昨日は風の強い寒い一日、最高気温は数度だったでせうか
GGI、某知人宅で未高齢者、高齢者前期・後期該当者による放談会のような集まりに出て、その帰り、みなさんといっしょにたのしく食事兼飲酒をいたしました。終わったのは午後9時少し前でした
知人たちとわかれて湖岸の大通りをわが庵へと急いでおりましたら、闇の彼方から身を切るような冷たい風に乗ってかすかな声が・・・
以前の日記に何度か書いており、またかと思われることと思いますが、このような寒い冬の夜は、かならず闇の彼方から声がGGIの耳に聞こえてきます
「さむいよ・・・さむいよ・・・」
か細い弱々しい声です、はじめはかすかにしか聞こえないのですが、しだいに大きくなり、やがてしだいに遠ざかり、闇に吞みこまれるように消えていきます。もう聞こえなくなっても、残響音のように、耳の中でしばらくか細い声が響いています
(この話は別のブログや最近では、この日記の以下のサイトに載せています)
http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20171212
そして、寒い夜、GGIの耳に闇の彼方から聞こえてくる声がもうひとつあります。それは中原中也の詩「子守唄」です。どういうわけか、寒い夜、深夜、GGIはこの詩を思い出してしまうのです。
子守唄
母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう
母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう
然しその声は、どうなるのだろう?
たしかにその声は、海越えてゆくだろう?
暗い海を、船もいる夜の海を
そして、その声を聴届けるのは誰だろう?
それは誰か、いるにはいると思うけれど
しかしその声は、途中で消えはしないだろうか?
たとえ浪は荒くはなくともたとえ風はひどくはなくとも
その声は、途中で消えはしないだろうか?
母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう
母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう
淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?
淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?
GGIはこの詩を目にするたびに、ここに出てくる母親はきっと寒い冬の夜に、この子守唄をうたっているのではないかと思うのです。
寒い冬の夜、母親の声は、そしてあの弱々しい「さむいよ・・・」という声は、果たしてがどこまで届くのだろうととか、その声は途中で消えてはしまわないだろうか、果たして聴くひとはいるのだろうか、だれか耳にするひとがいるかなあ、いるといいのだけれど・・・等と思ってしまうのです
・・・
(この詩はこの日記の以下のサイトにも載せています。)
http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/s/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E4%B9%9F
今日は過去の日記を借用してばかりの、あいかわらずの手抜き日記になってしまいましたなもあみだぶ・なもあびだぶ・なもあみだぶ・・・
今日の写真は、昨夜、冷たい風が吹きぬける湖岸の大通りを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ
グッドナイト・グッドラック!