UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

私は百歳まで生きていたい。百歳までがんばれば何とか・・・

2018-01-05 01:53:25 | 日記

みなさんは長生きしたいですか?したいですね。でも、なぜ長生きしたいのですか?というのが今日の日記のテーマです。

ところで、みなさんのなかには「袴田事件」のことをご存知の方も少なくないかと思います。

1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で起きた、みそ製造会社の専務さんとその家族が殺害された事件です。この事件で犯人であるとして逮捕され、死刑判決を下された元プロボクサーの袴田巌(はかまだ・いわお)さんは、静岡地裁に対して行っていた第二次再審請求の結果、2014年3月27日に再審開始の決定を受けました。次いで静岡地裁は即日巌氏を釈放するよう命じました。検察側は釈放に異議を申立てましたが認められませんでした。こうして、逮捕されていらい48年の長きにわたり獄中にあったのですが、巌維持はようやく自由の身になりました。

しかし、現在、検察側はこの決定について東京高裁に抗告しています。釈放から3年8カ月もが過ぎていますが、いまだに検察側の抗告に対する結論が下されていません。このため巌氏の無罪が確定するまでにはまだまだ長い月日を要するのではないかと懸念されます。

巌さんは釈放された後、静岡で実姉の秀子さんと暮らしています。半世紀近くのあいだ三畳足らずの狭い空間に閉じ込められ、ひとり死の恐怖にさらされ続けていたため、巌さんは極めて深い精神的外傷を負っています。釈放後に姉の秀子さんは、正常な精神状態を取り戻すにはほど遠い状態であることを、釈放直後の巌さんの様子を語っています。そのときの秀子さんの話の内容は以下のサイトに掲載されていますので、よろしければご覧になってください

http://president.jp/articles/-/13208

秀子さんは釈放から3年半以上を経た現在の様子を最近静岡で行われた集会で話されており、その内容が死刑廃止を求める市民団体のニューズレターに掲載されていました。今日は相変わらずの手抜き、このニューズレターの丸写しに過ぎないのですが、秀子さんの話を紹介いたします。現在、巌さんは82歳、秀子さんは85歳です。

《(帰って来てから)3年半ですが、本人はだいぶ明るくなったと思っております。だけど午前中はやっぱり自分の世界、巌の世界に浸っております。午後になると私にお金をちょうだいと言って、午後から出かける時もありますし、11時ごろから出かけることもあります・・・

 今は支援者の方が付き添ってくれております。7月13日に階段から転げ落ち、救急車で運ばれたりということもあったものですから、それ以後、みなさんが心配して午前中と午後に分けて付き添ってくれております・・・

 それから大体3,4時間は歩きます。自動販売機でコーヒー飲んだりジュース飲んだりして、130円とか150円を入れてボタンを押すと出てくるという、あれが楽しいんじゃないでしょうか。これは多摩病院に入院していたときに500円をお小遣いとしてくれて、こういうふうに使うんだよと言って教えてくださったそうです。一回教えるとクリアしまして、かならずそれは実行します。そういう点はいいんですが、ともかく午前中は自分の世界で一人楽しんでおります。今日も出かけましたので、私たちはお昼ご飯を食べてこちらに来ましたが。これが遅くならないと帰らない。昨日、私の留守に帰ってきて、私がいなかったので、奥の部屋を開け回って覗いておりました。それで私が部屋に入ったら、「ああ、いたのか」っていう状況で、私が姉であることは認めておりますが、まだ冗談を言って話すというところまではいきません。だいたい無口な人間ですので、あまり話をしない。ですから必要以外のことは話しかけないようにしています。

 自分で自分のことは何でもします。お布団の上げ下ろしとか、お風呂も自分で入れます。昨日はその友だちが先に入ったと思ったのか、お風呂の栓を抜いちゃっておりましたが、やっぱりそういうところがちょっとおかしいですね。私は半分ぐらい戻ればいいと思っておりますが、半分どころじゃなく、まあ1割2割ぐらいしか戻っていない。だから、これ治る薬ないんですよ。ですから元の姿になるのはいつのことやらということで、私はそのまんましばらく辛抱しております。

 長い裁判でございます。来年(2018年)の3月には再審開始の決定が下されると思うんです。私は良いほうへ傾いていると思っております。でも裁判所の判決が出るまで分りません。もうダメならダメでまた頑張るしかないと思っております。私は100歳まで生きていたい。100歳まで頑張れば何とかなるかなと思っております。今85歳でございます。長い長い裁判で、皆さまにおつき合いいただきました。これからもよろしくお願い申し上げます。》

(以上はFORUM90、VOL 157から引用しました)

巌さんがまだ釈放されるに至っていなかった2012年に、GGIは知人らと協力して、湖都の市内で袴田秀子さんの講演会を開催したことがあります。講演後に食事を共にしたときに秀子さんとあれこれ話をいたしまた

「秀子さんはふだんはどのように暮らされているのですか」

「普段は法律事務歩の事務の手伝いなどをしています」

「おひまときは、どのように過ごされているのですか」

「ひまなときは、最近はパソコンでマージャンのゲームなんかしたりするのですが、私、結構強いんですよ!」

まことに明るい気さくな方でありました。

東京高裁で再審決定にたいする検察側の異議申立てが棄却されても、検察側には最高裁に特別抗告するという手段がまだ残されています、そうなると最高裁で少なくとも数年・・・このままでは裁判はまだ延々と続くことになるのではないかと懸念されます・。このことが、秀子さんの「100簑まで生きていたい」という言葉になったのでありませう。この言葉、ほんとうに重い、重すぎるくらい重い・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は本文とは関係ありません。わがガーデンのサザンカを撮ったものです。よろしればクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

 

コメント
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