UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

「ここに集う」としか記さなかった岸田首相・・・

2023-08-28 00:46:47 | 日記
5月31日の日記に、広島で開催されたG7サミットで各国とEUの首脳が原爆資料館を見学したけれども、米国のバイデン大統領は、謝罪めいた言葉はまったく口にしなかったと書きました。

ところが、今日8月27日の朝日新聞、普段はあまり読まない社説の欄を眺めておりましたら、バイデン氏は見学後、芳名録に以下のような一文を記していたと書いてありました。

「この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして永久になくせる日に向けて、ともに進んでいきましょう。信念を貫きましょう!」

このバイデン氏の一文、「何をきれいごと言ってるんだ、世界最大の核保有国であるくせに!それに国際条約で禁止されているクラスター爆弾をウクライナに供与したりして、デタラメじゃないか!」などと批判することはできるものの、原爆資料館を見学して,なにがしか心を動かされたことの現れではないでせうか・・・

一方、わが日本の代表である岸田君、芳名録にただ一言しか記さなかったとされています。「ここに集う」としか記さなかったそうです・・・

おそらく地元でのG7開催を自賛したのでありませう、オレのおかげでG7の面々が広島の地で一堂に会することになったのだ・・・しかし肝心なこと、資料館を見学しての自らの思いはなにも記されていません・・・核問題について何か書いて言質を取られたりすることがないようにとでも思ったのでありませうか・・・

なんともあきれると申しますか、まことに情けないと申しますが・・・無神経と申しますか、姑息の極みと申しますか・・・

今日の写真は本文とは関係ありませぬ。先日の台風で吹き飛ばされてしまったと思っていたわが百日紅の花が無事咲きましたので写真に撮りました。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ。

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コピペ時代の終戦記念日であるけれど、それでも・・・

2023-08-19 01:12:37 | 日記
8月15日の終戦記念日、NHKさんがお昼のニュースの前に日本武道館で行われた終戦記念日の式典の様子を中継していました。

この式典、毎年行われているものの、はっきり申し上げて盛り上がりに著しくかけております。その大きな理由の一つは天皇と首相の式辞の内容が決まり切っているからです。毎年、ほぼ同じ内容のもん切り型の決まり文句が読み上げられるだけだからです。

決まり文句ではありますが、天皇の式辞には、前天皇と同様に、「過去を顧み、深い反省の上に立って・・・」という先の大戦に触れる文言が含まれていました、が、岸田君の式辞には、「侵略戦争の定義は云々」とヘリクツをこねていた故安倍首相を見習ったのか、このような反省を意味する文言は含まれていませんでした・・・でも「積極的平和主義」云々というアヤシゲな文言は盛り込まれていました・・・

新聞などで、岸田首相の式辞はほとんどが昨年の式辞のコピペに過ぎないではないかなどと批判されております。でも、「お言葉」と称される天皇の式辞も同様にほぼコピペであります。ですから新聞などで式辞の内容を丁寧に読む読者なんかほとんどいないでありませう

式辞の内容がコピペになってしまうことにはある程度やむを得ない面もあるのですが、不正確な内容を堂々と読み上げるのはいかがなものでありませうか。たとえば天皇も首相も、毎年、常套句として「今日の我が国の平和と繁栄」云々ということを述べますが、「今日の我が国」は本当に平和で繁栄していると言えるのでありませうか・・・

日本は先の大戦後、自らは戦争していないという意味では平和であることは確かなのですが、二次大戦後の米国による勝てなかったすべての戦争、すなわち朝鮮戦争(死者200~300万)、ベトナム戦争(死者300万)、イラク・アフガン戦争(死者数十万以上)に際して、米軍の後方支援基地としてたっぷり米国の戦争を手伝ってきただけではなく、朝鮮戦争とベトナム戦争では「特需」のおかげで大儲けもしていました。一方、「繁栄」のほうはいかがでせうか。今や日本は非正規労働者の割合が4割にも達するという格差社会です。これが日本の「平和」と「繁栄」の現実ではないでせうか・・・

などと書きだしますと、高齢者の悪い癖で話がワンパターンでクドクドと脱線してしまうのですが、岸田君による今年の式辞、ひとつだけ注目すべき点がありました。

日中・太平洋戦争において海外で約230万人(この数字については文末の注をご覧になってください)の日本の兵士・軍属などが命を落としているものの、戦後78年が過ぎた今でも、そのうちの実に約半数すなわち120万人もの遺骨がアジア各地で未だに野ざらしにされたままであることに触れ、岸田首相は「未だに帰還を果たされていない多くのご遺骨のこと、決して忘れません。国の責務として、御遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き全力を尽くしてまいります」と述べています。
  
この決意が単なる国民へのリップサービスではなく、本物であれば、岸田首相は日本では稀にみるまともな政治家であると言ってよいでありませう・・・ほめ過ぎでせうか・・・私の記憶はあいまいですが、遺骨の収集についてこのように重要な公の場で明確に言及した首相は岸田氏がはじめてではないかと思います。

国家の命令により戦場へ赴き命を落としたのですから、その遺骨を遺族のもとに届けるのは国家に課せられた、逃れることは許さない当然の責務です。日本政府はその責務をこれまでまったく放棄してきたとまでは言えませんが、その責務の果たし方が極めて不十分であったことは明らかです。

2023年5月28日の朝日によれば「第二次大戦の戦没者の遺骨収集について、国が取り組む2024年度までの(遺骨収集作業の)「集中実施期間」を5年間延長する方針で与野党が一致し、延長を盛り込んだ改正法案が成立する見通しとなった・・・しかし(これまで遺骨収集の)思うような成果は上がらず、20年度以降は年100柱前後に留まる」と報じています。

岸田君よ、そして遺骨収集に関する改正方針に賛成する国会議員諸氏よ、分かっていますか、これまで遺骨収集は遅々として進んでいないことを。100万人以上の遺骨を収集することは生易しいことではないことを、賛成投票するだけではすまいことを。戦後70年以上もが経った今となっては限りなく困難であることを覚悟してください。

岸田君、あなたは「遺骨収集は国の責務」と明言したのですから、大半の遺骨を収集すべく必死で努力してください。そうでなければ、日本という国は「勝つ見込みがまったくない無謀な戦争を勝手に始めて、若者に戦場に行けと命令、挙句の果て、200万人以上もの兵士を死なせたけれど、遺骨収集のことなんかしるもんか!」という、世界で稀に見る無責任きわまるデタラメ国家ということになりますよ・・・

今日の写真は今年の終戦記念日で式辞をのべる岸田首相の姿を映すテレビの画面を撮ったものです。クリックしてご覧になってくださいませ

注:大きな戦争における戦死者の正確な数は分からないことが少なくないのですが、この数字は「日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実」(吉田裕・一橋大学教授:中公新書2017年)からの引用です。同書によると、この他に外地での一般邦人の死者が約30万人、空襲などによる日本国内の戦災死没者が50万人、合計310万人が死んだとされています。

ついでに、同書に示されていた他の数字を記しますと、太平洋戦争における米軍戦死者数は92000~10万人とされています。また、「ある推定によれば」としたうえで、中国軍と中国の民間人の死者は1000万人以上、朝鮮における死者数は約20万人、その他フィリピン、台湾、マレーシア、シンガポール、ベトナム、インドネシアなどにおける死者数を合わせると総計1900万人に達するとのことです。この1900万人もの死に日本軍が関係していたことは言うまでもありませぬ、

また、日本の戦没者の「異常」とも言うべき大きな特徴は、戦闘により命を落としたいわゆる「戦死」よりも餓死と病死の方が多いということです。同書では、日本軍将兵・軍属の死者230万人のうち半数以上、すなわち約140万人は、戦死ではなく、栄養失調による餓死または病死(戦病死)であるとされています。

実は、日本軍の死者数の数字がどの程度正確なのかは定かではありません。上記の吉田裕氏の本には以下のように記されています

《実は日本政府は年次別の戦没者数を公表していない。福井新聞社の問い合わせに対して厚生労働省は、「そうしたデータは集計していない」と回答している(福井新聞2014年12月8日)。また、朝日新聞が2015年、47都道府県にアジア・太平洋戦争中の1年ごとの戦死者の推移をアンケート調査したところ、岩手県以外は、すべて「調査していない」と答えた。「特に必要がない」「今となってはわからない」などの理由だった(朝日新聞2015年8月13日)・・・日本では基本的な数値さえ把握できていないのに対して、アメリカでは月別の戦死者数が分かることに驚きを感じる。そして同書(米国の歴史家ジョン・ダワーの著作「容赦なき戦争」)の詳細な注を見てみると、陸海軍省の医務・統計関係の部局が、そうしたデータを作成・公開している。日米間の格差は、政府の責任で果たすべき戦後処理の問題にまで及んでいる》。

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芙蓉の花が咲きはじめると思い出すのは・・・幻の花・・・

2023-08-15 00:26:19 | 日記
連日35度以上という酷暑のなかで、わが雑草園の夏の花、
芙蓉の花が咲きはじめました
母が好きだった花です
芙蓉の花は一日花、
早朝に咲きはじめ、夕方、日が傾きはじめますと静かに花びらを閉じてしまいます
花の命は一日、まことに儚い花です
これから9月の終わりごろまで、毎日々々、次々に花を咲かせます。
今日の写真は咲きはじめて芙蓉の花を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧ください

最近は、毎年、一日花の芙蓉の花が咲きはじめたのを目にしますすと、思わずある詩を思い出してしまいます

「幻の花」と題された詩です
石垣りんという詩人(1920~2004)の作品です

幻の花

庭に
今年の菊が咲いた。
子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。
今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。
遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!
そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。

わが庭の芙蓉の花も幻の花でありませうか・・・

石垣りんさんは14歳から家計を支えるために働きはじめ定年の55歳まで銀行の平の行員さんとして働きました。ときには怖~い詩も作っています。また他の詩人の作品を紹介するのがとても上手な方でもあり、「詩の中の風景」(婦人之友社刊:絶版)という優れた随筆集も著しています

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お~い、何してるんやぁ・・・雲を吊り上げているんやぁ・・・

2023-08-10 23:35:06 | 日記
この猛暑の某日、わが庵からちょっぴり距離があるイーオンさんのスーパーへ行き買い物をしました。お店の中は空調が効いて快適でしたが、買い物を済ませて外へ出ましたら依然として猛暑・・・

うんざりしながら、イーオンさんに隣接したかつての西武さんの跡地で進行中の700戸建てという巨大なマンションの建築現場を見上げましたら、暑さをものともせず、何台もの巨大クレーンさんたちがせっせと働いているのが目に入りました。

クレーンのうちの一台が雲の上にゆっくりと綱を降ろしています。今日の写真はこのクレーンの姿を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

何をしているのだろうと思って、このクレーン君に声を掛けました

「お~い、そこのクレーン君、何をしてるんや?」
「工事のジャマになるので、この雲を吊り上げてよそに移そうと思っているのや」
「へえ~、雲をつかむような話なんて言ったりするけれど、雲はつかめなくても吊り上げることができるのかあ?・・・」
「そうや、確かに雲をつかむのはボクたちクレーンにとっても至難のわざやけど、ボクたち、吊り上げることはできるのや!」
「ほんとかあ?」

かようにクレーン君と対話しておりましたら、近くを通りかかった小さなガキが連れのお母さんにいいました

「かあちゃん、あのオッサン、空に向かってヘンなこと叫んではるでぇ、どうしたんやろ」
「あんなオッサンのこと、ほっとき、この暑さでおつむてんてんオブラードになってはるんや」
「おつむてんてんオブラードって、なんのこと?」
「そんなこと、この糞暑いのに、子どもは分からんでもよろし、しょもないこと気にせんとサッサと帰ろ!」

この母親の言葉を耳にして、雲を吊り上げることができるかどうかなんてショモないこと気にしないで、私もさっさと帰ることにいたしました

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