UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

72年目の衝撃:大歓声をあげて万歳を三唱する大群衆・・・・

2019-05-31 01:28:38 | 日記
天皇の代替わりなど、最近は天皇や皇室についてのニュースが連日テレビの画面を賑わせていますね

みなさんはともかく、GGIは天皇や天皇制については何か知ってるような気にはなっていても、一歩突っ込んで考えますと実はきわめてあいまいな知識しか持ち合わせおりません。その実態はいかなるものかなどと聞かれたら、ただただ戸惑うしかありませぬ・・・・

でも、一度だけでありますが実物の天皇を見たことがあります。前天皇がまだ皇太子であったころのことかもしれませんが確かではありません。植樹祭かなにかが湖国であったときのことです。

わが八重葎庵の前の大通り、向こう側の車線を天皇夫妻を乗せた車が通ったときのことです。ほんの一瞬のことでありました。庵のガーデンに立っていたステテコ姿のGGIの視線と後部座席の右側つまり観衆のみなさんがたむろしている歩道とは反対側の席に座っていた天皇の視線が偶然遭遇してしまったのでありました。歩道寄りの左側の席には奥さんが座っていて歩道の観衆に手を振っていたのですが、天皇は所在無げに右側の車窓から外を眺めていてGGIの晴れ着であるステテコ姿を目にしてしまったのです・・・

また、昭和天皇のお葬式つまり《大葬の礼》なるものの前日、GGIは京都御所を表敬訪問したことがあります。人影はきわめてまばら、入り口では警官が肩から下げたトランシーバーをつけっぱなしにして長い警棒を持って待ち受けていたり、御所の砂利道を常にパトロールカーが巡回していたり、木々の茂みの陰には警察の車両があちこちに密かに配置されているなど大厳戒、皇族や葬儀に列席する外国の要人など、関係者の身辺警護だけではなく天皇に関連がある施設までをもかくも厳重に警戒するのかと、GGIは天皇制なるものの一端を実感いたしました

個人的にはこの程度の体験と言うほどのものではない体験しかありませんので、天皇の代替わりを機会に、すこし反省して天皇や天皇制について、少しマジメに勉強してみることにしました

そこで手始めに、昭和天皇が敗戦から二年後、1947年(昭和22年)の年末に広島を訪問したときの写真を探し出して眺め、若干の研究を試みました。大群衆を前に広々とした「お立ち台」に立った天皇が帽子を持った右手を高々とあげて振っている有名な写真です。本の表紙に使われるなど、いろいろのところで紹介されていますのでご存知の方もおられることでありませう。

今日の写真はこの写真をネットさんから勝手に借用いたしました。この写真をこれまでご覧になったことのない方はぜひクリックしてご覧になり、しかと御観察くださいませ。遠くに原爆で破壊された「原爆ドーム」で知られる「広島県産業奨励館」が写っています。また、まだ占領下でありましたので、連合軍の兵士の姿も見受けられます

原爆が投下された広島、果たして天皇は歓迎されるのか危惧されていたのですが、写真でわかりますように多数の人々が押し寄せ、大歓迎のようであります。

今日の写真、どうやら米軍が撮影したフィルムの一場面のようであり、最近はこの米軍撮影のフィルムが動画でネットに掲載されております。

そこで動画を見て見ましたら、一段を迫力に満ち満ちたたものでました。写真では分らない意外な事実がわかりました。

天皇の姿を一目見ようと押し寄せた群衆、あちこちで大波の如くうねり、大きな歓声を上げ、両手を挙げているのです。どうやら懸命に万歳三唱を行っているようです。広場のあちこちから声が挙がっています

天皇陛下万歳!万歳!万歳!漫才!

敗戦からまだわずか1年半、広島市内は一面焼け野原、復興には程遠い時期のことです。この群衆の姿と広場のあちこちから湧き上がる大歓声、その熱狂的ともいえる歓迎ぶり・・・正直申しまして、これだけの熱狂的ともいえる大歓迎ぶりはGGIの想像をはるかに超えたものでありました。人々の熱狂ぶりはサッカーやプロ野球のフアンの比ではなく、GGIにとりましてはなかなかの衝撃でありました。72年目の衝撃です。

かようなしだいで、この動画もご覧になるよう熱烈にお勧めいたします

なお、昭和天皇は1975年10月末、訪米して帰国した際の記者会見で言葉を選びながら淡々と「広島市民には気の毒であるが戦争中のことであり、原爆投下は遺憾であるがやむを得なかった」と述べています。この記者会見の様子も動画で掲載されておりますのでよろしければご覧くださいませ

天皇の存在はやはり複雑怪奇なり、というのがGGIの感想でございます・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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雨の季節が近づいていますよ・・・

2019-05-29 00:14:23 | 日記
一昨日の夕方、買い物から帰ってきて庭を横切ろうとしましたら、足元で小さな声がしました

「もしもし、GGIさん・・・もしもし・・・」

だれかと思ったらドクダミさんの小さな白い花でした

「もしもし、GGIさん、お久しぶりですね、またしばらくおじゃまさせていただきますのでよろしくお願いいたします」

「誰かと思ったらドクダミさんか・・・・もうそんな時期なんだなあ」

「そうですよ、私たちがこのお庭にやってきますと、私たちにくっついて、やがて梅雨さんがやってくるのです」

ドクダミさんの言葉の通りでした。昨日は雨になりました・・・

そこで昨日、小雨に濡れたドクダミさんの花に聞いてみました

「もう雨が降るなんて、少し梅雨さん、来るのが早すぎたんじゃない?どうなっているの」

「ご心配なく、今日雨が降ったのは、GGIさんと私たちの会話をたまたま聞いていた梅雨さんが、そうだもうボクたちのシーズンなんだとあわてて、とりあえず一雨降らせておこうと思ったからでせう」

「そんな気まぐれなことでは困るなあ、梅雨さんにあわてないよう言っておいてくれない」

「わかりました。ちゃんとお伝えしておきます。でも、とにかく本格的に梅雨さんがやってくるまでにはまだちょっとお時間があるでせう・・・ところでGGIさんは雨がお嫌いですか?」

「嫌いというわけではないけれど、雨が降りそうだと思って傘を持って外出するとさっぱり降らないし、まだ降らないだろうと思って外出すると必ず途中で降られてしまって、おかげで途中であわてて買った安物の傘が増える一方だし、それに降っているので傘をさして出かけると途中で止んでしまって傘をどこかへ置き忘れる羽目になったり・・・とにかく雨は厄介だから苦手なのです」

「あら、GGIさんにも結構悩み事があるのですね、でも、雨に歌えば!と楽しく暮らすこともできるのですよ」

「ありがとう、でもなあ、この年になって、雨に歌っていたりすると、あのオッサンいよいよオツムがパーなってきたのちゃうかと嗤われかねんしなあ・・・まあ、とにかく梅雨さんに言っておいてください、君たちが来るのはせめて6月になってからにしてほしいと・・・」

今日の写真は一年ぶりにやってきたドクダミさんの姿を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

夕闇の中に浮かぶように点々と咲いている白い小さな花・・・何か幻を目にしているような気がいたします

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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「英霊」と讃えるだけで百万人以上もの戦没者を永遠に野ざらしにする国・・・

2019-05-27 01:33:51 | 日記
みなさん、「戦没者」の定義をご存知でしょうか。この言葉は1952年(昭和二十七年)四月に制定された戦傷病者戦没者等援護法によりますと、旧日本軍の軍人・軍属等で公務上死亡した方を意味しています。この法律でいうところの「戦没者」のほかに外地での戦没した民間人約30万人、内地での戦災死者50万とされており、計300万人以上が二次大戦で命を落としています。

先の大戦における「戦没者」、つまり亡くなった兵士の数は約240万人とされていますが、
これらの兵士の約半数は戦死ではなく餓死や戦病死であるとされています。しかも、後に示す最近の毎日新聞の記事によれば、遺骨が収容された人の数は127万6000人に過ぎず、残りの112万4000人の遺骨は未だに収容されず、アジア太平洋地域で野ざらしにされたままになっています・・・つまり、「戦没者」の半数近く(47%弱)の遺骨は戦後73年余が過ぎているにもかかわらず、未だに異国の地に放置されていることになります。

戦争に駆り出された人々の半数の遺骨が、100万人もの人々の遺骨が70余年を経たいまでも放置されている・・・これは国家の怠慢です。日本政府の怠慢以外の何ものでもありません、ということを2015年3月24日の日記に書きました

この4年前の日記では、民主党政権時代、かつての激戦地「硫黄島」にいまだに多数の日本
の兵士たちの遺骨が放置されていることを2010年12月に現地を訪れて初めて知った管首相が、硫黄島の遺骨収集のために数億円の予算措置を行ったことについて書きました

その後どうなったか、果たして硫黄島の遺骨は回収されたのであろうかと思いながらほとんど忘れてしまっておりましたら、5月24日の毎日新聞が「戦没者遺骨 米と覚書」と題されて記事「戦没者遺骨 進まぬ特定」と題された関連記事を掲載していました。以下の内容はこれらの記事に基づくものです。

これらの記事によりますと、2016年になって、遺骨収集推進を目的とした、遺骨の収容を国の責務と定めた「戦没者遺骨収集推進法」と称される法律がようやく制定されています。あまりにも遅きに失した法律の制定ですが、とにかく法律ができたのですから法の目的に沿って遺骨の収集が進められなければなりません。この法律では2024年度までの9年間に集中的に遺骨収集に取り組むことが定められているとされています。

ところが、法律は制定されたものの遺骨収集の進捗状況は遅々たるものです。この法律施行後の3年間の収容数は年1000体にも達していないのです。このままでは、国が目標としているとされている60万体の収容要完了まで600年をも要することになります。なんとも気の遠くなるような話です・・・こんなことでは、未だ収容されていない112万人の兵士、かつて「海行かば 水漬く屍」「山行かば 草生す屍」と化すことを強いられた「皇軍」兵士たちの遺骨の大半は、このままでは新元号の世になっても、事実上永遠に野ざらしにされることになるといっても過言ではないでありませう。

このように国のために戦うことを命じた多数の兵士たちの遺骨を永遠に野ざらしにするような国家に、軍隊を持つ資格はありません。国のために戦え、戦争に行けと命じはするけれど、しかし死んでも遺体のことは知らんというのでは国家の体をなしていません。

アベ君よ、「英霊」に感謝する前に、憲法改正を云々する前に、自衛隊の増強に走るまえに、米国から目玉の飛び出るような高価な兵器を買うまえに、いくらお金と手間がかかろうとも、今なお異国の地に野ざらしにされている兵士たちの遺骨の収集に最大限の努力を払うことが首相として最も重要な責務であることは明らかです。アベ君よ、このこと抜きに、日米同盟がどうのこうの、日米安保がどうのこうの、自衛隊がどうのこうの、ヤスクニ参拝がどうのこうの、新安保法制がどうのこうのと言う資格は、君にはまったくないのです。

GGIは面白半分でこのようなことを書いているのではありません。幸いGGIの父は戦場に赴くことはなく戦死せずに済みましたが、叔父の一人はビルマで「戦病死」したとされており、もう一人の叔父は沖縄で「戦死」したとされております。しかし、二人とも遺骨はありません。戻ってきたのは現地の石ころや戦友が届けてくれたわずかな遺品だけでありました・・・

参考のために毎日新聞の記事に掲載されていた地図から、地域別の戦没者数と残置遺骨数を示しておきます

              戦没者数    残存遺骨数
硫黄島             2万1900    1万1450
中国(ノモハンを含む)     71万1100   23万3300
インド             3万      1万50
ミャンマー・タイ・ベトナムなど 17万400    5万1840
フィリピン           51万8000   36万9470
沖縄              18万8100   690
中部太平洋           24万7000   17万3050
インドネシア・北ボルネオ    4万3400    2万5460
東部ニューギニア・西イリアン  18万600    9万5760
ビスマーク・ソロモン諸島    11万8700   5万7750
朝鮮半島・台湾         9万5400    4万3690
ロシア(旧ソ連・モンゴル)   5万4400    3万2500
アリューシャン(樺太・千島を含む) 2万4400   2万2600

硫黄島は米国からの返還後、東京都に属していますが、海上自衛隊と航空自衛隊の基地が建設されています。基地関係者以外の民間人の全島への立ち入りが制限されており、旧島民らは慰霊などのための上陸だけを例外として許されています。管首相(当時)は先に記したように遺骨収集を行うとして予算措置は行ったものの、上記の数字からその後遺骨収集はほとんど進んでいないのではないかと推測されます。

GGIは、政府は硫黄島に自衛隊の基地を建設する前に、徹底して遺骨収集を行うべきであったのです。自衛隊の基地を建設してしまってからの遺骨収集では順序がまったく逆です。

いったい政府には何を考えているのでありませうか。このような愚かな行為の結果、場合によっては自衛隊の基地の地下に遺骨が眠っていることも考えられます。野ざらしにされたかつての日本軍兵士の遺骨の上に建設された自衛隊の基地、なんということでありませうか、なんという国家でありませうか・・・・

今日の写真は毎日新聞の記事を撮ったものです。できるだけ拡大してご覧になってくださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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木漏れ日をキレイに撮るのは難しいのです・・・・

2019-05-25 01:07:13 | 日記
GGIは「さざ波や志賀の都」とかつて歌われたことのある湖都の住民です。ですからわが古都すなわち湖都の枕詞である「さざ波」の美を広く世界に知っていただくべく、GGIは世界でただ一人の誇り高きさざなみフォトグラファーになったのであります。

これまでになかなか優秀なる写真を撮っております。ウソだと思われるはこの日記の先輩に当たる日記、その2010年4月28日の日記4月29日の日記をご覧くださいませ

また、最近は世界で数少ない雨上がり水たまりフォトグラファーでもあります。ウソだと思う人は2017年7月17日の日記などをご覧くださいませ。水たまり写真の第一人者はかの「超芸術トマソン」の発見者であられら故・赤瀬川原平さんであり、同氏の美しき水たまりの写真に刺激され水たまりフォトグラファーになろうと思ったのです

そして現在、GGIは世界で唯一の木漏れ日フォトグラファーを目指しているのですが、まだあまり成功しておりません。木漏れ日はなぜ丸い形をしているかについては、かつて2015年9月21日の日記に書きました。でも、なるほど木漏れ日ってほんとうに丸いんだあ、と感心してもらえる写真を撮ることは容易ではありません。

昨日、夏のような暑い一日でした。空はあくまでも青く、強い日差し、「これは木漏れ日日和だなあ」と思いましたのでが、木漏れ日撮影散歩をいたしました。でも、なるほど丸いなあと一目で納得している写真はとれませんでした。まことに残念でありますが、今日は比較的納得してもらえるかなあと思える写真を掲載しておきますのでご覧いただければ幸いでございます。優れた木漏れ日フォトグラファーとなるべく今後も精進する所存であります!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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ほとけ様、ものは考えようではないでせうか?

2019-05-23 01:12:18 | 日記
GGIが徘徊する界隈、かつての城下町であります。古い町であるせいかお寺さんが結構多いのです。旧東海道など表通りに面しているお寺さん、その多くは武家屋敷のような立派な門構え、そして門の傍らには必ず小さな掲示板が設けられています

そして、この掲示板には有難きほとけ様のお言葉などが墨で書いてあります。例外なくなかなかの達筆です。街歩きの行き帰りにこのほとけ様のお言葉が記されている掲示板を眺めて、じっとお言葉の意味を噛み締めてみるのが仏教とは縁なき衆生であるGGIの数少ない趣味のひとつです

昨日の午後、銀行の近くのお寺の前を通りかかりましたら、有難きほとけ様のお言葉が掲げられていました。

今日の写真はこの有難きお言葉を撮ったものです。どうかクリックしてご覧になり、お言葉をじっくり噛み締めてくださいませ

善い人に会って
教えられ
悪い人に会って
反省すれば
善悪ともに有難い

う~ん、確かにそうかもしれないなあとGGI、しばらくこの有難きお言葉をぼんやり噛み締めておりましたら、若干の閃きのようなものが脳細胞の片隅をかすりました・・・

悪い人に会って
教えられ
善い人に会って
反省すれば
善悪ともに有難い

ということもあり得るよなあ、と思ったのです。
そこでそっとつぶやいてみました

ほとけ様、いかがお考えでありませうか?ものは考えようではありませんか・・・

しばらくしましたら青空のかなたから声が聞こえてまいりました

これ、GGIよ、いま忙しいのだ、ヘンなことを聞くな。それに私はヘリクツというものが嫌いなのだ、ヘリクツをこねる人間はほとけの教えからもっとも遠い存在なのだ、だからここに記されている私の教えは決してヘリクツなんかではないのだ、けれども考えてみると・・・・GGIのいうことにも一理あるかもしれんなあ

ありがとうございます、ほとけ様って結構柔軟なんですね

GGIよ、私を冷やかしたりしてはいかん・・・でもなあ正直言って、世の中複雑になる一方、私の教えなんかよりAIという時代だ、柔軟にならざるを得ないのだ・・・

ほとけ様、AIなんかまでご存知なのですか

もちろんだ、ときどき迷うことなんかがあると、まことに恥ずかしいことだが、ちょっと物陰に隠れて、近頃の棋士たちみたいにスマホでちょこちょこってAIをのぞいたりするのだ・・・

それでほとけ様、AIって役に立ちますか?

まあ、ケースバイケースというか・・・そのあたりは企業秘密というか何というか・・・業界の特殊事情などもあるのであまり詳しく説明すると仏教界に激震が走らないとも限らぬ、だからそのような微妙な話はこのへんで勘弁してくれ

わかりました・・・どの世界でも業界特有の事情があって大変なのですね

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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