UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

北の大地の学生寮は立派なビルになっていたけれど何やら拘置所ふう・・・

2015-01-31 01:55:53 | 日記

今夜(1月30日)のNHKで「ドキュメント72時間:北の大地の学生寮」という番組を放映しておりました

 北の大地はわが青春の地でありますので、GGI、何となく見ていました、クラーク博士で知られている大学の名物?学生寮、恵迪寮での若者たちの生態を撮ったものです

あいかわらず寮歌を歌ったりコンパをやったり、みなさん、くったくがなく楽しき青春を送っているようでありました、寮の運営は今でも学生さんたちの自治に任せられているとのこと、でも、このようの例は全国的にも数少なくなっているとの話でありました

 GGIはもっと小さな寮で暮らしておりました、当時すでにかなり老朽化していた木造の恵迪寮はバッチイだけであり、また広い大学構内の中心部から離れた隅っこにありましたので、GGIはときおりゴロゴロしにいくくらいでありました、あんな汚いだけの寮なんかと、近づかない学生も結構おり、とりわけ恵迪寮が世間の注目を集めていたわけではありません、昔がバッチかったのですが、今は、寮の中は雑然そのものではありますが、キタネェ~という感じはありません

寮のいいところは、全国各地からのいろんな学部の学生がいて、まるでごった煮みたいで、24時間自由いっぱい、「怪盗、風の中を走る!」と称して真夜中に廊下を疾走したりするアホな野郎がいたりして、なかなかおもしろいということでありませう

今夜の写真はテレビの画面に映し出された現在の恵迪寮をとったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 この写真からわかりますように、この寮、当然のことでありますが、いまではすっかり立派なビルディングと化しておりました、そのリッパさと大きさにちょっぴり驚きました、でもそれ以上驚いたのは、これまた当然のことでありますが、寮の彼方にビル街が広がっていることであります、むかしは高いビルなどころか低いビルもなし、何にもなかったからです

 この寮の作り、中央に管理棟のような建物があり、それを中心に放射状に数棟の寮が建てられているのを目に見て、何だかこの構造、東京拘置所と同じだなあななどと思ってしまいました、高い堀を周囲に築けば、すぐにでも収容所ふうになりそうであります

 しかし、寮のなかで暮らしている若者たちは十分に青春を楽しんでいるようでありました、これから出かけようしている若者が「いま君が一番希望していることは何ですか」と突然マイクを向けられて困惑、「あの~・・・とにかく卒業できることです・・・」とうめいているのを見て、GGI、思わず笑ってしまいました、ひたすらアホなだけであったわが青春を思いだしての苦笑であります、GGIが通っていたのはノー学部でありますからいたしかたないところでありますが・・・・

 この番組を見終わってチャンネルを回しましら「探偵ナイトスクープ」をやっていましたので、また何となく見てしまいました

 最初の話題は、修学旅行のときに出会ったバスの運転手さんと再会したいという女性の話でありました、三十五年前に修学旅行の地、札幌で知り合った観光バスの運転手さん、これまで修学旅行の後は、毎年年賀状はやりとりしていただけであり一度も会ったこよはなく、運転手さんも高齢になっておられるので、ぜひ一度会いたいと、探偵さんと一緒に札幌までいくのです、その間いろいろ笑う場面があるのですが、最終的には無事時計台の下で涙々の再会という、結構感激モノのレポートでありました

 この女性、三十五年ぶりということでしたが、GGIなんかなんとか卒業して半世紀にもなりますが、卒業以来一度も北の大地を訪れたことはありませぬ、別に母校に何かウラミがあるというわけではありませぬ、ただダラダラと人生の日々を過ごしているうちに時が経ってしまっただけのはなしです

 しかしながら、今や中年の元気オバサンになっているわが姪の一人は、長男が一昨年、この北の大地の大学に入学したため、息子の様子を見に行くとか何とか、何かと口実は作っては、一年間に五度も六度も北の大地での観光旅行を楽しんでいるのであります!

 こんやはどうでもいい、わが青春関連ムダ話でありました、どうか失礼をばお許しください

 グッドナイト・グッドラック!

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歴史の影があなたを見つめている・・・・

2015-01-30 01:03:17 | 日記

1月27日の新聞で、アベ君が戦後50年の村山首相談話や60年の小泉首相談話を「全体として引き継ぐ」と言いながら、これらの談話における「植民地支配と侵略」や「痛切な反省」「心からのおわび」などのキーワードをそのまま継承することに否定的な考えであると報じられていると記しました

GGIでなくても、多くの方が「はは~ん、アベ君、要するに村山談話を骨抜きにしたいのだなあ」と思われたのではないかと思います

などと書きながら、GGI、村山談話なるものの全文をちゃんと読んだことがないことに気づきました、まことにお恥ずかしきことであります、いわば「サビ」の部分だけ目にして全部読んでいるような気になっている、これはまことに良くないことであります。

全文はちゃんと読んでいないと、内容を正しく理解していなかったり、非常に誤解していることがままあります

たとえば、みなさんは「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という格言をご存知ですね、これは古代ローマかギリシャの詩人の長い詩、その一節に記されているものであり、この格言を考え出した人物の言いたかったことは、前後関係から考えますと、正確には「健全なる精神が健全なる身体に宿るべきである」という願望あるいは祈りの意味だそうであります、つまり「健全なる精神が健全なる肉体に宿ってくれたらええけどなあ、そやけど現実はなかなかそうはうまくいかんなあ」というのが本来の意味なのだそうであります、それが後の世になって、あたかも「健全なる精神は健全な肉体にしか宿らない」という意味であるが如く誤用され、世界に広まっているのです、とりわけ軍隊やスポーツ界において今でも蔓延、とにかく根性、根性、強い肉体というアホな話になりがちなのであります

かようなしだいで、GGIも今夜は反省いたしまして、村山談話の全文を読み、キーワードがどのような文脈のもとに使われているのかを自らの目で確かめました

以下の村山談話の全文です、ちゃんとお読みになっていない方は、一読されるよう、お勧めいたします

・・・・・・・・・・・・・・

村山内閣総理大臣談話

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」

平成7年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
  敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今夜の写真は健全なる肉体を求めてときおり高級スポーツジムに通っているアベ君を見つめる歴史の影です、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!

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端境期・・・・

2015-01-29 01:38:02 | 日記

端境期などという言葉はこの飽食ニッポンでは死語となりつつあるのかもしれませんが、野鳥の世界ではまだあるようです

 今日もこの寒さのなかスズメ君たちがわが庵のノーザンガーデンに舞い降りて、行儀よく一列にならんで、せっせと何かをついばんでおりました

地面には食べるものなんか何も落ちていないと思うのですが、スズメ君たちがせっせとついばんでいるところを見ますと、やはり何か食べるものがあるのでしょう、植物の小さな種子なんかをさがし出して食べているのでしょうか

 今夜の写真、写りがわるいのですが、端境期を生きるスズメ君たちです、よろしければクリックして、友よ、まだ春はまだ遠いががんばれと励ましてやってくださいませ

グッドナイト・グッドラック!

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流れの止め方について・・・

2015-01-28 01:13:43 | 日記

何か、社会的な動きや問題などに関する好ましくない動きなどについて「流れを止めよう」などという言い方をしますね

 でも、大半の場合、何らかの流れを止めようという掛け声や動きあっても、なかなかうまくいきませぬ、なかなか流れは止まりません

 たとえば原発の再稼働についてもそうです、多くの人々が、もう再稼働なんて止めとけよとは思っていますが、再稼働の流れはとまりそうもありません

 ところが先日、GGIは見事に流れと止めている実例に思いがけず遭遇いたしました、

 今夜の写真は流れと止めている現場を写真に撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、近くの小さな川で、洪水を防ぐために川底を掘る工事が行われていました、そしてこの工事が行われる間、川の流れが止められているのです

 どうです、見事に流れは止められているではありませんか!

 賢明なるGGI、この現場を目撃して、絶好の機会でありましたので、いかにして流れが止められているかを仔細に研究いたしました、

 そうか、流れと止めるには、流れてきたものを強力なポンプで吸い上げておいて、そのあいだに土嚢を積んで流れを止めてしまうんだ、流れを止めるにはこのようなカシコイ工夫が必要なんだ・・・

 でも吸い上げられた水は太いホースの中を通って下流で元の流れに戻ってしまっているなあ・・・・

 このことは、いったん歴史の流れを止めることはできても、また元の流れに戻ってしまうこともあることを意味しているんだ、これが歴史の真実かもしれない・・・・でも、一時的ではあっても、強力なポンプで流れを吸い上げてしまうことは可能なんだ・・・それはそれなりに意味があるではなかろうか・・・・しかし、歴史の流れに投げ入れるべき強力な吸入ポンプとはいったいどのようなものであろうか・・・

 ああ、歴史はやっぱり複雑なんだ・・・・と今夜もGGIの心は脱線するだけでありました

 グッドナイト・グッドラック!

 

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坊やへの宿題:日本近現代史のおさらいをしてみよう

2015-01-27 01:15:37 | 日記

1月26日の新聞報道によれば、アベ君は戦後70年の今年に出す「安倍談話」で、過去の首相談話を「全体として引き継ぐ」としながらも、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話がともにつかった「植民地支配と侵略」や「痛切な反省」「心からのおわび」などのキーワードをそのまま継承することに否定的な考えであると報じられています

そこで、わがまま、ひとりよがり坊やに歴史のおさらいをするよう宿題を出しておきます、坊や、以下の史実と写真を見て、どう思うのか、自分の考えを書きなさい、「積極的平和主義」などというヘンな造語は使わないで、紋切り型の演説はほどほどににして、自分の考えを国民のみなさんにわかるように書きなさい
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日中戦争は1937年7月7日に起きた日中両軍の衝突、盧溝橋事件をきっかけに始まったとされていますが、本格的に日中が全面戦争に突入したのは上海で日本の陸戦隊が戦闘を開始した同年8月半ばとされています

 この上海での戦闘のきっかけになったのは8月9日に起きた「大山事件」とされています、大山海軍大尉が中国の保安隊に殺されたのに端を発し、上海に戦火が広がり、日本軍部隊は全面市街戦に突入しました

 写真は大山事件のために日本の軍隊に捕えられた中国の正規兵です、「日本の戦歴」(毎日新聞社刊、1967年)より借用しました、クリックして、この写真をよ~く見ませう

 この写真には「不許可」という大きなハンコが押されておりますので、当時は報道することを許されなかったのでありませう、

 グッドナイト・グッドラック!

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