天皇の代替わりなど、最近は天皇や皇室についてのニュースが連日テレビの画面を賑わせていますね
みなさんはともかく、GGIは天皇や天皇制については何か知ってるような気にはなっていても、一歩突っ込んで考えますと実はきわめてあいまいな知識しか持ち合わせおりません。その実態はいかなるものかなどと聞かれたら、ただただ戸惑うしかありませぬ・・・・
でも、一度だけでありますが実物の天皇を見たことがあります。前天皇がまだ皇太子であったころのことかもしれませんが確かではありません。植樹祭かなにかが湖国であったときのことです。
わが八重葎庵の前の大通り、向こう側の車線を天皇夫妻を乗せた車が通ったときのことです。ほんの一瞬のことでありました。庵のガーデンに立っていたステテコ姿のGGIの視線と後部座席の右側つまり観衆のみなさんがたむろしている歩道とは反対側の席に座っていた天皇の視線が偶然遭遇してしまったのでありました。歩道寄りの左側の席には奥さんが座っていて歩道の観衆に手を振っていたのですが、天皇は所在無げに右側の車窓から外を眺めていてGGIの晴れ着であるステテコ姿を目にしてしまったのです・・・
また、昭和天皇のお葬式つまり《大葬の礼》なるものの前日、GGIは京都御所を表敬訪問したことがあります。人影はきわめてまばら、入り口では警官が肩から下げたトランシーバーをつけっぱなしにして長い警棒を持って待ち受けていたり、御所の砂利道を常にパトロールカーが巡回していたり、木々の茂みの陰には警察の車両があちこちに密かに配置されているなど大厳戒、皇族や葬儀に列席する外国の要人など、関係者の身辺警護だけではなく天皇に関連がある施設までをもかくも厳重に警戒するのかと、GGIは天皇制なるものの一端を実感いたしました
個人的にはこの程度の体験と言うほどのものではない体験しかありませんので、天皇の代替わりを機会に、すこし反省して天皇や天皇制について、少しマジメに勉強してみることにしました
そこで手始めに、昭和天皇が敗戦から二年後、1947年(昭和22年)の年末に広島を訪問したときの写真を探し出して眺め、若干の研究を試みました。大群衆を前に広々とした「お立ち台」に立った天皇が帽子を持った右手を高々とあげて振っている有名な写真です。本の表紙に使われるなど、いろいろのところで紹介されていますのでご存知の方もおられることでありませう。
今日の写真はこの写真をネットさんから勝手に借用いたしました。この写真をこれまでご覧になったことのない方はぜひクリックしてご覧になり、しかと御観察くださいませ。遠くに原爆で破壊された「原爆ドーム」で知られる「広島県産業奨励館」が写っています。また、まだ占領下でありましたので、連合軍の兵士の姿も見受けられます
原爆が投下された広島、果たして天皇は歓迎されるのか危惧されていたのですが、写真でわかりますように多数の人々が押し寄せ、大歓迎のようであります。
今日の写真、どうやら米軍が撮影したフィルムの一場面のようであり、最近はこの米軍撮影のフィルムが動画でネットに掲載されております。
そこで動画を見て見ましたら、一段を迫力に満ち満ちたたものでました。写真では分らない意外な事実がわかりました。
天皇の姿を一目見ようと押し寄せた群衆、あちこちで大波の如くうねり、大きな歓声を上げ、両手を挙げているのです。どうやら懸命に万歳三唱を行っているようです。広場のあちこちから声が挙がっています
天皇陛下万歳!万歳!万歳!漫才!
敗戦からまだわずか1年半、広島市内は一面焼け野原、復興には程遠い時期のことです。この群衆の姿と広場のあちこちから湧き上がる大歓声、その熱狂的ともいえる歓迎ぶり・・・正直申しまして、これだけの熱狂的ともいえる大歓迎ぶりはGGIの想像をはるかに超えたものでありました。人々の熱狂ぶりはサッカーやプロ野球のフアンの比ではなく、GGIにとりましてはなかなかの衝撃でありました。72年目の衝撃です。
かようなしだいで、この動画もご覧になるよう熱烈にお勧めいたします
なお、昭和天皇は1975年10月末、訪米して帰国した際の記者会見で言葉を選びながら淡々と「広島市民には気の毒であるが戦争中のことであり、原爆投下は遺憾であるがやむを得なかった」と述べています。この記者会見の様子も動画で掲載されておりますのでよろしければご覧くださいませ
天皇の存在はやはり複雑怪奇なり、というのがGGIの感想でございます・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!
みなさんはともかく、GGIは天皇や天皇制については何か知ってるような気にはなっていても、一歩突っ込んで考えますと実はきわめてあいまいな知識しか持ち合わせおりません。その実態はいかなるものかなどと聞かれたら、ただただ戸惑うしかありませぬ・・・・
でも、一度だけでありますが実物の天皇を見たことがあります。前天皇がまだ皇太子であったころのことかもしれませんが確かではありません。植樹祭かなにかが湖国であったときのことです。
わが八重葎庵の前の大通り、向こう側の車線を天皇夫妻を乗せた車が通ったときのことです。ほんの一瞬のことでありました。庵のガーデンに立っていたステテコ姿のGGIの視線と後部座席の右側つまり観衆のみなさんがたむろしている歩道とは反対側の席に座っていた天皇の視線が偶然遭遇してしまったのでありました。歩道寄りの左側の席には奥さんが座っていて歩道の観衆に手を振っていたのですが、天皇は所在無げに右側の車窓から外を眺めていてGGIの晴れ着であるステテコ姿を目にしてしまったのです・・・
また、昭和天皇のお葬式つまり《大葬の礼》なるものの前日、GGIは京都御所を表敬訪問したことがあります。人影はきわめてまばら、入り口では警官が肩から下げたトランシーバーをつけっぱなしにして長い警棒を持って待ち受けていたり、御所の砂利道を常にパトロールカーが巡回していたり、木々の茂みの陰には警察の車両があちこちに密かに配置されているなど大厳戒、皇族や葬儀に列席する外国の要人など、関係者の身辺警護だけではなく天皇に関連がある施設までをもかくも厳重に警戒するのかと、GGIは天皇制なるものの一端を実感いたしました
個人的にはこの程度の体験と言うほどのものではない体験しかありませんので、天皇の代替わりを機会に、すこし反省して天皇や天皇制について、少しマジメに勉強してみることにしました
そこで手始めに、昭和天皇が敗戦から二年後、1947年(昭和22年)の年末に広島を訪問したときの写真を探し出して眺め、若干の研究を試みました。大群衆を前に広々とした「お立ち台」に立った天皇が帽子を持った右手を高々とあげて振っている有名な写真です。本の表紙に使われるなど、いろいろのところで紹介されていますのでご存知の方もおられることでありませう。
今日の写真はこの写真をネットさんから勝手に借用いたしました。この写真をこれまでご覧になったことのない方はぜひクリックしてご覧になり、しかと御観察くださいませ。遠くに原爆で破壊された「原爆ドーム」で知られる「広島県産業奨励館」が写っています。また、まだ占領下でありましたので、連合軍の兵士の姿も見受けられます
原爆が投下された広島、果たして天皇は歓迎されるのか危惧されていたのですが、写真でわかりますように多数の人々が押し寄せ、大歓迎のようであります。
今日の写真、どうやら米軍が撮影したフィルムの一場面のようであり、最近はこの米軍撮影のフィルムが動画でネットに掲載されております。
そこで動画を見て見ましたら、一段を迫力に満ち満ちたたものでました。写真では分らない意外な事実がわかりました。
天皇の姿を一目見ようと押し寄せた群衆、あちこちで大波の如くうねり、大きな歓声を上げ、両手を挙げているのです。どうやら懸命に万歳三唱を行っているようです。広場のあちこちから声が挙がっています
天皇陛下万歳!万歳!万歳!漫才!
敗戦からまだわずか1年半、広島市内は一面焼け野原、復興には程遠い時期のことです。この群衆の姿と広場のあちこちから湧き上がる大歓声、その熱狂的ともいえる歓迎ぶり・・・正直申しまして、これだけの熱狂的ともいえる大歓迎ぶりはGGIの想像をはるかに超えたものでありました。人々の熱狂ぶりはサッカーやプロ野球のフアンの比ではなく、GGIにとりましてはなかなかの衝撃でありました。72年目の衝撃です。
かようなしだいで、この動画もご覧になるよう熱烈にお勧めいたします
なお、昭和天皇は1975年10月末、訪米して帰国した際の記者会見で言葉を選びながら淡々と「広島市民には気の毒であるが戦争中のことであり、原爆投下は遺憾であるがやむを得なかった」と述べています。この記者会見の様子も動画で掲載されておりますのでよろしければご覧くださいませ
天皇の存在はやはり複雑怪奇なり、というのがGGIの感想でございます・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!