UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

パレスチナから遠く離れて(その一):湾岸戦争と法王とイスラエルと私と

2023-10-29 01:17:43 | 日記
むかし、ベトナム戦争が激しくなったころ、「ベトナムから遠く離れて」というフランス映画(1969)がありました。ゴダールやアラン・レネなど著名な監督らによる反戦ドキュメンタリ―映画です。また「べ平連」(ベトナムに平和を市民連合)の小田実氏は後年、同じ題名の小説を著しています。今日の日記は、この題名をまねて、「パレスチナ(紛争)から遠く離れて」と題してみました。

先日、某知人と長電話をしておりましたら、いま危機的状況にあるパレスチナ紛争の話になってしまいました。私はたいしたことは何も知らないくせに知ったかぶりで話していましたら、知人曰く、

「おまえなあ、不勉強で何も知らないくせにエエかっこしたがるテレビのアホ・コメンテーターのまねなんかして恥ずかしくないか、パレスチナやイスラエルとおまえとの間に何か関係でもあるというのか?」

「恥ずかしいです・・・でも、ああ、それ、グッドクエスチョンです、残念ながら私どもは、ほんの若干ですが関係があるのです、イスラエル当局と・・・」

「えっ!おまえがイスラエルと?いつもお得意の口から出ませでないのか!」

「でまかせなんかではございませぬ、私は正直ものです、実はなあ、いまから30年ほど前に、湾岸戦争というのがあったやろ、覚えてるか? あのときに、私とイスラエルの間に若干の何というか・・・」」

「ああ、覚えてる、1991年の1月から2月にかけての短い戦争や、前年の夏にイラクが産油国クウェートに侵攻したのはケシカランといって米国が中心となった「多国籍軍」がイラクに攻め込んで荒らしまくった戦争、ボディ・カウントもせずにイラク兵の死体をブルドーザで砂漠に埋めてから引き揚げたという戦争や、でもわずか一カ月間少々の戦争、地上戦はわずか数日、米軍の圧勝」

「そうや、よう覚えてるなあ、あのなあ、あのとき日本は海部首相やった、彼は、派兵は断ったけれど、米軍の戦費の一部は負担するといって90億ドル(当時のレートで約1兆2千憶円)を気前よく出した、それなのに何も感謝されず、次は血を流せなどと乱暴なこと言われて・・・その結果、後に日本はイラクに派兵・・・」

「それとイスラエルとどういう関係があるのや?」

「よく聞いてくれました、湾岸戦争のとき、日本のメディアはたいして報道しなかったけれど、当時のローマ法王は『欧米を中心とした多国籍軍による侵攻、これは新たな十字軍に他ならない。このため、私は湾岸戦争に強く反対する』と明言したんや、『十字軍』というのは12~13世紀ごろ、欧州のカトリック諸国が聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことや、法王は同じ歴史的過ちを犯すなと言ったのです。ローマ法王はキリスト教国が多い欧米諸国では今でも大きな政治的影響力を持っています。私はキリスト教徒ではありませぬ、けれど、新たな十字軍だとするローマ法王の発言は正しい、法王の歴史感覚・歴史認識は正しいと、私は確信したんや」

「そうかぁ・・・でも確信するだけならサルでもできる。そこで君は何をしたんや?」

「再びグッドクエスチョンです。お答えします。確信した結果、『私は湾岸戦争に反対です、したがって日本が1兆円余りを戦費として負担することにも、日本の一市民として強く反対します。私の意をくんで、どうか貴国も湾岸戦争に反対していただきたい。また、日本政府に戦費の一部を負担することを止めるよう求めてください』というブロークン英語の手紙を用意して、40~50カ国ぐらいの各国の大使館にばらまいたのでありました。大使館名簿の最後に『ヴァチカン大使館』というのが掲載されていたので、軽い気持ちで、ついでに大使館気付でローマ法王にも手紙を送っておいたのです」

「へえ~、物好きやなあ、そんなものだしても返事なんか来ないのとちがうか・・・」

「そのとおり、たいして返事は来んかった、でも何カ国からは返事がきた、その中には『貴殿の意見は理解した、本国へ伝達する』というまともな返事のものもあった、でも、ここでまったく予想外であったのはいま世界を騒がせているイスラエルや、一番早く返事があったのはイスラエル大使館。しかも義理で返事しただけといった形式的なものではなく、何やら文書が同封されていた・・・」

「文書?いったいその文書に何が書いてあったのや?」

「イスラエル大使館は実に用意周到やった、『湾岸戦争におけるイスラエルの立場』と題した文書や。しかも日本語で書かれていた。湾岸戦争ではイスラエルは交戦国ではないものの微妙な立場やった。イスラエルという国家の建国以来後ろ盾になってくれていた米国が中心となった戦争に反対するわけにはいかない、かと言って賛成すれば周辺のイスラム諸国から強い反発が予想され、場合によっては戦争に巻き込まれかねない・・・というわけで、どっちつかずの中立的あいまいな立場を取らざるを得ない・・・・しかし、いずれ日本の市民からも戦争に反対しろという声が大使館に届くことになるだろう。その時に備えて説明の文書を用意しておいたというわけや、それだけではなく『ほかにも様々な資料を用意しています、御入用の場合は遠慮なくご請求ください』とまで書き添えてあった。以上が私とイスラエルの密かな関係でございます」

「ふ~ん・・・それでお前さん、イスラエルに丸め込まれたというわけか?」

「まあなあ・・・結果としてそういうことになるかもしれんなあ・・・そやけどなあ、実はイスラエルからの返事よりもっともっと大切な返事が某大使館から来たんや・・・」

「どこの大使館からや?米国からか」

「ブー、もっとすごいところからでした、ヴァチカン大使館からです、ローマ法王からの正式の返事や!!」

「ほんとか!どんな返事や、内容は?」

「あのなあ、法王庁の紋章が入ったハガキ大のカードに返事が記されていた、『法王はあなたに代わって神にお祈りになりました』と。つまりですねぇ、戦争反対という私の気持ちは法王を介して神に伝わったのであります、このカードの他に、法王が湾岸戦争に強く反対していることを報じる英字新聞の記事と法王の近影であるカラー写真が同封されていたというわけ。まあな、何の気休めにならんやろうけど、何にもしないよりはましやろう、という自己満足話でございます・・・」

「後で知ったのですが、当時ヴァチカン放送を短波放送で聞いていた作家の堀田善衛氏は『ヨーロッパでは法王の政治的影響力は大きなものであり、何か重要な政治的問題が起きると、人々は、ヴァチカンは何と言っているのだと注目する。湾岸戦争当時、周りの関係者が法王の身の安全を危惧するほど、法王は強硬に湾岸戦争に反対していた』と、ある短いエッセーで書いていました」

「分かった、ご苦労であった。ところで、先行きまったく不透明のイスラエルとパレスチナ紛争、この先、いったいどうなると思う?」

「よくぞ聞いてくれました。パレスチナから遠く離れて・・・しかし、今後どうなるのかは、はっきり申し上げることができます。でも、もう長話が長くなり過ぎて腹が減ったので今日はやんぺ、いずれこの日記にでもちゃんと書くつもりですから、お暇なら時間つぶしに読んでやってくださいませ」

今日の写真はピンボケの地球儀です、パレスチナがどこかに映っています。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
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「国体」はなくなるけれど「国体」はなくならないという話、あるいは「国体」問題・・・

2023-10-25 00:16:46 | 日記
「国体」すなわち「国民体育大会」というものがありますね。すべての都道府県の運動選手が競い合う大会であり、天皇・皇后など皇室のメンバーが臨席して行われます。男子の優勝チームには天皇杯が、女子の優勝チームには皇后杯が授与されます。ですから、「国体」は天皇家ときわめてゆかりの深い国民的イベント、換言すれば国家的行事なのです。

わが湖国は再来年2025年に国体を開催することになっていました。このため何年も前から、県予算の1割をも投じて主会場となる運動施設をあらたに建設したり整備してきました。ところが、とつぜん「国体」はなくなってしまいました・・・来年からは「国体」はなくなってしまうと先日報じられていました・・・誰が決めたのか、国体=国民体育大会という名称をやめにして「国民スポーツ大会」という名称にするそうです。でも、国民体育大会は「国体」という略称が使えますが、来年からはどうするのでしょうか?「国スポ」とでも略するのでしょうか?何かしまりませんねえ・・・

ところで「国体」という言葉にはもう一つの意味があります。国家の状態やあり方を示す言葉としても「国体」という言葉が用いられます。より具体的には、主権の所在によって区別される国家形態を指す言葉であり、たとえば、共和制・君主制などを指しますが、日本の場合、憲法の第一条で「天皇は国民統合の象徴」とされていますから、日本の国体は天皇制であることを意味しています。ですから、このたび一方の「国体」はなくなるものの、もう一方の「国体」はなくなりませぬ。かつて巨人軍の長嶋監督は「巨人軍は永遠に不滅です!」などとのたまわっていましたが、一方の「国体」はなくなっても、もう一つの「国体」は、不滅とまでは言えないとしても、今のところなくなる気配はありませぬ。

これまでは、国体すなわち国民体育大会の開催に際して、もう一つの「国体」であるところの天皇・皇后が隣席する場合は、「わが国体の象徴に失礼があってはならぬ」と主催県では大厳戒態勢が敷かれるのが常です。首相なんかよりもずっと厳重な警備が行われます。首相の代わりなんかいくらでもいるのですが、天皇の場合は・・・ですから、天皇に向けて何かが飛んできたりしたら、関係者はただちに引責辞任、昔風に言えば、切腹ものです。このようなことを考えますと、「国民体育大会」であるところの「国体」はもう一つの「国体」(天皇制)を具現するものであると言えるのでありませう。すなれわち「国体」=「国体」なのであります。今後も「国民スポーツ大会」はこれまでの「国体」と実質的に同じものでありますから、今後も「国体」=「国体」であり続けるでありませう・・・

二次大戦で米国に負けるまでは、天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方を指す言葉として「国体」という言葉が盛んに用いられていました。国体命!というわけです。いよいよ敗戦が避けられなくなった1945年夏、連合国側が7月26日、日本に対して最後通牒「ポッダム宣言」を突き付けました。このため無条件降伏を求めるポッダム宣言を受け入れるか否か、天皇を前にしての御前会議(首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍と海軍の参謀総長などが首席)が何度も行われました。ポッダム宣言を受け入れた場合、果たして「国体」は「護持」されるのか否か、すなわち天皇制が維持されるか否かで激論。軍関係者は「国体」は護持されないとして、しゃにむに宣言受け入れに抵抗・・・そうこうするうちに8月6日に広島、9日に長崎、原爆が投下され、もう敗戦を受け入れるしかないという事態に至りました。この期に及んでも往生際の悪い軍人たちの抵抗で何も決まらなかったのですが、8月10日になって、ようやく、「国体が護持される」というのであれば無条件降伏を受け入れると連合国側に通告、しかし8月12日に返事が来たものの「国体」については何も触れていませんでした。

連合国側の回答をどう解釈するかをめぐって、議論は再び膠着状態となりましたが8月14日、御前会議でがやっと天皇が議論を打ち切り「このまま戦を継続しては国土も民族も国体も破滅する」と無条件降伏受け入れを決断,翌8月15日、天皇がいわゆる「玉音放送」で国民に向けて「終戦」を宣言するに至りました。

もう数週間早く、いや、もう十日早く、国体護持を云々することなくポッダム宣言による無条件降伏を受け入れていれば、広島と長崎に原爆を投下されることはなかったのです・・・・広島と長崎の市民は「国体」の犠牲になったのです・・・

しかしながら、結果として「国体」は形を変えて戦後も「護持」されております。これらかも、一方の国体はなくなっても、もう一方の国体は存続します。「国体」が「国民スポーツ大会」になっても、天皇家が臨席し、天皇杯・皇后杯を競う限りは、なんだか禅問答みたいでありますが、依然として「国民スポーツ大会」=「国体」ですから、「国体」=「国体」なのです!

ついでながら申し上げますと、再来年のわが湖国における「国体」あらため「国民スポーツ大会」の主会場は、幕末、当時の国体であったところの「鎖国」をやめ開国を断行した後、反対派を粛正したために暗殺された井伊大老のおひざ元である彦根に新たに建設された陸上競技場です

今日の写真は今年の鹿児島国体の主会場です。鹿児島の会場に勝るとも劣らぬリッパなリッパな新品の競技場で彦根に出現するでありませう!とのかく「国体」はいずれの意味であっても大変おカネがかかるのです!もちろん、このお金は国民が負担するのです・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!。
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秋の空、雲の名前がわからない・・・

2023-10-22 22:51:42 | 日記
夏がこれまでにない猛暑だったせいでしょうか、その反動なのでしょうか、今年の秋の空、一段とさわやかなように感じられます。昨日の午後、なんとなく空を見上げましたら、雲が空一面に漂い、素晴らしい光景を呈しておりました。

今日の写真はこの雲さんを撮ったものです。ぜひクリックしてご覧になってくださいませ

夏には目にすることがないあの雲、何て言う雲なんだろう・・・気にかかりましたので、珍しくネットさんの力を借りてまじめに勉強してみました。それで分かったのですが、いろいろな雲の名前があるものの、雲の種類はたったの十しかないとのこと、雲は現れる高度によって分類されているそうです。私をまねてまじめに勉強しようという感心な方は以下のサイトなどをご覧になってください
【完全図解】雲の種類・名前・英語名 一覧集 まとめ | よろず屋みっつん (mittun-zakki.com)

お勉強の結果、今日の写真の雲は通称「すじ雲」とされているところの、上層雲(高度5000~13000mに生じる雲)の一種である「巻雲」(けんうん)であろうという結論に達しました。でも確かではありませぬ。でも、間違っていても命に別状はございません

みなさんも、お忙しい日々かと存じますが、晴れている日、雨が小粒の真珠になって降ってくることはありませんが、たまには空を見上げてみてはいかがでしょうか、決して損はいたしませぬ

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蓮如さま、確かにおっしゃるとおりですが、それでもなあ・・・

2023-10-17 00:28:05 | 日記
昨日の午後、郵便局で雑用を済ませたり、郵便局の近くのスーパーで買い物したり、よそ見をしたりしながら旧東海道をふらふら歩いて帰ってきましたら、近くの真宗大谷派のお寺の門前で百年以上もお商売を営んでいる酒屋さんの手前で、店主のお母さんである丸顔の元気のよい人物に遭遇、たがいにベテラン後期高齢者でありますので、あれこれ近所の出来事などを話しているうちに、いつのまにか、お墓の話になっていました。

「そろそろ墓じまいを考えないといけない年になってしまいました。でも、うちの先祖は土葬だったりしますので、タイヘン・・・なんとかしないといけないと思ってはいるのですが・・・」

「土葬ですか!たいへんやなあ、お墓ねえ・・・いや、さっき郵便局で、父母の墓がある墓地の管理費を振り込んできたところなんです。お墓はJRの駅の向こう、国道一号線沿いの墓地にあるのですが、ぼくの兄弟はみんな東京の方にいってしまったから、ボクが死んだら、父母の墓は放りっぱなしになりかねんなあ、などと思ったりは、時おり思ったりはするのですが、ただ思ったりするだけで・・・「お墓のない人生ははかない人生です」という墓石屋さんのコマーシャルがむかしありましたが、でも墓があればいいってものでもないですよねえ・・・ほんとに、そんなこと考えなければならない年になってしまいましたね・・・」

しばらく立ち話して別れて歩き始めましたら、酒屋さんの真向かいにあるお寺の掲示板が目に入りました。このお寺の掲示板のことはこれまでに何度も紹介しておりますが、このたびは「ははぁ、おっしゃる通りでございます」と思わず胸に手をあてると申しますか、頭を垂れざるをえないことが記されておりました。

今日の写真はこの掲示板を撮ったものです。クリックしてご覧になり、しかとご覧になってくださいませ

我やさき
人やさき
きょうともしらず
あすともしらず
    蓮如上人 白骨のお文

真宗大谷派の主である蓮如さんがどれほど立派な人物であるのか、あるいはそうでないのかは、縁なき衆生である私の関知するところではありませぬが、おっしゃっていることは確かでございます、蓮如さまのお言葉・・・きょうともしらず、あすともらずかあ・・・なかなか身に滲み過ぎるぐらい身に滲みるのですが、でもなあ・・・

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確かに雨は小粒の真珠でした・・・

2023-10-16 01:15:36 | 日記
むかしむかし、若かりしころ
「雨が小粒の真珠なら」という歌詞で始まる歌謡曲がありました
フランク永井さんが歌っていた「雨の中の二人」と題された歌です

雨が小粒の真珠なら
恋はピンクのバラの色・・・

ここまでしか歌詞は知らないのですが
昨日の朝、ガラス戸を開けて外に目をやりましたら
わが庵の生け垣に小粒の真珠が鈴なりになっておりました

朝方に降った雨が転じて小粒の真珠になったのでありませう

確かにフランク永井さんが歌っていたように
雨は小粒の真珠になるのです
フランク永井さん、ありがとう

今日の写真は雨が小粒になることの証拠写真です。よろしければクリックしてご覧くださいませ

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