UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

モリ・カケ・スキャンダルや閣僚失言問題も大切だけれど・・・・

2017-06-30 01:05:29 | 日記

昨日の夜、某人権NGOからメールが来ました。2010年にノーベル平和賞を受賞したものの授与式に出席することが許されず、当局に拘束されていた中国の著述家、劉暁波さんに関するものでした。

同氏は末期の肝臓がんのために刑務所外で治療を受けるために最近になって仮釈放されたものの依然として厳重な監視下に置かれています。このため、即時無条件で釈放するよう求める李克強・中国首相あての手紙へ署名してほしいとのメールでありました。GGIが署名をして返送したところ、夜半になって「あなたの手紙は中国首相に届きました」との返事がきました。

最近になって劉暁波さんと妻とが海外への移住を希望したことから、ある欧州の主要国と中国が夫妻の出国に向けて交渉を開始していました。関係者の話では「ノーベル平和賞受賞者が獄死したとなれば中国政府にとって体裁が悪いので出国容認に傾いたのではないかと」とのことですが、昨6月29日の新聞報道(朝日)によれば夫妻の受け入れに向け中国政府と交渉しているのはドイツであるとされています。

また、他のEU諸国や米国も強い関心を示しており、米国の駐中国大使が北京で「彼と妻を助けるべきであり、できる限りのことをしたい。役に立つのなら別の場所で治療を受けて欲しい」と述べたとされています。しかしながら。劉暁波さんの問題に関して日本政府は特段の反応を示していないようです。隣国のことでありながら、おそらくまったく関心がないのでありませう。

一方、フィリピンでは、ドゥテルテ氏が大統領に就任して一年になりますが、その間、「麻薬戦争」と称して麻薬の所持や使用などを疑われた人々約7000人を裁判にもかけず起訴もせずに恣意的に殺害しするなど人権状況が極端に悪化しています。このため、米国のオバマ政権はこの目に余るフィリピンの人権状況を懸念して、その状況を改めるよう強く求めていました。オバマ大統領は政権末期、フィリピンの人権問題についてドゥテルテ大統領と話し合おうとましたが同大統領が拒絶したため、米国とフィリピンの双方にとって重要な中国の南シナ海進出の問題につていフィリピンと協議するのあきらめました。米国は安全保障問題よりも人権問題を優先したのです。

これに対して、日本政府はドゥテルテ大統領による極端な人権侵害にはまったく目をつむり、50億円の政府間援助をはじめ、さまざまな形での1兆円以上の経済的支援を表明しています。国内にさまざまな人権問題を抱える中国政府も、日本と同様にフィリピンの人権状況を何ら問題にすることなく、日本を上回る援助を約束していますが、一方、同大統領はEUがフィリピンの人権状況に厳しい姿勢を示しているためにEUからの今後の援助受け入れを拒否しています。

ドゥテルテ大統領は中国や日本などからの膨大な援助資金を手に「ビルド・ビルド・ビルド(造って造って造りまくる)」と名付けた経済政策を推進すると息巻いているそうです(6月29日朝日)。

また、昨年10月末までに、中国では日本人7人が麻薬所持などを理由に死刑を執行されています。しかし日本政府は一度たりとも中国政府に対して執行停止を求めておらず、強い抗議の意も表明していません。「重大な関心を有している」と関係筋が述べるのみです。

日本政府は麻薬犯罪を死刑の対象としている中国の国内法を無視するわけにはいかない」としています。国際的には、麻薬犯罪は死刑の対象とすべきではないとされているのですから、強く抗議すべきであると考えられるのですが、日本は死刑存置国であるため、政府には断固とした姿勢をとろうとするつもりはないものと考えられます。この日本政府の無策・無気力ぶりを見ていますと、要するに日本政府には日本人を理不尽な死から救おうをいう気がないのです、本気で自国の人間を守る気がないのです。

そして、一方において、日本の政府は国連の機関など外部から日本の人権状況を問題にされたりしますと、ひたすら強く反発するだけです。

6月2日に国連特別報告者のダービッド・ケイ氏が「日本政府は報道に圧力をかけている、メディアの独立性が重大な危機に瀕している」と指摘、政府は「伝聞や推測に基づくもの」と否定しましたが「事実に基づくものである」と反論されています。

また、プライバシー権に関する国連特別報告者のジョセフ・ケナタック氏が共謀罪法案はプライバシーを侵害する懸念があるとする書簡を日本政府に送ったところ、5月19日、わずか1頁たらずの抗議文書を日本政府から受け取りました。ところが、同氏は「本質的な反論になっておらず、プライバシーや他の欠陥など、私が多々挙げた懸念に一つも言及がなかった」と指摘しています。

この他にもさまざまな実例が存在しているのですが、安倍政権は人権問題にまったく無関心であると言わざるを得ないとGGIは考えます。今にはじまったことではないのですが日本政府には「人権外交」という発想が基本的に欠落しており、その傾向は安倍政権の下でいっそう強くなっているのではないかと思われます。だから、たとえばエジプトやトルコなど人権侵害が著しい国を平気訪で問して独裁者にあって手を握り合ったりするのです。

日本政府にとっては、人権問題といえばあの《拉致問題》しか頭にないようであり、まことに寒々とした情けない状況です。

日本の政府の人権問題屁に関心は、外国の人権状況には口出ししないから、その代わりに国内の人権状況に対して国連の機関やよその国など、外部からとやかく言ってくれるな、といった程度のものではないかと思われます。要するに日本政府には人権に対する真摯な関心が欠落しており、この傾向が安倍政権になって一団と顕著になっているのではないか、というのがGGIの考えです

この様な日本政府の姿勢にくわえて、さらに問題なのは、人権に関する政府の姿勢について、メディアの関心が浅いことです。まったく無関心とは申しませぬが、たとえばモリ・カケ・スキャンダルやお粗末閣僚の相次ぐ失言などにつていのメディアの追及振りにくらべれば上記のような人権状況についての報道はまことに不十分であるというのがGGIの感想であります。

メディアのみなさま、モリ・カケ・スキャンダルも見逃せないのですが、私たちが暮らしておる社会の質をその根本において左右する人権問題について、人権問題に関する日本政府の外交姿勢について、もっともっと力をいれてしっかりと報道してくださるよう謹んでお願い申し上げます

今日の写真は劉暁波さんも出国についての交渉を伝える記事(6月26日、朝日)を撮ったものです。よろしけばクリックしてご覧くださいませ。

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドナイト!

コメント

できたての陸橋からわずか100メートㇽ彼方に日本一豪華陸橋・・・

2017-06-29 01:33:22 | 日記

昨日、京の都へ上ろうとGGIがふだん乗り降りするJRの駅、日本で18番目にできたという古い駅、膳所駅に行きましたら橋上駅に変化してしまっておりました。

エレベーターもなくエスカレータもなく足の不自由な方々や高齢者に優しくない駅だということで、おそらくは湖都の自治体がかなりの部分を負担して橋上駅へ改造されたようです。

今日の写真はこの新しくできた陸橋から東の方向を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なんだ、こんな景色、珍しくもなんともないではないかと思われるかもしれませんが、プラットホームの彼方をよ~くご覧くださいませ。長い陸橋が線路をまたぐ形で横断しているのが見えますね。窓付き天井付きの陸橋です。この新たなる橋上駅の陸橋と並行して、およそ100メール東にこの長い陸橋は存在しております。

この彼方の陸橋はいつ造られたのか定かでないですか、まだ十数年ぐらいしか経っていないのではないかと思います。この陸橋はもともとJRの駅へのアクセスを改善するために作られたものです。

写真の左側が北方向、右側が南方向ですが、駅の改札口はこれまで北側にしかありませんでした。このため駅の南側、JRと平行に走っている国道一号線の周辺やその南に居をかまえている人たちは、この長い陸橋ができるまでは、駅から少し東にはづれたところにある、レールの下の暗~い地下道を通ってしか駅の北側に出ることができなかったのですが、この陸橋ができたおかげで、眺めを楽しみながら駅へとこれまでよりずっと便利にアクセスすることができるようになりました。

それはそれで良かったのでありますが、このたびわがJRの駅が橋上駅へと姿を変え、その結果、駅の南側からも陸橋に上り電車に乗り降りできるようになりましたので、彼方の長い豪華陸橋の運命や如何にという事態で生じそうであります

と申しますのは、駅の南側の住民は、これまで長い陸橋を渡ってわざわざ駅の北側に出れなればならなかったのですが、これからは南側から直接駅の陸橋をのぼるだけですみますので、この橋上駅完成を大歓迎ということでせうけれども、この大歓迎のおかげで、彼方の長き陸橋を利用する人々は激減するものと思われるからです。

そのくらいのこと、時代の流れだ、しかたがなではないか、何をGGIはウジウジ(UGUG)言っているのだとおっしゃるかもしれませぬが、事はそうカンタンではござらぬのであります。

と申しますのは、彼方に見える長さ200メートルぐらいかと思われる陸橋、この陸橋、実はおカネがたっぷりかかっている日本一豪華な陸橋なのであります。幅が二車線ぐらいはありそうな、わが湖や市街地を一望できるという広々としたものであり、路面にはびわ湖の波を連想させるカラータイルが敷き詰められており、窓付き天井付き、かつメタリックなスマートな外観・・・陸橋とはいえタップリおカネがかかっているのです。

そして、この豪華陸橋の建設費はJRの駅へのアクセスを良くするためとはいえ、おそらくその大半はJRではなく地元自治体が負担したものと推測されるのです。すなわち住民の税金が用いられたのでありませう。

そのようにして作られが豪華陸橋であるものの、わずか十数年後に目と鼻の先に橋上駅とするための陸橋が作られてしまったために、無意味とまでは言えないものの、その必要性・利用価値が激減しようとしているのです・・・この無計画ぶりと申しますか、二重投資と申しますか、まあオレのカネじゃない天から降って来るカネだからいいかというお役人の無責任ぶり(橋上駅の建設費用の大半もおそらく地元自治他体の負担です)にGGIは釈然としないのであります。

この彼方の豪華陸橋の建設経過など、また豪華陸橋に接続してつくられた国道1号線をまたぎ国道事務所へとつながっている「疑惑の陸橋」などについて、GGIはかつて道路関係事情に詳しい元高級官僚と秘めたる日本の道路行政などについて話し合ったことがあります。そのときのこと別のブログに二度ほど書いておりますので、関心のある方は以下のサイトをご覧になってくださいませ。

http://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20100820

http://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20100823

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ

グッドナイト・グッドラック!

コメント

チリメンジャコ無残!!

2017-06-28 00:53:56 | 日記

6月25日の日記に「魚の気持ち」と題した一文を書きました。

スーパーや魚屋さんの店先で静かに身を横たえている魚さんたちが、そろいもそろって大きく目を見開いているは、とつぜん一網打尽にされて人間に食べられることになってしまって、わが身の不運を嘆き、無念の思いをしているからだ、あのどこあるのか分からないような小さな小さな目ん玉をしているチリメンジャコ君たちにしても事情は同じだ、チリメンジャコ君たちも他の大きな魚と同様に、人間に食われるという過酷な運命にさらされて無念の思いをしているのだ、などと記しました。

そして、この人間の罪の深さをしっかり自覚した短歌を紹介いたしました。

ごめんよと ちりめんじゃこにつぶやきで 数十匹をひと箸に食う

いうまでもなくGGIもこの短歌の詠み人とまったく同感でありました。したがって、GGIは深くチリメンジャコ君たちの過酷な運命に深く同情しているつもりでありました

ところが、昨日、夕飯を終えて、後片付けをしていましたときにどんでもないことをやらかしてしまいました。

いつものように、あつあつのご飯にチリメンジャコ君たちを散乱させ、深くチリメンジャコ君たちに謝しつつ食しました。食べ終わってチリメンジャコ君たちを入れてある容器を元に戻そうと立ち上がろうとしまたときに若干足もとがふらつきました

その結果、チリメンジャコ君たちがまだ入っている容器が不本意ながらGGIの手元から脱落、床へと落下・・・・

その結果、何十匹ものチリメンジャコ君たちが床に大散乱してしまいました。急いてチリメンジャコ君たちを救助すべく回収に努めようとしたのですが、あいにく日頃清掃状態不良の床にはチリメンジャコ君たち以外に各種のチリ・アクタの類も散乱しておりました。

GGIは小心者でありますので散乱したチリメンジャコ君たちをこれらのチリ・アクタと一緒に回収して再び食卓に供する勇気はありませぬ。このため、若干のチリメンジャコ君たちを救助してから、のこりのチリメンジャコ君たちは同じく床に散乱しているチリ・アクタといっしょに箒で塵取りに集めてゴミ箱に捨てることにいたしました

床に散乱しているチリメンジャコ君たちを塵取りに集めようとしましたところ悲鳴とも怒声ともつかない叫び声がしました

「こらっ!GGIのおっさん、何ていうことをするのや!ボクたちを食べずにさっさとゴミ箱に捨てようというのか!このバチアタリ!」

「ボクたちは或る日一網打尽にされて人間に食べられてしまうという過酷な運命にさらされたのだけれど、それでもぼく達チリメンジャコは人間の生存のために役立っているだ、と自負していたんだ。それなにの食べもせずにちょっとゴミが混じっているからといってゴミ箱に捨ててしまうとは何事だ!それでは僕たちが一網打尽にされて人間に身を捧げた意味がまったく失われてしまうではないか!僕たちチリメンジャコの最後のアイデンティティは奪い去ってGGIは恥ずかしくないのか!地獄に堕ちろ、いまに罰が当たって椎間板ヘルニアがもっと悪くなるぞ!」

まことにチリメンジャコ君たちの言う通りでありますが、GGIは泣いて馬謖を斬るといのでありませうか、胸をかきむしられる思いで、床に散乱しているチリメンジャコ君達をゴミ箱へ処分したのでありました

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・・

今日の写真を床に散乱してしまったチリメンジャコ君たちを撮ったものです。すこし見にくいのですがクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

 

コメント

これからは正しい姿勢で人生を生きていこうと決心したとたん・・・

2017-06-27 00:22:33 | 日記

今日の話は、まったく微私的な、どうでもいい、どこにでも転がっている病気談義と申しますか、つまらないよくある話でありますので、お読みにならなくても結構でございます。

6月13日の日記に「パソコンに向かっていると足がいたくなる奇病?」と題して、とつぜん左足のふくらはぎのあたりに文字通り居ても立ってもいられない激痛が走るようになって、困りはてて市民病院の救急外来で診てもらい、さらには整形外科で診てもらったことを書きました。

痛みが激しくて市民病院の救急外来に行ったのが6月10日、土曜日の夜、整形外科で診てもらったのが6月13日の月曜日、午前のことでした。脚や腰のレントゲンを撮ってもらったのですが異常なし、足の血流も正常ということでしたが、おそらく腰から来ているのでせうということで、あとはMRで検査するしかないですね、ということになり、痛み止めの薬を処方してもらいました。

MRの検査を受けたのは、予約がいっぱいでしたので6月21日になってのことでありませた。各種騒音製造装置ではないかと思われるMRの装置に身を横たえて検査を受けた後待つこと1時間、MRの画像を次々に映し出しながらお医者さんがのたまひました

「GGIさん、ほら、よくご覧ください、このあたりまでは左右対称ですね、でもほらこのあたり、対称性が崩れていますね、これが原因です。あなたは椎間板ヘルニアです。これが私の診断です」

あっちゃー、椎間板ヘルニア?!これはやっかいな病気じゃないか・・・今までパソコンの画面に向かっているときの姿勢も、歩くときの姿勢も悪かったからなあ・・・・でも、椎間板ヘルニアって腰が痛くなる病気じゃないの?・・・

「腰が痛くなるとは限りません、神経はいろいろつながっておりますから、足が痛くなることも考えられます」

「やはりこれまで姿勢が悪かったということでせうか・・・これからどうしたらいいのでせうか?やはり正しい姿勢で暮らすということが・・・

「そうですね、先日診察しましたときに《弁慶・牛若丸の腰痛教室〉というパンレットをあげたでしょう、あれをよく読んでください。今の痛み止めの薬が効かないようでしたら、すこし副作用があるかもしれませんが別の薬を処方いたしませう」

というしだいで、新しい薬もたいして効かないようでありますが、なんとか痛みとつき合って今日に至っております。

お医者さんの診断が間違っているとは思わないのですが、ひとつだけどうしても腑に落ちないことがあるのです。お医者さんにそのことを話しますと、そんなバカなと一笑に伏されそうですので未だに話していないのですが、ほんとうに腑に落ちないのです

と申しますのは、足に突算痛みが走るようになったきっかけのことです。実は6月13日の日記にも書いたのですが、痛みが急にするようになったのは6月10日の夕方、西武さんまで歩いて買い物に行って帰宅してから間もなくのことでありました。

この買い物は往復約2キロメートル、どうという距離ではないのですが、その日はいつもと違い、GGIには珍しく、とても正しい姿勢で歩いたのでありました。ともうしますのも、前日の夜、NHKの健康番組で正しい靴の履き方、正しい歩き方についてお医者が説眼していたからです。説明によりますと、足の甲のところで靴ひもをしっかり締めること、このことにより足と靴が一体となって歩きやすくなります、そしてあごを引いて胸を張ってお腹を引っ込めて正しい姿勢で大股でさっさと歩くことが大事ということでありました。

GGIはテレビを見ていまして深く反省いたしました、いつも胸なんか張らずにダラダラ靴を引きずるようにしてノロノロ歩いていたのを反省したのです、そうだ、明日からは、人生、正しい姿勢で歩んでいこう、いままでの我が人生の姿勢は間違っていたのだ、堂々と胸を張って正しい姿勢で明るい未来を目指そうと突然決心したのでありました。

このため、翌日、西武さんへの行き帰り、胸を張って大股でできるだけ手を振って元気いっぱいにあるいたのでありました。そして帰宅直後から突然左足のふくらはぎに激痛は走りはじめたのであります・・・・

みなさん、どう思われるでありませうか?初めて正しい姿勢で歩いた後に足が急に痛みだしたということは、正しい姿勢て歩いたことと足の痛みの突然の発生との間には何らかの因果関係があることを意味していることにならないでせうか?すなわち正しい姿勢で歩いたことがGGIの椎間板ヘルニアの発作を引き起こしたことの直接的な原因であるとは考えられないでせうか・・・・

もし正しい歩き方をして椎間板ヘルニアになってしまったとしたら、これあとんでもない話であります・・・・でも、こんなことお医者さんに話しても信じてもらえないか、それは単なる偶然に一致ですよと一笑に伏されることでありませう・・・

でもGGIの疑問を消えませぬ。この疑問に悩まされておりましたら、昨日の夕方、某知人がわざわざ仕事の帰りに見舞いに来てくれました。この知人、以前から悩まされていたメヌエル病を、病院に行っても一向によくならないので、ジムに通って自分で考え出したストレットとヨガを組み合わせてような体操を毎日行って、ついに治してしまったという独立独歩の人です。また、二年前に多発性で進行性のガンでいっきょに腸や胃など五カ所ばかりを切除して無事生還、現役復帰という70歳前後の元気あふれる快人物であります。

この人物に上記のような大いなる疑問や悩みを申しましたところ、彼はしばらく考えていて申しました。

「いや、GGIよ、そういうことはあり得る・・・・要するに、いきなり慣れないことをしておかしくなるというのは良くある話、まあ、GGIが正しい姿勢で人生を生きていくのはムリやということやなあ、でも、もう起きてしまったことや、それより足の血流が影響してるかもしれん、血流が良くなる医療用のソックスみたいなものが日赤で売っている。今度くるときに買って持ってきてやるから、一度試してみろよ」

まことにありがたき友であります。しかしながら、せっかく、過去を深く反省してこれからは人生正しい姿勢で生きていこうと思ったとたんにこのザマであります。まことに残念と申しますか自己嫌悪の限りであります、神さまはいったい何をなさっているのありませうか・・・

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ・・・

今日の写真はGGIの悩みとは関係ありません。わがサザンガーデンの夜景を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

コメント

オキナワ、若干の想ひ出・・・

2017-06-26 02:46:22 | 日記

6月23日は沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」でした。

新聞報道などによりますと記念式典に出席したアベ君、沖縄県の翁長知事と目を合わさなかったそうです。まことに情けない限りであります。ひとの目をちゃんと見ることができないような恥ずかしいことをするなよ!そんなことなら、はじめからアホなこと止めとけよ!恥ずかしくないのか、だからあんたはいつまでたっても幼稚なガキンチョなんや!そんなことならさっさと首相の座を降りろよ!などとGGIは言いたくなります。

オキナワといえば、GGIは普天間基地の中に若干の土地を所有しております。いわゆる一坪地主ということになっております。と申しましても、これは以前にも日記に書いたのですが、一坪と申しましてもその実態はせいぜいお尻を降ろすことができるぐらいの大きさ、すなわちハンカチ一枚程度の土地でございます。

別に反戦の意思に燃えて地主になったわけではありませぬ。ずいぶん以前、我がマザーが世話になっておりました教会の牧師さんに地主になるようたのまれたのです。この牧師さんは沖縄の牧師さんから本土で地主を集めてくれるよう頼まれたのでありました。

GGIはマザーが通っていた教会の牧師さんが地主募集のチラシを持っておいてになったときに申しました。「先生、こんな国家に弓を引くようなやっかいなもの、教会員のかたはおらく誰も地主なんかになりませんよ。ですからわがマザーと私が地主になることにいたしませう」

わがマザーの姉の夫は満州から沖縄に「転戦」して五人の子どもを残して戦死、遺骨はありませぬ、戦場の石ころが入れられた骨壺代わりのようなものを渡されただけだったそうです。ついでに申しますと、マザーの弟はビルマで戦病死、おなじく遺骨はありませぬ。戦友が持って帰ってきてくれたわずかな遺品のみであったそうです。

というわけで、GGIはたいしてオキナワと縁があったというわけではありませぬ。沖縄が返還されたのは1972年のことですが、沖縄の本土復帰を記念して1975年に沖縄海洋博が開催されました。

この海洋博のとき、沖縄出身の丸顔でケンカも強い好青年が、GGIよ、沖縄に行こう、海洋博を見に行こう、沖縄じゅう自動車で行きたいところに連れていってやると誘われましたので、ノーテンキGGIは、沖縄青年と同様に元気な青年二人といっしょに全くの観光気分で沖縄へと向かいました。

朝からアルコール類を口にしながら、一週間ほどアッチをブラブラ、こっちをブラブラ、沖縄本島の南端から北端まで無目的に彷徨いたしました。もちろん米軍基地もたっぷり見学いたしました。そして返還からまだ三年でありましたが、すでに沖縄には自衛隊の基地も存在しておりました・・・

この旅行のアホぶりについてはかつて別のブログに書いたと思うのですが、今日はそのアホぶりは省略して、オキナワに関連した強く記憶に残ったことを二、三、記しておくことにいたします。

かつての沖縄旅行記は以下のサイトに掲載しております。おひまなかもおひまでないかたも、よろしければご覧になってくださいませ

http://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20060709

那覇空港に着きますと先に帰郷していた沖縄青年が車で出迎えてくれました。上着を脱ぎ半袖のスポーツシャツに着替えて那覇市内へと向かったのですが、米軍基地の様子が目に入りはじめた瞬間、GGIはタイムスリップした気分にとらわれました、

えっ、これは何だ、どうなっているのだ、窓から見える景色は二十数年前、すなわち1950年ごろの湖都の景色とそっくりじゃないか・・・これは、まさにデジャヴュ(既視感)だ・・・

わが湖都、昭和20年代(1945~1955)には、当時「進駐軍」と称されていた占領軍であるところの米軍、その西日本を管轄する司令部が置かれていました。米軍はびわ湖を一望する比叡の麓一帯に広大な基地を設けておりました

フェンスの向こうは別世界でありました、青々として芝生が限りなく広がり、カーキ色の米軍の車両が行き交い、オール電化の将校用の住宅が比叡の麓に点在しておりました、

この湖都のかつての光景とまったくそっくりの光景が市街に広がっていたのです、これはいったどうなっているのだとGGIは驚愕の極み、ノーテンキ・フラフラ観光旅行のつもりでありましたのに、正直申しまして予想外の展開。返還後も米軍が居座っているため、オキナワは基地の島ということは承知はしていたのではありますが・・・

などと、昨日オキナワのことを思い出しながら、数日前に送られてきました一坪地主の会のニュースレターを眺めておりましたら、表紙に掲載されている写真を目にして、また沖縄旅行のことを思い出してしまいました。

今日の写真はこのニュースレターに載せられていた写真を借用したものです。元の写真もピンボケぎみであり鮮明でないのですが、よろしければクリックしてご覧ください

沖縄の公道を走行する米軍の装甲車を撮ったものです。「公道をわがもの顔で走行する米軍装甲車両に《海兵隊は撤退せよ》とアピール」いう説明が写真に付されています。

この写真を目にして、あの沖縄旅行の時も似たようなことがあったなあ、と思いだしました。

場所は定かありませんが、本島中部あたりの道路を朝の九時頃、沖縄青年の運転で走っていたときのことです。前方に道路を行進している米軍兵士の一団が目に入りました。小隊というのでせうか、数十人の兵士が隊列を組んで行進しています。先頭の兵士が旗を掲げ何やら歌をうたっているようです

沖縄青年にあれはなんだと尋ねましたら、「あいつら、おそらく海兵隊の連中や、夜間演習を終えて基地に帰るのやろ」との答。兵士の一向に近づいてきましたので、GGIが写真をとろうと後部座席からカメラをかまえましたら、沖縄青年が叫びました、「おい、GGI、やめとけ!あいつら気が荒いから何するかわからん・・・」

米軍が基地のなかだけではなく、公道にわがもの顔で姿を現すという光景は沖縄旅行をした四十数年前と何も変わっていないのだと、この写真を見てGGIは深く溜息をついたのでありました・・・

なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ

グッドナイト・グッドラック!

コメント