前回の日記では、もうひとつの緊急事態宣言すなわち9年前に出されたまま未だに「解除」されていない「原子力非常事態宣言」について書きましたが、これは「私たちは忘れっぽい、とにかく簡単に忘れてしまう」という自戒の念を込めたものでありました。
今日はもうひとつ、GGIも含めて、多くの人がまたしても忘れているのではないかと思われる大きな出来事につていの話、前回の日記の続編とも言うべきはなしです。このたびのコロナ禍で毎日のように耳にする「自粛」についての話です。
日本ではコロナ禍、一段落ついたということで、ご存知のように、5月25日に全国のすべての地域で非常事態宣言が解除されましたね。このため自治体による市民の行動や様々な業種に対する自粛要請が段階的に解除されつつあります。専門家たちによる国の委員会は、政府による全国民に対する日常行動や営業活動などについての自粛要請が行き届き多くの国民が従ったことがコロナ流行の鎮静化に功を奏したことを認めています。また海外でも、日本における新型コロナウイルス感染による死亡率が欧米に比べて明らかに低いことの理由のひとつは、警察などによる規制といった法的強制力を伴わずに政府による自粛要請が全国民に浸透したことであるとして、驚きをもって評価されているようです。
(ただし、5月30日の朝日によれば、29日に行われた政府の専門家会議では、感染のピークは実は緊急宣言の前の4月1日ごろであったとされており、会議のメンバーの中には「結果的に宣言のタイミングは遅かった」との見方もあったとされています。この説が正しいとすると、自粛要請はピークに達した後の新たな感染者の減少スピードを加速することに貢献していたということになりますので、「自粛要請」による成果は割り引いて考える必要があるでせう)
ところで、日本において全国的規模で「自粛」が行われたのは、実はこのたびのコロナ禍が初めてではありませぬ。平成生まれの方はご存知ないでしょうけれど、平成の初めごろまでに大きくなっておられた方は覚えておいでのはずであります。
昭和末年から平成元年にかけてのことです。つまり1988年秋ごろから1989年の(おそらく)二月ごろまでの話です。もうお分かりでありませう。そうです、昭和天皇死去前後のことです。
昭和天皇が亡くなったのは1989年1月7日。亡くなる前年の秋、1988年9月19日に天皇の容体悪化が伝えられました。それ以降、政府が自粛要請を公に宣言したしたわけではないのですが、このたびのコロナ禍の場合と同様に、「自粛ムード」が天皇の病気を理由にして急速に広がり日本全土を覆いました。ただし、自粛期間はコロナ禍の場合よりもずっと長く、四か月以上に及びました
最初に敏感に反応したのはメディア、特にテレビ界であったとされています。ハフィントンポストによりますと、1993年6月18日の朝日新聞に掲載された記事で以下のように報じられていたとされています。
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読者・視聴者の周辺では「自粛ブーム」が表面化しはじめた・・・最初に強い反応を見せたのはメディアだった。大半のテレビ局は、特別ニュース番組を組む一方で、娯楽番組を中止、変更した。放送専門誌「放送レポート」によれば、9月24日、25日両日の中止・打ち切り番組は二十八にのぼる。「今夜は最高!」「コラーッ!とんねるず」「ついでにトンチンカン」などだ。問題になったのは「笑い」だった。「オールナイトフジ」や「笑っていいとも増刊号」を中止したフジテレビ番組広報室は「(当時の担当者によれば)陛下が危機の場合、はではでしい笑いを伴う娯楽番組は自粛する、との社内マニュアルに沿った」という。自粛はテレビCMにも及んだ》
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メディアにおける自粛だけにはとどまりませんでした。上記のハフィントンポストに記事には以下のように記されています
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1988年10月~12月に朝日新聞が掲載した「自粛の街を歩く」という連載記事では、以下のような「自粛」が行われていたとされています。
・各地での秋祭りの中止に
・東京神保町の伝統の「古本まつり」が中止に
・東京六大学早慶戦で、大太鼓による応援が禁止される
・大手洋菓子会社のクリスマス生産量が平年の2割減、街のクリスマスソングも控えめに
・創立記念などの祝賀会や個人の結婚披露宴も中止や延期に
・西武ライオンズが日本シリーズで優勝したものの、西武百貨店の系列店で恒例のセールは行われず
一方で、過剰な自粛に疑問を投げかける声もあり、中止された祭りの主催者などには抗議が殺到する事態にもなった。
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このたびのコロナ禍による「自粛」とは規模も内容も異なっているのですが、やはりすごい自粛ぶりですね。それに、政府による「自粛要請」があったわけではありませんから、いわば市民・国民によるいわば「自発的自粛」でありましたから、その意味ではコロナ禍による自粛よりも注目すべき出来事であると言うべきかもしれません。
(ただし「疑い深い」という悪癖の持ち主であるGGIは、政府が露骨に自粛を求めることはなかったとしても、それなりの関係筋がそれとなく密かに関係者に「自粛したほうがいいんじゃないの?天皇が死にかかっているんだぞ」などと圧力をかけた可能性は否定できないのではないかと思います)
ここで少し脱線して言葉づかいの問題です。「自粛」というのは本来「自ら進んで」行いや態度を慎むという意味ですので、上記の「自発的自粛」という表現は意味が重複しておりヘンな表現なのですが、このたびの国からの要請に基づく「自粛」すなわち誰か他者に言われて行う自粛と区別する意味で用いました。誰からか言われての自粛は、言葉の本来の意味からすると「自粛」というに値するものではないはずであり、正確には「他粛」あるいは「疑似自粛」とでも言うべきと考えられます。よく考えてみますと「自粛要請を行う」というのもヘンな表現です。言葉の意味からしますと「自粛」は誰か他者に要求するものではないからです。でも、もう世間やメディアでは国の要請に基づいたものにも関わらず「自粛」と言う言葉が多用されていますので、このGGIのつたない文章でも「自粛」と表現しておくことにします。
言葉の問題はともかく、この「自発的」自粛、GGIの記憶は定かではないのですが天皇の葬儀すなわち1989年2月24日の「大喪の礼」が終わるまでは続いたのではないかと思います。首都圏で暮らす知人は「大喪の礼」の日に街の様子を見るために外出、「自粛ぶりが凄かった、唯一の反米右翼、赤尾敏に出会ったのでサインをしてもらった!」などと申していました。
GGIも、大喪の礼が行われる日は京都御所は大厳戒で入れないかもしれないと思い、前日の2月23日に京都御所にひとりで「視察」に出かけました。やはり大厳戒であり、警察の車が木の茂みわんさか隠されていて、パトロールカーがしょっちゅう低速で「巡回」、ほとんど人影のない御所の砂利道をパトカーを横目にわざと緩慢に歩いていたときはちょっぴりビビりました・・・。この「自粛ブーム」と言い、この大厳戒ぶりと言い、日本はやっぱり天皇制さまのお国であることを身を以って強く実感いたしました。
ちなみに、2014年9月に公表された「昭和天皇実録」の内容を分析した「昭和天皇の戦後日本:憲法・安保体制に至る道」を著わした(2015年、岩波)豊下楢彦氏(元関西大学教授、外交史)は同書(65頁)において昭和天皇死去前後の自粛の様子について以下のように記しています。
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各学校では相次いで運動会が取り止めになり、地方では秋の村祭りが中止されていった。テレビでは、有名タレントのコマーシャルから「お元気ですか」というフレーズが消され、丸の内のオフィス街では、昼間でもカーテンが降ろされた。まさに、「自粛」という名の異様きわまりない雰囲気が社会全体を覆った。その挙句に、昭和天皇が逝去すると、大新聞も含むメディアが、本来は「天子」の逝去を意味する「崩御」と言う言葉を使った。昭和天皇自身の「人間宣言」を挙げるまでもなく、そもそも新憲法のもとで使用されるべきでない言葉が流布したのである。
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いざとなれば、国が命じなくても自発的?に全国民が自粛してしまう社会、あるいは法的な強制力を伴わない、国による「自粛要請」に全国民が唯々諾々?と従ってしまう社会、これはどういうことでありませうか?どうしてこのような現象が起きるのでありませうか・・・どうもこうもない、それが当たり前ではないか、天皇の死は大変なことであるし、コロナはとっても怖ろしいからと考えの方もおられるかもしれませんが、社会全体があっという間に「自粛」に染まってしまうような社会は果たして健全な社会と言えるのであろうか、正常な社会の在り方であろうかなどとGGIは考えてしまいます・・・
このたびのコロナ禍に際しての「自粛要請」の成果があったことについて、たとえば「これは国民の努力の成果です。強制力がないのに一人ひとりが応じて行動する、日本人のすごさだ」などという声もありますが(越直美・前大津市長、朝日新聞)、果たしてほんとうに「日本人はすごい」のでありませうか?
確かに、このたびの自粛要請がコロナ禍を下火にするために一定の効果を有していたことは喜ぶべきことではありますが、喜んでばかりでいいのでせうか。このように国から要請されれば全国民が何一つ不平をいわずに粛々?と「自粛」してしまう社会・・・事の良し悪しは別として、近代的な民主主義国家であるとされる欧米の諸国では、日本におけるような自粛現象が起きるようなことはないのではないかと思われるのですが・・・・
昭和天皇死去前後の「自粛」にしても、このたびのコロナ禍に伴う「自粛」にしても、内心では、おかしいなあ、行き過ぎではないか、大迷惑だなどと疑問に感じている市民がいなかったわけではではないと思います。先に引用したハフィントンポスの記事でも、天皇死去にともなう自粛に関して「過剰な自粛に疑問の声」があったとされています。
また、このたびのコロナ禍に際しても、とりわけ小さなお店などを営んでいる人々やその従業員の方々、仕事を失った非正規雇用の人々、バイト先を失った貧乏学生の方々の中には「営業自粛」の要請に強い不満と疑問を感じておられる方が少なくないのではないかと思います。このような方々は「要請」というはいうものの、実質的には「自粛命令」であると感じていたのではないでせうか。
たとえば、大阪府知事は自粛要請後もまだ営業していたパチンコ屋さんを何が何でも閉店させるべく公の場で激しく名指しで非難しましたが、このような行為は「要請」とは名ばかり、実質的な「命令」であり事実上の強制に他なりません。それ故に行き過ぎた行為であったことは明きらかです。これでは自粛なんかではなく、まさに「他粛」であります。しかしながら、このたびの「自粛」に対する市民の疑義が大きな声となって表面化することはありませんでした。というよりは、メディアも少なからぬ市民による疑問の声を重要視して報道することを怠っていたというべきでありませう。メディアも「自粛の罠」にはまっていたのではないでせうか?
では、パチンコ屋さんをはじめ自粛要請に疑問と不満を感じていた方々は、なぜ最終的に「自粛要請」と言う名の命令に従ったのでせうか・・・理由は一つではないでしょうけれど、GGIの考えでは、多少乱暴に申しあげれば、「世間」に負けたのです。「世間」なるものの有形無形の圧力に負けたのです。「世間に従え」「おまえひとり、なに勝手なことをしてるんだ」「世間に、人さまに、迷惑をかけるな」などという「世間」なるもののルール負けたのでありませう。
最近流行の言葉で申し上げますと、GGIはこの言葉、妙にもっともらしい賢こぶった表現であまり好きではないのですが、いわゆる「同調圧力」に屈したということではないでせうか。昭和天皇死去前後の「自粛ブーム」も「天皇が死にかかっているんだぞ、そんなことしていていいのか、不敬罪だぞ」などという世間の風すなわち「同調圧力」に負けて、「誰かから後ろ指さされたりしないようにしよう」という気持ちが人々を萎縮させ、自粛へと導いたのではないでせうか・・・このたびにコロナ禍に際して「自粛警察」なるものが出現しているとされているのも「同調圧力」が存在していることの証左でありませう。
「このたびのコロナ禍に際して日本で自粛要請が大きな成果を上げたのは、日本が同調圧力の強い社会だからだ」とする海外の論評が見受けられます。GGIは、自粛要請が成果を上げたことのすべての原因が同調圧力の存在であるとは考えませんが、この指摘はいわば当たらずと言えども遠からず、ある程度は正鵠を射ているのではないかと思います。
いずれにしましても、何かをきっかけに「自粛」が多くの人々の中にやすやすと広がるような社会であってほしくないなあ、「自粛」という名の強力な「伝染病」はあまり流行ってほしくないなあ、とGGIは思っております
今日の写真はコロナ禍に関する緊急事態宣言が全国的に解除されたあとのわが湖畔の公園を撮ったものです。この公園、普段は休日でもたいして人影はないのですが、緊急事態宣言で自粛が要請されていたあいだは平日でも小さな子どもを連れた家族たちや学校が休みの少年少女たちで結構賑わっていました。けれども、自粛要請が解除されると人出が大幅に減り、いつものように静かになりました。自粛要請が解除されて人出が減ったのであります。まことに結構なことです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
今日はもうひとつ、GGIも含めて、多くの人がまたしても忘れているのではないかと思われる大きな出来事につていの話、前回の日記の続編とも言うべきはなしです。このたびのコロナ禍で毎日のように耳にする「自粛」についての話です。
日本ではコロナ禍、一段落ついたということで、ご存知のように、5月25日に全国のすべての地域で非常事態宣言が解除されましたね。このため自治体による市民の行動や様々な業種に対する自粛要請が段階的に解除されつつあります。専門家たちによる国の委員会は、政府による全国民に対する日常行動や営業活動などについての自粛要請が行き届き多くの国民が従ったことがコロナ流行の鎮静化に功を奏したことを認めています。また海外でも、日本における新型コロナウイルス感染による死亡率が欧米に比べて明らかに低いことの理由のひとつは、警察などによる規制といった法的強制力を伴わずに政府による自粛要請が全国民に浸透したことであるとして、驚きをもって評価されているようです。
(ただし、5月30日の朝日によれば、29日に行われた政府の専門家会議では、感染のピークは実は緊急宣言の前の4月1日ごろであったとされており、会議のメンバーの中には「結果的に宣言のタイミングは遅かった」との見方もあったとされています。この説が正しいとすると、自粛要請はピークに達した後の新たな感染者の減少スピードを加速することに貢献していたということになりますので、「自粛要請」による成果は割り引いて考える必要があるでせう)
ところで、日本において全国的規模で「自粛」が行われたのは、実はこのたびのコロナ禍が初めてではありませぬ。平成生まれの方はご存知ないでしょうけれど、平成の初めごろまでに大きくなっておられた方は覚えておいでのはずであります。
昭和末年から平成元年にかけてのことです。つまり1988年秋ごろから1989年の(おそらく)二月ごろまでの話です。もうお分かりでありませう。そうです、昭和天皇死去前後のことです。
昭和天皇が亡くなったのは1989年1月7日。亡くなる前年の秋、1988年9月19日に天皇の容体悪化が伝えられました。それ以降、政府が自粛要請を公に宣言したしたわけではないのですが、このたびのコロナ禍の場合と同様に、「自粛ムード」が天皇の病気を理由にして急速に広がり日本全土を覆いました。ただし、自粛期間はコロナ禍の場合よりもずっと長く、四か月以上に及びました
最初に敏感に反応したのはメディア、特にテレビ界であったとされています。ハフィントンポストによりますと、1993年6月18日の朝日新聞に掲載された記事で以下のように報じられていたとされています。
----------------
読者・視聴者の周辺では「自粛ブーム」が表面化しはじめた・・・最初に強い反応を見せたのはメディアだった。大半のテレビ局は、特別ニュース番組を組む一方で、娯楽番組を中止、変更した。放送専門誌「放送レポート」によれば、9月24日、25日両日の中止・打ち切り番組は二十八にのぼる。「今夜は最高!」「コラーッ!とんねるず」「ついでにトンチンカン」などだ。問題になったのは「笑い」だった。「オールナイトフジ」や「笑っていいとも増刊号」を中止したフジテレビ番組広報室は「(当時の担当者によれば)陛下が危機の場合、はではでしい笑いを伴う娯楽番組は自粛する、との社内マニュアルに沿った」という。自粛はテレビCMにも及んだ》
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メディアにおける自粛だけにはとどまりませんでした。上記のハフィントンポストに記事には以下のように記されています
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1988年10月~12月に朝日新聞が掲載した「自粛の街を歩く」という連載記事では、以下のような「自粛」が行われていたとされています。
・各地での秋祭りの中止に
・東京神保町の伝統の「古本まつり」が中止に
・東京六大学早慶戦で、大太鼓による応援が禁止される
・大手洋菓子会社のクリスマス生産量が平年の2割減、街のクリスマスソングも控えめに
・創立記念などの祝賀会や個人の結婚披露宴も中止や延期に
・西武ライオンズが日本シリーズで優勝したものの、西武百貨店の系列店で恒例のセールは行われず
一方で、過剰な自粛に疑問を投げかける声もあり、中止された祭りの主催者などには抗議が殺到する事態にもなった。
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このたびのコロナ禍による「自粛」とは規模も内容も異なっているのですが、やはりすごい自粛ぶりですね。それに、政府による「自粛要請」があったわけではありませんから、いわば市民・国民によるいわば「自発的自粛」でありましたから、その意味ではコロナ禍による自粛よりも注目すべき出来事であると言うべきかもしれません。
(ただし「疑い深い」という悪癖の持ち主であるGGIは、政府が露骨に自粛を求めることはなかったとしても、それなりの関係筋がそれとなく密かに関係者に「自粛したほうがいいんじゃないの?天皇が死にかかっているんだぞ」などと圧力をかけた可能性は否定できないのではないかと思います)
ここで少し脱線して言葉づかいの問題です。「自粛」というのは本来「自ら進んで」行いや態度を慎むという意味ですので、上記の「自発的自粛」という表現は意味が重複しておりヘンな表現なのですが、このたびの国からの要請に基づく「自粛」すなわち誰か他者に言われて行う自粛と区別する意味で用いました。誰からか言われての自粛は、言葉の本来の意味からすると「自粛」というに値するものではないはずであり、正確には「他粛」あるいは「疑似自粛」とでも言うべきと考えられます。よく考えてみますと「自粛要請を行う」というのもヘンな表現です。言葉の意味からしますと「自粛」は誰か他者に要求するものではないからです。でも、もう世間やメディアでは国の要請に基づいたものにも関わらず「自粛」と言う言葉が多用されていますので、このGGIのつたない文章でも「自粛」と表現しておくことにします。
言葉の問題はともかく、この「自発的」自粛、GGIの記憶は定かではないのですが天皇の葬儀すなわち1989年2月24日の「大喪の礼」が終わるまでは続いたのではないかと思います。首都圏で暮らす知人は「大喪の礼」の日に街の様子を見るために外出、「自粛ぶりが凄かった、唯一の反米右翼、赤尾敏に出会ったのでサインをしてもらった!」などと申していました。
GGIも、大喪の礼が行われる日は京都御所は大厳戒で入れないかもしれないと思い、前日の2月23日に京都御所にひとりで「視察」に出かけました。やはり大厳戒であり、警察の車が木の茂みわんさか隠されていて、パトロールカーがしょっちゅう低速で「巡回」、ほとんど人影のない御所の砂利道をパトカーを横目にわざと緩慢に歩いていたときはちょっぴりビビりました・・・。この「自粛ブーム」と言い、この大厳戒ぶりと言い、日本はやっぱり天皇制さまのお国であることを身を以って強く実感いたしました。
ちなみに、2014年9月に公表された「昭和天皇実録」の内容を分析した「昭和天皇の戦後日本:憲法・安保体制に至る道」を著わした(2015年、岩波)豊下楢彦氏(元関西大学教授、外交史)は同書(65頁)において昭和天皇死去前後の自粛の様子について以下のように記しています。
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各学校では相次いで運動会が取り止めになり、地方では秋の村祭りが中止されていった。テレビでは、有名タレントのコマーシャルから「お元気ですか」というフレーズが消され、丸の内のオフィス街では、昼間でもカーテンが降ろされた。まさに、「自粛」という名の異様きわまりない雰囲気が社会全体を覆った。その挙句に、昭和天皇が逝去すると、大新聞も含むメディアが、本来は「天子」の逝去を意味する「崩御」と言う言葉を使った。昭和天皇自身の「人間宣言」を挙げるまでもなく、そもそも新憲法のもとで使用されるべきでない言葉が流布したのである。
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いざとなれば、国が命じなくても自発的?に全国民が自粛してしまう社会、あるいは法的な強制力を伴わない、国による「自粛要請」に全国民が唯々諾々?と従ってしまう社会、これはどういうことでありませうか?どうしてこのような現象が起きるのでありませうか・・・どうもこうもない、それが当たり前ではないか、天皇の死は大変なことであるし、コロナはとっても怖ろしいからと考えの方もおられるかもしれませんが、社会全体があっという間に「自粛」に染まってしまうような社会は果たして健全な社会と言えるのであろうか、正常な社会の在り方であろうかなどとGGIは考えてしまいます・・・
このたびのコロナ禍に際しての「自粛要請」の成果があったことについて、たとえば「これは国民の努力の成果です。強制力がないのに一人ひとりが応じて行動する、日本人のすごさだ」などという声もありますが(越直美・前大津市長、朝日新聞)、果たしてほんとうに「日本人はすごい」のでありませうか?
確かに、このたびの自粛要請がコロナ禍を下火にするために一定の効果を有していたことは喜ぶべきことではありますが、喜んでばかりでいいのでせうか。このように国から要請されれば全国民が何一つ不平をいわずに粛々?と「自粛」してしまう社会・・・事の良し悪しは別として、近代的な民主主義国家であるとされる欧米の諸国では、日本におけるような自粛現象が起きるようなことはないのではないかと思われるのですが・・・・
昭和天皇死去前後の「自粛」にしても、このたびのコロナ禍に伴う「自粛」にしても、内心では、おかしいなあ、行き過ぎではないか、大迷惑だなどと疑問に感じている市民がいなかったわけではではないと思います。先に引用したハフィントンポスの記事でも、天皇死去にともなう自粛に関して「過剰な自粛に疑問の声」があったとされています。
また、このたびのコロナ禍に際しても、とりわけ小さなお店などを営んでいる人々やその従業員の方々、仕事を失った非正規雇用の人々、バイト先を失った貧乏学生の方々の中には「営業自粛」の要請に強い不満と疑問を感じておられる方が少なくないのではないかと思います。このような方々は「要請」というはいうものの、実質的には「自粛命令」であると感じていたのではないでせうか。
たとえば、大阪府知事は自粛要請後もまだ営業していたパチンコ屋さんを何が何でも閉店させるべく公の場で激しく名指しで非難しましたが、このような行為は「要請」とは名ばかり、実質的な「命令」であり事実上の強制に他なりません。それ故に行き過ぎた行為であったことは明きらかです。これでは自粛なんかではなく、まさに「他粛」であります。しかしながら、このたびの「自粛」に対する市民の疑義が大きな声となって表面化することはありませんでした。というよりは、メディアも少なからぬ市民による疑問の声を重要視して報道することを怠っていたというべきでありませう。メディアも「自粛の罠」にはまっていたのではないでせうか?
では、パチンコ屋さんをはじめ自粛要請に疑問と不満を感じていた方々は、なぜ最終的に「自粛要請」と言う名の命令に従ったのでせうか・・・理由は一つではないでしょうけれど、GGIの考えでは、多少乱暴に申しあげれば、「世間」に負けたのです。「世間」なるものの有形無形の圧力に負けたのです。「世間に従え」「おまえひとり、なに勝手なことをしてるんだ」「世間に、人さまに、迷惑をかけるな」などという「世間」なるもののルール負けたのでありませう。
最近流行の言葉で申し上げますと、GGIはこの言葉、妙にもっともらしい賢こぶった表現であまり好きではないのですが、いわゆる「同調圧力」に屈したということではないでせうか。昭和天皇死去前後の「自粛ブーム」も「天皇が死にかかっているんだぞ、そんなことしていていいのか、不敬罪だぞ」などという世間の風すなわち「同調圧力」に負けて、「誰かから後ろ指さされたりしないようにしよう」という気持ちが人々を萎縮させ、自粛へと導いたのではないでせうか・・・このたびにコロナ禍に際して「自粛警察」なるものが出現しているとされているのも「同調圧力」が存在していることの証左でありませう。
「このたびのコロナ禍に際して日本で自粛要請が大きな成果を上げたのは、日本が同調圧力の強い社会だからだ」とする海外の論評が見受けられます。GGIは、自粛要請が成果を上げたことのすべての原因が同調圧力の存在であるとは考えませんが、この指摘はいわば当たらずと言えども遠からず、ある程度は正鵠を射ているのではないかと思います。
いずれにしましても、何かをきっかけに「自粛」が多くの人々の中にやすやすと広がるような社会であってほしくないなあ、「自粛」という名の強力な「伝染病」はあまり流行ってほしくないなあ、とGGIは思っております
今日の写真はコロナ禍に関する緊急事態宣言が全国的に解除されたあとのわが湖畔の公園を撮ったものです。この公園、普段は休日でもたいして人影はないのですが、緊急事態宣言で自粛が要請されていたあいだは平日でも小さな子どもを連れた家族たちや学校が休みの少年少女たちで結構賑わっていました。けれども、自粛要請が解除されると人出が大幅に減り、いつものように静かになりました。自粛要請が解除されて人出が減ったのであります。まことに結構なことです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!