなりようがない、それに独居老人などには朝が来ないことになるではありませんか!とんでもありません、そうではないのです、朝は光の国から、みんなに等しくやって来るのです!
新年は光に乗ってやってきます、光は東方から参ります。
今日の写真はわが庵の少し先にある湖をまたいでいる橋の袂から、東に方に向かって撮ったものです。
つまり、新年の光は、この橋の彼方、この画面の奥の方からやってまいります。よろしければクリックして新年の光が射してくる方向をご覧になって、新しき年に新たなる希望を託してくださいませ
コロナ禍が息を吹き返しつつあるようですが、みなさんに良き年が訪れますよう、お祈りいたします。最後に、新年、みなさんにいいことがありますよう、川崎洋という詩人の「喜び」という詩を紹介しておきます
喜び
一生に一度くらいは
ありきたりのそれと違う
脳天を突き抜けるような
超弩級の喜びが
ありますように
一人一人
誰にでも皆に
悲しみは
願わずとも
数え切れぬほどですから
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!