旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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八重山・六調節=ろくちょうふし

2019-09-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「簡単に涼風は吹かせまいぞっ」。
 9月の声を聞いても、ティーダ(太陽)は、意地悪さを発揮して沖縄に居座っている。それもそのはず、9月1日は雑節のひとつ、立春から数えて(210日目)、台風の来襲が多い頃とされる「二百十日」。ティーダにも強風にも対抗しなければならない日がつづく。
 こんな折には、明るい(騒ぎ唄)でも唄って暑気払いをしよう。
 ここに「八重山六調節」という共通語でなされる(座唄)がある。「球磨六調子」「薩摩六調子」「奄美六調節」など、九州一円で歌われる節があるところから察すると、奄美大島を経て、沖縄本島を通り越し、八重山に流行ったものと思われる。明治以降「標準語励行」を奨めてきたことが「共通語による歌詞や曲の受け皿になったとされる。
 曲(三線譜)を記載できないのは口惜しいが、にもかくにも歌詞と、後に続く(囃し言葉)を楽しんでいただきたい。

 ♪嬉し嬉しや若松さまよ 枝も栄えて葉も茂る~
 #(囃し)今年豊年年 穂は木に実る 我ら農夫は作で取る
 芸者は芸でとる三味でとる 相撲は手でとる 足でとる お寺の和尚さん お経でとる~

 
 ♪踊り踊れよ品よく踊れ~ 品の良い娘は嫁にとる~
 #貴方にもらったハンカチの 紅葉の模様が気に入らぬ 何故に紅葉が気に入らぬ 紅葉は色づきや 秋(飽き)がくる~

 ♪私しゃあなたに七惚れ八惚れ~ 今度惚れたら命がけ~
 #惚れてくれるはよいけれど 私しゃまだまだ年若い 花の蕾じゃないけれど 色のつくまで 待つとくれ~

 ♪恋路通えば千里も一里~ 逢わず戻れば元の千里~
 #おいおいおナベ なんじゃい太郎さん お前と私と暮らすなら たとえ山中一軒家でも 竹の柱に茅の屋根 手鍋提げてもいとやせぬ~

 祝いの座がいよいよ煮つまってくると、三線をよくする者が唄を出す。すると(囃しをよくする者)が一人、あるいは二人が飛び出して、即興の囃し言葉を付け、手を振り足を振り、拍子よろしく踊って座を盛り上げる。

 ♪むかしこの方変わらぬものは~ 水の流れと恋の道~
 #キンカン ようかん 酒の燗 親の折檻 子は聞かん あなたの云うこと私しゃ聞かん 隣の娘は気が利かん~

 ♪八重の潮路に真帆引き揚げて 千里走るや宝船~
 #島が小さくても頭を使え~ 空の布団に波枕 太平洋~

 ところで。
 「六調」とは何か。
 浅学の身ではまだ定義付けられないが、巷間の節から察するに三線の奏法に特異性があるようだ。その奏法は他の節歌とは異なり、三本の絃を同時に連弾。とは云っても左の指では旋律をちゃんととっていること。掛け弾ち(かきびち)と言って、絃を下から上に(バチを引っ掛ける)ように弾くことを特徴としている。
 三絃を上下に弾くから(六調節という)ともしているが、今少し説得力に欠ける。
 原則として即興歌、即興舞いが付きモノ。沖縄本島の「カチャーシー唄・舞い)と同系と云ってよかろう。
 列記した歌詞は与那国の歌者宮良康正が出したCDを参考にした。したがって、良俗に反しないよう「歌詞・囃し」に気をつかっているが、実際にはもっと色っぽく、いや、下ネタを堂々と歌い上げ、囃し立てたのが多い。ボク個人としては後者が好みなのだが・・・・それはもっと「表現の自由」が確立されてからにする。
 いま少し手元の資料から(わりかし上品?)な歌詞を拾ってみる。

 ♪あの世この世は仮寝の宿よ 三味に合わせて舞い踊れ~
 ♪君と僕とは卵の仲よ 僕は白身で君(黄身)を抱く~
 ♪君と僕には枕は要らぬ 互い違いの枕元~
 ♪入れておくれよかゆくてならぬ わたし一人が蚊帳の外
 ・・・・かくて(六調節)は、延々と唄われる。
 「エイサーの音曲・鳴りモノの音が遠退くころ、秋風が立ち始める」と言われるが、エイサーはいまだ鳴り止むことを知らない。八月十五夜の月はいま(秋風)の製造中なのだろう。