旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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発車!オーライ!バスが行く

2018-05-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「乗ってみたい乗物のひとつらしいですよ。小学校生の息子と娘にせがまれて名護行きのバスに乗りました。弁当持ちで。ボク自身、30年ぶりのバスでした。日頃はマイカーに乗っても、すぐに舟を漕ぐ子どもたちなのに、往き帰りそれがない。窓の外を走る景色がよっぽど気に入ったのでしょう。ずっと兄妹ばなしをしていました」
 嬉々としてゴールデンウイークを語る後輩のT。瞳が輝いていたのが嬉しかった。

 戦後まもなくの交通手段は(拾い車)と称する、いわゆるヒッチハイク。軍用トラック、ジープなども運転手が沖縄人ならば、手を上げたり、アメリカンスタイルで口笛を吹き、親指を立てて行く方向を示せば(大抵、気軽に乗せてくれた)と、先輩たちは述懐する。
 僕が乗物を利用するころまで、それは続いたが、そのころからは民間でも、軍払い下げの(有料の乗合いトラック)が登場。遠出ができた。
 やがて、琉球バス、沖縄バス、昭和バス、青バス、銀バス、東洋バス等々が運行するようになる。現在はすべてがワンマン化しているが、当時は(車掌)がいて、車内で切符を切っていた。もちろん、乗車賃は米ドル。

 かつてバスは(木炭)を燃料にした。いわゆる(木炭バス)。日本における木炭自動車の製造は昭和11年頃。沖縄への導入は昭和12、13年頃と言われる。想像するか、図書館で写真資料を見る以外ないが、なんでも「バスの後部にランドセルような部位があって木炭を収納。クランクというパドルを人力で回して火を起こし、その火力を動力化した。馬力が弱いため、坂道の登りの途中からの木炭バスは、喘息を患ったかのようにゼーゼー呼吸をあらくしていたという。
 「ガソリン1滴、血の1滴」と言われ、日本は明治から始まった中国大陸への侵攻で、極端なエネルギー不足に喘いでいたのである。
 ガソリンはすべての車両、始動する折りだけに使用することが義務付けられていた。
 バス会社のひとつ「あずまバス」は、西回りの屋慶名(現うるま市)の例をみると、本社を置く那覇市西新町から、両線の終点地・東恩納(現うるま市)が1円10銭。1日に2往復だった。道路は2車線ながら、対向車がすれ違う場合、接触しそうなほどの狭さ。しかも舗装までは及ばず、運転手、車掌はもちろん、乗客も埃の(白化粧)を強いられた。

 現在、糸満市内を10人乗りのバスが走っている。
 糸満市は交通弱者や地域住民の交通便利向上を図るデマンドバス「いとちゃんミニ」の運行を4月1日から再開。
 利用者は予約に応じて市内の全コンビニを含む164カ所のバス停の中から好きな場所で乗り降りできる。2020年度までの「試験運転」としての再開だが、利用者からは運行継続の声が上がっている。
 「いとちゃんミニ」は10人乗りのワゴンタイプ。車椅子にも対応。毎日3台が午前9時~午後5時の運行。大人料金は初乗り300円。3キロごとに100円を加算し、9キロ以上が600円。中学生以下や障害者、65歳以上で運転免許証を返納した人は、それぞれ半額になる。
 乗車第1号となった糸満市座波の金城春子さんは、座波公民館前から同市潮平の商業施設まで利用。毎週2~3回は買い物で出掛けるといい「乗り心地はいいし、料金も安いので重宝。ずっと継続運行してほしい」と、便利さを強調していた。
 乗車は30分前までに予約センターへの連絡が必要。受付時間は午前8時半~午後4時半としている。

 戦後、公営バスが運行したのは昭和22年(1947)8月18日のこと。全島7路線。車両は本土から回送された米軍車両を改装したもの。バス運行開始当日は各路線とも午前と午後、1回のみの運行だったが、名護営業所扱い路線の総売り上げ高は4500余B円(軍票)という盛況ぶり。乗車経験者はこう語る。
 「途中停留所では、降りる人がない限り乗れなかった」。
 運賃は13歳以上は大人料金で1マイルに付き30銭。小人は半額。4歳以下は無賃。アメリカ民政府の所在地知念(現南城市)から与那原まで1円45銭。首里間2円65銭。浦添城間まで4円15銭。嘉手納=6円90銭。恩納村=10円55銭。石川市=7円25銭。金武村=9円80銭。瀬嵩(現宜野湾市)=14円95銭などなど。荷物は膝の上に置ける20斤(12㎏)以内の小荷物に限られた。これは闇物資を取り締まる意図があった。バスにも時代の有りようが見られる。
 (時候はいいし、ドライブを楽しもうか)と短路に思いついたが・。・・・。待てよ?僕は運転免許証の取得経験がない。されば(バス)のお世話になるしかないのではないか。んっ?再び待てよ?久しく乗っていないバス。かつてのように「発車オーライ!」という車掌のコールが聞けるだろうか?いまはワンマンバスだからなぁ。それでも南へ行こうか、北へ行こうか。