UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

宮武外骨氏表敬の記・・・

2015-02-28 16:58:24 | 日記

先日212日の日記(http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20150212)に「私は外骨だ、シャルリーなんかではない」と題した一文を記し、いま伊丹市立美術館で外骨氏の展覧会をやっているので、GGIはそのうち見に行くつもりだと書きました

 人間、お約束を守ることが大切でありますので、また31日までということでありましたので、昨日、寒い一日でありましたが、伊丹市まで出かけました、展覧会では会場で結構な時間歩き回ることになりそうでありますから、最近元気なウオノメを騙すために、あまりウオノメが活躍することのない、踵がすっかりちびてしまっって三角形状になっているた古い靴をはいていきました

 湖都から伊丹まではJRで尼崎までいき福知山線に乗り換えて新快速で次の駅、遠そうに思ったのですが、思いのほか楽ちん、でも美術館、小さな表示しか出ていなくて寒風のなか行き着くのに若干苦労いたしました、倉をイメージさせる外観の小さな美術館でありました

 この展覧会「伊丹市立美術館開館20周年記念事業、外骨、シャレにしてオツなり、宮武外骨・没後60年記念展」と銘打たれておりました

 宮武外骨(慶応3年:1867年~1955年)は明治から昭和にかけて活躍した遠慮会釈ない権力風刺で知られたユーモアたっぷりのジャーナリストでありました、展覧会では彼が生前発行していたことのある「滑稽新聞」をはじめとした何種類もの挿絵入り新聞・雑誌などの原本が展示されていました、しかしまことに残念なことにガラスのケースに収納されていましたので、メガネを使っても、文字や小さな挿絵などがなかなか読み取れませぬ、懸命にガラス越しに眺めておりましたので、すっかり疲れてしまいました・・・

 外骨は212日の日記に書きました「頓智協会雑誌」のほかに《過激にして愛嬌あり》であるところの大阪で発行していた「滑稽新聞」、「筆禍史」、「スコブル」、「猥褻研究会雑誌」、「赤」、「面白半分」などの新聞・雑誌や書籍などを次々に発行、生涯に刊行した出版物は1,000点ちかくもあり、またその過激にして愛嬌ある方法で権力を揶揄しシャレのめして批判したために、入獄4回、罰金、発禁処分などの筆禍29回にも達したとされています

 彼の著作は大半が戦前のものですが(さすがに太平洋戦争中、70代後半に達していた外骨も、おとなしくしていて多摩川で魚釣りの日々、ひたすら敗戦をまっていた模様)、戦後、はやくも敗戦の翌年(昭和21年5月)に「アメリカ様」と言う本(2014年に再版、ちくま学芸文庫)を出版しています、このような本が敢行されていたことはGGIまったく知りませんでした

 この本、アホな戦争を導いた政府や無批判に隷従した人々を痛烈に弾劾する一方で、自ら「半米人」と名乗り(当時外骨は80歳、88歳の米寿にはまだ少したりないので《半米人》と名乗ったとのこと)、返す刀で海の彼方からの新しき権力者、米国・マッカーサー・GHQをほめ殺したり、新しき権力者に尾っぽを振る日本人をからかったりしたものです

 おかげで「アメリカ様」の一部がGHQの検閲により削除を命じられるということになってしまいました。つまり外骨は、戦前は日本政府から、戦後は米国政府から、ダブル受賞ならぬダブル弾圧を受けるという栄誉に浴したということになります

 また外骨は風刺ものを書いていただけではなく、関東大震災の稀有な記録とされる「震災画報」(ちくま学芸文庫、2013)を出版しています。関東大震災が起きたのは大正12年の91日ですが、外骨は独力で震災かわずか3週間後の921日に最初の号を印刷、25日に発売にこぎつけています。インタネット、スマホ、携帯、パソコン、ファックス、コピー機などまったくない、通信伝達や移動の手段が今とは比べ物にならないぐらい貧弱な状況のなかで、印刷所も出版社も被災して動けない状態にあるなかでの話です、すなわち外骨はモーレツな行動の人でもありました、ですから、外骨は明治293月に三陸海岸を襲った大津波の視察にも行ったことがあるとされています

 外骨はかようにパワフルで何事もおそれぬユーモアに富んだ独立独歩のジャーナリストでありました。このため、「日本を取り戻す」などと意味不明のスローガンを叫び、自分の嫌いなものには会わなかったり平気でヤジを飛ばしたりする、まことに幼稚極まるアベ坊や政権の下で、とりわけ朝日の誤報事件や中東での人質事件などのあとで、日本の大メディアが委縮したり自主規制したり、完全に機能不全に陥っている状況の中での、またあのシャルリー騒動の中での、「宮武外骨。没後60年記念展」はまことに時宜を得たものでありました

 残念ながら来館者は多くはありませんでしたが、この展覧会を企画された伊丹市立美術館に心から感謝申し上げます

帰宅後、外骨の毒気にあてられたのでありませうか、喘息の発作がなかなか止まらず寝苦しい一夜でありました

 今日の写真は「アメリカ様」の一部に関してGHQが削除命令を出したことについての外骨のメモを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、外骨が書いた内容は目くじらを立てるほどのものではありません。敗戦直後、めったやたらに徒党を組んでの強盗が続出していることに関して「どうして斯様に強盗が多いのか、こればかりはアメリカ様のお蔭だとも言えないが、進駐軍人が来て以来のことだから、何らかの刺激によるものらしい」と書いただけで、外骨はGHQの検閲に引っかかってしまったのです、進駐軍批判はこんなことでもご法度であったということでせうか?

 明日はできればちょっぴり、滑稽新聞などをご紹介する所存です

 グッドナイト・グッドラック!

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神さまの居場所・・・・

2015-02-27 00:26:07 | 日記

先日の午前9時過ぎ、やんごとなき用事があり、知人の車で市内某所に向かいました、午前中に何か用事をすますなんていうことはGGIにはめったにないことでありますので、まあ知人に誘拐されたというのが事実であります、朝めしもろくに食べずに車上の人となったのです

 知人は運転の腕は確かですがリッパな方向音痴です、目的地には近くの近江大橋を渡って湖周道路を通ったほうが早いと橋を渡ったのですが、湖周道路への入り口がわかりませぬ、しばらくうろうろ漫然と走っているうちに、ピラミッドの姿が遠く左前方にかすかに見えてきました

 120日の日記に近くの湖岸から対岸に目をやるとピラミッドが見えると書き、写真も載せておきましたが(http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20150120)、見えてきたのはそのピラミッドです

 そうや、あのピラミッドの横を湖周道路が通っているはずだから、とりあえずあのピラミッドを目指して湖のある方向にむかえばOK、ということになりました、

しばらく走ると無事湖周道路に出ることができました、そしてピラミッドが徐々に近づいてまいりました、この日はそれほど晴れていたわけではないのですが、どのような仕掛けでありませうか、ピラミッドは燦然と輝きを放っております

よろしければ今日の写真をクリックしてご覧になり、わが湖国のピラミッドをご鑑賞くださいませ

ところで、GGIの特技は神さまの居場所を突き止めることです、どこかに行って神々しそうな景色に出会って、このあたりに神さまがいらっしゃるのではないかと思って声をかけますと、たいてい、どこやら天空の方から神さまの返事が響いてくるのです

でも、この日は違っておりました、あのピラミッド、ヘンに神々しさを演出し過ぎているなあ、どうもあのピラミッド、インチキ臭い新興宗教かなんかだろう、こんなところには、神さまはいらっしゃらないだろうと思っておりました

そうしましたら、前方から声が聞こえてきました

 「これこれ、そこを行く車、そこに乗っているのはGGIであろう?」

「えっ、ひょっとしたら神さまでいらっしゃいますか!」

「そのとおり、私はGGIとときたま交信しているいつもの神さまだ」

「ほんとうですか、これは奇遇でございます、ひょっとして神さま、神さまはいま、この妙に神々しさを強調した思わせぶりなピラミッドのなかにいらっしゃるのですか?

「そのとおり・・しかし、その言い方は何だ、おまえは私がここにいることで何か不満がでもあるのか?」

「いや、不満ということではありませぬが、でもですねえ、この曇天でも燦然と輝くこの演出過剰のピラミッド、どっかのインチキ臭い新興宗教の建物ですよ、そんなところに神さま、おられてもいいのですか、神さまの信用に傷がつきますよ」

「何を言っておる、新興宗教でも神さまは神さまだ、最近は神さまの世界も人手不足なので、今日はこちらに手伝いに来ているのだ」

「さようでございますか、それにしてもなあ、こんなキンキラリンの・・・」

「何を言っておる、どんな宗教でも始めは新興宗教なのだ、始めはインチキ臭いのだ、仏教も、キリスト教も、いま大評判のイスラム教も、それにGGIが信じていると称しているボゴノン教も・・・」

 これはたまらんなあ、何たることだ、神さまもいよいよ認知不全症候群かと思っておりましたら、車を運転していた知人がGGIの腕を揺さぶりました

GGI、どうしたの、さっきからブツブツ独り言いって・・・」

「いや、あのなあ、あのピラミッドのなかに神さまがいるんや、それでいま、ちょっと神さまと話してたんや」

「えっ、あのピラミッドのなかに神さま、やっぱりそうか!」

「やっぱりそうか、って、どういう意味?」

「いや、あのなあ、さっきから、ピラミッドが近づいてきたら、なんか車の調子がおかしいのや、ハンドルが急に軽くなって、なんだか宙に浮いているような・・」

「そうかぁ、神さま、やっぱりあそこにいたんや!」

グッドナイト・グッドラック!

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ああ怖ろしや「雛流し」・・・・

2015-02-26 01:13:45 | 日記

ひな祭りの33日が近づきました、先日(223日)の新聞に「もうすぐ船出」と題して、お雛さま大集合の写真が掲載されていました

 今日の写真はこのお雛さまたちを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、なかなか壮観であります

 写真には以下のような説明が付されていました

「和歌山県加太市の淡鴨神社で、全国から寄せられた約6千体のひな人形が本殿に並べられている。一部は、33日に白木の舟に乗せて沖へ流す「雛流し」につかう・・紀州徳川家の姫が生まれた初節句に、一対の人形を神社に奉納したことが始まりで、人形を納める人が増えたという」

 この説明を読みましてGGI、とつぜん怖~い話を思いだしました、あの話も和歌山のことだったよなあ・・・、

 むかし、江戸時代のころのことだったでしょうか、勝浦あたりの港から極楽浄土を目指して船出する話であります、北風に乗って南の海へと向かっていった船の中では・・・この「雛流し」の舟に乗せられたお雛さんたちの運命もひょっとしたらこの極楽浄土を目指す船に乗っていた人々みたいに・・・

 この怖~い話、GGIはいつどこで知ったのかまったく定かではなく、その詳細についても知りませんので、ネットさんに助けてもらいましたら、以下のようなものであることがわかりました

 この和歌山の港から極楽浄土に向けて船出するということがいつのころから始まったのかは定かではないようですが、この船出、「補陀落渡海」(ふだらくとかい)と称されています

 この名称は和歌山の那智のある補陀落寺に由来しています、むかしむかし、鎌倉時代のころでせうか、ある僧侶が修行のために補陀落時の近くの港から小さな舟に乗って、南の海にあるとされている極楽浄土、すなわち「補陀落浄土」を目指して不帰の船出をしたことが始まりであり、18世紀ごろまで、僧侶らによるこのような船出が行われていたとされています

 極楽浄土を目指す小さな船には三十日分ほどの食糧と灯りとするためのわずかな油だけが積み込まれます、舟には何人もの僧侶たちが乗り込むのですが、乗り込んだあと船室の扉は外から釘で打ちつけられます、いったん乗り込みますと船内にはもはや日さえ差し込みません、港を出た舟は沖合に押し出され、やがて北風にのって南の海へと・・・

 しばらく航海を続けるうちにやがて食料は尽き、灯明も尽き、舟のなかには暗闇がひろがり・・苦しみを逃れようと外に出たくても出ることはできません・・・・真っ暗闇の密室・・・・そのなかで、徐々に、徐々に、極楽浄土ならぬ阿鼻叫喚の地獄絵が・・・

 という怖ろしい話であります、信仰無きGGIには近づき難き、かつ信じ難き、まことに凄き世界であります

 己の信仰を守るため、来世を信じて集団自殺的な行為に至るという話は少なくありません、たとえば幕府を相手にした島原の乱や、ローマ法王から異端とされ全員火刑に処せられたカタリ派の最後などです 

 邪推名人のGGIとしましては、この和歌山での「雛流し」、補陀落渡海に想を得たものではないかと疑っております・・・

 舟に乗せられて南の海へと流されたたくさんのお雛さまたち、やがてきらびやかな衣装はびしょ濡れになり、寒さに打ち震え、垢だらけになり、トイレにも行けず、食糧もつきて・・・そして遂には累々たるお雛さんたちの屍が・・・などと想像いたしますと、心優しきGGI、胸苦しくなります

 日本人は何事も水に流すのを得意としておりますが、なんでも水に流せばよいというものではないよなあ、流された者の身にもなれようなあ、などと言いたくなるのであります

 グッドナイト・グッドラック!

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街角の自衛隊:凛々しき若者たち・・・

2015-02-25 01:37:41 | 日記

先日、2月19日の日記に防衛大生たちの靖国参拝の写真を載せました

 この写真を見ていて少々意外であったのは、防衛大生のみなさん、みんな現代風のスラリとして、どちらかと言えばおとなしい感じがする青年であったことです、職業軍人のたまご、幹部候補生たちでありますから、もっとマッチョな感じの凛々しき若者たちかと思っていたのですが・・・まあ、何事もステロタイプな先入観をもって観てはいけないのだと反省したのでありますが、

 しかし、昨日、町をぶらついておりましたら、凛々しき若者、自衛隊員諸氏に遭遇しました、と申しましても、自衛隊員募集のポスターを目にしたのです、、

 ちかごろは警察官募集や自衛隊員募集のポルタ―は、広告代理店屋さんやなんかが腕を振るっているのでありませう、目立ち志向の派手のものが多いのです

 以前の日記にも記したことがあるのですが、アニメの美少女たちが陸海空の制服を着て通行人に秋波を送っているポスターを目にして、GGI、時代だなあと感心したりあきれたりいたしました

 しかし昨日目にしたポスターはそんなヤワなものではありませぬ、靖国参拝の防衛大生よりはずっと凛々しき表情をした若者たちが写っております

 今日の写真はこの凛々しき若者たちのポスターを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

 自衛隊といえば、かつては「専守防衛」が売り物であったのですが、このポスターを眺めておりますと、若者たちが凛々しいこともあって、いざ出撃、専守防衛なんて甘いことは言うてられん、と言っているような感じがいたします

 写真の下の方の真ん中に写っている空母モドキの艦船は一昨年の8月6日に進水したヘリ空母であります、一度に十二機ほどのヘリが同時に離着陸することができるそうであります

 この艦船が進水したときに韓国や中国は、これは実質的に空母だと評し、専守防衛から逸脱していると、警戒の念を強めました

 同じ型のものが、もう一隻建造中です、防衛省筋は「専守防衛のためのヘリ空母でありますから、輸送用のヘリを搭載するだけであります、ですから、ご心配におよびません」とのたまわっておりますが、攻撃型のヘリ、すなわちベトナム戦争で米軍が使用していたコブラ(これは自衛隊も保有しています)やアパッチなどの攻撃型ヘリを載せれば、リッパな空母であります、

 このような艦船、国内では必要ないでしょうから、いったいどこへこのヘリ空母は出動するのでありませうか、GGIのお得意の邪推によれば、戦車や戦闘機に乗ったりする兵器マニアのアベ君はいずれヘリ空母ではなく本物の空母を欲しがることでありませう、なぜかと申しますと、アベ君の施政方針演説からは、彼が再び日本を「列強」にすることを強く望んでいることがうかがわれ、空母は列強国の標準装備のひとつであるからです

 自衛隊の最新鋭戦車も同じことです、いったいどこを走り回るつもりなのでせうか?中国や北朝鮮が日本本土に攻め込んでくるなどとヘタくそな冗談を言う人がおりますが、国内で地上戦になって自衛隊の戦車が出動なんていうことは、まともな軍事専門家であれば言うことはないでありませう、まあ、国内で戦車の出動が必要となるのは、おそらく騒動や内乱が起きたときであるとしか考えられません、戦車が自国民に銃を向けることがしばしばあることは歴史が証明していますから・・・でもわが日の本の民は世界一政権に従順でありますので、そのようなことは絵空事でありませう・・・

でも、でもですね、そのようなことになりかねない事態がかつて日本でもあったのです、1960年、国会周辺のデモ隊が押し寄せるなど安保闘争が盛り上がりを見せたとき、政府はいっときデモ鎮圧のために自衛隊を出動させることを考えたのです、しかし政権内部からも危ぶむ声があり、さたやみになったのです

 まあ、戦闘機は領空侵犯への備えとして、すなわち自衛のためであると分からぬこともないのですが、航空自衛隊は今ではボーイングを改造した最新鋭の空中給油機なるものまで保有しているのです、以前は空中で戦闘機が給油を受けて遠くまで飛んでいくことは専守防衛から逸脱するというので保有していなかったのですが、今では堂々とまかりとおっているのです、いったい空中給油によりどこまで飛んでいくつもりでありませうか・・・

 昨日の新聞で、軍人が勝手に部隊を動かすことなどを防ぐための制度である文官統制をなくし、制服組と背広組を同列に置くために法律を改めることを防衛省が意図していると報じられていました

 かくして、「専守防衛」なる言葉を耳にすることは少なくなり「死語」となりつつあるようにGGIは思います、この傾向はアベ君が政権の座について「積極的平和主義」などという勝手な造語ははやらせるようになってから、ことに顕著になっているような気がいたします・・・

 以下はかつてパチンコ屋さんなどでかつて盛んに流されていた「軍艦マーチ」の歌詞です

 守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の
皇國(みくに)の四方(よも)を守るべし
眞鐵(まがね)のその艦(ふね)日の本に
仇なす國を攻せめよかし

 グッドナイト・グッドラック!

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歴史の教訓・・・・

2015-02-24 01:11:15 | 日記

アメリカの歴史学者であるアーネスト・メイという先生が「歴史の教訓」という本(原題:The Lessons of the Past)を著し、ベトナム戦争でなぜ米国のエライさんたちが泥沼にはまるような決断をしてしまったかということを研究して、三つの命題にまとめました

    外交政策の形成者は歴史が教えていたり予告していたりすると自ら信じるものの影響をよく受けるということ

   政策形成者は通常、歴史を誤用すること

   政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることができる。

 以上は先日紹介しました歴史学者・加藤陽子せんせいの著作「それでも、日本人は《戦争》を選んだ」からの無断借用です

 加藤先生はこのあとに次のように書いています

 「メイ先生の言いたいことをはっきりいってしまえば、政府を引っ張るような政策形成者は、歴史をたくさん勉強してくださいね、ということですね」

 さて今夜の写真を先日アベ君が行った施政方針演説の冒頭の最後の部分です、ぜひクリックしてとくとご覧になり、果たしてアベ君は歴史をどの程度お勉強しているのか、歴史からどのような教訓を読み取っているのか、お考えになってくださいませ、アベ君が歴史を誤用しようとしているのでなければ幸いでありますが・・・

 グッドナイト・グッドラック!

 

 

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