UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

「鳳凰湖」の桜はきれいでした、そしてダム事業は不滅でした・・・

2019-03-31 01:12:54 | 日記
一昨日、気温が上がり春らしい一日となりました。そこで知人たち数人と連れ立って花見に出かけました、というのはウソ。目的は花見ではなかったのですが、でも結果的に結構な花見をしてしまいました。

今日の写真は湖畔の桜を撮ったものです。暖かい春の日差しに恵まれて桜さんが綺麗に咲いております。よろしければクリックしてご覧くださり、しばし花見をなさっていただければ幸いでございます。

湖畔の桜と申しましたが、かつてはわが庵の庭先でもあった琵琶湖の畔のことではありません。「鳳凰湖」という名の湖の畔です。

鳳凰湖?そんな名前の湖なんかこれまで聞いたことがない、口から出まかせじゃないのかと思われる方もおられるかもしれませぬ、でもウソなんかではありませぬ。このような結構な名の湖が日本に実在しているのです。ただし、この湖は人工の湖・・・

この湖はどこにあるでせう?日本の某所にあるのですがおわかりでせうか?

実は、鳳凰湖は京都は宇治の山奥にあるのです、と説明しますとカンのよい方はそうか、とお気づきになるかもしれません

そうなのです。宇治といえば平等院、平等院といえば鳳凰堂!この湖、宇治は平等院、その鳳凰堂から意外に近くに存在しているのです。平等院から2キロほどの山奥にあるのです。わずか2キロ少々なのですが、まったくの山の中、そこに「天ケ瀬ダム」なるものが存在しているのですが、このダム建設によりダムの上流に出現したのが、この人口湖、鳳凰湖なのです。

実は、GGIら御一行様の所期の目的はこの天ケ瀬ダムを見物することでありました。先日、ろくにあいさつもせず、何の前触れもなく、突然この世を去ってしまった人物、若き頃、天ケ瀬ダム建設の大工事で国のお役人として現場を監督する大任を背負っていたことがあるとのことでありましたので、現地を訪れて故人を偲ぶことにしたのです。

ウィキペディアさんによりますと、天ケ瀬ダムは着工が1955年、竣工が1964年という大工事でありました。戦後の復興期から高度成長の時期に向かうころのことです。淀川水系(瀬田川・宇治川・淀川)のなかで淀川本川(と支流ではなく本流を業界ではこのように言うようです)に設けられている唯一のダムであり、洪水調節や利水(工業用水、上水道など)、水力発電を目的とした多目的ダムとのことです。このダムサイトの足もとに今は使用されていない旧い発電所と現在も稼動している発電所が存在しています。

天ケ瀬ダムの建設方式は「ドーム型アーチ式コンクリートダム」と称されるものであり、この方式は技術的には難易度が高いのですが、コンクリートの使用量が少なくて済むという長所があり経済性に優れているため、その後黒部ダムなど日本有数のダムにこの技術が応用されたとされています。

かようなわけで、とっくの昔に建設工事が終わってしまっているダムだと思っていたのですが、現地を訪れてみますとそうではありませんでした。ダムサイトの近辺には盛んに工事用の車が出入りしており、ヘルメット姿の作業員の皆さんが忙しく立ち働いています。ダムサイト近くの岸壁などで何か大工事が進行中なのです・・・

これはどういうことかなあと腑に堕ちませんでしたので、帰宅してからウィキペディアさんのお世話になりましたら、以下のような説明が記されていました。

《1989年(平成元年)より、洪水調節機能の強化と新規利水を目指し国内最大級の放水路トンネルを建設する「天ヶ瀬ダム再開発計画」が進められていたが、反対運動や水需要の減少等により2003年(平成15年)に計画の見直しが図られた。2005年(平成17年)の淀川水系流域委員会による答申でも計画中止が妥当とされ、国土交通省は事業を継続する意向を示しているものの、実質的に事業は頓挫している状態となっていたが、平成25年6月に本体工事が開始された。》

国によるダム事業、民主党政権時代の「コンクリートから人へ」のスローガンで分かりますように、いっときは勢いを失っていたようなのですが、この説明によりますと「密かに」息を吹きかえしているようです。「密かに」と書きましたのは、「天ケ瀬ダム再開発計画」なる計画が進められていることなんか、メディアも注目しておらず、近隣の市民のほとんどは知らないのではないかと思われるからです。

どうやら、「国によるダム事業は不滅である」ということのようであります・・・

湖国でも、湖都の郊外を流れる大戸川という川にダムを建設することがずいぶん以前から国により計画されていました。この計画、琵琶湖の環境問題に熱心であると自称していたかつての女性知事が難色を示し、経費の何がしかの負担を強いられることになる下流に位置する京都府や大阪府が反対したこともあって「凍結」ということになったのです。ところが、この女性知事が退任してから数年後の2016年2月には、国交省は計画凍結の解除を意図して「関係住民から御意見を聴く」とする公聴会のようなものを開催しています。

GGIは知人に誘われてこの公聴会なるものを見物したことがあります。そのときのことは2016年2月28日の日記に書いておりますので、読んでもいいよと思われる奇特な方はご覧になってくださいませ。

この公聴会、建設予定地近辺の住民による建設熱烈支持の意見陳述のオンパレードというまったくの出来レース、まことに見事なインチキ公聴会でありました。この見事な出来レースを目撃して、GGIは「ダム事業は不滅です」という国の熱意を実感せざるを得ませんでした・・・

国破れても山河があるさ、山河があればダムだってあるさ・・・

今日も麗しき桜花の話からずいぶん脱線してヘンな話になってしまいました。どうかお許しください。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

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デートの場所をまちがってしまって、しかたがないので撮り鉄ちゃんになるの記・・・

2019-03-29 00:01:16 | 日記
昨日の午後、中学時代の同級生たち三人とデートして年寄りグダグダ話をすることになっておりました。

招集者は頭脳優秀ではありますが、声もでかく態度もでかく、他にいろいろでかすぎた結果、会社の方針と合わず、某世界的有名コンピュータ製造会社日本法人から定年前に子会社へ追放されてしまったという川柳の名人・・・最近は、あいだを一年おくと生きているかどうかわからないので半年に一回、なんとなく会うことにしております。最近の話題はもっぱら老化関連、腰痛がどうのこうの血圧がどのうこうのガンがどうのこうの、お墓などの終活がどうのこうの、認知症になったらどうのこうの、最後はどうやって死ぬのが望ましかなど、結論なき話をグダグダグダグダ・・・

集合場所は湖都の幹線鉄道、京阪電鉄石坂線さんの浜大津駅、集合時間は午後1時半。パンクチュアルなGGIは10分前に到着、友人たちの姿はまだありませぬ、すこし早すぎたかなあと春まだ浅き冷たき風が吹き抜けるコンコースで待つこと5分、10分、15分、明らかに定刻を過ぎているのに誰も姿を現しませぬ

おかしいなあ・・・日をまちがったかなあ・・・でも出かける前に確かめてからそんなはずはないけどなあ、というわけでさらに待つこと10分、これはどうもおかしい、あの独断専行の召集主の気が変ったのかもしれないと召集主に電話しましたが応答なし、訳がわからぬまま、もうあきらめて帰ろうかと思ったら、召集主から電話・・・

おい、GGI、どこにいるのや、えっ、京阪の浜大津?おまえアホか!メールにちゃんと書いておいたやろう、JRや!JRの大津駅や!ちゃんと見ておけ、もう三人そろってる、待ってるから、すぐにこっちへ来い!

あ~あであります、前回の集合場所が浜大津駅でしたので、今回も同じと思い込んでいたのです。これはまさに老化現象・・・これまでこのような間違いをしたことは一度もありませぬ、まったくガックリ、要注意です。

そのうえ、一昨日は、夜道を歩いていて庵の近くまで来て曲がり角でなにかにひっかかって転倒、肩のあたりを強く打ってしまいました。歩いていて転んだ経験なんか遠い遠い昔のことでありますので、これも老化現象であります

また、この日曜日、「天皇と憲法」という題名はもっともらしいけれど中身は本格的茶飲み話に過ぎない一文をわき目をふりながせっせと書いておりましたら、町内の自治会の総会があったことをすっかり忘れてしまっておりました。翌日になって隣家の奥さんがやってきて「昨日はGGIさまのお姿がなかったのですが、総会だったのですよ」「えっ!そうでした?!」。「今年はGGIさんがこの組の当番ですよ」とのたまわって、一件書類を置いていきました。予定の用事を完全に忘れていてすっぽかすという経験もこれまでほとんどありませんので、これまた老化現象であります・・・

まあ、まことに嘆かわしいことでありますが、このようにして確実に老人力がついていくのでありませう・・

今日の写真はデートの場所をまちがったとは露知らず、来るはずのない来ぬ人を待っているあいだに京阪さんの浜大津駅近くの陸橋から撮ったものです。

この陸橋、京阪石坂線の電車や、浜大津駅が終点である京阪京津線の電車が走っているのを見おろすことができますので、どうやら撮り鉄ちゃんたちの人気スポットのようであり、GGIの他にも写真を撮っている人が何人かいました。

写真に写っているのは京都からやってきた世界一長い四両連結の路面電車です。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

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咲かぬなら咲くまで待とう杏の花・・・

2019-03-27 01:09:41 | 日記
わがガーデン、梅に次いで杏の花が咲きはじめました。杏の花さんが申しております

私は杏です
杏は梅ではありません
杏は桜でもありません
杏は桃でもありません
杏は杏です・・・

咲きはじめた杏の花を見上げて、わがガーデンに勝手気ままに出入りしている黒ネコ君が何か言っております

おい、杏の花よ、何もショモない言うてるのや、そんな分り切ったこと言って何を気取っているのや

あら、誰かと思ったら黒ネコさんですか、あなたは何も分かっていないわね。私はGGIさんに感謝して申しているのです。

あのショモないオッサンに何を感謝しているのや?

あのねえ、私を植えてくれたのはGGIさんのお母さまです。ウン十年前に植えてくれたのですけれど、実は植えてもらってからずっと私は咲かなかったのです。とても残念なのですけれど、GGIさまのお母さまが存命中はどういうわけか咲くことができませんでした。

植えてもらったのに花を咲かせんようじゃ意味がないやないか?君は恩知らずやなあ

おっしゃるとおりでございます。わたしも申し訳なくて身の置き所がなく、ずっと辛い思いをしておりました。このままでは「咲かぬなら切り倒してしまえ杏の木」ということになっても仕方がなかったのです。でも、GGIさまはとても心のお優しい方でしたので、私を切り倒すような野蛮なことはなさいませんでした

GGIのオッサンが《心のお優しい方》などとはとても思われんなあ。あのなあ、あのオッサン、ただ切り倒すのが面倒くさいのでほりっぱなしにしていただけの話じゃないのか?

そんなことはございません。あの方は私が咲かなくても「いいの、いいの、咲かぬなら咲くまで待とう杏の花」と辛抱強くお待ちになっていたのです。

じゃあ、君はいつから咲く気になったんや

それが不思議でございますねえ、お母様がお亡くなりになって数年してから、GGIさんは築戦前の冬は冷房完備の老朽化八重葎庵に耐えきれず、新しい庵を建立することにされたのです。新しい庵を建てるために旧い庵は取り壊されたのですが、古い庵がなくなって風通しや日当たりが変ってしまったせいでせうか、突然私は咲くようになったのでございます。それ以来、おかげさまで私は毎年花を咲かせことができるようになったのございます。かようなわけで、私はGGIさまにとっても感謝しているのです。黒ネコさんおわかりになりましたか。黒ネコさん、あなたも毎晩、GGIさまから何がしかの食べ物をお恵みいただいているのですから感謝されてはいかがですか?

ふ~ん、まあなあ、オレも感謝したいのはやまやまやけれど、あのオッサンのメニュー、平凡で決まりきっているので飽き飽きしているのや

何をゼイタクおっしゃっているのですか、バチが当たりますよ

あのなあ、オレ、たまにはマグロのトロなんか食べたいのや。マグロ食ってバチに当たってみたいなあ!

黒ネコさま、それはご無理でございます。あの方は刺身など生身の食べ物はあまりお好きじゃないのです。自分は野蛮な人間ではないから生き物と遺体をそのまま食べるようなマネはしたくないとおっしゃっています。

そんな自分の好みだけを優先してネコの立場を考えないようでは、心のお優しい方とはとても言えん、オレに刺身を食べさせてくれてこそ、心がお優しいということになるんや、杏の花さんよ、オレの気持ち、あのオッサンにちゃんと伝えておいてくれ

黒ネコさん、その前に感謝の気持ちが大切です!

今日の写真は我がガーデンで咲きはじめた杏の花です。よろしければクリックしてご覧になり、杏の花と梅の花と桜の花と桃の違いについてご研究くださいませ

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春は「裁決書」から:沖縄の苦悩・・・

2019-03-25 01:55:41 | 日記
一昨日、分厚い書類が送られてきました。封筒には《特別送達》と記されており、書類の表題は「裁決書」・・・送り主は沖縄県収用委員会。

封筒の裏側にA4の大きさのこの送達に関する用紙が貼り付けてられており、GGIが受け取りサインをしたあと、郵便屋さんがこの用紙にいろいろ必要事項を書き込みながら「こういう郵便物は手続きがややこしいのですよ」とぼやきの一言、書き終わってこの用紙を剥がしてカバンにしまっておりました。まことにご苦労さまであります。

GGIが沖縄の普天間基地内に所有している土地に関して、日本の法律に基づき、米軍用地として供するためにわが土地を明け渡すことを求める沖縄防衛局長の田中和則なる人物による、沖縄県収用委員会への申請に対する同収用委員会の裁決が記されている文書です。裁判における判決書に相当する文書です。数年に一度送られてきます

100ページ余りの分厚い文書です。裁決文そのものは10ページ少々、裁決採決文のあとに約1000名の地主の一覧表、各地主の所有面積、各地主に対する補償費の金額などの関連文書類が付されています。

日本の米軍基地内にある日本人が所有している土地に関しては、米軍による使用を可能とすることを目的とした法律、いわゆる米軍用地特別措置法に基づいた防衛当局による土地明け渡しを求める申請に対する収用委員会の「裁決」を経て、米軍の使用に供されることになっています。

米軍用地特別措置法の正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法」です。昭和27年(1952年)に制定された法律です

このたびの裁決の内容は、沖縄防衛局による、米軍用地に供することを目的に地主への明け渡しを求める申請を認めるものでありました。この裁決に基づくGGIの土地の使用期限は平成31年9月1日から平成35年8月31日です。

自治体の収用委員会が当局による申請を却下した場合は、土地を米軍用地として使用できないことになります。沖縄復帰前は国内にある米国基地のほとんどは国有地であるので自治体の収用委員会の裁決が問題になることはなかったのですが、沖縄の米軍基地の場合は民間人所有の土地がたくさん存在しているため沖縄返還後は土地所有者の中には米軍に土地を貸すことに抵抗する人が出てくることが予想され、沖縄県収用委員会の裁決が土地の明け渡しことが認めないという事態も考えられました。

このため、そのような事態が生じた場合にに対処することを意図して、沖縄返還後の1974年に政府は米軍用地特別措置法の第24条を改正し、民間人の土地を使用することができるようにする新たな規定を設け、収用委員会が却下の裁決を出した場合、首相の権限で使用できるようにしてしまいました。これは自分の土地を米軍に供することに反対する一坪地主などの抵抗と沖縄県の収用委員会を無力化し、土地を「永久に借りておく」ことができるようにするためでありました。沖縄の人々のことを無視したまことに悪質極まる法改正です。

この米軍用地特別措置法第24条の改正は、衆参ともに自民、新進、民主、さきがけなどの圧倒的多数(9割前後が賛成)により可決されたのですが、ウィペディアによれば、《圧倒的多数で可決される見込みとなった衆議院委員会通過後の1974年4月11日、自民の野中広夢務委員長は本会議での委員会報告の最後に、

「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」

と付け加えたのですが、新進党がこ野中氏の発言の会議録からの削除を要求し、同党の要求通り会議録から消されたとされてしまった》とされています。

自民党の野中氏さえ危惧し警告の言葉を発せざるを得なかったことは、この法改正が沖縄の歴史を無視した乱暴極まるらものであることを意味しています。

なお、2013年11月27日に、最高裁はこの駐留軍用地特措法改正は合憲という判決を出しています。

このような歴史的経過を考えますと、この改正以後、国からの圧力のために、沖縄県収用委員会の裁決に際して、土地の明け渡しを求める当局の申請を認めざるを得なくなっているのではないかと察せられます。

沖縄のことを「真摯」に考えているのであれば、アベ君はまず、何が何でも米軍に土地を提供しようとする、このような人々を愚弄する法改正を撤回し、米軍用地特別措置法第24条の内容を取り消すべきでありませう。

なお、この裁決に関して損失の補償以外について不服がある場合は、送達を受けた日から30日以内に、防衛大臣に対して審査請求することができ、また送達の日から30日以内に沖縄県を被告として裁決の取り消しを求めることができるとされています・・・

このようにGGIの決意次第で沖縄県を被告として訴訟を起こすことはできるのですが、上記のように最高裁がすでに現行の米軍用地特別措置法を合憲とする判決が出してしまっているため、たとえ勝訴したとしても、その取り消しを期待することはできませぬ・・・

今日の写真は「裁決書」の表紙を撮ったものです。クリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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松や~、竹や~、梅や~

2019-03-23 01:26:12 | 日記
前回の日記に書きましたが、春の訪れが遅いわが庵のノーザンガーデン、ようやく梅の花が咲きはじめました

今日の写真は遅まきながら咲き始めた梅の花です。めずらしいものではありませんがよろしければクリックしてご覧になり、ようやく咲いた花々を愛でてやってくださいませ。

梅といえば、松竹梅という言葉がありますね。めでたきものを意味しているようですが、わがマザーの話によれば、マザーのファザー、すなわちわが祖父は松竹梅のそれぞれを日常生活において上手に使い分けていたそうです。

わがマザーは明治末に生まれたのですが、幼少の頃、子供でにぎやかだったため家には女中さんがいたそうです。その女中さん、一人しかいなかったのですが、来客時には祖父は時に応じて女中さんの呼び方を変えていたそうです。あるときは「マツや~」あるときは「タケや~」、またあるときは「ウメや~」と・・・

たとえば、来客があってお茶をだすために女中さんを呼ぶとき、座敷から女中さんに声をかけます

ときには「マツや~」、またあるときは「タケや~」、またときには「ウメや~」と声をかけるのですが、はたしてどのように使い分けていたのでせうか?・・・・

答は以下のとおりです

とても大切な客であれば「マツや~」
普通に大切な客の場合は「タケや~」
長居してほしくない好ましからぬ客には「ウメや~」

ですから、女中さんは自分が何と呼ばれたかで今日の客は大切な客かそうでないかが分ったのです。そのあとどうしたのかはGGIは知りませぬが、おそらくは客種により対応の仕方をかえたのでありませう。たとえば、大切な客には上等の湯飲みに上等のお茶に上等の茶菓子、そうでない客にはそれなりの湯のみとお茶・・・ということだったのでしょうか

ついでながら、わが庵を訪れる客、上等のお客様はごくごくまれでありますから、GGIはあまり苦労いたしませぬ、大半の場合、お客さまは玄関に声がしたとおもったら遠慮なしにわが乱雑なる居間に直行、ちゃぶ台の前の座布団に勝手にお座りになりますので、お客さまを選別する余裕などありませぬ

ですから、座布団にすでに座り込んでいるお客さまに、まあ、「ごくろうんさん、信楽は朝宮のお茶を一杯どうぞ」というところです。湯呑の選択もいいかげんでございます。湯呑をながめてこれはナントカ焼きやなどと薀蓄をかたむけるご仁はおりませぬ。また、そこらへんにお菓子の類が転がっている場合はついでにそれも・・・

それに手土産なる結構なものをわざわざ持参して来てくださる気の利いたお客さまはいないわけではないのですが、みなさん手土産なんかにはあまり気が回らないというのが実態、でも元大工のゴローさんは律儀にいつも「これもらいものだけれど」などと言いわけしつつ何かしらをお持ちくださります。

また、とつぜん夕方やってきて近くのスーパーで買ってきた夕飯代わりにお弁当なんかを差し入れてくれるありがたきお客さまもいらっしゃいます。

このような孤独なる独居後期高齢者のことをお考えくださるお客様にはもちろん大感謝であります。しかしながら、GGIの夕飯に関するプランが大幅に狂ってしまい、急きょ軌道修正を迫られるという若干の問題点がないわけでもありませぬ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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