旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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猫たちの季節

2007-04-05 11:03:06 | ノンジャンル
★連載 No.283

 ∮戀猫のいくつも飛べり月の溝   白楢

 ∮月滿ちて又缺けそめぬ猫の戀   虚子

 「猫の戀」「戀猫」は、俳句の春の季語。
 昨夜も、わが家のそこいらで切羽詰まった声を出して、猫が恋をしていた。それが30分ほどつづいたかと思いきや、恋は成就しなかったのか、またぞろ切なく呼び合う。
 (うるさいッ)というよりも、眠れないまま月が日付をまたぐまで付き合っていると、こちらまで妙な気持ちになり、おかげで睡眠不足をかこうハメになった。しかし、戀猫たちの合体を見た人は少ない。それを見ると、悪いことが起きるとされている。
 春である。
 飼い猫は、もともと野性であった。それを飼い馴らし、交配をくり返して、さまざまな品種が世界中に広まったようだ。八重山・西表島に棲息するイリオモテヤマネコは、世界のヤマネコ類のうちでも、最も原始的な体形・性質をもっているという。
 猫に関する俗語も多く、沖縄でも神の使いとされる一方(化ける)と信じられている。
 死骸を葬る際には、木の枝に吊るす風習がある。そうすると猫は(七生たたる)こともなく、成仏するそうな。少年のころ、そう、昭和20年代後半までは、集落から離れたところに立つ松の木の枝に、首吊りのさまで猫の干からびた死骸が、風にさらされているのをよく見かけたものだ。近頃は、ちゃんと処理されているらしい。

 私自身は、1度も猫を飼ったことはない。
 猜疑的でどうにも私を信じてくれなさそうなのだ。しかも、あの忍び足が気になる。いま先まで、そばにいるのを確認していても、ちょっと横を向いて、目をもとに戻したときには、もうそこには影も形もなくなっている。まさに(忍びのモノ)。それに、ときどき、人間を監視する。そばにいて見張るならまだしも、一定の距離をおき、しかも四つ足を立てたまま、ジッとこちらを窺っている。何故か(悪いこと)をしたような気にさせられてしまう。

 いい「猫ばなし」もある。
 RBCiラジオのパーソナリティー稲嶺香織の家族の一員になっている猫がいる。
 夏目漱石の猫は(名前はまだない)が、稲嶺家の猫は「マーヤ」という立派な名前がある。猫のことを沖縄口では「マヤー」と言い、命名はそれに由来する。
 マーヤは、左前足が付け根からない。交通事故に遭ったのだ。
 6年前の夏。早朝番組にむけて出勤途中の車中にあった稲嶺香織。いつも通る宜野湾市大山58号の路肩に叩きつけられ、打ち捨てられている猫に気づいた。車にはねられたことは一目瞭然。スタジオ入りを急ぐあまり、その場を通り越したものの、彼女はすぐに引き返し、猫を抱きあげた。生後2ヵ月ほどの子猫。左前足は完全に切断され、血まみれの瀕死の状態。彼女は、すぐに近くの犬猫病院に連れ込んで、救命を懇願した。
 放送後、病院に戻り、一命を取りとめたことを知り、ホッとした。引き取ったのは言うまでもない。漱石の猫同様(どこで生まれたのか、とんと見当もつかない)子猫である。生活圏から離れた国道での遭遇。いまだ飼い猫だったのか分からない。
 「そんなことはどうでもいい。いま元気にわが家の一員に、いや、夫よりも主らしく振る舞っているのだから」
 稲嶺香織は、にこやかにそう話している。そして、3本足のマーヤは、もともとそうだったと納得しているらしく、前右足をちょっと顔の下に寄せてバランスをとり、なんの不自由もなく暮らしている。



 猫に関する言葉は多い。
◇ 猫に鰹節。◇猫に紙袋<前が見えず、後ろにさがることから、後退・あとずさりをすること>。◇猫の額。◇猫は3年の恩を3日で忘れる。◇猫を被る。などなど。
 マイナスイメージの言葉が多いようだが、マーヤの手前、いい沖縄の俗語を記しておこう。
◇ 心労や、猫ん殺すん<しんろうや マヤーん くるすん>
「猫に七生あり」。何度でも生まれかわってくることから、執念深さを言い当てているが、その猫でさえ(心労)が重なると、命を縮める。まして人間、心を砕いてばかりでは生きられない。時には、憂さを晴らす(ゆとり)が肝要と説いている。
 ストレス<心労>は、万病の基とも受け取れる。昔びとは、そのことに気づいていたのだろう。

 時は春。
 今夜も(恋猫)の語らいを聞くことになる。

  ∮戀猫の夜毎泥置く小縁かな   あふひ

次号は2007年4月12日発刊です!

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