UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

十年ひと昔というけれど・・・原発への賛否があっけなく逆転するの記

2024-02-22 00:38:27 | 日記
「十年ひと昔」という言い回しがありますね。世の中の移り変わりが激しいことのたとえであり、何か大きな出来事があっても十年もたてばそれはもう昔の話・・・といった意味ですが、これはなかなか的を得たと申しますか含蓄のあることばであります。とにかく人間という生き物は、もちろん私も含めて、忘れっぽいと申しますか、都合の悪いことはさっさと忘れたがる生き物であります。これは昨今「裏金」問題で世をお騒がせしている自民党の国会議員の先生方に限ったことではありませぬ。下々の私たち国民のみなさんも例外ではないということを、つい最近私はつくづく実感いたしました。

去る2月20日の朝日新聞に掲載されていた世論調査の結果を示すグラフを偶然目にして、ああ、十年ひと昔って、このことなんだ!と思わず納得してしまったのです。

今日の写真は朝日の世論調査の結果を示すグラフを撮ったものです。世論調査の内容の中に、原発の再稼働に賛成か否かを問う一項目があり、2013年~2024年の調査結果が折れ線グラフで示されています。この十年あまりの間の賛否の割合の推移がグラフで示されているのです。ぜひ写真をクリックしてご覧になってください。

福島第一原発で大事故が起きてから2年後の2023年には原発再稼働に反対の人が過半数の58%を占めており、賛成の人は28%に留まっていました、ダブルスコアで反対の方が多い・・・・ところが2013年から10年後の昨年すなわち2023年には反対と賛成が逆転!・・・再稼働賛成が過半数の51%、反対が過半数を割って42%・・・今年すなわち2024年は反対派さらに減って35%・・・・これはまさに「十年ひと昔」の見本とも言うべき現象?です!

私はあきれて、この見事な逆転ぶりにあっけにとられて、しばらくポカ~ンとしばらく口をあけっぱなしにしておりました

あの2011年3月11日からの数日間、テレビに映し出される次々に原子炉で水素爆発が起きる様子をかたずをのんでご覧になっていた方も多くおられることでしょう。あのときは、大半の方が、原発ってやはり怖い、もう原発なんか、こんな危険なものなんかいらない・・・と思ったのではないでしょうか。ところが十年余を経てこのありさま・・・当時の政権、民主党の菅首相は、福島原発の大事故を振り返って「もう限界、これ以上圧が上がってついに2号機の格納容器が吹っ飛んだら人口が密集する首都圏にまでも放射能の被害という破局的な事態に・・・ところがある時点から圧力が急に下がり始めた・・・まさに神のご加護と思った」とその著書に記しています。そのくらいの危機だったのですが・・・

このグラフを見ますと、2020年ごろまでは、賛否の割合に大きな変化はありません。反対は55~58%ぐらい、賛成は28~29%あたり、ところが21年以降は激変、21~23年にかけて賛成は19%も激増、反対は11%も激減、23年には賛成がついに過半数を占めるにいたっています。反対は今年24年には35%にまで減っています。グラフを見ておりますと、今後これ以上賛成が増えることはないかもしれませんが、反対はこれからもさらに減り続けるのではないかと思ったりします・・・

「十年ひと昔」あるいは「のど元過ぎればなんとやら」とは申しますが、どうしてこんなことになったのでありませうか・・・その理由は定かでありませんが、要するに「時代が変わった」あるいは「変わりつつある」ということでありませう・・・

しかしながら、このたびの能登大地震は原発推進の動きに冷や水を浴びせるものでありました。志賀原発は幸い大きな被害を免れましたが、これは単にラッキーであったに過ぎないかもしれないからです。かつて北陸電力がこの度の地震の震源のすぐ近くに位置している玖珠に原発を計画していたことがありましたが(住民の反対で計画は撤回されました)、もし玖珠に原発が建設されていたならば何が起きたか分かりません・・・能登では漁港のあった場所の海底が3~4メートルも隆起したそうですが、原発の敷地の地面全体が何メートルも隆起したりしたら、いったいどうなるでしょう、それこそ福島原発事故を上回る破局的な大惨事に・・・道路が寸断され能登の人々は逃げ場を失ったまま放射能の雨・雪にさらされ・・・

そうならなかったのは、原発がある志賀ではなく玖珠が震源に近かったのは、単なるラッキーに過ぎないと私は思うのですが・・・・でも原発の関係者は素知らぬ顔です。原子力規制委員会もこの機会に今後の規制の在り方を考え直すという雰囲気ではなく、「原子力防災は自治体の仕事」とまるで他人ごと、政府も原発規制や原子力防災のあり方を根本的に見直すことはまったく考えていない様子・・・

ああ、わが日本は「十年ひと昔」であると同時に「十年一日」であるとでも言うべきでしょうか・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!

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御巣鷹山墜落はミサイルテストが原因か (ポン)
2024-03-21 10:14:51
ヨッサリアンこんばんはポンです。

ヨッサリアンがだいぶ前に言っていた、日航機墜落事故は自衛艦のミサイルテストが原因と言ってはりましたが、同じことを述べている本がこのほど出版されましたのでお知らせします。

以下コピーペースト

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09010557/?all=1


 それは日航機墜落事故に関する「シリーズ本」で、日航の元キャビンアテンダントだという青山透子(ペンネーム)なる人物が書いたもの。昨年7月、今年5月、そしてこの7月には最新作『日航123便墜落 遺物は真相を語る』(以下、『日航123便』)が出版され、版元の河出書房新社によると、「3部作」の累計発行部数は実に13万7千部に達し、青山氏は推計で2千万円超の印税を手にしたと見られる。しかし、

「中身はいわゆる陰謀論。あれは事故ではなく、自衛隊が『関与』した事件だったのではないかというのです」(大手紙文化部記者)

 実際、『日航123便』にはこう記述されている。

〈国産巡航ミサイル(陸上自衛隊の88式地対艦ミサイル=編集部注)の洋上飛行実験中に突発的事故が起きて、日航123便の飛行中、伊豆稲取沖で垂直尾翼周辺に異変を発生させた。即座にファントム2機が追尾してその状況を確認した。自衛隊はそのミスを隠すために一晩中墜落場所不明としていた、と考えると筋が通る〉

 要は日航機が自衛隊のミサイルによって墜落させられた可能性を匂わせているわけだ。だが陸上自衛隊は、

「当時、実用試験期間ではありましたが、85年の8月12日に88式地対艦ミサイルの射撃実験は行われていません。また、当ミサイルは艦船の破壊が目的なので、艦船よりも速く移動する航空機を追尾することはできません」

 と、そもそもの大前提が荒唐無稽であると否定し、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏もこう一笑に付す。

「もし自衛隊のミサイルが撃ち落していたのであれば、指示を出した人や実行した人全てに箝口令を敷き、且(か)つ痕跡も完璧に消し去らなければならない。そんなことは不可能です。トンデモ本という印象を受けます」

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