これまで何度も福島県の原発事故被災地のことを書きましたが、地理的関係が分かりにくかったのではないかと思いますので、参考のため被災地の地図を示して、いったいどこを走り回ったのか、簡単な説明を加えておきます
今夜の写真は9月23日の朝日新聞に掲載されていた地図を撮ったものです、お手数ですがクリックしてご覧くださいませ
GGIらは三陸海岸を後にして相馬市(地図で4と示されている南相馬市の北側)から福島県に入りました、まず、相馬市を経て、南相馬市(4)の北西部の端っこあたりから飯館村(地図の9番)に入ろうとしましたが通行止め、そのためいったんあきらめて、南相馬市を南東部に向けて浪江町(地図の5番)を目指して一路南下、浪江町にはいってまもなく検問所であえなく止められてしまい、しかたがないのでUターン、今度は南相馬市を北西部にむけて戻り、飯館村(9)の南東部からこの村に入り、闇に沈む村の中の走り回り、自主パトロールのおばさんたちにアドバイスされて飯館村をあとにして、西へ、福島市へと向かい、帰途についたのでありました
(福島第一原発があるのは浪江町の南端が接している双葉町10と大熊町11です)
この地図をあらためて眺めてみますと、GGIらは、およそ半日(昼過ぎから午後9時前ごろまで)に過ぎませんでしたが、放射能汚染地帯を結構走り回ったことになります
芭蕉さんは奥の細道を、およそ600里(約2400キロ)を歩いたそうであります、GGIの老骨奥の細道は往復およそ2000キロぐらいでありませうか、芭蕉さんと異なり、名ドライバー2名付きの自動車という文明の利器を用いての旅ではありましたが、なんだかすっかり疲れてしまいました
東北から遠く離れて、無事湖都に帰ってきたものの、なかなか疲れが抜けませぬ、それで某日、某氏に「なんだか体がだるくてなかなか疲れが抜けんのや」とぼやきましたら、某氏曰く
「あのなあ、芭蕉さんは歩いての旅とはいえ、およそ150日かけて旅したのや、GGIはわずか4泊5日の旅やないか、しかも車中泊が2回、自分の年を考えろよ、齢七十数歳に達して、あとは人生の急激なる下り坂だけという身やのに、そんな旅して疲れんはずがないやろう」
「そうは言ってもなあ、この疲れ、妙に尾を引くという感じなんや・・・」
二人の会話を聞いていた某青年が口を挟みました
「GGIさん、その疲れ、単に車中泊2回という強行軍のせいではありませんよ、その疲れ、きっと放射能のせいですよ、GGIさんの話聞いていたら、結構どころかたっぷり福島で放射線を浴びているはずですよ」
「そんなおおげさなこと言うなよ、ほんの半日ばかり浴びただけやないか」
「GGIさんも知っているでしょう、広島に原爆が投下された後、疲れて疲れてたまらない《ぶらぶら病》と言われる症状を示す人々がいたのを、きっとGGIさんもぶらぶら病ですよ」
「確かにオレは毎日ぶらぶらはしているけど、いいかげんなこというなよ、あのなあ、君はこれまでにCTの検査受けたことがあるか?」
「少し前だけどありますよ」
「あのCT検査なあ、一回受けるだけでかなりの放射線を浴びるのを君は知らんやろ、あの《がん放置療法》など、現在のガンの治療法を批判した一連の本を書かはった近藤誠先生が言うてはる、CTの検査一回で7ミリシーベルトぐらい浴びる、そのうえ、多くの場合、造影剤を入れてもう一回CTの撮影をやるから、合計2回、15ミリシーベルト近く浴びることになると近藤先生や言うてはるのや、CTでは短時間にこんな多量の放射線を浴びるのや、分ったか!それに比べればオレが福島で浴びた放射線なんかたかがしれてる」
「まあ、GGIさんのおっしゃることも確かに一理はあります、高齢になればなるほど放射線に対する感受性も低くなる、これも確かなようです、でもですねぇ、聞くところによりますと、根性ワルの高齢者の場合は例外、その場合はときとして低レベルであっても、放射線の影響が現れることがあるらしいですよ」
「おい、君はオレが根性ワルの高齢者だと思っているのか!」
これ以上この青年と会話を続けますと、話は混線原野に入ってしまいそうでありましたので、まことに不本意でありますが、会話を突然打ち切り、青年に言ってやりました
「おい、その《中南海》とかいうヘンなタバコ、オレにも1本くれ」
「いいですよ、これ漢方が入っているので健康にいいそうですよ」
グッドナイト・グッドラック!