UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

もう満開!

2024-03-31 14:00:21 | 日記
わが庵のガーデンではもう満開です!
ただし、前回の日記に書きましたが
マンカイなのは桜ではなく杏(アンズ)の花でございます

桜でなくても結構なものは結構とお思いの方は写真をクリックしてご覧ください。やっぱり「花はサクラ」と思われる方は地獄に堕ちてくださいませ

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おい、わがガーデンの桜が早くも咲いたぞ! ウソや! ほんまや! でもウソや!

2024-03-25 17:53:16 | 日記
今年は春寒のせいでしょうか、桜の開花が遅れております。
しかし、私の行いが良いせいでせうか、わがガーデンではすでに開花しており、満開近しという感じです。それで今日のお昼前、これはめでたいと庭に出て写真を撮っておりましたら、いつも近所をぶらぶら歩きまわっているブラブラ・オッサンが通りかかりました

それで私は声をかけました

「お~い、オッサンよ、うちの桜、もう咲いているぞ!ほら、見てみろ!」
「お~! 咲いてるなあ。キレイやなあ・・・でも早いなあ・・・」
「そうやろ、オレの行いがエエから世間様の桜より早く開花したんや」

オッサン、しばらく沈黙した後曰く、
「ウソや!これは桜やない、花びらの感じがちがう、ウソ言うたらアカン」
「櫻と違うなら何やというのや?」
「う~ん、梅かなあ・・・」
「アホなこというな、梅の季節はとっくに過ぎているぞ!」
「そやなあ、でも桜というのはウソや! 桃の花かなあ」
「そんなデタラメ言うたらあかん、桃の花はもっとピンクや!」
「そやけど、これは絶対に桜やない、あんたはとにかくウソつきや!」

かようにしばらく押し問答していたのですが、キリがありませんので正解を申しました

「おっしゃるとおり、これは桜に似て非なるもの、すなわちアンズ(杏)の花でございます。キレイなものはキレイ、だからこの花が桜かどうかなんて気にしないでいいのです」
「こら!ごまかすな!桜ではないのやから、やっぱりあんたはウソつきや!」

今日の写真は桜もどきの、わがガーデンにこの数日のうちに開花したアンズの花でございます。よろしければクリックしてご覧になり、愛でてやってくださいませ

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歴史のお勉強:昭和天皇の姑息な言いわけを諌めた初代宮内府長官・・

2024-03-21 01:00:20 | 日記
最近、先の大戦で敗戦した後、1948年(昭和23年6月)から宮内府(宮内庁の前身:注参照)の初代長官を務めた田島道治(みちじ)という人物が昭和天皇と交わした会話の記録である「拝謁記」の内容が公開され、内容の一部が2月8日の朝日新聞夕刊(「側近が記した「昭和」」と題された特集記事)に掲載されていました。以下はこの記事の一部を引用したものです。
(注)終戦時に6200人の職員がいた宮内省は戦後1500人に縮小され、宮内府を経て宮内庁に改編されました)

田島氏は皇室とは無縁の経済人であり、天皇と国民の距離を使づけるのが自分の任務と考えて、退位を求める国民の手紙を天皇に見せたことがあるそうです。

1949年2月10日の記録によれば、天皇はこの国民からの手紙を読んで「(太平洋戦争開戦の日、1941年12月8日の開戦の詔書において)朕が(私の)志ならんや(真意ではない)と言っていることなど(国民は)少しも読み分けてくれない(理解してくれない)」など不満を述べたそうです。

つまり、かつて「大元帥」であった天皇は、「あの開戦の詔書において、戦争を行うのは私の真意ではないと、ちゃんと言っているではないか(注参照)、そのことを国民は分かってくれない」と不満を述べたのです。自分に真意に反して軍人たちが勝手に戦争を始めたのだ、だから自分に責任はない、どうして退位しなければならないのか、とでも言いたかったのでしょうか・・・

(注:開戦の詔書の中で、天皇は「今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」=「今や不幸にして、米英両国との戦争を開始するに至った、誠にやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない」と述べていることを指しています)

私は只々この屁理屈のような言い訳にあきれてしまったのですがに、このときの田島氏の対応は筋の通ったものでありました。田島氏は以下のように直言して、天皇を諌めたのです

田島氏はこの天皇の不満に対して以下のように応じたのです・
「陛下としてはそうお感じかもしれませぬが・・・日本には承詔必謹(しょうしょうひっきん=天皇の命には必ず従う)の風がありますし、『朕が志ならんや』は宣戦の詔書においては決まり文句であり、陛下の真意に背いてやむを得ず開戦の詔書を出すとは考えないのが普通です」と、 なかなか思い切ってはっきり天皇の弁解の言葉を否定しているのです。

つまりですね、「天皇よ、あなたはそのように感じるかもしれないが、日本では昔から『天皇の命令には必ず従わなければならない』ということになっているのですよ。そのうえ、「私の本意ではない」というのは戦争を始めるときの常套句、決まり文句に過ぎません。だから、天皇が自分の意思に反して開戦の詔書を発表することがあるなどと国民が考えないのは当然なのです」と天皇の姑息な言い訳をバッサリ切って捨てているのです。

確かに、日本に限らず、戦争を始めるときは、指導者は「これは我が国を守るための戦争だ、自衛のためなんだ、ほんとうは戦争なんかやりたくないんだ、意に反してやむを得ず戦端を開くのだ、正義のための闘いだ」と言った意味のことを必ず口にするのです。

たとえばあのプーチンさんだって「ほんまは戦争なんかしたくないんや、だけどウクライナを放置しとくと我が国はNATO諸国に包囲されてしまうやないか、だからやむを得ず戦争することにしたんや、本意じゃないのや、自衛のたなんや」というところでありませう。

だいたいにおいて、戦争を仕掛ける側はかならず「自衛のための戦争だ、だからやむを得ず戦端を開くのだ」と高らかに宣言するのが歴史の真実であるといってもよいでありませう。その証拠に、上記の昭和天皇による開戦の詔書でも、最後の部分に「ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない」という意味のことが記されており、自衛のための戦争ということが強調されています。

 ただ、この宮内府長官の田島氏の言葉で天皇が十分に反省したかは、大いに疑問です。
今日の写真は1952年ごろの天皇の写真です。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ

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たったの一夜で死者10万人、被災者100万人、焼失家屋27万戸という超大惨事を知っていますか?

2024-03-12 01:02:25 | 日記
昨日、3月11日は東日本大震災・東電福島原発の大事故から23年ということでテレビや新聞ネットなどでは関連ニュースがたくさん報じられていました。また、最近は東電福島原発の事故に関連して、能登半島地震と原発あるいは原子力防災の問題が報じられることも少なくなく、一方においてウクライナにおける戦争、パレスチナ・ガザ地区での戦闘についてのニュースも依然として続いています。

これらはいずれも多数の人々の生命に関わる出来事でありますので、さかんに報道されるのは当然のことなのですが、私が「おや、それでいいの?」などと思ったのは3月10日のことでありました。「今日は史上稀にみる大惨事がかつてあった日、日本の現代史において忘れることができない日であるけれど、新聞もテレビもこの大惨事のことにはほとんど触れていないなあ」と思ったのでありました。

若い方々には無理もないことですが、先の大戦(太平洋戦争)についてなにがしか記憶がおありの方あるいは関心をお持ちの方であれば、そうかあ、3月10日と言えば・・・あの数百機の米軍爆撃機B29により一夜にして東京の街が灰燼と帰し破壊されつくされ10万人もの人々が命を失った、いわゆる「東京大空襲」があった日であると思い出されることでありませう。ところが3月10日付けの、日本を代表する新聞と自負している朝日新聞、東京大空襲に関する記事は最後のページの左の隅っこに「空襲が残した心の傷今も・・・ウクライナ少女に重なった79年前の私」と題された,個人の体験談を記した記事だけでありました。

困りますねえ朝日さん、東京大空襲は史上稀にみる大惨事・大虐殺ですよ・・・何回か前の日記で「十年ひと昔なのだ、だから福島原発事故から10年経って、世論調査では原発再稼働への賛否が逆転してしまい賛成の方が多くなってしまったのだ」と書きましたが、敗戦は79 年前ですから、朝日さんよ、79年前のことなんかもう昔も昔も大昔ということなのでしょうか?

朝日さん、ご存知でしょうが、おさらいのために東京大空襲がどのくらいの大惨事あったか、簡単に数字を挙げておきませう。

1945年3月10日の未明に開始された米軍のいわゆる世界最初の「絨毯爆撃」(=徹底した無差別空爆)により,一晩で約10万人もの人々が焼死や窒息死させられ、罹災者は約100万人、焼失家屋は約27万個・・・何日も何カ月も、あるいは何年もかかってのはなしではりません、たったの一晩でこのありさまでした・・・(しかし皇居は無傷でした)・・・

これらの数字を最近のできごとにおける死者の数字と比べてみませう
・能登地震による死者238人
・東日本大震災の死者:原発事故関連死を含めて約2万5000人
・パレスチナ・ガザ地区におけるイスラエル軍の攻撃による死者:昨年10月7日~今年3月11日の約5カ月間に約3万9000人
・ロシアによるウクライナ侵攻による死者:両国とも戦死者などの正確な数を公表していないので確かなことは言えませんが、侵攻開始から今日までの二年間で、両国の死者は6万~8万ぐらいか・・・

これらの数字と比べますと、東京大空襲の一晩で10万人という数字がいかに凄まじい数字であるであるかが、東京大空襲は文字通り史上稀に見る大惨事そのものであることが分かるでありませう。広島・長崎への原爆投下による死者数に匹敵するレベルのものです。「空襲」という名の「無差別空爆」は人道に反しています。無差別の空爆はテロ行為そのものです。すなわち戦争犯罪です。「帝都」東京をはじめとして日本全土の主要都市に対する無差別空爆を指揮した米軍のカーチス・ルメイ中将は後に、「米国が負けていたら、私は戦犯になっていただろう」と述懐しています・・・

今日の写真はわが庵の1等応接室の壁に貼ってある「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」と題された、空襲により焼失した区域を表示した東京都の地図です。クリックしてご覧になってください赤色で示されているのが消失区域です。地図の中心部が皇居であり、お堀の内側は焼けてないことがわかります(米軍を意図的に皇居を空爆しなかったものと考えられます。もし米軍が皇居を空爆していたら、歴史は大きく変わったかもしれません・・・)。

この地図は敗戦直後に地図製作会社の社員が足を棒にして歩き回って調査したうえで作成したもであり当時のGHQ(連合軍総司令部)もこの地図を購入したそうです。東京は何度も繰り返し空爆されていますので焼失区域は3月10日の大空襲による焼失区域だけを示したものではありません。3月10日の大空襲では、主に皇居の東側に位置する下町の区域が爆撃にさらされ炎上しました。

3月10日の未明、米軍爆撃機の大群は、まずはじめに爆撃目標である地域の周囲に円周を描くように爆弾を投下して炎上させて、住民を円周の外側に逃げられないようにしてから、円周内の地域に次々に焼夷弾などを落とし、焼き尽くしたのでありました・・・。

ある爆撃機のパイロットは眼下に燃え広がる東京の街を目にして、僚機のパイロットに無線で「すごい、きれいだ!まるでマンハッタン(の夜景)みたいだ!」と叫んだという話が伝えられています・・・

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我が庭は、襟裳岬ではないけれど、何もない春なのです・・・

2024-03-09 00:52:42 | 日記
三月になりましたが春はまだ名のみ、風の寒さでございます
春だというのに我が庭は、きれいさっぱり、なにもございません

今日の写真は春だというのに何もない我が庭を撮ったものです。何の変哲もない写真ですが、お暇な方はクリックしてご覧になってくださいませ

過日、この何もない我が庭をぼんやり眺めておりましたら、むかしむかし「襟裳の春は何もない春です~」と森進一が熱唱していた歌があったなあ、と記憶が戻ってきました。以下に一番の歌詞だけを記しておきます。なかなかいい歌であり、私も好きでした

歌:森進一
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

私は若かりし頃、ノー天気そのものだったころ、襟裳岬には行ったことがないのですが、北海道の大地で四年間ほど結果的にはほぼ無為に過ごしてしまったこともあって、この歌が好きです

ところで我が庭は春だというのになぜ何もないのでせうか?

それはわが湖都のシルバー人材センターのオッサンたちのせいであります。わが庭は普段はほぼ雑草の園なのですが、年に一度、年末ごろにこのオッサンたちに剪定してもらうことにしているのですが、昨年末いつまでたっても剪定に来てくれる気配がありませんでした。それで電話して「予約しておいたけれどいつ来てくれるんだ」と聞きましたら「予約は入ってないですよ、今予約されても、混んでいますから来年の二月末か三月になります、それに今年かららい2割料金を値上げしています!」という返事・・・それでは遅すぎるなあ、雑草だらけの状態を放置しておくわけにはいきませんので「いつでもいいから、とにかくきてくれ」と頼んでしまいました

いつになることやらと思っていましたら、意外に早く、2月の6日にやってきました。4人でやてきて、午前8時から午後3時まで、せっせと何でもかんでも剪定したり、「兵(つわもの)どもの夢の跡」である草々を電動草刈り機でなぎ倒していきました。おかげさまで、満開であったわが愛する水仙さんたちまでもが、あっけなくなぎ倒されてしまいました・・・・

かようなしだいで我が庭は何もない春になってしまったのでございます。写真でご覧のように我が庭、一見したところ何もないですが、実はその地下にはいろいろなものが埋まっているのでございます。と申しますのは、写真に写っております我が庭はほぼすべてが人工の土地なのです。元はわが淡海すなわちびわ湖であったのです。ところが、半世紀以上前、1兆円もが投入されたという「琵琶湖総合開発」という名の国の環境破壊政策により湖が埋め立てられて、その結果わが庭が誕生したのです(湖を埋め立てた県から押し売りされたのです)

ですから、わが庭の地下には宝物すなわち建築廃材などの産業廃棄物がどっさり埋まっているのです。それに猫の遺体やイタチ君の遺体なども埋まっているのです。わが庭で静かに生を終えたノラ猫君やイタチ君を私が葬ってあげたのです・・・・

今夜はどうでもいい話になってしましました。これで失礼いたします

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!

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