UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

一般参賀に行ったことはないけれど・・・

2018-01-03 02:03:12 | 日記

昨日1月2日は、「一般」国民が皇居で一般ではないとされている天皇一家の姿を目撃することができる日でした。

いわゆる「一般参賀」が許される日です。お昼のニュースでたくさんの臣民、ではなく一般市民が押しかけている様子が報じられていました。現天皇の退位が近づいていることもあって平成の世で最高の人出であったとのことです。

GGIも一度は行ってみたいものだと思っているのですが行ったことはありませぬ。靖国神社にも一度は参りたいと思っているものの、やはり行ったことはありませぬ。でも、かなり以前のことですが、首都圏で暮らす某親戚一同といっしょにお上りさん気分で「はとバス」に乗って東京めぐり、皇居前広場で皇居二重橋を背景に記念写真を撮ってもらったことがあります、ささやかなる念願がかなって、GGI、いたく満足でありました。田舎シティ・ボーイのGGIは帝都を感じさせる皇居近辺の光景に感じ入ったことを記憶しております

GGIは現天皇とは何の関係もないのですが、これまたかなりかなり以前、現天皇が(まだ皇太子のころであったころでせうか?)植樹祭かなにかでわが湖国を訪問、わがガーデンの前を通っている湖岸の大通りを車で通り過ぎたときに、その姿を目にしたことがあります。

警官が事前に、GGIが不在の間に、わがマザーをだまくらかして我がガーデンを捜索するというまことに無礼なことがありました。天皇訪問の時間帯には湖岸の大通りは全面通行禁止でありました

天皇とその奥さんがわががガーデンの前の大通り、ガーデン寄りの京の都へ上る車線ではなく反対側の江戸方面に下る湖岸よりの車線を車で通り過ぎたとき、奥さんは窓から歩道にいならぶ人たちに手を振っていたのですが、天皇は隣の席でガーデン寄りの車線の方を眺めていましたので、ガーデン前の歩道に突っ立っていたGGIと目があってしまいました。車が通る車線の側の歩道にはたくさん見物人がいたのですが、ガーデンよりの歩道には人影まばらでしたので、このような想定外の遭遇とあいなったのでございます

天皇はGGIと目があってしまいましたので仕方なしにGGIの方に手をお振りになりました。それでGGIも仕方がないので礼儀正しく手を振りました。ただし、このときGGIはステテコ姿であり、たいへん失礼をばいたしました。戦前なら、そんな姿で手を振ったりしたら不敬罪ものだったかもしれませぬ。

でもですねえ、天皇とGGIの距離は10メートルあるかないか、「ジャッカル」のような狙撃の名手であれば十分可能な範囲内でありました。警備陣のみなさま、GGIのガーデンまでをも令状なしで捜索したというのにこのありま、もっとご注意あそばせ・・・

などと、またまた脱線いたしましたが、今日の話題は一般参賀にまつわるGGIの忘れがたき思ひ出でございます

思い出の元となった事件は1969年(昭和44年)1月2日に起きました。GGIが御年28歳のときのことです。一般参賀の場で、皇軍の元兵士が天皇(昭和天皇)めがけてパチンコ玉を放って狙撃しましたが、失敗に終わったという事件です

と書けば、ご存知の方も少なからずおられることでありませう。俗にいう「天皇パチンコ襲撃事件」です。犯人は奥崎謙三という名の元陸軍兵士、上等兵、このとき彼はパチンコ玉を放ってから「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て」と叫びました。後に彼は「ヤマザキ、天皇を撃て」と題した著作を出版していますが、「ヤマザキ」という人物が参賀の場にいたわけではありません。かつて戦場で生死を共にした同僚兵士の名を叫んだのだとされています。

 奥崎謙三上等兵は戦時中、まさに生き地獄そのものであった、ほとんどの将兵が生きて帰ることができなかったニューギニア戦線の数少ない生き残りの兵士です。兵士の大半は、もう米軍と戦うための弾薬も尽き食糧の補給も絶望的であり見捨てられたも同然であり、視線をさまよったあげく、戦死ではなく、病死か餓死への道をたどるしかありませんでした。

ニューギニアのジャングルの中で、食べ物を手に入れることができない兵士たちは何とか生きのびようと、ときには人肉までも口にせざるを得ませんでした・・・・

戦後、彼は独りで執拗ともいえる断固とした態度で、南方の地に兵士たちを見殺しにしたとして、天皇の責任を追及し、また上官が敗戦を知っていたにもかかわらず同僚の兵士数人をを勝手に殺害したとして、その責任を追及するために元上官を追いかけ回していました。パチンコ襲撃事件はそのよう彼の高度のなかで起きた事件です。

このパチンコ襲撃事件が起きるまでは、天皇一家が立ち並ぶ宮殿のベランダには何も施されていなかったのですが、事件後、ベランダはガラス張りにされ、今に至っています。おそらく堅牢な防弾ガラスでありませう。部厚いガラスにむこうから参賀にこたえる様子は金魚鉢の中の天皇一家という感じがしないでもありませぬ、かつては「菊のカーテン」などと言われたことがありますが、昨今は「ガラスの壁」ということでありませうか・・・

この事件、パチンコ玉は天皇がいた場所までには達しておらず、そのためいわゆる「暴行未遂」事件に終わりました。このため、懲役1年半の刑に処せられるに留まりました。裁判に際して彼は天皇をはじめ関係者の証人喚問を行うよう求めたとのことです。被告としてはこのような要求を行うことは当然のことなのですが、証人喚問は実現しませんでした。

また後に、元上官の殺害を企てて上官の息子を改造拳銃で負傷させるという事件を起こし、殺人未遂罪で懲役12年の刑を科せられています。この上官を追い求める姿などを描いた、「ゆきゆきて、神軍」と題された異色のドキュメンタリー映画」(1987年、原一男監督)が製作されています。この作品は日本映画監督協会新人賞ベルリン国際映画祭カリガリ映画賞など数々の賞を受賞しています

などなど、まとまらなくなりましたが、これがGGIの一般参賀にまつわる思ひ出でございます。

これらの事件や映画に関心のある方は以下のサイトなどをご覧になってくださいませ
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/shouwa.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B4%8E%E8%AC%99%E4%B8%89

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は昨日の一般参賀を報じるテレビの画面を撮ったものです。クリックしてご覧になるにはおよびませぬ。ニュースでは、インタビューされた幼稚園児か小1ぐらいと思われる男の子が「天皇陛下のお言葉で一年を大切にして取り組んでいきたいと思います」と答えていました!この男の子、忠良なる臣民になることでありませう

グッドナイト・グッドラック!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする