UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

コロナな日々:かつて、もうひとつの全国民的な「自粛」があった・・・

2020-05-31 01:17:27 | 日記
前回の日記では、もうひとつの緊急事態宣言すなわち9年前に出されたまま未だに「解除」されていない「原子力非常事態宣言」について書きましたが、これは「私たちは忘れっぽい、とにかく簡単に忘れてしまう」という自戒の念を込めたものでありました。

今日はもうひとつ、GGIも含めて、多くの人がまたしても忘れているのではないかと思われる大きな出来事につていの話、前回の日記の続編とも言うべきはなしです。このたびのコロナ禍で毎日のように耳にする「自粛」についての話です。

日本ではコロナ禍、一段落ついたということで、ご存知のように、5月25日に全国のすべての地域で非常事態宣言が解除されましたね。このため自治体による市民の行動や様々な業種に対する自粛要請が段階的に解除されつつあります。専門家たちによる国の委員会は、政府による全国民に対する日常行動や営業活動などについての自粛要請が行き届き多くの国民が従ったことがコロナ流行の鎮静化に功を奏したことを認めています。また海外でも、日本における新型コロナウイルス感染による死亡率が欧米に比べて明らかに低いことの理由のひとつは、警察などによる規制といった法的強制力を伴わずに政府による自粛要請が全国民に浸透したことであるとして、驚きをもって評価されているようです。

(ただし、5月30日の朝日によれば、29日に行われた政府の専門家会議では、感染のピークは実は緊急宣言の前の4月1日ごろであったとされており、会議のメンバーの中には「結果的に宣言のタイミングは遅かった」との見方もあったとされています。この説が正しいとすると、自粛要請はピークに達した後の新たな感染者の減少スピードを加速することに貢献していたということになりますので、「自粛要請」による成果は割り引いて考える必要があるでせう)

ところで、日本において全国的規模で「自粛」が行われたのは、実はこのたびのコロナ禍が初めてではありませぬ。平成生まれの方はご存知ないでしょうけれど、平成の初めごろまでに大きくなっておられた方は覚えておいでのはずであります。

昭和末年から平成元年にかけてのことです。つまり1988年秋ごろから1989年の(おそらく)二月ごろまでの話です。もうお分かりでありませう。そうです、昭和天皇死去前後のことです。

昭和天皇が亡くなったのは1989年1月7日。亡くなる前年の秋、1988年9月19日に天皇の容体悪化が伝えられました。それ以降、政府が自粛要請を公に宣言したしたわけではないのですが、このたびのコロナ禍の場合と同様に、「自粛ムード」が天皇の病気を理由にして急速に広がり日本全土を覆いました。ただし、自粛期間はコロナ禍の場合よりもずっと長く、四か月以上に及びました

最初に敏感に反応したのはメディア、特にテレビ界であったとされています。ハフィントンポストによりますと、1993年6月18日の朝日新聞に掲載された記事で以下のように報じられていたとされています。
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読者・視聴者の周辺では「自粛ブーム」が表面化しはじめた・・・最初に強い反応を見せたのはメディアだった。大半のテレビ局は、特別ニュース番組を組む一方で、娯楽番組を中止、変更した。放送専門誌「放送レポート」によれば、9月24日、25日両日の中止・打ち切り番組は二十八にのぼる。「今夜は最高!」「コラーッ!とんねるず」「ついでにトンチンカン」などだ。問題になったのは「笑い」だった。「オールナイトフジ」や「笑っていいとも増刊号」を中止したフジテレビ番組広報室は「(当時の担当者によれば)陛下が危機の場合、はではでしい笑いを伴う娯楽番組は自粛する、との社内マニュアルに沿った」という。自粛はテレビCMにも及んだ》
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メディアにおける自粛だけにはとどまりませんでした。上記のハフィントンポストに記事には以下のように記されています
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1988年10月~12月に朝日新聞が掲載した「自粛の街を歩く」という連載記事では、以下のような「自粛」が行われていたとされています。

・各地での秋祭りの中止に
・東京神保町の伝統の「古本まつり」が中止に
・東京六大学早慶戦で、大太鼓による応援が禁止される
・大手洋菓子会社のクリスマス生産量が平年の2割減、街のクリスマスソングも控えめに
・創立記念などの祝賀会や個人の結婚披露宴も中止や延期に
・西武ライオンズが日本シリーズで優勝したものの、西武百貨店の系列店で恒例のセールは行われず

一方で、過剰な自粛に疑問を投げかける声もあり、中止された祭りの主催者などには抗議が殺到する事態にもなった。
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このたびのコロナ禍による「自粛」とは規模も内容も異なっているのですが、やはりすごい自粛ぶりですね。それに、政府による「自粛要請」があったわけではありませんから、いわば市民・国民によるいわば「自発的自粛」でありましたから、その意味ではコロナ禍による自粛よりも注目すべき出来事であると言うべきかもしれません。

(ただし「疑い深い」という悪癖の持ち主であるGGIは、政府が露骨に自粛を求めることはなかったとしても、それなりの関係筋がそれとなく密かに関係者に「自粛したほうがいいんじゃないの?天皇が死にかかっているんだぞ」などと圧力をかけた可能性は否定できないのではないかと思います)

ここで少し脱線して言葉づかいの問題です。「自粛」というのは本来「自ら進んで」行いや態度を慎むという意味ですので、上記の「自発的自粛」という表現は意味が重複しておりヘンな表現なのですが、このたびの国からの要請に基づく「自粛」すなわち誰か他者に言われて行う自粛と区別する意味で用いました。誰からか言われての自粛は、言葉の本来の意味からすると「自粛」というに値するものではないはずであり、正確には「他粛」あるいは「疑似自粛」とでも言うべきと考えられます。よく考えてみますと「自粛要請を行う」というのもヘンな表現です。言葉の意味からしますと「自粛」は誰か他者に要求するものではないからです。でも、もう世間やメディアでは国の要請に基づいたものにも関わらず「自粛」と言う言葉が多用されていますので、このGGIのつたない文章でも「自粛」と表現しておくことにします。

言葉の問題はともかく、この「自発的」自粛、GGIの記憶は定かではないのですが天皇の葬儀すなわち1989年2月24日の「大喪の礼」が終わるまでは続いたのではないかと思います。首都圏で暮らす知人は「大喪の礼」の日に街の様子を見るために外出、「自粛ぶりが凄かった、唯一の反米右翼、赤尾敏に出会ったのでサインをしてもらった!」などと申していました。

GGIも、大喪の礼が行われる日は京都御所は大厳戒で入れないかもしれないと思い、前日の2月23日に京都御所にひとりで「視察」に出かけました。やはり大厳戒であり、警察の車が木の茂みわんさか隠されていて、パトロールカーがしょっちゅう低速で「巡回」、ほとんど人影のない御所の砂利道をパトカーを横目にわざと緩慢に歩いていたときはちょっぴりビビりました・・・。この「自粛ブーム」と言い、この大厳戒ぶりと言い、日本はやっぱり天皇制さまのお国であることを身を以って強く実感いたしました。

ちなみに、2014年9月に公表された「昭和天皇実録」の内容を分析した「昭和天皇の戦後日本:憲法・安保体制に至る道」を著わした(2015年、岩波)豊下楢彦氏(元関西大学教授、外交史)は同書(65頁)において昭和天皇死去前後の自粛の様子について以下のように記しています。
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 各学校では相次いで運動会が取り止めになり、地方では秋の村祭りが中止されていった。テレビでは、有名タレントのコマーシャルから「お元気ですか」というフレーズが消され、丸の内のオフィス街では、昼間でもカーテンが降ろされた。まさに、「自粛」という名の異様きわまりない雰囲気が社会全体を覆った。その挙句に、昭和天皇が逝去すると、大新聞も含むメディアが、本来は「天子」の逝去を意味する「崩御」と言う言葉を使った。昭和天皇自身の「人間宣言」を挙げるまでもなく、そもそも新憲法のもとで使用されるべきでない言葉が流布したのである。
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いざとなれば、国が命じなくても自発的?に全国民が自粛してしまう社会、あるいは法的な強制力を伴わない、国による「自粛要請」に全国民が唯々諾々?と従ってしまう社会、これはどういうことでありませうか?どうしてこのような現象が起きるのでありませうか・・・どうもこうもない、それが当たり前ではないか、天皇の死は大変なことであるし、コロナはとっても怖ろしいからと考えの方もおられるかもしれませんが、社会全体があっという間に「自粛」に染まってしまうような社会は果たして健全な社会と言えるのであろうか、正常な社会の在り方であろうかなどとGGIは考えてしまいます・・・

このたびのコロナ禍に際しての「自粛要請」の成果があったことについて、たとえば「これは国民の努力の成果です。強制力がないのに一人ひとりが応じて行動する、日本人のすごさだ」などという声もありますが(越直美・前大津市長、朝日新聞)、果たしてほんとうに「日本人はすごい」のでありませうか?

確かに、このたびの自粛要請がコロナ禍を下火にするために一定の効果を有していたことは喜ぶべきことではありますが、喜んでばかりでいいのでせうか。このように国から要請されれば全国民が何一つ不平をいわずに粛々?と「自粛」してしまう社会・・・事の良し悪しは別として、近代的な民主主義国家であるとされる欧米の諸国では、日本におけるような自粛現象が起きるようなことはないのではないかと思われるのですが・・・・

昭和天皇死去前後の「自粛」にしても、このたびのコロナ禍に伴う「自粛」にしても、内心では、おかしいなあ、行き過ぎではないか、大迷惑だなどと疑問に感じている市民がいなかったわけではではないと思います。先に引用したハフィントンポスの記事でも、天皇死去にともなう自粛に関して「過剰な自粛に疑問の声」があったとされています。

また、このたびのコロナ禍に際しても、とりわけ小さなお店などを営んでいる人々やその従業員の方々、仕事を失った非正規雇用の人々、バイト先を失った貧乏学生の方々の中には「営業自粛」の要請に強い不満と疑問を感じておられる方が少なくないのではないかと思います。このような方々は「要請」というはいうものの、実質的には「自粛命令」であると感じていたのではないでせうか。

たとえば、大阪府知事は自粛要請後もまだ営業していたパチンコ屋さんを何が何でも閉店させるべく公の場で激しく名指しで非難しましたが、このような行為は「要請」とは名ばかり、実質的な「命令」であり事実上の強制に他なりません。それ故に行き過ぎた行為であったことは明きらかです。これでは自粛なんかではなく、まさに「他粛」であります。しかしながら、このたびの「自粛」に対する市民の疑義が大きな声となって表面化することはありませんでした。というよりは、メディアも少なからぬ市民による疑問の声を重要視して報道することを怠っていたというべきでありませう。メディアも「自粛の罠」にはまっていたのではないでせうか?

では、パチンコ屋さんをはじめ自粛要請に疑問と不満を感じていた方々は、なぜ最終的に「自粛要請」と言う名の命令に従ったのでせうか・・・理由は一つではないでしょうけれど、GGIの考えでは、多少乱暴に申しあげれば、「世間」に負けたのです。「世間」なるものの有形無形の圧力に負けたのです。「世間に従え」「おまえひとり、なに勝手なことをしてるんだ」「世間に、人さまに、迷惑をかけるな」などという「世間」なるもののルール負けたのでありませう。

最近流行の言葉で申し上げますと、GGIはこの言葉、妙にもっともらしい賢こぶった表現であまり好きではないのですが、いわゆる「同調圧力」に屈したということではないでせうか。昭和天皇死去前後の「自粛ブーム」も「天皇が死にかかっているんだぞ、そんなことしていていいのか、不敬罪だぞ」などという世間の風すなわち「同調圧力」に負けて、「誰かから後ろ指さされたりしないようにしよう」という気持ちが人々を萎縮させ、自粛へと導いたのではないでせうか・・・このたびにコロナ禍に際して「自粛警察」なるものが出現しているとされているのも「同調圧力」が存在していることの証左でありませう。

「このたびのコロナ禍に際して日本で自粛要請が大きな成果を上げたのは、日本が同調圧力の強い社会だからだ」とする海外の論評が見受けられます。GGIは、自粛要請が成果を上げたことのすべての原因が同調圧力の存在であるとは考えませんが、この指摘はいわば当たらずと言えども遠からず、ある程度は正鵠を射ているのではないかと思います。

いずれにしましても、何かをきっかけに「自粛」が多くの人々の中にやすやすと広がるような社会であってほしくないなあ、「自粛」という名の強力な「伝染病」はあまり流行ってほしくないなあ、とGGIは思っております

今日の写真はコロナ禍に関する緊急事態宣言が全国的に解除されたあとのわが湖畔の公園を撮ったものです。この公園、普段は休日でもたいして人影はないのですが、緊急事態宣言で自粛が要請されていたあいだは平日でも小さな子どもを連れた家族たちや学校が休みの少年少女たちで結構賑わっていました。けれども、自粛要請が解除されると人出が大幅に減り、いつものように静かになりました。自粛要請が解除されて人出が減ったのであります。まことに結構なことです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

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コロナな日々の隣で:未だに「解除」されていないもう一つの宣言:原子力非常事態宣言

2020-05-28 00:29:39 | 日記
5月25日にコロナに関する非常事態宣言がすべの地域で解除されましたね。まだ先行きは不透明であるものの、みなさんホッと一息でありませう。そこで今日はコロナから少し離れて原発問題についての話です。

5月13日の日記と5月17日の日記に、非常事態宣言の解除が近づいているけれど、9年前、福島原発事故に際して発された「原子力非常事態宣言」は未だに解除されていないことを簡単に記しました。

この問題は等閑視することが許されない大切な問題ではないかとGGIは思います。コロナに関する非常事態宣言が全国で解除されたのを機会に、原子力非常事態宣言の解除という問題について、以前の日記と重複する部分も多いのですが、特に法的な側面から、もう少し正確に記しておきたいと思います。面白い話ではなく、退屈かもしれませぬ。関心をお持ちの方は以下の一文をお読みになっていただければ幸いです。この一文はGGIも参加している「市民ウォーク」と称している脱原発デモに協力いただいている方々に向けに書いたものをそのままそっくり借用しものです。またまた手抜きでお恥ずかしい限りです。どうかお許しくださいませ。
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最近毎日のように報じられている新型コロナウイルスのことを考えていましたら、もうひとつの非常事態宣言のことを突然思いだしました。いまさらこのようなことを申し上げるのはまことに恥ずかしい限りですが、私はコロナ禍にすっかり気を取られていて、9年前の3月11日夕刻、当時の菅首相により「原子力非常事態宣言」が出されていたことをすっかり忘れていました。今でもしっかりご記憶の方もたくさんおられることと思いますが、思い出していただくために、まず、原子力非常事態宣言の文言とその付言を、首相官邸のホームページから引用して以下に記しておきます。

原子力非常事態宣言

平成23年(2011年)3月11日16時36分、東京電力㈱福島第一原子膂力発電所において、原子力災害特別措置法第15条1項2号の規定に該当する事象が発生し、原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要があると認められたため、同条の規定に基き、原子力非常事態宣言を発する。

(注) 現在のところ、放射性物質による施設の外部への影響は確認されていません。したがって、対象区域内の居住者、滞在者は現時点では直ちに特別な行動を起こす必要はありません。あわてて避難を始めることなく、それぞれの自宅や現在の居場所で待機し、防災行政無線、テレビ、ラジオ等で最新の情報を得るようにしてください。
 繰り返しますが、放射能が現に施設の外に漏れている状態ではありません。落ち着いて情報を得るようお願いいたします。

この非常事態宣言、現在どうなっているかが気になりましたので、ネットなどを通じて調べてみましたら、現在でも生きている、つまりコロナ禍に見舞われている今でも日本は原子力非常事態宣言の下にあり、宣言は今でも「解除」されていないことがわかりました。ことの良し悪しは別として、これは私には驚きでした。九年間も非常事態の宣言下にあるとは・・・・

宣言の「発出」と解除は法律的にどうなっているのか分かりかねましたので、さらに調べてみましたら、今中哲二氏(京大原子炉実験所)が原子力災害特別措置法(原災法)の条文に照らして、原子力緊急事態宣言解除の考え方や手順について説明しておられる一文(2018年8月)をネット上に掲載されていることを知りました。その中で「緊急事態解除宣言の手順」について今中氏は次のように説明されています。

《原災法15条に従えば、緊急事態応急対策の必要性がなくなったときは、緊急事態解除宣言が可能となる。一方、帰還困難区域など避難指示が続いているところは、「緊急事態応急対策を実施すべき地域」として公示されているので、帰還困難区域が残っている限り、現状では緊急事態宣言解除宣言はできない。(・・・・・)
 
原災法20条7によると、緊急事態解除宣言後に「原子力災害事後対策を実施すべき地域」を所掌するのは原子力災害対策本部(本部長は総理大臣)である。ところが2011年3月11日の“告示”によると、原子力災害対策本部の設置期間は「原子力緊急事態解除宣言があるまでの間」となっている。つまり現状では、原子力緊急事態解除宣言をすると原子力災害対策本部も廃止となってしまい、原子力災害事後対策ができなくなるというジレンマ状態になっている。

『どうしても解除宣言を!』ということであれば、賢いお役人が何とかするであろうが、『帰還困難区域』が残っている限り、原子力非常事態宣言の解除は難しい』という今中の認識は、いまのところ間違っていないように思う。》

福島第一原発の事故後、様々な対策が講じられてきましたが、現状は「復興」にほど遠いものです。帰宅困難区域の存在、困難を極める先行き不透明な廃炉作業、わずか4%少々の避難した人々の帰還率、不正だらけの手抜き除染の横行、被爆した人々をはじめとした福島県民の健康状態についての不十分な調査、住宅手当が打ち切られ生活が困窮している自主避難の人々、被災し避難した人々に対する「避難者」差別など、「復興」からは程遠い現状を考えますと、確かに、原子力緊急事態の解除が許されるような状態ではないと言うべきかもしれません。

しかし、「非常事態宣言」が9年間以上にわたり解除されていないという現状は常識的には考えらえない異常な事態ではないかと言うこともできます。
 
まだまだ復興は不十分であり、解除するわけにはいかない状態にあると認識しているのであるならば、政府は一日も早く宣言解除を実現すべく、福島の人々を支えるための「事後対策」をもっともっと積極的に講じるべきです。しかしながら、最近は、政府は「復興」していると喧伝することに熱心であるだけであり、「宣言」のことはもうすっかり忘れてしまったかのようです。このままでは、「原子力緊急宣言」は有名無実化して立ち腐れていくだけです。緊急宣言は出したものの、時間が経てばうやむやということであれば無責任以外の何ものでもありません。

今日の写真は福島第一原発1号機爆発の瞬間(2011年3月12日15時36分)です。クリックしてご覧になったください

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コロナな日々:やっとアベノマスク君がやってきましたが・・・

2020-05-25 00:23:39 | 日記
数日前、近くのコンビニに行きましたら棚にマスクの入った箱がひと箱だけ残っておりました。まだ知人に恵んでもらったマスクが10枚近くあるのですが、コロナさん、いつまで続くのか先行き不透明ですので、保険のつもりでこのマスクを買いました。50枚入り2500円、made in Chinaでありました。

店員さんに聞きました、
品薄で高いの?
高いですね。例年であれば、インフルエンザが流行っている頃でも700円ぐらいです

そして一昨日の午後、勝手口をトントンと叩く音がしました。だれだろうと思っていましたら声がしました

お忙しいところ失礼いたします。たいへん遅くなりましたが今日ようやくやってくることができました・・・

いったいどなたですか?

失礼いたしました。わたくし、アベノ・マスクと申します。私のことはすでにお聞きになっていることと存じますが・・・

君なあ、遅いやないか、もう全国的にコロナ宣言解除になるというのに、いまごろやってきてどういうつもりや

申し訳ありません、第三次世界大戦とも言うべき未曽有の国難に打ち勝つべく国民の身によりそって真摯に努力してまいったのでございますが、今後も国民のみなさんのために、全力で真摯に・・・ナントかカントかでございます・・・

君、いつも演説口調でしかモノが言えんのか?、君のワンパターンの巧言令色にはもう飽きた

アベノマスクの包を手に取ってみましたら、厚労省ナントカカントカと書いてあるだけで、メーカーが記されておりません

君なあ、メーカーが書いてないじゃないか、こんなことでは君はまがい物と思われても仕方ないぞ、アベノ・マスク君!談合で「お友だち」のいいかげんなメーカーに発注したのとちがうかあ、何しろ総額400億円余ものオイシイ仕事やからなあ・・・

いや、競争入札ではなく随意契約と聞いておいます

それならもっと「お友だち」に有利やないか

はあ・・・そんなこと私に言われましても・・・

わが庵にもアベノ・マスク君が到着したもののの、もう非常事態宣言も全国体に解除されるようだし、いまごろになってアベノ君に来られてもなあ・・・ったく、アベ・アンポンタンは何を考えているのや・・・

などと思っておりましたら、夜になって某知人から電話がありました

あのですねえ、アベノマスクのことなんだけれど・・・ボクのところにはまだ届いてないけれどGGIのところどう?・・・ああ、そうなの、今日届いたのですか、それはちょうどよかった・・・ところで、あのマスク、不要だったり受け取りたくない場合は無料で送り返せるんだって。週刊金曜日の最新号にそう書いてあった。だからボクの知り合いなんかに知らせようと思っているのです

というしだいで、今日の日記はアベノマスクについてのお知らせでございます。以下をご覧くださいませ

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☆ アベノマスクについてのご案内 ☆

もうそろそろ例の「アベノマスク」がみなさんにところに届きだしていることと思います。このマスクをどうするかはみなさんのご自由ですけれども、不要な方は無料で返送できますので参考のためにお知らせしておきます。

《アベノマスク不必要な人は普通郵便なら「受取拒否」と書いた付箋を貼り付けてポストに入れれば返送されます》

厚労省の担当者は「マスクを受け取りたくない場合はご自分のポストに〈マスク不要〉の張り紙をしてください。すでにポスティングされている場合は〈不要〉と書いてそのままポストに投函してください」と言っているそうです。

(週刊金曜日の5月22日号に、上記のように書かれているそうです)
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アベノマスクを前にしてGGIはただいま思案中であります。送り返してもいいのですけれど、全国で多くの方々が送り返したりしたら、郵便物の集配に携わっている方々に過重な労働を強いることになりかねないしなあ・・・ワン公やニャン公を飼っているなら、かれらにアベノマスクをかけさせてもいいのだけれど・・・嫌がるかなあ・・・

今日の写真は中国製マスクとアベノマスクを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

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コロナから離れて:奈良少年刑務所詩集、たった一行だけの詩・・・

2020-05-22 01:28:11 | 日記
前回の日記で、知人が紹介してくれた本、「奈良少年刑務所詩集」と題された二冊の本について記しました。知人の一文には四つの詩が紹介されていました。最初の三つの詩は、内容は誰にでも容易に理解できるものでしたが、四つ目の「くも」と題された、たった一行だけの詩、なぜ少年がこのような詩を書いたのか、何が言いたいのか、少し謎めいていて、GGIにはよくわかりませんでした・・・

《 空が青いから白をえらんだのです 》

何か不思議な感じのする詩なのですが、いまひとつよく理解できません。空は青いから、その青のなかで際立つように雲の色として白を選んだ・・・そこまではわかるのですが、誰が何のために青と対比をなす白を選んだのでせうか?・・・イマジネーションの豊かな方であれば、お分かりになるかもしれませんが、あいにくGGIの詩心はまことに心もとない限り、想像がつきかねました・・・

この一行だけの詩を読んで、みなさんのなかにも、いまひとつよく分からないなあと思われたた方が少なくないのではないかと思います。

なぜ、たった一行のこの詩が詩集の題名に用いられたのだろう、題名に選ばれるぐらいだから、きっと何か深いわけがあるに違いない・・・

でも、GGIもわかりませんでした。それで、まことに感心なことにGGIは本屋さんに頼んで、この一行だけの詩が紹介されている「空が青いから白をえらんだのです・奈良少年刑務所詩集」を手に入れ、ページをひらいてみました。最初のページにこの詩が載せられていました。

なお、この本は正確には奈良少年刑務所第一詩集とのことです

詩集を編纂した寮三千子さんが、この詩のあとに、少年が自分の作った詩を朗読したときの様子について、一文を書き記していました。その内容を以下に紹介いたします
----------------------
A 君は、普段はあまりものを言わない子でした。そんなA君が、
この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだしたのです。
「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で
『つらいことがあったら、空を見て。そこに私がいるから』
とぼくにいってくれました。それが最後の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
ぼく、小さかったから、何もできなくて・・・」
A君がそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げ、次々に語りだしました。
「この詩をかいたことが、A君の親孝行やと思いました」
「A君のおかあさんは、まっ白でふわふわなんやと思いました」
「ぼくはおかあさんを知りません。でも、この詩をよんで、空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」
と言った子は、そのままおいおいと泣きだしました。
自分の詩が、みんなに届き、心を揺さぶったことを感じたA君。
いつにない、はればれとした表情をしていました。

たった一行に込められた思いの深さ。そこからつながる心の輪。
「詩」によって開かれた心の扉に、目を見開かれる思いがしました。
---------------------
GGIの感想など、余計というものでありませう・・・

今日の写真は「空が青いから白を選んだのです・奈良少年刑務所詩集」(新潮文庫)の表紙を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

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コロナから少し離れて:「まだ生きてたん?」・・・奈良少年刑務所詩集・・・

2020-05-19 00:08:45 | 日記
GGIは月に一回開くことにしている小さな集まりのために、毎月、ニュースレターの形で案内状のようなものを送ることにしています。このニュースレターには長さ自由、内容もジャンルも自由という「つぶやきコーナー」と称する投稿欄を設けているのですが、先日、遠方の方から、「最近読んで感銘を受けた本についてつぶやきます」という投稿がありました。なかなかグッドな内容の投稿でありました。一読して、この「つぶやかれた」本のことをもっと広く知っていただいてもいいなあと思いました。

かようなしだいで、今日はまたまた手抜きですが、以下にこの投稿の内容を紹介することにいたします

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 前々月の「つぶやきコーナー」に掲載された某氏の刑務所についての「つぶやき」にちょっと刺激されて、最近読んで感銘を受けた本についてつぶやきたくなりました。
                                 
 読んだのは次の二冊です。
(1)「世界はもっと美しくなる・奈良少年刑務所詩集:ロクリン社
(2)「空が青いから白をえらんだのです・奈良少年刑務所詩集」:新潮社

 ちょうどある事で、甥から図書券を贈られたところでした。めったにないことなので、これは新書や文庫には使えないと思っていた時に、ラジオの「高橋源一郎の現代国語」で、これらの本を知りました。
 久しぶりに手にした重い本、白い紙の上の黒い美しい活字に吸い込まれてしまいました。環境も経歴も性も歳も、全く違う彼らの言葉に、こんなに共鳴し感動させられるとは――彼らの言葉(詩)が、人間共通の根っ子から出ているからに違いありません。
 言葉は災いにもなりますが、私達にとって宝物なのだと思えました。
 今まで気付かなかった事を教えてくれた、これ等の本と、ご縁を有難う!

 ちょっと(1)の本から引用してみます。

父と母から教わったこと

「あんたなんか産むんじゃなかった」という母の言葉
ぼくを湖に突き落として殺そうとした 父の行動
 小さい頃から ぼくは
 「生きていてはいけない人間」だと おしえられました
 入水 首つり 薬の大量服薬
 病院のベッドで 母からかけられる言葉は
 「まだ生きてたん?死ねばよかったのに」でした
 おとなは誰も助けてくれなかった
 僕には 生きる意味も価値もありません
 今でも考えは変わっていません
 ぼくは 必要のない人間です
 ただ 生きていくだけです
 これからも ずっと
   
生きること
 
人は一人では生きていけない
 誰かの為に何ができるか 日々考えて生きていきたい
 そうしたら僕自身も
 生きていて良いのだと 思えるだろうから
   
うれしかったこと

 ぼくがいままでに 一番うれしかたことは
友だちがいたことです。

 次に(2)の本から引用します

   くも

 空が青いから白をえらんだのです

 (これは一行だけの詩です)
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いかがでしたでしょうか?

GGIが何か感想を記すなんて・・・まったく余計というものでありませう・・・

詩の紹介のあとに、この二冊の本の背景と、明治の名煉瓦建築としても知られる奈良少年刑務所の建築物につていの説明が書き加えられていました。

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※二冊の本の概要
詩集の編者:寮 三千子、1955年生まれ、2005年「楽園の鳥」で泉鏡花賞受賞
翌年 奈良に転居、2007年から夫とともに、奈良少年刑務所の「社会性涵養プログラム」の講師をつとめる。
一月に一回一時間半のクラス六回を一コースとする。
前半は、心の鎧を解くために、後半から詩の朗読や作ることに移る。
彼らは強盗、殺人、レイプ、放火、薬物違反などの重い罪を犯した加害者だが、生い立ちは、貧困、育児放棄、虐待、いじめ、拷問に近い躾などの被害者である。この事実を受け入れつつ、関係者は更生社会復帰に尽力する。

刑務所の建築物について
  明治41年建築のレンガ造りの名建築(前身は奈良監獄)
  詩集の編者、寮さんは2014年、「奈良少年刑務所を宝に思う会」をたちあげる。
  2017年、刑務所は廃庁になり、建築物は国の重要文化財になった。設計者はジャズ・ピア ニスト山下洋輔の祖父。2021年に「監獄ホテル」として開業の予定とのこと。

実は、GGIは5年ほど前に奈良少年刑務所を見学したことがあります。そのときのことを2015年2月7日の日記2月9日の日記、さらに4月15日の日記にも書いています。写真も掲載しています。よろしければご覧になってください。

今日の写真は「世界はもっと美しくなる・奈良少年刑務所詩集」(ロクリン社)の表紙を撮ったものです。この本には少年たちの詩だけではなく、赤レンガの建物の細部を撮った写真もたくさん掲載されています。よろしければ本屋さんで手に取ってご覧になってくださいませ。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
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