UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

花の命は短くて・・・

2016-05-31 01:33:41 | 日記

今日はまず写真をご覧くださいませ。近くの民家の垣根、散り行く薔薇の写真です。よろしければクリックしてご覧くださいませ

毎年垣根いっぱいに見事に薔薇が咲き、道行く人の目を楽しませてくれます。でも今年も薔薇の季節は終わりに近づきました。散ったバラの花びらが地面を覆いつくしています

昨夜、十時をまわったころこの写真を眺めながら、そういえば「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という、極貧に育ち、自伝的小説「放浪記」で世に出た林芙美子の言葉があったなあ、それに「薔薇の刺青」という甘ったるいアメリカのラブソングもあったなあ、などとちょぴりおセンチになっておりましたら、某知人から久しぶりに電話がありました。同年代の人物です

GGIさん、お久しぶりですね、お元気ですか?最近二、三度電話してもおいでにならなかったようですが・・」

「それは失礼しました、まあ、もう《ハイ元気ですよ》と言う年ではないですよね・・・」

「まったくそうですね、ところで私が以前からときどき立ち寄る京都の小さな食堂の女主人が亡くなったと言う知らせが今日あったのです、九十一歳ということでした・・・」

「九十一かあ、でも、知っている人が亡くなったことを知らされると、人間は死ぬんだ、やっぱり、とあらためて思いますねぇ」

「ほんとうにそうですね、この女主人の息子さん、実はあの《よど号》で北朝鮮に行ってしまった一行の一人なのです。当時メンバーの中で一番年下、まだ少年でした」

四十数年前のことです

「そうですかぁ・・・そう言えば、湖都の市内にもメンバーが何人かいましたね・・GGIより五歳ほど年下の連中だったかなあ・・」

「いや、あれは連合赤軍事件かなにかでしょう、ほらJR駅前の旅館の息子とか・・・」

「ああ、そうでたねえ・・・そういえば、あなたもご存じのあの野生児氏、当時、大菩薩峠に誘われたことがあるけれど、どうも情報が洩れているような気がして行かなかったなどといつか話していましたよ」

「ふ~ん、彼ならあり得る話ですねえ、ところでボク、いま○○さんのところお酒飲んでいる、ところだけれど、もう少し話、いいですかあ・・・」

「いいですよ、あそこのお酒、おいしいですよねぇ、何でしたっけ、杣の道だったかなあ・・・」

「そうです、実はボク、今までまったく読んだことがない中上健二の本、今日ブックオフで買って少し読んでみたのだけれど・・・」

などと、しばし取り留めのない話をしてから電話を切りました

そうだよなあ、よど号事件というのがあったなあ、もうずいぶんむかしのことだなあなどと考えておりましたら、三島由紀夫をも震撼させたといわれる名作「楢山節考」を著し、かつて世を騒がせた小説「風流無譚」を書いた、そのうえ初代日本プレスリーファンクラブ会長でもあった、作家の深沢七郎氏、彼はよど号事件を連想させる小説も書いていたなあ、と突然思い出しました

「闇」という小説、彼の短編集のなかの一作でした。名作です、異色の名作です。

ところが深沢氏の死後、「深沢七郎全集」が出版され、GGIは買いましたところ、この「闇」とそれに「風流無譚」とが収載されていませんでした。

ある日、出版界にも詳しい首都圏で暮らす某人物にこのことを電話で話しましたら

GGI、よく見ろ、君が買ったのは《深沢七郎全集》ではない。《深沢七郎集》である」

あらためて見てみましたら、確かにそうでありました。全集ではありませんでした。この二つの作品が収載されていないため《全集》とすることができなかったのでありませう。

なぜ、出版社がこの二つの作品を収載しなかったのか、あるいは収載することができなかったのは定かではなく、想像を巡らせるしかありませぬ

今日はとりとめのない話になってしまいました。お許しください

グッドナイト・グッドラック!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ大統領が語ったこと、語らなかったこと・・・

2016-05-30 01:29:25 | 日記

一昨日と昨日の新聞、オバマ大統領の広島訪問の記事が紙面をにぎあわせていますね。

当然のことながら彼のスピーチについての記事が多いのですが、今朝の新聞では、オバマ氏が自分で作ったという折鶴四羽を贈呈したという「サプライズ」の記事が掲載されていました。このできごと、オバマ氏の核廃絶への意思が本物であることを示す人間味あふれる行為として喧伝されることになりそうな雰囲気ですが、多くの日本人も日本のメディアもこういうエピソードには弱いだろうなあ、というなかなか計算しつくされた「サプライズ」であると言っては礼を失するでありませうか。

このような付随的なことはともかく、大切なのは、オバマ氏のスピーチをどう評価するかということでありませう。いったい、オバマ大統領は何を語り、そして何を語らなかったのでせうか? 

彼の広島でのスピーチ、あのプラハでの演説では「核兵器を使用した唯一の国家の責任として」という踏み込んだ発言があり、何度もくりかえし「核」という言葉を使っていたのですが、肝心の「ヒロシマ」でのスピーチはそれほど踏み込んだものではなかった、などの批判があります。

529日の朝日新聞はかつてアメリカの歴史学会の会長を務めたこともある歴史学者、入江昭氏の見解を掲載しています。入江氏の見解は全体的に極めて肯定的なものです。いかにその一部を引用します。

「オバマ大統領は以前から全世界、全人類という視点を強く意識している人だったが、今回の演説も、グローバルな指導者として《人類共同体》を強調したものだった。演説は《人類史における戦争》という流れのなかで、原爆投下を文明に対する悲劇と位置付けている。広島の家族、子どもについて触れ、それを世界すべての子どもたちの将来に結びつけている。グローバルという横軸と歴史という縦軸を示して、日米だけではなく他の国の人々にも説得力ある内容となっていた・・・原爆投下の責任や真珠湾攻撃の責任という日米関係だけにとらわれると国家のメンツやナショナリズムを刺激しかねない。その点、オバマ氏の言葉はグローバルな歴史観に基づいて悲劇を繰り返さないということに力点を置いており、彼らしいものであった。日本も米国も同じ人類の運命を共有しているだという観点が貫かれており、国益主義だけにとらわれない姿勢を示した。・・・オバマ政権の8年間で実際に実現したことは少ないかもしれないが、《人類史における米国》という方向性を強く打ち出した点で歴史に残る大統領だろう」

みなさん、入江氏のこの見解をどうお感じになるでせうか?

長い歴史的な文脈のなかで物事を考えると言う、いかにも歴史家らしい見解であり、オバマ氏の語ったことの内容に限定して考えるならば、少なからずほめ過ぎの感が拭えないとしても、オバマ氏のスピーチの狙いの核心をついた論評といってよいであろう、というのがGGIの感想です。

そうではありますが、原爆投下による意図的な罪なき市民の無差別大量殺戮の責任問題は、入江氏の言うような単なる国家の「メンツやナショナリズム」の問題ではないとGGIは考えます。ナチスによる犯罪と同様「人道に対する罪」という問題に関わるものであり、本質的に人間のモラルに係る問題ですから、やはりどのようにつらくてもオバマ大統領は、「メンツやナショナリズム」を捨てて、原爆投下の責任について多少なりともより直接的に言及すべきではなかったのか、とGGIは思います。この肝心の問題に直接自ら言及することを避けてしまったために、彼のスピーチは「グローバルな歴史観」に立っていたとはいえ、きれいごとの感を免れ得ないものになったしまった言わざるを得ないのではないでしょうか・・・

広島と長崎への原爆投下を、単に「文明に対する悲劇」と位置付けてすませるのではなく、この「文明に対する悲劇」の原因と責任がどこにあったのかを、日本側が「メンツやナショナリスム」にとらわれることなく、「歴史的な観点」と「グローバルな視野」という「縦軸と横軸」に基づいて正面から問いかけ、米国が同様の観点と視野に基づいて真摯に答えることによって、はじめて「広島と長崎が《核戦争の夜明け》ではなく、私たちが道徳的の目覚めることの始まりとして知られるような未来」(オバマ氏のスピーチ原文、朝日新聞訳)が開かれることになるのではないか、とGGIは考えます。このような人類を代表して日米双方に対して今求められている責務を果たそうとする努力を行おうとしないのであれば、「文明に対する悲劇」は単なる言葉に終わってしまいかねません。

このたびのオバマ氏の米国大統領の原爆投下から70年余を経ての初めての訪問は歴史的にみて必要とされていたセレモニーであることは間違いありません。しかしながら、セレモニーだけでは何も変わりません。セレモニーだけで「これで一件落着」というわけにいかないことは言うまでもありません

このようにオバマ氏はいろいろ問題点はあるものの、人類の将来を見据えたなかなか格調高い理想主義的色彩の強いスピーチを行ったといってよいのではないかと思います。しかしまがら、一方において彼は、無視することができない重要ないくつもの問題については、やっかい極まる重要な目の前に現実に横たわっている問題については、まったく語りませんでした。

まずはじめに、オバマ氏は、このいま、自分が核廃絶に向けてのスピーチを行っているその瞬間にも、ヒロシマの平和公園に、自分のすぐ近くに「核のボタン」を持ち込んでいるだという事実にまったく触れませんでした。

「核のボタン」というのは、ご存知の方も多いと思うのですが、米国大統領が世界のどこにいても、あのピョンヤンにもモスクワにも、それに北京にも、米国が目標であると決めている世界のいずれに対しても、核ミサイルの発射を命令することができる機密装置のことです。大統領がどこへ行こうとも、常に米軍関係者がこの「核のボタン」を持って必ず同行することになっているとされています。

このため、GGIはこの広島訪問に際しても米国側はきっと平和公園にまで「核のボタン」を持ち込むだとうと思っておりました。そうしましたら、この「核のボタン」、最近は「核のフットボール」と称されているようですが、527日の読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/world/20160527-OYT1T50137.html

)が、案の定、《原爆慰霊碑前でも機密装置「核のフットボール」》と題して、「核のボタン」がオバマ氏の広島訪問にさいして平和公園に持ち込まれていたことを報じていました。おそらく平和公園の公園の片隅か専用車両の中などで一人の軍人が「核のボタン」が入れられているカバンを大事に抱えて待機していたいのでありませう。

核廃絶の格調高い演説をするオバマ氏のすぐ近くに、いつでも核ミサイルの世界のどこにでも発射することを命じることができる「核のボタン」・・・なんともブラックな、ただのブラックではすまない、ブラック過ぎる話です。この倒錯したとも言うべきオバマ氏をはじめとした米側の行為は、何とも形容し難い、人を欺いて省みることない、許されるざるべき行為であると言っては言葉がすぎるでしょうか・・・

今日の写真は中部国際空港で「核のボタン」を携えている米国軍人の姿です(読売新聞の記事より)。どうかクリックしてご覧くださいませ。

オバマ氏が語らなかった二番目のことがらは、米国をはじめとして核保有国がかつて繰り返し行ってきた核実験で被ばくした人々のことです。米国と英国、それにフランスは、かつて、自国内ばかりでなく国外でも実験を繰り返しました。かつてのソ連、それに中国は国内(ただし中国の場合は辺境の少数民族の自治区など)で実験を繰り返しました。米国は1000回以上(地上200回、地下800回)、ソ連は700回(地上200回)、中国・仏・英は数十回の実験を行ったとされていますが(この数字はhttp://thutmose.blog.jp/archives/38084072.htmlより引用)、これらの大国の度重なる核実験による被害者(実験に立ち会わさせられた兵士や実験場周囲で暮らしていた市民など)の総数は、定かにはわかりかねるのですが、おそらくヒロシマ・ナガサキの被害者の総数を大きく上回っているのではないかかと思われます。これらの多数の被害者を生み出したこと原因と責任が米国をはじめとした核保有大国にあることを言うまでもありません。

これらの被害者の中にはその責任を追及して補償を求めるために裁判を行うなど行動を起こしている人たちもいるのですが、ほとんとの場合、核実験による被害であると認定されず敗訴しており、事実上まったく放置されている例も少なくありません。しかし、オバマ氏はこれらの核実験の被害者のことに一言も触れませんでした。

当然のことですが米国にも被害者は存在しています。このことを月29日の朝日新聞が報じています(電子版は以下のサイトをご覧ください)。

http://www.asahi.com/articles/ASJ5W4WN7J5WUHBI01V.html

世界で最初の核実験が行われたニューメキシコ州の「トニニティ・サイト」、その関係者は「サイト近くに住んでいた4万人は放射能の影響を受けた」と話しており、実験から10年、20年経つうちにガンで亡くなる人が増えているとしています。父親を3年前にガンで失い自分もガンを患っているというティナ・コルドバさんという人物は、オバマ大統領が広島を訪れるのを知り、522日に「例年716日(最初の核実験が行われた日)に開いている慰霊祭に、今年は出席してほしい」という内容の手紙を書きました。彼は「広島を訪問したオバマ大統領を誇りに思う」と語りつつ、米政府に核実験の責任を取ってほしいと訴えており、「我々は歴史から消された存在。71年になった今も、大勢が苦しんでいる」と語ったとされています。

またオバマ大統領は米軍が湾岸戦争などで使用した劣化ウラン弾による被爆者のことについてもまったく触れませんでした。

オバマ氏が語らなかった三番目の重要な事柄は、オバマ政権下での核兵器に関する政策です。オバマ政権は、今後30年間で1兆ドル(約110兆円)を投入し、核攻撃の精度を高めることなどを意図した新型の核巡航ミサイルの近代化を進めるとしています。日本の防衛予算は年間5兆円少々ですから、米国が今後いかに膨大な費用を核兵器に費やそうとしているか、驚かざるを得ません。

この計画に対しては元国防長官がらは「冷戦型思考だ」とする厳しい批判の声があり、また「ロシアに対抗するためと正当化しているが、核軍拡を招く。広島で何を言おうが、他国は米の計画に応じた対応をとるだろう」と警鐘をならす声(オバマ氏の上院議員時代の政策顧問)もあります(以上は529日朝日新聞の記事から抜粋引用)。

オバマ氏が語らなかった四番目の重要な事柄は、オキナワ問題です。沖縄県の翁長知事は、先日起きた米軍関係者による女性殺害事件について、オバマ大統領と直接会談できるようにすることを安倍首相に求めていました。かし、オバマ大統領はサミット開始前に行われた日米の会談で簡単に遺憾の意を表明しただけであり翁長知事の要望を一顧だにせず、さっさと専用の軍用機で岩国の米軍基地から帰国の途についてしまいました。

沖縄に巨大な米軍基地がいつまでも存在しているが故にこのたびのような悲惨な事件が繰り返されることが、日米間の「信頼関係」を根底から揺るがしているという事実を考えるならば、たとえ広島訪問の本来の目的でなかったにしても、オバマ大統領のこの機会をとらえて責任ある発言をすべきではなかったかのではないでしょうか。けれども彼はそうしませんでした。

沖縄は先の大戦で日本の「捨て石」とされ、講和条約に際して敗北の代償として米国に差し出され、このたびのヒロシマでの「日米の和解」に際してまったく無視されました

いま、沖縄に人々はどのような思いでいるでしょうか。少なくとも、沖縄の多くの人々がヒロシマにおけるこのたびの「日米の和解」に深い失望を感じざるを得ないことは確かでありませう・・・ 

オキナワ問題とヒロシマ問題は無関係ではありません。歴史的にみて同根の問題であり、いずれも米国による核を中心に据えた安保戦略が原因となっているとGGIは考えます。

(この日記、続くかもしれません)

グッドナイト・グッドラック!

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名は体を表さない・・・

2016-05-29 00:55:14 | 日記

わがガーデン、様々な草々もガーデン内の農耕地で成長しつつある野菜クンたちも元気でありますが、気がつかないうちにいつのまにかドクダミさんたちの季節になっておりました、いまわがガーデン、農耕地の隣はドクダミ平原と化しております

ドクダミさんたちの元気なバッコぶりは雨の季節がやがてやってくるというシグナルです

ドクダミの小さな白い花はなかなかステキです、先日の日記で草々君たちは、GGIのことを、野菜畑をえこひいきしてばかりして、「オレは草々をこよなく愛している」なんていうのは口先だけではないかと厳しく批判しおりましたが、彼らの言うことは的外れであります。その証拠にGGIは清らかなるドクダミさんたちの小さな花をこよなく愛でております

ドクダミという名前のせいで何か陰気くさい気持ちの悪い植物のように思われがちであるせいでしょうか、ドクダミの花を気にとめるかたはそう多くはないようです

「ドクダミさん、君たち、名前が悪くてヘンな印象を持たれたりして損していない?」

「いいえ、GGIさん、そんなことはありません。ドクダミというのは本来は《毒を抑える》という意味なのですが、みなさん誤解しているのです。その証拠に私たちは生薬として日本薬局方にも記載されている大切な薬用植物なのです。、それに葉っぱは乾燥させるとドクダミ茶となります。てんぷらにして食べることもできますし、化粧水にすることもできるのです」

「ふ~ん、そうなのかぁ、じゃあ、君たち、名は体を表さないということなんだね・・」

「そうです、名が体を表すとは限らないのです。よくあることです。それが世の常です。だってGGIさんのほんとうのお名前だってそうでしょう。名は体を表さないことの典型です」

まことにドクダミさんのおっしゃる通りであります。GGIの戸籍上の名前は進歩や前進を意味する漢字でありますが、GGIの人生、幼少のみぎりから一向に進捗しておりませぬ。まこと恥ずかしきことです。ときどき、知人たちからも、名前変えたほうがいいんじゃない、などと言われております。

夕闇のなかに点々と浮かぶように咲いているドクダミさんの小さな白い花はまるで幻のようです

今日の写真はわがガーデンで咲きはじめたドクダミさんの花たちを撮ったものです。夕方ではなく昼間に撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あいかわらずのわがまま大国ぶり、あるいは日本って独立国?・・・

2016-05-28 01:13:11 | 日記

G7サミットが終わり、オバマ大統領もわずか1時間少々の広島訪問を終えてエアフォース・ワンなる軍用機で帰国に途につき、世の中静かになりましたね。

ここ数日、日本のメディアのみなさん、せいいっぱい盛り上がっていたようですけれど、サミットの方は、アベ君が消費増税を延期するのに上手に利用したけで、まあ中身はほとんどありませぬ

オバマ大統領の広島訪問、被爆者を代表した二人の人物へのオバマ氏の接し方はなかなか人間味あふれるものであり、好感のもてるものでありました。また献花をしたのちの静かな黙祷の表情もとても印象的でありました。でも、彼のスピーチ、 みまさんの感想は様々でありませう

GGIの感想は、まあ、オバマ君、謝罪を明言することを回避しながらの精一杯のスピーチ、アベ君のあいもかわらぬ薄っぺらでノッペラボウのスピーチにくらべれば一定の格調のようなものが感じられたのではありますが、やはり奥歯に物がはさまりっぱなしの感は否めなかったなあ、というところです。

プラハでの核廃絶に向けてのスピーチの続編というべきものであり、彼の熱意を疑うわけではないのですが、大統領がスピーチを行っているその瞬間も、米軍が本国から遠く離れたシリア、イラク、アフガンなどの地で依然として空爆や無人飛行機でなどによる攻撃を行っており、その下で市民が逃げ惑っている最中であることを考え合わせますと、いいスピーチだった、歴史的なスピーチだ、未来志向の希望を感じさせた、日米の信頼関係に資するものであった、などと分かったふうなことを安易に言うわけにはいかないないなあ・・・それに、彼、オキナワには立ち寄らずにさっさと専用機でかえってしまったなあ・・・などとGGIは思ったりいたします。

先の大戦末期、ヨーロッパ戦線で指揮をとっており後に大統領を務めたこともあるアイゼンハワー元帥さえもが「日本はすでに敗れているのだから原爆投下はまったく不必要だ」と投下前に進言していたと言っていたぐらいでありますから(「アイゼンハワー回顧録」、みすず書房)、やはり必要でもないのに核兵器を使用してしまったという米国の過ちに、間接的な表現でもよいから、多少なりとも触れるべきであったのでは、というのがGGIの偽らざる感想です・・・・

でも今日の話題はそのようなムズカシイものであはりませぬ、もっと分りやすい話です、外交慣例についての話です

オバマ大統領の訪日に備えて、あらかじめ多数の専用車両が日本に運び込まれました。またオバマ氏は軍用機で日本にやってきた後、日本国内を米軍の軍用機で移動し、最後は一般の空港からではなく米軍の基地から飛び立ちました。そして日本国内での移動に際しては拳銃などを携帯しているシークレットサービスの何人もの関係者がオバマ氏の身辺の警護にあたっていました。

みなさんの多くは、この様子を目にしてとりたてて何も異様な感じを抱かれることはなかったのではないかとGGIは推測いたします。GGIもことさら異様に感じたとはもうしませぬ。しかしながら、実はこのような米国の関係者による日本国内における行動は明らかに外交慣例に反しているのです。

と申しますのは、通常の外交慣例では、ある国の元首や大統領、首相などの重要人物が他の国を訪問する場合は、それらの重要人物の身の安全の確保や警護は、訪問相手国の治安機関、警備当局に一任することが当然であり、常識とされているからです。また自国の重要人物が訪問国内に滞在している間、関係者は訪問国の法規に従うものとされています。

この慣行を順守することは、訪問相手国を信頼するに足る独立国であると認めていることの証とされるからです。このような信頼関係なしに外交関係は成立しないからです。

日本の場合は、銃規制による法に基づき警官・自衛官以外の人間は外国人ともいえども銃を所持することは許されていません。ですから、外国からの要人の警護に際しても、相手国の警備担当者であっても、日本国内では銃などの携帯は許されません。まして、日本国内で登録されていなければ、相手国の専用車両が公道を走ることも許されません。車両などは日本側が用意するか、あるいは大使館などが日本国内で登録している車が用いられることになります。

まして、相手国の軍用機が日本国内を勝手に飛んだり、日本の空港以外の場所から飛び立つことなどは論外です。

たとえば、ずいぶん以前の話ですが、パレスチナ自治政府とパレスチナ解放機構(PLO)の代表者であったアラファト議長が来日したとき、彼は機関銃や銃などで重装備した護衛をたくさん引き連れてきました。彼はイスラエルや米国などから目の敵にされており、いつテロに襲われてもおかしなくい危険視されている人物でありました。しかし、外交慣例に従い日本におけるアラファト氏の身辺警護は日本側が担うことを理解してもらい、機関銃や銃の類は一行が日本を後にするまでの間、日本の公安当局が預かっていたのす。

この外交慣例はほとんとすべての国が守っています。訪問相手国との信頼関係が外交の基本であるからです。

ところが、米国だけはこの慣例を無視しているのです。わが世界一の大国の我が大統領の身の安全を、いかなる国であろうとも、他国に任せるわけにはいかない、というわけなのです。それが世界でまかり通っているのです。自国の重要人物が外国に滞在中にこの外交慣例に従おうとしないのは米国だけなのです。

ただし、米国のこのような治外法権を相手国に求めるというワガママぶり、欧州の英仏独などの大国を訪問する場合にも、日本訪問の場合と同様に発揮されるのか否かは定かでありませぬ

いずれにいたしましても、相手が米国ならば、このような重要な外交慣例を無視されてもかまわない、仕方がない、あるいは気にしないというのが日本の現状なのです。このことは日本がまともな独立国として米国に認められなくてもかまわない、と政府のみなさんがおもっていることを意味しています。このような基本的な事柄をないがしろにしては、日米の絆、日米同盟などとさかんに強調されましても、その内実はまことにお粗末と申しますか、主従関係に過ぎないと言わざるを得ないのではないでしょうか・・・

今日の写真は伊勢志摩サミットに備えて大厳戒、「不審な行為を見かけたら警察へ!」と呼びかける、サミットなんかとはおよそ無関係な、湖都の市内を走る京阪電鉄石坂線の駅に貼ってあったポスターを撮ったものです、まるでテロ大厳戒列島であります。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

格差社会の出現?

2016-05-27 01:41:09 | 日記

五月のはじめだったでしょうか、知人がやって来て、わがガーデン内の農園に何か野菜の苗を植えていきました

その後、知人は姿を現しておりません。近々白内障の手術をしてもらうとか言っておりましたから、まだ何かと忙しいのかもしれません。でも、その間に野菜の苗が成長しはじめたのですが、農園の周りの草々も我らが季節が到来したとばかり急速なる成長を開始しております

今日の写真はわが農園を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださしませ

写真をご覧になるとお分かりになると思いますが、草々が農園を取り囲んでおり、このまま事態が進行いたしますと、わが農園は近き将来草々に吞みこまれてしまいそうであります

耳を澄ましますと、草々君たちのおしゃべりが聞こえてまいります

「おい、あいつら、畝をわざわざ作ってもらって、その上に鎮座してデカイ顔して暮らしているなあ」

「そうや、あの畝、GGIがオレたち草々を引っこ抜いて作ったんや」

「おまえ、なにアホなこと言うてるのや、あのナマケモノのGGIがそんなメンドウなことするはずないやろ、あの畝はGGIのオッサンの知人が遠くからやって来て作ったんや」

「それにしも、オレたちは地上に這いつくばって日々生きているのに、あいつら、わざわざ畝に植え付けてもらって、まるで高見の見物、オレたちを見下しているやないか、ハラたつなあ、これは格差社会とちゃうか?」

「そうや、これはまさに格差社会や!いままではこの八重葎庵サザンガーデンには格差なんか存在してなかった、だから天国やった、それやのにこれはどういうわけや!」

「ほんまや、GGIのオッサン、オレは名もなき草々をこよなく愛していると広言していたのに、この格差社会の出現はどういうことや、それにあのオッサン、ひごろ格差社会は良くない、格差をなくせ、サンダース万歳などと言っているのに、許せんなあ」

「おまえなあ、わかってないなあ、GGIのオッサンは元々口先男や、口舌の徒や、言行不一致なんか朝めし前なんや」

「世の中で一番悪いヤツは口先男や、あのオッサンは死刑や」

「そやけど、あのGGIのオッサン、いつもオレは死刑に反対やと言ってるぞ」

「そんなことあてにならん、あのオッサン、悪いことして捕まって、おまえこのままいつまでも白状せんと死刑やぞ、司法取引に応じて白状したら減刑してやるぞ、と言われたらすぐに平気で他人に罪をなすりつけるような自白をしてしまうぞ、信用ならん」

「おい、司法取引って何や?」

「おまえ、モノしらんなあ、たまには新聞読めよ、最近国会で承認された警察の捜査手法や、悪いことしても警察のいいなりになって他人に罪をなすりつけるような自白をしたら減刑してやる、という結構な制度や、GGIのような口先男におあつらえ向きの制度や」

「そうかあ、それならオレたち、これからはGGIに罪をなすりつけらたりせんように注意せなあかんなあ」

「あのなあ、みんな分かってないなあ、GGIのおっさんは司法取引ができるほどアタマようない、あいつはただのアホ、ただの怠け者、ただただ惰性で生きるしか能がない、絶滅危惧種の生き物なんや」

「そうや、オレたちにはGGIの行く末を危惧せんならんような義理なんか何にもないのや!」

GGI、元気一杯の草々君たちの罵詈雑言に敗けてしまいそうであります。いまはただ、草々君たちが農園を吞みこむ前に知人が姿を現してくれるのを祈るのみであります

グッドナイト・グッドラック!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする